さいかさんの自己紹介
【えりむすの人の数だけ学びがある】
このコーナーでは、人のルーツをたどるのが大好きなえりむすが、気になる人をゲストにお招きして、その人の人生観について深掘るコーナーです。
本日のゲストは、さいかさんです。さいかさん、どうぞ。
さいかです。よろしくお願いします。
よろしくお願いします。パチパチパチパチパチパチ。
ありがとうございます。
ありがとうございます。
さいかさん、名前からして、複業ライフナビゲーターという名前だと思うんですけれども、本当にどんなお話が聞けるのか、今日の日を楽しみにしておりました。
ワクワクしておりますので、今からさいかさんについていろいろ深掘っていきたいなと思っております。
ありがとうございます。私もすごい楽しみにしてました。
ではさいかさん、まず自己紹介をお願いします。
さいかです。普段は7つの仕事を並走、複業、複数の複ですね。複業化として主にデザインとコーチングの仕事をしています。
7つ。すごいですよね。
今はそんな感じです。
1時間じゃ本当に足りないぐらいの聞きたい情報量が山盛りだなって今の時点で感じているんですけれども、時間の許す限りいろいろ聞いていきたいなと思っていまして、
じゃあ今、デザインとコーチングっていうのが2つまで出てきましたけど、このまず7つのお仕事についてちょっと教えていただいてもいいですか。1から7まで。
はい、わかりました。今自分のスタイフのプロフ開いているんですが、そこに書いているので読み上げますね。
配分が多い順に言っていくと、1番がデザイン、デザイナーです。
1番デザイン、はい。
2番目がコーチングです。
コーチング。
3番目がイラストレーターですね。イラストとマンガを書いています。
マンガ、すごい。
4番目が講師業をやっています。デザインの、あとインスタグラムのスクールで講師業をやっています。
デザインの講師もされてるんですね。
5つ目がSNS、インスタグラムの運用の、企業家さんの運用代行のお仕事をしています。
すごい。
あとは、今午後ですね、6つ目が今年の1月に仲間と事業を立てて、それのオンラインサロンの経営をしています。
それは、ジャンルはセクシャルウェルネス系のジャンルです。
セクシャルウェルネスって何ですか?
セクシャルウェルネスは、生とか愛とかのウェルビーング、今すごくぼかして抽象的に言ってるんですけれど、
そういう生とか愛のジャンルで、なかなか話しづらい方々がそこに集まって、結構切り込んだ話とか、悩みの話をするようなサロンですね、とか講座もやってますが、
それの私が、そうですね、主にそこでは広報とか、そういうお仕事をしています。
それはじゃあ、
裏方ですね。
ステージ上のお悩みみたいなところに触れていくようなサロンなんですか?
そうですね、愛と生ですね。
生だけではなく、パートナーシップとかもそうですし、あとは自己愛もそうですね、自分の自己需要とかも含めですね。
なるほど。
これが今6つ目で、7つ目がシェアハウスの管理のお仕事をしています。
めっちゃ大変そう。
全然、これは全然。私今シェアハウスに住んでるんですけど、
はい、ノート拝見しました。
ありがとうございます。前住んでたシェアハウスのウーナンさんのお手伝いをしています。
じゃあシェアハウスからシェアハウスに移動されていらっしゃるんですね。
そうですね。
これ7つ目ですね。こんな感じでしょうか、大体。
あとはぽつぽつ、なんだろうな、できることは何でもやるっていうか、何でも屋さんみたいな感じかな。
はい、そんな感じでやってます。
仕事の種類と流れ
なんかどうやってさばいてらっしゃるんだろうと思って、その1日というか、1ヶ月の流れ、1日の流れ、どっちを聞いたほうがいいのかな。
なんかどんなふうにお仕事されてるか、じゃあとある1日みたいな聞きたいです。
結構私手帳を2冊使っていて、バーチカルタイプで時間で管理する手帳と、あとは1日の日記帳みたいな手帳を使ってるんですけど、
私昔、20代の時は会社員やってたんですけど、会社員の時よりは今のほうが労働時間は減りましたね。
減りました。で、今日とかも、今日土曜日ですけど、土日も働いてることもあるし、
今日なんかはずっと家でカラオケの練習してたりとか。
カラオケ?
はい。歌好きで。なので、理想は週休3日制が理想。で、1日少ない時は5時間、多い時は8時間働いてるみたいな感じですね。
多くても8時間ですか?
あんまり働きたくないです。語弊があるかもしれないですけど。
なんか、ということはすごく、何て言うんですか、こう、裁くのが早いとか。
マルチタスク苦手なんですけど、なんかマルチタスクとマルチジョブはまた別物なのかなって他の人から言われたことがあって、
私、マルチタスクできなさすぎて3回首になりかけてるので、仕事を。
何ですかね、やっぱマイペースに仕事できるっていうのは、自分でその、何て言うんですかね、今のスタイルが合ってるのかなって感じましたね。
結果論なんですけど。
その、デザインっていうのは、どんなお仕事なんですか?
デザインはですね、もともとは、会社ではチラシとか紙面デザイン、分かりやすいところで言うとチラシですかね。
公約書の仕事をしていたので、市役所とかに行ったら置いてあるチラシのようなものをデザインしていたんですよ。
で、今はいろんなデザインに関わっていますね。
名刺とか、アーティストさんのロゴとか、ジャケットとか、キンドルの表紙とか、あらゆるもの。
何でもできそうなことだったら、基本的にやるみたいな感じですかね。
もともと会社員の時代に、そういうデザインのお仕事をされてた?
私、会社員の時は、主婦のパートとして、ハローワーク経由で事務員として入ったんですよ、その会社に。
デザインソフトをそこで独学で勉強しながら、インハウスデザイナーにそこでなったという感じで、デザインの仕事になりました、そこで。
すごいですね。じゃあ、もともとの募集の枠を超えて。
そうですね。
すごいですね。会社員の中でも、そうやって自分で仕事を生み出したり、取っていったりされてたってことですね。
そうです。そういうことになりますね。私でも、スター&FMのプロフィールに書いてるんですけど、
もともと、大学が美術系の大学だったんです。その後、アニメの仕事とかしたり、そこで挫折したり、そこから自信を喪失して、働くことに自信がなくなってしまって、
本当にどうやって自分生きていこうかな、みたいな感じで、正社員にならずに、てんてんとしてたんですね。契約社員とか、バイトとかで。
コーチングとの出会い
そういう中で、そこの会社に出会って、そこの中で結構育ててもらったかなっていう感じで、今もその会社とは、私フリーランスになってからも、
一緒に仕事をしている状態です。
つながってるんですね。
はい。
あきねさん、こんばんは。
こんばんは。
今、さいかさんの聞けば聞くほど、何時間かかるんだぐらい聞きたいことがあるので、どれをどう取捨選択していくか迷っているんですが、
まず今のお仕事っていうのは、どうやって仕事を取ってきていってるんですか?
