1. 「大人の近代史」今だからわかる日本の歴史
  2. #190「日米和親条約」ペリー率..
2025-01-07 30:43

#190「日米和親条約」ペリー率いる黒船からみた日本

spotify apple_podcasts youtube

★番組運営のため寄付を募集しています

☞ https://otokin.com/sponsorship

アメリカ大統領からの親書を日本政府に渡したペリーは、

来年の春という約束より早く、艦隊7隻を率いて日本へ現れた。

その後、アメリカと日本の交渉の結果、日米和親条約が結ばれる。

今回はそこに至るまでの内容や、黒船からみた視点を中心に話しています。 ------------------------

★参考文献

☞ https://otokin.com/archives/1989 ------------------------

★YouTube☞ https://www.youtube.com/@otonanokindaishi/videos ------------------------

★お便りはこちら

☞ https://bit.ly/2YkUaRB ------------------------ ★Instagram

☞ https://www.instagram.com/otonanok/ ------------------------ ★X

☞ https://twitter.com/@otonanok ------------------------ ★大人の近代史公式グッズ

☞ https://suzuri.jp/otonanokindaishi ------------------------ <過去の関連回>
#188「ペリー来航」黒船から見た日本 https://open.spotify.com/episode/1YSRr35fFPPLCMpZJx6F7l?si=d5YXesl5SDqMmBhrif5EZQ
#146「日本がなぜ先進国となれたか」中国との差は? https://open.spotify.com/episode/2VDOIbhRSCt4Z8F7n7zo7C?si=mxFdyY90SVyoEG7kmblyDA

サマリー

ポッドキャストでは、ペリーの来航に続く日米和親条約の背景と影響について解説しています。ペリー艦隊が琉球を訪れ、中国の状況に関する観察を行ったことが述べられています。このエピソードでは、ペリー艦隊と日本の関係について語られ、特に日米和親条約の締結までの経緯や、日本人乗組員のサムパッチの存在が話題に上ります。また、条約の内容や贈り物についても詳しく説明されています。ペリー率いる黒船の来航を通じて、日米間での和親条約締結に向けた交渉が進展しました。日本はペリーに毅然とした態度を示しつつ、中国との既存の条約に基づくアメリカの要求を拒否し、独自の内容を持つ条約を形成しました。

