1. すぽきゃすTV
  2. 第27回【GODAI港北テニスコー..
2019-05-03 37:31

第27回【GODAI港北テニスコーチ紹介】井田政司コーチ

軟式テニスに出会い、硬式テニスをしてみたい!と思ったが、、、
まさかの部員が1人。
独学でテニスをしてきたからこそ、考えるテニスが身に付いた!
山梨県が生んだテニスボーイの孤軍奮闘をお聞き下さい(笑)





00:02
GODAIスポーツポッドキャスト、すぽきゃす。
この番組は、スポーツを通じて人々の健康生活の実現を目指す
GODAIグループの提供でお届けいたします。
はい、それでは始まりました。
マサシの部屋、あ、違うか。
今日は、港北支店、井田コーチです。よろしくお願いします。
よろしくお願いします。
よろしくお願いします。
今日は、港北支店に来まして、井田コーチとリクエストがありますし、
みんなで大体30分からそれぐらいだというところで、
井田コーチは1時間ぐらい喋りたいと。
次に下にコーチとのミーティングが控えているというところで、
そうですね。
もうどうでもいいだろうと。
もうここでミーティングしてやろうかなと。
ここで流そうかなと。
なるほど。
次は、井田コーチは何について話をしようとしているの?
ちょっと今、レッスンの関連の。
レッスン関連の。
いいね。
いや、そういう会話がいいよね。
さらにね、レッスンを良くしていくっていうね。
あれでしょ、いわゆる偉大ズームにどうやってGODAIのレッスンを染めていくかっていう。
一人ずつ洗脳していくわけね。
この間、研修で学ばせていただいたことを。
研修で学ばせていただいたことを。
存分にフィードバックするというところで。
先日、研修が行われて、2月にもさらにどうやったらもっと喜んでもらえるかという全体研修があって、
またスポールでもコートを使って、大人気コーチが集まって、
昨日も一泊二日でやりたかったんですよね。
100メートルから200メートル先で見てましたけど。
結構遠いですね。
何やってるか分かりませんでしたか?
いやいや、すごい熱いディスカッションも。
今日もいろいろとレッスンに対してとか、
あとはイダコーチがテニスに出会ったきっかけ、
そしてテニスをどうしてこうやって職業にしてきたか、
そういったものを繰り広げながら、
最終的にどんな女性が好きなのかっていうのも今年もいきたいなって。
お客さんからもすごい心配されてます。
心配されてる?あなた大丈夫?
まさし大丈夫かと。
それは個人的に僕も心配している。
そろそろかなとは思うけど。
まだピンクのGショックをつけている人もいるじゃないですか。
03:07
ピンク好きだよね?
ピンクそうですね。結構昔からピンク。
ピンク好き?
出会ってから8,9年くらい経つんだけど、
ピンク好きだよね。
ピンクとか蛍光色のTシャツをすごい若々しく着ているイメージがある。
なんですかね、そういう年なんですかね。
でも大丈夫よ。
大丈夫ですか?
全然大丈夫。35に差し掛かるでしょ。
そう聞くと結構いい年です。
いやいや違うよ。
5に差し掛かるところで着こなしているから、
俺結構個人的にすごいなと思ってた。
どうもありがとうございます。
本当に縁も竹の輪になりましたけども、
まさしさんどうもありがとうございました。
ありがとうございました。
Tシャツで。
Tシャツで終わるということで。
本題に入っていこうと思うんですが、
まず井田コーチが今34歳ということで、
テニスを始めたのは何歳?
テニスを始めたのは中学1年生の南式テニスを始めまして、
南式からだったのね、中学1年生から。
そうですね。
で、高校生から公式って感じですね。
なんで南式テニスを、部活に入ったの?