今のお仕事ですか?
今やってる7つの仕事ですね。
もうこれは、99%知り合いからいただいたものですね。
人からいただいたもので、あきねさん今いらっしゃってる。
あきねさんと私、今日同じ講座で、朝一緒に講座を受けたばっかりなんですが、
ストレングスファインダーっていう診断ツールがありまして、それで私の1位の資質が社交性っていう資質があるんですけど、
多分それを使ってるんじゃないかなって自分でも思います。
社交性。
社交性かなと思います。
すごい社交性に長けてる。コミュニケーションとか。
そうですね。ネクラなんですけどね。
ただイメージとしては、パーティー会場とかでも端っこからみんなが楽しそうなのを眺めてるのが楽しいっていうタイプですね。
でも楽しいんですね。
自分が中心にはなりたくないけど、たとえば万博会場とかもそうだけど、人がいっぱいいるところにも観察してるのがすごい好きです。
人に興味があったりとか、人と関わったりするのが上手なんですよね、きっと。だって社交性が1位ですしね。
そうですね、なんだろうな。
私、2年前かなに、オーストラリアにワーキングホリデー行ったんです、1年間。
その時も本当に仕事とかもなくて、着いてから。そこで仕事を向こうで3つ掛け持ちしてたんですが、
すごい!
それも全部人からいただいたもの。
向こうで知り合った方からってことですか?
そうです。
マジすごいですね。そのスキルがみんな求めてるようなものな気がしますね。
仕事くださいって、仕事探してるんだよねって言ってるだけかな。結構言ってる、いろんな人に。
そういう繋がりで仕事が入ってきて、今の7つの副業として、副業家としてお仕事されてるってことなんですね。
そうですね、もともと副業家って名乗ってなくて、最近なんですよ、書き始めたのは。
ただ、結局サイカーさんって何してる人って言われることが結構多くて、最近。
それで、メインはデザインの仕事かと思っていたけど、でも最近はコーチングがすごい楽しくて、
それもしていきたいから、あんまり自分はデザイナーとして名乗るというよりかは、
いろいろやってる人みたいな感じで、やっていってみようかなっていうことで。
へー、めっちゃ憧れます、そんな生き方。
そうですかね、アイデンティティなくなりそうになりましたよ。
自分って何なんだろうってなります。
いやでも本当に、いろいろかいつまめる、もちろん一個に精通してる人にも憧れるんですけど、
でもサイカーさんみたいに、いろんなものに触れて、それぞれの場所で自分のスキルとかを発揮して成果を出されてるわけじゃないですか、
そういう生き方もすごく豊かで、彩りがあって、なんかいいなーって思います。
あ、彩りって言葉が私大好きで、自分の本名の名前に彩りってサイテージが入ってるんですよ。
それで、親がその彩り華やかな人生を歩んでほしいみたいな由来でつけたんです。
おー、じゃあまさにですね。
だからすごい彩りって今エルミさんが言ってくださったのがすごい嬉しいですね。
いやもうほんとじゃあまさにですよね。もう一回言っちゃったごめんなさいね。
あきねさん、こんな生き方もあるのかと思わされますね。いやほんとですよね。
なんかそうだなー、その、あ、そうですね、コーチングもちょっと触れたいんですけど、コーチングっていうのはどんな仕事なんですか?
コーチングは、私も、いつだったかな?
それこそ2年前か、オーストラリアにいたときに、ちょっと暇だったんですよ。やることがなくなっちゃって。
それで、結構図書館に通い詰めてたときに、コーチングの本見つけて、その本読んで、コーチングちょっと勉強したいなって思ったんですね。
え、それって、オーストラリアの図書館に行って、コーチングの本を読んだってことですか?
そうですよね。心理学系のジャンルのところに行ったのかな?本棚のとこ行って、で、なんでそこ行ったかっていうと、私、仲いい友達がアーティスト活動していて、
で、毎月のようにその友達の悩み相談を受けてたんですよ。
それで、結構悩み相談されることが昔から多かったんですね。高校時代くらいから。
それで、そのときに、結構背中を押してほしいタイプと、アドバイスをしてほしいタイプで分かれるなって思って、
コーチングとの出会い
で、これはどっちだって思いながら、愚痴を聞いてればいいんだろうか、それともアドバイスをしたほうがいいんだろうかってすごい悩みながらも、間違えて友達にアドバイスをしちゃったときに、すっごい怒られたんですよ。
怒られた友達に?
ただ背中を押してほしかっただけだって言われて、それで、話を聞くって、ただその傾聴だけでいい場合と、カウンセリング的な聞き方があるんだなっていうことで、
で、私はそういうんじゃなくて、もっと解決する方向に行きたいって、そういう話を私はしたいなって思うようになったときに、コーチングっていうものをそこで知ったんですよ。初めて存在して。
じゃあ、英語の本が読めるってことですか?
日本語の本もあったんです、そこで図書館に。そうなんです。で、もともとコーチングって言葉自体は、SNSとかで知ってたんですけど、数年前から。ただ、そのときは全然興味がなくて、スルーはしてたんですよね。
怪しい類かなって、むしろ思ってたんですよ。だけど、そのコーチングの本を読んで、これはこれだと思って。このスキルを習得すれば、友達の悩み相談のときも、結構いい感じにいけるんじゃないかって。
それで、オンラインのスクール通って、それで認定コーチって名前はついたけれども、それで仕事するかどうかはちょっとわかんないなっていうとこから、無料でコーチングをいろんな人に提供を始めて、それで今は有料でやっているということです。
なるほど。プロフィールのところにも、初回30分無料の予約みたいなのあるじゃないですか。そこに飛んで、1回30分の無料セッションを受けて、それからコーチングをさゆかさんに受けたいってなったらできるってことですか?
そうですね。お互いの相性とかもありますし、あとは結構コーチって今めちゃくちゃいらっしゃるし、スタイルも結構違うんですよね。流派じゃないですけど。なので、最初は相性をお互い見るっていう意味でも30分お話してくださいっていう間口を開けてます。
なるほど。それで今主にはデザインとお家の仕事をメインに、残りのお仕事もされていらっしゃると。
そうですね。
どうしよう。この人の数だけ学びがあるは、大体皆さんのルーツをたどるのがメインだったりするんですね。
なので、さゆかさんのこれからルーツをたどっていきたいと思うので、幼少期からのことを聞いていくんですけれども、でも答えたくないこととかあれば全然スルーしてもらって大丈夫なので、色々ちょっと聞けていけたらなと思っております。
じゃあ、小学生の頃から聞きたいんですけど、どんな小学生でした?
えっとですね、私今、ゆにむすさんはご存知かもしれない、インナーチャイルドってご存知ですか?
