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2019-04-12 40:39

第24回【GODAI白楽テニスコーチ紹介】田中真一コーチ

野球少年だった田中コーチ。
野球を続けようと名門敦賀気比高校へ!!
しかし、まさかの壁が!?
だからテニスやりまーす!とスイッチ。
ガッツマン田中のテニス人生、結構ガッツあります(笑)
フットワークの軽さに注目です!





00:02
【GODAIスポーツポッドキャストすぽきゃす】
この番組は、スポーツを通じて人々の健康生活の実現を目指す
【GODAIグループ】の提供でお届けいたします。
はい、では本日は、GODAIスポーツポッドキャスト
白楽視点、田中真一コーチです。よろしくお願いします。
【GODAIスポーツポッドキャスト】
ずっと、逃げ続けていた。
逃げ続けて。
また今度、また今度と言いながら、とうとう出番が来てしまいました。
捕まってしまいました。
しんさん、今日はたくさん、しんさんをねほり、はほり、聞かせてもらいたい。
よろしくお願いします。
改めて、このスポッキャスをやらせてもらって
いろんな人の話聞けてるんですけど、
誰かに聞いたことあります?
そうですね、白石コーチ、森コーチ、井出コーチ、みんな聞いてます。
みんな聞いてるんですか?
心に残ったエピソードとかってあります?
他の人の?
森ちゃんのテニスの奥深さを伝えたいというのが
この野郎を持ってきやがって。
ちょっとジェラシーを感じてる。
完全に森コーチよそゆきな感じ。
完全に汗かいてましたけどね。
話ししてるときね。
でも、奥深いですからね。テニスって。
奥深い。
そのところも、僕も森一コーチと出会ってから
かれこれ8年9年経つんですよね。
10年経たないくらいですよね。
そういったところも。
僕は勝手にイブシギンだと思ってるんで。
誰が?
俺?なんでイブシギン?
イブシギン?
僕は、匠的な要素っていうのは好きですよね。
レッスンとか見てて、そういったこといろいろ聞きたいなと思ってるんですけど。
まずみんなに聞いてるのが、田中森一コーチがまずテニスに出会ったきっかけ。
田中森一ヒストリー。
ずっとちっちゃいときから野球やってて。
7歳くらいですか?
小学校3、4年かな。
野球始めて。
高校になっても野球をやろうと思ってて。
03:04
高校の入学の入試で、教頭先生との面接っていうのがあって。
田中君は何部に入りたいんだって言われて。
自分は野球部に入りますって言ったら、教頭先生が将来広島と将来ロッテと将来巨人の子が
もううちの家に来ることが確定してるから、その子たちと一緒に田中君も甲子園を目指そうって言われて。
その時に、あ、無理だなって思って。
住む世界が違うって思って。
で、担任の先生が、なんか部活は絶対やりなさいって言ってて。
たまたま幼馴染が、お前何部入るのって言ったら、テニス部入るって言うから、じゃあ俺も入るわって。
それがきっかけです。
入る先の高校の教頭先生が行ったんですか?
高校は?
福井県の鶴ヶ岸高校っていう高校で。
そうなんですよね。田中コーチは福井県出身なんですよね。
鶴ヶ岸。岸じゃないですよね。鶴ヶ岸。有名ですもんね、鶴ヶ岸って。
そこに将来プロ野球選手になる子たちが。
もう決まってるから。
決まってるっていうのは、これから一緒に同級生として入ってくる子たちが?
もしくは後輩。自分の。
そこでびっくりしたのは、ドラフト会議っていうのは、今はちょっとまた違うと思うけど、
当時のドラフト会議っていうのは一応ただあるだけで、中学の時点で君は広島だとか、もう決まってるんだと思って。
そういうニュアンスを感じ取れるようなことを京東先生が言ったと。決まってたと。
当時の僕は、中学の時点でもう決まってんじゃんって。
ドラフトって何?とか思って。
その話を聞いて、自分とはすごい世界が違いすぎると思って。
ちょっと野球は無理かなと思って。
でも早い段階で随分諦めたっていうか。
一応その高校に入学が決まって、野球部ご希望の方は何年何組に集合してくださいってアナウンスが入って、
一応その何年何組を2往復ぐらいしました。
どうしよっかな入ろうかなって。
でも2往復した結果、教室にいる子たちの画体とかを見て、ちょっと違うと思って。絶対無理だと思って。
06:00
ちょっと当時は無理だと思ってしまって。
野球部ってデカいんですよね。
僕も高校生の時って同級生でデカかった。野球部って。
日大参考。
だからその気持ちは分かるな。
ゴリラみたいな奴いっぱいいて、いやもう無理無理無理って。
それで友達がテニス部に入るって言ったから、じゃあ俺もって。
じゃあ俺もって。
その時まではテニスやったことなかった?
