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こんにちは、純朴です。今日は、みさきさんのお話をいろいろ聞いてみたいと思ったので、みさきさんをお呼びしてます。

呼んでくださりありがとうございます。みさきです。よろしくお願いします。

はい。ちょっとみさきさんにはね、聞きたいことがいっぱいあるので、ちょっと聞いてみようと思ってます。

はい。

みさきさんはですね、みさきさんあれですよね。高校の先生をやられてるということで。

そうですね。高校の中でもちょっと特殊、農業高校なので、なじみがない人もいるかもしれないですね。

確かにね。僕はあれですね、工業高等専門学校の卒業生なんで、普通高校ではない高等教育機関で単位を取ったので、
僕の周りだと、なんかちょっと専門性の色のついた高校なのねっていうのは、ちょっと伝わりやすいかもな。
そうそう。で、みさきさんとはティーチャーティーチャーっていうね、ポッドキャスト番組のコミュニティでご一緒させてもらっていて、
教育とか子育てとかを話して考える場に、教員の方が、現役の教員の方がいるっていうのは、とっても大事なことというか、そういう人がいてくれるおかげで、
そちら側の視点が手に入るので、みさきさんいてくれてるの本当にありがたいなと思ってます、いつも。

ありがとうございます。

そう見えてるんだなっていうのが感じて。で、あの場では多分その視点持ってる人って少数派ですよね。

そうですね。

2人以上はいるけれども、でも全体で言ったら多分1割にも満たないぐらいですよね、現役の教員ってなると。
そういう視点があることで、そっかって先生、これは先生もつらいんだなみたいなのは、なかなかそちら側の視点を持ってる人がいないと、
コミュニティの場でもそういう話になりにくいから、欠席裁判的にその場にいない立場の人が悪者にされちゃうってこともあると思うんですよ。
人間社会のよくある話のされ方として。
でもその立場の人がいると、あ、そうだ、こういう立場の人もいるんだから、なんか一方的に悪く言っちゃいけないっていう意味でちゃんと自制が働く効果とかもきっとあるだろうなと思ってますね。
なんでね、三崎さんがあの場にいてくれてるのは、僕はすごいありがたいことだなって思うことが少なくないですね。

ありがとうございます。
私からしたら、逆になんで他の先生はああいう場にいないんだろう。もっと私的にはいてもいいなっていう感覚があるけど、実際私としても少ないなっていう感じがしてて、
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それが現実なんだろうなとは思うけど、もっともっと先生が増えてくれたらいいなとは私は思ってます。個人的に。

ポッドキャスト番組もティーチャーティーチャーって言ってるぐらいなんで、先生ばっかりが、先生ばっかり入ってくるなってなってもおかしくないじゃないですか、コミュニティって。
名前、看板だけからしたらね。でもそうなってないっていうのは、それだけそのティーチャーっていう方にバイアスをかけているのにティーチャーが多くならないっていうのは何かこうありそうですよね。

ありそう。

それはすごく興味ありますね。僕は僕でもうちょっとソフトエンジニアがいっぱい入ってきたらいいなと思ってるところもあるんだけれども。
ソフトエンジニアがあの場で少数派になるのはそれはそうだろうなと思うので、やっていきたいなと思ってます。
今日はそんなみさきさんにちょっといくつか質問も考えてきたので、ぜひ答えたくない奴は答えたくないって言ってもらってもちろんOKなので、
ちょっといろいろインタビューさせてください。