部活ですね。
南式テニスは小学校6年生の時に、
僕もともと野球とかバスケとか色んなのに興味があって、
そういうスポーツをやろうと思ってたんですけど、
小6の冬休みくらいで、僕兄貴が5つ上なんですよ。
で、学校の授業かなんかで南式テニスをやったみたいで、
友達と南式テニスをコート借りてやるって言って、
それについて行ったんですよ。
で、その時に兄貴の友達の南式テニス部の人とかもいたんですけど、
未経験でですね、意外とすごい印象にできちゃって、
これ俺いけんじゃねえかなって思って。
5歳上のお兄さんたちと。
印象にできて、ちょっと調子に乗ってこれいけんじゃねえかって思って、
南式テニス部にちょっと入ったっていう。
あ、そうなんだ。
じゃあきっかけはお兄ちゃんだったんだね。
そうですね。
お兄ちゃんがやっているのを、
まあとりあえずついていって、やってみて、
勘違いしちゃった。
勘違いしちゃった。
勘違いしちゃった。
すごいそれって大きいよね。
そうですね。
本当その時に1回だけだったんですよ、それ。
その1回がなかったら南式テニス部に絶対入ってないんで。
そうだよね。
入ってないんですよね。
だってその時、
06:00
お兄さんたちが何歳だったの?
僕が小6だったんで。
中3、もう高校生?
もう高校生ですね。
それで小6の時にやってみて。
なるほどね。
じゃあもう次の年だったんだ。
1年後に引き返ってたんだね、来年。
なるほど。
じゃあそこから3年間南式で。
そうですね、3年間。
伊達少年はさ、
伊達少年は。
3年間どうだったの?
俺いけるんじゃないかみたいな話になって。
でも伊達少年は結構ですね、
なんていうんですか、
あんまりダブルスとかっていうか、
結構勝ち気なタイプだったんで。
一人で何とかしたいっていう傾向があって、
シングルスがやりたかったんですよ。
なるほど。
南式ってダブルスしか中学ってなくて。
あ、そうなんだね。
イメージ的にダブルスだよね。
南式って。
大学生ぐらいからシングルスがあるんですよね、南式。
あ、そうなんだ。
で、なくて、
公式やりたいなってずっと思ってたんです、
中学生の時に。
それで高校に行ったら、
公式ってすぐに絶対入ろうと思って、
思ってたんですよね。
中学の時は、
とりあえず部活で、
そこの時に、
どっかテニススクールに入って、
公式やろうかなっていう発想はなかった?
そうですね。
僕は、
片田舎の山梨県っていうところだったんですけど、
公式テニススクールっていうのが、
そもそもあるの知らなかったんですよね。
あ、なるほどね。
テニススクールって知らないみたいな。
知らないみたいな。
宝刀しか知らなかったね。
そうですよね。
宝刀しか知らなかった。
宝刀と竹田神殿しか知らなかった。
竹田神殿しか知らなかった。
あの、持ちか、
神言持ちか。
神言持ちか。
宝刀か。
あとは、
葡萄、桃。
いっぱいあるよな、いっぱい。
あとシャトレーゼっていうのもあるんですけど。
何シャトレーゼ?
シャトレーゼって知らないですか?
え?
アイスとかケーキとか売ってるんですけど。
有名なの?
こっちでも結構あります、シャトレーゼ。
シャトレーゼ?
スイーツってこと?
そうですね、基本スイーツの工場があるんですよ、山梨。
山梨生まれなんだ。
山梨生まれっすね。
観光バスが結構来てるんですよね。
シャトレーゼの工場っていうと、
えー、
もうこれ聞いてる方ほど皆さん行ってもらいたい。
行ってもらいたい、シャトレーゼ。
シャトレーゼの工場と
結構アウトレット系が人気なんですよ、山梨。
そうなんだ、今は。
へー。
そうなんです。
じゃあ、この番組は
シャトレーゼの提供でお送りすると。
いや、もう本当も提供ぜひ
協賛していただきたい。
09:01
あ、そう。
そんなおいしいんでしょうね。
んー、いや、そうですね。
協賛していただいてるんで。
おいしいですよ。
おいしい。でもまあ、だって有名だってことは
売れてるってことだから。
そうなんですね。
で、しかもケーキが箱いっぱいに
詰め放題で300円とかなんですよ。
え、そうなの?