全然なかった。
じゃあ高校から?
高校から。
テニスに。
でもそこで今に至るわけなんですけど、その3年間で何があったんですか?
テニスをそうやって続けられる理由がそこにあったと思うんですけど。
その担任の先生が部活は絶対やりなさいって言ったことと、もう一個言った言葉があって、
何でもいいから高校3年間燃えなさいって。
恋愛でもいいし、勉強でもいいし、部活でもいいし。
じゃあ部活に自分は燃えようと決めて、テニスの経験はなかったんですけど、
なんとかしてレギュラーになって試合で活躍したいと思ってたんで。
それが大きなきっかけで。
でも燃えたらもう3年でテニスも辞めようと思ったんで。
そんな感じでいたんですか?
3年間ガッとやってもう辞めようと思って。
で、なんか草野球チームとか入ればいいやと思ってて。
じゃあもう一回野球はやろうと。
やっぱり野球が好きだったわけですね。
野球も。
それが大きなきっかけになった言葉というか。
でもそれはすごい良い言葉をその時にもらったんですね。
で、まさに何式じゃなくて公式テニス部ですもんね。
そうですね。
よく中学で何式やってから公式っていう試合がよくあったりするんですけど。
いきなりの本球を使って。
でもツルがけひって、テニス部も結構歴史があったと思うんですよ。
だからもうテニスをずっとやってきた子たちが入ってきてる人たちもいますよね、もちろんね。
どうだったんですか?
当時のテニス部は今ほどたぶん力を入れてなくて。
まだ全国にも行ったことないチームだったし。
ただ力は入れ始めてきた最中だったんで。
テニス経験者は周りはほとんどでしたね。
じゃあまだそこに自分よりも野球部ほど見上げるような存在がいたわけではなかった?
そこまでではない。
テニスを3年間やってましたとか。
何よりもゴリラではなかったんで。
09:03
いけるかなと。
強烈な妄想でしょうね。
なるほど。
そこで初めてのスポーツをやるにあたって、
先生の言葉があって、
そこから3年間ずっと続けるわけですけど、
その言葉があったからといっても、決意したからといっても、
3年間ずっと続けるって結構やっぱり努力が必要だったんですよ。
やっぱり努力が必要だったと思うし、
いろいろな理由とかきっかけもそこに必要だと思うんですけど、
3年間頑張れた理由ってどういうところだったんですかね?
たまたま勝てた。
勝てた?試合で?
試合で。
高校からテニスを始めたレベルとか、
高校の地方の、関東とかじゃなくて、
地方の高校のレベルってそんなに高くなくて、
とりあえずコートに返せば勝てちゃうレベルで、
もちろんある程度。
とりあえずコートに入れるテニスから始まって、
自分よりもテニス歴長い人間に、
とりあえずベースラインで走りまくって、
とりあえずコートに入れてたら何か勝っちゃったんで、
分かった俺が、まだテニス歴1年経ってないのに。
これはひょっとしたらレギュラー候補と言われる、
ずっとテニスやってきた奴らに、
俺勝てるぞってその時思って。
なるほど。
たまたま勝てた。
たまたま勝てたを何回か繰り返していくうちに、
成功体験を積み重ねてみたいな感じですかね。
そこで楽しくなっちゃったんですかね。
楽しくなっちゃった。
勝っちゃったって大きいですよね。
最近ちょっと話は違うんですけど、
ブレイクバックって漫画あるじゃないですか。
その中でシンさんと同じようなシチュエーションの人っているわけなんですよ。
高校からテニスを始めるっていうような子とか、
昔やってたんだけどもう一回やるとか、
あとはテニスのうんちくだけはすごい知ってるキャラクターとかなんかいて、
いろいろいるんですけど、
その中で結構、
あ、俺ってっていうような瞬間が描かれてるんですよ、
そのキャラクターごとで。
僕もテニスをずっとやってきて思うんですけど、
そういった部活での経験とかっていうのが後に、
みんなと話しても最近思うんですけど、
高校生の時の経験とかってすごいみんな大きいんだなって。
12:02
大きい。
大きいですよね。
何なんですかね、やっぱり年齢的にもそういった時期なのかもしれないですけど、
ものすごいターニングポイントを迎えてるんですよね、
その15、6歳で。
何でもできるって勘違いしちゃってる年齢なんで、
たまたま勝って俺いけちゃうかも、
なんか思ったみたいなね。
なるほど。
でもその思い込みが今に繋がってるんですよね。
高校を経て、またキロに立つわけなんですけど、
その次はどういう道に進んだんですか?