よろしくお願いします。

まずね、みさきさん、僕がそうだな、まず人間としてみさきさんを見たときの僕が思っている印象は、みさきさんはポジティブスキルがすごく高いなというふうに見えていて、
他者と接するときにポジティブな角度を選んで他の人と関わられてるなっていうスキル面もそうだし、それを抜きにしてもすごく前向きなエネルギーがチャージされてる方だなっていうふうに僕には見えていて、
たまにコミュニティのイベントとかで、みさきさんがお子さんも一緒にカメラに映して遊びに来てくれるときあるじゃないですか、お子さんもそれを引き継いでる、そのオーラを引き継いでるように見えて、
たっぷり愛されて育っている子どもたちなんだろうなって感じるんですよ、見たときに。表情柔らかいし、楽しそうにしてるし、満たされてる感じっていうんですかね、あったかい印象を受けるので、
これはたぶん、みさきさんだけじゃないにしろ、みさきさんが関わってることによる影響は絶対あるだろうなって、そういう確信があるんですよね、僕にはね。僕の経験則では、周りにあったかいエネルギーを渡せる人って、これまでの人生でそういうのをたくさん受け取ってきた人でもあるなと思うんですけど、
みさきさんはそこに関しては、こういうふうに自分は受け取ってきたなっていう、ご自身としての認識だと、どういうものがありますか、これまでに受け取ってきたなって感じるもので。

ありがとうございます。まず、そうやって見えてて、すごい私は嬉しいし、本当に、今、じゅぼくさんがおっしゃってくれた通りに、本当にたくさん受け取ってきてるなっていう実感があって、
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で、それはもちろん、母親はもちろん、父親ももちろんなんですけど、でも私の中でやっぱそれ以外の方っていうのがめちゃくちゃ大きくて、そうですね、でも言ったら学校の先生にもめちゃくちゃなんだろう、それこそ学校の先生という垣根を超えて、
本当に娘のように可愛がってもらった経験もありますし。

それはみさきさんが児童とか生徒とか学生だったときにってことですか。

そうですね、そうです、そうです。

なるほど、なるほど。

はい、私、高校から実家を出てるので。

早いですね。
そうです、そうです。

それもあって、高校生でやっぱ一人暮らし、言ったら非おばあちゃんと私は住んでたんですけど、そういう環境もあって、面倒見てもらったっていう高校時代もありますし、でも一番大きいのは、大学卒業後にボランティアで岩手県に行ってるんですけど、
そこで出会った人たちに本当に、簡単な言葉で言っちゃうと、本当に愛してもらってきたなっていう経験が大きいかもしれないですね。
でもとにかく生まれて今まで本当に人にはずっと恵まれてきたと思ってて、人対人ですごい嫌な経験もしたこととかが全くないので、それはすごい大きいと思います。

それは僕から見てる印象と矛盾がない感じがしますね。今の話聞いても、やっぱりそうかっていう感想が強いですね。
ずっと何かこう、何かしら熱言なり抗言なりが人生の今までの期間にずっとあって、それをたっぷり浴びてこられた方は、三崎さんのようなオーラを纏うことが多いなと僕は思っているので、
人を分類するのは失礼な話ですけど、失礼を承知させてもらうとしたら、やっぱりそういうふうに生きてこられた人かな。それが多分ね、お子さんにも伝播してるように見える、僕には。
だからすごく温かい感じがしますね。見てるとね、いつもね。
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でもそういう人が、高校、農業高校で先生やられてるっていうのは、幸運なことだろうな、この社会にとって。
今度は振り注がせるチャンスが多い立場だと思うので、そういう人が対人のお仕事に就かれていて、毎年少なくない数の生徒さんたちと接するときに伝わってるものは少なからずあるだろうと僕は想像するので、
それはすごくいいですね。いい選択をしてもらったら、嬉しい気持ちがあります。僕は勝手にね、社会の一員として嬉しい気持ちがあります。
農業高校の先生になろうって、その道を選んだのはどういう経緯でそこに至ったんですか。

それは本当にもう高校のときですね。私自身が農業高校に、さっきも言ったと思うんですけど、農業高校に行ったんですよね。
なるほど。
さっき言ってないか。さっき言ってないですね。すみません。

いやいや、とんでもないです。僕、今日のこの場だけじゃなくて初めて知ったかもな。三崎さんが農業高校の卒業生なのか。
そうです。
あ、そっかそっかそっか。じゃあ、そっかそっか、その場に戻ってきたっていうことでもあるのか、そういう場に。
じゃあ、その高校のときに自分が通って、よかったなってなったってことですか。

