で、大浦天守堂っていうのはあまりにもこれも有名な観光地ですけれども、改めて何がそんなにすごいのかという話なわけですが、
そこを語る上で絶対欠かせないのが、神都発見と呼ばれる大事件です。
日本の歴史でご存知の通り、キリスト教というのは戦国時代に九州に入ってきて、それからいろいろキリシタン大名が出てきたりとかっていって勢力を張ったわけですけれども、
豊臣秀吉が天下を握って、それにその後の徳川幕府の時代になってくると、弾圧をされてしまって、日本の中でキリスト教を布教するということは許されない。
一般庶民においてもキリスト教を信仰することも許されないということになっているというのはご存知かと思います。
なので江戸時代の日本においては、もちろん外国の人で出島に住んでいる外国の人とかはもちろんキリスト教徒だったと思うんですけど、
建前としては日本人にキリスト教徒はいちゃいけないことになっているんです。
ところがペリーが外交してきて海国になった。
多くの外国の人がグラバーをはじめとして長崎だったりいろんなところに住み始めたわけですよね。
彼らは彼らの信仰を持っているので教会が必要になってそれで大浦天使堂というものもそれで築かれている。
そこに神父さんもいらっしゃって、外国人の方向けにキリスト教の祭礼を取り行っていたりしたわけなんですが、
1865年、これつまり江戸時代は68年までなので、本当に江戸幕府が倒れる直前なんですけど、
長崎市のちょっと北の方にある浦上というところの一般庶民が、
密かにこの大浦天使堂を一目を避けて訪れて、そこにいた外国人の神父さんにとあることを言う。
それが何かというと、実は私はキリスト教徒なんです。
つまりずっと江戸幕府の目があるから言えなかったんだけど、何百年もの間、実は秘かに私たちはキリスト教の教えを守り続けていました。
これが潜伏キリシタンと言われる人たちだった。
つまり潜伏してたんですよね。バレちゃいけないんです。バレたら大変なことになっちゃうんで。
教科書だと隠れキリシタンとか書いてありましたよね。
ところが、これは気をつけなきゃいけないんですけど、隠れキリシタンと潜伏キリシタンは全く別物です。
そうなの?
これは結構世界史の時も話題になって、我々出版業界の人間もすごく厳しく気を張っているところなんですけど、これは別物です。
潜伏キリシタンというのは、今言ったように江戸時代に弾圧を避けて、秘かにキリスト教の教えを守り続けていた人たち。
そして大浦天主堂を秘かに訪れて告白をして明るめになった存在なんですけれども、
隠れキリシタンというのは何かというと、出発点としては同じようなものなんですよね。
江戸幕府にバレないようにキリスト教を信仰していた人たち。
ただその中で300年くらいの長い年月の中でキリスト教を隠さなきゃいけないという最初のテーマがあるわけですけど、
それをうまく仏教とか神道のフリをして独自の民族宗教ですよみたいな風な体で隠していた人たちが隠れキリシタン。
なので江戸時代が終わって明治になってきたときに蓋を開けてみると、
潜伏キリシタンはいわゆるキリスト教、はいそうだよねなんだけど、
隠れキリシタンはキリスト教を出発点にした独自の信仰にもなってたんです。
そういう違いがあるんだ。
これが違うんですね。
隠れキリシタンというのは日本の特定の地域、特定の家にしかない独自宗教になってたんです。
俺の印象だとただ隠れてキリスト教を信仰してる人っていう印象だったけど、
そういううまくカモフラージュしながらキリスト教を信じるっていう、独自に発展していったものだったね。
カモフラージュが受け継がれていくうちに徐々にその形を変えていってしまった。
本当にそのカモフラージュがそのまま信仰になっちゃったみたいな。
そうそうそう。
っていうのが隠れキリシタン。
そうなんだ。
今回の大浦天宗堂は潜伏キリシタンが発見される舞台になったのがこの大浦天宗堂なんです。
なるほどね。
だからこの神父さんからしてみたらびっくりしたんですよ。
だって江戸時代は日本にキリスト教徒はいないって言われてたんだよ。
そうだよね。
そう教わってきているんだ、日本に。
で国だって認識できているので。
ところがある時急にそれを告白してきた一般庶民がいて、実は長崎にはそういう人たちがいっぱいいた。
っていうのが神と発見っていう事件です。
もうキリスト教の歴史における大事件です。
これが舞台になっているので世界遺産なんです。
というのが大浦天宗堂になっています。
今のような話、大浦天宗堂の建物の中はもちろんステンドグラスも干渉できるわけですけれども、
併設されている博物館、記念館がありますので、
そこにいくと神と発見の表しだったり、潜伏キリシタンと隠れキリシタンの違いであったり、
日本におけるキリスト教の不況の表しというのもよく知ることができます。
歴史に興味のある方はぜひこの記念館も時間をかけて見ていただけるといいかなと思っています。
ただ今回は先を急ぎまして、大浦天宗堂を拝観し終えましたら、
そこから徒歩2分ほどで港の方に降りていきます。
目指すのがカフェ・レストラン・キズナさんです。
これ我々も大浦天宗堂の後に行ったんじゃないかなと思うんですけれども、
このカフェ何を食べたかって覚えていますか?
