1. 大人になりたい旅がしたい
  2. #91【福山】バラ薫る“潮目”の..
2025-03-18 1:31:18

#91【福山】バラ薫る“潮目”のまちへPart1

バラ薫る“潮目”のまちへ 建築そしてオーパーツ1日目


瀬戸内海と山陽道……海陸の大動脈をおさえる要衝として栄えた備後国。その首府福山には、長い歴史という素地に、強烈な個性とセンスが生み出した多くの“名建築”が存在しています。その造形に込められた人々の想いと技術のなかには、さながら“オーパーツ”ともいうべき、時空を超越した魅力を持つものも。福山のシンボルであるバラが一斉に花開く時期に、その神秘を訪ね歩きます。


【目次】

〜 最近久々に料理をしまして……

〜 コーステーマの発表

〜 ★旅のはじめに★ 福山そして備後国とは?

〜 福山へのアクセス・観光のポイント

〜 その違いはなに!? 備後のお好み焼き「府中焼」を堪能 【お好み焼き 田吾】

〜 “西国鎮衛”の役目を担った要衝 【福山城博物館】

〜 ★歴オタ話★ 戦国最強のアウトロー 水野勝成とは何者か

〜 ★さらに歴オタ話★ 日本で唯一! 〇〇を貼っている異様な天守

〜 川に埋もれた幻の都市を再現 【広島県立歴史博物館(ふくやま草戸千軒ミュージアム)】

〜 禅の精神と現代建築の融合 【神勝寺 禅と庭のミュージアム】

〜 ★鑑賞ポイント★ 特徴的な現代建築の数々 “洸庭”での瞑想体験とは?

〜 あの国民的芸人のお姉様が営む 【旬菜美酒 ちどり】

〜 味わい深い古民家で広島の誇るジンやカクテルを 【あき乃 城見別邸】

〜 1日の振り返り


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⁠⁠⁠⁠⁠音楽:BGMer(⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠http://bgmer.net⁠⁠)

サマリー

このポッドキャストエピソードでは、広島県の福山市を訪れる旅行プランが紹介されています。福山市は、バラのシンボルを持つ美しい街で、魅力的な建築物が数多くあります。このエピソードでは、福山の郷土料理であるお好み焼きとその特徴が取り上げられています。特に府中焼きの独自性や、地元の食文化に触れたカードMuseが福山を散策する様子が描かれています。福山の歴史的背景や福山城の重要性についても語られています。江戸時代の藩の文化や、福山藩の創設者である水野勝成の成長のストーリーが紹介されており、彼の不良少年時代からの変化が触れられています。福山市の歴史と発展に関するエピソードでは、特に水野勝成の功績が強調されています。福山プロジェクトによる城下町の設立や、草戸宣言ミュージアムの紹介を通じて、地域の重要性と歴史的背景が紹介されています。福山市は草戸宣言という重要な遺跡の発見をきっかけに、歴史的価値が再評価され、保存が進められています。この遺跡は中世の貨幣経済を象徴するものであり、教育の場でも広く認知されています。博物館の展示は実物大復元によって、訪れる人に当時の生活を体感させる工夫がされています。新庄寺は海難事故の犠牲者を供養するために建立された臨済宗の寺院で、美しい絵画コレクションが特徴とされています。また、この寺院は現代的な建築を取り入れ、禅の精神を大切にした修行体験を提供しています。福山の潮目のまちには注目すべきアートパビリオンがあり、その独特のデザインが話題になっています。このエピソードでは、アートと自然が調和した空間の魅力が掘り下げられ、福山の文化的な魅力にも触れられています。福山を訪れることで、瀬戸内海の新鮮な食材や地酒が探求され、地域の魅力が紹介されています。また、地元の有名店千鳥や古民家バー秋の潮見別邸の特長についても語られています。福山を訪れ、地域の名物や歴史的建造物を巡る旅が描かれており、新庄寺や福山城博物館など、地元の文化や魅力を体験しながら特別な瞬間を楽しむ様子が紹介されています。

