なんか不思議な取り合わせだね。
そうですね。
薔薇建築大パーツ。
大パーツ。
大パーツってわかりますかね。
オーバーテクノロジーの遺物みたいな感じだよね。
そういうことですね。
ちょっと都市伝説めいてるところもありますけれども、
例えば何千年前の古代の遺跡から、その当時では普通ありえないようなクリスタルの何かが見つかったりとか。
要は、我々今の令和の人間が認識している時代性から逸脱する不思議なものが現れたっていう怪奇現象の要は一つみたいなものですよね。
当時これは無かったはずだろうみたいなものだよね。
そういうことです。
だからそれが大パーツっていうパーツですからね。
その一つのものをきっかけに、実は古代には昔とんでもない今の文明を遥かに超えた文明が実はあったんじゃないか。
我々だからその第二ステージを生きてるだけなんじゃないかとかね。
なんかあるよね。
そういうちょっといろんなロマンというか想像というかを膨らむような、そういったものを大パーツっていうふうに言いますね。
それが今回は地名が入ってないけど、どこを巡るんですか?
これはですね、今回は特定の市を巡りたいと思うんですが、行くのはですね、広島県の福山市というところです。
これはちょっと俺はなかなかイメージがないかな。
広島というもの自体がね、多分このポッドキャストでは出てくるのは初めてだと思うんですけど、
どうですか?広島というのは。
広島は我々は修学旅行で行きましたね。
そうなんですよね。
永平寺っていう形でね。
あの修学旅行本当に多分福井の回でもちょっと話したと思うんですけど、
永平寺に我々修学旅行に行くんですよ。
で、その時になんか知らないけど、同時に広島にも行くっていうね。
本当にもう先生がうたた寝するぐらいの過密に行って。
そうですよね。あれモデルコースでやったらうちの本出ませんよ。
あれ止められますよ。ハッキリ言ってやんなくなったら。
ひどいよね。
そこで美島神社とかね、宮島だよね、行ったりとか原爆ドームの資料館も見学させてもらいましたし、
っていうぐらいですかね。他に俺は行ったことないんですよ、実は。
本当ですか?じゃああの時1回だけ。
なんで福山市はちょっとわかんないね。
おっしゃるとおりね、平和学習とかっていう観点もあって、修学旅行やはり広島多いかもしれないんですけれども、
広島県というのはね、実は昔2つの国に分かれていた。
9国名で考えるとね。
今内田が言ったような広島市だったりとか五福島神社があったりとか、あるいは歴史好きの方で出ると、
毛利も隣になってね、戦国武将いますけれども、
ああいう人が出てきていたのは、全部今の広島県の西の方なんですね。
昔これを秋の国と言って、安らかな芸術の芸と書いて秋の国という、秋の宮島なんてね、
言いますけれども、それがまさにそういうことですね。
西は秋の国があったんですね。
一方ですね、今の広島県下第2の都市というのが福山なんですね。
福山市はですね、場所で言うともう岡山方面です。
つまり東の方なんですかなり。
これをビンゴの国と言いまして、備える跡と書いてビンゴっていう国が昔あって、
西の秋、東のビンゴ、この2つが合体して今の広島県というものができてるんです。
なるほどね。
なのでやっぱり秋、広島とビンゴ、福山、この2大巨島は別の国なんです。
なので今は広島県ということで一国にされますけれども、実はこのビンゴの方には特殊な面白い文化が育まれているというのを、
このビンゴの主婦であり、今広島県下第2の都市である福山という街を根拠地にすることで巡ってみたいなと思うコースになります。
なるほど。じゃあこのコースのイメージとしては、そのビンゴの象徴として福山を巡るみたいな。
そういうことになりますね。
私今回は全てのスポットがもう福山市内です。
すごいね。
ビンゴもいくつか有名な場所あるんですけど、中でも福山だけに今回は絞ってますので。
この間の淡路島といいね、だいぶ狭い範囲の。
もっと狭いですね、多分ね。
よりディープな、ニッチな感じになってますね。
ただ福山においては非常に個性的な文化と魅力が詰まった街であって、
僕も一昨年とその前に2年連続で福山に5月泊まってるんですけど、めちゃくちゃいいんですよ、福山って。
ということで今回のコースについては、この広島県福山市を1泊2日で回るコースになります。
特に時期を今回やや限定させていただきたいと思っておりまして、
もし可能ならばですけれども、
5月10日の土曜日と5月11日の日曜日、この1泊2日でいただけると嬉しいなと思うんです。
それはイベントがある感じですか。
そうなんです。
タイトルのところに、バラカモル潮目の街へという風にあるんですけれども、
この福山という街はですね、バラというのが一つのシンボルなんですね。
これどういうことかっていうと、福山市というのは昔からすごい栄えた街だったんですが、
太平洋戦争の時に非常に大規模な空襲に見舞われてしまって、市街地をすごく消失してしまった。
お城も燃えました。っていう大ダメージを食らった街なんですね。
