そうですね。もちろんね、スタンダードの建築でするんですけどね。
じゃあ早速、よろしくお願いします。
はい。
前日ですね、福山駅近くのホテル、どこかに泊まっているという想定でお話をしていますので、そのホテルをチェックアウトするところから始めたいと思います。
9時頃にホテルをチェックアウトしたとしましょう。
その前にの想定でおりますので、市街地に朝ごはんを食べに行きたいと思います。
ホテルからだいたい5本があれば着くんじゃないかなと思うんですけれども、木村屋のパン、アイネス福山店です。
この木村屋のパンってご存知ですかね?
いや、わかんないかな。
カタカナなんですよね。
そうですそうです、木村屋がカタカナですね。
わかんないな。
これは岡山、広島の下、たぶん知らない人いないと思います。
っていうね、岡山県を中心にしたローカルチェーンなんですね。
なのであんまり東京の人は確かに知らないかもしれないんですけれども、向こうに行ったらすごくたくさん見えるようなところになりまして、
昨日から申し上げているところなんですけれども、福山というのは広島県福山市ではあるんですけれども、文化圏的には岡山の文化に近いんですね。
そもそもビンゴの国というものも、今の岡山市のあたりがビゼンの国、今の倉敷市のあたりがビッチューの国っていう風にして、
もともとはキビの国っていう古代の大きな国でいうと、ビゼン、ビッチュー、ビンゴで一つのグループだったんですよ。
なのでどっちかというと岡山とのつながりが非常に強い地域になっているのがこの福山のあたりなんです。
なのでこういったローカルチェーンとかも岡山系のものがすごい流入してるっていうのがこの福山の特色なんですね。
このキムラヤのパンね、僕岡山でも食べたしここでも食べたんですけど、おいしいんですよね、非常に。
いろいろあるんですけど、今回は朝ごはん用とでいきますので、トーストセットですとか、あるいはレーズントースト、サンドウィッチなんてのはありますけれども、
お飲み物とサラダとかが一緒についたお得なセットで頼んでいただければいいんじゃないかなと思うんですけれども、
キムラヤさんはやっぱりね、創作パンのキムラヤさんですよね。
特に有名なので言うとですね、バナナクリームロールですね。
キムラヤといえばこれという人も多いんじゃないかなと思うんですけれども、このバナナクリームロールなんかめっちゃうまいんですよこれ。
単純にそのバナナ風味のクリームがサンドされているコッペパンみたいな、コッペパンじゃないかもうちょい柔らかいかなっていう感じなんですけれども、なんかこれすごいおいしいんだよね。
僕好きなんですよすごくこれ。結構この辺行くと朝買っちゃうんですけど。
このロールパンというのを非常に多く手掛けられているということで、地元密着のローカルチェーンなんですね。
ほんといろんな種類あるね。いちごクリームもあるし。バナチョコロール。
うまそうだなバナチョコロール。なんかラインナップだけで見るとクレープみたいなね。
マーガリン、コーヒー、チョコレート、ティナンツ、ブルーベリー、いちごジャム、他にもね。
こんなにいっぱい作ってるんだね。
こういう本当に子供さんも喜ぶようなお惣菜パン、菓子パンみたいなものが非常にこのキムラヤさんの得意とされているもので、このバナナクリームロールはもうキムラヤさんの出世作といって関わらないんじゃないかなと聞いておりますけれども。
バナナクリーム売ってるよ。
そうなんですよ。だからご自宅でこれをヨーグルトにかけてでもできるかも。バナナヨーグルトでもあるかもしれないしね。
もちろんバナナクリームロールだけじゃなくて、いわゆる普通のスタンダードなパンもたくさんありますけれども、
やっぱりちょっとリーズナブルでふわっと甘いね。ちょっとあざいうれしいような優しいパンが持ち味がこのキムラヤさんかなと思いますので。
本店は岡山です。
キムラヤさんね、店舗によっては普通にいわゆるベーカリーとして販売だけをするお店というのもあるらしい。
それがむしろ多いらしいんですけれども、このアイネス福山店さんはね、これカフェ併設なんですね。
