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#149   ゆるく雑談(私のこれまでとこれから)
2021-05-16 23:37

#149 ゆるく雑談(私のこれまでとこれから)

いつも当方のradioをお聴き頂き、有難うございます。

今回は、不動産には触れない、全くの雑談です。😁

お時間のある時にでも、お聴き頂ければと思います。
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はい、フォーニッツ大山レイディオ、大山です。
いつもですね、東方のレイディオを聴いただきましてありがとうございます。
今回はですね、雑談ですね。今回は雑談でいきます。
いつもですね、私は不動産とか経営とか、あと建築のこととかね、そういったことをテーマに一つテーマを取り上げて放送させていただいているんですけれども、
今回はね、非常にちょっとゆるい放送になりますので、あまり興味のない方は聞いていただかなくても大丈夫かなと思います。
非常にゆるい放送ですので、時間つぶしに聞いていただければなと思います。
昨日ですかね、じんごろさん、あと今朝、きょうへいさんとかね、2拠点生活のお話とかね、ライフスタイル的なお話をスタイフでされてたんですよね。
私もですね、ちょっとその辺の話を、ライフスタイルというまでのものではありませんけど、私のスタイフも150回近くなってきましたので、
改めてね、自己紹介じゃないですけど、そういうのとか、おいたちというかね、これまでの話とかそういうものをね、ちょっとしてみようかなと思います。
私はですね、今、神奈川の某F市の方に在住の48歳なんですけど、出身はですね、九州の南の鹿児島県の、今でいうと鹿児島市の出身になります。
高校までね、鹿児島にいまして、大学で4年間、神戸の方にいました。
神戸にいるときにはね、ちょうど阪神大震災とかありまして、その激震地のちょうど真ん中の方でね、それを経験したということになります。
大学を卒業して、ゼネコンに勤めました。純大手のゼネコンに20年近く勤めています。
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その後ね、独立してという形ですね、不動産賃貸で独立してという感じなんですけど、
私はですね、鹿児島の出身なんですけど、両親ともにサラリーマンの勤め人の家庭に生まれまして、
鹿児島って田舎なので教育圏なんですよね。
私も48歳ということで、第二次ベビーブームの世代になりまして、いわゆる超学歴社会というか、そのど真ん中のような感じだと思うんですよね。
鹿児島は教育圏であって、非常にちょっとそういう教育熱心な圏ではありまして、
私もね、親がちょっと高卒だっていうのがあって、息子には苦労させたくないとかっていうので、大学まではとか、
主職しても大きい企業に勤めて、一生安定して暮らせてということを親も願ってたと思うんですよね。
私もね、そういうのが普通かなと思ってて、高校を出て大学まで進学して卒業してということで、
大学は私は建築学科だったんですね。建築の衣装系の設計の方の専攻をしてまして、
大学を卒業したら田舎の方に帰りまして、設計事務所に勤めようかなというふうに考えてたんですね、その当時。
ですが鹿児島の建築設計事務所とかって、ほとんどが中央の大手の設計事務所さんの下請け的なね、そういうのしかやらないと。
私の親戚でね、鹿児島の設計事務所に勤めている方がいまして、お話を伺う中でね、そういうふうなことを知りまして、
じゃあどうするかということで、大学3年の冬から4年に上がる頃にかけてちょっと考えまして、
実際に大学で建築を勉強してきてて、じゃあゼネコンに入ってね、現場で立つ実際のものってどういうものが立つのかなということでね、
施工できるのかなということで勉強しようかなと思ってゼネコンに入りました。
その当時は入った当時は何年かしたら設計事務所に移って、もしくは独立してとか、設計の方をやろうかなというふうに考えてたんですけども、
ずるずると20年近く建築の技術職として勤めましたね。
その中では会社に入った当時から2013年ぐらいまでは新築の方のずっとRCのマンションとか、
