だからこそ新鮮。
そういうことですよね。
いい朝ごはんだ。
本当にこちらも大人気店なので、多少の強烈はもしかしたら時間によってはという感じもいたします。
なのでなおさら朝早く起きれれば早い方がいいかなという感じですかね。
これのためなら頑張って起きよう。
朝早起きしたおかげでですね、結構早めから旅行もスタートできるということですね。
徐々に港が混んでくる前に港を出ちゃいたいので、
関野さんで朝ごはんをいただいたら早々に港を出て、ちょっと郊外の方に行こうと思います。
車で10分ほど行ったところにある沼津御用亭記念公園というところを最初の目的地にします。
これ1日目の時にちょっと言ってたね。
バーの話でちょっとその時に触れましたけれども、沼津というのは温暖な気候で、かつ富士山も見えて、
あとは東海道線も御殿場線も通っているということがありますので、アクセスも比較的良いという観点で、
明治時代からですね、特に政財界の要人たちがここに別荘を建てていくんですね。
その一環でですね、そうした文化が含まれたスタジオの上に公室の御用亭というのもできまして、それがこの今の沼津御用亭というものになっています。
もともとですね、この沼津御用亭のこの記念公園のあたりを住んでいたのはですね、河村住吉という海軍の軍人だったんですけれども、
この方は沼津の薩摩藩、今の鹿児島県に生まれた方で、沼津維新でも大変活躍をされた方なんですけれども、
歴史上有名なこととして、この人はですね、昭和天皇の養育係を任された人なんですね。
明治天皇から、明治天皇のお孫さんに当たるわけなんですけれども、昭和天皇は。
そのお孫さん、自分の孫を河村さんに託したというか、それぐらい信頼の厚い人だった。
特にその託した理由はもちろん色々あるそうなんですけれども、この河村さんのご一家、ご家族自身がすごく仲が良くて家庭環境がすごく円満だったそうなんですよ。
やっぱり子供を大切な孫を、特にいずれは天皇になるような人を預けるという時に、やっぱりそういった環境もすごく注視されて、人格だけじゃなくて。
というところで、河村住吉さんのお家というのが選ばれた。それだけ信頼の厚い人だったということでしたね。
この河村邸が要は、今の沼津ご両邸に昔はあったそうなんですけれども、
昭和天皇は子供の河村さんに養育される時に、ここの沼津には頻繁に訪れていたそうです。
残念ながら河村住吉さん自体は昭和天皇がまだ幼い頃に亡くなってしまうんですけれども、
その後もやはり昭和天皇はこの沼津のご両邸というのは特別な思い出がある。
この人がですね、開国後開かれた伊豆の下田というところに船をつけて、
そこで滞在していたところ、運悪くですね、大地震に巻き込まれてしまって、
津波とかの影響で船がちょっと破損してしまったと。
当時は当然飛行機もないので、船で帰らざるを得ないので、どうしようかとなった時に、
もうちょっと穏やかな、とりあえず駿河湾、今の沼津の方まで行って、
そこで修理しようと思ったんですが、ここでもまたちょっとタイミング悪く、
その時海が荒れていたようで、とうとう本当に壊れてしまった。
使えなくなっちゃったんですよ。困るわけですよね。帰れなくなっちゃったんですよ。
しかもですね、これちょっとさらに深盛りをすると、この時世界史的に見るとロシアというのは、
ヨーロッパの本国の方で戦争を始めていて、実はイギリスとかと仲が悪かったんですよ。
だから他の国の船に便乗することもできなかった。
だからどうしても自力で帰らなきゃいけないんだけど、その帰る手段を失ってしまったんですね。
プチャーチンという人が発砲塞がりです。
どうしたかっていうことになるんですけど、実は結論を言うとプチャーチンはもうどうにもならないので、
自分で日本で新たに船を作るという結構壮大なプロジェクトを計画して、それを実行するんですね。
その時にそのプチャーチンとロシアの水兵たちが滞在して船を作る現場にしたのがこのヘダなんです。
じゃあ日本の船を作ってたっていうよりかは、プチャーチンを返すための船をヘダで作ってたんですか?