インナーチャイルド、はい。
今、インナーチャイルドに向き合っていて、まさに子供の頃のことすごい思い出してる時期だったんですよ、今。
そうなんですね。
小学生の時は、すごい人見知りで、内弁系。家以外だとあんまり喋れなくて、家だとめっちゃ喋るみたいな。
ずっと小学館の図鑑をずっと読んでたみたいな小学生でしたね。
何の図鑑ですか?
なんだろう、小学館から出ているドラえもんが載ってた、とりあえず世界中のあらゆる何かが漏らされている。
シリーズがあったんですね。
大百科みたいな。
なるほど。
とか、植物図鑑とか魚図鑑とかをひたすら読んで、絵を描いてましたね。ずっと絵を描いてました。
絵が好きだったんですね、昔から。
男の子と喋れなくて、小学4年生ぐらいになってからかな、ダッシュと喋れるようになった気がします。
その時は何で喋れるようになったんですかね?
それはね、もう明確に覚えていて、私すごいゲームが得意だったんですよ。
任天堂64かな、その時。
64のゲーム得意で、それでゲームの話に仲間に入れるようになって、そこからクラスの。
それでゲームしようよとか、そんな感じでゲーム大会一緒に行ったりとか始めたのかな、友達たちと。
それでだんだん男子ともゲームを皮切りに。
そうですね、ゲーマーですね。今もそうです。
今も?なるほど、それからはだんだん人と喋れるようになっていった感じなんですか?
そうですね、マンガとかゲームとか、ポケモンとか、そういうのを通して人と話せるようになったのかなっていう。
どっちかっていうと内向的なタイプだったので、昔は。今は外向的なタイプだとは思うんです。
これからどう外向的に、内向的からなっていったかが聞けるわけですね。
中学校はどうな感じでした?
中学校は、私、九州の田舎に住んでたんですけど、エンタメがなかったんですよね、あんまり。
その時に、私パソコンが大好きで、その時私パソコン、Windowsなんだっけ、98とかXPとかの時代なんですけど、
パソコンでインターネットの人と繋がりたいって思って、また内なる世界なんですけどね。
そこで好きな作品の、アニメ作品のウェブサイトを作り始めたんです、HTMLで。
さやかさんが?
そう。
すごいな。
161年生の時に。
あきめさんも好きな作品なんですけどね。
それで、昼間は中学校行って、部活して、私ソフトボール部活入ってたんですけど、
でも、家に帰ったら創作活動に、夜の12時くらいまで、ずっとインターネットの世界にいるみたいな。
今、さらっと言われましたけど、ソフトボールってことは運動もしてて?
嫌嫌入ったんですよね、ソフトボール部に。
すごいな。
結局、足だけが速くて、その時、私足すごい速かったんですよ。
全然打てないんですけど、足が速いってだけで、人数が少なすぎて、ソフトボール部が。
配部寸前で、部活の見学みたいなの行くじゃないですか、新入生で中学1年生。
あれで、私最初、球道部とか吹奏楽部に入ろうとしてたんですよ。
なんとなく吹奏楽とかイメージあります。
そう。文化部入ろうと思って行ったら、配部寸前の3人しかいないソフトボール部の、しかも3人ヤンキーの女性。
ドラマがありそうだな。
中学校の不良の女の子が集められた部活がソフトボール部だったんですけど、間違えてそこ行ったら、すごい脅されて、入らないと返さないみたいな感じで。
なにその急な学園モノの。
ほんとドラマですよね。
それで、ソフトボールとか興味ないしって思ったけど、当時その時にテニスのおじさまって漫画流行ってたんですよね。
私はジャンプ読んでて、その時に。
テニスのおじさまと別に野球漫画やってて、ジャンプで。
その野球漫画好きだったので、野球の知識はあったんですよね。
だから野球だし行ってみるかみたいな感じで、友達とノリで入ったんですよ、ソフトボール部に。
そしたら先輩たち3人ヤンキーだし、埼玉弁さそり隊みたいな感じのヤンキーで。
怖かったんですけど、先輩卒業したんで、その次の年に。
もう私たちの天下だったんですよね。
なるほど。2年生はいなかったんですか?
2年生いなかった。3年生しかいなかった。
ゆるーく9人で遊びでソフトボール部やるみたいな、そんな感じの。
ゆるーい感じだったので。
じゃあ最後まで。
全員スタメンなんですよ。
確かに。
下手くそだったけど、私はスタメンでした。
それはじゃあ最後引退まで続けて。
そうですね。なんだかんだやってましたね。
なんか部活やってると、通信簿でしたっけ?違うな。内定票?なんとか票みたいなやつの先生からの評価がよくなるじゃないですか。
内進店みたいな。
だからなんか部活は入っておくかみたいな感じ。
そうですね。やってましたね。
でもその一方で帰ったらもう創作活動に打ち込んで。
あきねさんからガンダムかなとありますが、ガンダムなんですか?
ガンダム、あきねさんとそこ共通点があって嬉しいんですよ。
そうなんだ。
ガンダムのサイトを作ってて、だから部活終わったら帰り道あるじゃないですか。
はい。
もう創作のことを考えながら帰って。
早く家に帰って作るぞみたいな感じで帰ってました。
いや、あきねさんがガンダム好きっていうのも知りませんでした。
初耳だった。
中1でサイト、しかもファンサイトみたいなのを作るってことですよね。
そうそう。
すごいな。
当時はそういうコミュニティサイト、Xとかミクシーとか、あとはピクシーとかそういうツールなかったので、
本当にウェブサイト作って、そこに自然とやってきた仲間たちがそこで交流が始まるんですよ。
始まるんですね。すごい。
で、あの時代はまだ文通とかの文化が残ってたので、
ありましたね。
そのファン、仲良くなった人と本当に実名で文通をするっていう、そういう絵を交換したりとか。
だってね、昔、本の裏のところにもう住所と名前とか書いて文通しましょうってありましたもんね。
ありましたね。
しかも、私結構田舎住んでたんですけど、文房具屋さんとか電気屋さん行くと、
なんかその、そういうバンガー好きな人たちの掲示板みたいなのがあって、そこでなんか張り紙して交換したりとかもありました。
へー、おもしろーい。
あったあった。
あきねさんもあったあった。
ねー、やっぱそうですよね。今の時代だと本当に繋がりやすいですけど、
昔はそうやって、あの手この手で、でも今の文明がないときに色々駆使してやってた。
それもまた青春ですよね。
いや、青春でしたね。
へー、じゃあそのソフトボールをしながらを、インターネットの世界でもコミュニティを少しずつ広げていったという。
そうですね、そうですね。
で、高校に上がりますか?
高校に上がりました。
高校はどんな生活をしてたんですか?
高校はですね、もうソフトボール部で運動部絶対やだなって思って、
あ、そうなんですね。
そうなんだ。
楽しかったけど、やっぱりなんだろうな、文化部入りたかったから文化部に高校入ったんですよ。
美術部に入りまして。
高校と進路選択
美術部。
高校は地元のいわゆる新学校っていうんですか、普通科高校。
みんなちゃんとした大学に行く人たちが行くような高校入ったんですよ。
で、私文系だったんですけど、私日本史が大好きですね。
日本史ですか?
