やっぱり三戸ってね、そもそもうどんがおいしいってことはさ、
こういった小麦を使った麺っていうのはやっぱり発達するわけなんですよ、
基本はそもそもね。
あまりにもこの三戸うどんっていうのが有名すぎるから、
もううどん帝国になっちゃってますけど、
ラーメンだって小麦を使って、あとは魚介出しを使ってってやっていけば、
結局おいしくなる下地はあるわけですよ。
それに気づいたのがこのハマンドラーメンの創業者の方らしいんですけれども、
この人面白いのがね、
なんとね、初代サヌキうどん王なんですね。
これは何かというと、
ちょっと少し前の話らしいんですが、
うどんの文化とかね、味の向上を目指した形で、
うどん博士選手権みたいなクイズをね、
うどんマインスターみたいなのを地元の新聞社とかが主催で、
やった大会があるそうなんですけど、
それの初代チャンピオンなんですって。
だからうどんの人なんですよ、そもそも。
うどん王なんですよ。
なんだけど、なんでそのうどん王になったかっていうと、
ご自身としてはやっぱりラーメンの可能性感は絶対あるはずだと。
で、ハマンドラーメンさん嫌いだそうなんですけど、
やっぱり香川の人はうどんに行っちゃうんですって、どうしてもね。
じゃあその香川の中ではラーメンはじゃあもう流行らないものなのかっていうのが、
ヒントが得たくて、
その改善のためにじゃあ香川の人が喜ぶものってなんだろうって言って、
うどんをとにかく食べまくって。
そこに何かのヒントを見つけようとして、
うどんとその出汁をとにかく研究しまくって食べまくって。
そうしたらなんか食べすぎてうどん王になっちゃった。
ラーメン屋の選手なんだけど、うどん王ではあるって。
面白い人だった。
それだけ研究したんだね。
だからその研究の成果が結果的に、
うどん帝国である香川において人気起こっているラーメン屋さんになって、
ハマンドラーメンとして定着したという。
なるほどね。
いや美味しかったもんな普通に。
これ美味しかったね。
かなり。
本当にその出汁の香りとすっきりした感じが、
朝にちょうどいいラーメンでしたね。
そうですね、重くないんだけど深みはあってね。
すごくやっぱり出汁が美味しいなって僕のところに思いましたね。
そうね。
というかそういった言われでもってね、この方はやってらっしゃる。
我々は今9時半くらいに行くあさらのイメージで、
ちょっとこれ詳しい位置は僕分からないんですけれども、
おそらく我々が行ったのはね、
敷地の中の商店舗のあさら専用小屋みたいな感じだったんです。
なんかそんな感じだったね。
奥に本当の店舗があるんですよね。
お昼から開く大きな店舗があって、
朝はその小さい方で一人でやってらっしゃる感じだったので、
なのでちょっとこのあさらの建物と昼の建物が隣接してないけど、
微妙に違ったりっていう感じはあるそうなので、
この辺り我々ウェブで検索した時もちょっと戸惑ったところもあったので。
ただ同じ場所ですので問題なく行けると思います。
ここもね、教えてもらったんですね。
そうなんです。
前日のね、旧福ブルーイングさん。
本島のね、ブルワリーですね。
そこで隣で飲んでらっしゃった方に教えてもらったんですよね。
そうなんです。
これも僕も恥ずかしだから全く存知わけませんでした。
カムアンドラーメンさん。
なのでこういうことなんですよね。
呪術なりが繋がっていくんですよ。見事にね。
ドライバー主さんですよね、ほんとに。
ああ、そうね。
これはね。
めちゃめちゃうまいですよね。
これは骨つき鳥なんですけれども、改めて発祥の一角さんに行ってるので、歴史を考えてみますと、
これちょっと面白い話があってですね。
この一角さんというのは実は元々ね、いわゆる普通の居酒屋だったらしいんですね、丸亀にある。
どうもね、1952年とか3年とかから丸亀でお店を開かれていたそうなんですが、
ある時ですね、この僧侶者の方が映画が好きだったらしくて、
映画を見ていたらアメリカのハリウッド映画の何かがチキンを食べているシーンがあったということで、
それをね憧れてしまって、それを自分でも作ってみたいって思ったのがそもそもの始まりだったんですよ。
なんかクリスマスかなんかの。
そうそうそう、何の映画だったんでしょうね。
なるほどな。へえ。
なので歴史としては、狸うどんとかと比べると全然新しいものなんですね。
専門のものです、あくまでも。
ただ今やっぱりね、そのスパイシーさがやっぱり日本風でもありますから。
ということでね、この一角の僧侶者の方が不思議なヒントみたいなのを得てね、
思いつきでやったのがそもそもだったらしいんですよ。
なのでこの一角さんが発祥のお店になっていて、
ただ今は丸亀市全体でもすごく食べられるお店いっぱいありますし、高松の方でもあります。
ちなみに一角さん自体はね、高松にもお店、宮崎さんすぐそばにあるんですよ。
丸亀にも、丸亀駅の北側に本店があって、あと2店舗あったはずなんです。
