#596 大惨事から見る製造現場の安全史
2026-09-30 14:13

#596 大惨事から見る製造現場の安全史

→1911年 Triangle Shirtwaist Factory 火災

→1921年 BASF Oppau 工場爆発

→1948年 BASF Ludwigshafen 爆発

→1984年Bhopal 事故

→2013年 Rana Plaza 崩壊事故

→1914年 方城炭鉱事故



感想

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サマリー

製造現場の安全史を、大規模事故の事例から振り返る。1911年のニューヨークのTriangle Shirtwaist Factory火災では、火災そのものに加えて、施錠された扉や避難設備の問題が逃げ遅れにつながったと語る。1921年のBASFオッパウ工場爆発では、従来成功していた作業でも材料や温度などの小さな変化が事故を招き、変更管理の重要性が示された。BASFルートヴィヒスハーフェンの事故では、停止中の設備にも残留エネルギーや漏洩物による危険があると指摘する。1984年のインドの事故では、反応による温度・圧力上昇と安全機能の不十分さが大量の有毒物質放出につながった。バングラデシュのRana Plaza崩壊では建物のひびが目視で確認されていたのに、仕事を止める仕組みや声を上げる組織が機能しなかった。日本の例として、1914年の方城炭鉱事故、水俣病、東海村の臨界事故にも触れ、爆発だけでなく煙、有害物質、放射線など多様な危険を扱う。現在の安全規格、装置、リスクアセスメントは、長い年月にわたり事故と犠牲から積み重ねられてきたものだとまとめる。

