ただね、先ほど言ったように永平寺ね、ちょっと僕らなんかややネタみたいに言ってるのはありますけれども、
本当にすごいところですから永平寺の道元禅師というのは。
なので例えばですけど、この8時で1回感想文とかで終わった後に、
ちょっと周りを散策してね、永平寺の境内って森とかもあってすごいいい感じなので、
その後もう1回9時ぐらいから入り直してもう1回ちゃんと見てもいいかもしれませんね。
その前日も左座禅とかだから、あんまりちゃんと見てなかったりもするかもしれない。
そんなことも考えながらですね。
ただ永平寺はやっぱりぜひ行っていただきたいと思います。
ここからが2日目のちゃんとした校庭になるわけですが、
永平寺から車で35分ほど東の方へ移動します。
ここにですね目的地となるのが越前大野という町です。
このコースを作るきっかけにもなった福産さんがね、
街歩きを混ぜ込むという話をされていましたので、
ちょっとそのあたりを加味して、越前の国における街歩きとして、
僕個人的にオススメなのがこの越前大野という町です。
その観点でちょっと行きたいと思います。
越前大野というのはどういったところかと言いますと、
本当にですね福井の山合いの盆地です。
すごいね周りを山に囲まれて、
永平寺の方から行くときも確か結構長いトンネルを通って、
その先にバーッと開けて盆地があるっていうね。
福井の本当にもう一番南の方で、
少し行くと岐阜県の日田の方に行ったりとかっていうぐらいの地勢にありますので、
ちょっとまたその福井市の市街地とはね、
大向きが異なるね小さな城下町です。
ここもね今言ったように越前大野藩っていうね、
本当に小さな大名がここにいてこの大野を治めていました。
なので越前の福井藩とは全然違うんですけども、
ここ独自のね文化と歴史が培われたという城下町で、
昔の街並みがねこの大野藩の時代の街並みがしっかり残っています。
のでそういった昔のノスタルジックな街あるいは楽しめるポイントとしてお勧めがしたいですね。
でおそらく永平寺の修了体験を終えて、
この大野に着くのが9時前になるんじゃないかと思います。
早いなやっぱ。
そうなんですよ。
まる意味なので効率的にね観光できるわけなんですけれども。
車をですね、
由比ステーションっていう道の駅みたいのが城下にありますので、
ここに止めていただくといいと思います。
やっぱり江戸時代の街並みで狭いので車で行くと。
なのでここで車を置いた方がいいと思います。
で最初の目的地ですが、
由比ステーションから徒歩5分ほど行ったところに、
七軒浅市という浅市がねあるはずなんですね。
七軒浅市、7つの間の浅市ということになるんですけれども、
これはねその大野の城下町のメインストリートである、
七軒通りという通りがあるんですが、
ここで毎日基本的にやられている浅市になります。
春分の日から大晦日まで毎日開催という。
1、2月はやらないのかな。
というものになっています。
でねこの七軒浅市がすごいのはね、
なんと戦国時代の末期からずっとここで続いてるっていうね、
400年くらい歴史を持ってる浅市なんですね。
すごいね。
以前ね浅市というと都座の日曜市というのが行きましたけど、
あれですらね都座藩の時代からなので江戸時代からと考えると、
この七軒浅市の歴史というのはすごいですよね。
すごいね。よく続くなこういうのってない。
そうですね。
これやっぱり続く理由っていうのはいろいろあると思うんですけど、
やっぱりこれが多分観光でやってるわけでは昔はもちろんないので、
人々の生活にやっぱり密着しているからだと思うんです。
必需品だったってことだと思うんです。
ここがもう商売の場っていうことね。
そういうことです。
だから昔の城下町がその街並みが残っているので、
その文化もずっと受け継がれているっていうのがおそらく理由だと思うんですね。
この七軒浅市はですね、僕は夏に行ったんですけど大野にはね。
結構ね季節とかタイミングによって出ているお店の数も違うようなので一概には言えないんですが、
主に地元のお野菜、大野ってすごい野菜の産地で有名なんですね。
が中心になっているんですけど、
僕が行った時はちょっと軽いお寿司みたいなものも売っていたりして、
朝食、軽食くらいかな。
になるようなものも置いてありました。
なので塩平寺で朝ごはん食べるのが6時ですから朝のね。
軽食くらいはもう一回これ食べてもいいんじゃないかなというふうに思います。
私ね、量もね多くないですから。
そうなんですよ。あくまで精進料理なのでね。
じゃあここでブランチみたいな感じかな。
