#619   私の勤め人時代
2022-05-12 13:46

#619 私の勤め人時代

#大家 #不動産賃貸 #賃貸業 #賃貸経営 #不動産投資
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00:07
はい、ポニッツ大山レイディオ、大山です。
いつもですね、東方のレイディオをお聴きいただきましてありがとうございます。
はい、この番組のスポンサーですけれども、
ハイクラスパリゾートのサンセットビラ、
総合損害保険代理店アトラス、
生命保険代理店株式会社ベストエージェンシー、
子育てお父さんを応援するNPO法人ホットファーザー、
カスタムゴルフクラブ一頭掘りのMTGスタジオ、
石川県金沢市の宿泊施設、金沢鉢旅、
以上各社の提供でお送りします。
はい、今回はですね、
勤め人時代のお話をしてみたいと思います。
はい、今回はですね、私が勤め人、
大学を卒業してから約20年間勤めてましたけど、
そこの頃のお話をしたいと思います。
これまで私、こちらのスタンドFMでは、
基本としては不動産賃貸業ということをベースに、
それに特化してお話をさせていただいています。
中にはこれまでの経緯とか、
お話している部分は若干ありますけれども、
私が勤め人時代どういう風な感じだったかとか、
そういうのは何回かはありますが、
そこまでお話はちょっとしていないので、
今回ちょっとお話ししてみようかなと思います。
私は出身が田舎川九州の南の方ということで、
大学を出て、大学は関西の方に行ったんですけど、
就職を96年に入社してということで就職したんですね。
学生時代も勉強が好きで1年余分に学校に行ったりとか、
そういうこともちょっとあったんですけど、
最初の勤務先が東京支店という風になりました。
勤めた会社は某ゼネコンになりまして、
純大手の大きい会社ということになりますね。
入社したのが96年で3年間東京の方にいまして、
3年目の途中から立浜支店の方に移動してまいりました。
03:00
ですから99年に立浜の方に来た形になりますかね。
それからずっと神奈川県内で新築の工事とかに従事しててということですね。
ゼネコン時代に入社したときから、
いろんな用途の建物、建築ですので携わってまして、
例えばこれまではタワーマンションとか、
有名デベロッパーさんのマンションの現場とか、
あとは今は都営12号線という地下鉄が都内にありますけど、
大江戸線というのもありますけど、
そちらの地下鉄の工事にも従事しておりました。
そちらは改札とか、地上への出入り口のエスカレーターとか、
いろいろそういうホームの仕上げ工事とかをやったりしてました。
あとは学校建築とか、学校の屋内運動場とか、
地域の温泉施設とか、冷蔵冷凍庫とか、
本当にいろんなものをやってきました。
最初の頃はずっと新築の工事を基本的にやってまして、
途中からは不動産をやり始めて、ちょっとしてからですよね。
新築だけじゃなくて、建築のいろんなことを知識を習得したいということで、
実務で習得したいということで、
改修工事とか永前工事とか、改修工事の見積もりとか、
リニューアル工事とかも担当したりしました。
それで約20年間勤めてまして、不動産を始めたのが2008年ということで、
お話ししてるんですけど、きっかけは大きい会社だったんですけど、
リストラがそのタイミングでありまして、
それを機に自分の人生を考え直さなきゃいけないなということで、
のがきっかけですね。
ロバート清崎さんとか加藤博之さんの書籍を読んで、
不動産っていうのがあるんだなということで始めました。
私、サラリーマン時代、優秀だったかどうかとか、
そういうことっていうのはあんまりよくわからないです。
というのは、建設業というのは各現場ですね。
新築とかやってますと、大きい現場ですと人数も多いんですけど、
06:01
それが一つの会社みたいな形で、そこそこの10億とかそれぐらいの現場だったら、
職員も3人とか4人とか5人とかそれぐらいなんで、
なかなか同期の人だと一緒に職場が同じになることってなかなかなくて、
会社の研修とかそういうのであったりとか、噂を聞いたりとかいろいろあるんですけど、
自分が仕事ができたかどうかというと、普通じゃないかなとは思ってますね。
あんまり優秀だったかどうかわかりませんけども、
性格的な部分で、貴重面ではないんですけど、責任感は強い方だとは思ってます。
そういうのもあって、だいたいその当時、
勤務時間って非常に建設業で長かったりするんですね。
家を早い時は5時前に起きて、5時過ぎに出て行って、
7時には現場に到着して、夜は9時、10時までは当たり前の仕事をしてという感じでやってました。