その一方で戦争が終わってから福山、元気をつけて復興していくんだという時に、
とある地元の有志の方が西洋のガーデンを模して、バラを植え始めたっていうのが非常に一つのきっかけになったそうで、
その方はもちろん今亡くなっていますけれども、
それ以降市民の方がみんなでバラを植えて、バラを咲かせるっていう運動がすごい盛んになって、
今ではもうバラの街福山として非常に有名なんですね。
実際にこの5月くらいに行っていただくと、福山城の周りにもバラがブワーって駅から咲いていて、
市内に至る所のバラのローズガーデンみたいなのが現れるんですね。
なのでやっぱり福山に行くから5月、バラの時期を目指していっていただきたい。
僕も2年連続で行ってますけど、どっちも5月に行きました。
そしてじゃあ5月ゴールデンウィークじゃダメなのかというわけなんですけど、
これは実はですね、ちょっと今回2日目の最後に1年に何回かしか開かない、とっておきの建築を紹介します。
これは本当に1年に数回しか開かない、たぶんオトタビポテキャスト以上最も難易度の高い場所なので、
これが今年開くのが5月11日なんです。
なので5月11日の日曜日にぜひ福山に行ってほしいというのが今回のコースになりますので、
ぜひ5月10日、11日を目指していっていただきたいというのがこのコースのベストのプラになります。
じゃあこれを誰に任せるかってことなんですよ、問題はね。
これが面白い話でしてね、
水野勝成という人が福山藩の藩祖なんですけれども、
これがねとんでもない奴なんですよ、こいつが。
僕マジでこのタイトルの人欲しいんですよね。
何かと言うと、日本の歴史上あるいは戦国時代の最大最強のアウトローなんですよ。
ヤンキーなんです、はっきりと。超尖ったヤンキーだったっていうね。
ヤバい戦国武将なんです、こいつ。
おもろいんですよ、この人マジで。
俺名前もいまいちピンときてないけど。
教科書には載らない人です。福山の方はもちろんご存知でしょうけどね。
これ何者かと言うとですね、三河の国、つまり家康の同郷でもっと言うと、
家康のお母さんの弟の息子です。
つまり国家家康のいとこです、この人は。
それで教科書に載らないぐらいの感じの人なんだね。
教科書に載らないならいざ知らず、逆にいろんなことに記録されてるのは、
そこを不良、酒を飲んで暴れる、人を無闇に殴る、殺す、
どっか行っちゃう、出奔する、喧嘩する、そんなばっか。
そんなやつでいいの?
そういうことなんですよ。
これが面白いところなんですよ、福山藩のね。
この水野勝明から何者だったかっていうと、家康のいとこですよ、家康も。
だから最初ちゃんと家康に従うべきじゃないですか、少なくともね。
このお父さん、つまり家康のおじさんなんですけど、
ちゃんと三河の国の狩野という町なんですけれども、今もありますこれはね。
の武将としてね、水野家という名簿を守ってきて、
松田や徳川ですよね、と一緒に連携しながら、
家康の覇領に貢献していった重心なんですけれども、
この勝明っていうのはね、まあ言うことを聞かなかった。
お父さんの言うことを全然聞かないですね。
不良なんですよ、はっきり言えば一言で本当の。
要は何がしたいかと言うと、戦が好きだったんですよ僕ね。
だから一応戦もチームプレイじゃないですか。
だからちゃんと今日の先陣はだれだれです、こういう作戦でいきます。
だから何時までは待って、何時から動こうみたいな、ちゃんと作戦を決めてるわけですよ仮にも。
見抜きもしないこれ。
こいつはね。
自分が活躍したい。
で槍を持って、仮にも彼ら南蛮国の城主の息子ですよ。
にも関わらず勝手に戦を始めちゃうとか。
行きがけみたいな要は突破したんですね、いろんなルールをね。
ルールで縛られないアウトローなんですよ。
っていうね、わがままが過ぎるんですよ非常に。
戦って滅亡に強かった。
BLはすごい、一人戦国無双状態なんですよこいつマジで。
マジで。
なるほどね。
お父さんとしては、ほっちゃ受け入れに行くんですよ。
そんな不良女の息子。
徳川の家康様の言うことにも従わないし。
チームの輪を乱すし。
お前なんなんだよお前は。
めちゃくちゃ無事に。
とうとう観音袋動画に出るとお父さんが感動しちゃうんです。
自分の息子。
本当に難しいよ。
着なんだのに、お前は水の家から出て行けよ。
相当だな。
本当に追い払っちゃう。
この人はね、放浪生活をしなきゃいけなかった。給料。
行きどころなくなるね。
お父さんの恨みもかなりで。
この不良女のバカ息子は。
誰も雇ってくれんな。こんなやつを。
方向構えて。
これ水野だけで。
その時の傾向って実はあるんですけど。
主と喧嘩したやつは。
こいつデキンですっていう。
デキンの使命体発症みたいなものを強くにばら撒かれるんですね。
だから水野勝成は、お父さんと喧嘩して。
しかもお父さんがマジでキレてるから。
もうどこにも収拾できない。
ってぐらいの息子だったの。
で、もうどうもなんないから。
放浪するんですよ。
東北は徳川がいますから。