結局テニス経験者から約2年はレギュラーを奪い取ることができなくて、
最後の最後の大会で、
今度の大会最後のインターハイ予選は、
シングルス2のレギュラーの枠は新一で行くって言われて、
やったーって思って、
結局団体戦はレギュラーになったんですけど、
県で準優勝で負けちゃったんですよ。
優勝したかったなーと思って、
酷い話が、一応第一シードの高校だったんで、
自分が負けてもう一人負けて、
ゼロに入れ、うちの高校は準優勝だったんですけど、
次の日の新聞で、鶴がけ日の新聞で、
鶴がけ日の新聞で、
鶴がけ日の新聞で、
鶴がけ日の新聞で、
鶴がけ日の新聞で、
鶴がけ日の新聞で、
シングルス2の選手が早バヤと敗れとかって、
福井新聞に書かれてるんですよ。
酷っ!早バヤって書くなよ!と思って、
スポーツ新聞じゃないんだから、
検討のせいとかにしようよ!と思って。
それを今でも根に持ってる。
根に持ってる福井新聞。
今思い出した。
どうしても痛かった。
それはでも嫌ですね。
早バヤと敗れてしまって、
それは事実なんですか?
事実。
コロッと負けちゃった。
コロッと負けちゃった。
残念だなと思って、
個人戦頑張ろうと思って、
個人戦で1個か2個勝てればいいからと思ってたよ。
でも、それもたまたまというか、
ベスト8まで行って、
ベスト4決めで負けて、
3年間楽しかったなと思ってたら、
監督が、
テニスをこれから続ける気はないのか?って言って。
県でベスト8に入って、
団体戦準優勝になったら、
大学をテニスのセレクションで受ける権利があると。
15:03
君はドコソコ大学とドコソコ大学のテニスのセレクションを
テニスを続ける気があるんだったら、
受けに行きなさい!って言う。
じゃあ行きます!って言うので、
1個受けて、
1個受けたところのセレクションで集まった高校生のメンバーも、
そうそうたるメンバーだったんですけど、
監督からの、
テニスを続けてみないかと。
大学でも。
っていう言葉がきっかけです。
結局、セレクションを受けて。
惜しくもダメだった。
惜しくもダメだった。
なるほど。
大学進学とかを考えてて、
テニスで受けてみて、
結果、
ごめんなさい!って感じになって、
それでどうしたんですか?
それで監督ダメでしたとか、
言いに行ったら、
テニスで飯を食う機会はあるか?って言われて、
なんですかそれって言われて、
プロですか?って言われて、
バカって言われて、
そんなのあるんですか?って言われて、
もしやる気があるなら、
東京に体育の専門学校の中の
テニスコースっていうのがある
専門学校があるから、
お前どうだ?って言われて、
テニスで飯を食うかどうかは分からないんですけど、
テニスは続けたいんで、
そちらの方向に行ってみます。
行ってみますって言って、
上京して、
その専門学校に入りました。
どちらなんですか?
日本社会体育専門学校って言って、
もうちょっと潰れてしまったんですけど、
今亡くなっちゃったんですか?
亡くなっちゃったんです。
そこにテニスコーチがあったわけですね。
そうです。
場所はどこにあったんですか?
東京の帰宅の大路っていうところ。
赤羽とかのそばかな?