そうそうそう。というイメージでいただけるといいかなと。
ただちょっとどうもね、戸産の市場とかと比べるとそんなにやっぱりお店も多くないんですね。
なのでちょっとその軽食が必ずあるかっていうのはね、自信がないんです僕も正直。
時期とかにもよるだろうしね。
ないときもあるっぽいんです。なんかウェブを見ているとね。
なのでちょっとここは100%手にするのは危険かもしれませんが、
とにかくこうやって朝市が行われているということだけはお伝えしておきたいと思います。
で、そこから徒歩15分ほど行ったところにあるのが越前大之城です。
すごいね。このページでトップにあるのがこの雲海に浮かんでいる城っていう。
そうなんです。
すごいね。
まあ大之城の代名詞といえば雲海です。
そうなんだ。
天空の城ともね呼ばれるように本当に雲の上に一つだけ出てきているような天使学がね。
すごいなこの逆光のやつかっこいいな。
かっこいいですよねこのシルエット。これなんですよ。
越前大之城、先ほど言ったようにこの今ホームページを見ているわけですけど、
さっきから360度この天使学を取り巻いて回っているわけですが、ずっと山ですよね。
そうだね。
盆地なんですよ本当にね。
盆地の中の山って感じなのかな。
そうです。大之盆地という中のちょっと小高い丘みたいなところにこのお城は建てられたということです。
なので有為ステーションあるいは七軒通りからは山を15分ほど登る感じになりますが、そんなに険しくはないので、舗装もされてますので大丈夫だと思います。
この越前大之城、この天使学はあくまでも復元天使になりますので、この前の弘前城のような原尊十二天使ではありません。
が今は天使学がここに建てられていて、これが雲海の中で浮かんだように見えると。
かつこの中には大之藩の狩猟館がありますので、歴史好きの方はこの天使学の中に入ってぜひ観覧をしてほしいと思います。
この越前大之という街なんですけれども、大之藩というところなんですけど、これは日本の政局のキャスティングボートというのはちょっと言い過ぎな気はしているのでややテーマから外れるんですけれども、
ここはここで非常に面白い歴史を持った藩なんですね。
これはね、穀高にするとわずか4万石とか5万石とかっていうちっちゃな大名です。
これまで紹介したところで言うと、戸佐藩は例えば24万石とか。
弘前は十何万石、小田原は11万石ぐらいなんですけど。
だいたいこれぐらいの規模から考えると、だいたいその2分の1くらいしかないわけですよね。戸佐においては何分の1ですけど。
なんだけれども、この大之藩というのはね、実は非常に先進的な考えを持っていた藩として有名でして、
藩主はね、土居氏というね、幕府の養殖にも就くような。
ただそういう人はあまり実は領地が多くないっていうのは江戸幕府の通例なんですけど。
特にですね、幕末の頃に土居俊田という藩主が出てきたんですが、この人がね、まあ本当に幕末の中でもすごい知られざる名君なんですね。
なぜそういうことになったかというと、大之はですね、見て通りなんですけど、山に囲まれていて平地が少なくて、
なかなかだからね、お米を育てたりとかっていうのが難しい地勢だったということで、藩が出てた時から財政なみたいな感じだったわけなんですよね。
でもそのわけでもやっぱり経済回していかなきゃいけないからどうするかって考えたときに、この人はですね、
いち早く有能な人物をまず投養して、これあたり武田信玄とかでも言ってますけど、能力主義で投養をして過労にして、
大之はですね、山藍の気候とかを生かして、お野菜だったりとか、あとちょっとね鉱山関係とか、あとタバコとかも作っていたようなんですけども、
こういった商品作物、オリジナリティのある商品作物を生産をすると。
ただこの山藍のところからさ、えっちゃらほっちゃら運んでるともうキリがないじゃないですか、江戸とか大阪に行くのにね。
じゃあ何が必要かというときに考えたのが、何だと思いますか?何が必要?その大之藩にとって。
ちょっと奇想天外なんですけどある意味。
この写真からは想像もつかないと思います、ヒントで言うと。
ただ山藍から物を運ぶために何かが欲しいと思ったんです。
まあ今、現代で言えばロープ泳とか欲しいよね。
そうですよね、確かにね。これいいかもしれないですね。確かにロープ泳だったら観光名所になるかもしれないですね。
運べるしね。
でもまあそんなものはないから、何だろうね。道とか水路とか、そういうのはやっぱ必要だろうね。
答えを言うと、超最新鋭の船が欲しいって思ったんです。
え?どっから出すの?