もう当然使命体発症回ってるし。
だから仕方なく西の方に西の方に活路を求めて。
少しでもお父さんが離れようとして九州にまで行ってね。
だいぶ離れたね。
離れました。
だから当然福山を通ったでしょうけど。
西日本を歩き回ってフラフラしてるんですよ。
でもさすがにその方向構えっていうデキンのね。
使命体発症も。
徳川のある意味水野も徳川の家臣の一人なので。
徳川レベルの大名になればそれを無視することができるということで。
熊本で有名な加藤清正だったり。
小西幸永っていう徳川レベルの大名ですよね。
雇われる。
VUはすごいから。
なるほど。
雇われるんだけど。
行った先々でまた問題を起こすんですよ。
結局酔っ払ってどうしたとか。
喧嘩して殺しちゃったとか。
そんなことばっかりやってんの。
だからそこもクビになるわけですよ。
だからもう毎年のようにある種が変わってんの。
っていう不要なんですね。
なるほどね。
ところが面白いのは関ヶ原の戦いの直前になって。
もうお父さんに感動されてから大体15年くらい経ってるんですけど。
とうとうね、家康がさすがに見かねて。
まあいい加減許してやれよと。
あいつも若気のいたじだったろうし。
ちゃんと戦場で徳川のために働いてたのは間違いないから。
約束は守らなかったけど。
チームは満たしたけど。
ということでね、感動的な再会をしてね。
とうとうお父さんと仲直りするんですね。
芹ヶ原の戦いの直前に。
戻ってくるんですよ、徳川に。
15年かかるんだね。
15年ふらふらしたんです、九州とか京都とか。
ところがね、そのわずか直後にね。
お父さんが石田三成方の手によって暗殺されてしまうんですね。
暗殺かー。
はいはい。
っていうので急にそのぬいぐるみ分け仲直りしたお父さんと急に別れることになってしまって。
そこでまたこの人に多分そこで心境の変化があったと思うんですけど。
そうするとね、芹ヶ原の戦いにおいて石田方にそういった恨みもありますから。
大活躍してすごい大きな閃光を立てる。
続く大阪の陣とかでも活躍して。
真田幸村と戦ったの、この人ですね。
徳川で勝ったんですね。
っていうすごい人だったんですよ。
っていうのでさすがに徳川もいずれもそこを振るのしょうもない奴だったけど。
さすがに戒心して頑張ってると。
そもそも戦はまあ強い。
徳川って三河武士とか江戸とかの人たちだから。
あんまり西北のこと詳しくないんだけど。
その三河ってあいつフラフラ15年してる時にずっと九州とかこの辺を歩いてて。
その辺で言うとあの辺詳しいんじゃないか。
なるほどね。
ってなって、我々幕府のプロジェクトとして福山をどうにかしたいと思ってるんだけど。
っていうので芹ヶ原だったんですよ。
いいストーリーだなとは思うんだけど。
大丈夫かなっていうのはずっと思ってる。
そうなんですよ。
こんなね、そこを振るのしょうもない奴を福山に置いていいのかと思って。
ところがね、この勝成が偉かったのはやっぱりお父さんの死が影響したのか、年を取って丸くなったのかわからないんですけど。
福山に来てからね、非大の命訓としてね、福山の街の発展に尽くしたんです。
やっぱ能力はあったんだな。
あったんだよね。だからやっぱり人に縛られたくなかったのかもしれない。
なるほどね。
それで言うとトップにまでなれば好き勝手できるというかね、ちゃんとその能力を発揮できる場があるのかもしれないね。
そういうことだったんですね。
でも今までは槍一本で敵と戦ってたわけですけれども、実はこの人は政治的なセンスも抜群だったんですね。
福山の街をね、ビンゴっていう国に与えられたんですよ。福山プロジェクトとしてはまずビンゴっていう国が大事だからここを何とかしたいと。
最初は別の街に実はビンゴの本拠地あったんですけど、勝成はこれをね、ビンゴここじゃダメだと。
福山にしようって言って、まず福山って街を作ろうって言ったのがこの人なんですね。
じゃあやっぱその大事な土地だなっていう自覚があったんだね。
そういうことですよ。
それでやっぱりもうね、自分は戦いの世の中で生きてきた人ですけど、今後はもう徳川の天下になって戦いでやり一本でどうにかするというよりも、
経済とか治水とか、政治をちゃんとしなきゃいけないっていうのは彼は分かってたと思うんですね。
そのためこの福山に選んだというのも、そういうわけで今ね新幹線を見下ろしてるわけですけど、
西国街道ってやっぱり市場の経済の大動脈をガシッと省略できる城下町を作る。
そのために城を作る。
そして実はね、この当時江戸時代の福山というのは瀬戸内海がすごい入り組んでる入り出で、海がねかなり入ってたんです。
だけど勝成がすごかったのは、これを対してね大々的な観宅事業、干からびせるっていう観宅事業をして、
海をこう水をバーッと追いやって、そこに新しい城下町をブワッと作って水田も作って、
そのダイナミックな事業をすることによって、
ビンゴっていう国の土地を勝手に増やし始めるみたいな、そんなことだったんですよね。
だから本当にこの勝成が観宅をしなかったら、今の福山市市街地っていうのはそもそも海だったんです。