赤羽、はい。
ギリー?東京っていう感じの位置になりますよね。
その先行ったら、
埼玉の大震災のところですよね。
そうなんですね。
じゃあ、福井から住んだんですか?
お家に。
メジムに住みました。
山手線。
ちんちん電車って路面電車。
路面電車、はい。
で、大路と目白までつながっていて、
で、目白に。
目白に住み始めたかな?
今思い出しちゃったんですけど、
何年か前に、
しんさんと一緒に目白行って、
行った!
18:00
行った!
しんさんの元お客さんがやってる、
行った!かき氷。
かき氷食べに行きましたよね。
そしたら、
お久しぶりですみたいな感じで行って、
いらっしゃったんですよね。
そうですよね。
何年も前だって言って。
今思い出しちゃった。
だから知ってるんですよね。
あそこの店とか。
あれは、
ダンロップさんの、
展示会でしたっけ?
そうですね。
帰りに、
ここ近くにいらるんだよねっていう話で、
一緒に連れてもらいましたもんね。
自分が担当してたお客さんがやってる、
目白の有名な和菓子屋さんがあって、
ザキ君、かき氷食べに行こうよって。
行ってみましたよね。
あれ美味しかったですよね。
今思い出しちゃった。
なるほど。色々つながってきましたね。
そっか、それで目白に住んだんですよね。
そっかそっか。
なんか、あれですよね。
監督さんの、
その3年間の監督さんの存在って大きかったんですか?
やっぱり。
実は、3年生になった時に、
監督が変わって、
テニスコーチになりなさいって言った監督は、
3年生からなんですけど、
それまでは別の監督さんで、
別の監督さんも楽しい監督さんで、
面白かったですよ。
面白かったですよ。
どちらも存在は大きかったです。
大きかったんですね。なるほど。
でもその方に、
まずそのセレクションで大学っていう道があるぞと、
テニス、そっかじゃあ次はこういう道があるぞっていうことを、
やっぱり教えてくれなければ、
もしかしたら、
普通にテニス辞めて、
もしかしたら一般受験したのかもしれないし、
もしかしたら、
野球ができる、草野球ができる環境の道だかもしれないですよね。
多分ね、地元で草野球チームに入ってて。
入ってて、全然違う道だったかもしれないですよね。
なんでなんですかね。やっぱりなんか、
3年間やった中で、
すごいテニスが好きだっていうものが、
自分の中にあったのが、
監督さんにこの子テニスだな、みたいな感じのことを思わせたんですかね。
今思ったらどう思いますか。
なんか、振り返ってみて。
だってみんなにおそらくそうやっていうことを言ってたわけじゃないと思うんですよね、先生も。
何年か前に、
20年ぶりぐらいに、
学校に帰ったの。
鶴崎氏に監督に会いに、
僕こんなになりましたって言って、
挨拶しに帰って、
で、当時を振り返って思い出話になって、
21:02
鶴崎はとりあえずガッツがあったって。
テニスは超下手だったけど、
とりあえずお前は死ぬほどガッツがあったって。
今そんな高校生いないんだよねって、
言ってくださったので、
もしかしたら、
自分ではそんなつもりはなかったけど、
ただのガッツマン。
ガッツマンに監督には映ってたのかもしれない。
やっぱりすごいですね。
そういったところを見抜いて、
テニスでやっていってほしいなっていう思いも
もしかしたらあったのかもしれませんね、監督さんにね。
ガッツマンってあんまりかっこよくないよね。
そうですか。
いるじゃん、キャプテン翼の顔面で守っちゃう人。
それ石崎君。
完全に石崎君。
顔面ブロック石崎君。
小学生の時、何回言われたかわかんない。
しかも僕がサッカーやってましたから。
要はゴール前で守れなかったりすると、
顔面ブロックしろよみたいな。
平気でよく言われる。
あんなのね、できるわけがないですよ。
僕の話はヒントして。
僕はかっこいいと思いますけどね、
キャプテン翼の中でもね、