新年の挨拶とテーマ紹介
スピーカー 1
新年明けましておめでとうございます。始まりました、「大人の近代史」よろしくお願い致します。
スピーカー 2
明けましておめでとうございます。本年もどうかよろしくお願いします。
スピーカー 1
はい、始まりましたね。新しい2025年が。
スピーカー 2
そうですね。なんか、新年明けたから何かちょっと変わったかって言うと何も変わってないんですけど。
スピーカー 1
そうだね。どんな年にしたいですか?
スピーカー 2
まあやっぱりね、俺はおが太郎が遠くの存在なので、ちょっとでも近づけるように頑張りたいなと思ってます。
スピーカー 1
なんだそれ。自分もなんか今年は本当にちょっとね、個人的に仕事もね、ずっとやってた仕事を春に変える予定なので、激動な1年になりそうだなと思って。
スピーカー 2
まあ、あの、成功労働を歩いてるからね、大丈夫だよ。
スピーカー 1
いやいや、蟹公船乗るとは思わなかったから。
スピーカー 2
いやいや、それ人によって怒られるよ。だいぶ成功してんだからさ。
蟹公船の人にね、ちょっと。
いや別に蟹公船って言うか、なんか。
昔のね、昔のイメージの蟹公船。
スピーカー 1
まあということで、なんか今年も大人の金だし、ゆるーく続けていけたらいいなと思ってます。
スピーカー 2
はい。
スピーカー 1
ということで、新年1回目は、ペリー来航をこの前話して、そのちょっと続きも含めて日米和親条約までのお話を今日はしたいなと思ってます。
ペリー艦隊の琉球訪問
スピーカー 2
いやー、来たよね。やっぱさ、ペリーがさ、前回ね、来ました、帰っちゃいました、終わりだからさ。
えー、なんかそこから日米和親条約とかその後の流れとかって知りたいなっていう人も多かったと思うけど、今日はもう小片郎がね、がっちりと解説してくれるんで。
スピーカー 1
多くはないだろうけどね。
はい。じゃあ、ということで、前回ペリーが日本に初めて浦賀に上陸をして、アメリカ大統領からのこの信証を日本政府に渡して、その回答をもらうために来年の春また艦隊を引き連れてくるっていうところで、ペリーは去っていったってところで、その続きをやりたいなって思ってます。
はい。
ペリーってさ、アメリカ俺帰ったと思ってたんだけど、帰ってないんだよね。
うん。
彼らその艦隊時代、まず琉球へ向かうんだよね、また。
うん。
で、琉球っていうのはしばしばね、このペリー艦隊の集合基地っていうような言い方もしてたんだけども、たびたびこう訪れては数席残してまた違うところに行くとか、そういうところで重要な拠点だったんだよね。
うん。
で、ペリーはこの琉球との友好な関係を築くっていうところも一つの目的にあって、この後ね、ちょっと中国大陸の方へも行くんだけども、その時にも一席プリマス号っていうのを残していって、この友好環境を維持しようとしていたんだよね。
スピーカー 2
うん。
スピーカー 1
そう、これなぜかっていうと、日本政府との例えば交渉が万が一うまくいかなかった場合に、せめて日本の続国であるその琉球と友好関係を築いたっていうその成果をアメリカ本国に持ち帰るためとも言われているんで、そういう狙いもあったんじゃないかなというところで。
うん。
で、この後琉球からね、また中国大陸の方へ行きます。これはね、ちょっと前回でも言ったんだけども、中国大陸その時ね、内乱によって治安が悪化していて、中国にいるアメリカ商人らのその保護を目的にペリー艦隊っていうのは向かったんだよね。
うん。
で、しばらく中国にこう滞在して、現地の観察なんかもまた行っていて、やっぱその中国の人たちって貧しい生活を目にする機会がすごく多かったっていうのを書かれてるんだよね。
で、普段はね、干し魚を少し混ぜて炊いた米だけを食べるっていうような暮らしだったりとか、あとはね、現地で雇った人もいたんだけども、その人がね、最も喜んだ贈り物の一つとしてあげてるんだけど、これなんだと思う?
スピーカー 2
最も喜んだ。
スピーカー 1
そう。
スピーカー 2
現地だよね。
スピーカー 1
そうそう、現地の人。
スピーカー 2
煙草。
スピーカー 1
あー、一匹の超えたネズミなんだって。
スピーカー 2
そういう意味ね。
スピーカー 1
そうそうそう。
なんか、この人たちって街中で売られてる犬とか猫も売ってたらしいんだけど、当時。
