00:05
おはようございます。このチャンネルは、子どもが育った後のぼっかり感を抜けて、自分を育て直しながら、第2の人生を味わい尽くしていく、私、Emmyの声の記録です。
今日は、町田園子さんの『宙ごはん』を読んでいて、山下智子さんの漫画『異国日記』を思い出した話をしてみようと思います。
少し作品の内容に触れるので、ネタバレ的なことは嫌だなと思われる方は、このままスルーしてくださったら助かります。
まず、簡単にこの2つの作品の人物関係を整理しておきたいと思います。
今回の話のメインになる『宙ごはん』は、空という女の子を巡る物語です。
空には、海の母であるカノさんと、途中まで空を育てたフミさんという2人のお母さんの存在があります。
フミさんはカノさんの妹で、空がママって呼んでた人ですね。
一方で、異国日記っていうのは、両親を亡くしたアサっていう女の子と、そのアサを引き取ることになるおばの巻尾の物語です。
アサの母であるミノリっていうのが、巻尾の姉ですね。
ということで、ちょっとねこんがらがってしまうんですけど、この時点で子供の存在としては空っていう女の子、それとアサっていう女の子が出ていて、
両方に母というような保護者の存在、2人ずつ登場するっていう、そういう背景があります。
この設定もちょっと似てるんですよ。
私がこの似てるなって思った設定が、この2つの作品に出てくる大人たちがどういうふうに子供に向き合うのかっていう部分がすごく近いものを感じるなっていう思ったところです。
まず1つ似てるって思ったのは、空ごはんに出てくる空の海の母であるカノさんと、異国日記であるアサを引き取るおばである巻尾ですね。
この2人っていうのは、いわゆる完璧な保護者とか、ちゃんとしたお母さんっていう立ち位置ではないんですよ。
カノさんは海の母なんだけど、ご飯とか作ってくれるわけじゃないし、学校のこととかすごく細かく見てくれる、いわゆる良きお母さんっていうタイプじゃない。
巻尾も人と暮らすことが得意じゃないし、引き取ったアサに対しても柔らかく大きな愛で包み込むというよりは、かなり不器用に手探りで関わっていくっていう、そういうスタイルです。
私はこの2人すごく惹かれていました。
まず子供を自分のものとして扱わないっていうところがいいのかなって思いますね。
ちょっと引いた目線で見てるっていうか、自分の物語に引き込まないっていうのかな。
03:03
母親ってそういうところあるじゃないですか。愛が重いっていうか。
もちろん2人ともに愛はあるんだけど、なんとなくそういう若干引いた目線があるっていうところへの好ましさがあるっていうふうに思いました。
子供のすべてを自分が背負おうっていう感じじゃなくて、子供の気持ちを全部わかったつもりになってないっていうのもすごく好ましいし、
必要以上に踏み込みすぎないっていう、でも完全に放っていくわけではないっていう、そういう感じの距離感もいいなってそういうふうに思いました。
少なからず不器用さが見れるのも好ましいと思った理由の一つかなって思います。
一方で空ごはんに出てくるふみさん、これは育ての母っていうことになりますけど、ふみさんと異国日記のみのり。
みのりは朝の実のお母さんですね。交通事故で亡くなっちゃうんだけど。
この2人は子供にとっては母親らしい母という形で描かれている人です。
子供を本当に大事にしようとして、すごく支えようとして、関係も深く、濃くしていく感じがあるかな。
愛情がだいぶ強くなりすぎていて、相手を見ているようで自分の不安とか理想をそこに重ねているっていうね、そういう感じがするかな。
子供のためと言いながら自分の安心のためっていう感じもありますよね。
守っているっていうつもりで自分の形にはめているみたいなそういうところもあるかな。
こうあるべきっていう圧に変化している。
その辺が私すごい自分にブーメランとして帰ってきて、やっちまってる私もっていうのと、これ怖いなっていうね。
一歩引いた目線だからこそそういうふうに思えるなっていうことを感じました。
この2つの作品を重ねて考えた時に私が思ったことっていうのは、ちゃんとした大人とか母とか保護者であるってことっていうのはね、
必ずしも子供にとって理想ではないですよね。
もちろん幼少期とかはご飯を作ったりとか生活整えるとかきちんと世話をする子供のために動くっていうのはもちろん大切なことなんですけど、
でも別にそこが不十分でも子供を尊重している目線があれば、子供は子供でしっかり育っていくっていうのを感じました。
だからこそ私はこの両方の作品に出てくるカノさんとかマキオっていう若干不器用スタイルの大人に惹かれたのかなって思います。
私自身も子育ての中で息子にいろんなことを求めてきました。
ちゃんとしてほしいとか、自分のことは自分で考えてほしいとか、社会に出ても困らないようにしてほしいとかね。
そうやって何やにしてほしいがすごくたくさんあって、それはもちろん愛情でもあったんだけど、でも子供からしたら重いっていうのあっただろうなってすごく感じます。
06:04
同時に私はカノさんとかマキオみたいな不完全な母親の要素もたくさん持っているわけですよ。
だから両方あったから余計ややこしいかなっていう気もしますね。
なので子供のためと言いながら実は自分が安心したかっただけっていうのはすごい耳が痛いし、子供を見ているようで自分の理想を押し付けてたなっていうのがすごく反省として募りました。
このソラゴハンっていう作品はタイトルにもある通りご飯の話でもあるし、家族の話でもあるし、大きく見ると愛の話でもあるなっていうのを私は感じて今この話をしています。
でもここで語られている愛っていうのがありふれた愛だけじゃなくていろんな形の愛がありました。
人を回復させる愛もあるし、相手を思うあまりに苦しくさせてしまう愛もあるし、人を傷つける愛もあるし、自分を傷つける愛もあるかもしれない。
一番大事なのは守ることとか導くこととかも必要だとは思うんだけど、やっぱり相手を自分の思いで覆わないことっていうのが大事なのかなっていうのを思いました。
私多分これこの年になって多分子育ても一段落したから今そういうふうに思えるんじゃないかなって思ってお前のもうがっつり子育て中はなかなかそういうのを気づけなかったかと思うし、気づけても実行はできなかったんじゃないかなって思うんですよね。
必ずその人にはその人の人生があるっていうことを忘れずに接したり自分の振り返ったりしたいなというふうに思いました。
ということで今日は空ごはんを読みながら、そして異国日記を思い出しながら考えたことっていう話をしてみました。
皆さんは子供のためとか相手のためと思っていたけれど、振り返ってみると実は自分が安心したかっただけかもしれないみたいなそういうふうに感じた経験はありますか。
もしよろしければコメント欄やレターで教えていただけたら嬉しいです。
いいねやフォローもとても励みになります。最後までお聞きくださってありがとうございました。また次回お耳にかかりましょう。素敵な一日をお過ごしください。
エミでした。