これが大之からじゃないんですよ、つまり。
つまり大之藩がやったすごいことっていうのは、各日本の港に大之藩が経営する商店っていうものを大之屋とかいって設けて、
それの中での貿易を推進しようとしたんです。
つまり大之って藩の本拠地自体山に囲まれてどうにもなんないから、
それを越前藩が治めてる港とか、あとは鶴賀っていう、その例の国陸新幹線を通ってる港町なんですけれども、
そこまではなんとか運ぶ。
その後は大之藩がすごい船を持ってるので、鶴賀をみんなとこれを常につけておいて、
大之から運ばれてきたらこれで全国を巡回するんですよ。
当時こんな4万石だか5万石だかっていう藩で、しかも四式藩船を持ってたんです。
和船じゃなくて、超最新技術を搭載したすごい船をこんなちっちゃな藩が持ってる例なんて他にないんです。
なのに大之藩はそれをやったんです。
鶴賀とかが各国に船で持って。
そう、武士を回していくっていうことですよね。
各主要な港に大之藩直営の商店っていうものをね、商売を藩が自分で始めちゃうんですよ。
じゃあ自分の支店みたいなものを各地に置いておく。
そうそうそう。それによってこの本拠地はもう山に閉ざされてるから、
その切り離して経済の大之藩みたいなものを日本各地に作っちゃうんです。
物流だね。
そう、物流業者を藩が直営で、しかも本当に小さい藩がそれをやったんですよ。
すごいね。
なんでそういうことができるようになったかっていうと、
悪末の頃だったんですけど、とある理由でなんか最近洋式帆船を作れたっていう噂が出回ってる。
なんかどうも伊豆の方で洋式帆船が作られたらしい。
枝ですか。
枝です。ここに繋がるんですよ。ヘダ号がモデルなんですよ。
めっちゃ気持ちいいな。
そうなんですよ。
繋がる感じが気持ちいいね。
時系列で言うとプチャ人が遭難してヘダに来てヘダヘダの船を作ってヘダ号でロシアに帰ったのが、
この大之藩がそういうのやり始めようとする頃とちょうど合致するんです。
厳密に言うとヘダ号そのものがモデルではなくて、そこからアシュみたいのがいくつか生まれて、そこからなんですけど、
ヘダ号っていうものは日本で初めて洋式帆船が作られたと。
その技術を持ってる奴がいるっていうことで、じゃあ俺たちにもできるんじゃないかっていうことでやり始めたんです。
そこに歴史が繋がってくるんです。
面白いな。
それこそちょっとフッサンさん静岡にお住まいということで、そういった繋がりもちょっと意識しながらですけど。
こういう時系列なんです。
幕末の最後の最後ですけど、大之藩は自ら大之丸っていう巨大な洋式帆船を作って、
それを自前で運行して各国に貿易をやって、北海道に特に乗り出していって、
そういうすごい土を運んでいったという超積極政策でもって、この大之藩の経済をぐんと立て直したんです。
それによって、当然船でみんないろんなところに行ってると適度の幕末ですから情勢がすごい変化してるってのを見てとって、
うちのこの山においてもいつどうなのかわかんないから、軍備を整えなきゃダメだということで、
このちっちゃい藩にもかかわらず、洋式兵隊とか持っていて、装備とかをすごい最新の成分にしたんです。
っていう戦権の命令と手腕を持った小さな藩だったんですけど、底力のある藩なんですね。
なんでそんなことできるんだろう。その余裕があるっていうことなのかな。
もちろんいろんな余裕はあると思いますけど、経済的にはその余裕ないんですよ。
ただ商品作物をまず開発して、まずは売り物を作ったっていう手順が正確だったと思うんですよ。
あとはやっぱり今その時、幕末の開講した直後なので、いろんなところで物流も超活発化してて、諸外国も日本のいろんな珍しいものを取り出さろうとしているから、
それを売り捌く商人たちもいろんなものを欲しがってるっていう、その自由、ニーズを高めに捉えたっていうのも合致してる。