家に帰り着くのが11時とか12時とか、長らくそういう生活をしてましたね。
子供が小さい時には、私が家にいる時間は子供は寝ててということですね。
朝早く子供が起きる前に出て行って、子供が寝てる時に帰ってみたいな感じを続けてましたので。
私が会社に入った当初は、土曜日も建設業界というのは現場監督もほぼ毎週出ているような状態で、
途中から2003年とかそれぐらいから土曜日交代交代に職員が出るとか、
そういう感じでやったり、ゼネコンの会社の中でもそういう労働環境というのは、
会社との方針として極力休みを取れる体制を取るということでやってましたよね。
私も今退職して7年経ちますので、今現状ゼネコンがどういう状況でやられているかというのは分かりませんけど、
ホワイトになっているのかもしれませんし、
私が現役で勤めている時よりは労働環境というのは良くなっているんじゃないかなと思いますけどね。
不動産も2008年に始めたんですけど、そういうのもあってなかなか忙しくて、
セミナーですとか、親の会とかそういうものにもちょっと参加せずに一人で黙々とやっているというような感じでしたね。
09:01
そういうのもあって、自分では遠回りしたかなという部分を感じたりするんですけど、そういう感じでしたね。
先ほどちょっとお話しましたように、新築だけじゃなくて、改修工事とか衛禅とか全てそういうものを経験して、
建築の知識を全てゼネコンで習得できるものは身につけようと思って、
あえて職場の配置の移動とか希望とかを出して、2年置きとか3年置きとかそういうので変えてもらったりしてましたね。
ですからリストラ置きに人生をちょっと考え直したという部分で言うと2008年ですね。
そういう意味では会社の出世とか何とかよりは自分のスキルを上げるということですね。
そういうことに注力してました。
もちろん配置になった職場では精一杯仕事はやっておりましたし、
先ほど言いましたように一応責任感は強いと思ってますので、器用ではないですけど侮辱にはやってたかなというふうには思いますよね。
そんな感じで務め人をやってまして、その中で不動産を買い進めるようになってきたわけですね。
今考えますと2015年にサラリーマンを退職することにしました。
その際には私が仕事ができたかどうかはちょっと別として、
やっぱり周りの職員の方、上司の方、先輩の方とかいろんな方と、
建築現場って小さい現場だと1年単位とか、タワーマンションとか大きい現場だと2年とかそういうことになりますけど、
やっぱり職員がそういう1年単位で上司とか周りの人が変わっていく部分もあって、
いろんな方と一緒に仕事をさせてもらった関係もありまして、
私が退職しますということで会社に伝えた時に、やっぱりいろんな方から声をかけていただいて、
なんで辞めるんだじゃないけどね、どうしたんだみたいな心配してそういうことを声をかけてくれる方とかいろんな方がいらっしゃいましたよね。
そういうのを考えても一生懸命、勤め人時代、本当に一生懸命やってきてよかったなということはすごい感じましたよね。
ただ不動産に関するお話というのは、一切会社の人には、周りの人には不動産賃貸業を兼業でやっているという話は一切話しませんでした。
その当時はまだ今のように副業規定とかそういう部分も、今みたいに会社が容認してという雰囲気でもなかったというのもありますし、
12:09
あえてそこを話す必要もないのかなということで、私は勤め人時代はずっと周りの方にも不動産をやっているということは話しませんでしたし、
ずっと一人でやってきていましたよね。そういうことがちょっとありましたね。
辞める時にはそういう形で異流はかなりされました。
一生懸命取り組めば周りの人が見てくれるという部分もすごい感じましたし、いろんな方に本当にお世話になりましたし、
私がパワハラを受けてしばらく休む期間がありましたけど、そういう時も直接電話をかけてくれて心配してくれている方とかいらっしゃって、
非常に今となって考えてみると、私が勤めていた会社というのは大きながらも圧倒的な会社で、その中で仕事をやらせてもらったというのは本当に感謝しかないですよね。
そんな感じで勤める時代は20年間勤めていたという感じですね。
今回は取り留めのないお話だったんですけど、これまであまり話したことのないお話をさせていただきました。
いつも東日本オンエアのレイリオをお聞きいただきましてありがとうございます。
また、いいねとかコメントも頂戴しましてありがとうございます。
それでは今回はこちらで失礼します。ありがとうございました。
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