顔面ブロックは要できませんし。
じゃあその中で、
そういった専門学校に行ってテニスコーチになるぞという形で。
専門学校2年間ですよね。
専門学校2年間やった後に、
その後の行き先はどうしたんですか。
2年生になったら、
来春はコーチになるんだから、
2年生になったらコーチのバイトをしなさいって。
なるほど。
専門学校の先生。
今思うと2年生になったらって遅いなと思うんですけど、
そういう学校で。
近くにたまたまルネサンスっていうテニススクールがあって。
ルネサンス、はい。
じゃあここだと思って。
近いし。
で、そこでバイトをやり始めて。
で、2年間経って、
ルネサンスではその専門学校からの新卒の社員は募集してないっていう当時の話で、
社員になりたいんだったら、
今の状況を続けて中途最悪を狙いなさいって言われて。
なるほど。
やるかやらないかどうする?って言って、
じゃあやりますって。
っていう流れですね。
そうなんですね。
じゃあその時にバイトを始めたきっかけで、
24:01
そのままバイトを何年続けたんですか?卒業してから。
卒業して5年。
すごいですね。
ある時期にもう社員は取らないからって言われて、
自分と似たような境遇の子がいたんで、
お前どうする?って言ったら、
他にやることねえしやろっかなって言って。
じゃあ俺もやろっかなって。
田舎帰ってもすることねえしなって思って。
高校の時と一緒な感じですね。
流されやすい。
でもその時の決断があって、
ルネサンスさんなんて全国にあって、
それでもちろん社員になるにはすごく大きな会社ですし、
狭きものなのかもしれないんですけど、
その中で5年間やっていて、
その後そういう道がなかなかないよっていう話になったと言われてから、
全部で合計で5年間?
全部で合計で5年間。
途中でそういう道ないよみたいな話されて、
でも続けた5年間。
なるほど。
その後は?
その後はルネサンスひめ寺、兵庫県のひめ寺で、
一人募集があると。
新一堂だって言われて、行きますと。
大抵一スクールに2人か3人は社員がいたので、
どなたの下につくんですかって聞いたら、
お前一人だって言われた。
あ、僕一人なんですねって。
チーフはじゃあ誰ですかって言ったら、
お前だって言われて。
そこで今でも冗談半分で仲間に言われて、
そこで新入社員でいきなりチーフ、
しかも会社史上最年少チーフになりました。
すごいっすね。
たまたまもう人がいないから、
行ったら自動的にチーフが、責任者で。
25歳の時からチーフになりました。
新入社員いきなりチーフ。
史上最年少チーフ。
かっこいいと思って。
今のこのストーリーを聞いてて、
もちろん悩んだり考えたりっていうところもあったんでしょうけど、
高校の時もすごい素直に、
じゃあ行きますっていう感じの決断してますよね。
とりあえず誘ってもらって、
じゃあ行こうかなっていう。
そこがやっぱりガッツなんでしょうね。
27:00
ガッツ。
ガッツ。
ガッツ。
ガッツ。
ガッツ。
そこがやっぱりガッツなんでしょうね。
高校3年間で培ってきたら行くぜっていう。
しかも姫路っていうのは、
円もゆかりもないっていう。
まったく。
そこにある意味、
飽きがあったってチャンスなんですけど、
そこに行くっていうのも、
勇気がいることじゃないですか。
そこは改めてすごい強いんですよね。
みんなが受け入れられるような条件ではないような感じするんですけど、
目次路。
そこから姫路に行って、
姫路は何年間だったんですか?
結局1年しかいなくて。
1年間そこで、
元々あったんですか?店舗として。
元々あった。
そこに入って、
ある意味マネージメントもしていかなきゃいけないわけじゃないですか。
そこで1年間やって、
結構大変だったんじゃないですか。
大変だった。
大変だったね。
今だから笑える。
そういった経験を経て、
その後?