僕らはミルクセーキを頼んだんじゃなかったっけ?
そうです。結構暑かったと思うのであの日ね。
ミルクセーキ、これも長崎の名物ですけれども、カフェ利用として頂戴しましたね。
ただ今回はランチ利用としてご紹介をしたいと思います。
ここでもう一つ長崎市のグルメを食べたいと思うんですが、
それがトルコライスです。
トルコライスというのは何かというと、ピラフの上にとんかつを乗っけて、
さらにその脇にサラダとスパゲッティがあるというね、
わんぱくなワンプレート料理なんですけれども、
これ美味しいですよね、誰がどう見てもね。
これがトルコライスという、やっぱり異国から入ってきた料理を長崎府にアレンジしたものの代表的なグルメですね。
なんかやっぱこう日本の洋食って感じがする。
多分そのヨーロッパ行くとあんまりこういうのないのかもしれない。
アレンジはなされたね。日本人の口に合うようにアレンジされたものだと。
これも結構でも歴史の古い料理でね。
なぜトルコなのかみたいなね、実はよくわからないらしいんですけれども、
レストランの名前なんじゃないかとか、何かトルコ人が関係したのかわかんないんですよ。
ただ何かしらのゆえんでもって長崎に受け継がれた料理だと。
見てわかる通り結構ガッツリ系のグルメではありますけれども、すごく美味しいんですよね。
まあね、そりゃ美味しいわな。
ボリューミーでもありつつね、やっぱりこのピラフの上に乗ってるっていうのはそれぞれちょっと味を引き立たせてくれるような感じもあって、
誰が見てもその口部と詰め込んだようなね。
松江で紹介したカツライスにちょっと近いかもしれません。
というのがこのレストランKizunaさんの名物であるんですが、
我々ミルク請求をいただいたという話もしましたけれども、
こちらね、このトルコライスだけではなくて、
ちゃんぽんスープをねベースに煮込んだ長崎スパイスカレーっていうものもね、
看板メニュー、オリジナルメニューとしてあったり。
で、これもね、昨日のグラーシュさんと同じなんですけれども、
やっぱり長崎県産のお肉と野菜にすごいこだわっていて、
長崎エッセンスっていうのをすごくオリジナルで詰め込んだ料理になっていますので、
これもやっぱり観光客として訪れても非常にね、
そういったところに触れられるのは嬉しいポイントだなと思います。
なんかね、結構ね、おしゃれだった印象がありますよ。
そうそう、デザイナーズカフェみたいな感じですよ。
道路に召してる壁が一面窓になっててね、
すごく光が差し込んで明るい店内。
そうでしたよね。で、すごく落ち着いてね。
ご家族で来てる方とかね、いた思い出がありますね。
そうですよね。
それでやっぱり長崎観光、場所もいいのでね、
大浦天守堂から徒歩2分で、要はグラバー園からも近いので、
すごく使い勝手もいいですし、落ち着いてね、
ご食事をいただけるというところもポイントです。
というね、カフェレストランKIZUNAさんでお披露いただきました。
そしてですね、なんでこんなに先を急いで云々と言ってるかというと、
午後がね、この旅行の中でもトップクラスのメインコンテンツが待っています。
それが軍艦島ですね。
これで我々も行ったわけですけれども、
改めて軍艦島というのはどういった印象だったりしましたか?