高すぎて手に入らないから、ネズミを街中で探しては、自分たちでさまざまな料理にしていたっていうところで、おそらく船の中にいたのかな、そのネズミが。
それをあげたらすごく喜んだっていうのが残ってて。
スピーカー 2
あー、船のネズミだろうね。
まあ、そういうことです。
貧しいのところの話か。
スピーカー 1
そうそう。で、あと関東でもね、やっぱ多くの物恋の人を目撃するんだよね。
で、こういったね、困窮者に対して、当時も救済する施設がいくつかあったんだって。
で、困窮者たちは、こういった施設にお金を入れて世話をしてもらってるような形をとってたんだよね。
で、ペリーはね、すごくよく観察してて、この実態はキリスト教国でもよくあるが、中国ではこれらの団体を運営する人々が当然のように収入を着服し、貧乏人の世話をしながら自分は金持ちになるっていう、まあそういう構造をすごく観察して見抜いてるんだよね。
うん。
いや、なんかこれ、現代にも当てはまるんじゃないかっていう、ちょっとハッとしたんだけど。
スピーカー 2
うん、なんかどこでもあるよね。
うんうん。
この貧困ビジネス。
スピーカー 1
ああ、確かに。ねえ、ちょっと深い闇というかね。
で、その後さ、ペリーは琉球にまた戻って、まあ6ヶ月ぐらいぶりに戻って、これでね、琉球はね、4度目の訪問なのよ。
うん。
その時もやっぱり琉球の状況と資源をね、さらに調べるため、調査団をこう用いて調査をしてるんだよね。
うん。
琉球のルーツっていうのは、例えば日本大陸の人たちが来て気づいたものなのか、中国大陸の人たちが来て琉球を気づいたのかとか、そういう観察もしてるんだよね。
うん。
彼らはね、その上でね、琉球語と日本語の類似点をね、確認したんだよね。
うん。
例えば、米って琉球語でくめっていうの。
日本との交渉と横浜での合意
スピーカー 1
うん。
ちょっと発音あってかわかんないんだけど、タバコもね、トバコとかなんかすごく似てるんだって。
うん。
そうそうそう。
あと日本人と琉球人には、その中国人とかマレー人とかとは異なる共通の特徴があって、それがね、濃く黒いあごひげなんだって。
スピーカー 2
うん。
スピーカー 1
あ、そうなんだと思って。
スピーカー 2
でもなんとなくさ、ちょっとこれは偏見かもしれないけどさ、なんかその大陸系の人のあごひげってちょっと薄いイメージがあるよ。
スピーカー 1
あ、そうなんだ。長丸も見抜いてたんだ。
スピーカー 2
これ偏見かもしれない。本当に偏見かもしれないけど、なんかモンゴル系とかって薄いイメージがある。
スピーカー 1
ああ、確かにね。
うん。
当時ね、琉球ではね、上級カエルの人々はあごひげを長く伸ばしてたんだって。
うん。
で、下層階級の人々は法律によって長くなると切らなければならないっていうのもあったらしくて。
うん。
これ本当なの?って思ったけどね。
スピーカー 2
本当なんじゃない?ひげそんなに伸びるんだっていうのもちょっと気になるけどね。
スピーカー 1
ああ、ね。だから村上隆さんとか切らないといけないかもね。
スピーカー 2
村上隆さん?
スピーカー 1
あの芸術家の。
スピーカー 2
いや、わかんないな。
スピーカー 1
うそ?最近なんかポッドキャストめっちゃ聞いてるんだよな。面白いんだよ結構。
スピーカー 2
ああ、そうなの?
スピーカー 1
うん。ちょっと余談だけど。
スピーカー 2
なに?ひげが長いの?
スピーカー 1
ひげ長い。あの現代アーティストのすごい有名な人。
スピーカー 2
ああ。
スピーカー 1
で、まあちょっと話を戻して。
この時ね、日本政府からね、オランダ省官庁を通じて連絡があったんでね。
うん。
それがね、アメリカ大統領の審証を受け取って、まもなくね、日本の皇帝って言ってるんだけど、
ま、ここでは皇帝って将軍のことを指してるんだけど、が、あの、崩御したっていうのを言ってるんだよね。
うん。
これさ、あの、ペリーが来訪した時に12代将軍の徳川家吉の時代だったんだけども、この家吉がさ、病気でその後亡くなっちゃうんだよね。
うん。
そう。で、13代将軍の徳川家貞が将軍に就くんだけれども、こういう事情があって、
葬儀とか継承の手続きを行う必要が日本はあって、その結果、アメリカ大統領からこれをもらった、その審証の審議が延期されるっていうことを伝えたんだよね。
うん。