はー。
いやーなんかずるいな。
そうなんですよ。
能力あって好き勝手やって、
で後に認められて、その手腕を遺憾なく破棄して。
そういうことですそういうことです。
なんかずるいね。
そうなんですよ。だからね非常にね、日本の歴史上見てもね、ちょっと興味深いね、面白い人なんですね。
僕はどことなく勝海市のダメ王子、勝小岸とね、以前話したんですけど似てる気もしてるんですけれども、
これが福山のね始まりなんです。
だから今でも、僕はちょっと今ネタメダにアウトロードだって言いましたけれども、
福山においてはもう奇大の名君としてね、これやっぱりあるわけですよ。
水野勝成の街作りコーナーっていうところがちゃんと福山町博物館にあるくらいにね、
福山という街を作った偉大な先人なんですね。
面白い人だね。
でまあ今はだいぶ端折ったんですけど、この放浪時代とかもいろんなエピソードがあって。
ありそうだね。
まあ面白い。ウィキメリーだけでもこんな笑える人そんなにいないですよ。
っていう人なので、ぜひ興味ある人ね、水野勝成という人をね、調べてもらえるといいんじゃないかなと思います。
というのが福山町です。
へー面白い城だなあこれ。
うん。
まぁでも合理性はあるってことだよね。
そうそうそうそう。
あくまでもやっぱ彼なりのガチなんですよね。
戦いの場を見てきた彼ならでは。
なるほどね。
はー変わった人だね。
変わった人ですね、非常にね。
ほんと大河ドラマか漫画の主人公になってほしいんですよね。
うん。
ということでね、
ぜひ福山城に行った際には、
北にもちゃんと回っていただくということでね、
一つ付け足しておきたいと思います。
そうだね。
これは一周回りたいね。
はい。
そしてね、
ここで福山の歴史をざっと学んでいただいた後に、
ちょっとディープなところに入っていきたいと思います。
この福山城っていうのも非常に白い敷地なんですね。
その中にですね、
この福山城博物館とは別にもう一個ミュージアムがあります。
へー。
それが、
広島県立歴史博物館福山草土宣言ミュージアムというものです。
というね、この広島県がね、
今度やってる歴史博物館が福山にあるわけなんですけれども、
注目していただきたいのはですね、
このカッコ書きの中なんですよ。
はいはいはい。
福山草土宣言ミュージアムっていうね、
タッチフレーズをなぜ勘しているのか。
うん。
草土宣言っていうのは聞いたことないですね。
ないかな。
うん。
これね、大学受験も日本史でやった人は知ってるんじゃないかと思います。
ただ非常にわかりにくい分野の社会経済史みたいなね、
修行書、そこにちょっと載ってる遺跡なんですね。
社会経済史ってなんかコラム的な感じになりそうだね。
そうそうそうそう。
ところがですね、
この草土宣言っていうのが実は非常に大事なところでして、
これ何かというとですね、
この福山においては、
大体鎌倉時代頃から非常に巨大な港町があったっていう風に言われてたんですね。
どういうことかっていうと、
ちょっとね福山市の地図ってグーグルアプリ開けますかね。
これが福山駅です。
見てください。
駅がほんとに隣りだね。
隣りだね。
ほんとだもん。
これ福山城ですね。
はいはい。
ちょうどまさに今我々言ってる歴史博物館もこの公園の中にあるのがわかるわけです。
でちょっと引いていただくとですね、
西側にですね、川がありますね。
はい。
この足田川というのは非常に巨大な河川なんですけれども、
これはもうずっと昔から当然あるわけです。
昔はだからこの辺が全部海だったんですね。
つまり山陽っていう瀬戸内海がね、
経済の大動脈だった時期に、
昔は水を使うというのが一番物流の早いポイントですので、
足田川を使っていろんな山陽地方の産品というのが瀬戸内海に乗り出していったっていう経済的な重要位置だったんですね。
そういったのが鎌倉時代の頃から経済活動が活発化しましたので、
非常に重んじられてきた時に、
この足田川の下半のあたりに商業地が出来上がって、
多くの商人だったり町民だったりっていうのがね、
職人だったりの国に集まってきた。
これが草戸宣言と言われる集落だったんですね。
ところがですね、鎌倉時代の時は良かったんですけれども、
その後この辺りは戦いの場所にもありました。
非常にここを誰かを責めることが大事なポイントになるので、
江戸時代の水の活性が来たくらいの時まであったらしいんですけれども、
それが残念ながら埋没していってしまう。
江戸時代の中期にはどうもこの足田川の川のあたりに、
昔草戸宣言っていうすごい都市があったらしいっていう記録が残ってただけなんですね。
江戸時代の人からしても幻の街だった。
ところが大正時代、昭和時代とかになってきた時に、
この足田川っていう川のいろいろ工事をやるということになって、
すごいね。
え、ちょっとこれは入りたいわ。
ね、僕もちょっと入りたいです、これ正直ね。入ったことないんすよ。
へー。
っていうやっぱり、これは相当禅も同じですけれども、