料理と旅のイントロ
大人になりたい旅がしたい。このポッドキャストでは、旅行とお酒が好きな同級生2人が、大人だからこそ知りたい、ちょっとディープな国内旅行のモデルコースを紹介していきます。旅のお供はこの2人。
旅が行きがいな旅行ガイドブックの編集者、はるやです。
ディープな旅がしたいけど、知識がない旅行初心者、内田です。
最近、久しぶりに料理をしました。
そうなんだ。
沖縄料理を作りました。
あれ?それってもしかして?
コラボ会で、大田さんが沖縄の話をしてくれて、沖縄料理も振る舞ってくれたじゃないですか。
それを編集しながら、また食いたいなと思って。
あら。
ちょうどね、本業が一段落したタイミングで、ここはもう料理するしかない。
いいね。
自分で作ってみたっていうね。
何作ったんですか?
いっぱい作ったんですけど、結構かぶってるんだけど、空腹入り汁。
それはね、教えてもらったもんね。
昆布の炒め物。
あとは沖縄天ぷら。
美味しかったですね。
これはね、言ってた有楽町のアンテナショップで粉買ってきて。
あと、もずくも買ってね。
で、もずくの天ぷら。
あと、玉ねぎと紅生姜も作って。
岡野一押しの?
そうそうそう。
ちょっとね、作りすぎて腹パンパンになったんだよね。
あとは、ジューシーも炊きましたね。
あとラフテンも作った。
結構本格的にやってるじゃないですか。
作った。
すごいね。
だからちょっと作りすぎたんで、数日に分けてね、夜に食べましたけど。
どうでしたか?
いや、うまかったね普通に。
本当?うまく作れた感じで?
ちゃんと作れた。
あ、そう。
空腹入り汁やっぱうまかったな。
あれいいよね。ご飯にも合うしさ、お酒にも合うしさ。
で、やっぱちょっと余ったから、平日に弁当に入れたりとかして。
めっちゃ良かった。
そうでしょうね。
すごい、まざまざと影響を受けている。
自分の番組に影響を受けるっていうね。
でもやっぱり美味しかったもんね。
そう、うまかったんでね。
あの日よかったな。
いや、あれ本当にいい回だったんでね。
っていうね。
いいですね。
久々に料理して楽しかったんですよ。
いい傾向。
ちょっとね、料理は好きなんでね、ちょっとやっていきたいんですけど。
いいんですよ、振る舞ってくれても。
それはちょっと大変かな。
確かに。
ということで、新しいコースですね。
じゃあもう早速、タイトルは何でしょうか。
はい、今回のコースのタイトルは、「薔薇香る潮目の町へ建築そして大パーツ」です。
福山市の魅力
なんか不思議な取り合わせだね。
そうですね。
薔薇建築大パーツ。
大パーツ。
大パーツってわかりますかね。
オーバーテクノロジーの遺物みたいな感じだよね。
そういうことですね。
ちょっと都市伝説めいてるところもありますけれども、
例えば何千年前の古代の遺跡から、その当時では普通ありえないようなクリスタルの何かが見つかったりとか。
要は、我々今の令和の人間が認識している時代性から逸脱する不思議なものが現れたっていう怪奇現象の要は一つみたいなものですよね。
当時これは無かったはずだろうみたいなものだよね。
そういうことです。
だからそれが大パーツっていうパーツですからね。
その一つのものをきっかけに、実は古代には昔とんでもない今の文明を遥かに超えた文明が実はあったんじゃないか。
我々だからその第二ステージを生きてるだけなんじゃないかとかね。
なんかあるよね。
そういうちょっといろんなロマンというか想像というかを膨らむような、そういったものを大パーツっていうふうに言いますね。
それが今回は地名が入ってないけど、どこを巡るんですか?
これはですね、今回は特定の市を巡りたいと思うんですが、行くのはですね、広島県の福山市というところです。
これはちょっと俺はなかなかイメージがないかな。
広島というもの自体がね、多分このポッドキャストでは出てくるのは初めてだと思うんですけど、
どうですか?広島というのは。
広島は我々は修学旅行で行きましたね。
そうなんですよね。
永平寺っていう形でね。
あの修学旅行本当に多分福井の回でもちょっと話したと思うんですけど、
永平寺に我々修学旅行に行くんですよ。
で、その時になんか知らないけど、同時に広島にも行くっていうね。
本当にもう先生がうたた寝するぐらいの過密に行って。
そうですよね。あれモデルコースでやったらうちの本出ませんよ。
あれ止められますよ。ハッキリ言ってやんなくなったら。
ひどいよね。
そこで美島神社とかね、宮島だよね、行ったりとか原爆ドームの資料館も見学させてもらいましたし、
っていうぐらいですかね。他に俺は行ったことないんですよ、実は。
本当ですか?じゃああの時1回だけ。
なんで福山市はちょっとわかんないね。
おっしゃるとおりね、平和学習とかっていう観点もあって、修学旅行やはり広島多いかもしれないんですけれども、
広島県というのはね、実は昔2つの国に分かれていた。
9国名で考えるとね。
今内田が言ったような広島市だったりとか五福島神社があったりとか、あるいは歴史好きの方で出ると、
毛利も隣になってね、戦国武将いますけれども、
ああいう人が出てきていたのは、全部今の広島県の西の方なんですね。
昔これを秋の国と言って、安らかな芸術の芸と書いて秋の国という、秋の宮島なんてね、
言いますけれども、それがまさにそういうことですね。
西は秋の国があったんですね。
一方ですね、今の広島県下第2の都市というのが福山なんですね。
福山市はですね、場所で言うともう岡山方面です。
つまり東の方なんですかなり。
これをビンゴの国と言いまして、備える跡と書いてビンゴっていう国が昔あって、
西の秋、東のビンゴ、この2つが合体して今の広島県というものができてるんです。
なるほどね。
なのでやっぱり秋、広島とビンゴ、福山、この2大巨島は別の国なんです。
なので今は広島県ということで一国にされますけれども、実はこのビンゴの方には特殊な面白い文化が育まれているというのを、
このビンゴの主婦であり、今広島県下第2の都市である福山という街を根拠地にすることで巡ってみたいなと思うコースになります。
なるほど。じゃあこのコースのイメージとしては、そのビンゴの象徴として福山を巡るみたいな。
そういうことになりますね。
私今回は全てのスポットがもう福山市内です。
すごいね。
ビンゴもいくつか有名な場所あるんですけど、中でも福山だけに今回は絞ってますので。
この間の淡路島といいね、だいぶ狭い範囲の。
もっと狭いですね、多分ね。
よりディープな、ニッチな感じになってますね。
ただ福山においては非常に個性的な文化と魅力が詰まった街であって、
僕も一昨年とその前に2年連続で福山に5月泊まってるんですけど、めちゃくちゃいいんですよ、福山って。
ということで今回のコースについては、この広島県福山市を1泊2日で回るコースになります。
特に時期を今回やや限定させていただきたいと思っておりまして、
もし可能ならばですけれども、
5月10日の土曜日と5月11日の日曜日、この1泊2日でいただけると嬉しいなと思うんです。
それはイベントがある感じですか。
そうなんです。
タイトルのところに、バラカモル潮目の街へという風にあるんですけれども、
この福山という街はですね、バラというのが一つのシンボルなんですね。
これどういうことかっていうと、福山市というのは昔からすごい栄えた街だったんですが、
太平洋戦争の時に非常に大規模な空襲に見舞われてしまって、市街地をすごく消失してしまった。
お城も燃えました。っていう大ダメージを食らった街なんですね。
その一方で戦争が終わってから福山、元気をつけて復興していくんだという時に、
とある地元の有志の方が西洋のガーデンを模して、バラを植え始めたっていうのが非常に一つのきっかけになったそうで、
その方はもちろん今亡くなっていますけれども、
それ以降市民の方がみんなでバラを植えて、バラを咲かせるっていう運動がすごい盛んになって、
今ではもうバラの街福山として非常に有名なんですね。
実際にこの5月くらいに行っていただくと、福山城の周りにもバラがブワーって駅から咲いていて、
市内に至る所のバラのローズガーデンみたいなのが現れるんですね。
なのでやっぱり福山に行くから5月、バラの時期を目指していっていただきたい。
僕も2年連続で行ってますけど、どっちも5月に行きました。
そしてじゃあ5月ゴールデンウィークじゃダメなのかというわけなんですけど、
これは実はですね、ちょっと今回2日目の最後に1年に何回かしか開かない、とっておきの建築を紹介します。
これは本当に1年に数回しか開かない、たぶんオトタビポテキャスト以上最も難易度の高い場所なので、
これが今年開くのが5月11日なんです。
なので5月11日の日曜日にぜひ福山に行ってほしいというのが今回のコースになりますので、
ぜひ5月10日、11日を目指していっていただきたいというのがこのコースのベストのプラになります。
アクセスと旅行の計画
もうピンポイントなわけで。
ピンポイントです。
じゃあぜひ目指してね、行っていただきたいですね。
そして今回のコンセプトはズバリ建築です。
福山はね、昔から城下町として栄えたすごい町ではあるんですけど、
今ね、現代建築とかそういったものについてね、すごいものが集積している町なんですね。
というね、建築旅というね、ちょっと新しい切り口になるんですけど、
ちょっとアートにも関わるかもしれないけどね、
お酒がんがん飲むというよりはちょっと感度高めな、僕らしいそういう旅にしたいなというふうに思っていますので、
一人でも全然行けますし、僕福山一人でしか行ってこないです。
ので一人旅として聞いてもらっても全然いいかなというふうに思います。
もちろん集団でもね、大丈夫でありますけどね。
じゃあ内容をお願いします。
まずね、福山にどうやって行くのかということから始めなきゃいけないと思うんですけれども、
福山というのはですね、そういうわけで広島県下において第二の規模を持っている大都市です。
すごく都会なので人口もすごく多い町です。
旅行的なアクセスということを考えると、
仮に東京から行く場合は新幹線で行くか、あるいは飛行機で行くかの二択になると思います。
福山駅というものがJR西日本の駅があるんですけれども、
これは新幹線も止まるんですが、
のぞみが毎回止まるわけではない駅なんですね。
記憶があやふやになるので調べていただきたいんですけど、
確か僕が行った時は1時間1本くらいのぞみが止まるみたいな感じで、
広島には必ず止まるんですけど、その前の岡山にも止まるんですけど、
その間に福山に止まるのぞみが若干あるみたいな感じなんです。
ということなので、新幹線で行きたいと思っていらっしゃる方がいれば、
福山駅に停車するのぞみっていうのがごくごくわずかにありますので、
これをめがけて時間を組み立てていただければいいんじゃないかなという気がします。
じゃあこののぞみだっつって予約しちゃうと、
止まらない可能性もそっちの方が高いってことですね。
ただとはいえ、もしそうだったとしたら、
要は福山ってもう岡山の方が近いんですよ。
なので、岡山までのぞみで行って、
そこから児玉なり光なりに乗り換えるみたいなイメージでいてくれればいいんじゃないかという気がしますね。
あとはもし空路で行く場合は、
広島空港というものが、
広島市の北東の山の中にあります。
福山まででも空港から直行バスとかもありますから、
この辺りを利用してもらってもいいかもしれません。
という感じになりますが、
一旦今日のモデルコースの出発点としましては、
例によってお昼前ですね、
11時30分頃に福山駅に着いているという想定で始めたいと思います。
今回はですね、公共交通機関をすべて使うという。
車いらないです、今回は。
市内で住むんだもんね。
これはコンパクトな旅行の一つ魅力ではありますよね。
それは酒を飲みまくるってわけではない。
お気づきになりましたか。
福山の食文化
コンセプトが変わってくるってさ。
建築を知る上でも福山の風土はやっぱり酒を通して感じていただけるのでいいのかなと。
ビンゴの風土をね。
ということでですね、早速飲みに行きたいと。
おわけですが。
テーマ揺らぐってそれ。
11時30分に福山駅に着いたとしましょう。
今回はホテルは指定しません。
ですが福山は大都会です、本当に。
なのであらほぞりに全く困らないと思いますので、
福山駅周辺のどこかホテルに荷物を預けてください。
12時にお昼に食べに行こうと思います。
今回行くのがですね、福山駅の南口の方から
だいたい徒歩3分くらいかな。
のところにあるお好み焼きタゴさんです。
お好み焼きね。
そうか、広島だもんね。
どうですか?広島のグルメというと。
お好み焼きはヒットに出てくるでしょうし。
俺はね、牡蠣好きなんで。
あのね、修学旅行の宮島でね、
焼き牡蠣めっちゃ売ってて。
あそこで食べてもめっちゃ美味かったんだよね。
そうですよね。
それがやっぱりデカいんじゃないですか。
そうですよね。
広島本当に美味しいものに恵まれてね、
いっぱいグルメありますけれども、
やはりお好み焼きは一つね、
外せないんじゃないかなと思いますので。