イートインができるということになりますので、モーニングメニューを頼んでいただいてもいいですし、ご自身でそれとは追加してバナナクリームロールとかを買ってカフェの中でいただくとかそういったこともできるというので、
ちょっとその岡山文化圏にはなりますのでね。広島の人暮らしたら岡山じゃないかと思うかもしれないんですけれども。
やはり朝ご飯としては一つおすすめのポイントになっているなと思って。
僕も福山行った時、3回朝過ごしたうちに2回ここに来ましたね。
そんな思い出がありふたりします。
モーニングは本当にオーソドックスな感じですね。
でも安いんですよね。
ここは朝早くから開いていますので、9時なら全然問題なく入れるかなという気がしますね。
ちなみにこれ木村屋さんは1919年創業という100年越しなので超新鮮です。
いやまあそんだけ残ってるんだったらそれは美味しいですよね。
やっぱり愛されるだけの理由と進化をずっと遂げていらっしゃるというね。
岡山の人からしたらまずは木村屋というのは皆さんご存知のはずです。
という地域の文化に朝ご飯でちゃんと触れていただこうと思うわけですね。
そしてですね、今回2日目なんですけれども、
前日が福山の中心市街地の城下町をわりと散策しましたので、
ちょっと郊外の観光スポットを訪れたいと思います。
福山は今では広島県下第2の経済都市として非常に発展しておりますが、
観光地として見た時も一つすごい有名なスポットがあるんですね。
それが友野浦です。
友野浦というのは福山の市街地から南へ車で30分ほど行ったところにある瀬戸内海の港です。
この港が観光地なんですね。
ということでちょっとそこに行ってみたいと思うわけですが、
今回は公共交通機関を使っておりますのでバスで移動したいと思います。
木村屋のバンアイネス福山店さんから福山駅まで5分ほどで戻ります。
そこから昨日も使いましたけれども、
友鉄バス、この友というのはそもそも友野浦の友ですね。
友鉄バスというもので32分ほど南の方にバスに乗っていただくと、
10時32分に友港というバス停に着くはずです。
この友港というところで降りてください。
最初にちょっとまずこの友野浦というものがどういうところだったのかということをお話しできたらと思うんですが、
これ一文字で友という地名です。
最初読めなかったんだよな。
川の辺に平と書くわけなんですけれども。
なかなかこれは友野浦で調べてもらうしかないかなという。
友というずっと昔から流れている港になっているわけなんですけれども、
古くは万葉集の時代とかからずっと栄えてきた非常に歴史ある瀬戸内海でも有数の港町です。
なんでこの友野浦っていうのがそんなに栄えたかっていうことなんですけれども、
その秘密がこれ自然現象によるものなんですね。
ここじゃなきゃいけない理由があったんですよ。
それがねこれいきなりタイトルの伏線回収なんですけれども、
薔薇香る潮目の町へとあるんですが、
この潮目というのがねキリワードになるんです。
要はその潮と潮がぶつかるところだよね。
そうですそうです。
瀬戸内海においてこの東と西からそれぞれ海流が流れてくるわけなんですけども、
これがちょうどぶつかるのが友野浦の大漢ですね。
潮目はよく漁場として最高だみたいな話が聞きますけどね。
そうなんですよ。
もともと今言ってくれた漁場はおそらく三陸海岸とかのあたりの
親潮と黒潮がぶつかるみたいな話だと思うんですけれども、
実はこの友に、要は瀬戸内海においては、
潮目というのは漁場である以上にもっと重要な役割があったんですね。
これはつまり瀬戸内海という海自体の役割に直結してるんですけど、
以前からたびたびこの高谷貨幣の話ですとか、
その前にも北米船の話とかあったと思うんですけど、
要は江戸時代までって、
この瀬戸内海っていうのが日本の経済の大動脈だったんですよね。
なのであらゆる物資がこの瀬戸内海を生き返っていたっていう時代があったわけですよ。
長らく日本には。
そこにおいてこの潮目が果たす役割って何だかわかりますか?