そういうとこなの?
めちゃくちゃ入るんですよね。
あ、その工場のアウトレットですよ。
あ、そう、工場のアウトレットね。
普通だったら1個で4、500円するんですけど、
製造途中でちょっと生クリームかけちゃったとか、
いちごちょっと足りないとか、
そういうのが出るんですよ。
あ、そうなんだ。
でも箱詰め放題で。
すごいんですよね。
めちゃくちゃ入れてましたね。
ほんとこれ、母親聞かないでほしい。
あ、そう。
そうなんですよ。
めちゃくちゃ詰め込んできてます。
でもね、お母さんは知ってるよね。
質より量だっていう。
やっぱりそうですね。
あ、そうなんだね。
じゃあまあ、とりあえずね、
今度の井田コーチのプライベートキャンプは
山梨県でね。
いいですね。
巡りましょう。
山梨県でやってね。
というところであまり少年時代は。
少年時代は。
少年時代はシャトレーゼはしてたけど
テニススクールは知らなかった。
知らなかったもんね。
まあそうだよね。
だって中学生の時に情報とかもないし、
漠然としてるもんね、やっぱり。
そうなんですね。
ましてはね、家族でテニスをやってるとかね、
そういう環境であればね、
あれが違ったのかもしれないけど。
それでじゃあ3年間やって、
普通普通俺はやっぱりシングルスやりたいから
公式をやりたいと。
で、高校に進学。
進学しましたね。
で、高校に、高校の時も山梨?
高校も山梨です。
で、山梨では公式テニス部があった?
公式テニス部、はい、ありましたね。
あったね。
ちょっとその話を聞いたことないな。
高校の時の。
どういう高校生活を持ってたの?
割と僕の中ではね、
結構有名な話をしたんですけど、
うちの部員がですね、
すっごいたくさんいたんですけど、
全員幽霊部員だったんですよ。
テニス部が。
すげーいるんだけど、
めちゃくちゃ幽霊部員で、
ほんと練習とかも、
ほんと僕いつも一人で練習するような
感じだったんですよね。
うん。
なんで基本、
トイレの壁で、
トイレの壁で、
壁打ちして、
コートでサーブ練習して、
筋トレして、
帰るみたいな。
もう一人じゃん。
いやもう一人なんですね。
はい。
なので、
やっぱそんな長続きする訳もなく、
大体最初は週3ぐらい頑張ってたんですけど、
向こうにぐらいでも週1になってましたね。
自分も幽霊化してたんですね。
12:01
自分も幽霊化してたんです。
自分も幽霊化してたんですね。
自分も幽霊化してたんですね。
そうですね。
監督いたの?先生。
コンオンの先生はいたんですけど、
一回も来たことないですね。
それで一応テニス部っていう形で、
あるんですよ。
うん。
ただ環境はめちゃくちゃ良くて、
テニスコートが全部で8名あって、
うち。
しかもナイター次なんですよ、
コートが。
で、僕一人しかいないですよね。
すごいね。
すごい良い環境の中だ。
存分に。
なんでそうなっちゃうんだろうね。
でも、あれか。
要は指導者がいないのか。
そうですね。
いないからですね。
あとは、僕の先輩で打てる人が何人かいたんですけど、
その人たちはテニススクールに行ってたんですよ。
そうなんだ。
そうなんですよ。
多分、石崎さんもご存知のエストっていう。
エスト。
三好さんがやってるエストっていうところに、
大体みんないてて。
そこで初めて知ったんですよ。
テニススクールっていうのがあるっていうの。
そうなんだ。
高校で。
高校2年生で。
大体そのくらいで知ってましたね。
ずいぶん、南四季からタイムラグがあるような。
そうですね。
高校1年生の時は、本当はブックオフで買った
すっごい古い100円の本を読んで、
打ち方を練習したんですよ。
マジか。
南四季やってたんで、もともとはすごい熱かったんですよ。
でも、そのブックオフで買った100円の本には
コンチネンタルくらいで書いてあったんですよね。
フォアハンド。
それでずっとやってて、
めちゃくちゃテニス弱くなったんですよ。
弱いよな。
高2くらいでテニスクール行ってる先輩に
その持ち方じゃないほうがいいよって言われて、
南四季やってたんじゃないのって言われて、
やってましたって言ったら、
南四季の持ち方でいいじゃんって言われて、
それでやったら、めちゃくちゃいいボール打てるんですよ。
フルウェスターで。
フルウェスターで。
そうなんですね。
本当、全然テニスやってなくてですね。
そうだね。
なるほどね。
その時にエストに通ったの?
