1. ねぇ、一歩踏みだしてみない? #NE1PO
  2. #23 現在の自分が過去の自分を..
2023-11-05 35:05

#23 現在の自分が過去の自分を癒す

Podcast番組「ねぇ、一歩踏みだしてみない?」へようこそ!

今回はたっちゃんとPの二人語り。とあるきっかけから、幼少期をどんな風に過ごしてきたかを振り返ってみました。幼少期に感じたモノだとか葛藤だとかって、大人になっても大きく影響しているもの。そんな事を少し真面目に話してみました。


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#ゲイ #ゲイpodcast #セクシャリティ #ポジティブ

サマリー

彼は学生時代の思い出や経験を振り返りながら、中学時代は生徒会に参加しつつも謎のヤンキーグループとも仲良くしていたこと、そして多少の悩みやモヤモヤもあったことを語っています。 彼は小学生時代の転校や神戸への引っ越しを経て、中学校での居心地の悪さや高校での帰宅部活動など、自身の経験を振り返るエピソードを話します。 彼は大学やブログを通じて感情を出すことを許可できなかった過去の自分を癒すために、ゲイの視野を広げたり自分らしさを出すことができるようになったと述べています。

中学時代の学生生活
皆さんご機嫌よくお過ごしでしょうか? ねぇ、一歩踏み出してみない?
パーソナリティーのたっちゃんです。 ピーです。
この番組は、オスでもないエスでもない、そんな中途半端な私たちが日常のあれこれについて
カンパセーションしていく中で、また一歩踏み出すきっかけを見つけていく番組です。
よろしければ番組のフォローをお願いいたします。 はい、本日もよろしくお願い致しまーす。
皆様お気づきでしょうか? いつもと入れ替わっております。
おかしなことが起きています。 ちょっとね、今回はかっぴーが多忙極めておりまして
本当に忙しいのかしらね? まあ忙しそう。
どうしてもね、収録日を合わせることができなくて ピーと二人でお送り致します。
お手柔らかにお願いします。 最近ね、あのちょくちょく
なんか周りの人からさ、二人でやってんじゃないんだね、みたいな聞かれるけどさ、そうだね。
当初エグゼクティブプロデューサーとして ちょこっとチャチャを出す程度の予定だったピーが
だんだんと露出が増えてしまいましてね、そうなんです。 前回は。
ゆかいをやるっていう、前々回か。 そう考えるとなかなかの傍聴をね、しておりましたよね。
そんな感じでね、少し前から最初にピーも名乗るようにしておりまして、 本当はこの番組は3人でやっている番組となっております。
ただ、今回はピーと二人、さっちゃんの二人です。はい、どうぞよろしくお願いします。 お願いします。頑張りましょう。
そんな今回ですが、今日は。 なんか私先日
電車でたまたま横に座ってた 50代のと思われる男性がスマホで
2000年くらいの相乗りを鑑賞されてたんですよ。 めっちゃ懐かしい奴だね。
ヒデって覚えてますか? ヒデね、金髪の。 金髪だった? なんか単髪でさ。でもコロコロ変わってた? コロコロ変わってたわ。
サッカーの中田秀俊に似てるからって言って、ヒデって付いたって記憶してるんですけど。 多分一番相乗りで盛り上がってた時。そうだよね。
うん、だと思う。あの人の記憶しかないもん。 あ、なんかあと、いがらし君?
