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2025-10-24 25:51

長年の自分の思い込みにやっと向き合えた話

しばらくお休みしていました。
その期間で、自分の根っこのさらに根っこにある長年の思い込みにやっと向き合うことができた話です。

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【プロフィール】

元保育士・幼稚園教諭からライフコーチへ。
他人軸で自己否定の生きづらい日々から、「人生ゆかいに豊かに!」をモットーに自分で自分の人生を作っていく生き方へ転換!

「家族のために」と自分を抑えて頑張る人が、自分らしい軸を取り戻し、心から満たされる暮らしをつくるお手伝いをしています。


家には味のある双子の娘たち、みんなのアイドルな赤ちゃんの三女、少年のような夫が1人います。
自然やカフェ、散歩、音楽、人間観察、神社仏閣を見るのが大好きです✨


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#ライフコーチ #コーチング #女性起業家 #自己承認 #自己対話 #自分の人生を生きる #自分と向き合う #思い込み #書き換え #生き方 #心の在り方 #子育てママ
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サマリー

このエピソードでは、ライフコーチのえりこさんがエネルギー不足や自己承認の問題について話します。特に親との関係が自己価値感に与える影響を深く掘り下げています。えりこさんは無条件の愛に関する気づきを得て、自分自身を受け入れることができた経験を共有しています。また、自分の存在価値について深く考え、向き合った結果、思い込みを手放すことの重要性に気づいたエピソードとなっています。親との関係が価値観に与える影響を実感し、新たな気づきを得たことが語られています。