行ってみたの?
いや、その時にですね。
親に言ったんですよ。
通いたいと。
ダメだって一周されましたから。
蹴られちゃったんだ。
ズバッと。
シャトレーズはいいのに。
シャトレーズはいいのにエストはダメだと。
そうなんですね。
エストでいろんな習い事をさせてもらってて、
割と運動式は良かったんで、
15:01
ある程度やるとそこそこのレベルまで行きやすかったんで、
結構すぐ辞めちゃってたんですよね。
費用貧乏なんだね。
そうなんですよね。
どうせ行ってもダメだろうということで、
ダメだったんですよね。
なるほどね。
それはね、分かるわ。
ある程度やると満足しちゃうんでしょ。
で、こんなもんかって思っちゃうんでしょ。
分かる。俺もそう。
やっぱそうっすよね。
俺だいたい、しかも昔まで水泳とか見に行って、
見に行って、もう分かったと思って。
見ただけで。
さすがですよ。
だから未だにバタフライとかできないから。
いやそうなんですよ。
なるほどね。
あの時テニスクール通ってたら、
もうちょっと上手かったかもなって思っちゃって。
どうなんだろうな。
分かんないよね。
またもうちょっと先の話をこれから掘り下げて聞きたいけど、
それはもしかしたら、そこでエストに通ってしまったら、
もしかしたら、もう辞めてたかもしれないもんね。
確かに。
もう分かったと。
こんなもんかと。
その高校生活は悶々としながら、
でもこのグリップでいいんだっていうことに気づいて、
それで高校3年間っていうのは部活として成り立ってないから、
成り立ってないっすね。
試合に出れるわけでもなかったの?
試合は一応出てたんですよ。
出れるんだ。
一応登録はしてあるんですよ。高校生なんで。
一応年に2回インターハイの兼用戦みたいなのがあって、
あと新人戦みたいなのもあるんですよね。
その2大会だけは出てましたね。
そういうコンチネンタルで戦ったの?
1年生の時は?
1年生の時はコンチネンタル。
2年生からは何式も持ち帰りました。
もう不遇の時代だなって思いますね。
辛かったな。
でも山梨ってすごくて、
公式テニスの人口がめちゃくちゃ少ないんですよ。
いきなり県大会なんです、まず。
もう県に出れる?
その手前の地区予選みたいなのがない?
しかも128ドルおったんですよ。
いきなり128ドル。
128ドルなんですよ。
倍とかあったりするんですか?
倍もありました。
なので1回戦とか、
ラケット握ったのも初めてですみたいな人と
当たったりするんですよ。
なるほどね。
ドローによっては、
18:01
ベスト32とかまでいけちゃう?
ドローで16くらいまでいけて、
そこから上の8本がだいたいみんなエストなんですよ。
ガチでやってた?
そう、だいたいエストなんですよ。
そこにずっと勝てないというか。
一番最後、降参の最後の時に
1個そこに勝って、
8に入ったんですよ。
県大会。
それが最高。
山梨県大会ベスト8。
それはね、誇っていいと思うよ。
そういう情報がない中で
ブックオフで
100円だけども
それはやっぱり
高校生からしたら
100円ってね、
いろいろできるからね。
もう山梨だったら
家帰るくらい。
これもう山梨県民聞いてた方がいいんじゃない?