そしてそこにヘダ号の完成による技術が日本にあるっていうことを知ってやったっていうことなんですよ。
じゃあやっぱりよく見てるんだね。
よく見てる。世の中のことをこの小さな山間の盆地からだったんだけどよく見てたんですよ。
なるほどね。
っていうことでその土井戸下だとか、一緒に大沼で盛って貿易した家臣たちとかの話はよくこの資料館にも展示されています。
なので天空の城、雲海の城として有名で、これを行くためには塩平寺もっと早く行かなきゃいけないので許されないと思うんですけど、
それよりも4時くらいに行かなきゃいけないかもしれない。朝なのでね、雲海はね。
なんで今回は省いてますが、そういった大野という町自体もそういった歴史を知りながら歩くとより凄みを感じられるんじゃないかというふうに思います。
でね、越前大野城を見学しましたら、もう1回山を下って今度城下町の方に戻ってきます。
で、大野城から15分ほど下ったところが昔の町並みに残っているアイリアになるんですけど、武家屋敷をちょっと訪れてみたいんですね。
まず訪れるのが武家屋敷旧田村家というものです。
江戸時代にですね、大野藩の家老を務めた田村さんの屋敷を復元したものになっているということですね。
で、珍しい江戸時代建物が設けられているわけなんですけれども、ここはですね、実はね、いわゆる旅行ワイドブックでもね、とある理由で登場するんですね。
というのがですね、一見渋いんじゃないかって思うんですけど、結構関東特集とかにも載るぐらいの理由がありまして、それがですね、これですね。
やっぱり屋敷の中から見る庭はいいですね。
ちょうどこの緑の生垣の前に椅子が一脚置かれてた木の椅子がね。
それでこうゆっくり腰掛けながらね、その庭を眺められると。
さっきの田村家は結構フォトスポットですごいことになってるかもしれないですけど。
この内山家もそれに比較するとね、やや落ち着いて見られるかなという気がするので。
でね、まあね、先ほど言ったように大野藩というのをね、
成功の立役者であるこの内山兄弟のお屋敷ということもありますので。
越前大野城でその大野藩の凄さっていうのを知った後にね、当然その中に内山兄弟の名前も出てきますから。
それでその方々が実際に暮らしていた家が残ってるっていうこの順序で見ると、
より内山家の価値というのもわかるんじゃないかという気がしますね。
なるほどね。
さっきの田村家と対比してね、田村家はまあ割と今の映えな感じだけど、
内山家は昔の風情がある。
そうですね。
違った趣の映えスポット。
スポットっていうのもあれかもしれないけど。
でも写真は絵になりますよ。
そちらもそれぞれいいですよね。
こういうところをね、回っていくとね、町歩きは非常に楽しめると思います。
今回は省きましたが、より深く歴史を知りたいという方は
このお城とは別に修行館も城下にありますので、
そこはより内山家とか陶芸家の凄さというのがわかる展示がありますので、
この大野藩に興味を持った方は、もう2、3個そういった修行館に行かれると良いと思います。
先ほどから私チラチラ言ってるんですけれども、
僕ねこれ夏に行ったってめっちゃ言ってるじゃないですか。
言ってるね。
なのでふっさんさんのリクエストにはお答えできてないかもしれないんですけれども、
春に行ってもいいんですけどね。
実はね、もし越前大野単体で興味を持ってくださった方がいたら、僕は夏がおすすめです。
これ理由がありまして、越前大野はね、明水の町として有名なんです。
これねつまり、今この大野の町に行くと至る所にね、小津ってものがあるんです。
小津?聞き慣れないな。
小津というのは漢字で書くと清水と書いて小津です。清らかな水ということで清水ですね。で、小津。
それは湧き水みたいなこと?