エネルギー不足の気づき
こんにちは、ライフコーチのえりこです。
私は、小学校1年生の双子と、生後8ヶ月の赤ちゃんを育てながら活動しているライフコーチです。
大変お久しぶりになりました。
そしてですね、ちょっとすっごい今日、アレルギーで、今、ブタ草のアレルギーがあるんですよね。
そのブタ草のアレルギーで、すごい鼻声、プラス鼻がグスグスの状態となっておりますが、そのままお聞きいただければと思います。
それではですね、かなり久しぶりになったところと、そこでの久しぶりになった間に、私の中で、人生の中ですごい大きな意味のある気づきっていうのがあったので、
今日はそこを音声として残しておきたいなと思ってお話をしていきたいと思っております。
今ですね、バランスボールの上で片手にその生後8ヶ月の惨状を抱えながら、バランスボールで跳ねて、今寝かしつけをしながら、このラジオを撮っていきたいなと思います。
それではですね、この前回の放送からかなり間、もう1ヶ月ぐらいですね、空いていたんですけれども、その間何をしていたのかっていうとですね、実は私、エネルギーがですね、本当に心と体と両方、エネルギーがもう本当にゼロになってしまって、
もう本当にね、車で言うガス欠、もう全然、言葉が出てこない、ガソリンです、ガソリン、そうそう、ガソリンがないのに走ろうとして、で、ガソリンないけどすごい一生懸命アクセルを踏んで吹かして吹かして吹かして、
頑張った結果、もうガス欠だったから、もう車がもうこれ以上走れませんっていう状態になっていたっていう感じですね。
私の状態を例えるとそんな感じでございました。
というのもですね、やっぱり日常の中でエネルギーをたくさんいろいろ使う場面ってありますよね。
逆にエネルギー補給というか、エネルギーを自分がたくさん得られるみたいな状態もいっぱいあると思うんですけど、
私のここ、お休みに入る前の状態って、もう自分で自分にエネルギー補給をしてないんだけど、なんかもうどんどん日常でもエネルギーを使うとか消耗する場面っていうのがすごいいろいろあって、
でもエネルギーを足したりとか、補給したりとか、あとそうですね、そのエネルギー日常で漏れ出ているところ、エネルギーがどんどん使われているところにメスを入れたりすることをしないまま走ってきちゃったっていう感じだったんですよね。
自己承認の条件
本当にガス欠状態の車みたいになってしまいました。
そこでですね、なんで私こんな風になるまで頑張らなきゃって走ってたんだろうっていうところをお休みすることによって、いろいろ自分でエネルギーが満たされるようなことをいろいろやりながら、自分の中で自問自答していたんですよね。
そこで、マイコーチからもこういう本読んでみたらって勧めていただいたりとかですね、心谷慎之介さんという心理カウンセラーの方のですね、本とかですね、そういうのを読んだり、いろいろこう自分で自己対話してみたりっていうようなことをやっていきながら、
あとあれですね、マイコーチとのセッションっていうのも間にもありましたので、そこでもいろいろお話ししていく中で、気づいた大きなこと、それが自分がですね、なんでこんなに無理して自分のエネルギーを満たすよりも頑張っていたのかっていうと、
それは自分が何か生み出していないととか、何かをやっていなければ、とにかく何か行動していなければ、自分のことを承認できない、自分に価値を感じられないっていう、自分が自分に対して何かをやっていればOKっていうような条件ですね。
そういう条件を満たすことによって、自分のことを承認できるか、条件を満たさない状態ですね。
その状態では自分を承認できない、自分の価値を感じられないっていうような、そこがすごく根深くて、ずっと前にですね、8月頃に撮ったラジオの中でも、その条件での自己承認っていうのを自分でコツコツ自分に声かけてやってみようと思うっていうような話をしていたんですけど、
何かその根っこになる部分、本当の本当に根っこになって自分のエネルギータンクに穴を開けてるものって、っていうところにやっと気づくことができました。
で、それがですね、その何で無条件で自分のことを承認できないのか、何で無条件で自分のことを価値感じられるっていうふうに思えないのかっていう元をたどっていくと、私はですね、親との関係が浮き彫りになってきたんですね。
その親との関係って何かっていうと、私はその親との関係で、特に母親との関係なんですけど、ずっとですね、万年半後期というか、やっぱりどうしてもそのコミュニケーション上、
自分の親は、そうですね、無条件で何かをできていなくても、あなたは十分価値があるよとか、あとそうやって認めてもらえるみたいなことが、幼少期からずっとそういう言葉をかけられたわけではなく、むしろその逆で、
例えばテストで良い点取れたから褒められるとか、何か親が思っていることを達成できたから褒められるみたいな、なんかそういうところがすごいやり取りとして、もうそれがやり取りコミュニケーションの通常のコミュニケーションだったみたいな感じなんですよね。
で、やっぱりそれをずっと積み重ねていった結果、自分自身が自分に対して条件が満たされていれば自分のことを承認できる。
例えば何かを成し遂げてたり、何か自分が思ったことをやれてたりとか、あとは周りの人から見て期待されているものをできていたら自分のことも承認できるみたいな、やっぱりそういう形で自分のことを認めるっていう状態になってたんですよね。
で、それがやっぱりずっと今まで30数年そういう状態だったんです。
なので逆に何もやっていないとか何も生み出していないとか何もできていないみたいな状態。
ただそこに何もしていなくてもしていても存在している自分に対しては承認できないっていう状態だったんですよね。