神儀帯それぞれにね、修行があって禅の精神が宿っているっていうのは、
臨済禅も同じ考えを持っていらっしゃいますので、
このところね、めっちゃ広いんですよ、このミュージアム。
すっげー広いんで、その中で一個一個お堂だったり見ていくと、
やっぱり禅の精神というのがそこかしこいね。
我々は特にやっぱり感じ取りたいなっていうところもありますよね。
そうね。
ガリの意味も学んできたわけなので。
はいはい。
というのがまず禅の話なんですね。
はいはいはい。
そして、その2016年にリニューアルした建築の話を今度していくもんですが、
この正道というのを見てみましょう。
正道。松のお堂ですね。
はー。
この屋根は何だろう。
えー、いやこれも何か分かんないんだけど。
不思議ですよね。
えーとね、なんて言ったらいいの?
形としてはね、縦穴式住居みたいな感じなんですよね。
はいはいはい。
三角でだいぶ高い建物っていう感じ。
それに廊下が繋がってる感じの建物ですね。
これも何か分かんないよ。
これ実はね、受付です。
はー。
開館するとね、このローカウトって三角防止の下に受付があって、ここでチケット買うんですね。
はー。
はい。
誰でも必ず訪れます、ここは。
えー。
はい。
そしてね、これを作ったのがね、
はい。
藤森てるのぐさん。
うーん。
というね、今でも活躍されてる日本の現代建築の名手なんですけれども、
はいはい。
この名前聞いたことありませんか?
え?
出てきたっけ?
えーとね、厳密に言うと、まだこのポッドキャストでちゃんと紹介はしてないんです。
うーん。
だけれども、実は内田が自らね、この人の建築物のことを話してくる時があるんです。
え?
これ岡田が大好きな建築家です、ちなみに。
そんなことあったっけ?
我々言ってるんです、この人が作った建物に実は一回。
えー。
この不思議なフォルム。
内田が自分で話しました、これを。
僕が振ったわけじゃなくて。
モザイクミュージアム?
はい。
あー。
正解です。
田嶋のモザイクタイルミュージアムを設計した人です、この人は。
はあー。
はい。
えーでもあれともちょっと雰囲気違うよね。
違いますね。
うん。
あのモザイクタイルミュージアムは結構こう丸いというか、
はいはい。
曲線美というかね、
うん。
可愛らしい感じなんですかね。
うんうんうん。
けどこっちは、まあまあ可愛らしさもあるっちゃあるんだけど。
うん、可愛らしさありますね、ちょっとね。
でもまあなんか直線的だし、
うん。
なんか屋根もね、黒っぽいしね。
うんうんうん。
なんかちょっと雰囲気違う。
うん。
あーでもまあよく見るとその可愛らしさはあるな。
可愛らしさといい意味でのアンバランスさというかね。
あーはいはいはい。
ちょっとやっぱりジブリ的と言えばジブリ的かもしれませんけど。
ね、なんかそういう感じはあるね。
はい。
あー。
そうですね。
はあはあはあはあ。
でまあこの小道が松の道と書くわけですけれども、
うん。
藤森さんがね、初めて実際に現地を訪れた時の話がね、
このミュージアムのホームページに書いてあるわけですが、
うん。
この方実は長野の方なのでね、
うん。
全然風と違うところに住まわれた方なんですけれども、
うんうん。
やはりその山陽道と瀬戸内川、日本でも有数の赤松の山地だったと。
ほう。
それがまず最初のイメージだったってことなんですね。
うんうんうん。
なのでこの松というものを一つのテーマにして、
この山陽地方の風土を体現した建築を建てた。
へー。
ということでこれを建てられたんですね。
天のイメージと一番近いのはやはり松であろう。
うん。
やっぱここでこう、色づい道項というよりも常にずっと立って、
黙念と立っている感じ。
あーなるほどねー。
うん。
そしてこの瀬戸内の赤松だったっていうのもね。
はあはあはあ。
うん。
でもなんかこうね、やっぱり森の中にこれが佇んで、写真を見るとね。
うん。
ちょっとやっぱり調和してるんだけど、なんか不思議なね。
なんかね。
魔法使いのお家みたいなね。
はいはいはい。
うん。
この柱がね、松っぽくなってんすよ。
そうですね。
人生そうなんと思いますよ多分ね。
松なのかな。
おそらくなんだけど。
うん。
あーほんとだ。
松丸太の表面を削り、柱として建てたと。
はい。
おー。
というね。
やっぱこの風土ならではの素材と藤森さんの感性というものを合わせたね。
これが社務所というか、まあ要は本当に受付なんですね。
へー。
はい。
面白いなー。
面白いですよねこれねー。
うん。
これがね、まだでも序の口なんですよ。
これ最初に現れるのはこれだっていうだけなんで。
ほんとに序の口だもんね。
入り口だもんね。
入り口なんで。
で、あとはやっぱり校庭。
これか。
はい。
冒頭で言ったね。
うん。
謎の建物ですよ。
謎ですよね。
謎。
何も分からない。
笑
校庭というのはね、算数に光と書く光っていうなかなか使わない文字ですけれども、
これの庭と書いて校庭と読むんですね。
お庭ってこと?