その後は長野県の松本市に新店を出すから、
新市堂だって言われて。
すごいっすね。
そういう感じだったんですね。
新市堂だって言われて。
行きます。
すごい。
しんさんすごいわ、それは。
行きます。
行って、
長野県の松本市。
松本市。
松本市。
に、
2004年、
27ぐらい。
結構20代、
行ってますね。
いいですね。
すげえな、結構行ってんな。
なるほど。
長野県はそれで何年だったんですか。
長野県松本市には3年半いて、
で、
長野県長野市に、
また転機になって、
松本市と長野市って高速で30分ぐらいで行けるんで、
長野県長野市に転機になって、
で、現在に至るです。
3年半っていうのは、
その3年半の中で、
長野市にもう1軒。
3年半松本市で、
その後半年長野市。
半年長野市。
30:00
で、その移動があって、
で、
で、そこで現在じゃなくて、
そこ次が後代だったわけなんですか。
そう。
今話し続け走っちゃうんですけど、
長野から次横浜に戻って、
横浜に来たわけですよね。
横浜に。
福井には帰らず、経由せず。
そうなんですね。
じゃあそうすると、
30歳ぐらいの時ですか。
そうだね。
27から3年ちょっとやって、
30過ぎてるぐらいの時に、
当時は横浜テニスカレッジだったわけですね。
なるほど。
さあ、ここからまた聞きたいことが、
ワン作あるんですけど、
なぜあれだったんですか。
後代に。
っていうのは、
まだ、
全く違う会社になるわけじゃないですか。
ルネサンスさんなんていうのは、
テニススクールを持っている会社で、
フィットネスが軸としてある、
ところもある、
大きなところなんですけど、
そこから、
当時は、
横浜にある、
横浜テニスカレッジっていうところを、
テニス単体のスクールっていうところなんですけど、
何がそうされたんですか。
どんなきっかけがあったんですか。
まず当時、
長野にいる時代から、
たぶん自分は、
言葉にはしてなかったんだけど、
もう、
テニスの職人になりたくて、
パソコンの前に向かうのは、
ちょっと苦手な部分があって、
もしかしたら、
以前のルネサンスさんが悪いっていうことではなくて、
ちょっとこれは自分のスタイルではないんじゃないかと、
思うんですけど、
これは自分のスタイルではないんじゃないかと、
思っていて、
で、たまたま、
鶴垣ひのえ一通の高校の先輩が、
ちょっと名前は忘れてしまったんだけど、
あの、
横浜テニスカレッジで、
テニスコーチをしてるってことを知って、
え、そうなの?と思って、
自分で横浜テニスカレッジに電話して、
あの、
ツダというものがそちらにいると思うんですけど、
あの、失礼ですけど、
小原で、
福井県出身の方ですか?って、
多分今思うと、
フロントの水戸さんに電話したんですよ。
その時退路してくれたんだ。
で、あの、
そうですと、
わっ!と思って、
無理を承知で言うんですが、
携帯の電話番号とか教えていただけないでしょうか?
水戸さんに言ったら、
当然のごとく、
それはできませんと。
まあ、今思うと当たり前だなと。
個人情報はねって。
で、じゃあ、
じゃあ私の携帯を、
ツダさんに伝えていただいてもいいですか?
はい。
って言って、
ツダ先、あ、その、
33:00
先輩?
ツダ先輩から、
自分に携帯に電話がかかってきて、
お前もテニスコーチやってるのか?と。
あ、そうなんです。
ツダ先輩、あの、
横浜テニスカレッジでやってるって、
やり取りをしたんです。
で、やり取りをするようになって、
自分はちょっとちょっと、
このスタイルに合うかどうか悩んでるんですよね。
今の会社。
相談していたら、
じゃあ、うちに来ちゃいなよと。
しげいち、うちに来ないか?
行きます。
なるほど。
っていうのがきっかけです。
なるほどですね。
そうですね。ツダコーチが、
一つ上なんですか?
一つ上。
一つ上なんですよね。
でも、きっかけは、
ツダさんだったんですね。
そう。
すごいですね。
なんか、人ですね。やっぱりね。
すごいな。やっぱガッツマンですね。
なるほど。
そのきっかけが、
きっかけは、ツダコーチ?