元々やはり港町なので、船大工さんとか多かったっていうことも一つ理由にはあると思います。
ただやっぱりロシアの人が突然この村にやってきて、まさかロシアの西洋流の船を作るっていうとんでもない話がこの小さな村で起こったんですね。
でもヘダ村の住人というのはこのロシアの人たちに対してすごく親身に協力をしたらしくて、
ロシアの人たちも言葉も当然通じないわけなんですけれども、そこをうまく乗り切って技術を熱心に伝えて、
当初想定していたよりも早くこの船を完成させてしまうんですよ。
そしてプチャーチンはその船に乗って無事にロシアに帰ることができたんですね。
っていうのをヘダ村の住民なくしてはプチャーチンはロシアに帰ることができなかったということで、
プチャーチンは本当に生涯にわたってこのことをすごく感謝していたそうで、
その船にヘダ号っていう名前をつけたということで、
本当に教科書に載らないんですけれども、その秘話が実はこの資料館でそのヘダ号の模型とかも展示されている。
今だったらまだお金のやり取りもスムーズだろうし、翻訳とか使えばすぐできるんだろうけど、
当時どうやってやったんだろうってすごいよね。
その辺の話も実は資料館にちゃんと書いてあって、
もちろん通訳の人とかはいたので、ある程度はなんとかなったと思うんですけど、
それでもやっぱりヘダ村の人からしてみれば、日本の和風の漁船とかはもちろんたくさん作ってたでしょうけど、
もう本当にそれとはスケールも全然違うこと。
ただやっぱり今もそうですけど、日本人のすごくきめ細やかな技術だったりとかっていうのがそこは功を奏したみたいです。
すごいね。たぶんノウハウもなかっただろうし。
それが実は一つポイントで、ノウハウはなかったのに、
はからずもこのヘダの船大工たちは世界一等の技術を手にしてしまったんですよ。
このプチャーチンの来たことによって。
そこでですね、このヘダの船大工というのは、
実は当時日本の諸藩はこぞって解剖、船とか大砲とかを熱湯に備えて用意しなきゃいけないって焦ってた時期なので、
ここのヘダ村に藩士を派遣して、ここの大工さんをスカウトしていくんです。
どんどん自分の領国に対して。
なのでこのヘダ村の漁師たちは、船大工さんたちは、日本全国いろんな藩に行って、
この西洋の技術というのを偶然手にしてしまったんですけど、それを伝えたっていう。
そういった歴史の裏話もあります。
やっぱなんか不思議な縁があるもんだね。
運命的というか。
実際に幕府もこのヘダ村でこの西洋の船を作ったっていうことをやっぱり重んじて、
これ以降、このヘダ村で作ったこのヘダ号っていうのが、
当時の西洋式の藩船の一つの原型になって、幕末の社会にそれから活躍していったっていうことがあります。
いろんな背景があるんですけれども、ある意味幕府としても、
ここでヘダ村の人たちに西洋の技術を学ばせておくっていう狙いもあったと思います。
幕府としてもそういった技術が欲しかったのです。
戦略的にね。
そう。
なるほど。
あとはどうしてもペリーとかね、ドラマで強調される描写だと、
すごく突然やってきて高圧的でみたいな描写をよくされることはありますけど、
それに力に屈したみたいな。
このプチャーチンという人物については、当時の幕府の官僚たちの記録が残っているんですけれども、
大変親子的で、日本の国に対してもすごいリスペクトをして接していた。
なので、すごく幕府の側もこのプチャーチンに対してすごい好感を持っていたそうなんです。
なるほどね。
だからヘダなんて全然開港地でもないのに、そこで船を作ることも許したというような事情もあったようで、
そういった教科書的なドラマ的な部分には語られない。
ある意味今の国際神殿の原型のような歴史というのは、実はすでに当時からこのプチャーチンとの間ではあったようです。
この版画の木の彫った感じっぽい。
そうなんですよね。
アビサビ、ジャパンピールエール、黒い、かっこいいラベルだねこれ。
ネブタ祭りとか、力強いですよね、非常にどれもね。