早速なんですけれども、
このランチでね、タゴさんにお伺いしたいと思いますが。
いいね。美味そうだな。
写真見に行ってますけどね。
やっぱりこの蕎麦がね、
広島のお好み焼きですよね。
そうですね。
これね、やはり大阪と広島とっていう話は色々なりますけれども、
一般的に広島でね、
食べられるお好み焼きの特徴としては、
まず重ね焼きであることですよね。
お肉とお野菜と、
もやしとかも入るかな。
生地と、あとそして、
そこに麺がね、入るという。
いわゆるお好み焼きの中に焼きそば麺が入っているよっていうのが、
広島のね、お好み焼きのスタンダードになるというのは、
ご存知の方もいると思います。
これなんか広島焼きって言うと怒る人いるらしい。
そうですね。いますいます。
僕の友達はやっぱりクレーのね、
クレーって広島の町なんですけど、
初心の人から言わせると、
やっぱりなんだかんだ傷つくって言ってました。
一回ネタになったけど、
なんか東京に就職で出てきたら、
なんか大阪の認知度が高すぎてちょっとムカついたみたいな。
やっぱりそこはちょっとアイデンティティというかね、なんだね。
そういうことですね。
なので我々もあえてね、
お好み焼きとしてちゃんとね、
広島で食べられるスタンダードのお好み焼きとして、
ご説明をしたいなと思います。
ただですね、
このおとたびポッドキャストにおいては、
それだけではダメなんですね。
実は、広島のね、
お好み焼きの中でも、
秋とビンゴでね、
違うんですね。
そうなの?
これはビンゴのお好み焼きが食べられるお店として、
今回紹介したいです。
なるほどね。
府中焼きの特徴
じゃあもう大阪と広島っていう分け方だけじゃダメなんですね。
そういうことですね。
その違い全然知らないわ。
はい。ということでね、
ちょっとメニューを見てみましょう。
今ですね、
タゴさんのメニューをね、
拝見しているわけですが、
一番最初お好み焼きのこの見出しの中にね、
見慣れない文字があると思うんですね。
府中焼き?
はい。
この府中はね、東京にもある府中でね。
そうですそうです。
ただこの府中というのは、
要は東京の府中もそうなんですけど、
あれは武蔵の国の国府、
今の都庁みたいなもんですね。
首都みたいなやつね。
あれが置かれたのが国府のある場所ということで、
言っているので、
別に武蔵の国限定じゃないんですね。
で、この府中というのは何かというと、
広島県府中という町があるんですね。
そこにビンゴの国の府が置かれたということで。
なるほど。
じゃあビンゴの府中なんですね。
そういうことです。
ビンゴ府中焼きと言うんですけれども、
これがなので、
ビンゴの国のお好み焼きなんです。
でね、じゃあこれは何なのかということなんですけれども、
正直なことを言うと、
外見だけで判断するのはね、
非常に難易度が高いと僕は思います。
僕はまあ少なくともやっぱりよそのものなのでね、
そんなにちゃんと判断はできないんですけれども、
出ますかね写真が。
いやパッと見だとわかんないねやっぱ。
いわゆるねそのそばがよく目立つ感じで、
広島のお好み焼きなのかなというのはわかるんじゃないかと思うんですけど、
これはねやっぱりね口にしてみないとわからないのがあると思うんです。
何かというとお好み焼き、
特に広島のお好み焼きなんですけれども、
まあ食べたことあるんじゃないかと思うんですが、
重ね焼きにしますので、
お肉はだいたい豚バラ肉を鉄板に敷いて、
そこに野菜とかこう重ねていって、
っていうのが広島のお好み焼きだと思うんですけど、
明後の府中焼きというのは、
豚バラ肉を敷くんじゃなくて、
これがね挽肉なんですすべて。
それが違い?
そうなんです。これが一番大きな違いです。
挽肉を使ったお好み焼きというのが、
この府中焼きというものなんですね。
知らなかった。
やっぱちょっと広島のお好み焼きって豚バラなんだなと思ってた。
まあやっぱりイメージはね、
秋の方がどうしても東京への流通量とか多いのかなと思いますのでね。
なんですけど、福山に行ってはビンゴの料理なんですね、あくまでもね。
じゃあこのミンチの挽肉を使うことで、
どういう効果が生まれるかということなんですけれども、
まず一つ、僕が体感した個人的な感想ですけれども、
甘みですね。
肉の油をね、より豚バラで分かりやすい油というよりも、
ちょっと甘みを含んだ独特の旨味が出てくるのがね。
なんかちょっと分かる。
出汁じゃないけど、そういう旨味が出てくる感じはちょっとあるよね。
想像がつきますよね。
そしてあとやっぱり、当然形状と歯ごたえですね。
これもやっぱりね、またちょっと独特の感じで、
そもそも焼きそばって焼きそばだけでも美味しいわけで、
そこにもちろんお肉が入っていたりとかってありますけど、
その麺とよく絡み合うんですね、ミンチがね。
なるほどね。
確かにちょっと豚バラだとね、なんか分離する感じがあるよね。
あれは全然美味しいんだけど、
確かにその挽肉の方が一体となって食べれる感じありそうだね。
ありそうですね。
人生そうだと思います。
なので、やっぱり肉の大きな部分だったり、
お肉をちゃんと食べているなっていうのを欲しい人にとっては、
ちょっと物足りないかもしれませんけれども、
これはこれやはりね、ビンゴの郷土料理ということで、
福山に来たからにはぜひこっちを食べていただきたいんじゃないかな、
というふうに思うわけです。
福山の観光スポット
なるほど。
それは食べたいね。
実際すごく美味しいです、やっぱり。
なのでこのタゴさんに限らず、
このビンゴ地方においてはこの府中焼きというものが結構メジャーですので、
他のお店にあっても多分出会えるんじゃないかなと思いますが、
このタゴさんはね、本当に美味しくて、
かつね、僕そういうわけで福山には一人でしか行ったことないんですけれども、
一人旅でもね、めちゃくちゃいいんですね。
というのがね、
お好み焼きってどうしてもさ、
この間ね、我々もモンジュ焼き行きましたけれども、
みんなでワイワイね、やる魂がありますけどね、
ちゃんと一人用のカウンター席が仕切られてね、
ちゃんとあるんですね、一覧スタイルといいますか。
なるほど。
仕切られたカウンターの前に鉄板が置いてあるっていう感じですね。
鉄板もね、ガンと一枚一枚になっていますので、
お店の人が焼いてくれるんです、この前。
だけど自分のためだけに焼いてくれるんですよ。
これなかなか贅沢なことですよ。
確かにね。
ちょっとなんか高級な鉄板焼きみたいな感じのスタイルだよね。
でも全然飾らないお店で、しかも安いんですよ。
ふちゅう焼きも800円。
安いな。
もちろんいわゆる広島のお好み焼きもあるわけですよ。
肉玉そば800円、これも800円なわけですけど、
やっぱりふちゅう焼きとしてネギふちゅう焼きみたいなのもありますけどね。
そしてね、
このいっぴんものの充実度がすごいんですよね。
多いね。
豚もつの味噌だれ炒めとかね。
これうまいんだよ。
うまそうだな。
牛ホルモンとか、牛ハラミとか、鶏もいっぱいあるね。
豚キムチなんてのもあったりね。
いや、いいね。
卵焼きなんてのもありますけどね。
なるほど。
これがね、しかも値段見てもらえばわかるんですけど、
大体500円から700円くらいの間なんですよね。
はいはいはい。
で、サイズもね、結構一人前にしてくれるんですよ。
一人前にしてくれるんですよね。
なるほどね。
なので僕もこれ行ったときはね、
カウンター席でビールとかハイボール飲みながら、
こちらのいっぴんものを最初ね、
2、3種類いただいて、
最後にフチュ焼きを食べるみたいな形でね。
で、合計は3,000円いかないくらい。
いいね。
周りの人はやっぱりね、
僕金曜日に行って仕事帰ってたからですけどね。
地元のサラリーマンの方がやっぱり多かったので、
もう観光客の方もいるとは思うんですけど、
そもそも福山がそもそも観光都市というわけではあんまり色々ではないので、
地元の方がやっぱり皆さん仕事の打ち上げとかで訪れられている印象がありました。
もちろんカーフソース。
これはね、広島県の方はね、ご存知だと思うんですけど。
マヨネーズはね、ちなみに家庭にしなきゃ入らないっていう、
なかなか広島流の邪道なのかわからないんですけど、
やっぱりソースなんですね。
広島のお好み焼きは基本ね。
というお店なのにね、
とにかく美味しいので、
全然普通のお好み焼きでもいいと思うんですけど、
ちょっと今回のこのビンゴの国というものを考える上で、
まずこういう食文化から親しみやすいところからも、
実は違いがあるんだよということをね、
美味しいものを通してご理解いただけるといいのかなと思いました。
ここから観光に入りますが、
荷物はすでに預けているという想定なので、
当然飲んでるでしょ、このうちからね。
飲むよね、それはね。
さすがにあの日に見ちゃだめね。
車さえなければ。
そう思うので、
ちょっと散歩カンテラね、
観光をしていきたいなと思うわけですが、
お好み焼きタゴさんは福山駅の南口にあります。
その駅からちょっと駅を跨いでいただいて、
北の方に移っていただく運びになりまして、
タゴさんからだいたい徒歩10分くらいという想定なんですけれども、
福山城博物館に訪れたいと思います。
なんかかっこいいね。
そうなんですよ。
今ね福山城博物館さんのね、
ライトを見ているわけですが、
ちょっとかっこいいですよね。
この白壁で河原がもう本当に真っ黒で、
なんかコントラストがすごいついててかっこいいですね。
写真もうまいよね。
青空の空色の下にね、
この黒いコントラストがよく映えますよね。
フォントもちょっと高派な感じでかっこいいというか。
ということでね、
例によってちょっとまず福山という町のね、
観光するにあたって、
福山の歴史と文化
そもそもこれは歴史的にどういう場所なのかというのを、
この福山城博物館を通してね、
考えてみたいと思います。
福山というのはですね、
基本的には江戸時代以降の城下町です。
で、広島県はそういうわけで、
今の2つの国が合体しているんですけれども、
江戸時代の藩は明確に秋とビンゴで違う藩が治めています。
なので植文化にもやっぱり明確に違いがあるんです。
秋はやはり広島藩。
これはもう広島城を根拠とした秋の国を治めていた巨大な藩です。
秋の国というのはですね、
最初は福島雅典という武将が治めていて、
その後浅野っていう秀吉の親族なんですけれども、
治めているいわゆる戸様大名。
つまり徳川からすると、
割と付き合いが浅いね。
だけど言うこと聞かないと恐ろしいから、
大きな領地は与えてあげる。
でも東京とかから離しちゃう。
というようなものが広島藩の方だったんですね。
だけどこの人たちばっかり置いておくと不安なので、
福山に自分の信頼できる家臣をしっかり置いておこうと思って、
この福山城という福山藩というものを作るんですね。
神徳川派みたいな感じ?
そういうことです。
我々ね、以前徳川家康のモデルコースをやったことがありますけれども、
そういうわけで彼はいろいろ苦労しながらもね、
三河の国岡崎の城主から天下人になっていったというものなんですけれども、
この福山という藩はですね、
代々不大大名が治める、
西国陳鋭の要と言われたものなんですね。
西国陳鋭というのは西の国、西国ですね。
陳というのは陳受する、つまり沈める。
鋭というのは衛生の鋭、これ守るという意味です。
西国を沈めて守るための拠点として、
この福山というものを考えたんです。
なるほど。
じゃあもう本当に要の大事な土地だね。
そういうことなんです。
なぜそんだけ大事かと言われると、
これは今の福山に行ってもらってもわかるんですけど、
福山駅のですね、フォームに降り立っていただくと、
もう本当に至近距離にこの天守宮が見えるんです。
なんか結構ね、その駅のフォームから
遠くの山の上に城がある景色って、
まあまあありと思うんですね。
ありますね。
目の前というか。
目の前です。
小田原城より近いです。
小田原駅、小田原より近いです。
小田原もだいぶ近いけどね。
だいぶ近いです。
へえ。
面白いね。
これが何をイメージしているかわかりますか?
まあ鉄道がそこにあるってことは、
昔から多分交通が盛んだっただろうから、
でも本当に城下町が栄えてたことの印なのかな。
そういうことですよね。
つまり山陽新幹線なわけですけれども、
通っているところが今の、
要は昔の山陽道っていう大道脈になってるわけですよね。
これの目の前に城があるってことは、
要はその道筋をガッシュで省力するための城だってことなんですね。
ああ、なるほどね。
つまりやっぱりそれだけ経済の大道脈、
そして西に行くと広島藩ともかくとして、
一番危ない不穏分子が長州藩ですよ。
ああ、なるほど。
山口にいますから。
これをどうにかするために、
この福山でガッシュに喉元を抑えておく。
これが幕府の狙いなんですね。
じゃあもう積所的に守れよってことね。
そういうことです。
で、大阪に来るのを食い止めろという役割を、
この福山は常になっていたんですね。