今回このどき川店っていうところに行っているのは、なぜかというとここは駐車場が広いんですね。
本店は駐車場がないんです。
もう駅の目の前の市街地のど真ん中にあるので。
なのでどき川店は僕は個人的に車があるならそれがオススメです。
行きやすいってことね。
でもやっぱ本店に行きたいよって方がいらっしゃったら、
例えば1日目のミロクブルーワリーさんに行く途中に一角の本店ありますので、
ここに行っていただいて、これを1軒目にするとかでも怖いんじゃないかなと思います。
あと関東の方は横浜に支店がありますので、東京にはないんですよ。
なので横浜に来てください。という感じになっておりますがね。
やっぱ美味しいですね。
うまいよね。
あとやっぱ骨付き鶏を語るので欠かせないのは、親鶏ひなどり問題というのがありますけれども。
ありますね。これはね、俺はひなどりかな。
これは好みの問題なんですけどね。
骨付き鶏にも2種類あって肉質が違うんですけど、
親鶏は結構ジューシーというよりもコリコリした食感のね、ちょっと硬めの歯ごたえのある感じのね。
ゆっくりゆっくり噛んできて旨味がじんよいに出てくるイメージ。
そうだね。ギュッて噛む感じがね。
ギュッて噛む感じ。ひなどりの方はもっとふわふわとね、柔らかいですよね。
なのでこれもね、我々が大神さんで食べさせていただいた時も、同時に1本ずつ頼んだりもできましたから、食べ比べをしていただくのもいいんじゃないかなと。
グループで行くとね、1本ずつとか両方食べ比べするのが楽しいかもしれないね。
そうですね。なのでやっぱり今回の旅行は4人くらいがいいと思います。非常にね。
そうだね。
ってかね、ドライバーがいないといけないしね。
そうそうそう。普通に家じゃないんで、そもそも1人。でさすがに彼女といったらこれ大喧嘩になりますから。
マジで。そりゃそうだね。
嫌いになりますよ、こうやったら。なので4人くらいで物分かりの言い方を1人ね、入れていきたいと思います。
そうだな。本当に岡田に感謝だな。
まあ内田もね、最初より今回やってくれましたもんね。どんどんさ飲んでないのでね、そのおかげでね。
ということでね、発祥の一角さんのドキガワ店で今回はいただきました。
もうメニューの写真にビールあるもんね。
そう、もうセットになってる。いつ飲んでもいいからね。
飲んでくださいっていうことで。
そりゃそうだよね。
これもしょうがないよな。
で、そこでね、お昼ご飯をいただいた後は漢語に戻ります。
ちょっとね、ルートがねやや前後してしまうんですけど、ちょっと歴史的な経緯からこういう順番にしました。
骨継の立角ドキガワ店さんから車で10分ほど西、水戸寄の方に戻ります。
そこにあるのが中津晩商園、および丸髪美術館です。
中津晩商園というのは大分県にある中津市と同じです。中央の中に三重県の津市の津ですね。
晩商というのはそのまま神羅晩商という意味ですので、そのままですね。
に園と書いて中津晩商園というね、これは峡谷家の庭園です。
一日目にね立林公園に行きましたけれども、あれは高松藩松平家の庭園。
こちらは丸髪藩峡谷家の庭園ということでね、庭園を東西で張り上げてるわけですね。
なるほどね。
でね、これはね面白いところが何かというと、もちろん大名庭園としてやっぱり池があって橋があって樹木が植えられててっていう素敵なところなんですけれども、
これね、峡谷家っていうのはもともとね室町幕府のすごい重要な役割を持っている巨大大名で、両国をね奥美、滋賀県ですね。
と出雲、これが天子に奪われた出雲ですよ。とかっていくつかに渡ってたんですね。
だから本領は奥美だったんですよこの人たち。
奥美、滋賀県といえばね、琵琶湖じゃないですか。
でね、この琵琶湖にも奥美八景って言って、中国の少々八景っていう文人たちが愛した風景が八つあるんですけど、
これを見立てた奥美八景っていうものを設定してたんですね。
さらにその奥美はそういうわけで追われてしまったんですけれども、丸亀に来てもその奥美の魂を誇っておきたいっていうことなのか、
このね、万象門編の中に八景を新たに設定してるんですね。
これがやっぱり峡谷市のプライドというか、名画ならではのね、歴史の豊かしいところでありますね。
まあ自分で言うだけのことはあって、さすがにやっぱり綺麗なんですねこの庭園ね。
池を中心に上緑樹の松だったり、あとこの竹林が綺麗なんですね。
これね、この青々とした竹と赤い鳥が並んでてね。
これも伏見稲荷みたく鳥居回廊っていって、竹林の間をバーッと鳥居が入っていく、カーブしていくっていう、これまたポトジェニックなスポットでありますね。
いいですね。これはもちろん正解は何もないので、それぞれの捉え方があると思うんですけど。
一応僕が客観的な事実のところだけお話をしておくと、この猪熊原一郎さんという方のお名前はね、知ってらっしゃる方がいるかどうかわからないんですけれども、これ非常に有名な洋画家の方です。
誰もが知ってることで言うと、三越百貨店の紙袋ってわかりますか?