これはね、完全に山梨県民だね。
敵に回しましたね。
敵に回しましたね、山梨県民は。
せめて500円にしとけばよかった。
でもそうやって情報を得るために
わかったと思ってやって
それで仲間がいない中で
ライバルがいない中で近くに
たった一つのね
この厚いグリップで握ればいいじゃんっていう
情報を得て
そうかと
という中で
コグ君としてベスト8っていうのはね
これは素晴らしい
今ちょっと
ちょっと見直した?
ほぼですか?
ナノレベルだけどね。
相当ですね。
これはすごいことですよ。
で、そのベスト8でひっさげて
大学に進学したわけですか?
そうですね。
それはどちらに?
ここに映ると左でしょ?それとも
神奈川ですね。
神奈川県に来た?
ついに。
県に来ましたよ。
急に大都会に。
100円じゃ家買えなかった。
なかなか買えなかった。
1200円くらい。
結構神奈川安いですよね。
安いよね。
なるほど。
そこでそれは
大学テニスは?
もともとテニスやるつもりなかったですよね。
もう結構あれだったな。
また器用貧乏が発祥してたのかな。
そもそも高校生の時もテニスやってないじゃないですか。
週1で。
実際は高校生の時は
週4くらいでアルバイトしてて
21:00
なおかつ週4くらいで
ビリヤードやってたんですよ。
テニスやったら。
テニスやったら。
ジェンダーの一人でもできるようになるんですよ。
さっき褒めても返してもらった。
そうですよ。
ビリヤードすごくハマってた。
ビリヤード結構
プロに教わってたんですよ。
プロに教わったんだ。
テニスを教わらなかった。
その機会がなかなかちょっと
なかなかちょっとなくて
ビリヤードは山梨県の大会で優勝したりとかして
全国誌とかにも載ったりしたこともあったんですよ。
ビリヤードってそんなにすごかったの?
高校生の時は結構
中2くらいから始めたんですけど
ビリヤードは。
それも兄貴の影響で始めて
中2から高3の終わりまで5年間ぐらいですかね。
ずっとやってて。
でもそんな得意があるなんて知らなかったんで
ここはカットしてもらった。
カットしてもらった。
そうなの?ビリヤードが待ち合ったの?
大学生になった時も
ビリヤードのプロになろうと思ってたんで
ビリヤード上を探して
働きながらプロ目指そうって大学生の時思ってたんですよ。
テニスは全く考えてなくて
ただ全く知らない大都会神奈川に来て
ビリヤード上がどこにあるかすら分からないですよね。
分からないよね。
当時ネット環境とかそんなに充実してなくて
地図とかで見ても
当然ビリヤード上なんて出てないじゃないですか。
タウンページ。
どうしようかなと思ってて
ビリヤード入学した時に
テニスサークルの勧誘に会ったんですよ。
入らなくていいからとりあえず来てくれって言われて
幽霊部員じゃないですか。
入らなくていいからとりあえず一回だけ練習来てくれって言われて
一回だけ行ったんです。
その時ちょっとやってたんで
しかも週1とか週2しか活動しないような
ミサだったんですよ。
なんで先輩たちに全然そんなに上手な人がいなくて
結構腕の方だったんですよね。
そこでテニスコーチのアルバイトしてる先輩たちがいて
その行った日にバイト紹介するからちょっと来てくれって言われて
着いてったらテニススクールのコーチのアルバイトだったんですよ。
そこで働くことになって
いきなり?
山梨県大会ベスト8を引き下げて
24:03
ビリヤードしかやってなかったのに
テニスコーチのバイトをし始めたの。
そういうオファーをいただいたの。
受けたの?
よくも人が足りないからやってくれって言われて
神奈川県で?
とりあえずビリヤード場を今のところ見つけられそうにないなと思って
しばらくやってもいいかなと思って
プロになろうと思った意志はどこにあったんですか?
ちょっとやりながら見つけられるかなと思ってたんですけど
大学1年生からテニスのコーチをやることになっちゃったんだ
4月からですね。
大学1年生4月から
なんていう友達ある?
今はないんですけど
柿生にあった
グランデリアスポーツっていうフィットネスクラブの併設のテニスクラブ
だってレッスンも知らないでしょ?