そうですね。中学校までは、なんか、そんなに正直勉強も好きじゃなかったんですよね。

えー、じゃあ今と全然違いません、そこは。

そうですね。バスケばっかしてたので。

あー、そっかそっか。

でもバスケットする中で、その先生は勉強もしなさいよっていう先生だったから、なんとかやってこれたけど、それこそなんだろう、一方的な座学の形式の授業に、すごいつまらな、がすごいつまらなかった。

あ、じゃあ、小中は授業ってつまんないなって思ってたんだ。

あ、そうですそうです。なんでこんなことしなきゃいけないんだろうって正直思ってた。

えー、でもそういう人が今、共談立ってるのはおもしろいですね。
そうですそうです。
あ、そうだったんだ。小中はそうで。
でも、進路選択があるわけですか。

そうです。
その時に、親は勉強嫌いなら高校なんて行かなくていいんだよっていう。

おー、いいですね。
親だったので。

一回働こうと思って、私は、その時は。
でも実際に中卒で雇ってくれるとこなんて探したけどないから、
まあ高校行くしかないか、みたいな感じで考えた時に、もう普通か高校は私の中からもうなくて。
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そっか、つまんない授業の延長みたいな見え方だったのかな。

あ、そうです。
で、じゃあ職業高校だなと思って、で、もともと自然は大好きだったので。

えー、それはいつからですか。

え、もうそれは気づいた、物心ついた時からです。

えー、そっか。バスケは屋内でやるものだけど、それとは別に大自然みたいな、
そういうのは好きだった、ずっと。

うん、なんかトトロの世界とか、ハイジの世界とか、そういうのにずっと憧れてました。

えー、小中の時にみさきさんがこう暮らされてた環境には、そういうのって身近にあったんですか?
そういう大自然みたいなもんで。

いや、ないです。私ニュータウンで生まれ育ってるので、

じゃあ住宅は。

いたらベット、そうベットタウンですごい、なんだろう、整備された公園はあるけど、

はいはい、人工的なね、はいはい。

は近くにあるけど、ちょっと行ったらあるんですけど、山とかも。
でも小中学校の行動範囲なんて限られてるので、

まあチャリで行けるとこまでですよね。

あ、そうですそうです。だからその範囲にはあんまりなくて、
でもなんか夏休みとかにキャンプに行くとかも大好きでしたし、

はいはいはい。

それこそ、なんか友達と何時間かけて自転車乗って山に行くとかもよくしてたし、

おもしろい。

そうです。それはもともとめちゃくちゃありましたね。

じゃあそれは生まれ持ったものなんですかね。

ですかね。

自然が好き、いやでも気づいたら好きだったんですもんね。
そうです。
そっかそっか。
じゃあそれが中学卒業近づいてきました。
普通高校でこういう感じの授業あと3年やるのは嫌だなってなって、
それ以外で何かなと思って、
あ、そういえば自然は好きだなってなったのか。

そうです。で、農業高校を選択しました。

農業高校入ってみて、その中学、小中と授業は別におもしろみを見出してなかった少女が、
農業高校に入るとどういうことになるんですか。

農業高校の授業がめちゃくちゃ楽しかったんですよ。
やっぱ言ったら実習が多いので。

じゃあもう土をさわりみたいな感じですか。
そうです。

作物を育て、動物を育て、なんだこの楽しい、
しかもそこにちゃんと学びがある。
で、言ったら小中学校でちょっと嫌々やっていた勉強が、
そこで初めて生きた勉強になる。

じゃあ、高校でもコネクティングドッツしたんですね。
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そうですね。
すごい早いですね、でも。

そうですね、そうかもしれないです。

素敵だな、それはいい進路選択しましたね。

本当に良かったですね。

農業高校以外は選択肢として浮かんでいるものはあったんですか。

ありましたよ、それこそ工業。

工業ね、はいはいはい。
とにかく普通科じゃないなってことだけど。
よほど中学校の授業つまらなかったんだな、それ。
おもしろい。
いろいろ浮かんだ中で農業かな、農業が最有力になった感じ。
そうです。