そう。大野は湧き水の里でね、アルプスとか山に囲まれていますから、
その山に溜め込まれた、そして雪がすごいところなので、春になって雪解け水が湧いて出てきて、
本当に上質で綺麗な水がね、豊富に湧き出てくる水の里として非常に有名な町なんですね。
で、なんで夏かっていうと、暑いですよ。ぼんちだからめちゃくちゃ向き取りで暑かったですけれども、
その暑くても街歩きの最中にちょっと手を洗ったり汗を拭ったりっていう水がそこら中にあるんですよ。
なのでね、夏のその暑さがあるからこそ、そのよりね水の美しさありがたさがね、涼やかさもわかるというものなので、
夏過酷なんだけれども、お水の価値をより知れるという意味でね、おすすめしたいと思っています。
なるほどね。
これちょっとまあ僕行ったのね、3年前、4年前かななので、ちょっと今あるかわかんないんですけど、
当時はね、大野のその街歩きの観光案内所みたいなところに行くと、お水を汲むためのね専用ペットボトルみたいのを売ってくれていまして、
ミタスって確か言ったと思うんですけど、それを持ってね、いろんなところで水を汲んでね、飲み比べもできるんですね。
なかなか難しいんですけど、その味の規格というのが。
といった街になってますので、晴れてももちろん水は湧いてるでしょうから、そういう湧き水をね、飲みながら街歩きをするというちょっと一風変わった体験もできるので、特におすすめがしたいポイントです。
でね、お水が美味しいと何が美味しいかっていうと、当然お料理とお酒も美味しいわけなんですよ。
まあそれはそうですね。
ここでね、越前の超代表的グルメです。食べに行きたいと思うんですね。
内山家から6分ほど歩いたところに、明水手打ちそばお小豆さんというところにランチをいただきたいと思います。
そばね。
まあ越前というとね、やっぱりそばでしょう。越前そば。これは美味しいですね。
なるほどね。
やっぱりすごいひんやりとしたね、明水でもってしめたそば。
で越前そばというのは結構田舎そばと言われてる、結構粗っぽい感じのね、黒い身のかかったね、そばの風味が特に強く感じられるようなおそばになってまして、
もちろんそば自体も美味しいので色々あるんですけど、特に有名なのはそれにおろしをかける越前おろしそばっていうところが一つの郷土料理になっていますね。
つまり冷たくしめたおそばに鰹節とネギとか生姜とか薬味をバンと乗せて、そこに大根おろしをバッと乗せて、それに醤油でいただくという混ぜそばみたいな感じですね。
これまたね、夏に美味しいわけですね。
そうだね。これは夏だな。
でも美味しそうだな。割とね、しっかりめなおそばって感じだね。
しっかりしてますね。この名水手打ちそばと言っている通りなんですけれども、特に越前全体がおそばの産地として有名ではありますが、
大野っていう水も最高品質というところになりますので、それでしめたというね、極上の素材の掛け合わせのおろしそばをここでいただくことができます。
いやーいいな、これ美味しそうだな。
ちょっとピリッとね、辛味もかかっているんですけど、またそれが美味しいんですね、非常にね。
やっぱ夏だな。
夏ですね。僕ね、大野は一回しか言っておらなくてね、夏にしか分からないんですね、正直。冬の良さは分からないんですけど。
これなんかタベログ見てるとね、醤油カツ丼とセットでいただいている人が多いみたいですね。
そのようです。僕も確かそうだったんですけど、前日ヨーロッパ圏さんではソーツカツ丼をいただきましたけれども、
要は福井はヨーロッパ圏さんの影響でカツ丼が結構有名なんですね。
要は卵とじじゃないこういったソースとかね、今回は醤油なんですけれども。
なのでこういったお店、やっぱり観光客の方どちらも名物いただきたいという方が多いと思いますので。
そうだね。
このランチセットお得でいいんじゃないかと思います。
そうね、このカツ丼も卵でとじてないもんね。
そうなんです。ご飯の上にカツを乗っけて、お醤油なのかな、ここはね、だし醤油かな、でいただいたと思いますね。