チェックのやつ?
それはいせた。
そうだわ。三越は?
見ればすごかった。
あの薔薇は高島屋だもんね。
これも見たことあるんじゃないでしょうか?
これを作った人なんです。
なのでね、洋画家さんなんですけれども、もちろんデザイナーさんでもあります。
なのでね、この図案を作った人が猪熊原一郎さん。
そしてこの図案を依頼して実際にこのデザインを取りに行ったのが、柳瀬隆さんだと言われてます。
当時三越に勤めていた柳瀬さんが、これを取りに行ったと言われてるんですね。
そんな繋がりあんの?
伝説的な話なんだけど、でも実際そうだったらしいです。
漫画家になる前の見習いの時の柳瀬さんが猪熊原一郎さんの元に、そのデザインを取りに行った人だったそうです。
いや今から考えると、そんな仕事しないでくださいって感じだよね。
すごいですよね。このポットキャスターを紹介したことがありましたけれどもね。
この方はもともと高松に生まれた方なんですけれども、丸亀で少年時代を過ごして丸亀の地で育まれたという意識がご本人もあったようで、
この丸亀駅の目の前に、この現代美術館を生前も建てられたものになっています。丸亀市が建てたということなんですけど。
なので実際行っていただくと、猪熊原一郎さんの描画だったりデザインだったりというものがもちろんありますし、それに加えて企画展もやってらっしゃる。
多分駅の目の前に美術館があるというのは、なかなかここまで露骨にあるものはないと思うので。
本当に目の前だもんね。
だから丸亀っていう町の得意性があります。
そしてこの外観が創作の広場っていう猪熊さんの壁一部の壁画を大胆に全部外壁に使って、
現代アートを織り混ぜるっていうちょっとインパクトのある外観をしてますから、
丸亀に来た方はこの町は何なんだろうって思うと思いますよね。
この壁画も馬がすごくたくさん描かれていて、
中入って作品見てても馬をモチーフにしてるのは結構あって、
なんか親しみがあるのかなーみたいな感じがありましたよね。
そうですね。
あとは見どころとして付け加えるならば、これは建築もすごいんですね。
言ってもらうと分かったと思うんですけど、この外壁にこれを取り込むっていう斬新さもそうだけど、
全体的にすごいスタイリッシュで洗練されていて、
屋上とかにも広場みたいなのがあってね、彫刻が飾られていたりするんですけれども、
これを作ったのが谷口義男さんという方です。
これはね、僕もねちょっとこの間大変残念なニュースとして受け止めたんですけれども、
先月ですか、2024年12月にお亡くなりになってしまった、
もう世界的な建築家です。ニューヨーク近代美術館の増設の設計でもあって、
もう世界で売っておられたすごいトップの人だったんですけど、
残念ながらね1ヶ月前にお亡くなりになってしまいました。
その方が作った美術館の傑作で、
これも実際この美術館自体が建築学会のすごい格式ある賞をいくつも受賞している、
現代建築の名作として知られている美術館になります。
なので谷口さんがちょっと亡くなられてしまったというのは非常に残念なことあるんですけれども、
その代表作として今後も語り継がれていくだろう美術館になっていますね。
ということで丸亀駅の目の前にあります。
これ余談ですが、止まっていただくと丸亀にライトアップした姿を見られますので、
これがまた独特で面白いんですよね。
そうだね。我々夜も行きましたけど、
なんて言うんだろう、不思議な、なんかちょっと怪しさもあるような。
怪しさありますね。
なんかぼんやりと照らされていて、
なんだろうね、面白いんだよな。
夜だとあんまり人もいないしね。
そうそう。写真もすごいいい写真撮れますよ。
この辺から異空間巻いていくんですよ、丸亀がね。
なんかね、不思議な空間だよね。
動線上で言うと魚上さんから魅力に行く途中なのでね、
だんだん異空間になってきていて、最後にタリソーが待ってるという感じなんですね、丸亀の夜はね。
電車降りてこれやるのなかなかインパクトあるよね。
すごい街だと思いますよ、この街は。
ということで井上玄一郎現代美術館でした。
そっから徒歩3分ほどで丸亀駅の車を停め、駐車場に戻っていただいて、
この旅における最後の目的地となります。
そこから車で20分ほど行っていただいたところにあるのが、禅通寺です。
これね、ちょっとホットなニュースとして、
内田はどうですか、紅白歌合戦見てましたか?