これはね、正直僕も一言で何と言うか非常に難しい、何とも言えない建物なんですよ。
はー。
厳密に言うと建物のお庭ではない気もするんですけれども、
これ何なのかというと、まあちょっとね、まんま読みますと、
新庄寺の境内に建つアートパビリオン。
伝統的なコケラ武器を応用し、全体を木材で柔らかく包んだ船型の建物が石のランドスケープの上に浮かぶというわけで、
アートパビリオンっていうね、非常に不思議なものなんですよ。
アートパビリオンって聞いても何か分かんないもんな。
まあオリンピックとかでよくね、パビリオンなんて話は聞きますけれども、
万博とかね。
そういうことですそういうことです。
要は一つのその境内の敷地の中にある象徴的な建物っていうのがこのパビリオンとして捉えられるんじゃないかなと思うわけですね。
思い出していただきたいのは、さっきこれUFOなんじゃないかって話ありましたけれども、
そもそもこのお寺がなぜ建ったかということなんですよ。
あ、はい。
船ね。
そう、海難事故に遭われたね、人々の供養のために建っている。
つまりこれは船というものが非常に大きなエッセンスになっている明治城なわけです。
なるほど。
で、さっきの説明の中にも船型の建物がっていうふうに文言がありましたよね。
そういうことです。
なので材質自体はコケラブーチなので木なんですけれども、
これ木なのか。
はい、草木キンって言ってましたけど木ですこれ。
木なのね。
木造です。
木造の巨大な船をイメージしてそれを石の上に建てたっていうのがこの工程というものなんです。
でね、これを作られたのが縄光平さんというね、今もう現代日本アートの最先端を行ける非常に有名な建築家の方です。
建築家、彫刻家ですねこの方はね。
彫刻家。
ちょっとこれ縄光平さんで調べてもらうとね、分かると思います。見たことあると思いますこの人の作品。
東京にも結構あります。
これ見たことないですか?
えー、なんかある気もするわ。なんだっけこれ。
これどこに特定にあるかというわけじゃないんだけれども、
このグラスのね、ガラスのこのつぶつぶ粒子というものを動物に造形するっていうすごい幻想的ななんというか彫刻がありますけれども、
これを手掛けられているのが縄光平さんと縄さんが主催されているサンドウィッチというアーティスト集団の方々ですね。
東京にも結構ね、縄光平さんの彫刻がありますので、どっかでこれ見たことがあるんじゃないかなという方もいると思います。
この方がプロデュース作った建築なんですね。
いやー、不思議な建物だな。
実際に言っていただくとね、山の中の草原の中にこれが急に現れるんですね。
そしてこのね、全長なんと約45m。
結構でかいよね。
でかいよ。相当でかいよこれ。
いやー、これ中はなんなんですか?