物流もそこに集まってくるってことだよね。
そういうことです。
具体的に言うと、瀬戸内海ももちろん海ですので、
潮の流れというのがいろいろ変わるわけなんですけれども、
月の満ち欠けによって看板の差がもちろん出ますよね。
そうなった時に、例えば満潮になった時には、
九州側の方の潮目が強くなって、
西からの潮流が強くなる時が例えばあったりする。
これは例えばの話です。
逆に別の満潮の時あるいは寒潮の時とかになると、
西の勢いが弱くなって、
東の金水道の方からの帰りが強くなったりする。
当時の船っていうのはもちろん電気とかもありませんから、
みんな手こりで漕いだりとか、
砲破ってどうにかしてたっていう時代なので、
海流っていうのが要はエスカレーターみたいなもんですよ。
エスカレーター逆走するばかりいないじゃないですか。
要はエスカレーターがちゃんとそっちに流れている時に、
船を動かしましょうっていうのは当然の理屈になるわけなんですよ。
それがだから九州方面から来る人にとっては、
西からの勢いが強いうちに、
友まで行っちゃうんですね。
っていうのがすごい大事なポイントになってる。
けど友まで行っちゃうと、
そこで海流が変わってくるから、
それを一旦やり過ごす。
なので西から入った人たちは、
友まで来たら、
友の港に一回入って、
ここでまた潮の目が変わるのを待つ。
東も同様です。
これが福山市なんです今ね。
なのでビンゴの国というのは、
この瀬戸内海の経済、政治を考える上で、
天皇山というかね、
ここはどっちに傾くかによって、
西国の政治を大きく転換していくっていう場面は、
歴史上何度も起こっていることなんですね。
ここでもやっぱ福山の土地的な重要性が出てくるね。
そういうことなんです。
だから幕府も友は手放したくなかったんでしょうね。
そういうわけで友子、今の友野浦ですね。
ニオは古くからそういうわけで文明、文化が栄えて、
ずっと日本の歴史とともに歩んできたわけなんですけれども、
幸いですね、この辺は災害だったり戦争だったり、
近代においてはあんまり巻き込まれることがなく、
江戸時代の街並みがまだまま残ってるんですよ。
だからそもそもすごくロケーションとしてもノスタルジックで、
映画のロケ地だったりもあったりしますし、
有名なところで言うと、
宮崎駿監督は「崖の上のポニョ」という映画、
我々中学生の時くらいですかね。
やりましたよね、音楽もね。
やったね。
あれの構想を練るために友野浦に長期滞在して、
友を舞台にした物語を描いたっていうふうなことが。
ポニョも港町が舞台ですからね。
そうです、あれ友が舞台なんです。
モデルになってると言われています。
小さい宮崎さんはここにいらっしゃったそうですけど。
っていうくらいやっぱり、
昔の風情を残しながら、
そしてそこに行き渡った多くの人生のストーリーを宿しているっていう、
特別な港町なんです。
やっぱり昔のその風情を楽しみたい方は、
観光地としても非常に有名な場所になっているので、
おそらく福山市で観光地で一番有名なのは間違いなくここだと、
いうふうに思います。
早速ですね、この友野浦を回ってみたいわけですが、
本当に小さな港なので、
全然歩いてすべて行けます。
バスを降りてからはすべて徒歩移動というふうに考えてください。
ということで友子のバス停を降りました。
そっからですね、徒歩5分ほどのところ、
ちょっと山を登るんですけれども、
福山寺大長廊というところです。
これお寺か。
そうなんです。
すごい眺めがいいですよ。
これがもうほんと瀬戸内海を眺めている形になるわけですね。
そうです。
いわゆる額縁状というかね。
お寺の中に張り出したお堂なんですけれども、
それが舞台みたいになって、
小高い丘の上に立ってて、
それをちょっと心にくくね、
柱とかで額縁みたいにくりって、
それを通してみると、
島が絵のように海と島が見えるという絶景スポットなんですね。
大長廊ってそういうことか。
ここで潮を見てたわけだ。
おっしゃる通りです。
なるほど。
なので要は休憩地点なわけなんですよ。
ここで明日行けるかみたいなのも見たりもしてただろうしね。
そうですね。
これいいですよね、この景色ね。
いいな。
