訪日客の不満と問題提起
さて今回はですね、2016年頃の外国人観光客の不満というテーマを見ていきたいんですが、
ダイヤモンドオンラインの記事とか、それに対するネットの反応、特にあのDIKUSHIMAさんのブログ、プチメタ3.0での考察、ここを深掘りしていきます。
当時、訪日客がすごく増える中で、英語が通じないとか、Wi-Fiがない、みたいな声が結構あったんですよね。
ありましたね、確かに。
今回は特にその英語でのコミュニケーションの問題、これに対するいろいろな声と、そのDIKUSHIMAさんのかなり鋭い視点に注目したいなと。
なるほど。
その問題の本質はどこにあるのか、探っていきましょう。
OK、レッツアンパックです。
まず状況をちょっと整理したいんですが、2016年のダイヤモンドオンラインの記事ですと、訪日客はもう2000万人を超える、みたいな勢いだったと。
ええ、そうでしたね。
その時の調査で上がっていた不満点というのは、具体的にはどんな感じでしたっけ?
はい、調査結果を見ると一番多かったのは、無料公衆無線LAN環境がないというのが46.6%でトップなんですけど。
やっぱりWi-Fiは大きいですね。
その次に来ていたのが、施設等のスタッフとのコミュニケーションが取れない、要するに英語が通じないという不満、これが35.7%とかなり高かったんです。
35%超えですか。それは無視できない数字ですね。
そうなんですよ。これが今回の議論の出発点ですね。
英語が通じない日本の考察
この記事がですね、例えば痛いニュース、みたいなまとめサイトで取り上げられると、結構いろいろなコメントがついたんですよね。
はいはい、ありましたね。
例えば、日本に来るなら日本語勉強してこいよとか、言葉通じないのも旅の味でしょうみたいな。
ええ。
あとはWi-Fiは分かるけど、英語は仕方なくないみたいな、ちょっと開き直った感じの意見も結構目につきました。
そうなんですよね。コメントの中には番号で言うとハッシュタグ222でしたか。
箸が使えないからフォークを出せって言ってるのと同じだみたいな、そういう見方もあったりして。
文化的な要求とコミュニケーションの手段をごっちゃにしてる感じですかね。
まあそういうふうに捉える人もいたということですね。
当時のネット上の一つの空気感みたいなものが現れていたかなと。
で、そういう状況に対してディー・イクシマさんがブログプチメタ3.0で
英語が通じない日本を嘆く日本人が少なくて残念っていう、そういうタイトルで非常に重要な指摘をしてるんですよね。
ええ、そうなんです。
ここからが実に興味深い。
はい。彼の考察の革新部分見ていきましょうか。
まずイクシマさんは英語が通じないっていう不満、これを英語圏の人たちだけの声だって捉えるのはちょっと違うんじゃないかと指摘してるんです。
ほう、というと?
つまり英語っていうのはもう母語が違う人たちがコミュニケーションを取るための一種の共通言語なんだと。
現代を生きていく上での基本的なリテラシーの一つ、そういう位置づけで捉えるべきじゃないかっていう視点ですね。
なるほど。英語イコールアメリカ人とかイギリス人の言葉っていう単純な話じゃないよと。
まさにその通りです。さらに言葉が通じないのも楽しみだっていう意見、これに対しても結構鋭く切り込んでいて。
はい。
それって結局言葉の壁を乗り越えられるごく一部の人しか日本を楽しめないっていう現状を肯定しちゃってませんかと。
ああ、なるほど。
例えばすごく面白い洋画があっても字幕も吹き替えもなかったらほとんどの人は楽しめないですよね。
確かにそうですね。
まず言葉を学べっていう前にその中身、つまり日本の魅力を伝える努力、そのためのコミュニケーション手段をまず用意するのが先じゃないですかって問いかけてるんです。
うーん、確かに。入り口が完全に閉ざされてたら中身を知る機会すらなくなっちゃいますもんね。
さらに重要なのが、日本語がわからないから共通語である英語でなんとかコミュニケーションを取りたいんですっていう、ある意味切実な要望をさっきのコメント、ハッシュ222みたいに。
はい、箸とフォークの。
そうそう、箸がつかれないからフォークをみたいな、そういう文化否定の要求なんだみたいに捉えちゃいけないよと。
これは文化の押し付けじゃなくて純粋にコミュニケーションの手段を求めているだけなんだと。
むしろ日本の文化をちゃんと伝えるためにも共通言語、この文脈では主に英語ですけど、それでの橋渡しが必要なんだと説いてるんですよね。
文化理解とコミュニケーションの重要性
文化を理解してもらうためのその手前の段階としてのコミュニケーション手段ということですね。
ええ、そういうことです。そして生島さんはさらに踏み込んで、自分は英語できなくても別に困ってないしとか、外国人が日本語を学ぶべきでしょうみたいなそういう内向きで現状維持的な態度。
これは将来的に日本の孤立を招きかねないちょっと危険な兆候なんじゃないかとまで指摘しています。
外国から何か指摘されたときにこう劣等感を刺激されちゃって感情的に反発してしまうっていうのは良くない文化だとかなり強く言っていますね。
なるほどなぁ。Wi-Fiの不便さっていうのももちろん大きな問題だったんですけど、生島さんが本当に本質的な課題として捉えたのは、
この英語に対するもっと言うと外部とのコミュニケーションに対する日本社会の一部に見られるその考え方自体だったということなんですね。
まさにそうだと思います。ここで興味深いのは、生島さんがこれを単なる語学力の問題として見ていない点なんですよ。
もっと根本的なその日本の国際社会への向き合い方であるとか異文化とどうコミュニケーションしていくのかっていうその姿勢の問題としてこの英語が通じない問題を捉え直した。ここが非常に重要かなと。
これはあのダイヤモンドオンラインの記事でも触れられていたおもてなしの環境整備っていう観点からもすごく大事な視点ですよね。単にスキルがあればいいってもんじゃないという。
今回は外国人観光客の英語に関する不満をめぐるいろんな声と、特にディー生島さんのブログでの考察を深く見てきました。
彼が突きつけたその革新的な部分というのは、多くの人が語学力の問題として捉えがちだった不満を、実はもっと深い日本の国際社会への向き合い方っていう意識の問題なんだと見抜いた点でしたね。
まとめると、生島さんというのはコミュニケーションの壁にぶつかった時に、一部で見られたようなちょっと内向きで防御的な反応、これに対して警鐘を鳴らしていたと言えるんじゃないでしょうか。
そして、日本の魅力をちゃんと外に伝えていくためにも、もっと白かれた姿勢で、共通言語、当時の文脈では主に英語でしたけど、それを活用していく必要性があるんだよと、かなり早い段階から指摘していたわけですね。
最後に、ちょっと皆さんに考えてみてほしいなと思うのは、生島さんがブログで述べていた、外国に対してのアウトプットとインプットができないのは危険だっていう言葉なんです。
ああ、ありましたね。
これって単に観光客対応だけの話じゃないと思うんですよね。
もっと広く、世界からいろんな情報とか、多様な視点を柔軟に取り入れて、また日本からも効果的に発信する。
その循環がもし滞ってしまったとしたら、どんなリスクがあるのか。この言葉の壁に対する私たちの意識っていうのが、今後どういうふうに影響していくのか。
少し立ち止まって考えてみるのも面白いかもしれませんね。