センスの理解
ディープダイブへようこそ。今回もご参加いただきありがとうございます。 さて今日はですね、センスについて皆さんと一緒に深く考えていきたいなと思っています。
きっかけは、共有いただいたD.IKISHIMAさんのブログ記事なんですけど、その中の一文、 生まれた時からセンスが備わっている人などいない。これが今回の出発点です。
この記事が言うには、センスって生まれつきじゃなくて、努力で獲得するスキルなんだと。 この考え方ちょっと掘り下げていきましょう。
よく聞きますよね。あの人センスいいねとか、いやーどうせ自分なんてセンスないからみたいな。 これつい口にしちゃったり聞いたりすること結構あると思うんですけど、
あなたもなんかそう感じた経験ありませんか? 実はこの記事、そのセンスがないっていうのは、もしかしたら私たちが一番使いやすい
なんていうか、あきやめの言葉の一つで、下手したら単なる怠慢の言い訳なんじゃないかと、結構強く問いかけてくるんですよね。
記事の中では、あの茨城のり子さんの詩、自分の感受性くらいの一節を引いてるんです。
パサパサに乾いてゆく心を人のせいにはするな、自ら水やりを怠っておいてっていう。 これをまさにその自分でセンスを育む努力を怠ってることへの継承として紹介してるんですね。
そうですね。この記事であの興味深いのは、センスをなんていうか、固定的な生まれ持ったものじゃなくて、非常にダイナミックなプロセス。
つまりスキルとして捉え直している点なんですよね。 具体的に挙げられているのは、まずどれだけ知識をちゃんとインプットしたか。
それからどれだけ試行錯誤を繰り返したか。 そしてその結果に対する周りの反応、つまりフィードバックですよね。
それをどう分析して次に生かしたか。 この一連の能動的な積み重ねこそがセンスを形作るんだと。
なるほど。 だから、著者はセンスでないっていう言葉は、結局そういうプロセスを怠ってきたことへの言い訳に過ぎないんだと。
かなりはっきり言ってますね。 これは。 言い訳ですか。
うーん、確かにかなり的々しい指摘ですよね。 でもそう言われるとなんかこう耳が痛いというか心当たりがあるような気もしますね。
その努力が結果として類まれなセンスにつながっていく、そういうことですか。
さらにこの記事ちょっとドキッとするような比較もしていて、センスがないっていうのは運が悪かったって嘆くのとまあ似たようなもんだと。
そうなんです。ここ結構ポイントで。
つまりですね、センスっていうものをもう自分ではどうしようもないなんか運命的なものみたいに捉えるんじゃなくて、
そうじゃなくて自分の意思とか行動でちゃんと伸ばしていける領域のものなんだと。
そういうふうにまあ考え方を変えていこうよっていう促しですよね。
あーなるほど。
自己成長の可能性
この主弾っていうのはこの記事があの続しているブログの自己成長の考え方っていうもっと大きなテーマにもちゃんとつながってくるわけです。
自己成長ですか。つまり自分でコントロールできるスキルだとそういう捉え方なんですね。
そういうことです。もしセンスが後天的にその意識的な努力とか経験からの学習によって突き上げられるものだとしたらですよ。
それは才能は一部の人だけの特権だみたいなある種の固定的な見方への挑戦とも言えると思うんです。
確かに。
実際多くの分野でトップレベルって言われる人ほどすごく地味な基礎練習とか膨大な試行錯誤の用とかを語ることありますよね。
ええ。
あれももしかしたらセンスは作られるっていう考えを裏付けてるのかもしれないですね。
誰にでもやり方次第でセンスを磨ける可能性はあるんだと。
ということはですよ。かつて自分にはこの分野のセンスはないから無理だみたいに無意識に線を引いてしまっていたことがあったとしても、
それは単に才能がなかったんじゃなくて、もしかしたらまだ十分な知識とか試行錯誤、そしてフィードバックからの学び、それが足りていなかっただけかもしれないと。
これはあなたにとってどんな意味を持つでしょうか。ちょっと考えさせられますね。
そうですね。そう考えてみると一つ大事な問いが浮かび上がってきますね。
センスが本当にその経験とかフィードバックの分析によって形作られていくものだとしたら、
じゃああなたが今ここはまだ苦手だなとか、自分にはセンスがないのかもって感じている分野でですね、
意識的にまず知識を集めてみて、で、何か新しいことを小さくてもいいから試してみて、
そしてその結果に対する正直なフィードバックですよね、それを積極的に得ることで自分のセンスを育て始めるとしたら、
まずどんなほんの小さな一歩から試してみることができるでしょうかね。
うん、なるほど。小さな一歩。今回この資産に富む記事を共有してくださって本当にありがとうございました。
非常に考えさせられる深い時間でした。