製造現場の安全史とTriangle Shirtwaist Factory火災
あさのファクトリーオートメーションへようこそ。メインパンセルのクリスです。
はい、よろしくお願いしまーす。
はい、今日また一人です。
まあ、何をしようかな、ちょっと重い話をしようかなと思って。
なぜかというとね、最近ちょっと、あの、事故、調べたんですよ。
製造現場の、えーっと、安全史、というか、大惨事、ちょっと調べ始めて、
で、結構、ありましたよ。
なぜかというと、まあ、安全扉、リード停止、リレー、PLC、センサーとか、
あの、リスト、リスクアセスメントとか、たくさんあるので、せんみのくさいよね。
でも、これは、あの、何て言うかな、そういう事故があるから、色重ねてこうなってるかなと、ちょっと、
しゃべりながら、ちょっと思いまして、
ちょっとこの、まあラジオで、ちょっとこういう事故のことを簡単に紹介しようかなと思います。
まあ、いろいろありますよ。で、今回は5件かな、あとプラス2本の、ちょっと事故のことをちょっと紹介したいと思います。
第2個は、1981年、結構前ですね、あの、Triangle Square Face Factoryの火災です。
アメリカ・ニューヨークの、えーっと、服、有料品ね、作っている工場の中で、大規模な火災が起きたんですよ。
まあ、この工場の中で、まあ、有料なので、まあ布とか、えーっと、糸の靴とか、燃えやすいものを大量買うんですね。
なので、火がついたら、一気に燃えてしまう、えー、燃えてしまって広がっちゃうんですよ。
でも、この事故で怖かったのは、火が出したことじゃなくて、
それは、人が逃げなかった、逃げられなかったところですよ。
まあ、この時点で本校もあったんですよ、そういう、あの、カリビューディングという結構有名な飾って、
あれも結局、えーっとね、逃げなかった、逃げられなかったんですよ。
あと、被災の階段は被災ではなかったとか、避難中に壊れた被災階段もあったりとか、
あと、あの、消防の端っことか問題は、えーと、そうそう、この扉がロックされたとか、
それで、結局何があったかというと、窓から飛び降りてシャイトーンもいったりとかね。
それで、まあ、白人以上の死亡になったというところですね。
で、まあ、これのきっかけ、まあ、じゃないかもしれないですけど、こういう火災のきっかけで、
今、我々の火災に関する厳しい標準が多分、まあ、いろいろな事故から重なってきたんじゃないかなと思いますね。
BASFオッパウ工場爆発と変更管理
で、第2項目は1921年、バスフドイチですね。オーパン工場の爆発ですね。
これ、肥料を作っている工場です。
で、何の肥料を作るかというと、私、ウィッキーで見てるんですけど、
テレビが難しいな、これ名前。
酸、硫酸アンモニウムの、えーと、酸、酢酸、酢酸ね。
えーと、塩系の、えーと、肥料ですね。
名前が長いので、もう読めなかったんですよ。すみません。
あの、植物の、そのための、あの、肥料ですね。
ですが、この中で、えーと、この酸酸のアンモニウム系の成分があって、
これを調べたら、なんかね、これ、場合だったら、色調系とか、温度とか、密度とか、大きさとか、量とか、
あの、摩擦具合によってはね、なんか危険性があるんですよね。
で、この肥料がどうやら保管すると、なんか固まっちゃうんですよね。
ま、ちょっと固大な固まりになってて、これ固まりを崩さないと、まあ、使えないですよね。
で、あの時はどうやって崩すかというと、爆薬を使って、えーと、固まったの肥料を、あの、爆発して砕いていくんですよ。
でもね、当時は、多分この同じ、何度も何度もね、同じ作業を行って、
問題は起こらなかったんですね、この爆発を使って。
でもね、今は違法にしているので、違法をまだやっているんですね。
まあ、賛成式やライセンスを持っている人じゃないと、できないみたいですけれども、
私は地味に聞いているだけですけど。
で、まあ、えーと、まあ、もっと話し物をすると、
まあ、これはいつもの作業で、爆薬を使って、この肥料を、あの、砕いていくというところなんですけどね。
で、1921年の、まあ、9月のところですね。
いつもより皆さんこれを使って爆発している。
でも、その時に、あの、なんていうかね、巨大な爆発がちょっと起こってしまいました。
まあ、数字を読むと、500以上の死亡、2000以上の不死傷になっているんですね。
これ怖いのは、なんていうかね、
特設、特設製薬というか、全然始めた作業じゃなくて、今まで同じの成功したことを、
えーと、作業ですね。
なんかね、生きる人がちょっとレシピとか、少し書いたみたいで、
なので、えーと、材料が変わったとか、温度が変わったとか、
あの、設備の工程が変わったとか、あとは、やらねが変わったことを、
マネジメントのチェンジというコンセプトが入ってきたんですね。
あの時から。
もし、まあ、管理、変更管理という考え方を持つことが大事じゃないかなと思いますね。
今まで何回も成功したのに、
こういうように、えーと、ちょっとだけ工程が変わったりとか、温度が変わったりとか、
でよって、まあ、第三次の事故があったところですね。
このバスフの異構名の、えーと、肥料によっての工場爆発ですね。
で、次は3…
BASFルートヴィヒスハーフェン事故と停止設備の危険
これバスフです。
バスフ、これ以上わからない。
要するに読むのか。
ルンヴィンヴァーゼン。
L-U-D-W-I-G-S-X-J-A-F-E-Nです。
これは、まあ、鉄道の担具車ですね。
まあ、ちょっと工業制限はちょっと離れてるんですけれども、
なんかね、担具車入ってるのは、
これはジメシルエイティル。
難しい。わからない。
まずはね、非常に燃やすいの火炎です。
あの、まあ、圧力をかけて液体になって、
そして、あの、背後を育ててきますけれども、
まあ、担具車が確かね、なんか、
結構、トンスン入っての、えーと、ジメシルエイティルが入ってて、
まあ、当日、まあ、すごい熱い日で、
それで担具車が発熱で、
えーと、そして、この物質がずっと出てきちゃって、
そして、まあ、火災と爆発になったんですね。
まあ、この時は、まあ、200…
まあ、結構、200…
100人以上の死亡と3000人以上の不死傷で考えたんだよね。
で、この時も、実際には、
えーと、なんかね、
私が思ったのは、
こっちが止まってるんですよ。
安全の持って、あの、何て言うかな、
ちょっと漏れた、まあ、まあ、安全じゃないけどな、
これ漏れて、それで動いてないのに、
いきなりそれで爆発しちゃうとこがあるかなと思いますね。
まあ、漏れちゃったんですよね。
えーと、破裂で。
なので、まあ、何て言うかな、
動いてないものでも、