日本史好きで、大学行くとしたら、歴史の史学科か考古学を勉強したいなって。
そんなに好きだったんですね、すご。
本当に好きで、今日もずっと日本史の、何て言うんですかね、来週関ヶ原に行くんですけど、石田三成のお祭りに行ってくるんです。
日本史がほんと好きなんですよ。
それで、学芸員とか発掘員する人になりたくて、それでそういう勉強を大学に行きたいから、文系のところで勉強してればいいかって思ってたんですけど、先生に向いてないって言われて。
誰が言うんですか?
担任の先生が。
どういう理由で向いてないって言ってるんですか?
なんですかね、なんで向いてない?性格なのかな?
先生って警察にああいう発言したことって、今も結構覚えてるから、私。
そうですよ、生徒って意外に覚えてますからね、ほんと。
覚えてますね、小学生の時に言われた先生からの言葉も結構覚えてるし、だから、私その時に向いてないんだなって思って。
美術部の先生には逆に、あなたは絵の仕事が向いてるよって言われて、高校で油絵描いてたんですけどずっと。
じゃあ大学美術系行くかって思って、いつやろうな、高校2年生くらいからかな、進路並行して。
そうなんですね。
親には大反対されて、お金かかるし、いって何の仕事すんだ、みたいな。
美大進学の道
だよねって思いながら、すごい狭間で揺れてた時期でしたかね、高校2年生の時。
それは最終的には美大を目指して、っていう進路方向で決めた感じですか?
そうですね、高校3年生くらいかな、結構遅かったのかなに、私は美術大学行きますってことで、東京と大阪の大学一つずつ絞って、田舎だから予備校とかがなかったんですよ。
なので、東京の予備校とかに、高3の夏休みとかに1ヶ月、初めて一人暮らしその時に。
1ヶ月まるまる?
1ヶ月、合宿みたいなの参加して。
それって美大向けの予備校ってことですか?
美大目指す人が通う予備校があるんですよ、大きい。
そこに1ヶ月行ったら、まずレベルが高すぎて、皆さんの。
すごいもうダメだって思いました、その時に。
そうなんですか?
レベルが高いし、みんな情報すごい知ってるし、これ半年後私大丈夫か、受験みたいな気持ちで。
でも美術の先生からの太鼓板もあったぐらいですから、さやかさんのスキルも目指せるっていうか、すごいものだったと思うんですけど。
なんかこう、あれなんですよ、テスターの試験とかあるんですけど、
テスターって鉛筆でリンゴとか書くやつ、時間とかかけて、そういうのを書いたものを並べて、AからDランクまで評価バーで付けられるんですよね。
ただ絵が上手いだけじゃ評価良くならなかったりとか、コツがあるんですよ。
大学によって、こういう絵が受けがいいとかあって。
そういう傾向とか、あとは周りの皆さんのレベルとかを知れたっていう意味では、予備校に行って本当に良かったなと思います。
なんか試験の、なんていうんですか、テスターの課題とかも聞いたことあります。
昨日の夜、十字の手を書いてくださいとか。
ああ、なんか哲学的なのある。
私が覚えてるのが、過去問なんですけど、アボカドを一つ渡されて、
それで原稿用紙、何枚分くらいだろう、論文?作文?書きなさいって試験で困って。
なるほど。
ただのアボカド渡されて、これを見て自由に書けって言われたりするっていう。
なるほど、だからやっぱり技術とかだけじゃなくて、そういう創造性とか、本当にその人のセンスだったりとか、いろんな複合的な要素が重なって選ばれていく感じですね。
そうですね。
私が受けた学科が、私はアニメの専門だったんですけど、映像の専門でアニメーションのゼミを専攻してたんですけど、
学科によって全然試験内容って変わってくるんですよ。
美大って言っても、みなさん絵が描けるわけではなく、絵が描けない人でも受けれる試験とか結構あるんですよね。数学とか、小論文とかそうですけど。
その小論文の試験のテーマは、例えばそういう感じ、アボカドみたいな感じですね。
すごい、初めて知りました、そんな世界を。あきねさんもすごい世界だと言われてますね、本当ですね。
結局、予備校から帰ってきてどうされたんですか?
予備校から帰ってですね、当時、秋ぐらいかな、ちょうど今の時期ぐらいに、栄養入試っていうのがあったんですよ。
やっぱり、一般の試験、回数多い方がいいから、とりあえず全部受けようと思って、栄養入試受けて、それは落ちたんですよね。
落ちて、その試験もすごい変な試験だったんですけど。
それも、やっぱり美大に行くっていうのは変わらなかったんですか?予備校行った後も。
そうですそうです、同じところをずっと目指していて、その後は、私、普通科高校だったので、センター試験、当時のセンター試験が必須だったんですよね。
なので、学校では、大学は違うじゃない、高校では、センター試験の対策しながら、夕方から美術室で絵の勉強する、絵のデッサンをひたすら描くみたいなことをしていて、
試験がだいたい2月とかにありますけど、それでまた行って受験してくるみたいな感じで。
現役で受かんないと、絶対やらんって親から言われてたんで。
そうだったんですね。
あれが結構、私的にはお尻が叩かれたっていうか、絶対田舎出たいって思ってたので。
そういうのも活力になりますよね。
あれはもう活力になりました。絶対、都会に行くんだって思ってたから、それで第一志望のところに受かって。
おーすごい。
大学生活とアルバイト経験
そうなんですよ。本当にその時ですね、電話でコーヒーを確認するみたいなシステムだったので、本当に嬉しかったです。
電話かけて聞くんですか?
電話かけて聞くんです。
ドキドキ。
ドキドキ。それで大学で東京に上京したいってきました。
いやー、すごい秋根さんから、えりむすさんのAが止まらないとありますけど、本当にそうです。
子供の頃から多彩が爆発しとる。
いや、思いました。中学校の時もそうですし、高校の受験生活もそうですけど、やっぱりソフトボールしながらもガンダムのサイトを作ったりとか、
そういうセンター試験に打ち込みながらも、でも美術の絵を描くってこともやめないとか、やっぱその時からこの副業のスキルを爆発させてますよね。
なんかいろいろ、たぶんですね、好奇心がすごいあると思うんですよ。好奇心旺盛だと思ってて、小学生の時に、もう親とか周りの人に、「なんで〇〇は〇〇なの?」って口癖のように聞きまくっていたので、
なるほど。
めちゃくちゃ、そんなの調べなさいとかね、思うんだろうけど、結構、だから図鑑見たりとかで、だからこうなんだ、みたいなとか、結構常になんかはてなが浮いてるような。
へー、素敵ですね。
そう、だからたぶん、今もそうなんですけど、好奇心があると思います、ずっと。
いやでも、好奇心がいろんなところに湧きながらも、自分がこの道に進みたいとか、これがやりたいっていうものに対しては、すごい力を投球できるのはすごいですね。
で、大学に進学して、大学生活はどうでしたか?