なんかね、だんだんやっぱり瀬戸内海の景色っていうのが分かってきた感じがする。
この島の感じがね、やっぱ。
そうですね、多島日がね。
この向かいにあるのは潜水島っていう非常に有名な島なんですけれども、
やっぱり島なんですよね。
この青と緑と、そして空のまた青とっていうね、
グラデーション非常に綺麗ですよね。
そしてね、今見ている写真の額縁の上を見ていただきたいんですけれども、
ここに何かね、描くわけかっていうのは分かりますかね。
日東第一、何これ、形、勝って書いてあるけど。
これね、日東第一継承という風になります。
はいはいはい。
今ね、右から読んでいるというのはつまり時代が古いわけですよね。
これね、どういうことかっていうと、
実はね、この瀬戸内海を航行したとある人がこれを残していったんですけれども、
何者だったかというのは、
江戸時代に航行した朝鮮通信使という人たちを覚えていますかね。
なんかあったね。
すぐ教科書にはあったんじゃないか。
あったあった。
つまりね、江戸時代に日本は鎖国をしていたということになっているわけですが、
中国であり、オランダであり、
そしてこの朝鮮も含めて微妙に窓口が開いていて、
攻撃はしていたんですよね。
細いながらもね。
で、その朝鮮通信使に関しては、
大体将軍が代わることとかに朝鮮の方から日本へいらっしゃってね、
それで江戸城に登って挨拶をするというお使いをしている方々がこの朝鮮通信使、朝鮮の人々ですね。
そうか、朝鮮から来てる人が。
そうそう、朝鮮から来てる人々のことですね。
っていうのが、航路でいうと要は福岡の方から入ってくるわけですよ。朝鮮ですからね。
で、関門海峡を通じて瀬戸川区を東へ行くんですね。
そして大阪に入っていくわけなんですけど、つまりここに寄るんですね。
あー、そうかそうか。
さっき言ってた潮の流れもあるわけだから、
ここで行けるかどうかを生きらめるわけだね。
なので必ずこの朝鮮通信使たちの宿所みたいなのにね、
この福禅寺のあたりが当てられてた。
富野浦が当てられてたということなんですね。
そして彼らはね、ここにやってきて、
いわば半ば旅行なんですけれども、来るわけですよね。
そして日本のこの風景、瀬戸内海の風景。
朝鮮半島って宇宙見がありませんから。
そうかそうか。
日本オリジナルなんですよ、この宇宙見瀬戸内海っていうのはね。
っていうのを見て、これは素晴らしい景色だと。
穏やかで美しくて、素晴らしい港町だっていうのに感動した方がいらっしゃって、
そして日東第一景勝っていうのは、
つまり日本における最も優れた景勝地だっていう風に評して、
掛け軸を掛けていったっていうんですね。
じゃあその人にとってはここが一番日本一美しい景色なんだね。
そういうことなんです。
っていうことを読んでいったんですね。
そして掛け軸掛けた。
綺麗だもんね。
掛け軸、額だね。額を掛けていったんです。
そういう人もいるだろうなってくらいの景色ですよ、これは。
そうですよね。
これ見ての通りね、風と星が良くてね。
海からの涼やかな風が入ってくるんですよ。
何にもさえぎないずに。
これにね、5月にいることを想像してみてほしいんですよ。
なるほど。
それは気持ちいいわ。
これほんと気持ちいいですよ。
いつまででもいられちゃう。
こういうベランダ持ちたいもんな。
そうですよね。
理想の住まい的なね。
建築じゃないけれどもね。
そう思うじゃないですか。
今ね、いい伏線張ってくれました。
そうなんですよ。
やっぱり友はね、もちろん港町として攻撃の場所ではありましたけれども、
当然のことながら江戸時代が下っていってさ、
電力とかが発達してくると、
そもそも潮町とか風町とかって必要もなくなってくるわけですよ。
そもそも電車が走っちゃったりとか。
じゃあその友のうらは役割を失ってしまったのか、
錆びれていってしまったのかというと、
もちろん一面においてはそうだと思います。
だけれどもやっぱりこの継承、
観光というところに新しい魅力を生み出していく。
っていうのがこの友の歴史なんですね。
それのある意味きっかけともなり得たのが、
江戸時代の話ですけど、
この日東第一継承と称された伏線寺大長廊。
ぜひここは友のうらの象徴的なスポットですので、
行っていただきたいなと思うわけですね。