1. 現役リフォームプランナーの業界裏話
  2. 好きなことを仕事にしたは良い..
2024-03-30 13:35

好きなことを仕事にしたは良いけれど‥という話③ #26

『私の履歴書』Part 3です。
掃き溜め部署から本社に異動したら、そこは神々の国オリンポスだったというお話しをしています。シリーズ当分続きますので、飽きずにお付き合いください。

入社したばかりの頃のエピソードもぜひ⇩
『北欧インテリア買って、初任給がほとんど吹っ飛んだ #16
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#神々の饗宴をみてしまった奈落の私
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お聞きの皆様、おはこんばんちは、現役リフォームプランナーの寸尺かんなです。今日は、昨日の続きで、本社にいよいよ移動になったところからお話しします。
とにかく百貨店の、もう本当にどうしようもない部署から、なんとか本社に移動するというところまでお話ししたんですけれども、
結局、本社に行ったと言っても、別に閉店したわけでもなんでもなくて、相変わらずこのどうしようもない部署のメンバーとして、本社に席が変わっただけという状態だったんですよね。
ここで、私が最初の頃何をしていたかというのを、何分もかけて話すような値打ちのある仕事は全くしていなくて、どうやって在庫を処分していったかという話は、とにかくそれはみんなで、もうそれは上からの命令なので、処分していったんですよね、なんとかしてね。
でも、めちゃめちゃ上司たちはボロボロに怒られながらやってたんですけど、会社というところは残酷ですよね。
別にこの私の上司たちが好き好んで、そういうリセールの小売事業を始めたわけでもなんでもなくて、会社から言われて、そういう百貨店とかに出店していったという流れがあったんですけれども、うまくいかなくなったら、たちまち彼らが責められるという、本当にこのサラリーマン社会のつらい部分を、
この脇の方でね、私は見てたっていう感じだったんですけれど、それよりもですね、私がもう本当に衝撃を受けたのは、結局憧れて入った会社だったんですけれど、ずっと百貨店の中で働いてたので、
本当には会社の内部でね、自分の上司以外の人とかとは関わったことがまだなかったんですよね、そこまではね。もちろん、新人研修的な意味合いで、原品処分の話っていうのを前にしてるんですけれども、原品処分位置を手伝ったりとかっていうので、
会社がやってるその店頭のお店とかに販売員として立ったりとか、そういう経験はありましたけれど、実際その事務所の方でね、実際オフィスでどういう仕事を他の人たちがしてるかっていうのは、この本社に移ってから初めて見たんですよね。
そこで、いかに自分が本当に、あの底辺の中でもね、最底辺にいるっていうことが本当によくわかったんですよね。
っていうのが、まずですね、本社の中で一番ヒエラルキーが高かったのは、当時、コントラクト事業部って言いまして、やることがですね、大型の公共事業とか教育機関、大学とかですね、あとは商業施設ですね、ホテルとかね、そういったところの設計を担当する部隊だったんですよ。
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で、どういうふうにやるかというと、大手のゼネコンですね、大林組ですとか、清水建設ですとか、そういったところと一緒に、あとね、設計の建築家も一緒になってですね、例えば大学を設計したりとか、あとね、国の公共施設とかもいっぱいあるんですよね、国会議事堂とかね、どこどこ、公共施設とかもいっぱいあるんですよね、大手のゼネコンですね、大林組ですとか、清水建設ですとか、そういったところと一緒に、あとね、設計の建築家も一緒になってですね、例えば大学を設計したりとか、あとね、国の公共施設とかもいっぱいあるんですよね、国会議事堂とかね、どこどこ、公共施
設とかね、国会議事堂とかね、そういったところの工事をやる部隊なんですよ、超花型で、こういったところに大型のね、あの照明器具、シャンデリアですとか、そういったものを収めたり、
いろいろね、あの建築家照明をいろいろプランしたりとかっていうのを、建築家とかゼネコンの設計担当の人たちと一緒に作り上げていくという仕事だったんですよ。
Y社の社内的には営業担当と、あとこういう照明器具とかね、そういうのを実際に作るプランナー、デザイナーっていう方がいいですかね、デザイナー、そして実際にいろんな照明の、
あのなんて言うんでしょうね、あの光のね、このちょっとマニアックな話になるんですけども、あの光のね、ルクスとかね、あのルーメンとかね、あのそういうあの光のね、いろんなあの高度計算とかいろいろあるんですよ。
で、そういったことをちゃんとやるあのテクニカル部門のね、担当者と3人ぐらいでね、一組でいろんな公共事業をやっていくっていうね、超かっこいいあの舞台がいるわけですよ。
でね、その次の2番手のね、ヒエラルキー2番手は、もっとね、チェーン系の商業施設の担当の営業グループですね。
ここは例えばですね、ロイヤルホストとかね、あのそういうね、デニーズとか、そういうチェーンのレストランとか、あとホテルですね、そういったところのあの照明器具とかね、そういうのを収めたりとか、そういうことする舞台もありました。
で、こんな人たちがね、まあもうわーってね華やかに仕事してるんですよ。
もうね、怒鳴り合ってたりね、電話鳴りっぱなしですし、でまあもうどこどこに収める、どうだこうだ、ね、でもどんな電球がいいだとかね、やっててそんなね、閑散としたの百貨店で一人も接客しないでね、一日ポツンと立ってたような仕事とは全く違うんですよね。
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そして何よりね、あのすごいなと思ったのが、とにかく関わっている人たちがもう一流の人ばっかりなわけですよ。