大学はですね、もうほんと楽しかったですね。
へー。
もう、高校はほんと普通の勉強しかないじゃないですか。
大学は、もうすべてが新鮮なことだらけで、彫刻とか油絵とか日本画とか、いろんなことやったんですけど、専攻以外のこともいろいろやるんですよ。
ただ、私が一番楽しかった授業が心理学の授業だったんですよ。
へー。
エリムスさんもね、専攻のものだと思うんですけど、心理学の教授がすごく好きで、その方、もう60歳、70近い方だったんですよね、おじいちゃんだったんですけど、その先生がすごい好奇心の塊のような人で。
へー、そのおじいちゃん先生も。
そうなんです。
だから、その先生がやっている授業は全部受けたり、美術の授業より心理学とか民族学の、そういう授業がすごい楽しかったなっていう印象でしたね、大学は。
へー。
でも、ほんと大学でもいろんなことを学ばれておられたんですね。
そうですね、4年間、大学、あとは、アルバイト始めたのがやっぱり大学1年生からだったんですよね。
ほうほう。
だから、働くってことを始めたのがそこで、その時も映画のバイトとか、アニメ会社のバイトとか居酒屋とか、お化け屋敷のお菊人形作るバイトとか。
へー、すごい、そんなのあるんだ。
なんかはい、いろんなバイトやったなっていう記憶です、大学でも。
へー。
でも、学生の間ってほんといろんなアルバイトの経験できるのいいですよね。
ねー、そうですよね。いっぱい、なんかサークルとかもね、もちろん授業とかも大事ですけど、バイトもね、やっぱり社会経験入り口としてはね。
へー、なんか印象に残ってるバイトとかあります?
あー、やっぱり、やっぱりそうですね、私の専攻は映像系だったので、映画を見るの好きなんですよ、映画とかアニメーション見るの好きで、なんかそのゆくゆくはそういう仕事をしたいなーって考え始めたんですよね。
なので映画、好きなスタジオの映画のバイトを始めて、撮影所の。
それで、その撮影所のバイトはすごい夢のような仕事でしたね。
アニメーション会社での仕事
知ってる、ここ何度も見たことあるみたいなスタジオに行って、なんだろうな、クランクインとか役者さんとかがいて、
私はその、なんだろうな、後ろの小道具作ったりとかだったんですけど、なんか文化祭みたいな感じ。
えー、夢みたいなバイトですね。
まあ、でもすごい肉体労働だなーって思いました。体力仕事だなーとかは思いましたね。
いやー、大変ですよねー。えー、その後の進路ってどんなふうに考えていったんですか?
あー、その後は、私もともと幼稚園生の時は、親戚の影響で、
あなたは画家になるんよとか、親戚のおばちゃんから言われて、
えー。
さいかちゃんは、えー上手だから画家さんになるんだよとか言われてて、
で、私は画家になるんだって小さい時思ってたんですけど、
だけど、幼稚園生の文集にはお花屋さんになるって書いてたんですよ。
えー、お花屋さん。
そうそう、お花屋さんね。で、小学校の文集は、
あのー、これちょっとわけわかんないんですけど、植村直美さんっていう登山家に影響されて、
なんか世界、世界を、なんか世界をなんていうか、世界で活躍する冒険家になるって書いてて。
えー、素敵。
そう、そうね。
なんかそう、自分の将来の夢が、
うーん、あんまり、大学とかでも、
うーん、なんかよく、あんまりわかんなかったんですね。
はい。
あんまりわかんなくて、で、まあなんとなく映像の勉強してるから、
まあ映画のテレビ局とか、
あとそのアニメーションスタジオに行くんだろうなーみたいな感じで、
就活を始めたのも大学4年生の6月とかだったんですよ。遅かったんですよ。
えー、4年生の6月。
かなり遅くて、
うーん、なんでかっていうと、
社会人になりたくなさすぎて、
うーん。
大学をもう1年伸ばそうと考え始めてたんですよ、その時に。
うーん、なるほど。
はい、留年ですね。
で、まあでもそれができなくて、
絶対卒業しなさいって親から言われて、
ああ、そうなんですね。
そこそこそこ。
で、しぶしぶ就活始めたって感じでした、その時に。
なるほど。
はい。
で、どんなお仕事に就かれるんですか?
えーとですね、新卒ではですね、アニメーション会社に就職しました。
ああ、でもアニメーション会社に行かれたんですね。
はい、そうです。
アニメーション会社ってどんなお仕事するんですか?
アニメーション会社は、うーん、
まあ、なんどんな、
実製作、実際にアニメを製作する製作会社と、
あとはその判件とか、そのグッズとかを取り扱う、もっと大きい会社が2つに分かれてるんですけど、
私はその現場寄りの方にいて、
で、分かりやすく言うと、
セル画っていう、アニメの1枚1枚のパラパラ漫画みたいな絵を、
なんて言うんですかね、そこに色をつけて、
仕上げをするっていう部署に私はいて、
はい、実際に大学にいた時は、自分で絵も描いてたんですけど、
なんとなくその色彩設計、色彩とかの方が私、興味があったし得意だったから、
その方の部署に行きましたね。
描くじゃなくて、色を塗る、整える方の部署に行きましたね。
色を塗る。
塗ったりとか、あとは動画の検査をするような仕事をしてました。
へー、プロフィールにはですね、
会社員時代、アニメ動物園、おもちゃ屋さん、養成コーナーってあるんですけど、
つらい会社員時代って書かれてまして、
どんな会社員時代だったのかなと思って。
いやー、つらい。
まず、拘束時間が長くて、自分の活動が全然できないみたいな、
自己理解の重要性
私も小学生の時に部活終わったら家に帰って、自分の創作活動をせたって話してたじゃないですか。
あれはずっとやってるんですよ、今も。変わらず。
今もやってるんですよ。
そのガンダムのサイトまだあるってことですか?