そのためですね、この福山城というのは、
実は非常に異例の城と言われてるんです。
何かというと、徳川家康の会をやった時に、
その最終日に家康が裏切られ続けた人生の果てに、
何を見たのかっていうことを話したと思うんですが、
その中でブケショハットというお話をしました。
これはつまり、全国の大名、親族であろうが何であろうが、
一律で守らなきゃいけない決まりがありますよ。
幕府の家臣としてね。
その中でよく書かれていたのが、
勝手にお城を作っちゃいけませんとか、
勝手にお城を修理しちゃいけませんっていう決まりがあったわけですよ。
つまり、要塞を作るということになると、
幕府に何かお前喧嘩売ってんのかということになるわけですから。
現に広島藩の福島政治はそれに違反して取り潰されてるんですね。
ところが福山城というのは、
そのお城もう勝手に作っちゃいけませんよって言われた法令が出た後に、
作られたっていうめちゃくちゃ珍しい城なんです。
俺そのルールを聞いた感じだと、
申請すれば作れるのかなって思ってたけど、
それがあんまり通ってなかった感じなのかな。
もちろんだから、もともとあった城が火事で燃えちゃいました。
だから作り直しますっていうのは、
土佐藩の高知城でもあり、丸亀藩の丸亀城でもそのパターンなんですけれども、
新しくちゃんとした藩としてゼロから作りますよっていうのは、
なかなかないことなんです、実はね。
ところが福山城だけはそれも認められてるんですね。
そうか、新しい城作りますって、
それは武家諸法都の理念からしたらダメでしょうっていうことですね。
だけどじゃあなんで認めたんですかって言うと、
やっぱり幕府がこれを必要だと思ったんです。
福山に要としてちゃんと拠点を送っていくのが必要だって思ったんです。
っていうのが福山藩のそもそもの始まりなんです。
なので三国陳営のための福山城ということで、
今でも山陽新幹線を見下ろしているこの城ということで、
余実にその意味が現れてると思います。
本当に肝入りなんだね。
肝入りです。まさに幕府の肝入りなんですよ、福山の街というのは。
水野勝成の伝説
じゃあこれを誰に任せるかってことなんですよ、問題はね。
これが面白い話でしてね、
水野勝成という人が福山藩の藩祖なんですけれども、
これがねとんでもない奴なんですよ、こいつが。
僕マジでこのタイトルの人欲しいんですよね。
何かと言うと、日本の歴史上あるいは戦国時代の最大最強のアウトローなんですよ。
ヤンキーなんです、はっきりと。超尖ったヤンキーだったっていうね。
ヤバい戦国武将なんです、こいつ。
おもろいんですよ、この人マジで。
俺名前もいまいちピンときてないけど。
教科書には載らない人です。福山の方はもちろんご存知でしょうけどね。
これ何者かと言うとですね、三河の国、つまり家康の同郷でもっと言うと、
家康のお母さんの弟の息子です。
つまり国家家康のいとこです、この人は。
それで教科書に載らないぐらいの感じの人なんだね。
教科書に載らないならいざ知らず、逆にいろんなことに記録されてるのは、
そこを不良、酒を飲んで暴れる、人を無闇に殴る、殺す、
どっか行っちゃう、出奔する、喧嘩する、そんなばっか。
そんなやつでいいの?
そういうことなんですよ。
これが面白いところなんですよ、福山藩のね。
この水野勝明から何者だったかっていうと、家康のいとこですよ、家康も。
だから最初ちゃんと家康に従うべきじゃないですか、少なくともね。
このお父さん、つまり家康のおじさんなんですけど、
ちゃんと三河の国の狩野という町なんですけれども、今もありますこれはね。
の武将としてね、水野家という名簿を守ってきて、
松田や徳川ですよね、と一緒に連携しながら、
家康の覇領に貢献していった重心なんですけれども、
この勝明っていうのはね、まあ言うことを聞かなかった。
お父さんの言うことを全然聞かないですね。
不良なんですよ、はっきり言えば一言で本当の。
要は何がしたいかと言うと、戦が好きだったんですよ僕ね。
だから一応戦もチームプレイじゃないですか。
だからちゃんと今日の先陣はだれだれです、こういう作戦でいきます。
だから何時までは待って、何時から動こうみたいな、ちゃんと作戦を決めてるわけですよ仮にも。
見抜きもしないこれ。
こいつはね。
自分が活躍したい。
で槍を持って、仮にも彼ら南蛮国の城主の息子ですよ。
にも関わらず勝手に戦を始めちゃうとか。
行きがけみたいな要は突破したんですね、いろんなルールをね。
ルールで縛られないアウトローなんですよ。
っていうね、わがままが過ぎるんですよ非常に。
戦って滅亡に強かった。
BLはすごい、一人戦国無双状態なんですよこいつマジで。
マジで。
なるほどね。
お父さんとしては、ほっちゃ受け入れに行くんですよ。
そんな不良女の息子。
徳川の家康様の言うことにも従わないし。
チームの輪を乱すし。
お前なんなんだよお前は。
めちゃくちゃ無事に。
とうとう観音袋動画に出るとお父さんが感動しちゃうんです。
自分の息子。
本当に難しいよ。
着なんだのに、お前は水の家から出て行けよ。
相当だな。
本当に追い払っちゃう。
この人はね、放浪生活をしなきゃいけなかった。給料。
行きどころなくなるね。
お父さんの恨みもかなりで。
この不良女のバカ息子は。
誰も雇ってくれんな。こんなやつを。
方向構えて。
これ水野だけで。
その時の傾向って実はあるんですけど。
主と喧嘩したやつは。
こいつデキンですっていう。
デキンの使命体発症みたいなものを強くにばら撒かれるんですね。
だから水野勝成は、お父さんと喧嘩して。
しかもお父さんがマジでキレてるから。
もうどこにも収拾できない。
ってぐらいの息子だったの。
で、もうどうもなんないから。
放浪するんですよ。
東北は徳川がいますから。
もう当然使命体発症回ってるし。
だから仕方なく西の方に西の方に活路を求めて。
少しでもお父さんが離れようとして九州にまで行ってね。
だいぶ離れたね。
離れました。
だから当然福山を通ったでしょうけど。
西日本を歩き回ってフラフラしてるんですよ。
でもさすがにその方向構えっていうデキンのね。
使命体発症も。
徳川のある意味水野も徳川の家臣の一人なので。
徳川レベルの大名になればそれを無視することができるということで。
熊本で有名な加藤清正だったり。
小西幸永っていう徳川レベルの大名ですよね。
雇われる。
VUはすごいから。
なるほど。
雇われるんだけど。
行った先々でまた問題を起こすんですよ。
結局酔っ払ってどうしたとか。
喧嘩して殺しちゃったとか。
そんなことばっかりやってんの。
だからそこもクビになるわけですよ。
だからもう毎年のようにある種が変わってんの。
っていう不要なんですね。
なるほどね。
ところが面白いのは関ヶ原の戦いの直前になって。
もうお父さんに感動されてから大体15年くらい経ってるんですけど。
とうとうね、家康がさすがに見かねて。
まあいい加減許してやれよと。
あいつも若気のいたじだったろうし。
ちゃんと戦場で徳川のために働いてたのは間違いないから。
約束は守らなかったけど。
チームは満たしたけど。
ということでね、感動的な再会をしてね。
とうとうお父さんと仲直りするんですね。
芹ヶ原の戦いの直前に。
戻ってくるんですよ、徳川に。
15年かかるんだね。
15年ふらふらしたんです、九州とか京都とか。
ところがね、そのわずか直後にね。
お父さんが石田三成方の手によって暗殺されてしまうんですね。
暗殺かー。
はいはい。
っていうので急にそのぬいぐるみ分け仲直りしたお父さんと急に別れることになってしまって。
そこでまたこの人に多分そこで心境の変化があったと思うんですけど。
そうするとね、芹ヶ原の戦いにおいて石田方にそういった恨みもありますから。
大活躍してすごい大きな閃光を立てる。
続く大阪の陣とかでも活躍して。
真田幸村と戦ったの、この人ですね。
水野勝成の功績
徳川で勝ったんですね。
っていうすごい人だったんですよ。
っていうのでさすがに徳川もいずれもそこを振るのしょうもない奴だったけど。
さすがに戒心して頑張ってると。
そもそも戦はまあ強い。
徳川って三河武士とか江戸とかの人たちだから。
あんまり西北のこと詳しくないんだけど。
その三河ってあいつフラフラ15年してる時にずっと九州とかこの辺を歩いてて。
その辺で言うとあの辺詳しいんじゃないか。
なるほどね。
ってなって、我々幕府のプロジェクトとして福山をどうにかしたいと思ってるんだけど。
っていうので芹ヶ原だったんですよ。
いいストーリーだなとは思うんだけど。
大丈夫かなっていうのはずっと思ってる。
そうなんですよ。
こんなね、そこを振るのしょうもない奴を福山に置いていいのかと思って。
ところがね、この勝成が偉かったのはやっぱりお父さんの死が影響したのか、年を取って丸くなったのかわからないんですけど。
福山に来てからね、非大の命訓としてね、福山の街の発展に尽くしたんです。
やっぱ能力はあったんだな。
あったんだよね。だからやっぱり人に縛られたくなかったのかもしれない。
なるほどね。
それで言うとトップにまでなれば好き勝手できるというかね、ちゃんとその能力を発揮できる場があるのかもしれないね。
そういうことだったんですね。
でも今までは槍一本で敵と戦ってたわけですけれども、実はこの人は政治的なセンスも抜群だったんですね。
福山の街をね、ビンゴっていう国に与えられたんですよ。福山プロジェクトとしてはまずビンゴっていう国が大事だからここを何とかしたいと。
最初は別の街に実はビンゴの本拠地あったんですけど、勝成はこれをね、ビンゴここじゃダメだと。
福山にしようって言って、まず福山って街を作ろうって言ったのがこの人なんですね。
じゃあやっぱその大事な土地だなっていう自覚があったんだね。
そういうことですよ。
それでやっぱりもうね、自分は戦いの世の中で生きてきた人ですけど、今後はもう徳川の天下になって戦いでやり一本でどうにかするというよりも、
経済とか治水とか、政治をちゃんとしなきゃいけないっていうのは彼は分かってたと思うんですね。
そのためこの福山に選んだというのも、そういうわけで今ね新幹線を見下ろしてるわけですけど、
西国街道ってやっぱり市場の経済の大動脈をガシッと省略できる城下町を作る。
そのために城を作る。
そして実はね、この当時江戸時代の福山というのは瀬戸内海がすごい入り組んでる入り出で、海がねかなり入ってたんです。
だけど勝成がすごかったのは、これを対してね大々的な観宅事業、干からびせるっていう観宅事業をして、
海をこう水をバーッと追いやって、そこに新しい城下町をブワッと作って水田も作って、
そのダイナミックな事業をすることによって、
ビンゴっていう国の土地を勝手に増やし始めるみたいな、そんなことだったんですよね。
だから本当にこの勝成が観宅をしなかったら、今の福山市市街地っていうのはそもそも海だったんです。
はー。
いやーなんかずるいな。
そうなんですよ。
能力あって好き勝手やって、
で後に認められて、その手腕を遺憾なく破棄して。
そういうことですそういうことです。
なんかずるいね。
そうなんですよ。だからね非常にね、日本の歴史上見てもね、ちょっと興味深いね、面白い人なんですね。
僕はどことなく勝海市のダメ王子、勝小岸とね、以前話したんですけど似てる気もしてるんですけれども、
これが福山のね始まりなんです。
だから今でも、僕はちょっと今ネタメダにアウトロードだって言いましたけれども、
福山においてはもう奇大の名君としてね、これやっぱりあるわけですよ。
水野勝成の街作りコーナーっていうところがちゃんと福山町博物館にあるくらいにね、
福山という街を作った偉大な先人なんですね。
面白い人だね。
でまあ今はだいぶ端折ったんですけど、この放浪時代とかもいろんなエピソードがあって。
ありそうだね。
まあ面白い。ウィキメリーだけでもこんな笑える人そんなにいないですよ。
っていう人なので、ぜひ興味ある人ね、水野勝成という人をね、調べてもらえるといいんじゃないかなと思います。
というのが福山町です。
福山城の特徴
でね、実はですね、内田が見ているこの福山町博物館のね写真はね不十分なんですね。
これ。
え?
白壁の面と黒壁の面があるのね。
これ不思議じゃないですか。
なんでこんなカラーリングなのこれ。
おかしいですよねこれ。
オセロじゃないんだから。
えー。
東西南北あるんですけど、福山町はね駅の北にあるので、駅から見ると白い壁が見えるんです。
南側のものが見えるのでね、見えるんですけど、
北側にね、黒なんです。北側だけが。
なんで黒なのかわかりますか?
なんで黒?
何かを貼ってるんですよ。とある理由によって。
貼ってんのか。塗ってるわけじゃないのか。
貼ってるから黒くなっちゃったっていうだけなんです。
え?
全然わかんないよ。
うん。
まあこれ日本にここだけなので多分。
うん。
これ何かと言うと鉄なんですね。
は?
鉄板作りのね城なんです。
北側だけを。
え、そんなんなくない?
ないです。
ここだけなんですよ。日本でここだけだと思います。末路。
これか。
鉄を貼ってるんです。
え?