で、ペリー鉄徳のさ、決定した来年春に来るっていう時期に、アメリカ艦隊がエドワンに来られても困るっていうような、そういった内容も盛り込まれていたんだけども、
ペリーはね、これを知った上で、あえてその、まあ構わず日本に向かうんだよね。
うん。
そうそう。しかもね、来年の春っていう予定よりも早い、2月頃に日本を訪れてるんだよね。
うん。
これはね、なぜかっていうと、ペリー来航のね、同時期にロシアの海軍大将のプチャーチンっていうのも、長崎の方へ訪問してるんだよね。
うん。
これはね、プチャーチンはカラフトとかチシマの領土の取り決めを目的としてたところがあって、日本側の回答を待たされた上に、ロシアと当時エイフッツとの関係が悪化してきたから、一旦日本を離れたんだよね。
うん。
ただそんなロシアがね、密かに江戸へまた行こうっていう企てがあるっていう情報をアメリカ側が入手をして、フランスもね、なんかどうやらそういう動きをしているっていうのも耳にして、他国に先を越されないように、当初の予定より日本へ急いだって言われてるんだよね。
うん。
こうしてまた再び日本の江戸の方面へ向かったペリー艦隊っていうのは、合計今度はね、7隻で向かうんだよね。
うん。
3隻が蒸気船で、他が帆船なんだけれども、先にね、まずね、帆船だけ日本へ向かわせて、後から蒸気船の方が早いから蒸気船で追いかければちょうどかなっていうところで、そういった体制を取ったんだよね。
うん。
で、ペリーを乗せた蒸気船が後からこう向かった時に、三浦半島のね、西の岸辺りで、先にね、向かってた帆船のね、マセドニアン号っていうのが座礁してるのを発見するんだよね。
うん。
そうそう。これね、江戸に向かう航路のね、入り口を間違えたって言ってて、本来の行くところじゃないところに行って、座礁しちゃったんだよね。
スピーカー 2
うん。
スピーカー 1
なんで、あの、蒸気船でこう、綱を繋いで、蒸気のこう、力で暗礁からこう、引き離したんだよね。
うん。
そうそう。まあ、そんなことがあって、さらに江戸湾の方へどんどん進んでいって、この時ね、一応ね、ペリー提督っていうのは、結構体調を崩してたらしいんだよね。
うん。
基本ね、日本側の交渉役の前には元々現れないっていう風に彼は決めていたし、その一新書の受け渡しの時とか、日米和親条約をこれからまあ締結する時とかの重要な局面でしか彼は出てこないんだけれども、
まあ、そういった体調を崩してたっていう状態だったんだよね。
うん。
でね、現在のね、横浜市の金沢区辺りのところまで来て、一回停泊するんだよね。
うん。
そこでね、浦賀武行の黒川嘉兵衛っていうのが艦隊の方へ来て、浦賀の方に戻ってくれるように説得をしたんだよね。
うん。
その日本側ね、浦賀でもう一回交渉が行われると思って、こう建物を建てて準備をしてたっていうのもあったんだよね。
うん。
ただ、ペリー艦隊っていうのはその浦賀は断って、それはね、なんか前回浦賀を調査した時に、あんまりこの港が長期間いるには天候が悪化したりとかすると、
その船の安全が保てなそうな場所だなっていうところを判断して浦賀以外をこう希望したんだよね。
うん。
それでね、日本はね、それなら鎌倉でっていうような案も出したんだけども、
これ鎌倉ね、さっき言ったマセドニアン号っていう帆船が座礁した近くの場所でもあるから、これも断るんだよね。
うん。
その後ね、浦賀武行のね、香山英才門っていうのも、またペリー艦隊に交渉に入って、やっぱり浦賀はダメだっていうから、
その時ね、艦隊がいた場所の真向かいにあったのが横浜村だったんだよね。
うん。
そのすぐ近くの地点を提案をして、それで交渉がその横浜で行われることになったんだよね。
うん。
だからなんか結構横浜って前々から日本が準備してた場所じゃなくて、たまたまなんかそこになったっていうような経緯があるんだよね。
うん。
ちら行ったもんね、横浜開港資料館のさ、あのタマクスの木とか見たじゃん。
うん、見たね。
ね、当時あそこの辺の周辺でペリーが2回目の時なんだね、来たのがね。
うんうん。
で、前回の浦賀よりこうだいぶね江戸の中心に寄ってきたっていうのはあるんでね。
うん。
サムパッチの紹介
スピーカー 1
で、俺ねちょっとこれ知らなかったんだけど、ペリー艦隊に日本人として唯一ね一緒に同行してた乗組員がいたの知ってた。
スピーカー 2
ペリー艦隊に?
スピーカー 1
そう、ペリー艦隊側に乗組員としていたんだよ。
スピーカー 2
