コーチとしての理由
おはようございます。ライフコーチのえりこです。
私は小学校1年生の双子と、生後7ヶ月の赤ちゃんの3姉妹を育てながら活動しているライフコーチです。
今日はですね、なかなか、本日はちょっと体調があまり思わしくなく、
そして外もですね、かなりザーザーぶりの雨が降っているお天気で、
ちょっとね、体に元々気圧の変化とか天候とかで結構影響がちょこちょこある体ではあるので、
ちょっと本日は調子があまり思わしくないかなという状態なんですが、そんな中でもできることということで、今日も朝ラジオをやっていきたいと思います。
はい、ちょっとですね、気持ち悪いんですよね。
気持ち悪いのと目眩もね、ちょっとしておりまして、これ天気にも左右されてるなぁと思いながら、
はい、今日はそんなコンディションなんだなぁと自分のことを見つめております。
はい、それではですね、今日のラジオのテーマは何にしようかなといろいろ思っていたんですが、
そうですね、今日はうーん、うーんという時点で、あの、はい、事前にたくさん考えていたわけではなく、
ああ、なんとなくこれを話そうかな、どうしようかな、うーんってなっていたんですけれども、
そうですね、私がこうやって保育士を辞めて、コーチという、ライフコーチという生き方、働き方、
ちょっとですね、はい、今、双子の長女がですね、今日も双子は、ちょっと今日まで咳の様子がちょっとあまりやっぱり思わしくないので、
今日までちょっとお休みしようかということで、学校休みして今家にいるんですけど、
国語の音読の宿題をですね、今、ちょっと咳落ち着いている状態だとできるからというので、今やってたんですが、
はい、あの、母ちゃん聞いてほしいよということで、はい、すみません、ちょっと途中でね、あの、そういう会話があったので中断しておりました。
はい、えーと、何の話だっけ、あ、そうです、えーと、今日の本題はですね、
私がこうやってライフコーチという生き方、働き方っていうふうにしていった最大の理由っていうところを今日は言語化していってみようかなと思います。
親の影響
はい、というわけでですね、本題に入る前にお知らせを一つさせてください。
ただいまミニ体験セッション企画というのを実施しています。
こちらのミニ体験セッションですね、全3回無料で受けていただけます。
で、こちらなんですけれども、特に例えば家族とのコミュニケーション、
子さんとの関わり方とか、パートナーとの関係づくりとかですね、そういったところで悩まれている方、
ちょっと喉のあれですね、はい、それからですね、仕事と家庭の両立、あとはご自分の今までの生き方から、ちょっとこれからをどうしていくかっていうところで悩まれている方、
などなどお話ししたいなと思ってくださった方、一緒にお話をしてみませんか。
こちら申し込みたいなという方は、私のこの放送の概要欄にあるリンクが公式ラインのリンクになりますので、そちらからご登録の上、ミニ体験セッション希望と一言メッセージを送りいただければなと思います。
こちら全3回というふうになっておりますが、まずは1回受けてみて、やってみたいなっていう方も大歓迎ですので、おすすめは全3回なんですが、その1回ちょっとまずはっていう方も、ぜひ受け付けておりますので、ご連絡いただければなと思います。
よいしょ、よいしょ、よいしょ、どうしたの。
はい、というわけでですね、3条をちょっと抱っこしながら続きは撮っていきたいなと思います。
それでは本題に戻るんですけれども、私がこのコーチという生き方、働き方をしている最大の理由は何かっていうところなんですね。
これは私のマイコーチに一番最初、お話しする機会、つながってお話しできる機会があった時にもそういえば話をしていたなぁと思ったことだったんですけれども、
なんでこの、はいはいはい、眠いんだね、眠いんだね、はいはい、分かった分かった。
眠いな眠いな、よいしょ、はい、ちょっと眠いようなのでね、もう立って抱っこしてゆらゆらしながらラジオを撮っていきたいなと思います。
ちょっとちょっと、はい、その本題なんですけれども、私がそのコーチの生き方、働き方にした最大の理由が、
一番が、
自分の子供たちに、
自分の、こう、生きていて、すごく楽しんで生きている背中を見せたかったから。