え、もうわけわかんない。
やっぱこの辺もね、見ずのかってなきゃら、尋常な政府の文字にしないとわかると思うんですけど。
はあ。
これねどういうことかって言うと、どうもね見ずの勝成はこの福山城を作ったわけなんですけど、
彼は戦国の叩き上げですから、
天田の戦に参戦したわけなので、
どうも福山の弱点が北にあるって見たそうで、
もしこれ攻められるとしたらうちが、
北から攻められる、自分だったら北から攻めると思ったらしいんですよ。
へえ。
というのはやっぱり、昔は南側に海があったわけなんで、
そういう天然の堀みたいのがあったりとかって考えると、
北はそれで平和になってて、
軍勢が移動してきやすいんじゃないかとか。
なるほどね。
どうもそういうことを考えたらしい。
で、天守閣に対してもすごい接近しちゃうんじゃないかと。
北から。
なので、そして大阪の時にとかではね、
徳川家康が大阪城を攻めるときに、
大筒、大砲です。
を使って天守閣にぶち込んだっていうのが、
松蔭だったりするんですけど、
これを見てたんですね。
なるほど。
つまり、その鉄の弾を打ち込まれても跳ね返せるだけのプロテクトを、
北身だけはやろうと思ったらしいですね。
っていうので、
おかしなことに、
北側にだけ鉄板をね、
ガチで張ったっていう。
えー。
いや普通さ、
壁とかさ、
そういう守り方するじゃん。
なんで鉄板を。
すごいセンスが。
アーマーですよ、完全に。
ほんとね。
しかも北だけにやったがために、
そんなオセロみたいな不思議なことになっちゃってるんですね。
面白いなあ。
でまぁ実はね、
福山城に鉄板が張られていた話というのは、
江戸時代の記録とかには書いてあったんですけど、
もちろん鉄板塗ってね、
錆びちゃいますし、
劣化しちゃいますので、
実は僕が行ったときはね、
鉄板張られてなかったんです。
つい最近、
ほんとこの何年か前に、
その水野時代の鉄板があった福山城を、
ちゃんと復元しようということで、
つい最近再度張られたんです。
はい。
ということでね、
実は僕もこの鉄板福山城、
まだ見てはないんですけれども、
ぜひ今行かれる方はね、
北まで回っていただくとね、
真っ黒の鉄板が張られてるっていう、
不思議な城があって、
これ面白い話なんですね、非常に。
草戸宣言の意義
へー面白い城だなあこれ。
うん。
まぁでも合理性はあるってことだよね。
そうそうそうそう。
あくまでもやっぱ彼なりのガチなんですよね。
戦いの場を見てきた彼ならでは。
なるほどね。
はー変わった人だね。
変わった人ですね、非常にね。
ほんと大河ドラマか漫画の主人公になってほしいんですよね。
うん。
ということでね、
ぜひ福山城に行った際には、
北にもちゃんと回っていただくということでね、
一つ付け足しておきたいと思います。
そうだね。
これは一周回りたいね。
はい。
そしてね、
ここで福山の歴史をざっと学んでいただいた後に、
ちょっとディープなところに入っていきたいと思います。
この福山城っていうのも非常に白い敷地なんですね。
その中にですね、
この福山城博物館とは別にもう一個ミュージアムがあります。
へー。
それが、
広島県立歴史博物館福山草土宣言ミュージアムというものです。
というね、この広島県がね、
今度やってる歴史博物館が福山にあるわけなんですけれども、
注目していただきたいのはですね、
このカッコ書きの中なんですよ。
はいはいはい。
福山草土宣言ミュージアムっていうね、
タッチフレーズをなぜ勘しているのか。
うん。
草土宣言っていうのは聞いたことないですね。
ないかな。
うん。
これね、大学受験も日本史でやった人は知ってるんじゃないかと思います。
ただ非常にわかりにくい分野の社会経済史みたいなね、
修行書、そこにちょっと載ってる遺跡なんですね。
社会経済史ってなんかコラム的な感じになりそうだね。
そうそうそうそう。
ところがですね、
この草土宣言っていうのが実は非常に大事なところでして、
これ何かというとですね、
この福山においては、
大体鎌倉時代頃から非常に巨大な港町があったっていう風に言われてたんですね。
どういうことかっていうと、
ちょっとね福山市の地図ってグーグルアプリ開けますかね。
これが福山駅です。
見てください。
駅がほんとに隣りだね。
隣りだね。
ほんとだもん。
これ福山城ですね。
はいはい。
ちょうどまさに今我々言ってる歴史博物館もこの公園の中にあるのがわかるわけです。
でちょっと引いていただくとですね、
西側にですね、川がありますね。
はい。
この足田川というのは非常に巨大な河川なんですけれども、
これはもうずっと昔から当然あるわけです。
昔はだからこの辺が全部海だったんですね。
つまり山陽っていう瀬戸内海がね、
経済の大動脈だった時期に、
昔は水を使うというのが一番物流の早いポイントですので、
足田川を使っていろんな山陽地方の産品というのが瀬戸内海に乗り出していったっていう経済的な重要位置だったんですね。
そういったのが鎌倉時代の頃から経済活動が活発化しましたので、
非常に重んじられてきた時に、
この足田川の下半のあたりに商業地が出来上がって、
多くの商人だったり町民だったりっていうのがね、
職人だったりの国に集まってきた。
これが草戸宣言と言われる集落だったんですね。
ところがですね、鎌倉時代の時は良かったんですけれども、
その後この辺りは戦いの場所にもありました。
非常にここを誰かを責めることが大事なポイントになるので、
江戸時代の水の活性が来たくらいの時まであったらしいんですけれども、
それが残念ながら埋没していってしまう。
江戸時代の中期にはどうもこの足田川の川のあたりに、
昔草戸宣言っていうすごい都市があったらしいっていう記録が残ってただけなんですね。
江戸時代の人からしても幻の街だった。
ところが大正時代、昭和時代とかになってきた時に、
この足田川っていう川のいろいろ工事をやるということになって、
草戸宣言の重要性
工事をしていたらそこから五輪の塔とか、
いろんな中世の遺物が続々と出てきてしまった。
川の中から。
これはもしかして草戸宣言って文献上にしかもはや記録が残ってない。
幻の街が本当にあるんじゃないかっていうことに気づかれて、
戦後改めてちゃんと調査をしたら、
とんでもない量の遺跡が見つかってきた。
川の中にあったんです。
埋没してたんですね。
川にあるんだ。
川の流路も実は水野勝成が、
本来福山駅の方に通ってたのを無理やりこっちに引っ込めたりしたんです。
街を作るために川は邪魔だと。
今の流路にしたら福山藩がこうやってやってるんですよ。
なるほど。
じゃあ当時は普通に陸だったところが、
後々川になって、
だから埋まってる。
埋まってしまった。
後々もなくなってしまったんですけど、
近代、現代になってきて、
それがにわかに見つかったんですね。
幻の街が。
この朝にね、
以前越前の市城谷というものを話しましたけれども、
割と同じ理屈で、
もちろん燃えてしまって、
埋没してしまった街なんだけれども、
それ以降新しい市街地が建たなかったんですよ。
つまりこれにおいても。
川なんて当然立ち寄かないからね。
なので、
その燃えてしまってなくなってしまった土地のままのことを、
すごく濃厚に留めていたんです。
ということで、
この草野宣言っていうのは、
実はめちゃくちゃすごい遺跡が埋まってたってことに気づかれて、
中世の何百年前の街っていうのが、
そのまま前年残ってたっていう大発見なんですよ。
ていうので、
広島県だったり福山市が、
これはちゃんと保存しなきゃいけないっていうことで、
この広島県立博物館というものを、
この草野宣言のために立ちたんです。
なるほどね。
なので日本の歴史の資料書においては、
中世の貨幣経済の発展みたいなところの、
その象徴的な存在として、
今この草野宣言は教科書に載っています。
じゃあやっぱさっきの福山城博物館とは、
やっぱ隅掛けがあるっていうことね。
そういうことです。
ある意味福山城博物館はその後の話なんですよね。
草野宣言の後の話なんでね。
博物館の展示
ということでね、
ちょっと常設展を見てもらいましょうか。
草野宣言展示室。
蘇る草野宣言ってことですね。
なんとこの草野宣言の遺行がそのまま残っていたわけなので、
これを全て実物大で、
この博物館の中に復元してるんです。
博物館の中に?
そう。
すげーな。
大きなフロアの中に、
中世の街が突然と現れるんです。
はー。
でも本当は一条谷のあれみたいな感じだよね。
そういうことですね。
それを中に作ってんだ。
そうなんです。
屋内なんですこれ。
しかも全て実物大なので、
当時の人の背丈だったりとか、
体の大きさだったりとか、
行動範囲っていうのもおのずとね、
うかがい知られる。
なおかつ屋内だからできることなんですけれども、
室町時代のある日の初夏の夕暮れ、
というものを再現したっていう、
そういうシチュエーションが好きなんですね。
へー。
実際行くとね、
ちょっと夕暮れのね、
今の間隔でいうと夏の夕方の6時ぐらいなのかな、
みたいなね。
これからだんだん帰宅してくる人が、
ようやく仕事を終えるような人たちが集まるようなね、
そんなシチュエーションが再現されています。
へー。
実際このね、
家がいっぱいあるわけですけれども、
この中にも入れるんですね。
あ、そうなんだ。
入れます。
じゃあもう本当に体感する感じだ。
そういうことです。
なので昔の人の家にお邪魔させてもらうようなね、
そんな感覚になって、
ただね、
この家の中に誰もいないわけですね。
まあそうだろうね。
うん。
その器具とかが置かれたままになってるんですよ。
うーん。
なのでね、
僕がここにいたときに非常に思ったのは、
なんか本当にタイムトリップしたっていうのはもちろんそうなんですけど、
何かの一家失踪事件があった後なんじゃないかっていうぐらいのね、
そんな臨場感をね、
感じられる場所でありました。
それだけそこに生活してる感じを体感できるってことね。
そういうことです。
それをあえて留めているわけですね。
へー。
面白い展示だなあ。
うん。
これなかなかすごい面白い展示ですね。
やっぱりこの集落のためにこれだけの博物館が作られるっていう、
まあそれだけやっぱ草土宣言の本質なんですけど。
うーん。
でね、
今のはね、
いわゆる一般的な概要の話なんですけれども、
こんな展示なかなかないじゃないですか。
ということでね、
実は最近ね、
面白い取り組みが行われていまして、
この草土宣言が夏になるとね、
お化け屋敷としてね、
え?
ナイトミュージアムで開館されるそうなんで。
へー。
はい。
え、めっちゃ面白いじゃんそれ。
うん。
これ僕も行ったことないんでね、
またできるでしかないわけですけれども、
福山大学の方の心理学研究室みたいな方々と連携して、
まあ要は多分その方々は心理学でね、
人が怖いと思う感情だったりっていうのを研究されているらしいんですけれども、
そういった方々とのコラボレーションで、
この草土宣言を夏の一定時期はね、
夜お化け屋敷になるそうなんです。
へー。
はい。
へー。
いやなんかより異世界感がありそうな感じですね。
新庄寺禅と庭のミュージアム
ありますよね。
うんうん。
だしまあいわゆるお化け屋敷とはまたちょっと違うと思うんですよ。
そうだよね。
うん。
はー。
この大学生の方とかがね、
実際キャストとして登場したりもするそうで。
へー。
面白いですよね、こういうのね。
なんかこう病院とかのやつはね、
はいはい。
結構あるけど、
うん。
この室町の街並みでやるっていうの面白いですよ。
面白いですよね。
はい。
へー。
そんなこともね、最近あるそうでね。
ここ2、3年の話らしいんですけど、
うん。
好評のようでなんか毎年やってるみたいですね。
へー。
いやこれはなんか人気出そうですね。
出そうですよね。
まあやっぱりどうしても歴史博物館なんていうと、
ちょっとね、
敷居が高いのかなって思われがちですけど、
お化け屋敷だったら子供さんでもね、楽しみますしね。
そうだね。
そこでやってこう、
草と千年ってものを知るきっかけにももちろんなるだろうし。
うんうんうん。
そんなね、
個性的なちょっとミュージアムがね、
この福山城の敷地の中にあったりします。
へー。
面白い。
うん。
いやこれが駅の隣にあるの本当面白いね。
そうなんですよ。
福山ってのは不思議の街なんですよ、ちょっとね。
うんうん。
うん。
ということでね、
福山県立歴史博物館のご紹介でした。
うん。
そしてね、
これが終わると大体3時頃になっているんじゃないかなと思いますので、
はい。
ちょっと最後にね、
郊外の方にはなるんですが、
一つ大きな目玉をね、
言ってね、
この1日目の観光は終えたいと思うんですけれども、
うん。
今回公共交通機関を使いますので、
あくまで現時点ですが、
具体的な時刻表を示したいと思います。
はいはい。
大体この県立博物館、
歴史博物館から5分ほどで福山駅に戻れますので、
うん。
14時55分に福山駅のバス停にいることを目標にしてください。
はい。