そうなんです。そこなんですよ。
これ中入れるんですよ。
何が入れるのかってことなんですけど、
これね、ちょっと今どういう制度かわからないのでいくつか調べてほしいんですけど、
僕が行った3年くらい前の話をしますと、
中はね、瞑想体験ができる場なんです。
で、時間制限があって、確か30分ごとだったと思うんですけれども、
最初にさっきの藤森さんの受付に行くと、
今日は何分何分何分にどれぐらいの枠がありますよっていうので、
十何人かしかその枠に入れないんですね。
そこに自分は何時に積んで決めていくんですよ。
この端のところに並んで十何人の人がこの1階の階に入れるっていう中に招きに行ってもらえるんですけれども、
僕が見た話をすると、まず一言で言うと中は真っ暗です。
何にも見えません。真っ暗。本当に真っ暗。
で、その中で足元気をつけてねとか言われながら、
映画館の席みたいな感じのところに座らされるんですよ。
要はちょっと段々になっているような。
で、そのこっち側から入って、こっち側を要は奥側を見るような形で座らされて、
何が始まるんだ?真っ暗。何も見えない。
なってると始まりますって感じになると、
徐々にその真っ暗で何も見えなかったもののところから、
かすかに水平線見えるのがゆらゆらゆらって光が見え始めて、
で、徐々に徐々にその光がおぼろげに明るくなっていって、水平線が見え始めるんです。
これ何かっていうと、この中ね、水が払えてるんです。
え?
うん。
へー。
中水になってるんです、これ全部。
想像を超えすぎててね、もう何なのそれって。
そうなんですよ。
はー。
つまりこの、ちょっと僕も分かんないんですけど、この辺に多分席があって、
こっち側がシアターみたいになってるんですけど、そのシアターはスクリーンとかじゃなくて、
一面にね、水がなみなみと張られていて、
それが微妙に音波なのか振動なのか分からないんですけど、
それで揺らぎ始めると、そこに光を投影して、
その水のかすかな水平線が揺らり始める、なんか日の出みたいな感じのね、
かすかな光の体がね、か細く出てくるところから、
そういうなんかちょっとショーみたいなのが始まるんです。
はー。
うん。
じゃあそういうのを見ながら瞑想する時間の体験ができる。
そういうことです。
なので、すごいピカーンみたいな感じで何か現れるわけではなくて、
ずっとその揺らげみたいなね、物が、かすかな光がこう明滅しているっていうだけなんですけれども、
そこにちょっと香りがいい香りがなんか妙にしてね、
禅のお寺の香りなのか分からないんだけど、
その中で目を閉じたりとか、目を開けたりするとその揺らぎがあったりとかっていう、
不思議なこう繰り返しを20分ぐらいだったかな、して、
不思議な体験をして出てくるっていうね、なおさら不思議な場所なんですね。
はー。
うん。
面白い。
うん。
いやもうこれ、だって聞いてるだけでも絶対そのイメージできてないなっていう感覚がある。
言葉で表すんですよね。
これ行かないと分かんないね。
行かないと分かんない。
これはね、本当になんというかもう行かないと分かんない正直。
で、体験したりしないと分かんないですよ。
そうだよね。
うん。
なのでぜひ行ってほしいんですね。
うん。
旅行ガイドブックとか、我々ポートキャストインスタグラムでもね、
伝わんないですよ、中のことは。
写真も撮れないから。
はいはい。
真っ暗だからだって。
そうだね。
うん。
はー、面白いね。
いやもうこれはもう本当に全都、庭のミュージアムを体験してるというかね、象徴的だよね。
はい。
千鳥の醍醐さんのお姉さまが運営されてるお店なんです。
はあ。
うん。
え、お店やってるんだ。
うん。あのご夫婦でね、やってらっしゃる。あの旦那様がね、調理員で。
奥様、だから要は醍醐のお姉さんはホールというかオカミさんとしてやってらっしゃるんですね。
へえ。
ご本人に普通に会えますし、普通に写真を撮ってくださいます。
はい。
いや、それだけでもちょっと人気店になりそうな感じだね。
ああ、でもなんか写真見ててもね、なんか気さくそうな感じが。
気さく、すごいフランの方ですね。ノリが良くて。
へえ。
やっぱりあの醍醐さんのお姉さんっていうのもなんかちょっとうなずけるというか。
はい。
へえ。
まあやっぱりそのビンゴの国なので、やっぱ岡山から近いんですよね。そもそも全然。
はいはいはい。
なのでやっぱり文化圏としては岡山系の文化圏でもあります。
うんうん。
ビンゴ、福山というのを。
なのでまあその醍醐さんのお姉さまもこちらに都知事でいらっしゃって、
こちらでお店を今ご主人と一緒にやってらっしゃる。
けれどもその醍醐さん云々という以前にマジでうまいんですよ。
うんうんうん。
なのですごい大人気店でかつ醍醐さんのお姉さんがやってるっていう。
そういったお店になってるんですね。
ああ。
なので千鳥のファンの方はもちろんご存知の方も多いんじゃないかと思いますね。
ああ。
うん。
いやーちょっと引きしかないな。
うん。
これ福山駅って本当に北のすぐ目の前です。