全く知らないですね
いきなりクラス自分で持ったの?
一番最初はアシスタントっていう感じでやったんですけど
そうなんですよね
板政氏18歳
18歳です
本当?
すごいね
そんな時からそういう出会いがあったんだね
それは4年間続けたの?
4年間続けましたね
そうなんだ
18歳からそういった接客とかレッスンに経験があったんだね
そうですね
そうなんだ
それを4年間続けてその後はどうしたの?
就職活動をとりあえずして
一応一般の企業さんで内定とかももらってたんですけど
やっぱりテニスコーチやりたいなと思って
内定を全部お断りして就職できそうなテニスクールを探したんです
ちょうど違うところでコナミスポーツさんっていうところがあって
その就職は一応4月から社員っていうのを前提に働いたんですよ
なんですけどちょうど1月ぐらいになってコナミスポーツさんの方針が変わって
正社員っていう枠がなくなっちゃったんですよね
そうなんだ
アメリカの企業みたいに全部契約みたいな感じになって
27:00
それだとちょっとなみたいな感じになって
コナミスポーツの上司の方と話して別で探しますみたいな話になったんですよね
そうなんだ
コナミスポーツにはちょろっといたの?
1年間ぐらい
グランデリアスポーツとコナミスポーツと掛け持ちでずっと1年間ぐらいやっていて
それが1月ぐらいの話で
たまたま1月の半ばか末ぐらいに
グランデリアスポーツのヘッドコーチがテニス界で結構有名な方だったんですよ
割と有名な方で
ちょうどうちの黒田さんとかの先輩にあたる方で
たまたま挨拶に来てたんですよね
ここの広北店をオープンするので近隣ってほどじゃないですけど
近くでやるんでよろしくお願いしますみたいな挨拶来てて
黒田さんが?
たまたま誰かいい人いないですかっていう話を黒田さんがしたら
そこのヘッドコーチが僕を紹介してくれたんですよ
そうなんだ
マサシっていうのがいた?
たまたまマサシがそういえばテニスコーチやりたいって言ってたみたいな感じで
それでそこで一発入社でした
そうなったんだ
なるほどね
じゃあお願いします
じゃあお!ユキシャイだよみたいな
黒田さんって言ったら五代のジャニーズ事務所の社長って言われてる
ジャニーさんって言われてる
五代のジャニーさん
五代のジャニーさん
ショウゴさんにユキシャイだよと
そうですね
それはすごい出会いだったね
本当ですね
すごい偶然のタイミングっていうか
コナミさんでやらないっていうのがもうちょっと遅れててもそんな話なかったですし
逆にもうちょっと早くても他で見つけてたかもしれないんで
すごいタイミングだね
タイミング本当ぴったりだった
本当運命だよね
そうですね
なるほどそういったのが五代の出会いだったのね
その中でそうすると広北が立ち上がってっていうタイミングで
五代に入社をしたというところで
もうそしたら12年目になるのかな
そうですね
そうなるとコーチ歴としてはもう十何年になるんだろう
18歳っていうところからその4年間のキャリアっていうところからなると
今何?
もうどんぐらいになるわけ?