で、そこから友鉄バスというね、
地元のね、バス会社さんのバスに乗って、
うん。
31分ほど、
はい。
行っていただくと、
15時26分に新庄寺バス停というものに着きます。
うん。
新庄寺というのは神様が勝つ寺と書いて新庄寺です。
はい。
そして、このバス停から徒歩1分ほど目の前なんですけれども、
うん。
で、行くのが新庄寺禅と庭のミュージアムというものです。
ほう。
何これ。
UFOみたいじゃないこれ。
はい。
まあお寺はね、お寺は普通にね、門があって、
うん。
すごい立派なお庭だ。
でもやっぱり今思わず、
いや最初、
これ何よ。
はい。
まあ今回のテーマを思い出していただきたいんですね、これね。
ああそうか、建築だもんね。
はい、建築です。
なるほど。
はい。
いやこれ衝撃的だよ。
これ見た目びっくりする。
これ何これ。
まじでUFOみたいだよ。
ね。
あのね、上半分は、
うん。
富士山みたいな感じなんですけど、
はいはい。
うん。
でそれがね、逆さ富士みたいな感じになってんだけど、
うん。
下はね、こうポーンとね、
本当にUFOの下半分みたいな感じ。
うん。
でその富士山部分は黒いんだけど、
うん。
下半分は金になってるっていう。
うん。
何これ。
不思議ですよね、これね。
うん。
これ建物自体も不思議だし、
うん。
この中何っていうのも、
そうなんです。
わかんないし。
まあちょっとこれ写真みるとね、
怪しげにこう口がぱっかり開いててね。
ね。
そこに誘われているような。
そうそう。
橋でもってこう建物の中に入る感じなんだよね。
はい。
何にもわかんないわこれ。
はい。
ということでね、この新庄寺禅と庭のミュージアム、
まあこの1日目の目玉になるわけなんですけれども、
うん。
これは何なんでしょうかということなんですが、
はい。
まあね、名前の示す通り、
まあ我々にもゆかりの深い、
禅。
禅ね。
と庭のミュージアムということなんです。
うん。
で、
まあちょっと成り立ちの話を最初にしてしまうと、
はい。
もともとはね、この新庄寺ってお寺だったんですね。
うんうん。
で、お寺としてだいたいもう40、50年かな、
長くやっていたものなんですけれども、
うん。
ある時、まあ2016年なんですが、
うん。
に、現代建築家だったり、
現代のアーティストたちの手によって、
リニューアルされて、
うん。
ミュージアムとしての機能も付加されたというね、
うんうん。
ものになるわけなんです。
だからお寺はお寺としてあるってことですね。
うん、そういうことなんです。
うんうん。
じゃあ何でこれどういうお寺だったのかということなんですけれども、
はいはい。
実はこの新庄寺自体も、
それこそ福山城みたいに江戸時代、
新庄寺の歴史
あるいは草造船業みたいに鎌倉時代というわけではなくて、
うん。
割と最近できたお寺なんですね。
うんうんうん。
で、これどういうことかっていうと、
このリンゴの国というのは昔からそういうわけで、
瀬戸内海のね、海運を司っているような、
非常に大事な国になったわけなんですけれども、
うんうん。
なので造船業みたいなものはね、非常に発展してきたわけです。
はい。
で、とあるね、地元でも今でも有名なね、
すごい大規模な造船会社さんの社長さんが船のこともそうですし、
あるいは航海に行くわけですけれども、
うん。
そこで海難事故にあってしまわれた多くの船乗りたちのことを思って、
彼らの母台を弔うための場所が欲しいということで、
うん。
その供養のためにね、
お寺を最近になって作ったっていうのがこの新庄司だったんですね。
ああ。
ああ、なんかやっぱこの番組で、
うん。
いろいろ淡路の時もそうだし、
本島の時もそうだけど、
そうでしたね。
うん。
海に関わる仕事と、
うん。
信仰、
だからやっぱ海がそれだけ危険ってことだよね。
そうですね。
うん。
大和時代なんていうのは今と低くにならないほど危険だったということなんでしょう。
それでやっぱり神様、仏様にお祈りをしたいっていうので、
信仰が深まっていくんだね。
そういうことですね。
うん。
で、実際これを奏見された方は、
そういった海難事故に遭われてしまった方々への供養としてね、
やったわけなんですけれども、
うん。
同時にね、臨済宗の禅に対して深いね、
教館を用意された方で、
この臨済宗の禅の教えというものを世に広く知ってほしいという、
そういう拠点としてもこのお寺を使おうとしたんですね。
うーん。
そのため、あくまでも禅なんです、これを。
なるほどね。
我々はね、曹洞宗の禅でしたけれども、
この方は臨済宗、
道元さんが曹洞宗なわけですけど、
道元さんがそもそも行く前からね、
日本に初めて禅を持ち込んだのは臨済宗の英才さんなんで、
うんうん。
はい。
というものになるわけですね。
ほう。
この禅寺としての魅力、いろいろあるわけなんですけれども、
中でも特筆されるのは江戸時代、
沼津の禅僧、
はくいん絵画さんのコレクションです。
はあ。
これはね、臨済宗忠孝の祖と言われているほどの非常に重要な人物で、
白院の芸術作品
沼津に生まれ育って、沼津で亡くなった沼津の禅僧なんです。
うーん。
ちょっとあいにくね、以前のポートキャストの時にはこのエピソード省かせてもらったんですけれども、
はいはいはい。
沼津の方は多分皆さん知っている方だと思います。
うーん。
このはくいんさんというのは、臨済宗の禅僧だったんですけれども、
単純にこう教えを広める禅をやるというだけではなくて、
絵とかね、木石とかね、書道ですね、
こういったものに独自の個性を発揮して、
その禅のね、決まりきった形を出して、
新しい禅を開いた、で実際に成功したようなね、
まさに忠孝の僧と言われているね、独特の芸術家なんです。
へー。
なのでこの人は今でも禅僧としてももちろん業績も高らかですが、
白院展みたいな感じで、
美術家、芸術家としてこの人の絵画展が今でも開かれるということのね、
そういった芸術家になっています。
へー。
禅としてこの芸術をやってるってことなのね。
そういうことです。
禅の精神を表すための芸術をね、手掛けた方なんですね。
うーん。
っていうのでね、今この新庄寺の中のね、美術館があるんですけれども、
そこにはね、約200点白院さんの作品が収められている、
日本初の白院絵画さん専門の展示館ということでね、
やっぱり白院さんって東京でも展示館が行われるぐらいの人気のね、
芸術家なんですので、
それのコレクションをね、集めているというね。
へー。
これ非常に大きなポイントですね。
へー、200点以上あるんだね。
うーん。
それも修行ってことだね。
そういうことですね。
うーん。
で、まあ今ね、この白院さんの話しましたけれども、
まあ当然我々も見たことのあるような、
座禅、社長、禅体験、日帰りができるというね。
はい。
まあ臨済禅なのでね、見るときが違うんですよね。
そう。
相当集は壁に向かってやるんですよ。
そうそうそう。面壁ですね。
臨済禅は違う、逆なんですね。
だから俺からすると不思議だなって感じがするね。
この絵はね、我々の高校にはなかったですよね、絶対。
そうだね。
へー、こういうやり方なんだ。
はい。
あとやっぱ臨済禅というのはね、
相当集以上に日本の芸術文化に深く関わっていったものですので、
千利休さんの流れを汲むお茶室があったりとかね。
うん。
お風呂があるんですよね、そうこれ。
へー。
これね、予約制なんで僕も行ったことないんですけど、
うん。
これいいっすよね、蓄輪がさ、このお風呂の水房にね、移っているような感じで。
え、入れるんだ。
入れるんです、これ。予約すれば入れるらしいんですよ。
へー、面白い。
うん。
4名様はですね。
へー。
貸切50分で5000円になる、1人も1000円ちょいと考えれば別にね。
はいはいはい。
へー。
露天風呂付きなんですね。
え。
いいっすよね、これね。
うーん。
いや、俺らは、寺のお風呂ってもうさ、三目道場とかね。
はいはいはい、ありましたね。
3つの黙る道場なんです。
うんうん。
要は、風呂も修行だから、しゃべっちゃダメなんですよ、風呂で。
うんうん。
俺はもうそれが嫌で、あの時風呂入んなかったんだけど。
すごい、それもなかなかアウトローな。
いやでも確かね、選べたんだよね。
そうですね。
希望者だけ入るみたいな感じだったんだけど。
だから、お寺のお風呂ってこんなリラックスする雰囲気じゃないと思ってたんだけど。
見た目高級旅館ですもんね、完全にね。
現代建築と修行体験
すごいね。
え、ちょっとこれは入りたいわ。
ね、僕もちょっと入りたいです、これ正直ね。入ったことないんすよ。
へー。
っていうやっぱり、これは相当禅も同じですけれども、
神儀帯それぞれにね、修行があって禅の精神が宿っているっていうのは、
臨済禅も同じ考えを持っていらっしゃいますので、
このところね、めっちゃ広いんですよ、このミュージアム。
すっげー広いんで、その中で一個一個お堂だったり見ていくと、
やっぱり禅の精神というのがそこかしこいね。
我々は特にやっぱり感じ取りたいなっていうところもありますよね。
そうね。
ガリの意味も学んできたわけなので。
はいはい。
というのがまず禅の話なんですね。
はいはいはい。
そして、その2016年にリニューアルした建築の話を今度していくもんですが、
この正道というのを見てみましょう。
正道。松のお堂ですね。
はー。
この屋根は何だろう。
えー、いやこれも何か分かんないんだけど。
不思議ですよね。
えーとね、なんて言ったらいいの?
形としてはね、縦穴式住居みたいな感じなんですよね。
はいはいはい。
三角でだいぶ高い建物っていう感じ。
それに廊下が繋がってる感じの建物ですね。
これも何か分かんないよ。
これ実はね、受付です。
はー。
開館するとね、このローカウトって三角防止の下に受付があって、ここでチケット買うんですね。
はー。
はい。
誰でも必ず訪れます、ここは。
えー。
はい。
そしてね、これを作ったのがね、
はい。
藤森てるのぐさん。
うーん。
というね、今でも活躍されてる日本の現代建築の名手なんですけれども、
はいはい。
この名前聞いたことありませんか?
え?
出てきたっけ?
えーとね、厳密に言うと、まだこのポッドキャストでちゃんと紹介はしてないんです。
うーん。
だけれども、実は内田が自らね、この人の建築物のことを話してくる時があるんです。
え?
これ岡田が大好きな建築家です、ちなみに。
そんなことあったっけ?
我々言ってるんです、この人が作った建物に実は一回。
えー。
この不思議なフォルム。
内田が自分で話しました、これを。
僕が振ったわけじゃなくて。
モザイクミュージアム?
はい。
あー。
正解です。
田嶋のモザイクタイルミュージアムを設計した人です、この人は。
はあー。
はい。
えーでもあれともちょっと雰囲気違うよね。
違いますね。
うん。
あのモザイクタイルミュージアムは結構こう丸いというか、
はいはい。
曲線美というかね、
うん。
可愛らしい感じなんですかね。
うんうんうん。
けどこっちは、まあまあ可愛らしさもあるっちゃあるんだけど。
うん、可愛らしさありますね、ちょっとね。
でもまあなんか直線的だし、
うん。
なんか屋根もね、黒っぽいしね。
うんうんうん。
なんかちょっと雰囲気違う。
うん。
あーでもまあよく見るとその可愛らしさはあるな。
可愛らしさといい意味でのアンバランスさというかね。
あーはいはいはい。
ちょっとやっぱりジブリ的と言えばジブリ的かもしれませんけど。
ね、なんかそういう感じはあるね。
はい。
あー。
そうですね。
はあはあはあはあ。
でまあこの小道が松の道と書くわけですけれども、
うん。
藤森さんがね、初めて実際に現地を訪れた時の話がね、
このミュージアムのホームページに書いてあるわけですが、
うん。
この方実は長野の方なのでね、
うん。
全然風と違うところに住まわれた方なんですけれども、
うんうん。
やはりその山陽道と瀬戸内川、日本でも有数の赤松の山地だったと。
ほう。
それがまず最初のイメージだったってことなんですね。
うんうんうん。
なのでこの松というものを一つのテーマにして、
この山陽地方の風土を体現した建築を建てた。
へー。
ということでこれを建てられたんですね。
天のイメージと一番近いのはやはり松であろう。
うん。
やっぱここでこう、色づい道項というよりも常にずっと立って、
黙念と立っている感じ。
あーなるほどねー。
うん。
そしてこの瀬戸内の赤松だったっていうのもね。
はあはあはあ。
うん。
でもなんかこうね、やっぱり森の中にこれが佇んで、写真を見るとね。
うん。
ちょっとやっぱり調和してるんだけど、なんか不思議なね。
なんかね。
魔法使いのお家みたいなね。
はいはいはい。
うん。
この柱がね、松っぽくなってんすよ。
そうですね。
人生そうなんと思いますよ多分ね。
松なのかな。
おそらくなんだけど。
うん。
あーほんとだ。
アートパビリオンの紹介
松丸太の表面を削り、柱として建てたと。
はい。
おー。
というね。
やっぱこの風土ならではの素材と藤森さんの感性というものを合わせたね。