そこにこう、記事として千和田駅の紹介があったんですけど、これ見てなんかね、すごくこう感動しちゃってですね、やっぱりここ行ってみたいなって思ったんですよね。
これがやっぱり長崎の日常っていうものに僕はね、憧れを持ってしまったんですね。
この千和田駅とかっていうものを見ていたときに。
だってこれって別にすごくちっちゃな駅だったじゃないですか。
そうですね。
本当にローカルの地域の人たちがね、ずっとこう繋いできた駅なんですけど。
普通の観光客は乗らない。
乗らない。
そう、そんな有名な観光地が周りにあるわけでもないし。
本当に地元の人が日常生活のために使っている駅なんですけど。
その長崎のね、この日常の中に当たり前にこういうものが出てくる。
っていうのが、これがなんかやっぱり長崎の人がそこはかとないね、地元愛を持っている一つの理由なんじゃないかっていうのは僕は仮説としてずっと思ってたんです。
それを千和田駅ももちろんそうなんですけど、我々が自身が体感したね、サセボの先生たちもそうでしたよね。
あのバーで会っただけなのにね、サセボというものをあれだけ愛してね、我々をガイドしてくださった人もいるし。
そしてこう長崎に生まれ育ってね、日本の本当に大舞台で活躍されている方たちも今でもやっぱり長崎のことを話し始めるということがあります。
それがやっぱり千和田駅のコスターと日常の風景というものが、いかにこの長崎の日常というものが尊いものかというものをすごく感じるんですね。
それはやっぱりこの千和田駅もそうだし、群寒島も要はそうなんですよ。
群寒島の人たちにとってあの島はね、今は世界遺産なんて言われてますけど、そもそもそこが日常だったわけ。
それの尊さを知っているからこそあえてこの歴史をつなごうとしているし、長崎っていう県の中でそれぞれの故郷でそれぞれの思いと景観があって、それを懸命に繋いで伝えていこうという努力がやっぱりここは特別な街だと思うんですね。
長崎県というものはね。
というのがやっぱり液写も楽しめるし、夕日も楽しめるしというのがやっぱりこの千和田駅の魅力なので、ちょうど私もねこれ時間合わせました。
おそらく17時、18時前にここに来るようにちょっと時間を合っているのでね。
青春十和式リップのポスターではちょっと前なんですけど。
だから夕日に合わせていくってことね。
そういうことです。
一没時間を調べておいてもらうといいかもしれないね。
その通りです。
稲瀬山もそうだけど。
そうそうそう。その通りです。
それにこう略算してね、群寒島があるのでちょっと憂鬱が聞かれる部分もあるんですけれども。
ただ午後便に乗ってそのまますぐに空港に向かえばおそらくちょうどいいくらいの時間になるんじゃないかなというふうに思います。
そして千和田駅で最後に見た後で車で20分ほど行くと長崎空港に着きますので、それで各地に帰っていただくというのがいいかなと思います。
ということでこの3日目を振り返っていきましょう。
あとあえて今回入れなかったけどね、サセボにはハンステンボスっていう有名なテーマパークもあったりしますので、
そういうのを組み合わせてもらってもいいかもしれませんが、
サセボ長崎を2泊3日でとりあえずここはというところを抑えるのであればこういったルートがいいのかなという感じです。
どっちかだけでもいいしね。
そうですね。もったいないですね正直あんまりさらっと行くのはね。
本当にそれぞれの魅力がすごく深いのでね。
いいですね。この外観するコースだけでも長崎の多様な面とか、歴史に関わる様々なイベントとか側面が見れたかなという感じがしますね。
そうですね。
じゃあそのタイトルの改修の話を最後にしたいと思うんですが、改めてタイトルを申し上げると、
祈りの歌×坂道のメロディー名もなき一日の愛し方ということなんですけれども、
坂道のメロディーは以前申し上げたようにサセボを舞台にした坂道のアポロの主題歌から取ったんですけど、
祈りの歌は長崎市を主にするキリスト教とかの祈りの捧げられているものを掛け合わせたということなんですけど、
問題になるのがもう一つの名もなき一日の愛し方ということなんですけれども、
これね、僕ね、さっき千和田駅の話すごくしちゃったんですけど、
もう一つね、長崎の日常というものを考えるで絶対欠かせないコンテンツがあると思ってまして、
これ何を見ていただいているかというと、長崎バスさんのテレビCMなんですね。
2016年1月に放送が始まった80周年の記念CMで、長崎バスの運転手さんをね、募集しますよというようなテレビCMなんですね。
そしてなぜこれがね、そんなに言うかということなんですけど、ちょっと見てみましょうか、実物をね。
もう一個ね、実はパターンがあるので。
というね、CMがあるんですね。
いいですね。
これどうですか?映像の観点から見てもね。
これはもう別に映像とかじゃないですよね。
だからやっぱりね、パーフェクトレイズですよね。
そうなんです。これはね、そういう意味合いなんですよ。
これね、長崎バスさんのCMね、主演も監督も役所工事さんが勤められています。
監督も?
役所工事さんが全ての仕事を取った。
役所工事さんはね、ちょっと最初の日に話しましたけれども、長崎県伊佐林のご出身で、本当に地元なんですね。
やっぱりすごくやっぱりこの長崎バスというか、長崎に対する共同愛がこの人もやっぱりすごい強い方で。
ということなんですよ。
で、千和田駅のね、ポスターでさっき朝日新聞さんのコラボの方で女の子とお母さんが千和田駅の夕日に来るのと、なんかすごくちょっと情景がかぶさるようなね。
このバスのCMにおいても女の子の姉妹2人がね、町までの冒険って言ってこの朝なのかわかんないけど、海沿いのバス停から役所工事さんが運転するバスに乗っていくっていうストーリーなんですけど。