で、親から私に対しての関わりも何もできていなければ承認されていないっていうふうに私はずっと信じ込んでいました。
無条件の愛
言い方変えるとそうですね。
何も生み出していない、何もできていない、何もしていない。
私は愛されない。
親からは愛されていない。
っていうふうなそういう一番心の奥の奥の奥の奥の底のところに自分の中でそれがずっとあったんですね。
で、いくら表面上自分で自分に対して大丈夫何もしなくても大丈夫なんだっていうことを声かけ続けても、
本当に奥の奥の奥の奥の本当の奥の扉がガチガチに固くて鍵が閉まってて、そこの中には私は結局やっぱり
親から
何も無条件では愛されていない
っていうそういう思い込みっていうのがもうガチガチにあって、でも鍵がかかって簡単には開かないぐらいの状態になっていて、
いくら表面上頑張って自分のことを承認しようってしてみても
なんかそこの根底がずっと
そこの根っこの部分がずっと書き変わってなかったんですよね。
だから
なんとなく一時的に自分に大丈夫自分は何も何もしていなくてもただ自分は存在しているだけで十分
十分いいんだよとかなんか大丈夫だよって自分に声をかけててもなんか上辺をただ撫でているようななんかそういう感覚だった。
けれども
それって本当の本当の根っこの部分に向き合ってみると実は
親から無条件で愛されていないっていう風に自分が思い込んでいた。
しかもそこにめちゃくちゃ蓋をしてめちゃくちゃ鍵をかけてガチガチにそこはもう絶対変わらないものだっていう風に自分の中で決めつけてしまっていた。
思い込んでしまっていたっていうことに自分で気づいてなかったんですよね。
でそこをそのお休みしている間マイコーチとのお話をしていく中でやっぱりそこの部分っていうのはずっと何回もそのマイコーチのセッションの中でも話題に上がっているところではあったんですけれども。
そこにもようやく向き合わないと進めないよね。
というか向き合うべき本当に向き合うべき時だよね。
っていうようなところで向き合ってみたら、
向き合ってみたらってそんな簡単にそっかーって書き換わったわけじゃないんですけど、
なんか自分でもボロボロボロボロ涙を流して止まらなくなるぐらい、
ふとある時、
なんかその当時の親って、
そうですねその当時の親の状況を考えた時に、
親としてはいろんな思いがある中で、
自分でその当時の精一杯の愛の伝え方、
っていうのがいっぱい愛があったんだけど、
そこにはたくさん無条件の愛、本当にあなたは存在しているだけで生まれてきてくれただけで、
本当にもう存在価値があるんだよっていう、
そういう愛もあったんだけど、
なんかそういう愛も実は渡してたんだけど、
なんか表面的に出てくるその愛の伝え方や言葉っていうのが、
ただ条件付きだった。
条件付きでこれができたから偉いねとか、
これができたからあなたは素晴らしいねっていうような言い方を、
親がしていたっていうだけ。
で実はそこには無条件に何もしててもしてなくても、
あなたには存在価値があるんだよとか、
あなたは愛されるべき存在なんだよっていうようなメッセージが、
本当は入ってたんだけど自分が気づいていなかっただけ。
自分がそういうメッセージは全くないっていうふうに、
ずっと30数年思い続けていただけ。
っていうことに、
なんかやっとちょうどこの今抱いている三条ですね、
お世話している時にふとそれがもういきなり、
降りてきたんですよね。
そう、なんかそうだよなーって思って、
私がその自分の子供たちを無条件で生まれてきてくれて、
嬉しいなーって思うのと同じように、
生まれてきてくれて、
それだけで十分価値があるなーって思うのと同じように、
自分の親だってそういうふうに思って、
ただ表面上はそれをうまく表現できなくて、
表現する余裕もないぐらいに親も頑張っていて、
だから条件付きでしか表現できなかった。
けれども実はそこにはいっぱい、
無条件で存在しているだけで十分素晴らしいんだよっていう、
愛がいっぱい詰まってたんだなーっていうふうに、
思うことができました。
ちょっとこの話ですね、ちょっとすごい泣いちゃうんですけど、
でも記録としてちゃんと残しておこうと思います。
この気づきは本当に自分の中で大きな気づきだったので、
ちゃんと残しておきたいなーと思います。
なのでやっぱり、
もしこれを聞いてくださっている方の中で、
同じようにがんばってるんだけど、すごい頑張っても頑張っても、
なんか自分は満たされていないとか、
あとは、
例えばそうですね、
なんか頑張っている自分だったら、
何かやっている 成し遂げているとか 一生懸命やれている自分だったら 自分にオッケーを出せるんだけど そうじゃなくて
うん
頑張れていなかったり そうですね あとは
うん あとは 結構こう休むことに抵抗があったりとか
なんか何もできていなくて 休む
とか なんか何もしてないけど休むこととか 休んでいる間も何もしてないでゆっくり休むみたいなことができなかったりとか
なんかそこにすごい罪悪感とか ザワザワしたり抵抗する感じがあったりとか
なんか調子よく自分がいろいろやれている時には なんか自分って最高って思えるんだけど
自己価値の見直し
なんか急に立ち止まって あーなんか自分って何もできてないじゃんって
何もやれてないなーって思って自分を責めちゃう人とか なんかそういう
ことがある方にとっては なんかそうやってその自分のことを無条件で
自分の 存在価値っていうのを感じられるかとか信じられるかとか
あとは自分のことを自分で承認できるかみたいなところって すごく大事なところだしなんかそこがやっぱり
なんか抜け落ちていると 頑張っても頑張っても
終わりがないというか なんかずっと
止まれないって頑張るしかなくなっちゃうなぁと思うんですよね 頑張らないと
満たされないし 力を抜けない