さすがにそれはないです。
それはないです。
それはないんですけど、
その時その時の旬な自分の好きな作品とか好きなものってありますけど、
それの応援活動も含め、そういうのって今もずっとやってるんですよね。
へー、すごい。
生き甲斐みたいな、それが。
なるほど。じゃあその生き甲斐の時間がちょっと割けない。
そうですね、労働だけで一日が今日も終わってしまったみたいな。
家に帰るのは寝るためのだけみたいな。
そして朝が来てまた電車1時間乗ってみたいな。
その日々が本当に灰色のような気分で。
あとやっぱり社会に出たら、やな上司って絶対当たるじゃないですか、どっかで。
で、やっぱりその時は今ほど自己理解が進んでなかったので、
言われたことを全部受け止めてたんですよね。
例えば、なんでそんなこともできないんだって言われたりとか、
なんか、そういうことに対して自分がいけないんだとかね。
それで結構、働くのって本当つらいなみたいな時期が続いたんですよ、結構。
なので、なんかそうだな。
でも、結婚したんですよ。結婚したのが27歳ぐらいの時。
結婚して、その時に何だろうな、主婦になりました。
その時に主婦になりまして、パートで働いてました。
それがあれです、最初に話した、最初ジムで入ったけど、ハローワークで、
その後どんどんデザインの仕事させてもらって、インハウスデザインだったって。
そこも会社だったんですけど、結構そこで自信がついたんですよね。
確かに自分でそこで、誰かから何かを言われてっていうよりも、
自分でそこで生み出してやっていったっていう。
そうなんです。すごいその時に、今でも覚えてるんですけど、日記帳に3つの円を書いて、
自分がやりたいことと、求められてることと、できることみたいなので、
その真ん中に当たるところの仕事をしてたんですよ、その時会社で。
ちょうど。
他の人はできないけど、私にとっては全然来なくできるような仕事だったんですね。
まさに転職ですね。
転職、そう。それが気づいてから、会社の人もすごいいい人が多くて、
さゆかさんじゃないとこれはできない仕事だからやってほしいとか、
そういうふうに褒められるようになって、その時に気づいてから。
じゃあこれただのお金稼ぐための労働じゃなくて、結構私これやりたい仕事だなって認識するようになってから、
すごい。
インハウスデザイナーとしての成長
それもでもほんと30手前とかで、それが大きかったですね、私にとって。
すいません、インサハウスデザイナーっていうのはどういうものなんですか?
インハウスデザイナーっていうのは、
インハウスか。
インハウス、その会社の中のデザイン物を全部その人が担当するっていう。
なるほど。
デザイナーさんって結構会中とかでデザインの専門会社とか頼むこともあると思うんですけど、
うちの会社はデザイン会社じゃなくて、普通の一般企業で、その中にデザイナーがいなかったんですよね。
なるほど、じゃあそれでさやかさんがもう担って、会中することなくってことですね。
そうですそうです。その方が会社も通過だし、私と。
確かに確かに。
コミュニケーションコストがそこで削減できるし、
あとは私も仕事しやすくって、クライアントさんと直接じゃなくって、会社の人経由してくれるから、
私はもう作るだけでいいっていう状態で。
それがすごく楽でしたね。
本当に必要だったポジションを作り上げた感じですよね。
そうなんですよ、私最低賃金で入ったんですけど、東京の周りの人とかに相談したり、
もともと主婦パートっていう括りで入って、パートさんって呼ばれてたんですよ、社員さんからね。
私も働いてて、生意気にもパートと正社員って何が違うんだろうって思っちゃったんですね。
失礼だけど、正社員の人でもすごい仕事サボってる人とか、なんかずるいなって思ったりとかして。
それで、バイトとかパートさんでもすごい優秀な人いっぱいいるじゃんって。
そこで変に名前で区分けするのおかしくないって思って、仲いい正社員の先輩に、
パートさんとかバイトさんって呼ぶ名前、別の名前にしませんかって給頭室で話して。
ディズニーランドとかでも、キャストさんでしたっけって呼び方あるじゃないですか。
それで、会社の正社員じゃない方はアシスタントさんって名前にしましょうって。
私もそれでアシスタントさんっていう、アシスタントさんかっこデザイナーっていう感じで。
呼び名が変わったんですね。
呼び名が変わって、それだけなんですけど、モチベーションがすごい上がって。
そういうインハウスデザイナーとして、その会社の中のデザイン業務を担っていくっていうのは、どういう流れでそうなっていったんですか。
あとですね、やっぱり私が大学、こういう美術大学出てる人が入ってきたって。
それで、それを聞いた社員の一人の方が私に、ちょっとこのソフトで図面作れるみたいな感じで、声かけられたんですね。
で、私そのソフトそんなに使えなかったんですよ。
だけど、できますって言っちゃったんですよ、その時に。やりたいから。
で、めちゃくちゃ勉強しながら、与えられたその図面作ったんですよ、そのソフトで。
そしたら、できるねみたいな風にその噂が広まって、他の方からも次これやってみたいな仕事もらえるようになって。
無茶したなと思うんですけど、あの時は。
でも、それでやって実績作ったからこそですよね。
なんかね、このソフト使えるって言われたときに、ちょっと使えたんですよ。
実はちょっと使えたんですけど、使えるのレベルが分かんなかったんですよ。
どのぐらい習得してるかっていうと曖昧じゃないですか。
確かに。
だから、自信がなかったんですよね。だけど、できますってその時、勢いでその時は言えて。
それで、できたって。できた、自分できたみたいな。しかも褒められたって喜んでる皆さんもって。
海外での新たな経験
それがすごい嬉しくなりましたね。
すごい勇気のある行動だったと思いますけど。
勇気のある行動でしたね。
でも、嬉しいですよね。でも実際そうやって成果になっていくと。
そうだったんですね。
あきねさんから、うちの姉もう20年以上前ですがアニメーターしてましたよ。
大手の下請けの小さい会社で、でも固定給じゃなくてセル1枚いくらみたいなスタイルだったから、全然食えなくて辞めてしまいました。
同じ同じ、同じです。私の時も。
そうなんですね。固定給じゃなかったんですか?
私の会社は固定給でした。大手のまさに下請けの小さい会社だと1枚100円とか、劇場版だともっと高かったり、そういう感じで。
私の友人は1ヶ月初任給が4万円だったんですよ。アニメーターさんで。
えー!
そう、15年前くらいの話です。
4万円。
4万円とか、絵が描くの遅かったらそのぐらいになったりするんですけど、私も稼ぎたいかったからちゃんと会社で、なので固定給でもらえる会社を選びました、それで。
えー、じゃあそこで選んで、そういう固定給でアニメーションのお仕事されてたんですね。
そうですね。本当に実家暮らしの人じゃないと働けない。
そうですよね。
そんな4万円とか、セル1倍いくらとかでやってたら、なかなか生活難しいですよね。
そうですね。離職率が9割って言われていて、その時。
食べれないですもんね、必然的に。
そうですね。
やめざるを得ない感じですよね。
いやー、すごいな、すごい世界ですね。
で、その会社のところから、やめてっていう感じですか?どういう流れでやめて?