お城に行く途中にありますので。
まずはこちらでね、絶対予約した方がいいと思います。
ああ。
もうほぼほぼ入れないですマジで。
うんうんうん。
必ず予約をしていくことをお勧めしながら、
こちらで一軒目という風にさせていただきたいわけですね。
うん。
そしてね、せっかくなのでもう一軒は行こうかなというところでね、
この千鳥さんから徒歩5分ほどさらにね、
お城の方に北に上がっていくんですけれども、
うん。
秋の潮見別邸というね、お店に行きたいと思います。
おお。
え、バーすかこれ。
バーです。
へー。
はい。
ちょっとバーっぽくないお店の名前ですけど。
うん。
ああでもなんか照明いい感じだな。
うん。
まあいわゆるね、昔の城下町の建物をリノベーションした、
古民家バーなんですね。
うーん、なるほどね。
うん。
こちらはですね、福山駅ってさっき言ったように、
どっちかっていうと南の方が栄えてるんですよ。
うん。
南はすごい半壊なんですけど、
北はね割とお城はあるんだけど、結構静かな感じ。
うん。
で、まあ千鳥さんが今回北側なのでこのまま北に来ちゃってるんですけれども、
はい。
この秋野白見別邸さんはですね、
本当に歓声な住宅街の中にね、
ひっそりと門口を開いている隠れ家バーみたいな感じですね。
うーん。
地区70年ほどのね、古民家をリノベーションしているということでね、
ああ。
今までご紹介したところで言うと、
ザ・コモンワンバー京都っていう最初の日にやった、
うんうん。
それこそどんこの後に行ったんじゃないかと思うんですけど、
はいはい。
あそこにすごい似てるんですね。
へー。
うーん。
いやおしゃれ、おしゃれっていうかなんか落ち着きそうだなこれ。
落ち着きますね。
うん。
これ畳もあんの?
そう、本当に昔の和風建築、城下町の和風建築をほぼそのままやってるんですよ。
はー。
なのでお座敷に上がっていくっていう不思議なバーなんですね。
へー。
うーん。
えーいいなー。
うん。
まあそしてね、ただ雰囲気がいいだけではなくて、もちろん味もすごいんですね。
はいはいはい。
で特にやっぱりおすすめしたいのは、
まあ広島県そういうわけでお酒ね、豊富なところではあるんですけれども、
さっきはね、日本酒をいただきましたが、
はい。
今回はね、特に僕がおすすめしたいのは、
ジンです。
好きねー。
はい。
このね、ジンね結構見つめるきっかけにもなったジンが、
まあこれ割と有名なジンですけれども、
広島のジンといえばね、やっぱり桜尾ですよね。
あーえーわからん。
うん。
これ東京にもね、あるところにはあると思いますよ。
へー。
バーとかには結構あるんじゃないかな。
桜尾っていうね、ジンがね、ちょっと秋の国の方なんですけれども、
クラフトジンの結構有名なものですね。
これ美味しいんですよ。
ほうほうほう。
ほんとだ。
広島スピリッツを世界へ。
うん。
これ美味しい。
マジで美味しいですよ。
僕すごい好きなジンです、桜尾。
あると頼んじゃいますね。
へー。
いやもう全然知らないんだよな、俺。
うーん。
まあ旅行行くとやっぱクラフトジンを多く出会えますよね、最近ね。
あー。
各地のね。
ありますあります。
でもやっぱ桜尾さんはその中でもすごい走りだと思います。
うんうんうんうん。
あのこちらはですね、桜尾を用いたオリジナルカクテル。
はいはい。
を作ってくださったりするんですね。
うん。
なので桜尾と地元のフルーツですとか、そういったものをやってくださるオリジナルカクテルをね、あのコミュニケーションでさっと出してくださる。
なるほど。
これがいいんですね。
いやジンのフルーツカクテルはいいね。
いいですよね。
うんうん。
特に今、今回のコースがね、一番メインとしては5月くらいをね、想定していますので。
うん。
これから夏へ向けて少し飲んでボルテージをね、上げていこうかなというところでね、まさにジンっていうのは程よくいい感じでね、入ってくるなと思うわけですね。
へー。
であのこの秋野さんというのは、福山に実は何店舗か営業されているお店なんですけれども。
やっぱりすごくね、この方のインタビューとかウェブにたくさんあるんですけど、すごくその福山をどう盛り上げるかっていうのを非常に強く考えてらっしゃる方で。
だからこそこの城下町の風情を残した別邸みたいなのをあえて住宅の中に作ったりとか、広島のものを使ったカクテルにこだわっていたりとか。
そういうね、すごくやっぱり旅行者として見ても非常に学びが大きいですし、やっぱりぜひ訪れたい場所でありますね。
で特にやっぱりこの白海別邸さんに関しては、昔の和風建築の衣装を凝らして、その中に調度品とかもすごくね、こだわっていらっしゃるので。
まず四方八方、お酒頼む前に席についたら見渡してしまって、その雰囲気だけで胸を打たれるようなね、そんな素敵な場所なんです。
そして周りが超静かなので、ほんと住宅街なんですよ。
なんでここにお店開いたんだって本当に思いました。素直に。
そうか、だからこれも建築の一部か。