見てましたよ。
その後、行くとしくるとして見てましたか?
見てないです。
あらー、残念。
出たんですよ、これが。
僕は非常に残念なんですね。
なぜかというと、あれ、先週の評論家さんがね、JRスキースキーを当てるのが得意なように、
僕毎年やる、行くとしくるとしてのトップを当てるのが得意なんですよ。
本当に。
これ非常に得意なんですよ。
今年もね、分かんなかったんですけど、去年は当たったんです。
今年は分かんなかったんだけど、何だろう、メモリアルイヤーとか思いつかなかったので。
大体メモリアルなんですけど。
そしたらね、なんとね、長谷寺だったんですね。
覚えてますか?
奈良の長谷寺。
僕にとっては個人的にも特別なお寺ですし、ポッドキャッスルもありましたし。
長谷寺だと思って、わーって思って、次何だろうと思ったら2番目が全通寺だったんですね。
で、うどんをこう、年越しうどんをみんなでこうやってる風景が、すごい美味しそうでした。
という、ちょっと余談から入りましたけど、全通寺さんです。
これはもうね、香川を代表するお寺、間違いなく一番有名なお寺と言っていいでしょう。
なぜ有名なのか。
これもね、ちょっと特殊な終わり方をするんですけど、
次のサヌキのコースの導入としてこれを最後に持ってきました。
おしゃれなことする。
おしゃれです。予定もないのに。
全通寺は一言で言うと、工房大使空海さんの生まれた場所です。
工房大使というのは、今でいう日本の信号集ですよね。
信号集を開かれた方として、
日本で本当に最も影響力のある僧侶と言っても過言ではないと思います。
ことわざもありますしね。
そう、工房も船の山にもありますしね。
筆を選ばずもあるしね。
筆を選ばずもありますし。
あれは要は、地外非常に上手かった方として有名な。
平安時代の初期、だいたい9世紀の初めに来た方ですけれども、
剣道に混ぜ込んでもらって、唐、中国に渡って、
そこで密教というね、仏教の呪法をいろいろ獲得して戻っていらっしゃって、
で、日本に信号密教を伝えたという人で、
おそらく本当に1000年経った今でも非常に強い影響力を持っている方ですね。
その方が生まれたのはこの禅通寺なんですね。
お寺で生まれたんだね。
正確に言うと、ここ生まれたところにお寺が建ったというのが精神のルートですね。
なるほどね。
空海さんは別にお坊さんの息子じゃなかったんです。
ここに来て埼玉市っていう豪族の息子として生まれたんです。
今の禅通寺市生まれなんですね。
この辺りはね、いろいろもう詳しい方もいると思うのであんまり省略しますけれども、
空海さんの本当にルーツであるのがこの禅通寺であって、
実際今でもご誕生の場所として非常に有意所あるお堂が建っていたりします。
空海さんのことを話し始めると、それだけでポッドジャスト2回3回分になるので省略しますが、
もともとこの埼玉市という自分の実家があった場所に、
唐から空海が戻ってきた時に密教を広める一つの根拠地としてこれを建てられたので、
信号宗というのはいくつか宗派に分かれていて、
長谷寺も総本山ですし、一番有名なのはやはり高野山混合武士。
いわゆる高野山ですね。
あれが空海さんが最後にね、建てた本山なんですけど、
その本山の一つが禅通寺でもあると。
なのでやはり信号宗という日本全国にあるものの中でも特別格の高いものになっています。
空海さんが特にこの狸の国と紐づけるときに絶対欠かせないことは、
四国88カ所例上というものを設定した。
これはやっぱり非常に大きなポイントですね。
我々のポッドキャストで言うと、
ソマルブルーの徳島の時に雲平寺というお寺を紹介しましたが、
あれがやはり四国88カ所の一つでした。
そしてこの禅通寺ももちろん四国88カ所の例上第75番ということでね、なっています。
一言で言うとですね、僕この空海さんというのは本当にマルチな才能で、
これレオナルド・ダ・ヴィンチに匹敵するレベルっていう、
東洋哲学とか真理想における全てを大得した人なんですっていう天才だったんですけれども、