なんか聞いたことあるような気がするけどな、確かに。
スピーカー 1
そう、そこはサムパッチっていうあだ名で呼ばれてたんだけど、
スピーカー 2
うん。
スピーカー 1
センタロウっていう人で、なんか経緯を言うとね1850年頃にその三重県辺りの海域で船が嵐にあって漂流したところをアメリカ商船に救助されたんだよね。
うん。
で、16人ぐらいが救助されてサンフランシスコを経由して中国へ輸送されて、その中の一人にサムパッチって呼ばれた人がいたんだよね。
うん。
で、そのペリーが日本へ行くっていうんで、それに同行していた一人なんだよね。
うん。
でね、他の人たちは帰国したら命を失うかもしれないっていうので、中国に留まったんだよね。
うん。
実際その日本の役人がペリー艦隊に訪れたときに、そのサムパッチは怯えてたんだよね。
スピーカー 2
ちょっと待って、何それ。
スピーカー 1
サムパッチは結構やっぱ震えて怯えてた。
スピーカー 2
ちなみに何でサムパッチなの?
スピーカー 1
いや、これね、俺ちょっと調べたんだけどね、色々あって、なんかね、あんまよく分かんなかった。
スピーカー 2
あー、特にじゃあ、残ってないんか、そういう記録が。
スピーカー 1
いや、なんかいくつかあったけど、ちょっと違うものだったから、言ってもこれ間違ってサムパッチの遺族の方に申し訳ないなって思って。
なんて。
ちょっと適当なこと言えないなって思って。
彼はね、1860年に実際にね、この後帰国を果たすんだよね。
うん。
そう、この時はしないんだけど、で、その後日本で外国人居留地内で過ごすっていう。
なんか逆にそこから外へ出ることはなくて、生涯終えてるっていう人なんでね。
スピーカー 2
あー、でも外国人扱いみたいだったってことかな、帰っても。
日米和親条約の交渉
スピーカー 1
というかね、自ら自分がそうしたっていう風な感じだったと思うんだよね。
スピーカー 2
へー。
スピーカー 1
ちょっとね、ごめんなさい、サムパッチあんままだ詳しくなくて、ちょっと今回はここで次に行きたいんだけども。
スピーカー 2
なるほど、3回目はじゃあサムパッチか。
スピーカー 1
サムパッチいいよ、もう。
スピーカー 2
あ、そう?
スピーカー 1
で、日米和親朝焼けんの向けての競技がね、3月8日頃から始まっていくんだよね。
うん。
で、この日はね、爽やかに晴れ上がった日でした。
スピーカー 2
また天気?
スピーカー 1
そうそう、これ本当の。
うん。
で、ペリーはね、2回目の日本上陸もね、こう派手なものにしたいっていうのがあって、
完全武装の単位約500人を引き連れて、27艘のボートに乗って日本の横浜へ上陸していったんでね。
うん。
で、出席メンバーはね、日本側ね、林大学の神っていうのを筆頭に江戸町武業とか浦賀武業らなんかが参加して、
で、ペリーとその議論になったのが、どの港を開港していくかっていうとこなんでね。
うん。
で、日本側ね、やっぱり長崎をっていうのをしたんだけれども、アメリカはそれを拒否して、ペリー自身はその5つの港の開港を希望したんだよね。
うん。
だけど、まあ当分は3つの港でいいからっていうところで、1つにね、浦賀かもしくは鹿児島あたりを希望したんだよね。
スピーカー 2
うん。
スピーカー 1
あとはね、江戸の松前ってまあ北海道らへんだね。
うん。
と、あと琉球の那覇っていうのを指定したんだけれども、これに対して日本側はね、まずね、下田にしてほしいっていうのを提案するんだよね。
うん。
これはね、やっぱ江戸から少しでも遠ざけたいっていうような気持ちが日本側にはあって、
うん。
江戸までの陸路も山々に囲まれてるっていう隔絶した場所っていうのも下田にした理由とも言われてるんだよね。
うん。
日本側がね、下田がどういうところかっていうのを、まあその時分かんなかったから、1回調査をしてから回答するっていうことで、
まあ後日調査をした結果、安全に港に近づきやすい場所だなっていうところで、この下田を許可するんだよね。
うん。
で、まあそれからね、松前の方を希望してたんだけども、日本側がまあその近くの函館を推奨して、
まあ結果港は下田と函館の2港が開港することになるんだよね。
うん。
で、この日米和親条約の中にはいろいろと取り決めがあるんだけども、
例えばアメリカ船が日本近海にこうナンパした場合に、下田や函館に送り届けてアメリカ側へ引き渡すっていうような内容も盛り込まれていたし、