っていうところが大きいんですよね。で、もうちょっと詳しく言うと、
自分を抑え込んで、ひたすら我慢して、他人の期待だけに応え続けて、自分のことはずっと後回しで、
で、苦しい苦しいって言いながら、生きづらさを抱えて、毎日過ごしている姿。
を正直今まで子供たちに見せてきたんですよ。ずっと。
で、それで苦しい苦しい、しんどいしんどい。
もう体も心もボロボロになって、もう本当にしんどい、本当に辛いっていう状態。
で、ほんと床に伏せて、
ああ、もうママ今日もあれできない、これできない、ごめんね、ごめんねって謝ってばかり。
で、そういう日々を過ごしていて、
私はこんな状態の背中、こんな状態の姿を親として子供に見せたいわけじゃないのになって、
すごい日に日に強く思ってたんですよ。
で、むしろその逆で、ちゃんと自分のことを、
伸び伸びとね、抑え込むんじゃなくて、自分のことを出して、自分が持っているもの色々、
もう既にあるものを色々生かしながら、
毎日、
ああ、なんかこれもやって、もう毎日楽しいわーって。
もちろんその中で、ちょっとしんどいなーとか、これは力を入れて頑張らなきゃなーとか、
そういうこといっぱいあるけれども、なんかトータル毎日が、
やっぱりこう楽しいよねーとか豊かだよねーとか、
こう生き生きして、
日々を過ごしている。
で、生きやすいというよりは、生きているのが楽しいと思える、
ような日々を送っている姿を見せたかったんですよね。子供たちに。
で、それがね、すごく大きい、
最大の理由だなぁと思います。
で、そこを振り返って、そうですね、
じゃあ自分の幼少期とか自分が子供の頃の親の姿、どういうふうに見てたかっていうと、
私の両親はそれぞれ小学校の先生をしていたんですけれども、なんで小学校の先生になったのか、
自分が絶対に小学校の先生になりたいと思って、ずっとその仕事を続けていたかというと、そうじゃなかったんですよ。
二人ともいろいろその話を聞いてみたときに、はいはい、
話を聞いてみたときに、実は別に、
小学校の先生になりたかったわけではなく、私の父親は、
遺跡の発掘とか、なんかそういう系の仕事が本当はしたかったし、そういう方が楽しかった。
そういう研究とか、そういうことをやってる方が楽しかったんだけれども、
そこで教員免許を大学時代に取って、結局就職して、安定した仕事に就くっていう時代だった。
安定した仕事に就く公務員とかですね、そういったものに就くのが安心だよね。
はいはいはいはい、安心だよね。それがすごくいいことだよねっていうふうに、
世間一般でも言われやすかったし、そして父親自身もそういうふうに強く思い描いていた。
だからちょっとどうなるかわからないような仕事だったりとか、
私の父親も母親もそうなんですけど、頭の中では会社員、もう会社だっていつ潰れるかわからないんだから安定してない。
公務員が一番安定だっていう考え方なんです。未だにそうなんですけど、
そういう父親なので、結局は自分がやってみたいなと思うことよりも、それは学生のうちまでにして、
あとはもうご縁があったところに公務員、教職公務員ですね、教員として就職するのがいいよねっていうふうな考え方で、
父親は小学校の最終的に先生になったんですね。
しかも教育実習とか学校で大学の時にあったらしいんですけど、教育実習ずたぼろだったらしいんです。
本当に悩み悩んだらしいんですよ。
でもずたぼろでは自分には合ってないって思ったけど、
結局やるって決めてやってるんですね。
なぜなら自分がやりたいからというよりかは、自分がやりたいことは別にあるんだけれども、
やっぱり公務員、教職公務員としてちゃんと安定した職を逃すことがない。
基本的には自分が大きな何か過失を起こさなければ、
辞めなくて済むような、仕事を失うことがないような、
そういう安定した、安心したところに就職するべきだという考え方のもと、自分の思いよりもそちらを優先して仕事を選んでいるんですね。
そういうふうにしたようなんですね。
一方、母はどうだったかというと、母親は今で言うCA、キャビンアテンダントですね。
当時は室話ですと言っておりましたが、
になりたいと思っていたが、いろいろ英語もすごく勉強してということをやっていたんだが、