状態がずっと続いて走り続けなくちゃいけなくて 走り続けられなくて心とか体をポキッと本当にね壊してしまってっていうような
ことになってしまうんじゃないかなと思います私自身がずっとそれを繰り返してきたので すごいそうなるなぁって思うんですけど
なんか同じようになんか そうですねそういう思いがある方とか自分をどうしてもこうなかなか働けないとか
休んでいる時の自分をなんか責めちゃうとか そうですねなんかなかなか動けていなかったり
あとは
そうですねなんか例えばお金を稼げていないとか 家事育児とかでもなんかこれができてないから自分はダメな人だなぁとかそういうふうにもし思って
しまう方がいらっしゃったら なんかその自分が実は鍵かけて扉も閉めてずっと信じ込んでいる
もしかしたらずっと私みたいに30数年 信じ込んでいる本当の根っこの
奥にあるものっていうのが実はそこをただそういうふうに思い込んでいるだけであって 実はそんなことないよっていう手放せる思い込みとか書き換えられる思い込みっていう
のがもしかしたら眠ってる可能性もあるなと思います 私の場合は
そうですねそうやってずっと私は 無条件では愛されない条件月何か生み出してたり何か頑張ってたり何か
周りがすごいっていうようなものをやり続けてたりしなければ 自分には価値がないんだ
特にそれは親との関係の中で 親っていうのはね一番最初にこの生まれたな赤ちゃんとして生まれて人間としてか
人間として赤ちゃんの時生まれてきて一番最初に出会う人間関係なのでね そこの一番最初の人間関係の時に
私は条件付きでしか愛されない存在価値がない人間なんだっていうふうに なんかそういうふうに根底のところで思い込んで鍵を
していたっていうのが私が本当に 向き合うべきところだったんですよね
なのでもしかしたら同じように 内容思い込んでいる内容とか信じているものっていうのは違うかもしれないけれども
実はその 自分の奥のところにはなんかその思い込みって
本当は書き換えていいものだったり そこって別のことを信じてたなっていうような気づきがもしかしたら向き合ってみるとある
親との関係
かもしれないなっていうふうに感じます というわけで
はいそうですねなんかこう自分の中で
なんかこれを頑張れたからこれをやれてるからこういう行動ができているから 例えばそうですね親だったら親としてこうやって毎日頑張れてるから
素晴らしい親だって自分のことを思えるけれども頑張れなかった時には なんか自分はダメだっていうふうにもしなってしまうそんな方がいたら
そうやって自分は 何を信じているんだろうとか
思い込んでいるんだろうって問いかけてみる といいんじゃないかなそれも一つなんじゃないかなと私は思いました
今回これ本当にですね自分の人生レベルでめちゃくちゃ大事な気づきだったので 今日は記録として残したいなぁと思ってお話をしました
ちょっとですねこの気づき自体あったのは10日前ぐらいなんです けどなんかこう自分の中でああそっかって思って
ただこう やっぱりね自分の中で
気づいたんだけど 気づいて自分の中でもなんか前提として思い込んでたことが
なんか狂って本当にパネルひっくり返ったかのように書き変わった感覚があったんですけど あったけど
なんかこう 自分の中で10日間ぐらい過ごしてみて
なんか自分はどう感じるんだろうってその思い込みが書き変わった後どう感じるんだろう っていうところもあってなかなかちょっと音声として残すまでいかなかったんですけど
今日は ちょっと10日ほんとちょうど10日ぐらいかなだったので
なんかこれは ちょっとこの時のこの気持ちやっぱり自分が信じていたもの
自分が鍵をかけて蓋をして ずっとガチガチに
信じていた思い込みっていうのが なんかやっぱり根っこの部分からちょっとずつ書き変わってるんだなーっていうのを実感できてきてる
時でもあったので このようにラジオに撮ってみました
ということですね あのやっぱり1ヶ月1ヶ月近くぶり
1ヶ月まではいってないと思うんですけどまぁ1ヶ月近くあの ラジオとして外に出す
ラジオ的にこう外に喋って出すっていうことをしてないと あれですねこう
なかなか筋力がめちゃくちゃ落ちてるなぁと思います なんか昔あのピアノをねずっとやってたんです
3歳ぐらいかな3歳ぐらいからピアノを習ってやってたんですけど なんかまさにピアノの練習と同じだなぁって思いますね
やっぱりそのピアノの練習も 前にちょっとずつでもいいからピアノに触ってるのと
そうじゃなくて なんかほんと1ヶ月とか2ヶ月とか空いて
やるかーって言って やるとかまぁ1ヶ月2ヶ月ピアノの練習で空いたことはあんまりないんですけど
それでもなんか本当にね1週間2週間とかなんかちょっと体調悪くて休んだりとかしてから なんかギリギリに次ピアノの教室あるからなと思って練習すると
うわぁ全然なんか指の感覚が違うってなって なんかなかなか弾けなくなるみたいなのと同じだなぁと思って
ラジオもやっぱりこう ちゃんとね定期的にこう話してアウトプットするっていうことを
なんかそういう筋力っていうのをやっぱりちょっとずつでもいいからやっていくと やっぱりその筋力って保てるんだなぁというふうにね
お休みしてみて改めてやっぱり思います はい
ということで三女が喋ってる間にちょっと寝たんですがもうちょっとですぐ起きちゃったので 起きちゃったね
はい おはよう
寝起きはとてもおとなしい三女なんですが はいということなので
この後ね今日は予定があるのでその予定に向けていろいろ 準備をしたいなと思います
では最後までお聞きいただきありがとうございました 最後まで聞いてくださった方はぜひいいねボタンを押していただけると嬉しいです
それではまた
25:51

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