選択肢としては、バスケで行くっていう選択肢も先生が用意してくれてて。

はいはいはい、スポーツ推薦みたいな感じ?
そうです、そうですそうです。

それと正直本当はめっちゃ悩んだんですけど、

でも私バスケそんなに、まず私めちゃくちゃちっちゃいんですよ。
会ったことないからわからないかもしれないですけど。

なんで、そこで努力はめちゃくちゃ自分の中でしてきたつもりだけど、
やっぱり背の高い人がすごい努力されたらかなわないっていう経験もしてきてるんですよね。

なるほどね、宮城涼太みたいなポジションだったんですよ。

そうですそうです。

ドリブルこそが、みたいな。

そうですそうです。

そっか、いやーでもおもしろいですね。
なんかその、なんていうか、与えられた手札で勝負するしかないって人生の中で思うことは僕も何度かありましたけど、
自然が好きだったり、身長はそんなに高くなかったとか、
人生の要所要所で、やっぱり何か大きな選択をするときに自分が持って生まれたものが手札になることはありますね。
そっかそっか、じゃあそれスポーツ推薦じゃなくて農業、高校。
そのときバスケはどうされたんですか?やめたんですか?続けた?

続けました。もちろん。高校もバスケ部です。

じゃあバスケって結構長いことやられてたんですね。

やってましたよ、バスケって。

じゃあ今でもバスケットボールがポーンと転がってきたら、ちょっとドムドムやりたい感じなんですか?

やりたい、やりたい。
いいですね。やっぱりあれだな、三崎さん結構身体がすごく前のめりな感じしますね。
ペイ当たりなんでね、いつでも。

全身を使って何かをやりたいというか、あまり頭で考えるだけで何かなすというよりは、
身体もセットで常についてくる感じがしますね、三崎さんはね。
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いやいやおもしろいですね、そっか。
じゃあ農業高校行って、その後は農業高校の卒業後の進路って素直に行くと農家になるっていうのもあるのかなと思うんですけど、
そこは先生になるっていう風になったんですね。

なんかもう一個私が高校時代に進路選択をするときに、農業はめちゃくちゃ好きだったんですけど、
一個農業で嫌なところっていうか、私がその農家になりきれなかったところは、やっぱ農家になると人との関わりがめちゃくちゃ少なくなるなっていう印象だったんですよね。
今でさえ、今で思えば、なんかそれこそ六次産業家とか、いろいろ考えれば、その作物を作っているだけで終わる農家じゃなくすればよかったのかもしれないけど、
当時の私は、その作物と向き合う、作物を作る、動物を育てるっていうのが農家だと思ってたので、
そうすると人との関わりがすごい少なくなることに、私はそこがすごい嫌ったんですよね。

結構はっきりしてますね。なんかその判断軸とそこに対する自分のスタンスが。

そうですね。で、私、家が農家なわけでもないので、親戚に農業してる人もいないから、
で、これも今でさえなんか農家始めて、なんか若い人が参入できるようになってきたり、農業も法人化されてたりして、就職口があったりすることもあると思うんですけど、
当時はやっぱ、まだこの家と家っていう息子が家業っていうのも強くて、そこにその後卒の私が参入していく入り口もめちゃくちゃ狭くて。

まあでも確かにそうか。僕、17歳、18歳の時って漁師の家で夏休み住み込みのアルバイトしたことあるんですけど、北海道のラウスっていうところで昆布の漁のアルバイトしてたんですけど、漁師もね、本当にね、家って感じ。
で、漁師の家の息子が継ぐんだけど、そこに来た、これは嫁っていう言い方が多分実態に合ってると思うから嫁っていう言い方をしますけど、
お嫁さんが僕とかバイトとか漁師の人たちのご飯を作るっていうのが役割だったんで、めちゃくちゃ家だなって、今でもそう思うから。
その漁師とかね、漁業とか農業が家と強く結びつくのは、今よりも20年前とかの方が強かったですよね、きっとね。