冬になったらなったらもちろん温かいおそぼも出るでしょうから、そこは心配なさる必要はないかなと思います。
そういうわけで大野の町にはね、明水の湧水の井戸とかがたくさんあるわけなんですけれども、
特段有名なのがね、このお正津っていうものでして、御清水と書いてね、お正津と読むんですけれども、
これも水が流れている場所になっているんですが、これを読んでね、地の如くお殿様とかのね、御用達ってことですよ。
なるほど。
特段ランクの高い正津なわけですね。これのそばにこの明水手打そばさんがあるわけですね。
なるほどね。
なので、このお正津自体も一つの観光地なんですよ。
なのでおそばをいただいた後か前かはわからないですけれども、ぜひここでね、進んでくださっていいと思います。
っていうのも、お正津はね、この町歩きの道からちょっと2,3段階段下ったところに、石のタイルみたいなのがあって、その下に水が流れてるんですね。
なのでその水の上まで渡って歩いていけて、そこでこう、かがんでね、手をこう水につけたりとかっていうこともできます。
で、これも夏の話ばっかり恐縮ですけれども、夏の一定期間、確か8月だった、だから僕8月に行ったんですけど、
はね、このお正津とかが全部ライトアップされるんですね。地元のね、学生さんとかが作った、ちょうちんがここに飾られるんですね。
そうするとね、何が起こるかっていうと、この水面にね、その幻想的な明かりがね、映るんですね。
まあちょっと松江のね、水道路ともちょっと似たような雰囲気なわけですけど。これも非常に良かったですね。
じゃあそのちょうちんのライトアップがあちこちでなされると。
そうです、なされますね。特にこのお正津がメインのところだったかな。なので僕はね、大野に泊まりました。今回は泊まってないんですけど、コースは泊まってないですが、僕は大野の町に泊まりましたね。
へえ。
ご飯もね、食べるとこ結構あります。のでね、興味ある方は是非ね、夏の夜泊まるとね、より明水の里としての思う気がしてられるかなという気がいたしますね。
ということでこちらでランチをいただいたという次第です。
はい。
そしてもうちょっと街歩きを進めたいと思いますが、このお正津からさらにですね、徒歩3分ほど行ったところにあるのが、吉影公園です。
あれ吉影?前日出てきましたね。
そうです。朝倉吉影、馬鹿殿として描かれてしまうがちな朝倉家最後の党首ですね。実はね、ここで亡くなってるんですよ。
ああ、はいはいはい。
これどういうことかっていうと、朝倉家はね、そういうわけで織田信長に攻められて、一場打にも攻め落とされてしまうわけですね。
ここから車移動ですが、まず吉掛公園から徒歩10分でUEステーション、車止めたところですね、に戻っていただきます。
そっから車で20分ほど、北西ですね、北西方面に行ったところに勝山という街があります。勝山、勝利の商人山ですね。
ここはね、もう言わずと知れたね、恐竜の街ですよね、勝山といえばね。
ということでね、福井県でおそらく一番有名な観光地でしょう。福井県立恐竜博物館。
これね、確かに一番有名かもしれないね、もしかしたら。
福井と聞いてこれを思い浮かべる方もいらっしゃるんじゃないかなという気がいたしますね。
これはやっぱ福井で恐竜の化石がいっぱい出ているというところからだよね。
そういうことです。
なんでそもそも福井が恐竜の街になったのかということなんですけど、
今まさに写真でも出てきましたが、この博物館が立っているあたりが発掘現場なんですよね、福井の恐竜のね。
どうもね、地層の問題なんですよ。
この勝山市の一帯にボーンヘッドって言ったかな、骨が集積している箇所っていうのがね、たまに地質の欠けで起きるらしいんですけど、
それがここにあるっていうことがわかったんですね。
それは当時、昭和時代の中盤ぐらいらしいんですけど、
日本には恐竜の化石がないっていうのが定説だったらしいんです。
なさそうだよね、こんな島国には。
アメリカとかと比べるとね、全然。
ところがこの勝山のあたりで、別の全く関係ない調査とかをしていたら、ワニの爪みたいなのが出てきたと。