いたかな?なんか好きだった気がする。 イケメン? まあいいや、それは。 見てたよね? 見てた。
でもそれを見た瞬間は、なんか50代のおじさんが なんで恋愛バラエティ見てんねんって思ったんですけど、
結局考えてみたら、その人も当時は30代もしくは20代後半だったわけで、 うちらに置き換えたら、相乗りもそうですけど、恋するはみかみとか、ハニーカミとか、
初期のテラスハウスとかを懐かしんで見てると一緒ですよね。 そう考えたら、父さんの偏見ごめんなさいって思ったんですけど。
そこからね、なんか、相乗りを見ていた当時のうちらが中学生だよね。 そうだね、当時はね。 だったんだけど、
まあその頃のことをね、急にふと思い出してしまったりして、 なるほど。
なんか他にも、読書とかしてたりとか、
あと私の好きなポッドキャスト番組で、 ジェンスーさんの隣の雑談っていう番組があるんですけど、
そことか、あと今ハマってるドラマ、一番好きな花。 見てます。 ありがとうございます。
どういたしまして。 でもね、なんか幼少期とか、
思春期に感じていたこととか、トラウマだとか、 その育った環境とかが、なんか大人になっても影響していて、
なんか悩みとか抱えていたとしたら、 それを丁寧にね、
ただ直ししないと、 根本の部分の解決にならないんだなって思うことを言ってくるんですよ。
いろんな、私に、いろんな方面から。 なるほどね。
そんなことを思ったりして、 今回はちょっと、
お互いどんな学生生活を送っていたのかを、 そんな長くならない程度に、
振り返っていきたいと思うんですけど、 いかがでしょう。
結構あれ、その学生時代にさ、
の、やっぱり、なんかいろいろなことが、 今の自分を作ってるなって感じる部分はあるってこと?
あります。 うん。
俺もある。 あ、そう。
そんなあなたは、どんな学生生活を送ってたのかしら。 そうですね。
小学生は結構ね、もう大人しい。 友達もそんな多くない。
暗っ。 え?そうかなぁ。
人のこと言えないけどね。
小学校はね、毎日放課後にドッチボールやるんだけど、 嫌いだった。
ドッチボールね、ただ俺逃げんのは上手すぎて、 わかる。
最後の一球で。 そうなの。
残るんだけど、取れません。 タッチもしないんだけど。
でも外野からは、取れ取れって言われるの。 あれ大嫌いだった。
本当にね、ドッチボールはマジで嫌いだった。 わかる。
っていうのが、小学校の思い出で。 ざっくりすぎ?
いや、いいです。いいです。 それぐらいしか覚えてない。
中学生になると、
多分ね、中学生、周りから見た中学生の俺は、
優等生っぽいのになぜか、 ヤンキーグループとつるんでる謎の人っていう。
優等生っぽいっていうのは事実なんですか? そこもね、ちょっとね。
ちょっとその頃に出会ってないのが不明ですけど。 そこもね、審議のほどはっていうのがあるんだけど。
まあ、というのも、とりあえずなんか、小学生の時は、
ちょっと暗いというか、おとなしい感じだったから、 親からの勧めもあって、
運動部入ればあって。 ああそうなんだ。
結構親から言われたんだよね。 で、強いて言えばって言って、テニス部を選んだんだよね。
はい。 何式テニスかな?
球技できたんですか? 当時分かんないかも。
ドッジボールもできないんだから、たぶんね。 球ちっちゃくなったもんね。
でもさ、みんな中学からスタートだから、できるかな? できるかな?っていうか、ついていけるかな?とか思ったんだけど、
ヤンキーグループとの交流
でもテニス部もね、1年で辞めちゃったんだよね。 中学でね。
小学1年生で部活を辞めるという、あんまない。 だいたい中学生ってさ、同じ部活を3年続けるのが、
まあパーセンテージ的にはね。 かも始めっからは別に、なんかね。
帰宅部でね。 そうそうそう。とかでもよかったし、
吹奏楽とかでも本当はよかったんだけどさ。 ああそうじゃん。
あなたピアノ絶対音かもってんじゃん、あんた。 だからそこはやっぱり親もなんか、
1回ぐらい運動しないとって思ってたんじゃない? 心配だったと思う。
それに従ってテニス部を始めたんだけど。 で、本当もう無理すぎて1年で辞めちゃって。
かといってね、途中から吹奏楽入るの厳しいよね。 そうそう、そういう感じじゃないじゃん中学って。
しかも吹奏楽ってね。 ああそうだね。
あ、そうか。途中入部もあれか。そうか。 そうだね。
もう他の運動部っていうのもやだったし。 あ、で、そうだ。多分ね、そう。
で、部活を辞める言い訳にもしたんだけど、2年3年は生徒会に入ったの。
ああ、入りがちだよね。 なんか分かんないけど。
結構ゲイの人で多くない?生徒会。 やってた人多いよね。なんだろうあれ。
目立ちたがり屋なのかな。 そういうのもあんのかな。
私もトップじゃないけど服やってた。 ああそう。俺も多分サブ、なんか服なんとかとか。
あと保健院が好きでした。 そうね。保健院って何やるっけ?