これが社務所というか、まあ要は本当に受付なんですね。
へー。
はい。
面白いなー。
面白いですよねこれねー。
うん。
これがね、まだでも序の口なんですよ。
これ最初に現れるのはこれだっていうだけなんで。
ほんとに序の口だもんね。
入り口だもんね。
入り口なんで。
で、あとはやっぱり校庭。
これか。
はい。
冒頭で言ったね。
うん。
謎の建物ですよ。
謎ですよね。
謎。
何も分からない。
校庭というのはね、算数に光と書く光っていうなかなか使わない文字ですけれども、
これの庭と書いて校庭と読むんですね。
お庭ってこと?
これはね、正直僕も一言で何と言うか非常に難しい、何とも言えない建物なんですよ。
はー。
厳密に言うと建物のお庭ではない気もするんですけれども、
これ何なのかというと、まあちょっとね、まんま読みますと、
新庄寺の境内に建つアートパビリオン。
伝統的なコケラ武器を応用し、全体を木材で柔らかく包んだ船型の建物が石のランドスケープの上に浮かぶというわけで、
アートパビリオンっていうね、非常に不思議なものなんですよ。
アートパビリオンって聞いても何か分かんないもんな。
まあオリンピックとかでよくね、パビリオンなんて話は聞きますけれども、
万博とかね。
そういうことですそういうことです。
要は一つのその境内の敷地の中にある象徴的な建物っていうのがこのパビリオンとして捉えられるんじゃないかなと思うわけですね。
思い出していただきたいのは、さっきこれUFOなんじゃないかって話ありましたけれども、
そもそもこのお寺がなぜ建ったかということなんですよ。
あ、はい。
船ね。
そう、海難事故に遭われたね、人々の供養のために建っている。
つまりこれは船というものが非常に大きなエッセンスになっている明治城なわけです。
なるほど。
で、さっきの説明の中にも船型の建物がっていうふうに文言がありましたよね。
そういうことです。
なので材質自体はコケラブーチなので木なんですけれども、
これ木なのか。
はい、草木キンって言ってましたけど木ですこれ。
木なのね。
木造です。
木造の巨大な船をイメージしてそれを石の上に建てたっていうのがこの工程というものなんです。
でね、これを作られたのが縄光平さんというね、今もう現代日本アートの最先端を行ける非常に有名な建築家の方です。
建築家、彫刻家ですねこの方はね。
彫刻家。
ちょっとこれ縄光平さんで調べてもらうとね、分かると思います。見たことあると思いますこの人の作品。
東京にも結構あります。
これ見たことないですか?
えー、なんかある気もするわ。なんだっけこれ。
これどこに特定にあるかというわけじゃないんだけれども、
このグラスのね、ガラスのこのつぶつぶ粒子というものを動物に造形するっていうすごい幻想的ななんというか彫刻がありますけれども、
これを手掛けられているのが縄光平さんと縄さんが主催されているサンドウィッチというアーティスト集団の方々ですね。
東京にも結構ね、縄光平さんの彫刻がありますので、どっかでこれ見たことがあるんじゃないかなという方もいると思います。
この方がプロデュース作った建築なんですね。
いやー、不思議な建物だな。
実際に言っていただくとね、山の中の草原の中にこれが急に現れるんですね。
そしてこのね、全長なんと約45m。
結構でかいよね。
でかいよ。相当でかいよこれ。
いやー、これ中はなんなんですか?
そうなんです。そこなんですよ。
これ中入れるんですよ。
何が入れるのかってことなんですけど、
これね、ちょっと今どういう制度かわからないのでいくつか調べてほしいんですけど、
僕が行った3年くらい前の話をしますと、
中はね、瞑想体験ができる場なんです。
で、時間制限があって、確か30分ごとだったと思うんですけれども、
最初にさっきの藤森さんの受付に行くと、
今日は何分何分何分にどれぐらいの枠がありますよっていうので、
十何人かしかその枠に入れないんですね。
そこに自分は何時に積んで決めていくんですよ。
この端のところに並んで十何人の人がこの1階の階に入れるっていう中に招きに行ってもらえるんですけれども、
僕が見た話をすると、まず一言で言うと中は真っ暗です。
何にも見えません。真っ暗。本当に真っ暗。
で、その中で足元気をつけてねとか言われながら、
映画館の席みたいな感じのところに座らされるんですよ。
要はちょっと段々になっているような。
で、そのこっち側から入って、こっち側を要は奥側を見るような形で座らされて、
何が始まるんだ?真っ暗。何も見えない。
なってると始まりますって感じになると、
徐々にその真っ暗で何も見えなかったもののところから、
かすかに水平線見えるのがゆらゆらゆらって光が見え始めて、
で、徐々に徐々にその光がおぼろげに明るくなっていって、水平線が見え始めるんです。
これ何かっていうと、この中ね、水が払えてるんです。
え?
うん。
へー。
中水になってるんです、これ全部。
想像を超えすぎててね、もう何なのそれって。
そうなんですよ。
はー。
つまりこの、ちょっと僕も分かんないんですけど、この辺に多分席があって、
こっち側がシアターみたいになってるんですけど、そのシアターはスクリーンとかじゃなくて、
一面にね、水がなみなみと張られていて、
それが微妙に音波なのか振動なのか分からないんですけど、
それで揺らぎ始めると、そこに光を投影して、
その水のかすかな水平線が揺らり始める、なんか日の出みたいな感じのね、
かすかな光の体がね、か細く出てくるところから、
そういうなんかちょっとショーみたいなのが始まるんです。
はー。
うん。
じゃあそういうのを見ながら瞑想する時間の体験ができる。
そういうことです。
なので、すごいピカーンみたいな感じで何か現れるわけではなくて、
ずっとその揺らげみたいなね、物が、かすかな光がこう明滅しているっていうだけなんですけれども、
そこにちょっと香りがいい香りがなんか妙にしてね、
禅のお寺の香りなのか分からないんだけど、
その中で目を閉じたりとか、目を開けたりするとその揺らぎがあったりとかっていう、
不思議なこう繰り返しを20分ぐらいだったかな、して、
不思議な体験をして出てくるっていうね、なおさら不思議な場所なんですね。
はー。
うん。
面白い。
うん。
いやもうこれ、だって聞いてるだけでも絶対そのイメージできてないなっていう感覚がある。
言葉で表すんですよね。
これ行かないと分かんないね。
行かないと分かんない。
これはね、本当になんというかもう行かないと分かんない正直。
で、体験したりしないと分かんないですよ。
そうだよね。
うん。
なのでぜひ行ってほしいんですね。
うん。
旅行ガイドブックとか、我々ポートキャストインスタグラムでもね、
伝わんないですよ、中のことは。
写真も撮れないから。
はいはい。
真っ暗だからだって。
そうだね。
うん。
はー、面白いね。
いやもうこれはもう本当に全都、庭のミュージアムを体験してるというかね、象徴的だよね。
はい。
瞑想体験の詳細
この建物のね、周りもね、お庭としてこうちゃんとされてる感じですよね。
そうそうそうそう。
あの、建物の周り、これ我々が今見てるのはちょっと上の方から見てるとちょっとカッコいいですけど、
実際こういうアングルまで行けます。
つまり庭もこれ散策できるんですよ、全部ね。
うんうんうん。
なのでね、本当にこれ広いんですよ、ミュージアム自体が。
へー。
これしかもちょっと離れみたいになってて、さっきの博音さんのやつとかは別のとこなんですよ、ちょっとね。
うん。
橋を渡って、民を一個超えたみたいなとこにあるので、山そのものがミュージアムみたいになってるので、めちゃくちゃ広いですこれ。
へー。
なのでくるぐるもね、実際行かれる方においては、この工程というもののね、瞑想体験の時間だったりとか、
なめなわけですこれ本当に。
多分ね、予想していた以上の2倍くらいの時間使うと思います、全体で考えて。
いやこれ面白そうだもんな。
うん。
なのでちょっと正直このモデルコースも肩に詰め込みすぎです。
ああ。
本来はこれで半日撮ってもいいくらいだと思う。
なるほどね。
うんうんうん。
僕は半日撮りました実際ここに。
いやできそうだもんね。
うん。
こんなのがね、ビンゴの山奥にあるんですね。
ああー。
突然と現れるんですよこれ。
へー、ちょっと気になるなあこれ。
これはすごいよ。
これはね、人を歩め選ばないですよ。
誰もが驚く。
ああー、そうね。
素直に驚く。
これはこんなもんある。
こんなものないもんね。
ね。
見たことないもん。
うん。
っていうのがね、この現代建築の不思議なミュージアムがあるんですよ、ビンゴにおいて。
福山の飲食シーン
へー。
はい。
いやー面白いっすわこれ。
はい。
もうほんと今紹介したのごくごく一部なのでね、ぜひ散策してね、ご自身の興味のある建築いろいろ見てもらえればいいんじゃないかなと思いますね。
はい。
で、これを見終わってもう5時までたっぷり見たとしましょう。
見ますって方絶対間違いなく。
で、17時20分西新生寺バス停から福山駅に戻るバスが出ます。
友鉄バスで31分行っていただくと、17時51分に福山駅に着きます。
で、ホテルに荷物を置いていましたがチェックインはまだなので、6時頃になりますがね、福山駅の近くのホテルにチェックインをしていただきましょう。
はい。
で、そこで少し休んでから例入り飲み始めるわけですね。
はい。
福山は僕ね、これまで2年連続で3泊してるんですけど、なので実はいっぱいお店あるんですが、ちょっと今回2つに厳選してご紹介したいと思います。
福山はマジで都会なんで全然店困らないです。
すっげーたくさん居酒屋や飲み屋もあります。
で、今回ご紹介させていただくのは福山駅からお城側、つまり北側ですね。
で、実は本来ならば南側の方が栄えてるので、南側の方にもっと印象っていっぱいあるんですけど、ちょっと今回北側に要請させてもらいました。
なるほど。
で、福山駅からね、大体徒歩も5分かかんないくらいかな、ところにあるので、ホテルからも大体10分くらいで行けるんじゃないかと思うんですけれども、春菜美酒千鳥さんです。
わー、なんかオシャレな感じだ。
はい。
いやでも美味しそうだな。
うん。和食のね、ちょっとラフなかっこ屋さんというかですね、小料理屋さんっていうのが一番正しいかな。
あーなるほどね。
瀬戸内のね、業界、お野菜使ったね、非常に美味しい小料理屋さんです。僕こういうの大好きなんですよ。
あー。
うん。
あー、美味そうだ。
まあお刺身の盛り合わせに始まって、やはりサワラとかね。
あー。
うん。ちょっと時期に及ぶんでしょうけど、タイのお作りの話とかね。
はいはい。
じゃこ飯とかね。
あー。
瀬戸内の魅力
やっぱり瀬戸内の業界、まあ我々高松側でね、味わってないんですね。そういえば思い出しましたよ。岡田と僕だけでした、高松に行ってるのは。
そうだね。
高松、宮崎さんと似てるんですね、非常にね。
うん、なるほどね。
三、四都市国っていう差こそありますけれども、瀬戸内界の食材を調理してというね、お店になっています。
なるほどね。
で、もちろんね、こういった海鮮もね、お野菜もね、豊富にあるわけなんですけれども。
ちなみに言うと、あの我々がね、三豊鶴に行った時に、あの時にネブトって買ったの覚えてますかね。
はいはいはい、ちっちゃいね、小魚を買いましたね。
そうそうそう、アヒージョにしたじゃないですか。
しましたしました。
あれとか僕ね、福山で食べたんですよ、最初実は。
あーなるほど。
そこでネブトって知ったんです。
へー。
だからやっぱり瀬戸内のね、お魚なんですね、あれね。
うん。
ここもね、やっぱり食べられたりしました。
へー。
うん。
いやー、これちょっと目移りするな。
でしょうね。
うん。
で、まあもちろんね、今我々アルカルトのメニュー見てますけれども。
はい。
コースが基本はメインだそうで。
あ、なるほどね。
うん。
まあ僕はアルカルトで行ったんですけど、なんかね、どうも最近はコースに絞ってるみたいな、ちょっと口コミ見たので。
あ、そうなんですか。
僕が行った時はアルカルトで食べてたんですけど。
はいはいはい。
今はコースだけになってるかもしれませんので、このあたりはちょっとお店に来ていただくのがいいんじゃないかなと思いますし。
はい。
まあ当然ね、料理のメニューだけ見てるわけですけれども。
うん。
それだけじゃないんですね。
お酒をね。
広島県というのはね、実は特にこのビンゴの地方と秋の山の方はね、お酒すごいんですね。
あ。
西日本有数の酒どころです。
そうなんだ。
はい。
あんまりイメージなかったけど。
うん。
あるのね。
ありますね。
うん。
この見ていただくと日本酒のメニューがあるわけですけれども。
はいはい。
日本酒のその酒蔵の後に三好市、福井山市、竹原市っていうもう最初から広島県の中でどういう酒なのかっていうことしか書いてないんですね。
うんうんうん。
っていうくらい広島県ってやっぱりお酒が作られる場所ですから。
そうなんだ。
うん。