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あとは都営12号線の都庁前の次の駅なんですけど、そこの駅の地下鉄のプラットフォームとか改札とかね、それに付随するビルの仕上げ工事とかやったり、
あとは神奈川の方に転勤になってからは館長の温泉浴室、温泉浴場の施設をやったりとか、冷蔵冷凍庫とかね、大学の建物の改修とか、
あとは学校建築ですよね、そういうものをやりましたし、いろいろなものを施工で携わってきました。
サラリーマン、勤め人として20年約勤めてまして、その中で2回大きな転機というのがありまして、
一つ目が2008年に、これ何度も話している話なんですけど、不動産を始めるきっかけとなりましたのが、
私、純大手のゼネコンに勤めてましたけど、その当時早期退職で500人をリストラするという会社でありまして、
35歳以上ということで、その当時私35歳でしたので、ちょうどそのラインに引っかかる感じで、リストラ面談があったんですね。
私自体は35歳ということで、その当時の支店長に親もまだ35か、お前いいわみたいな形だけの面談みたいな感じであったんですけど、
私の10とか15上の先輩、一緒に仕事をしていた先輩とかは、会社の方としてはあまり評価の高くない職員とかには何度も繰り返し面談をしていました。
辞める方向に促すというか、そういうのをちょっと見てまして、やっぱり会社とか大きい企業でも立ち行かなければ、
自分の身は自分で守るしかないんだなというふうにその当時感じましたね。
その時に安定して食っていくためにはということで、私市役所の建築職員とかそういうものも募集ないかなと思って調べてみたら、
大体役所って30歳ぐらいまでなんですね。29歳とか30歳とかその辺の中等でもその辺がほとんどで、35歳になると年齢制限でそもそも引っかかっちゃうような感じだったんですね。
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どうすればいいのかなというのをいろいろ考えている中で、書店によりましてロバート清崎さんとか加藤博之さんの書籍に出会いまして、
それを見て不動産という世界があるんだなということを感じました。2008年の時ですね。
その当時というのは今みたいにTwitterとか音声配信もそうですし、FacebookとかSNSとかそういうものというのが全然なかったというわけじゃないですけど、
そういうのが盛んではなかったので、私なんかが始めた頃っていうのはブログとかですね、あとはさっきの加藤博之さんみたいな書籍とかね、
そういうのを見て私は不動産を始めましたね。
といってもブログはあんまり追っかけてなくて、大体私の場合は書籍をね、読んでたように思いますね。
加藤博之さんとか赤井誠さんとか藤山雄二さんとか沢隆さんとか浦田健さんとか、いわゆる元祖といわれるサラリーマン大屋さんみたいな方が出されている書籍がありましたので、
それをちょっと読んで勉強してましたね。
で、私の場合にはそういう建築職だったということで、不動産も建築に近いということでね、非常に自分は建築のことわかっているからみたいな、そういう自負がありまして、自信もあってですね。
あまりだから不動産と建築って近いなっていうので、別に誰かに教わることなくても自分は成功できるって信じてましたし、そう思い込んでずっとやってましたよね、その当時ね。
今となってみるととんでもないなと思っちゃうんですけどね。
その当時はそういう感じでやってましたよね。
それがね、一つの転機ですよね。
2008年から不動産の賃貸を兼業で7年間やりましたよね。
で、その中でもう1回ちょっと転機があったんですよね。
こちらの方が、以前ちょっとね、私のスタイフでもお話したんですけど、私が勤めている会社、現場でね、パワハラのひどい上司がいまして、その上司に就くことになったんですよね。
で、それまでに私の先輩とかがね、たくさんその方について、結構ね、精神的に追い込まれてとか、鬱になったりとか、もうちょっと心ここにあらずみたいな感じで、すごい優秀な方たちがそういうふうな状況に追い込まれているのを見て、これは自分もね、危ないなと思いながら、本当危なくなったらこれはちょっともうね、休もうと思って、そういうふうなことがありまして。