保健院は分かんないです。 なんか保健室に担当があって、曜日であって、なんかいればいいんですよ。
あ、あ、あー。 なるほどね。在室してるって言うね。
そうそうそう。なるほど。 保健院が好きでした。
なるほど。それで俺はその生徒会に部活を辞める言い訳にもしつつ、
でまぁ2年3年生徒会だったっていうのと、そんな普通に勉強はそれなりに多分、
ちょっとできるぐらいのレベルだった。そんなトップとかじゃないけど。 だから
そういう立ち位置なんだけど、あの学校一のヤンキーの子たちがいるグループに所属してたみたいな。
あのすごいわね。謎だよね。 マルチね。
そうそうそう。どっちやねんっていうグループだったんだよね。
じゃあなんでヤンキーとつるむことになったの? なんかそれも流れがあって、
唯一小学校からの親友が一人だけいたのね。同じ中学に上がった。 あの方ですね。
でその人が、その友達は陸上部に入って、 陸上部にその学校一のヤンキーの女の子が
その子も陸上部だったの。で多分その2人がまず初めに、 アユ好きだからって言って仲良くなって。
あーアユだったんだ。 そう。でアユ好き他にもいるよみたいな感じで俺がそこの
紹介というかね。それで繋がりで仲良くなり始めて、 っていうのと
あとなんか学校に、中学校にね、 相談室みたいな。
カウンセラルームね。 スクールカウンセラーみたいな。
なんか在中してる部屋が一部屋あって、 なんかそこにね、
結構放課後とかそういうちょっとヤンキー目の子たちとか、 不登校の人とかいろんな他ジャンルの人が集まる
雰囲気ができてて。 ヤンキーなのに学校にはいるのね。 そうかちゃんと同校はね、それなりにはしてるんだよね。
そうそう。 で多分ヤンキーの子たちはそこで授業をサボったりもしてたのかな。
あー。 屋上の近くの方とかね。
授業は参加してたけど、休み時間とか放課後とかに結構そこに行って、 なんかそこはね、あの
携帯持ち込み基本禁止だったんだけど学校は。 その部屋だけは使っててもそのスクールカウンセラーの人が先生に
しくらないっていう生意気。 寛大な。 その部屋だけは何でもありの生意気だったのよ。
すごい居心地が良くて。 そういうのでヤンキーのグループとかと自然と仲良くなって
でも生徒会の活動は活動でするみたいな感じで。 だから
この子はどっちなの? そうだね。なんかね自分の中でもそういう
ド真面目になりたくもないし、かといってめっちゃなんか悪いことをしたいわけでもないみたいな。 負けたくないし負けてない。それだったのかな。
満州精神あったのかもね。 そうかもね。
どうかもね。 わかんないけどね。
悩みやモヤモヤ
だから生徒会っていう居場所を確保しつつもちょっとなんか やんちゃというかなんかねちょっと悪してる。なんかわかんないけど
みたいな3年間だったのかな。 そうそうそうそう
そういうちょっと謎な中学校だったかな。 でも別に成績は悪くはなかったってことね。
うんうんうんだね。塾も通ってたし、そうだね。
そうなんだ。 別にそこはまだ性の悩みとかなかったから普通に彼女もいたし
えーーー 中2で付き合ったかな初めて。そうなんだ。
え、なんかいろいろした? いろいろはしないけど
中ぐらい? あ、そうなんだ。
ちゃんと中学生してたんだね。 うん。
そう本当普通の中学生だったと思うんだけどね。 普通の男の子って感じだったと思う。
で、高校で。 うん。で、高校
なんだよな。だからちょっと中学はメジャーどころな立ち位置じゃなかったから
なんて言うんだろう。なんかもっと 普通っぽくなりたかったのかなぁ。わかんないけど。
普通じゃなかったですよ。 自分の中でも普通がよく分かった。かけ違えたのかな。わかんないけど。
なんかでもちょっと中学時代も多分モヤモヤしてるものはあったんだと思うんだよ。
友達も少なかったしね。別に。 そう?