それぞれやっぱり沼津だったり、静岡の風土や文化っていうのにテーマにしているので、
例えばちょっと上行っていただくと、朱禅寺ヘリテッジヘルス。
これはいわゆる朱禅寺で今醸造されているので、そこの風景を描いたと聞いていますし、
隣の沼津浦賀。これはもう目の前の沼津港の風景を描いたものですよね。
あとは先ほどペリーの話もありましたけれども、下田というのは黒船が有名、ゆかりがありますので、黒船ポーターがあったりとか。
これ東京にもあるんだったらちょっと行ってみるのもありだね。
そうなんですよ。ただですね、このタップルームじゃないとっていうのもやっぱりあるんですよ。
まずその一つの魅力としては、そのロケーションです。
というのは、ここは僧侶の地でもあるんですが、目の前が本当に港なんですよ。
なので、船が停泊しているとか波打っているこの港のノスタルジックな風景を、このタップルームの2階の窓際に座ると見ることができるんですね。
窓際に座るとですね、その向こうがもう海になっていて、本当にいいロケーションの下、ゆらゆらと揺らりながら心地よく泳いでいると。
実際に船もですね、クルーズとかもここに湾内を一周するミニクルーズみたいなのが入ってきたりもするので、
ロケーションがやっぱりこれすごく気持ちよく泳ぐ条件が整っている感じがいたします。
この窓際の席をぜひ取りたいね。
そうですね。ちょっと集団で今回行くって話になっているので、窓際1列というのがもちろん難しかったとしても、
ウッドデッキのような感じで木の丸いテーブルにみんなで囲めるようなところもありますので、そのあたりも幅広く楽しめるかなと。
あとはですね、フードメニューの方にもすごい色々な工夫がございまして、
もうやはりビールに合わせるというところでですね、おつまみが充実しているわけですが、
あえて日本の居酒屋のような焼き鳥があったりとか、
あとはさっきね、味フライの話がありましたけれども、沼津湖フィッシュ&チップスという、
ビールといえばね、フィッシュ&チップスがありますよね。
あれがだから、僕が行った時にはそのフィッシュはやはり味だったんですけれども、
それをタルタルですね。フィッシュ&チップスということで。
で、いただけたり、という沼津らしさもやはり保っている。
そうか。そういうのは都内のお店じゃもしかしたらないのかな。
そうですね。ちょっとどこまでが限定だったかというのは調べないとわかんないんですけど、
沼津湖のタップルーム限定のメニューは確かにあったと思います。
なるほど。じゃあここに行かないと味わえないものもある。
はい。そしてやっぱりこの創業の地で港を見ながらというところで、
やはりこの本当にすごいドラマチックな、それこそね、朝ドラでマッサンってね、
ちょうどそれこそニッカーウイスキーの創業者ですけど、
日本人の男性と外国人の奥様であれは作った話ですけど、
ちょっとなんかそれの感じもあるようなやはりドラマチックな歴史を経て、
今のこうやって美味しいビールを我々が飲ませてもらっているというところで、
そういったストーリーを知りながら飲むと、やはりより味も美味しく感じられると思いますね。
これがおやつ的な感じかな。
そうです。おやつビールですね。
近くに港から5分ほど車でいたところに千本浜っていう海岸があります。
そこには駐車場も広くございますので、
一旦そこにちょっと駐車場を停めて車を停めていただきたいと思います。
その後にちょっと歩くんですけれども、
沼津の市街の方に少し戻ってですね、
今度行く目的地がリバーブックスさんというところになります。
こちらは昨年2023年にオープンしたばかりの本屋さんなんですね。
本屋に行くんだ。
そうなんです。
なぜここにわざわざ行くかというと、
実はここの社員の方、私ちょっと個人的に知り合いなんですけれども、
すごくまず選書が選ぶ、本の選び方ですね。
ラインナップが面白くていいなというのと、
実はこのお店自体に沼津クラフトという、