結局身長、今の基準はちょっとわからないんですけど、その当時母親が曰く、それを叶えるには身長が足りなかったと。
身体的理由でそれを目指すことが難しくなったので、
その当時にいろいろ人のご縁があったところで、
小学校の先生だか何だかの助手っぽい仕事をしてたのかな、わかんないんですけど、
そこからのご縁で、小学校の先生の試験を受けて、先生になったらいいんじゃないかと言われたそうなんですよ。
だから自分が本当にやりたいことというよりかは、ご縁があって、安定しているし、
そこで働くしかなかった。
絶対に自分が小学校の先生としてやっていきたいという形ではなくて、
ご縁があって自分が仕事できるのって考えたときに、これしかないか、みたいな感じで選んでやってきているっていう感じだったみたいなんですよね。
両親の話を聞いていて、なおかつ両親の様子を間近で子どもの自分は見ているわけじゃないですか。
そのときに両親のことを、基本的には両親は仕事というのは我慢、ひたすら嫌なことがあっても我慢をし、
その与えられた仕事、与えられた環境というのがありがたいものなんだから、どれだけ自分に合わなくてもそれは自分の努力不足なので、
そこに合わせて生きていきなさいという形でずっと考えていて、自分が合わないのがダメなんだから、
仕事を変えるなんてもってのほかだと、自分が決めた就職したところで一生やり抜け、みたいな考え方だったので、
なのでそういう感じで父親も母親も長く小学校の先生を務めているんですね。
じゃあそれもともと二人とも自分のやりたかったこととか自分が目指していたものではないし、本当に長く安定して働けるためにはというところで、
そういう働き方を選んでいた。
自らの選択
で、生き方としてもひたすら我慢する。
お金というのは我慢の対価であるし、自分がその環境に合わせられないのがダメなんだから、自分を抑えて自分を出すものじゃないと。
自分の意見なんか出すものじゃないみたいな、そういう感じだったんですよね。
で、それでそれを選んでいた両親はどんな様子で日々過ごしていたかというと、ずっとイライラして、
ずっと仕事先の一緒に働いている上司とか一緒の同僚の先生たちの悪口を言い、
すごく楽しんで仕事を行っているようには全く見えなかった。
で、ただやっぱり、子供の成長には携わっているというところで、そこにはすごく誇りを感じていたようなんですけれども、
子供ながらに見た親の背中っていうのは、ひたすら我慢する。
で、結局それで父親はうつ病で何度も休職して、それでも働き続けるということをずっとやってきたんですよね。
で、その姿を見て、その度に母親が一生懸命支えつつも、でも自分ももう一杯一杯限界。
だからそれでも歯を食い縛って大死のんで、もう我慢イコール、我慢した分だけこうやってお金に変わるんだからみたいな、そういう感じでずっとやってきていた。
で、そういう時代だったっていうのもたくさん影響があると思うんですけど、その姿をずっと見てきて、それが一番なんだよ。
だから一つの職場に勤め上げることが一番であり、公務員という働き方が一番であり、
その中でも特に子どもとの携わって、そういう誇れる姿っていうのがあるから、教職公務員、教員ですね。
で、働くことが素晴らしいことであるっていうふうに、私の両親はずっと子どもに言い続けてきました。
で、方やどう、言い続けて素晴らしいって言ってる方やどうだったかっていうと、日々、
とても怒り狂い、イライラしいっていうような、笑顔はどんどん、笑顔は本当になく、
ひたすら仕事最悪だって言いながら、それでもお金のために行くしかないんだっていう感じで生きて、もうちょっと私たち子どもが大きくなってくると、
今度は辞めたいけれども、あなたたち子どものために仕事を辞められないってずっと言い続けられてきました。
で、そういう両親の姿を見てきて、私は、同じようなことを自分の子どもにしてしまいそうな途中だったんですよね。
我が家の最初に生まれたその双子の娘たちに、
自分としてはやりたいと思って、保育士の道はもちろん選んだので、そこは両親とはちょっとまた違うなとは思うんですけれども、でもやりたいと思った道を選び、そこで我慢、ひたすら忍耐。