小学生時代と中学校
クラスの人気者みたいな。あ、違う。中学校ね。 中学校ね。
で、中学校卒業した日に髪の毛をほぼ、インクがないか?茶髪かな?
インクではなかったね。でも明るいの? 明るい。そうそう。色に染め、で、高校に入って
そう、だから
エピソードどっかでちょっと話しましたけど、 一応私たちは同じ高校で
一応新学校だったので、そんな人いなかったんですよ。あんまり。
だから私としては浮いてたけど。 そっか。タッチャンから見たら
多少ね。浮いてた。でもなんかさ、うちの高校ってさ、勉強は頑張るぶん
高速はちょっと緩めというかさ、なんか自由な高風ですっていう紹介されてなかった?
俺それでここの、うちの高校入ったんだけど。 そんな不自由な同期だったの?
でもまあ確かに、そこまで効率だったのもあるかな。 そこまで厳しくなかった。
髪とかも別にね。長かったし。 説明会とか見に行ったりとかして、先輩とかでもさ、ちょっと茶髪の人とかも多分いたんだよ。
あ、いたいたいた。 だから、ここだったら髪の毛染めてもいいんだっていうので。
普通にオシャレな人いたよね。 そうだよね。
いた。確かに。そういうのでうちも高校選んだ。 ああそうなんだ。
で、高校時代がね、同じ高校で始まるとタッチャンとね。 でもそれ3年からですからね。出会ったという、仲良くなったのはね。
で、高校生を振り返るとね、結局
もうなんかちょっと女子多めの グループ
もしくは女子のパワーバランスが強い グループにしかいなかった気がする。
自然とというか。 確かに言われてみればそうだったかも。
結局体育祭とかさ、うちらの赤組も女子が強めのグループだったじゃん。
はい。あのうちの高校ね、体育祭は誕生月でね、4色に分かれてたんですよね。
それになんか、何あれ、創作舞踊か。 ああダンスというかね、マスゲームというかね、いろいろね。
すごい力入れててね、楽しかったんですよ。 その準備をね、半年ぐらい?
何か3、4ヶ月ぐらいずっとやるよね。 トータルね。
でそのうちら、ほら幹部だったじゃん。俺もタッチャンも。 でもちょっと女子の方が権限を持ってるようなグループだったよね。
だし、ほら、予備校もさ、予備校のグループもすごい高2ぐらいから仲良くてさ、よく
確かに男女でね。 そうそう、10人11人ぐらいですごい仲良くなったけど、あれもちょっと女子多めだというかさ、同じぐらいだったのかな。
いやでも、私が居心地よかったってことはそうだと思う。 そうだよね、結局女子多めのグループの方が自分は居心地よかったんだなっていうのに
今は思うと、改めて考えると、そういうのは特徴としてあったかも。 だから、高校の時も別に政治人で悩んだりはしてないけど、
そうそう、思い悩んだりはしてないんだけど、自然とそういう。 そうそうそう、根本的にはあったのかもね。
やっぱ女子の人の方が居心地が良いとか、それ自分絶対だったもんだって。 あーそっか、そこの度合いが強かったのかな、タッチャンとはより。
それが自分はもう当時から気づいてた。 あーそっかそっかそっか、要素はあったのかもね。
なるほどね、多分それはそうだと思う。
みたいな感じかな。 だから今でも男だらけの大人数のグループとかいると、ちょっと何話していいかわかんないとか、
ちょっと居心地悪いって思いがち。 し、あなたはスポーツできないしね。
ドッジボールから始まりね。 そう、もう小学校のドッジボールから今まで、会社の運動会とかもさ、 何それ、嫌だよ、絶対だ。
あのね、この名前はあったんだよ、今の会社も。 そうなの? 労働組合主催の
スポーツ大会みたいな。 絶対嫌だ。 でもさ、入社1年目とかだったからさ、
あ、一回行ったの? 一回行った。 けどね、多分なんか、なんか大縄跳びぐらいで。
あー大縄跳びだったんだ。 そのぐらいでごまかした。バスケ、サッカーとかは絶対無理ですって。 絶対嫌だよ。
バレーボールしかできません。 タッチャンはバレーボールできたね。俺はバレーボールすらできなかった。
そうだっけ? 下手だったよ、下手だった。
じゃああなたは? トラウマがあるとしたら