今までまだ紹介してないクラフトビールのビールも飲めるようになっているんです。
あとはビールのほかにも、隣の静岡県富士市で開発されている
ほうじ茶のリン茶っていう、これもすごくおいしいんですけど、
リンとして、お茶でリン茶ですね。
というものがテイクアウトでいただけるという、
ビール好きの方にこそ行ってほしい商店になっております。
なんか不思議な取り合わせだね。
そうなんですよ。
でもそれが大変好評のようで、
しかもまだ去年まだオープンしたばかりなので、
これからいろいろアレンジをしていくとおっしゃっていましたけれども、
お店の窓がちょっと開閉式みたいに、
道路にすぐガラガラって開く小窓みたいのがついてて、
そこからビールをテイクアウトしてみたいな、そういったこともやるそうです。
本がもちろん興味があればなお良いですけれども、
例えばなかったとしても散歩途中のビアスタンドとしても実は楽しめる。
あとここを特別深掘りをすると、
こちらの店主さんは沼津のご出身で、
ずっと沼津のいろいろ地域振興とかにも携わってきた方なんですけれども、
いざこの本屋さんを作るとなった時に、
実は沼津にはもう一つずっと古くから続いていた大規模な書店が一個あったんですけれども、
それが残念ながら閉店をしてしまった。
時代の波だね。
時代の波で。
でもそのやっぱり本屋さんがあったってことは、
沼津市面にとってどれだけ大きな存在だったかっていうのをやっぱり常に考えていらっしゃって、
その閉店してしまった本屋さんの本棚をあえて受け継いで、
このリバーブックスさんに展開されている。
あとはやはり沼津の駅の近くに、
これは私も実は前に言ったことがあるんですけれども、
大変人気の居酒屋さんがあって、
本当にもう地元の人からすごく長年愛されてきたお店だったんですけれども、
残念ながらそこも店主の方が亡くなられたりして、
ちょっと閉店になってしまった。
でもそこでリバーブックスの店主の方もそこの条例さんだったんですが、
そこからビールサーバーを受け継いでいるっていうように、
今は亡くなってしまった沼津の人たちの思い出が詰まったビールサーバー、本棚とか、
そういったものを今こうして受け継がれているという意味においても、
ちょっとやはり沼津の方もすごくそこはポイントとして大きく持っているのかなと。
なのでね、観光からしてみるとなかなかその辺って気づかないものなんですけど、
小さな本屋さんなので、
逆に言うと店主の方と色々コミュニケーションも取りやすいので、
是非そういった沼津のお話とかも聞けると、
より深い旅行ができるかなと思いますね。
ちょっとそれは知ってから行った方がいいね。
そうですね。
その本棚に味わいが出てくる。
そうなんですよね。
ただの本棚じゃないってことなんですね。
ビールも受け継いだビールサーバーを使ってるんだなと思いながら飲める。
そういうことです。
そこでいただけるのがもちろん土地の沼津クラフトというクラフトビールであると。
なんかすごい地元愛にあふれた方が多いんだね。
やっぱり沼津っていうのは、私もこのリバーブックスさんと話していてもそう思いますし、
その他のお店、クラフトビールのお店もバーもそうですけど、
やっぱり沼津っていうものをすごく大切に考えていらっしゃる方が多いっていうのは、
やっぱりすごいなって素直に思いますし、
私たちもそこに触れることで、
よりディープな沼津に出す理解がすぐに及ぶというのがいいポイントですよね。
旅行行ってそういう話を聞いたりとか、そういう思いに触れると、
なんか来てよかったと思うし、
なんか自分もそこに愛着を持てるようになる気がする。
そうでしょうね。
なんかこういうところ行くと、
なんか自分の中で沼津がちょっと特別になりそうな気がする。
まさにそうだと思います。
本当にそういった方が移住とかを沼津にはされる方もいると思いますので、
暮らしのちょっと延長という部分で考えてみても面白いかもしれません。
最後になりますが、このリバーブックスさんで出していた沼津クラフト、