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おはようございます。このチャンネルは、子どもが育った後のぽっかり感を抜けて、自分を育て直しながら、第二の人生を味わい尽くしていく、私、えみの声の記録です。
今日は、時計の電池交換で転倒した義母に、自立の意味を考えた話をしてみようと思います。
先週末なんですけど、義の兄から夫に連絡がありました。この義の母、お母さんが転倒して、肋骨と肩の骨に3箇所合わせて、ひびが入ってしまったという連絡だったんですよね。
お母さんは87歳、義の父はすでに施設で暮らしていて、母は群馬の実家で一人暮らしをしているという状態ですね。
義の兄は母の近くに住んでいるという状態です。私たちは関東なんですけど遠方に住んでいるという状況ですね。
私は今週末、別の用事があって動けないので、夫が一人で母の様子を見に行くということにしました。
夫は普段メンタルがとても安定している人なんですけど、さすがに今回ばかりはこの一歩を聞いてだいぶ揺らいでいるように見えました。
当然ですよね、心配ですし。私はすぐに何かするということができないので、夫に何かできることあったら何でも言ってということは伝えているんですけど、そんな状況です。
お兄さんから入ってくるLINEとかの情報によると、お母さんの様子は今トイレに行くのがやっとというような感じで、日常生活もちょっとしんどいと。
だから骨が治ってくるのに全治1ヶ月という診断があるので、短期でもいいから1ヶ月ほどどこかに入所して生活するということをちょっと検討した方が良さそうだという話を
今週末の集まりで話し合うんじゃないかという感じになりますね。相談と具体的な決断までその日に決めてこようというふうに思っているみたいです。
今回なぜお母さんがそういう怪我に至ったかというと、壁にかかっている時計の電池を交換しようとしていて、椅子から落ちたという話なんですよ。
これね私聞いた時すごいなんかいろんなことを考えました。
時計の電池交換って若い時っていうかねなんてことない日常の一コマじゃないですか。
私もね今なら全然椅子に乗ったり台に乗ったりして自分で変えちゃいますよね。
でも母は今年87歳もうちょっと90歳が見え始めている年でお兄さんは近くにいるし定期的に来てくださるケアマネージャーさんの方もいらっしゃるからもちろんお願いする方法もあったんじゃないかなって思うんです。
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私自身も50代に入っていろんな体の衰えを感じるようになってます。
老害をね加速度的に進んだりとか今までできてたことがなんかちょっとできなくなってるっていうのもちろん感じてます。
ただお母さんね数年前まではすごい高い脚立に乗って木の剪定してたくらいねめっちゃ活発なんですよね。
だから絶対ねこれくらい自分でできるっていうなんかこうプライドっていうか自負っていうかそういうものもあったと思います。
だから別に全然大事って思わずにねささっとやってしまったんだと思います。
だけどこのね90歳という年齢を前にするとこのちょっとしたことがこういうね大事故とか大怪我につながっちゃうんだなっていうことをすごい感じました。
この一つのねなんか小さな出来事だけで大きな事故になってしまうと一気に生活の自由度が失われますよね。
だから年を重ねるっていうことで一緒についてくるものはなんかできないことが増えていくっていうだけじゃなくて
自分のできるつもりと実際できることっていうここのずれこれも大きくなってくんだなっていうのをすごく感じました。
これこういう一連のねことを私いろいろ考えながらね思い出した言葉があります。
それは脳性麻痺の障害がありながら小児科医をされている今は東京大学で研究をされているっていうね医師の熊谷新一郎先生の言葉です。
その先生の言葉に自立とは依存先を増やすことっていうのがあるんですよね。
でこの言葉をね初めて聞いたとき私の自立っていう言葉に対する考え方がね大きく変わりました。
先生ご自身脳性麻痺の障害がありながら小児科医として活動されているのでやっぱりいろんな方の手助けをね必要としているわけです。
それを前提にした上で私が思ってた自立っていうのは何だろう人に頼らずに自分のことは自分でできるようになるっていうのが自立だなって思ってたんですよ。
でも熊谷先生はそうではないって言っていて人は本来はね誰にも頼らずに生きているわけじゃないと。
元気な人とか元気な時とかそういう時って自分一人で生きているように感じやすいんですよね。
でも実際は例えばで言うと道路とか交通機関とか家とかいろんな道具で周りの人社会の仕組みこういったものに普通に頼って生きているんですよ。
だけど頼れる先がたくさんあって一つ一つの依存度がすごく薄くて浅い。
だから自分で頼っているって感じにくい。
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でも障害があったりとか年齢を重ねて体が思うように動かなくなったりすると頼れる先がどんどん限られてくるし一人の人とか一つの場所に深く濃く頼らざるを得なくなってくる。
だから本当の自立っていうのは誰にも頼らないということではなくて困った時に頼れる先をいくつも持っておくことっていうことを先生がおっしゃってるんだなっていうことを思いました。
でも本当にこれその通りだなって思ったので私は息子が大学進学で一人暮らしを始めた時にもそれをすごく言ったんです。
彼は多分私と同じように誰にも頼らずに生きていくってことを目指しているなってすごく思ったのでそうじゃないよって自立っていうのは親に頼らなくなることだけが自立じゃなくて
親以外の学校の人とか友達とか近所の人とか病院、役所、バイト先そういう困った時にちょっと助けてって言える先を増やすことが本当の自立なんだよって。
それが親元を離れて生きていく上で本当に自分で生きていくっていうことにつながるんだよっていう話をしたわけです。
今回母の転倒の話を聞いてこれって若い人の話だけじゃないなっていうのを思いました。
年を重ねてからの一人暮らしとか後は老夫婦での暮らしとかこれも同じかなって思うんですよ。
自分一人で何でもできるってそれは一番いいことだけどでも本当は一人では生きていけるわけではないからできないこととかできそうだけど危ういこととかこういうのをちょっと助けてって言える先をいくつも持っておくっていうのが本当の自立なんだなっていうことを思いました。
おいては子に従えっていう言葉がありますよね。
これちょっと残念なネガティブな言葉かなって諦めないような言葉かなっていうのを思ってたんですけどでもこれもちょっと違うな解釈を私変えました。
年を重ねた時に私まだできるみたいな自分の感覚だけで押し切るんじゃなくて周りの目や手を借りなさいっていう先人の教えなんだなっていうことを思ってます。
自分ではまだ大丈夫って思っていることでも周りから見たら危ういことも結構いっぱいあると思うんですよ。
頼ることって簡単なようで実は難しくないですか迷惑かけたくないと思うしこのくらい自分でやりたいしできるって思うんですよ。
みんなきっとそう思うと思います。
でも年を重ねるほど自分一人で頑張るっていうそういう強さじゃなくて人に頼る勇気も必要になってくるのかなって。
だから年取っていく私たちとかは大丈夫って押し切るんじゃなくてじゃあお願いしてもいいって言えるそういう愛嬌ある感じの年寄り年の取り方をしたいなって私は思いました。
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ということで今日は時計の電池交換で点灯した義母に自立の意味を考えた話をしてみました。
皆さんは頼ることと自立することについてどんなふうに思われますか。
もしよかったらコメントやレターで教えてください。
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最後までお聞きくださってありがとうございました。
また次回お耳にかかりましょう。
素敵な1日をお過ごしください。
エミでした。