運動ができないってところから。 大したことじゃなかったね。俺の中では大したことだったんだよ。
当時はね、大人になったら別にそれ。 確かにね、当時だね。でも当時はもう、明日は体育の授業だ、嫌だなって寝る前すごい
しんどい思いで寝てたよ。 えー、じゃあ相当だったんだ。 週に2回ぐらいそういう夜があった。
ねー、社会人って体育の授業なくて本当嬉しい。 あーでも、でも分かりました私、今宵。
やっぱあなたはスムーズに生きてきたんだって。比較的。 あーそう。衝突少なく、障壁少なく。
私のじゃあ暗い話を。 暗いんだもん、ちょっと気になる。 暗いかな、分かんない。なんかまとめた時にちょっと暗くなったなって思ったんですけど。
多分発話情報あるよね。 ありますね。 気になる。
ねえ、一方、読み出していない?
まず小学生は、ちょっと前に話したこともあるんですけど、親の仕事の関係で
神戸に住んだんですね。もともと生まれは神奈川で、6年間、小学6年間神戸に住みまして、そこがまずね、もう私ネックだったの。
あ、そうなったっけ? 合わなかった、正直。 関西? うん、関西のノリとかが
当時はね、今は別にそんな抵抗ないけど、当時としてはこの内気な私が急に
関西にポッて放り投げられて、 なるほど。 なんか合わなかった気がする。
高校時代と部活
それは小学校生活において? うん、だから
しかもそれで追加で、多分親が
多分こんな見た目だから、男の子として 持っていきたいという意志が働いたのか分かんないけど
野球部に入れられたんですよ、私小学生で。 少年野球部に入れられたの。 そうなったの? そう。
初情報じゃない? 言いたくないかあんま言ってなかった。 そうなったの? そう。野球部に入れられて、なんか
土日も、なんか毎日、土日両方4時間ずつ 練習とかがあって、それが本当に嫌で
なんか、そこはすごい覚えてて
関西に住んでた時は、そこで まずちょっと我慢
我慢。 あんま性に関して悩むことはなかったけど、当時から男の先生かっこいいとか言ってたけど
それは別に悩みとかじゃなくて、そういう自分なんだって受け入れられたんだけど
そういう、なんか野球部に入れられたりとか、なんか嫌な時間を過ごすことが多くて まあまず我慢生活じゃん
で、中学になって その
地元に戻ることになって そこではね、やっぱり横浜に戻ってきた時に、やっぱなんかフィーリングが
合うなーって周りの子たちとがあって そこではすごい楽しかったのと
やっぱ当時ね、マッシュとかカバちゃんとかが、いわゆるオカマキャラとして出てきたメディアに
感じがあって だからまあ私昔からこんなキャラクターなんですけど
まあそれも受け入れられて なるほどね
しかも仲良い女友達もね、あなたも知ってる できて、で放課後は本当その
部活もやってたけど 部活終わった後にその女の子たちと遊んだりとかもしてて
中学はすごい過ごしやすい印象だったの そうなんだ
そうそうそう 結構中学でさ、そういうそっちのキャラに振り切るってさ
振り切るというか、これしかできなかった
結構それってさ、周りの反応も 環境が悪いとさ、いじめとかの対象になる可能性もあるじゃん
そういうのはなかったんだ なかった
確かに 横浜、でも前も話したから、でも都会だからかねとか言ったけどそういうわけじゃないか
関係ないですね でも
結局 こんなキャラだけど私も不良の女の子と仲良かったし
不良の男の子からもちょっと可愛がられたりとかしてたし
キャラの方みたいな感じで 陸上部でも、陸上部だったんですけど
陸上部の男の子は普通の男の子だったけど 別になんか普通に話してた
たぶんそこにさ、中学とかだとさ 男女のなんか恋愛とかそういう話とかもさ
まあそこまで薄いか 薄いじゃない
それよりかさ、なんか昨日何のテレビ見たとかさ そういう話で
時間が流れてたからまだ良かったんだけど やっぱ高校に入ってね
やっぱなんか中学で 男の子だったのが急に男性ってなった気がしてて
高校から? そう
なんか男女でさ、ベタベタ仲良くなるっていうのがさ
なんかしにくくなる? 友情として?