うん。
あとアメリカのその船舶と捕鯨船とかだね、が必要とするときは食料とか水を供給しますよっていうところも書かれていたり、
あとはね、再帰国待遇ってよく言われるんだけども、他の国がアメリカよりこうその後有利な条約を日本と結んだときは、その内容をアメリカにも適用するっていうようなことが書かれた内容が入ってるんでね。
うん。
こんな日米和親条約っていうのが1954年の3月31日に条約が調印される。
贈り物と文化の交流
スピーカー 1
で、この日米和親条約のね、ときにね、贈り物っていうのもアメリカ側から日本は受け取ってるんだよね。
うん。
これね、まず一つ目、電信装置があって、これあの電線をね、当時ね、1マイルって1.6キロぐらいの線をまっすぐ張って、一瞬のうちに伝言されて、当時の人っていうのはすごく驚いたって言われてるんだよね。
うん。
これ、モールスフグを打つと受信側の電信機の紙テープに凹凸の傷がついて、信号やり取りできるっていう、当時はすごく画期的なものだったんだよね。
うん。
なんかどっかで見たよね、博物館で。
スピーカー 2
横浜開港かなんかじゃないかな。ちょっとその辺で見たやつだった気がするけど。
スピーカー 1
ね、なんか見たなと思って長丸と。
うん。
で、あとね、小型蒸気機関車っていうのももらったんだよね。
スピーカー 2
うん。
スピーカー 1
これあの、客車とか淡水車も実際ついてて、なんかよく小さな子供が乗るようなさ、蒸気機関車あるよね。
あー。
そうそう、それに近いものなんじゃないかなと思ってて。
で、当時もその小さい6歳くらいの子供が乗るのがやっとの大きさだったって書いてあったから。
うん。
ただね、日本がね、どうしても乗りたいっていう役人が多くて、屋根の上にこうまたがって、実際に楽しんで乗ったっていうのも残ってるんだよね。
スピーカー 2
まあ今で言ったらちょっとヤバい奴らだけどね。
スピーカー 1
そうそうそう。すごい滑稽なね、映像だよね。
うん。
で、日本人はね、まあこんな風にいつでもその異常な好奇心をこう示したって言われてるんだよね。
うん。
特にね、あの水兵が当時着てた服のある部分にこう関心を示したんだけども、これ何だと思う?
スピーカー 2
え?ある部分?
うん。
セーラーの部分?
スピーカー 1
あー、それ長丸だな。
スピーカー 2
いや、小片郎ほら、セーラー服はね、常に好きじゃん。
スピーカー 1
いやいや、そんな水兵見て思わないよ。
スピーカー 2
いやいや、だって水兵つったらそれじゃないの。
スピーカー 1
まあまあね、ボタンなんだって。
あ、ボタン。
そう、当時ね、あの日本の服にほとんどさ、あのボタンって使われてなかったから、
うん。
そう、まあ帯とかがまあ主流でさ、もうあれれの世界じゃん。
スピーカー 2
それこそ小片郎好きなやつじゃん。
スピーカー 1
いやいや、で、この便利なボタンにすごく関心をしたりとか、まあそういう興味をいろんなとこに持ってたんだよね。
スピーカー 2
あー、小片郎はじゃあやっぱ帯の方が好きだったっていう話ね。
スピーカー 1
いやいや、ボタンもなんかそれなりにいいじゃん。
なんの話だよこれ。
スピーカー 2
全然わかんないけどまあいいや。
スピーカー 1
で、これでちょっとね、あのなんかすごく興味深い内容、ペリーが記録してんだけども、
日本人は非常に模倣が巧みで、適用しやすく、この特性によって高度な文明諸国の高尚な原理や裕福な生活は無理だとしても、外国の風俗習慣を比較的容易に取り入れるに違いないっていうようなことを語ってるんだよね。
で、実際さ、日本はさ、ここに書いてある高尚な原理までもさ、その後模倣してってさ、さらに応用してこう発展していくってところで、なんかそのペリーの想像を超えたところまで探求してったんだなっていうのをちょっと感じたんだけど。
スピーカー 2
あー、なんか俺があれやったね、先進国になぜなれたかのやつで。
スピーカー 1
あ、そうだね、まさに。ぜひちょっとその回を聞いていただくといいかなと。
で、やっぱなんか好奇心って大事だよねって思ったね。
スピーカー 2
まあそうだね、興味ないとなかなかね、こう発展ってしかいかないよね、こういうものは。
スピーカー 1
うん、だからもう2025年のテーマは好奇心だね。
スピーカー 2
まあ小片郎は確かに好奇心はもうすごいからね。