30:00
そうですね18からなんでもう17年目ですか
ある意味大ベテランになってくるわけ
そうですね
今やっぱりずっと17年間大学の時からそういったレッスンプロっていうところを志して
今に至るっていうところで
本当にたくさんのお客さんを井田コーチを担当していて
大事にしていることとか
何かこういったことを常に伝えたくてやってるってことを教えてもらってるんだけど
何かちょっとその時々っていうか結構考え方って変わってきてるっていうか
やっぱり初めの頃はすごく上手くなってもらいたいっていう思いがすごく強すぎたっていうか
何て言うんですか
技術志向に寄りすぎてしまっていたっていうところはあったんですけど
今も当然上手くなってもらいたいっていう気持ちは当然あるんですけど
何かこう上手くなってもらいたいんですけど
これを聞いてる皆さんからするとやっぱり週1回もテニスで
その人によってテニスに来てるモチベーションとか環境って多分違うと思うんですよね
1週間5日間例えばこのテニスがあるから頑張ってこれてるっていう人もいるでしょうし
何かこう今までのこの1週間のストレスを発散しに来てるっていう人もいるでしょうし
そうなった時にこうあんまりこうアドバイスばかりとか理論ばかりってなってしまったりとか
まあ注意じゃないんですけど何でこんなとこまで来て怒られなきゃいけないんだっていうような気持ちにも当然なってしまうかもしれないですし
何かこうその人その人に対して深く考えるところっていうのをすごく気をつけてるようにはしてます
やっぱり一人一人をしっかりと見ていきたいっていうところがあるんだね
いやそうだよねほんとねやる理由って様々なもんね
そういった人たちのニーズに応えていくっていうところをやっているっていう中で
何かお客さんにこれからこれからも末永くレッスンを受けていただく中で
最後に何か井田コーチからお客さんに担当しているお客様に
そうですね担当しているお客さん
そしてこれからまさしのレッスンを井田まさしのレッスンを受けようかなと思っている皆様に最後にメッセージをいただきたいなと思って
33:03
今僕のクラスに入っていただいている方には本当にいつもよくしていただいて
皆さんがいるからこその僕であると当然思っています
僕のどこを気に入ってくれてるかっていうのはやっぱりその人によってちょっと違うと思いますし
本当にそんな気に入ってもらえる部分があるのかっていうのも
僕の中ではちょっと疑問でもあったりするんですが
一人一人特に長くやっぱり続けてもらえるように
いいと思われている部分が変わってしまわないようにっていうのをすごく意識しながら
その中で新しいものを皆さんに提供していきたいと常々考えているので
逆に新しい情報がないなって思ったら伝えてもらいたいですね
逆に皆さんが僕にもっとこういうことをもっとこういうのを教えたいとか
もっとこうしてもらいたいなっていうのがあれば
皆さんに成長させていただくじゃないですけど
やっぱり特に今僕のクラスで受けていただいているお客さんの方が
多分僕よりも僕のこと詳しいんじゃないかっていう気はするので
もう十何年も見ていただいているってことですね
そうですね
何かあればやっぱりきっとへこみますが遠慮せず見ていただければなと思います
なるほど
これから振り返りで来ていただいたりとかっていう方も当然いると思うんですけど
一応僕が自信を持って言えるところとして
僕はやっぱり技術の強制っていうか
上手くさせるっていうところにはすごく自信を持っていて
どこをどう直したら大体このショットってこう入るようになるんだろうなとか
多分打ち方一瞬見てこれだと多分こういう時に入らないだろうなっていうのを
見分けるのが割と得意だと思っているんですよ
それって多分今までそんなテニスやってきてなくて
今の自分のレベルまで持ってくるのにすごく自分が試行錯誤して
ものすごく考えてきているからやっぱりそうやって分かるようになったと自分では思っているので
逆にすごい実績があってバシバシやってきた人よりも
そういう点に関しては深く考えられるのかなというのが
自分の見点だと思っているので
もし技術で悩んでいるところがあったりとか
ぜひもっと上手くなりたいという方は一度来ていただけたらなと思いますので
ぜひお待ちしております
36:01
ありがとうございます
本当に話戻っちゃいますけど
自分で独学で100円払ってブックオフを買ったところから
テニスの理論を学んで
コンチネンタルだけでは戦っていけないんだという
そういったところから経験をしているからこそ
自分でいろいろと検索して
日々研究をやってきたという
そういう習慣づいた
まさに勉強をしてきているイダコーチなので
これから引き続き
受け手側のモチベーションも
僕らコーチというのは
そういったところで学ばせてもらって
なおかつ引き出すことをしていただいているというところで
今日のイダコーチは熱い気持ちをいただきましたので
引き続きこれからもぜひ
五大広北イダコーチのレッスンを受けていただきたいと思いますので
よろしくお願いします
熱いレッスンをしていきます
よろしくお願いします
ありがとうございました
37:31

コメント

スクロール