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で、実際まあそのね、一緒にパワハラの上司と一緒に現場にいるようになって、まあそういう状況にね、しばらくしてなりまして、私もちょっとね、休んで、本当にひどくなる前にね、ちょっと私はもう休んで、で、会社にお願いして部署をね、変更してもらいましたね、移動させてもらいました。
それで、移動した部署はですね、これまでやってた新築の建設現場じゃなくて、支店の方でね、施工計画だとか、見積もりとか、そういうものをやる業務をね、従事しまして、内勤でしたので土日が時間がね、できるようになりました。
で、あの、それをきっかけにね、私の息子2人ともサッカーをやってたんですけど、やってるんですけど、長男がね、5年生の時に、その少年団の方の手伝いをね、家内からちょっと時間あるなら手伝えよみたいなね、話で、そんな流れからね、少年サッカーにね、携わるようになりました。
で、長男もね、もう今では高校を卒業して、18歳、19歳になりましたけど、かれこれ、そう考えますと、もう8年ぐらいね、そういった形でスポーツ少年団のサッカーにも携わってます。
で、毎週土曜日にはね、その少年サッカーの練習や試合、場合によっては日曜日のね、試合とかっていう形で、今の私からするとですね、週末の方がちょっと忙しいみたいなね、感じなんですけど、考えてみるとね、もう8年もそれやってるんだなと思いながらね、自分の息子はもうすでに高校を卒業して、だと中学3年、次男がね、中学3年ということで、
そのスポーツ少年団には在籍してませんけど、まあ私だけがね、卒団できずに居残りという感じでやってます。
これ不思議なもんでね、自分の子供がもう卒団して、ちょっと熱も冷めるのかなと思ってたんですけど、まあなんですかね、やっぱりお世話になった団とか、指導者の方、コーチの方とかにやっぱり義理もありますし、
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やっぱり携わっているとね、今の現役の小学生の子たち、選手たちって、やっぱりだんだん試合とか練習とか一緒にやっていると、気持ちが非常に入って、中にはね、ちょっと叱咤激励厳しいことも言ったりすることもあったりするんですけど、
試合で勝てば喜ぶし、一緒に喜ぶし、負ければ悔しいしということで、今の小学校の選手たちも自分の息子のような感じで接してますよね。
私もですね、小学校、中学校、大学という形でずっとスポーツはやってまして、小学校の時は柔道とかソフトボールとか水泳とかやってました。
中学高校ではソフトテニスですね。結構真剣にやってましたね。大学ではテニスかな、離れて。ラグビーをちょっとやりたいと思って、同校会でしたけどね、やってましたよね。
社会人になってからはね、そういう感じで建設現場で土曜日も仕事とかっていうのが多かったんで、なかなかスポーツから離れてたんですけど、子どものサッカーをきっかけにまたちょっとそういうのに携われて、これはね、本当に今となってみると非常に良かったなというふうに思ってます。
で、私はね、社会人になってしまって、しばらくはね、スポーツから離れてましたけど、息子をきっかけにサッカーとかでね、そういうことで携われるようになって、ある意味ね、贅沢な時間をね、過ごせているのかなとは思ってます。
で、最近のね、うちの家内との話の中でもっぱらね、長男がね、高校卒業したら、なんかひとつちょっと肩の荷が下りたようなね、私はちょっと感覚に今なってまして、次男もね、今中学3年生で、来年の4月には高校生というのもちょっとありますけど、正直なところね、先どうするかという話で家内とね、ちょっと話してて。
家内の実家がね、以前ちょっとツイッターとかでもあげたんですけど、長野の方の駒金とね、井田の間の小さなね、果樹園がたくさんある町でして、そこの果樹園をね、が実家なんですが、そこの今の実家はね、家内の弟、義理の弟がリンゴ園をね、ついでやってます。