スピーカー 1
いやいや、いやほんともっと持っていこう。
スピーカー 2
え、だから小片郎はもう十分すぎるほどなんか好奇心の塊じゃん。
スピーカー 1
いやいや、ダメなんだよまだ。
でね、あの日本からの贈り物もあるんだよね、これ。
うん。
で日本はね、ひなわじゅうとか刀とかね、当時の日本カフェの全部揃えたセットとかそういうのをプレゼントしてるんだよね。
うん。
そうそう、まあ自国の通貨なんかをさ、国外に持ち出すことって特にこの当時現金だったから異例な対応だったんだよね。
スピーカー 2
うん。
スピーカー 1
まあでもこうしてみるとさ、アメリカがくれた蒸気機関とか電信機とか、当時のその高度なものに対してさ、結構対照的な贈り物だなと思って。
スピーカー 2
まあなんか逆に言うとそういうものしかないっていうか、他は別にいらないでしょきっと向こうは。
スピーカー 1
ああ、確かにね。
スピーカー 2
なんか日本独自っていうかさ、そういうものじゃないと。
スピーカー 1
確かに逆に欲しいかもね。
うん。
であとね、100からね200票の米をも渡してるんだよね。
うん。
であの、アメリカの船にこの大量の米を運ぶのに25人ほどの力士がこう集められて運んだって言われてんだよね。
うん。
そう、で1票さ約60キロぐらいあって、それをね力士はね2票こう同時に運んだって書かれてたから、まあその力とねその巨大な体にアメリカの当時の人も驚いたっていうことが書かれてたんだよね。
うん。
で日本側からね力士のこう体を触るようにって言われて、あのアメリカ側がこう触ると実際すごく硬いことに驚いたんだって。
スピーカー 2
うん。
スピーカー 1
そう、ただ肥満でブクブク太ってるんじゃないっていう、そのこれは筋肉なんだっていうところをね感じ取ってもらえたかなと思って。
スピーカー 2
うん。
スピーカー 1
何なんだこれ。
スピーカー 2
いやだから何なの。
スピーカー 1
でまああの実際にね力士の試合っていうのも見学して、あの楽しんでる様子が書かれてんだよね。
スピーカー 2
うん。
スピーカー 1
そう、でその後ねえっと、ポーハ単語にアメリカのまあ当時の機関なんだけども、ポーハ単語に招いて日本側との宴が催されてんだよね。
うん。
でそこでまあ豪華な食事がこう振る舞われて、肉とか魚、まあ果物とか特上のワインなんかも振る舞われて、その招かれた役人っていうのは食事をもうたらふく食べて飲んで、
その後ねいつも決まってね彼らはその紙に包んで食べ物を持ち帰るっていう習慣があったんだよね。
うん。
これなんか丈夫な紙って書かれてたからなんか和紙みたいなもんなのかな。
んーじゃない。
でそれをねまあアメリカ人にとってはすごく不思議な習慣っていう風に捉えてて、まあ当時の日本ではこれがね結構当たり前だったんだよね。
スピーカー 2
うん。
スピーカー 1
そうそう、いや俺これ思ってさ今もやれば良くないと思っちゃったけど。
スピーカー 2
まあなんだろうな風習としてはもうほぼないけどなんかでも感覚としては分かるよね。
スピーカー 1
分かる。日本人の方がそういうの持ってる感覚あるよね。
スピーカー 2
うん。
スピーカー 1
でもなんかどことなく今だとやっぱそれ恥ずかしいとかさなんかそういう感覚の方が勝ってきてるよね。
スピーカー 2
なんかそうそういう風に見られるようになってきちゃってるからね。なんかやりづらくは、やりたいけどやれないっていうところはあるかも。
スピーカー 1
確かに。
で日本側もねその後ねもてなしをしていて魚が中心だったって書かれてたけど魚の揚げ物とかイセエビとか茹でたエビなんかをこう出されたっていうのが書かれていて。
うん。
ペリーはね正直なんかこの食事に対してねあまり食欲を満たされずに立ち去ったことを白状しなければならないっていうような書き方してるんだよね。
うん。
ペリー来航と日本の対応
スピーカー 1
まあなんかアメリカ側がね日本へ出した料理っていうのは日本側のねその20倍ぐらいはあったって言われてるんだよね。
うん。
そうまあかなりこの豪華なものに対して日本側すごく質素だったなっていうところが書かれていて。
実際ねその琉球の方でももてなしを受けたんだけどその日本本土より食生活は琉球の方が勝ってたことも言ってるんだよね。
うん。
そんな感じでさ日米和親条約を通してまあ日本とアメリカっていうのは比較的その有効的にこう結ばれていったっていうのがあったんだよね。