その時は、アニメは好きだったので、自分が実際にテレビで放送されてるアニメに関わることとか、あとは制作するっていうのはすごい楽しかったんですよ。
ですが、腰を壊してしまって過労で、結構周りもどんどん過労でバタバタと止まってしまって、私の同期の仲いい子が先に辞めちゃったりとかで、どんどん辞めていくんですよね。
で、私は心は元気だったんですけど、ヘルニアになりかけてしまって、ずっと座って仕事してるんですよね。
で、労働時間も月に4日ぐらいしか休んでなかったんですよ。
本当にずっと仕事してて、仕事しないと回らないみたいな、締め切りが。
で、それで産業医の先生がいて、会社に。産業医のおじいちゃんの先生にずっと相談してて。
そしたら、あるとき先生がね、「もう辞めていいんじゃない?」みたいな感じで、産業医として会社に行ってほしいって止めなくていいのかなと思ったけど。
それで整形外科に行って、治療とかもしたんですけど、やめたほうが早いって。会社を変えたほうが早いよってなったので、それで辞めさせてもらったっていう感じですね。
それはアニメーション会社のときの話ですか?
それはアニメーション会社のときです。
なるほど。腰がね。
だから健康、そうですね。そのときに、もう体が資本だなって。体と心が元気が一番の優先事項だなって学びましたね。
そうですね。健康第一ですね。
そのインハウスデザイナーの会社に勤められた後は、どういう生活をたどられてるんですか?
そうですね。ハローワークで入って、デザイナーの仕事を始めて、そうだな、確か5年ぐらい働いてからの頃ですかね。
なんだろうな、なんて言えばいいんだろうな。自分の命って、いつ終わるかもわかんないなって出来事があったんですよ。
あまり重く捉えていただきたくないんですけど、結構若くして死ぬこともあるよなってことがあって、出来事が。
それで、死ぬまでにやりたいことみたいなのを考え始めて、29歳ぐらいの時に。
その時に、私、英語とか全然喋れなかったんですけど、海外に来たいなって、海外に住みたいなって思ったんですよ。
それで、海外に住む方法っていうのを調べて、ワーキングホリデーっていうのを、ビザが31歳まで使えるっていうのを見かけて、
あと1年じゃん、みたいな。それで急いで、なんだろうな、自分で行く国決めたりとか始めて。
英語の勉強とか、結局しなかったんだけど、英語の勉強とかもしなきゃみたいな。それでワーホリ行ったって感じです、1年間。
ひろさん学びがあるということで、こんばんは、ありがとうございます。
こんばんは。
さっき、27歳ぐらいでご結婚されたって言われてましたよね。
そうです、そうです。
ワーホリ行ってくるわ、みたいな?
そうですね、一人で。
離婚もしました、それで。
そうなんですか?
はい、しました。
ワーホリ行くならつってですか?
いろいろ。
いろいろあった。
そうですね、いろいろあったんですけれども。
なんだろうな、でも人生の転換期だったと思います、その時が。
ちょうど、実はコロナの時期だったんですよ、それって。
そうなんですね。
コロナの時期で、方向性の違いですね、その理由は。私はこういうふうに人生生きていきたいっていう。でも向こうはそうじゃなかった。
私結構いろんなとこに住みたいんですよね、天然として。だけど向こうはその一箇所のとこで落ち着いて暮らしたいって。
で、そうそうそう、とかですかね。
なるほど。流れるように。
一応、別に全然言って。でも人生のね、イベントですね、それは。
複業ライフの背景
あきねさん、流れるように離婚が入ってきた。思い切りましたなって、広瀬さん。
でもそれでオーストラリアに行かれて、さっきの3つ、オーストラリアで仕事をしてっていうことに繋がっていくわけですね。
そうです。
なるほど。あきねさんも流れるように、そんなダメです。何言ってるんですか、広瀬さんも。
もう1時間過ぎてしまった。
大丈夫ですか、私大丈夫ですので。
ありがとうございます。
夜の創作活動っていうのは、復活したんですか。
夜の創作活動って怪しい。なんだろうな。
ちょっと続けてたけど、仕事が忙しすぎて、夜の創作活動ができなくなったってお話されてたじゃないですか。
そうです。
それはもう今復活されて、自分の好きなことの創作活動は取り組んでらっしゃる。
なんかその、なんだろうな。仕事とは別の、自分のライフワークって違うな。
なんて言うんですかね。みなさん多分推し活とか、推し活じゃないけど、好きなことって趣味ってあるじゃないですか。
なんかそれは常に何かしらある。ただそれが別に漫画とかだけじゃなくて、漫画の活動とかじゃなくても、
例えば私今だったら、ユニバーサルスタジオジャパン、USJの年パス持ってるんですけど、今週2で1人で行ってるんですよ。
週2!?すごい!
今、私ハロウィンが大好きで、ハロウィンシーズン。
そっか、ハロウィンのやつやってますね。
なんで、今はそれが私のあれですね。夜の創作活動じゃなくて、楽しい活動ですね。
結構いろいろ変わります。自分の趣味じゃないけど、楽しいことは変わりますね。
でも、それにまた打ち込めるようになっていったっていうことですね。すごい拘束時間が長かった、会社員時代を経て。
会社員時代より今の方が、労働時間は減ってるんですよ。減ってるけど収入は上がってるんですよ、今の方が。
さっさと会社辞めればよかったんじゃない?って思うくらいには、今の働き方が本当に楽ですね。楽です。
仕事と趣味の両立
すごいですね。だから、そうやって好きなことがまた十分にできる時間を取りつつも、仕事自体も今は楽しんでされてらっしゃる印象もありますし。
そうですね。7つ仕事今してるよって、第一印象、器用そうな人とか、マルチタスクできるんだねって思う人もいるかもしれないんですけど、全然そういうことではなくて、私の中ではリスク分散っていう意味でやってます。
どれかがダメになったり、どれかが嫌になったら、すぐ辞めれるんですよ、それ。で、やりたい7つの中で一番楽しい仕事、注力できるし、今たまたまこの数だけど、来年は3つかもしれないし、っていう感じかもですね。
まあでもなんか、最佳さんだからできるっていう感じもしますけどね。
いや私は職人タイプの人すごい憧れますよ。一つのことを突き詰めてる人ってすっごい憧れます。それこそ会社員、定年退職まで勤め上げて、働いてる方とかも本当に尊敬します。そこで着実にキャリアを重ねてる方、すっごいなって思うんですが、
私にはそれはできないし、やりたくない、いやできないなって思います、それは。飽きちゃうんですよ。飽きちゃいます。
でも最佳さんのような働き方に憧れてもできない人の方が大半と思いますけどね。
どうなんだろう。そこで最近考えてたのが、副業コンサル、コーチングとは違ってコンサルアドバイスもするし、したいなって思っていて。
ニーズありそうですね。
ただ最佳さんだからできるんですよで終わってしまうと再現性ないけれども、その人の特性とか強みとか、好きと得意とかって違うから、そういうのを一緒に分析してあげれば、見つかるんじゃないかなって思っていて。
それちょっと今やりたいなと思っていることですね。
それは最佳さんと一緒にそういうのを探してもらえるんだったら、すごい強い気がしますね。