で、その義理の弟はね、若い時から芸人を目指してまして、ずっとね、若い時、名古屋とか東京の方でね、芸人目指して、アルバイトしながらやってましたけど、あるタイミングでね、実家のお父さんの方から、食い口がないと困るだろうということで、農園をね、やりながら、半分はね、芸人という形で。
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今ね、長野の稲地方のね、ケーブルテレビとかの冠番組を持ちながら、ちょっと前にはね、テレビにもちょっと出演したりして、タイタン所属のね、松尾アトム前発出場と、ちょっとややこしい名前ですけど、そういう芸人でやってますので、ご興味がありましたらね、ちょっとツイッターとか、そういうのをググっていただければと思います。
あのですね、うちの家内の方の実家は、両親も含めてですね、非常にちょっと何て言うんですかね、ユニークで、だからそういうユニークなお父さんお母さんで、だからその義理の弟とかもね、すごい面白いですし、家内もね、割と自由な感じなんですけど、
かたや私のですね、実家の方は両親もサラリーマン家庭で、こうでなきゃっていうようなね、生き方のような感じのね、教育だったのかなとは今思いますけど、まあ生き方っていろいろあるんだなというふうにね、やっぱり家内の実家のその義理の弟とか、お父さんお母さんを見ててもやっぱり思いますよね。
なんか自分が、自分の生まれ育った環境が全てじゃないなというのは改めて思いますよね。
それで、話戻りますけど、次男が高校を卒業する3年後、4年後ぐらいにはね、家内と言ってるのは、家内の実家は長野なんですけど、長野の方に子立ての一軒家でも買うか建てるかして、神奈川と日居店生活をやるかと。
家内もね、ちょっと広い庭が欲しくて、植物とかね、そういうのをちょっとやりたいとか、犬も飼ってみたいとか、いろいろなそういうこと、あれがあるみたいで、そういうことをね、最近はちょっと家内と話してますね。
まあそうは言ってもね、長野は冬寒くてっていうのがあるんで、夏の暑い時に長野、冬の寒い時に神奈川みたいな。そんな感じで日居店生活をね、やってみるのもいいのかなと。子供たちが手離れたら、そういう生き方もいいのかなというふうに思ってます。
家内からね、私も不動産やってるとはいえ、北海道だとか北北海道から西はね、愛知、名古屋まで広域にちょっと物件持ってますんで、別に神奈川にいようが長野にいようが関係ないじゃんみたいなことをね、よく言われてますけど、言われてみりゃそうだなというふうにもね、思いますよね。
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まあそんな感じでね、この先何年かはそういうふうに思ってますね。
そうですね、それとあと、私ちょっと結構なかなかこれ経験してる人少ないんじゃないかなというのが、以前放送でも話したんですけど、大学の時の阪神大震災を激震地のど真ん中で被災してるっていう部分とか、
あと東日本大震災のね、あった時に福島第一原発に応援でね、ある期間作業に従事して、国家の一大事ですからね、そういうことで派遣されて復旧工事に携わったこともありますよね。
生きてるとね、いろんなことありますけどね、本当にね、この先どういうことがあるのかちょっとわかりませんけど、それも含めてね、楽しんだり、いろんなことを経験できるのが一度きりの人生なので、いいのかなというふうにも思ったりしてます。
こんな感じでね、私はこれまでこういう感じで生きてて、これからね、ちょっとそういう感じで、自分たちの家内も含めて人生をもう一回計画し直してみて、楽しんでいければいいかなというふうに思ってます。
今日はね、ほとんど不動産とか経営とか、そういうお話はちょっとしておりませんけど、雑談ということで、ここまでね、お聞きいただいた皆様にはお付き合いいただきましてありがとうございます。
放送もね、150回近くなったということで、改めて自己紹介も含めて、私の考えていることをね、お話しさせていただきました。
いつもですね、東方のレイディオンお聞きいただきましてありがとうございます。
今日はね、今回はこちらで失礼したいと思います。
ありがとうございました。
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