ツダコーチですね。
なるほど。
もう、
ツダコーチともね、
話はしたんですよ。このポッドキャストで。
そしたら、やっぱり高校の時の話をよく聞いたんですけど、
その時に教えてもらったコーチとかが、
めっちゃ熱くてって言って、
多分同一人物ですかね。
同一人物ですかね。
でも、そこでコーチになりたいと思って、
っていうところで。
でも、そういった、
運命的な感じもしちゃいますよね。
一つ上の先輩が。
たまたま。
地元の仲間では、
ツダ先輩が今どこで何をしてるんだって、
みんな言ってて、
みんな知らなくて。
ミステリアスな存在。
どこにいるかも分かんないし、
ってみんなで言ってて。
で、プロテニス協会っていう、
コーチの資格があって、
で、毎月のように、
怪談版みたいなのを送られてきて、
それに、
横浜テニスカレッジの
ツダと申します、
みたいなコメントが載ってて、
え?って思って、
ツダ?って。
まさかここにいたのかって。
で、自分で、
当時YTCに電話したんです。
そうなんですね。
そこもこうやって電話するっていうのも、
やっぱガッツがありましたね。
ガッツがありましたね。
ちょっと今日僕嬉しくなっちゃった。
ガッツっていう、また新しい、
僕の読みは間違ってなかったですよね。
絶対いじるでしょ、それ。
いじるっていうか、
僕の見た目間違ってなかったですよね。
これ聞いてる人はよく分かんないですけど、
僕は田中慎一コーチに
ダイナマイト慎さんって呼んでます。
慎さんはそれをどう思ってるか、
36:01
僕は別として、
やっぱりそういう
メンタリティを持ってる人ですよね。
僕はそういうとこが
個人的にすごい好きで。
すいません、いろいろとだんだん
話が飛躍しちゃって、
話したいこといっぱいになっちゃうんですけど、
いろいろと話したいこといっぱいあって、
今までのヒストリー聞いてる中で、
最後にどういった
今までの
レッスンのコーチとしてとなると、
コーチ歴何年なんですか、慎さん。
23年。
23年。
その中で、23年間っていう中で、
今まで培ってきた
思いですとか、
そのコーチとして、
コーチング、ティーチングを今ずっと
やってらっしゃるわけですけども、
どういった気持ちで
いつもレッスンをやってるのか、
ちょっとそういったところを
最後に教えてもらいたいなと思って。
もうとにかく、
コーチやり始めた時は、
テニスもそんなに
ベラボーになりたいか優勝とかないし、
ないから、
とにかく一生懸命やるしか
技がなくて、
とにかく一生懸命やっていて、
松本を転勤になるタイミングで、
田中コーチのレッスンが
生活の糧でしたっていう
言葉を
お客様からいただいて、
自分は一生懸命やるしか
脳がなかったけど、
自分のレッスンが
生活の糧になって
くださってるんだと思って。
自分のどういうやり方が
っていうのは
人それぞれ違うと思うんですけど、
それはその方に合わせるとして、
生活の糧になるような
レッスンを
したいと思います。
いや、
それってすごい
言われたら嬉しいですよね。
嬉しいですね。
嬉しかったし、
意外だった。
生活の糧って大きいなと思って。
あの意味は
ご飯みたいなもの。
もうご飯。
生きる術っていうか、
そこまでの存在になってた
っていうか、
そこまでの存在になってた
っていうことに。
でもそこを
なんていうんでしょう。
そういうこと、
そういう風に捉えてくれてる人も
いるんだと思って
やってるのとそうじゃないのって
違いますよね。
いや、すごいわ。
生活の糧について1時間ぐらい
語れそうな気がしますけど。
またそこは第2回目に
撮っておきたいなと思うんですけど。
なんかそういった
今、もしかしたら
こうやって今後代でも
田中慎一コーチのレッスンを
受けていただいてる中で
やっぱりそうやって
39:00
ライフスタイルっていうんですかね。
その中にもう一部なんだっていう方も
いると思うんですよね。
最後、皆さんに
そういったの聞いていただいてる方に
最後にみんなにメッセージ
もらってるんですけど。
難しい。
これ言うとね、急にみんなね
わかっちゃう。
難しい。
なんだろうな。
あんまかっこいいこと
言えないですけど。
僕は田中慎一っていうんで
名の通り
まっすぐに
生きなさいと名付けられたんですけど。
自分が田中慎一である以上
お客様にも
まっすぐな気持ちで向き合って
向き合いたいです。
向き合いたい。
本当に向き合って
これからもですね。
田中慎一コーチの
レッスンの引き続きですね。
皆さんも向き合って
楽しくやっていただければ
と思いますので。
今日はもうね。
もっともっと喋りたいんですけど。
また第2回に
撮っておきましょう。
今日はありがとうございました。
どうもありがとうございました。
この番組は提供
ご大グループ
プロデュースキクタスで
お送りいたしました。
40:39

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