そうです。なので私が農業をする人と関わるっていう選択肢で一番自分にできるなって思ったのが、農業高校の教員選択肢です。
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じゃあそれは高校卒業前にその道これだなってなったんですか。
その場合は、教員免許取りに大学に行くとかってなるんですか、その場合って。

そうです、大学に行きます。

教育学部に行くことになるんですか。

いや、農学部。

あーそうか、農学部か。
言われてみればそうだな。農学部で農業をさらに勉強して研究とかもやった上で、高校に行くのか。
そうです。
じゃあ三崎さんは農学部卒なのか。

そうです、農学部卒ですね。

大学時代は楽しかったですか。

大学時代はめちゃ苦労しましたけど楽しかったですよ。
勉強面ではめちゃくちゃ苦労したけど、もう開き直ってました私は、農業しかできません。

あ、そうなんだ、規則要領とかいろいろあるけど。
そうそうそうそう。
そうだったんだ、じゃあ学部のカリキュラムとか楽しかったんだ。

いやでも、それこそやっぱ1年生2年生くらいまでは、

規則クラスね。

めちゃくちゃ苦労したし、みんなに助けてもらいながら、なんとかって感じでしたね。
あ、そうだ単位ギリギリみたいな感じだったんですか。
いや単位はたくさん取ってました。

あ、そうなんだ。

落とすことを前提に。

あ、そっか、だから最初の募集号を多めに取っといて。
それ、今あんまり高校の生徒たちにあんまり知られたくないことだったらするんですか、それって。

いや別にそうでもないから。

いいですね、そういうもんだと思ってやってきたんですね。

あ、そうです。

あ、でもそこで友達に頼れるパターンいったんですね、みさきさんはね。

いやもう開き直るしかないですよね。
それこそ私高校で農業しか勉強してこなかったぐらいなので、
言ったら、もうこれたぶん聞いてる人はちょっとえっって思うかもしれないですけど、数学も数一とかしかやってないですよ。

おー、じゃあ高校3年分はやってないか。

あ、そうそうそうそう。で、農学部って一応理系も入って、理系じゃないですか。

いやまあ科学、あのサイエンスですよね、農業ってね。

はい、はい、そうです。

そうですよね。

もう、え、だって微分析分知らずに大学に行ったんですよ、私。

それは苦労、確かにそれは苦労するわ。別に微分析分知らなくても全然生きていけるけど、大学に入ったら大変だ、それは。

はい、はい。なのでめっちゃ苦労します。

あー、さあ、そうだったんじゃ。いやー、じゃあ結構既水の農業校なんですね。そういう意味だね。
あー、それはおもしろいな。そっかそっか。で、そっか。農学部で、まあ大学4年間ですか?4年間。
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うんうん。
4年間行ってる間に、もうずっと、あれですか、あ、その時にはもう高校、農業高校の先生になろうっていうのは。

あ、そうです。

変わらずあったんですか、4年間。

はい。そのためだけに大学に行ったぐらいで思ってます、自分の中では。

えー、大学行ってる間に、もしかしてとかもなかったですか、違う道を検討したりとか。

あ、なかったですね。

えー、じゃあもうそこ一方道だったんだ。

はい。

めっちゃおもしろいですね。わー、そうか。それで実際、農業高校の先生になったわけですもんね。

はい。まあちょっと、うよ曲折ありながら。

そこまでまっすぐな道ではないんでしょう。でも今は、今はその教団に立ってるわけですもんね。

あ、そうですそうです。

いやすごいな。立ってみてどうですか?なんかやりたいなと思ってたことがすぐに叶う形になったんですか。

まあでも、思っていることは結構自分ではやれてるけどもどかしさもやっぱりあるかな。
全部思うようにはやっぱりいかないし、やっぱり学校組織で動いてるのがあるので、
なんかこれやりたいなって思っても、なかなか思い通りにいかないことはあっても、それでもなんか前に進んでいる。
自分のやりたい、10はできてなくても、1と2はやろうって決めたことはやれてる感じはあります。

いやそれは素晴らしいですね。やりたいことを叶えていて。
そっかそっか。じゃあ農業っていうのが近くにありつつ、高校の先生であれば人と接するっていうところの人数で言ったらね、
毎年数十人とか数十人数百人が、新しい人が学校には校門を通ってやってくるわけで、
農業もありつつ人と関わるってところもね、もともと要件として見据えてたものはすごく手に入りやすそうですもんね、今のポジション。
でも一方で教育者っていう立場にもなるわけだから、そこはなんかまたあれですよね、
農業高校であって農学部行って先生になると、教育者ってロールがどうしたってついてくるじゃないですか。
そこってなんか素直にスッと受け入れられたもんです?