要はワニの化石があったんですね。
それを見たら、恐竜が生きていたとされる白亜紀とかね、時代の爬虫類の化石だったんですって。
ってことはワンチャンあるんじゃね?ってことになって、福井県とかがですね、これはもしかしたらということで、
鉱脈を探り出してたんですよつまり。
で、この付近を大々的に手間とお金を使って調査したところ、恐竜が出てきたんです。
これはなかなか大発見ですね。
大発見です。
基本にもいたっていうね。
大発見ですよ本当に。
なのでここはね、世界的に見ても新種の恐竜を展示しているわけですよね。
そうなんだ。
例えばね、福井ラプトルとかね。
福井ラプトル北谷縁室。
中世代全期白亜紀。産地福井県勝山市ということでね。
この調査中に肉食恐竜のカギ爪の骨の化石が発見されて、さらに同一個体と思われる骨がその周りに見つかったと。
で、そのだんだん調査が進んでいくにつれて、2000年に命名された日本で初めての新種の恐竜。
世界的に見ても日本でオリジナルの恐竜がいたってことがここで証明されたんです。
これが福井ラプトル。
すごいね。ここ、日本だけの種がいたってことなんだね。
日本だけなのか分かんないんだけど、日本で見つかった初めての新種なんですよ。
他のところで見つかってなかったんです、この恐竜はね。
だから命名されたのが福井ラプトルなんだ。
俺ちっちゃい頃恐竜好きだったんだよ。
はいはいはい。
まあ男の子はね、割とみんな好きだと思うけど。
なんかちょっとやっぱ興奮するね、こういうのね。
ましてこれ肉食恐竜とかね、こういうね、いかにもな感じする人なんですけどね。
正規の大発見ですよ、本当に日本の歴史というのはこれが本当にね。
ちょっとね、当時の日本がどういう形だったか分かんないけど、まあでもね、いたんだね。
そういうことなんですね。
まあやっぱりその新種の恐竜もいると。
とにかく大きいです、ここは。
博物館本当に大きいです。
常設展示だけでもすごいボリュームがあるんで、迫力もすごいですよ。
まあね、化石がいっぱいあるんだろうね。
日本で間違いないこの恐竜では一番大きな博物館になっていますね。
全身骨格が50体展示されている。
これをね、階段のスロープでね、下に上に眺めながらね、回っていくわけなんですね。
これはもう単純にワクワクする感じだね。
ワクワクしますね。
やっぱり今回ね、福井初めて行かれるということでしたので、やや無理矢理出たんですけれども、
やっぱ福井の観光地といえばこれを外せないのでね。
これまではね、おとたびボッドキャストで紹介してきた博物館にありがちな話なんですけど、
ここは我々を楽しませていただける展示館であると同時に、研究施設でもあるんですね。
なので実際ね、面白いのがこの化石クリーニング室とかね、作業している風景も見られるんですよ。
恐竜の化石の発掘って今でもずっと続いてるんですよ、この福井。
なのでそれの研究をしてる人たちの仕事を目の当たりにできるという。
これは見てみたいね。
なかなか見る機会ないですからね、これはね。
特に今回はちょっと省略しましたけれども、こういった体験コーナーも非常に人気なわけですね。
だから実際に発掘体験とかさ、そういった恐竜の骨を扱う体験とかもね、すごい事前申し込みで殺到してるらしいので。
お子さんとか特にやっぱりそういうのはいいんじゃないかなと思いますね。
楽しそうだな、これ。
ちょっと注意していただきたいのがですね、ここ非常に有名で人気のある観光地でありますので、
ウェブへの事前予約が入館においても基本になっております。
入るのに予約が必要なんだ。
やっぱりね、そうしないともう収集つかないみたいなんですよね。
これも一昨年かな、あの二人と行ってきたんですけど、その時に僕も初めて知ったんですよ。
以前に届いてなかった気がするんですけど。
今はなので、必ず事前にこの福井恐竜博物館のホームページから日時時点の予約をしてください。
店入るじゃないですか。
内田が入ったら来たら、いらっしゃいませ社長さん。
社長って言われるの?