うん。
でやっぱこのねまあ今までのペリー来航を通して思ったのがペリーのその毅然とした態度っていうのが一つあるかなと思って。
うん。
ペリーはさ日本側との交渉の中で常にこの毅然とした態度を貫いたっていうところが特徴なんだよね。
うん。
日本側にさ長崎に場所の変更を持ちかけられても堅くなに断り続けてまあそれはさ1回目裏側にしたし次は横浜にっていうような具合で。
ただその場所にこだわってたっていうよりはそれはさあの彼が貫いた信念というか海軍長官にあった文書の中にもそのことが書かれてるんだよね。
うん。
何があろうと意思を貫き私が柔軟な性格の持ち主だと思われるよりはむしろ理不尽な頑固者という評価を確立するのが得策。
今後の交渉の行方はある程度まで日本人が抱くこのような印象にかかっているっていうようなことが書かれてるんだよね。
うん。
彼はさそのあえてまあ理不尽なまれの頑固者を演じたんじゃないかっていう捉え方ができると思って。
うん。
ペリー来航の同時期に訪れたロシアのプチャーチンにしても彼はさ交渉するなら長崎に行ってくれって言われて素直にこうしたがったことで
アメリカよりさこの条約っていう点で先に越されてしまうんだよね。
うん。
そういった面でもペリーのその毅然とした態度っていうのが日米和親条約につながったって結果があると思うんだよね。
うん。
あとさその江戸周辺の海域の測量を徹底的に行ったっていうのも成果の一つなんだよね。
うん。
でこれによってさまあより詳細な海図をこう作って大型船がさどこまでこう侵入できるかっていうのも測量してわかったし
今後のまあ航海に大きな成果をもたらした点の一つなんだよね。
うん。
でこれに対してさ日本側の対応もやっぱちょっと注目すべきで彼らそのペリー艦隊が来た時に武力行為を決して行わなかったっていうところがあるんだよね。
うん。
これはさやっぱりアヘン戦争から学んだっていうところもあるだろうしあの日本側のその徹底した対応で日本側がもしこれが攻撃をしてたら
ペリーもいつでも艦隊から反撃できるようなこの態勢を取っていたから日本のそのその後の近代っていうのは違う形になってたんじゃないかなっていうのをやっぱ感じたんだよね。
日本側の交渉戦略
スピーカー 1
うん。
であと日米和親条約にさ至るまでの交渉でさ最初さアメリカがあって中国当時の新朝と結んでた条約をそのまま日本へ適用しようと始めしたんだよね。
うん。
だからね林大学の紙を始め日本側がこれに対して断固として拒否をして日米和親条約っていう中国とは違った内容になったっていうところでこの日本側の成果っていうのもあるかなと思っているんだよね。
うん。
まあそんなわけでちょっと今回はペリー来航の2回目ということで話しましたけどいかがでしたでしょうか。
スピーカー 2
まあ本当になんだろうね日米和親条約っていうさ絶対教科書に出るような内容だからさみんな知ってることだけどさ実際どういう形でこう結ばれてったかっていうところは多分みんな知らないところだと思うんでまあ今日はそれが聞けてすごく良かったなってところとまああれだよねやっぱ小片郎の会話の作りはうめえなっていう。
スピーカー 1
うまくないわ全然。
スピーカー 2
いやまあねペリーはねなんかすごい強硬な姿勢でっていうのは多分あのみんな印象にあると思うんだけれどもじゃあなんでそんな強硬な姿勢でやってたのかっていうのも今日の話聞けばさああなるほどねって思うところは多分あると思うのでまあアメリカっぽいっちゃアメリカっぽいんだけど。
スピーカー 1
ああそうだね。
スピーカー 2
うんまあすごく新年早々ためになる回だなと思いました。
スピーカー 1
いやいやまあということでじゃあ今回はあのサムパッチじゃなくてペリー来航。サムパッチはいいやもう。
スピーカー 2
いやワンパッチでもいいよ。
スピーカー 1
ペリー来航のまあ2回目ということで日米和親条約までの経緯まで話しました。
はい。
じゃあもしよかったらこの番組新年早々まだフォローしてない方とか初めて聞いたっていう方でも番組のフォローしていただけると嬉しいです。
スピーカー 2
はいぜひともよろしくお願いします。
スピーカー 1
はいそれでは最後まで聞いていただいてありがとうございました。
スピーカー 2
ありがとうございました。
30:43

コメント

スクロール