やっぱりこの地酒と瀬戸内の旅会だったり山洋のお野菜というものを合わせられるお店っていうのはやっぱりね、ぜひお勧めしたいと思うわけですね。
うんうんうん。
そしてね、まあこういった美味しいお店もちろん福井もたくさんあるわけなんですけれども。
はい。
ちょっとね、一つね大きな引きがあるのでね、ご紹介したいんですけど。
実はね、この千鳥さんのオカミさんなんですけれども、とあるもう国民的タレントの実のお姉さんなんですね。
はあ。
岡山県出身で、今おそらくまあもっともっと言っても過言ではないと思う。
有名な芸能人の方。
千鳥だな。
で、なりますよね。そういうことなんですよ。もう最初答えてくるものなんですけど。
千鳥の特長
千鳥の醍醐さんのお姉さまが運営されてるお店なんです。
はあ。
うん。
え、お店やってるんだ。
うん。あのご夫婦でね、やってらっしゃる。あの旦那様がね、調理員で。
奥様、だから要は醍醐のお姉さんはホールというかオカミさんとしてやってらっしゃるんですね。
へえ。
ご本人に普通に会えますし、普通に写真を撮ってくださいます。
はい。
いや、それだけでもちょっと人気店になりそうな感じだね。
ああ、でもなんか写真見ててもね、なんか気さくそうな感じが。
気さく、すごいフランの方ですね。ノリが良くて。
へえ。
やっぱりあの醍醐さんのお姉さんっていうのもなんかちょっとうなずけるというか。
はい。
へえ。
まあやっぱりそのビンゴの国なので、やっぱ岡山から近いんですよね。そもそも全然。
はいはいはい。
なのでやっぱり文化圏としては岡山系の文化圏でもあります。
うんうん。
ビンゴ、福山というのを。
なのでまあその醍醐さんのお姉さまもこちらに都知事でいらっしゃって、
こちらでお店を今ご主人と一緒にやってらっしゃる。
けれどもその醍醐さん云々という以前にマジでうまいんですよ。
うんうんうん。
なのですごい大人気店でかつ醍醐さんのお姉さんがやってるっていう。
そういったお店になってるんですね。
ああ。
なので千鳥のファンの方はもちろんご存知の方も多いんじゃないかと思いますね。
ああ。
うん。
いやーちょっと引きしかないな。
うん。
これ福山駅って本当に北のすぐ目の前です。
お城に行く途中にありますので。
まずはこちらでね、絶対予約した方がいいと思います。
ああ。
もうほぼほぼ入れないですマジで。
うんうんうん。
必ず予約をしていくことをお勧めしながら、
こちらで一軒目という風にさせていただきたいわけですね。
うん。
そしてね、せっかくなのでもう一軒は行こうかなというところでね、
この千鳥さんから徒歩5分ほどさらにね、
お城の方に北に上がっていくんですけれども、
うん。
秋の潮見別邸というね、お店に行きたいと思います。
おお。
え、バーすかこれ。
バーです。
へー。
はい。
ちょっとバーっぽくないお店の名前ですけど。
うん。
ああでもなんか照明いい感じだな。
うん。
まあいわゆるね、昔の城下町の建物をリノベーションした、
古民家バーなんですね。
うーん、なるほどね。
うん。
こちらはですね、福山駅ってさっき言ったように、
どっちかっていうと南の方が栄えてるんですよ。
うん。
南はすごい半壊なんですけど、
北はね割とお城はあるんだけど、結構静かな感じ。
うん。
で、まあ千鳥さんが今回北側なのでこのまま北に来ちゃってるんですけれども、
はい。
この秋野白見別邸さんはですね、
本当に歓声な住宅街の中にね、
ひっそりと門口を開いている隠れ家バーみたいな感じですね。
うーん。
地区70年ほどのね、古民家をリノベーションしているということでね、
ああ。
今までご紹介したところで言うと、
ザ・コモンワンバー京都っていう最初の日にやった、
うんうん。
それこそどんこの後に行ったんじゃないかと思うんですけど、
はいはい。
あそこにすごい似てるんですね。
へー。
うーん。
いやおしゃれ、おしゃれっていうかなんか落ち着きそうだなこれ。
落ち着きますね。
うん。
これ畳もあんの?
そう、本当に昔の和風建築、城下町の和風建築をほぼそのままやってるんですよ。
はー。
なのでお座敷に上がっていくっていう不思議なバーなんですね。
へー。
うーん。
えーいいなー。
うん。
まあそしてね、ただ雰囲気がいいだけではなくて、もちろん味もすごいんですね。
はいはいはい。
で特にやっぱりおすすめしたいのは、
まあ広島県そういうわけでお酒ね、豊富なところではあるんですけれども、
さっきはね、日本酒をいただきましたが、
はい。
今回はね、特に僕がおすすめしたいのは、
ジンです。
好きねー。
はい。
このね、ジンね結構見つめるきっかけにもなったジンが、
まあこれ割と有名なジンですけれども、
広島のジンといえばね、やっぱり桜尾ですよね。
あーえーわからん。
うん。
これ東京にもね、あるところにはあると思いますよ。
へー。
バーとかには結構あるんじゃないかな。
桜尾っていうね、ジンがね、ちょっと秋の国の方なんですけれども、
クラフトジンの結構有名なものですね。
これ美味しいんですよ。
ほうほうほう。
ほんとだ。
広島スピリッツを世界へ。
うん。
これ美味しい。
マジで美味しいですよ。
僕すごい好きなジンです、桜尾。
あると頼んじゃいますね。
へー。
いやもう全然知らないんだよな、俺。
うーん。
まあ旅行行くとやっぱクラフトジンを多く出会えますよね、最近ね。
あー。
各地のね。
ありますあります。
でもやっぱ桜尾さんはその中でもすごい走りだと思います。
うんうんうんうん。
あのこちらはですね、桜尾を用いたオリジナルカクテル。
はいはい。
を作ってくださったりするんですね。
うん。
なので桜尾と地元のフルーツですとか、そういったものをやってくださるオリジナルカクテルをね、あのコミュニケーションでさっと出してくださる。
なるほど。
これがいいんですね。
いやジンのフルーツカクテルはいいね。
いいですよね。
うんうん。
特に今、今回のコースがね、一番メインとしては5月くらいをね、想定していますので。
うん。
これから夏へ向けて少し飲んでボルテージをね、上げていこうかなというところでね、まさにジンっていうのは程よくいい感じでね、入ってくるなと思うわけですね。
へー。
であのこの秋野さんというのは、福山に実は何店舗か営業されているお店なんですけれども。
やっぱりすごくね、この方のインタビューとかウェブにたくさんあるんですけど、すごくその福山をどう盛り上げるかっていうのを非常に強く考えてらっしゃる方で。
だからこそこの城下町の風情を残した別邸みたいなのをあえて住宅の中に作ったりとか、広島のものを使ったカクテルにこだわっていたりとか。
そういうね、すごくやっぱり旅行者として見ても非常に学びが大きいですし、やっぱりぜひ訪れたい場所でありますね。
で特にやっぱりこの白海別邸さんに関しては、昔の和風建築の衣装を凝らして、その中に調度品とかもすごくね、こだわっていらっしゃるので。
まず四方八方、お酒頼む前に席についたら見渡してしまって、その雰囲気だけで胸を打たれるようなね、そんな素敵な場所なんです。
そして周りが超静かなので、ほんと住宅街なんですよ。
なんでここにお店開いたんだって本当に思いました。素直に。
そうか、だからこれも建築の一部か。
古民家バーの紹介
そういうことなんです。
今回は結構福山市の鉄板問題の始まりなんですけど、建築ってものをね、やっぱり。
なので建築学生の方とかね、これすごく福山響くんじゃないかと僕は思いますね。
というものになります。
いいな。お店でも建築楽しめる。
そういうことなんですね。
なのでね、今回は二軒だけにさせてもらいましたが、福山は本当に都会です。
なので駅の南側はもっと飲食店多いです。
タゴさん今回南側なんですけれども、全然たくさんお店ありますから困らないと思いますので、
是非福山に泊まるってことをね、ビジネス以下でも考えていただけると面白いんだよってことを是非お示ししたかったなという次第でした。
白身別定さんからですね、ここまで来ればなのでもうだいぶ飲んでいますので、
とこ10分ほどあればどのホテルにも着けると思います。
ホテルについて今日はこの1日目を終えないというふうに思います。
それでは1日目を振り返っていきましょう。
まずスタートは11時半に福山駅ですね。
福山の歴史を知る
新幹線が止まる駅ではあるんですが、望みが止まるかどうか要確認ということですね。
そこから徒歩5分ほど、どこかお好きなホテルに一旦荷物を預けます。
そこから徒歩5分ほど、駅に戻る形ですかね。
お好み焼きタゴさんですね。
広島のお好み焼きの中でもビンゴの方のお好み焼きということで、
豚バラの代わりに挽肉を使うというね、このビンゴならではのお好み焼きをまずはお昼ご飯にいただくと。
この後ね、車乗る予定もないですから、飲んじゃうかな。
そうですね。
そこから徒歩10分ほど、福山城博物館。
もうその福山城の建築がまず目を引くところですかね。
異例ですよ。
そして水野勝成がどういう人生を送ったのか。
その中で福山はどういうふうに発展をしてきたのかというところをまずこの博物館で学ぶということですね。
そこから徒歩8分ほど、同じ敷地内ですね。
広島県立歴史博物館福山草土宣言ミュージアムですね。
こちらは水野勝成よりもっと前の時代。
鎌倉とか室町とかその辺りの時代の街並みの様子を知れるようなミュージアムということですね。
実際にその街並みをミュージアムの中に再現していて、家の中に入れるということなので、その暮らしを体感できる感じなのかなと思います。
そこから徒歩5分ほど、福山駅のバス停から友鉄バスで31分。
結構乗りますね。
友鉄バスの友が俺読めなかったな。
これ翌日行きます。
友っていう場所なんですこれは。
31分ですね。
新庄寺のバス停で降ります。
そこから徒歩1分、新庄寺全都庭のミュージアム。
新庄寺というお寺、海で海難事故に遭われてしまった方を弔うお寺というところから始まって、
そこから現代建築家がたくさん建物を建築していったというとても広いミュージアムですね。
約7万坪。
広いな。
ほんと半日いますこれ。
その中でもまずは受付というかね、
小道、松の小道と書きますが小道の建物だったり、
やっぱり一番目を引くのは皇帝。
もし体験できるようであればその中に入って瞑想体験をすることができるということなので、
本当に多分ここでしか得られない体験なんじゃないかなと思いますので、
ちょっと僕もこれ気になりますね。
これはね、ほんと言っておかないと分かんないです。
誰も伝えられないと思う。
正確なこと。
それで感じる感情も多分人で全然違うだろうしね。
そうですね。
なので新庄寺行く方はぜひこの瞑想体験できればしていただきたいと思いますね。
そこから徒歩1分、新庄寺のバス停に戻りまして、
もう一度友鉄バスに乗って福山駅に戻ります。
そこから徒歩5分ほど、今朝荷物預けたホテルにチェックインをします。
そこから徒歩10分ほど、春祭美酒千鳥さんですね。
小料理居酒屋という感じなんですけど、
やっぱちょっとインパクトあるのは大吾さんのお姉さんが、
お上さんをやってらっしゃるというところで、
お料理もね。
美味しいです。
瀬戸内の魚介とかお野菜とかいうのをメインに。
お酒もね。
広島の地酒をたくさん揃えてらっしゃると。
ここで晩御飯と。
そこから徒歩5分ほど、秋の白身別邸さんですね。
地区70年ほどの古民家をリノベーションしたバーということで、
本当に落ち着きそうな、しっぽりと飲めそうなバーですね。
で、地元のクラフト人桜尾を使ったカクテル。
フルーツカクテルもあるという話でしたね。
そういうのを締めの一杯としていただいて、
そこから徒歩10分ほどホテルに着きまして、
1日目が終了ということですね。
地元の美食を楽しむ
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不思議な体験を1日としてしている気がするな。
建物が印象的なだけで、これだけ体験が変わってくるんだなっていう気がしますね。
ましてね、福山ってやっぱり意外と観光としては見なされない場所だと思うんですね。正直ね。大都市ではあるんですけど。
そこに実はこんなものがあったのかっていうのはね、やはりいい発見になるんじゃないかと思いますね。
ということで、今回は一泊ですので、次回は最終日ということになりますが、
これまだまだ建築が出てくるっていう感じですかね。
建築、そして大パーツ。
そうだ、大パーツ忘れてた。
これが何を意味しているのか、その建築というものを通して、
リンゴ福山の人たちが何を守っていったのか、
そしてそれがなぜ日本における大パーツとして見なされていくのかっていう、
ちょっとね、非常に数奇な運命を辿った建築たちの話をしてみたいなと思いますね。
なんかより不思議な体験が待ってそうな気がするね。
なんか感想はいろいろだと思います。
ちょっとなんか今までにない感じで楽しみですね。
ということで、今回はこの辺で。
ありがとうございました。
ありがとうございました。
01:31:18

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