私はそれこその農業教員になるって決めた時にも、農業を教えたいわけでも農業を伝えたいわけでもなくて、
農業を使って人間を育てるってことをしたかったので、それに農業は最適だと思ってるから、
27:03

私がたまたま農業が好きだったから、し農業はそれを人間性を育てるのがすごいしやすかったんですよね。

じゃあそっか、それはあれだ、僕の理解が間違ってたんだな、そっかそっか。
やろうとしたら教育に近いのか、もともと。
人を育てるとか。
比重で言ったら、教育の方が上かもしれないです。もともと。

そうですね、そうです。

教育、言葉が適切かわかんないけど、教育ツールとしての農業ってトピックがあるってことか。
うん。
でも言われたらすごいしっくりきたな。
僕がもともと今日この場に来るまでに思ってた三崎さん像を改めて思い返してみると、
今こうしてここまでの道のりを聞いたことで、言われてみればそうだなっていう見え方になりました。
うーん。
そっか。
なんか僕、なんだっけな。
村夫の、あれか、僕が3エピソード使って喋ったシリーズで、
業務員を1年やってきた人と喋るっていう、早草さんに話を聞いてもらった3つのエピソードの中で話したことに、
三崎さんだけがすごい強く反応してくれてたトピックがあって。

今でも覚えてますよ。

ありがとうございます。
なんかうまくお返事かけなかったから、直接あれに言葉でお返事はしてなかったんですけど、
うんうん。
なんていうか、命のきらめきみたいなところに異常な喜びを感じるっていうのは三崎さんと僕で共通してるのかもしれないですね。

うんうん、多分そうだと思います。
私もそこを聞いたときに心が震えましたから。

でもあるでしょ、だから植物育てても、人間に対して育てるっていうか、人間と関わってるときに、
命がほとばしるときあるじゃないですか。
植物とかはすごく、僕は分かりやすいなと思って、
ある日、ちょっと水あげるの忘れてて、しょぼーんとなってたやつに水あげたら、
1時間後にはシャキーンみたいになったりするじゃないですか。
人間もあれぐらい分かりやすかったらいいのになって思うときあって、
職場とかで、人間って元気ないときにそれを隠せちゃったりするじゃないですか。
でも、あのお花ぐらい目に見えて元気なかったら、
もうちょっと声かけしたり、水をあげる代わりに、
30:00

飲み物、ペットボトル1本あげるとかがしやすいから、
隠しちゃうっていうのも考え物だよなと思うときがあったりして。
あとやっぱつぼみが花を咲かすとかね。
人間の成長のメタファーでもよく使われますけどね。
さなぎがーとかつぼみがーとかって。
僕はそうで、そういう意味では、
僕、あれなんですよね、
情報技術とかソフトウェアを使うと、
人間の可能性を拡張できると思ってるんで、
そういう意味では、人がより自分らしく生きるために、
ソフトウェア技術を使いたいと思ってる立場だから、
ソフトウェア技術を持った僕みたいな人が、
コミュニティーみたいなところにいると、
こういうこともできますよとか、そういったらすぐできますよ、やってみましょうかっていうことで、
人の背中を押せる瞬間があるなーっていうのは実感として感じてるので、
三崎さんにとっての農業の位置づけと、
僕にとっての工業の位置づけは、
実はすごく似た形をしてるかもしれないですね。
そういうところで共感しやすいのかもしれないな、僕は三崎さんに。