その分のお金がもらえる。自分を犠牲にして、身も心もすべて捧げるっていう形で頑張り抜くっていうことがいいことであり、
その分、結局家ではイライラしてっていうような、毎日が生きづらいし、
本当に辛い辛い、しんどいしんどいって言って、イライラをぶつけてしまったり、ぶつけなくてもずっとイライラして、表情は暗いみたいな状態の姿を、
幼い双子の娘たちに見せてくることが多かったんですよね。
で、そうなった時に、あれ私は自分が親として、こういう姿を子どもに見せて生きていきたいんだろうかっていうふうに思ったんですよ。
で、もちろんその、いろいろ、いろんな生き方があると思うんですけど、やっぱり私自身は、
いろんな生き方を選べるってなった時に、この毎日生きづらいって思いながら、自分を抑えてひたすら周りに会わせて、
で、周りの期待だけに応え続けて、我慢した分として、お金、ビビてるお金をもらうみたいな、
なんかそういう生き方ちょっと違うなというか、なんかそれをずっとやってって、その背中を見て、なんか子どもたちが生きてるの楽しいって思えるんだろうかって思ったんですよね。
なんかそれを大人になりたいって子どもたちは見た時に思うだろうか、こんなに我慢して、こんなに体と心をボロボロに壊して、
本当私、もうベッドから起き上がれないみたいな状態になっていることも多々あったので、昔は。
で、その状態になっている親の姿を見て、大人になるってこういうことなんだ、えー、こういう大人になりたいって、子どもたちは思うんだろうか、
大人になるって楽しそうって思うんだろうか、
っていうようなことが、やっぱりこうずっとあったんですよね。
で、そうなった時に、やっぱり私は子どもたちに、そもそも自分の母親、子どもたちにとっての母親の私が、
なんかすごく、すごい自分のモテるものをいろいろ駆使しながら、すごい楽しんで仕事してるし、
生きてるじゃんっていう姿が、もし見せられるんだったら、私はそっちの方がいいなと思ったんですよね。てかそっちがいいなと思ったんですよ。
で、その叶える一つとして、私は人と話すことっていうのが、すごく私の中でも本当に、
何だろう、我慢をしたり無理をしたりしなくても、具合が悪くても自然にやりたくなっちゃうことなんですよね。
で、そういうことを駆使しながら、そこでお仕事として作っていき、
毎日を、うわぁもう最高だわーって毎日本当豊かだなーって、
心が豊かで、楽しいなーって生きていられる。まあいろんなこと起きるけど、結局楽しいじゃんって、
いうふうに、何か、思って日々を過ごせるっていう状態を、子供たちに、
見せたかった。もうただの親のエゴです、と思います。別に子供たちはその親の姿だけを見て育つわけじゃないので、でも何か一例、身近な一例として、こんな風に楽しく過ごしてるんだ、
っていう姿を日々見せることができたら、
なんかそれは子供たちにとって、
まあいろんな選択肢がある中で、こういう選択肢も取れるのかって、見ることにつながるんじゃないかなと思うんですよね。
なので、私の勝手なエゴ、親のエゴではありますが、
なんかそういう姿を見て、何か感じ取ってほしいなと思う。そのためにはまず自分が、ああ、もう生きて楽しいわ、とか、ああ、これ夢中になってて最高、
っていうような、そういう姿を、
見せていく、見せ続けていくように、私はシフトしていきたいというふうに強く思ったんですよね。
で、
このコーチという生き方、働き方っていうのを選びました。
コーチとしての選択と生き方
というわけで、今日はですね、私が保育士とか子供に携わるような仕事っていうのをやめて、
自分のことを生かしながら、コーチという道を、
こうやって歩んでいっている最大の理由についてお話をしてみました。
はい。お話ししながら、ゆらゆらゆらゆら、揺れていたら、三女が私の腕の中で、
ゆっくり眠ったんですが、なんか、起きそう。
ということで、この後もうちょっとして、寝かしつけ完了できるかな、どうかな、というところで、少し、
三女が眠れるようにしてあげたいなと思います。
はい、それでは最後までお聞きいただきありがとうございました。
最後まで聞いてくださった方、いいねボタンを押していただけると励みになります。
それでは、またまたお話ししていきますので、よろしくお願いします。