私20代の時の、結構未来絶望してたんですよね。老後の心配しすぎてて、老後貯金とか始めてたんですよ、20代の時に。
で、おばあちゃんになった時に、のたれじりたくないなって、なぜかその時に心配してて、それで、日本の未来とかも泥舟だとか思ったりとか、そういうひたすら絶望してたので、仕事も会社員でうまく働けないしとか。
そういう人に、こういうやり方もあるんだよみたいな、目から鱗なお手伝いができたらいいなっていうのは、今私やりたいことですね。
未来への展望
いやー、めっちゃ需要あると思います。
いやー、なんか最佳さんに本当救われる人がたくさんいらっしゃるんだろうなって思いました。話聞きながらですね。
ありがとうございます。
さいかさんって、どこ切り取っても興味深いと、あきねさんね。本当ですよ。ひろさん、それ最高ですね。
たぶん働き方のことですよね。
そうですね。
いやー、ありがとうございました。さいかさんのいろいろ聞けましたけど、いろいろ足りない。
今日って、何の話を私すればいいんだろうって、来るまで考えてたんですけど、まさかこんな自分の人生をこうやって話すとは思ってなくって。
あ、そうですか。
なんかうまくしゃべれたかなって、今思ってるんですが。
いやいや、めちゃくちゃ面白かったです。
私、エリムスさんに今日言いたかったことがあって、インスタの方にも画像を送ったんですけど、
エリムスさんってロットネストアイランドに行かれてますよね。
はい、行ってますね。
私も一人でクオッカに会いに行ったんですよ。
そうなんですね。
エリムスさん、海外にも行かれてますし、今大学院で勉強されてますっていうね。
はい。
なんかすごく、なんだろうな、めちゃめちゃエリムスさんのこと気になっててそれで。
で、確かエリムスさんフォローしたきっかけが、アキネさんの配信のコメント欄ですかね。
コメント欄に、なんかアイコンかわいい方いらっしゃるなって思って、
で、押してプロフィール見て、なんか面白そうっていう配信聞いて、
それでよくコラボいっぱいされてましたよね、この間。
そこでコメント欄に勇気出してコメント。
私、見打ちじゃないからコメントするの緊張したんですけど、コメントをそこでして、今の流れになってると思うんですけど、
すごい夢みたいで、エリムスさんとも喋れる機会が年内にできたっていうのはすごく嬉しい。
いやいやいや、とんでもないです。いつでも召喚してください。
サンタさんって何ですかね。アキネさん。
アキネサンタがもってきてくれました。
あー、そういうことか。
ありがとうございます。というか、アイコンが入って、
名前が入ってくました。
すごく賅人だったんですよ。
やっぱり名前が入ってくるといいなと思うんで。
そういうことか、そういうことか。
ありがとうございます、ていうか、すいません、今DMを見ました、すいません、告知の、すいません、全然見てなくてごめんなさい。
すごい、さいかさんとふくおっかの写真も送ってきてくださいました、かわいい。
Kindleも見ていただいてありがとうございます。
ひろさん、えりむすしん、何の話かな。
あきれさん、あのメンバーで言うと、センキューさんも着想適応性仲間ですしね。
そうなんですね、お仲間なんですね、そのストレングスファインダーの。
センキューさんはね、配信、よくライブされてらっしゃいますよね、センキューさん。
で、ライブコメント、私、結構私もレトロゲームが好きで、ゲームの話とかでコメントしてたら、なんかコラボしたいですね、みたいな話をされていて、センキューさんと。
多分サブカルの話だと思うんですけど、でもその場では、なんかね、あきれさんを返して何かしようかなって言って終わってた気がする。
えー、じゃあ。
何故かあきれさんに。あきれさんその時いなかったと思うんですけど。
じゃあ、いずれ、サイカー、センキュー、あきれのレトロゲームコラボがあるわけですね。
いやでもね、その時あきれさんいらっしゃらなかったから、わかんないです。そこでもう話、もしかしたら終わっちゃったかもしれないですけど。
いやいや、ぜひ実現させてください。
知らない、あきれさん知らない。
いやー、ありがとうございました。
なんかセンキューさんも多分、私と似たような働き方されてるんじゃないかなっていうところは感じてます。
副業っていうか、たくさん複数の仕事されてると思うので。
えー、そうなんですね。
えー、ヒロさん、スーパーマリオブラザーズ2の話をしてほしいです。
えらいピンポイントやな。
私シューティングゲームの話だったらいっぱいできるんですけどね。
なんか話はそう、センキューさんにしてました。
そうなんですね。
ヒロさん、スーパーマリオブラザーズ2の話ができるんですか?
ぜひコメントで教えてください。
いやーすごい、でもさゆかさん本当に多趣味ですし、いろんなスキルを持ちたから、
本当にこういろんな方とコラボしたりとかしてもすごく楽しそうな感じします。
だからまさかその初コラボと聞いてびっくりしました。
はい、初めてコラボですごく嬉しいです今。
こんな感じなんだなって。
こんな感じです。
わかんない、他の人がどうかわかんないですけど、トップバッター貼れてめっちゃ嬉しいです。
ドヤって、もうドヤ顔ですよ。
ヒロさん、家できません。
あら、残念。
スーパーマリオRPGについて語るコラボを誰かやってくれそうな人がいたら、
エリムスまで連絡くださいと教えてください。
RPGなんですね。
はい、スーパーマリオRPGマジで大好きなんで。
もう多分20回はやってますね、全クリマで。
すごい。
ヒロさん、エリムスさんが初めての相手って。
はい、そうですよ。
ヒロさんが何かのね、何かの方向に持っていこうとしてるのは、
もうまるっとお見通しですよ。
はい、というわけで、時間もいい時間になってまいりましたので、
これで終わりたいと思いますが、
ぜひ皆さん、こんな、すごく働き方自体も面白いですけれども、
すごい豊かに人生を生きていらっしゃる、
サイカさんのスタンドFMもぜひ聴いてみていただければと思います。
ありがとうございます。
スタンドFMは、働き方とか、副業に絞ってだけ今は話しているんですけど、
けっこうノート、ノートってブログですね。
ブログとか、あとは、Xかな、とかは、
けっこうサブカルの話とか、割とそういう話をよくしてるので、
何だろうね、なんかこう、スタンドFMはすごくSNSっぽいなって感じていて、
特にこういうライブとかも、
なんかもっといろんな人と交流したいなって思っているので、
ぜひこのエリムスさんとのライブを皮切りに、
いろんな人と話したいなって思ってますので、ぜひ。
ぜひコラボも、サイカさんとコラボしたいという人は、
ぜひ立候補審議、サイカさんのところに行っていただきたいのと、
すごいですね、なんかこう、スタイフだけではなくて、
ノートだったり別の媒体でもっと違う一面の、
もう一体何名あるんだっていう、すごい多面体のサイカさんですけれども、
深みがありますね。
あ、ニッシーさんこんばんは。ありがとうございます。もう終わります。
こんばんは。遅くまでありがとうございます。本当に。
というわけで本日のゲスト、サイカさんでした。ありがとうございました。
ありがとうございました。