1個聞いていいですか?
なんでもいいですよ。
純木さんはさっき、人は分かりづらく落ち込んでないみたいなことをおっしゃったと思うんですけど、
私から見たら、純木さんは人が困ってるとか落ち込んでるっていうのを、
言葉にしてなくても感じ取る能力が、
すごい高いって私には見えていて、
なんだろう、たまにちょっとそこに嫉妬するんですけど。

今日この収録で嫉妬っていう言葉が出てくるとは思ってなかったので、笑っちゃいました。

なんだろう、例えばですけど、私が前も談話室で喋ってて、
本当になんか普段談話室、ティーチャーティーチャー村のその談話室で喋ってるときに、
割と談話室に行った後って心がすっきりすることが多いけど、
なんかモヤモヤでしたときがあって。

夜中のね。

それも多分口にしてないんですよ、私は。

してないしてない。

話し取りませんなんて言ってないけど。

でも俺顔がムッとしてたからね。

それは私がわかりやすかっただけなのか、
でも他の人に対しても多分そうだと思うんですよね。
で、私には見えてる。

なんかこの人、思ってるけど出せてないことあるなっていうのには、
敏感かもですね。
33:00

うん。
で、自覚がある範囲で言うと、
僕もう20年近くテキストコミュニケーションとかオンラインコミュニケーションの方に比重がある暮らしをしてきたので、
テキストチャットにおける違和感の感じ方は、
多分そこら辺歩いてる人よりは自分の方がキャッチできる情報多いなっていう自覚はあるんですよ。
逆に、でも背面だと自分そんなにあんまり人の変化とか気づかない気はするけど、
確かに夜のビデオチャットのときの三崎さんが絶対に今すっきりしてないっていうのはわかったから、
これ続き話したほうがいいだろうなと思って。
僕も続き話したかったので、
二次会みたいなのが始まったのはおもしろかったですよね。
あのとき三崎さん含め何人かで、5人ぐらいいましたかね、マイクオンでいたのは。
あのときに話したことは僕にとってはめちゃくちゃおもしろくて、
あのときから三崎さんへの興味が強くなった。
それはあの夜ですね。

あのときの会話がなかったら、
ちょっと収録しましょうって声かけに至ってない可能性が高いですね、このタイミングでは。
もうちょっと未来、ただ先延ばしになったときかもしれないけど、
あれを経て、三崎さんとは僕、ガッツリ話しといたほうがいいだろうなって思いました、あのときに。

あれおもしろかったしね、あのときね。
おもしろかったし、そういう能力が私もすごいなって見えてるから、
それで救われてる人は多分いっぱいいるんだろうなっていうのが、
私が純木さんと今まで関わってきて、すごい思っていることですね。

ありがとうございます。
多分僕は、
人間に対してちゃんと興味を持てるっていうところは、
僕の強みになり得ると思ってますね。
一人一人に興味を持って、
かつ、興味ありますって割とストレートに言えちゃうところは、

自分の人生の豊かさを増してるように思います。
それってずっとそういう感じなんですか?
ありがとうございます。今度は今ターンが逆転した感じ。

オフェンスとディフェンスが切り替わった感じがしましたね、今ね。
今その質問をもらって一気に30年ぐらいのことを考えたので、
自分の人生の、これはちゃんと話さないと伝わんないなと思ったので、
それを話しますか、この後。
36:02

めっちゃおもしろいな。
で、今ズームの都合でもうちょっとで切れちゃうから、
これを切って、また残り40分からスタートしますか、この後のセッション。

お願いします。

美咲さん時間大丈夫ですか?

時間大丈夫?

僕は全然大丈夫なんです。
じゃあちょっと飲み物とトイレ休憩にして、
じゃあ45分にまた来ますんで。
ありがとうございます。前半は美咲さんのキャリアインタビューみたいな感じさせてもらいました。

ありがとうございます。

聞いてよかったな。聞かなきゃ分かんないこといっぱいあったな。ありがとうございます。

はい、ありがとうございます。

じゃあちょっと2回目の収録また来なくてよろしくお願いします。

よろしくお願いします。

はい。