安藤忠夫筆頭にですね、もうみんな有名な建築家、であとね、ゼネコンの人たちっていうのも本当優秀で一流の人ばっかりなんですよね。
で、こういう人たちとね、もうなんかね、がっぷり組んでね、仕事してるのがね、もうその打ち合わせしているその密度がね、全然ちょっと今まで見たことがないような、あの次元の打ち合わせなんですよね。
もう例えば、あの美術館にね、あの収めるこのダウンライトのその計画とかをね、している姿とかが、もうそのダウンライトを一個一個のあの電球のね、色がちょっと微妙に違ってももうダメだっていうね。
で、あとその光のね、この間隔が離れすぎててもダメだし、近すぎてもダメだし、色のね、あの光のあのムラができるのはね、どうだとかね。
で、どこどこのあの例えばイタリアのね、あのどこどこ美術館のああいう感じでとかね。
で、まあこういう絵が来た時に、あのこの光ではやっぱり相性が悪いとかね、印象派の絵のこの油絵の具のこの立体感が最高に綺麗に見えるためにはとかね、もう信じられないぐらい文化レベルの高い話をもうけんけんがくがくでやってるんですよ。
でね、こんなね、くどいですけど、その百貨店でね、1日接客もしないで終わるような日があったりね、あの2、3000円のスタンド1個売るのにも苦労してたみたいなね、そういう次元の仕事じゃないわけですよ。
つまり、Y社っていうのはもちろんこう、北欧のインテリアとかを販売する小売事業もやってるんですけれども、本来はこういう照明の設計とか計画をするね、こっちがまあ本堂の会社であって、ここにね、ずっといる営業とかね、設計の人たちっていうのはすごいなぁと思って、
まあね、自分の立ち位置っていうのがね、もう明確にわかったんですよね。
自分というよりですね、もうその自分がいる部署とかにいるのは非常に申し訳ないんですけれども、まあね、私の上司たちとかね、こういう人たちとはちょっともう全然違うレベルの仕事をしている人が同じ会社の中にいるんだっていうことをね、本当にもう痛感したんですよ。
なので、その憧れの会社にただ入りましたっていうのじゃもう全然意味がなくてですね、何を仕事にしているかっていうのがね、どれだけ大事なのかっていうことをね、やっぱり感じたんですよね。
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でね、一人ですね、男がね、圧倒的に多い会社だったんですけれど、二人ね、女性のデザイナーがいたんですよね。
一人はインテリア担当なんで、彼女はやっぱりこういういろんなね、またね、だからそんな個人のお家にソファー一個収めるとかっていうインテリアではなくてですね、
どこどこニューオータニーのね、ホテルとかね、例えばそういったところのラウンジとかね、バーとかそういったところのインテリア計画やったりとかって、そういう次元のインテリアコーディネートでしたね。
で、もう一人ね、私が本当に憧れてやまなかった先輩の方がいてですね、その人もね、そんな年はね、そんなめちゃくちゃ上じゃなかったんですよね、今思ったら。
6、7歳ね、6から7歳ぐらい年が離れてるぐらいだったんですけども、あのね、あの照明のデザイナーだったんですね、その人はね。
でね、いつも徹夜しててね、何してるんだろうと思ってね、私ね、もう私はつまらない在庫処分のね、あの仕事とかしてるんですけどね、いつもその先輩がね、遅くまでやってるのをね、ちょっとそーっと横から見てたんですよね。
この人は結局本当にすごい公共事業ばっかり手がけてる人で、その時は某場所のね、公会堂の、これはねだからもう発注先は市になるんですよね、市区町村からの依頼案件になるんですよ。
で、大掛かりな明治時代からの建物の補修工事だったんです。
で、昔から公会堂の横にかかっている橋についている街灯、光のライトありますよね。
これが何灯もついてるんですけれども、これのリメイクっていうんですかね、古いデザインを生かしたままなんだけれども、新しくね、ランプに新しいこの、まだねこの時はLEDが出てるか出てないかぐらいだったんですけれど、とにかくリニューアルで作り直す工事を彼女が担当してたんですよね。
で、まあね、この公会堂のシンボルがライオンだったんですよね。
で、このライオンの顔をね、一個一個街灯にね、つけるんですよね、これ紋章みたいに。
で、それをね、夜な夜な徹夜しながら彼女は粘土で、このプロトタイプを作ってたんですよね。
で、これを模型にしてね、工場に肩としてね、これを渡すので、非常に大事な仕事を自らね、そうやって作っていて。
でね、この頃はね、まだCADもね、それほど普及してなかったので、一個一個ね、手書きで木具図面とかも書いておられたんですよね。
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いやー、もうびっくりしましたね。
もう五光が差してるんですよね、彼女の背後からね。
結局この仕事で、この先輩は視聴賞をね、受賞されてました。
このようにですね、同じ会社にいてもですね、天と地ほどの差がある仕事なんですよね。
もうね、沼の中でね、はいつ配っているような仕事をしている私と、この神々のね、共演のようなね、
高豪しいところでね、華やかなね、またこういう公共事業のようなね、仕事に意味のある仕事に関わっている先輩がいらっしゃるっていうね、
もうこれは本当に、自分の立ち位置っていうのももちろんはっきり明確にわかりましたし、
どの会社に入っているかっていうことじゃなくて、何をしているかっていうことが大事なんだっていうことをね、この時本当に痛感したんですよね。
というわけで、今日は私が打ちのめされたところで終わろうと思います。
続きはまた次回させていただきます。
それではごきげんよう。
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