確かにね 部分があった
から女友達も最初の方あんまりできなくて
新しく?
その中学の時仲良かった女友達って? 一緒だけど、でもほら彼女は彼女なりにさ
新しい高校の女友達の枠ができてたから そこにポッて入るのが
あんまりちょっとできなかった そうだったんだ
しかも私あのね、うちの高校入部率98%なんですよ
そうか高かったね、確かに なのに私帰宅部だったんですね
そっか、残りの2%だったんだ そう、残りの2%だったの
だからなんか高校生活ちょっとね、それこそ あなたがさっき言ったんだけど部活やっとけば良かったなって
逆に高校で思った そっかそっか、タッチャンはそれが高校であった
でももちろん なんで帰宅部したかというとバイトがしたかったから
ああ、そういう理由があったんだ もしかしたら今考えたらそこに逃げてたのかもしれないけどね
だからそれこそ 運動別に得意でもないから
別にしたくもないし、かといってねほらまたね 男子のチームとかさ、チームがあんまり得意じゃなかったりとかしたし
かといってね個人戦で何かできるかって言ったら別にないし
中学の陸部をさ、高校も続けるっていう選択肢はなかったの?
ゲイであることへの葛藤
だからここ端折ろうと思ったけど陸上部の体験入部
行ったよ? 行ったんだ 多分2週間ぐらい行った
でもなんか辞めちゃった でもバイトしたいのもあったんだと思う
だからそんな感じで 高校でまずちょっと
ああなんか急にまた 居心地があんまり良くないなぁって思った
それ1年生とかの頃?
だけど3年でね まあ
あなたと仲良くなるわけですよ でもその時はお互いね
ゲイだって分かってなかったじゃん そうだね あなたはゲイじゃなかったのかもしれないけど
で 恋愛の話はできないじゃない?
確かにそうだね そういう話はしてないね でもさあ
まああなた含め周りはさあ付き合ったりとかしていてさ
一人だけなんか成長できてないみたいな感覚 なるほどちょっと置いていかれてるみたいな
もあるし なんか周りもさあ私には恋愛の話は振っちゃいけないんだみたいな
空気感も嫌だったし そうなんだ
なんかとにかく自分の中でゲイであること自体は悩んだことはないけど
その事実を自分の中だけでとどめておかなきゃいけないっていうのが
しんどかったって感じ 誰かと共有したい気持ちがあったってことか
だからそれを普通にあの紙のノートに書き殴ったりとか そういうのしてたんだ
えーしてた とか
大学時代の縛りと視野の狭さ
大学とかブログとかやったりとかね そうだね
だからなんか とにかく春季は
我慢することに慣れすぎてしまった 結構縛られてたんだね
そうなのよ だから
その時の我慢することが多分癖づいてしまっていてね
だから自分の感情を出すことが許可できてなかったから
それはまあ今になっても多少は残っているのかなぁって
で そんな
どうせゲイだからみたいな感じで 就活とかに関してもちょっと視野が狭かったかなって
ああそう 当時さあそんなに周りにゲイの人もいなかったから
大学の時とか就活の頃ってこと?