我が社のエネルギーがあって、
ちゃんと注意しないといけない、
管理しないといけないかなと思います。
1984年インドの有毒物質放出事故
まあ、次は、えーと、インド。
1984年。
まあ、今ではたくさんあるんですけども、
ちょうど、まあ、ちょっと、えーと、
まあ、死亡数が大きい。
農場、ピックアップ、いくつかピックアップしてるんですけれども、
この、モンバイの事故ですね。
あ、1984年。
1984年ですね。
農業の工場で、えーと、
イソー、
これまたね、ウィッキースだべるんですけどね、
この、イソシアン酸メシルですね。
という、あの、物を、
保管しています。
まあ、今、農薬を作る途中で、
秘書特性の高いの、
薄の物質で、
まあ、
あの、密度を反応すると、
まあ、出てくるんですよね。
で、この火はタンクの中で、
まあ、秘書反応を始めて、
温度上昇、
圧力上昇、
最終的には、
えーと、大量の、
特性の物質が保守されたんですね。
まあ、
でもね、
あの時ね、
ちょっと知らないんですけど、
すべての掃除なんですよ。
冷却掃除とか、
全部あるんですけど、
十分に上段機能できなかった、
という原因になったみたいで、
あの、まあ、しかもね、これね、
あの、結構、
重宅地というわけではないんですけど、
あの、死んだ人と、
この災害で影響された数千人の規模とかね、
貯金を埋めて、
あの、犠牲者も出たので、
まあ、これを見ると、
やっぱりブランドの掃除、
すごいなと思って、これ管理するのは、
あの、
自分もブランド、まあちょっと、
理事さんがやったんですけれども、
ああいう事故を見ると、
自分が扱っている機体とか液体とか、
そんな危ないものなのかなと、
ちょっと改めて、
ビビりました。
Rana Plaza崩壊と異常を止める仕組み
で、あの、次は、
バングラティッシュ、最後ですね。
海外の、リンナーブレザー、
崩壊事件ですね。
事故ですね。
これは、えっと、まあ、
8階建ての建物の中で、
まあ、いろいろの、えーと、
布、布の工場、
作る工場が入っているんですけれども、
で、この事故の前の日、
建物にちょっと、
ひび入っているのを見たんですよ。
でも、これね、
見たんですけど、言わなかったんですよね。
で、皆さんそのまま
仕事行って、中で、
で、それで、建物が崩壊しちゃったんですよ。
見ると、
1000円以上の死亡と、
2000円以上の負傷になっていて、
見ると、ああ、
自分で言っている事というか、
これが危ないです、
これが良くないです、
これを言える、
止める、の組織とか、
の仕組みが大事かなと思って、
どんな異常を検出するのか、
みんな目視で見えたんですよ。
この建物がひび入っている。
でも、言わなかった。多分、言っても誰も信じていなかった。
大事だと思っていたというところで、
この事故があったんじゃないかなと、
私は思っています。
日本の炭鉱・公害・原子力事故
まあ、いろいろ考えたんですけど、じゃあ、日本はどうでしょう。
日本はね、ちょっと調べたんですよ。
まあ、えっとね、
例えば、1914年、
これは何かな、福岡県、
北条、北条かな、
北条の方、あ、城。
の、えっと、
高炭、石炭かな。
の、えっと、
通るところが、
かつ爆発していて、
まあ、えっと、
500人以上の死亡。
しかも、爆発すると爆風だけじゃなくて、
火災、えっと、あと、
がくらく、煙とか、
撮影不足とか、
逃げ場所がないとか、
あの、まあ、いわゆる何もないの閉鎖空間の中で、
危険圏と、
常に近くいるところで、
この事故が、
遅れましたね。
100年前かな、
そう、100年前かな、のところですね。
で、もう一個は、
えっと、みなさんよく、
えっと、たぶん、今話しているのは、
南田町ですね。
南田、みな、
南田町ですね。
これね、
われも日本に来ている旗をはじめていたんですけれども、
まあ、だって、工場から、
まあ、何か、あの、
水銀ね、水銀で、
海に入って、
魚の中で、ちょっと食べておいて、
食べた人は、
深刻な、あの、深淵障害があって、
えっとね、
何で言うかな、この、
見ると、この病気、
これが、この、災害、
ずっとこの話は言うのがいいのかわからないですけど、
何年かけても、
あの、食べておいて、
すぐに、あの、爆発とか人が死んだくて、
通常一緒に食べて、
そして、障害が出てきたと言うかな、と。
今、たち、今、まだ裁判をしているんですね。
いろいろ。
で、次は、もう一個話すと、
あの、東海村の人害事業ですね。
たぶん、みなさん、これよく知っているんですけれども、
わしもね、これを、
調べて、写真見て、
まあ、本当に被爆、あの、
高い放射性の浴びて、
そのあとで、
なんとなく、まあ、
人の皮をベロンで、ちょっとむいたり、
たったりとか、もうすごい苦しい状態を見て、
見たりとか、
その事故もあったんですよね。
なので、まあ、
海外だけじゃなくて、日本も結構、
まあ、そういう大きな事故もあった。
事故の積み重ねから生まれた安全対策
なので、まとめだったら、たとえば、
逃げられなかった、
アメリカの、あの、服の工場とか、
今まで大丈夫、
でも大丈夫じゃなかったバス風の事故とか、
あと、動いてない物でも、
あの、この中のガスで、
温度のせいで、
爆発したの、バス風の、
事故、
異常が見つかっても、
顕示できなくても、誰も言えなかった、
バンガラティッシュの事故とか、
異常をしたとしても、
これも止められなかった、
日本の、さっき言った、
みな、みなまた、
出まして、まあ、様々な形で、
大きな犠牲も出たんですね。
まあ、それからと言うまでの、
あの、安全の、
いろいろな企画とか、
いろいろなデバイスとか、
考え方とか、
えーと、全部、めどくさそうに
見えるんですけれども、
まあ、みなさんもここは必要なの?と思った
ところなんですけれども、
たぶん、百年、二百年くらいで、
現場で何度も何度も、
たくさんの人が、
死んで、怪我してて、
少しずつ、積み重ねていく、
のものじゃないかな、と、思います。
で、まあ、まあ、ちょっと、
この言い方、良いのかちょっと分からないんですけど、
たくさんの、そういう、あの、事故あるので、
みなさんよかったらね、
このウィッキで調べてみて、
まあ、チャッピーでもいいな、チャッピーに聞いてみて、
えーと、
我々が、えーと、
なんせ、この企画あるのか、
もう一回考えた方が、
いいんじゃないかな、と、
わざ、常に考えています。
見てます。はい。
まあ、ちょっと重い話ですけど、
今日は以上になります。
はい、じゃあ、お疲れ様でーす。
14:13

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