はい、社長です。1日だけ社長になります。この店にいられる期間だけは。
これ面白いですね。社長なんですよ。全員社長です。
嬉しいね。
我々社長なんですよ。
絶対慣れないからね。
秋吉だけは社長になるんです。
これはもうね、ちょっと面白い社長なんですよ。秋吉ルールなんです、これ絶対ね。
女性の方はね、お嬢さんだったりする時もあるらしいんですけど。
社長さんがね、多分参考の風潮もあって多いんじゃないかと思いますが。
こういうふうにちょっと面白いお店なんですね。
ただそもそもめちゃくちゃ美味しくて、そして安いんですよね。
ただの焼き鳥屋じゃないんです、ただこれ。
秋吉ルールは徹底していましてね、こだわりがあるわけなんです。
まず1つ目の秋吉ルール、注文は1セット5本です。
5本単位でしか頼めません、基本。
えー、それなんか使い勝手良くないんじゃないの?
と思うんですけどね。
これがね、実は全然いけちゃうんですね。
この秋吉の焼き鳥ってね、ちっちゃいんですよ。
小粒でね、結構スナック関係でガンガンいけるような感じで、
ほんといいおつまみなんですよね。
だからしっかりとして焼き鳥と、もちろん焼き鳥なんですけど、
炭火でガッと焼いたいいおつまみが来れるみたいな感じなんで、1人5本全然いけます。
博多の川焼きにあるように見てます、そういう見ると。
なるほどね。
炭で美味しいんですね。
ちなみに5本単位でなぜ焼くのかっていうと、ここに書いてますけどね、
火力が分散され柔らかく焼き上がるというね、一応科学的に理論にのっとってるものらしいんですけれども、
注文は5本から。5本が1単位っていう感じなので、そこをご注意ください。
そしてタレですね。
タレはですね、カウンター席の場合ですと、3つぐらい壺みたいのがあって、そっから入れていくわけなんですけど、
肉タレ、カラシ、カツタレという3つです。
肉タレはいわゆる焼き鳥のタレみたいな感じなんですね。
カラシはカラシ。
カツタレって何かっていうと、これ焼き鳥の名も秋吉なんですけど、串カツの名物でね。
メニューはだいたい表が焼き鳥裏がカツみたいな感じでね、あるんですよ。
なのでどっちも頼む方が多いので、それで3種類置いてやって、
ただ単純に串カツはソース、焼き鳥はタレっていうわけじゃなくて、
焼き鳥の中でも若鳥やネギマは肉タレがおすすめ。
純茎、これね純茎っていうのはほぼオリジナルメニューなんですけど、
純茎とか砂肝はカラシっていう風にメニューにアイコンみたいなのが振ってあって、
これはカラシ、これはタレですってアイコンで可視化されてるんです。
それで自分で作って食べるんですね。
ちなみにこの串の形状が四角と丸があって、
これがまたね素材の見分け方だったりしたりね、
細かな工夫がなされてるんです。
こだわりに基づいたルールってことね。
そういうことです。