本当あなたぐらい あなたとちょびっと知り合い始めたぐらい
そっかそっかそっか 確かにそうだね
知り合い始めてもね同年代とかじゃん だから年上の
知り合いとかが全くいなかったから なんかどう生きていけばいいのかなみたいな
で就活とかもなんか漠然と スーツ着て働くのは違うなって
それはもうなんか中学の時から思ったんだけど 思って
なんかもう視野狭く ゲイだからみたいな理由でまずアパレルに入ったんだよね
そうなったんだ 今考えるまんね
当時はもうそれしかないみたいな感じになってたけど
もちろんね服は好きでコーディネート組むとか好きだったけど
なんか
そうやってゲイだからって言って 自分を卑下して考えてたから
なんかもっと広い視野を持ってたら
本当に自分がやりたいこととか? そうそうそうそう
そういうのも なるほどね
なんかもっと追求できたのかなとか思ったりもするけどね
だってさ大学の時さちょっとあのほら 物書きのサークル入ってなかった?
あーマスコミ系ね マスコミ系にはまあなんか多少興味があったから
入ったりしてた ちょっと途中で辞めちゃったけどね
そういうの入ってたりしてたけど そうだよね
ということでなんか だから我慢をする人生が
今35で 前半がそんな感じだったので
なんか20代 カミングアウトするようになって
10年ちょっと経ってますけど そこからやっとなんかその過去を
回収してる感じ できるだけ自分の
本音を大事にして 生きている感じがしてる
確かに俺たっちゃんとはもう友人になって10年?
もっとでしょ? もっと経つのか
7歳くらいの時から知ってるんだから そっか
16年17年くらいなのかな だけど確かに社会人になってからの方が
はい こうなんだろう
たっちゃんらしさが 増した?
あそう なんか遠慮してる感じはなくなってきたなっていう
今思えばね もっと喋んなかったもんね
そうだねそうだね確かに 昔の方がもっと
俺はそんな思ってないけどあの 不思議な人オーラーで出たかもしれない
あそうなんだ 口数少ないとさ何考えるか掴めないって思う人もいるかもしれないし
そうだよね 今の方がそうだね自分らしいっていうところが出てるかもね
だから そりゃそういう理由があったんだ
そう 結構それ初耳レベルだと思う
ここまで詳細に話すのはね かもしれない
かなぁ
ねぇ一歩踏み出してみない? ということでね
今回は ちょっと自分の中でも今までも漠然とは
まとまっていたんだけど改めて 今回書き出したんですけど
書き出してみてより詳細に分かった部分も あったりとかして
たまにはちょっとやっぱ丁寧にね 棚下ろしてみるとまた
過去の自分を癒す成長
別の視点で気づくこともありますわね
だし誰かに話すっていうことで結構気づいた部分もあるかも
あそうね そうかも
書いたり誰かに話してみたり
アウトプットか そうそうだね
がいいのかもね そうかね
って思いました
これどうかねちょっと聞いてる人の
過去の自分のなんかネックになってる部分 大人になってもね大人になっても
こうちょっと引きずってるものというかね ひっかかりがあるものみたいな
誰しも 大なり小なりあると思うんですよ
何かそういうのをちょっと聞いてみたいなーって思ったので
確かに
あのXのハッシュタグ年一報で呟いてもらってもいいし
まぁちょっとねアカウントが見えちゃうから 匿名でみたいなね
いうことであればお便りフォームだったら匿名で書けるからね
そっちの方でちょっとご意見とかもらえたら嬉しいなと思います
そうですね
なんか克服した話でもいいよね
そうだね
いいですね
そういうのぜひあったらぜひお待ちしております
よろしくお願いします
番組では皆様からのお便りや番組に対するリクエストを募集しております
概要欄にあるグーグルフォームのリンクから
隙間時間を使って送っていただけると幸いです
テキストインスタグラムも開設しております
ぜひ覗いてみてくださいね
はいそれでは本日もお耳をお貸しいただきありがとうございます
これでまた一歩踏み出せそうだね
うん踏み出してみせる
恥ずかしいんだけど
ごきげんよう
35:05

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