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2025-07-21 09:57

高校2年のときに空手道部を作った話

高校2年生のときにふと思い立ち、
その学校にはなかった空手道部を作った。

https://mclover.hateblo.jp/entry/20220225/1645763146

サマリー

高校2年生が自ら空手道部を立ち上げるプロセスを描いた体験談です。友人との会話から始まった活動は、部員を集め、学校の正式な承認を得るまでの苦労や達成感を語っています。また、創設した部が10年後も続いていることに感動するエピソードも含まれています。

空手道部の設立のきっかけ
こんにちは。今回はですね、高校にもともとなかった部活をですね、高校2年生のときに自分でゼロから立ち上げた、そういう方の体験談、ブログがあるんですよ。
へー、ゼロからですか。
そうなんです。高校2年のときに急に空手道部を作った話というタイトルで。
個人のちょっとした思いつきが、どうやって周りを巻き込んで形になっていったのか、そのプロセスをちょっと一緒に見ていきたいなと。
それはすごく興味深いですね。なんか日常の本当にふとしたきっかけが結構大きな行動につながって、それがいろんな人を巻き込んだり、組織に影響を与えたり。
さらにはその作った本人も知らないところで、なんか長く続いていくみたいな、そのプロセス自体が面白いですよね。
単なる思い出話っていうよりは、なんか行動が未来にどうつながっていくかの、なんていうか、蓄図みたいな感じがしますね。
なるほど。物語はですね、主人公の方が中学時代から結構格闘技に憧れてたと。
でも進学した高校にはそういう格闘技系の部活が全然なくて、まあちょっと埋もってたみたいな、そういう状況から始まるんです。
で、高2の秋ですね、友人の大道さんと本屋で話してて、空手部とかあったらなーってポロッと漏らしたのが、まあそもそものきっかけだったらしいんですよ。
あー、その一言ですか。で、その時のその大道さんの、「じゃあ自分で作ったら?」っていう、これがすごいですよね、全ての発端というか。
単にないなーって不満を言うんじゃなくて、じゃあ作ればっていう、こう視点の転換がそこでバチッと起きたわけですよね。
なんか外からの、時には結構軽い一言かもしれないけど、それが行動へのすごく強いトリガーになるっていう、いい例じゃないですかね。
いやー、本当にその一言でなんかスイッチが入ったみたいで、すぐに空手経験者の先生、桑田先生っていう体育の先生だったかな、に相談に行ったと。
行動が早いですね。
そうなんです。で、先生は結構協力的だったんですけど、もうすでに他の部の顧問をされてて、顧問は難しいけど副顧問ならいいよみたいな。
で、そこで紹介されたのが、国語の中本先生。この方が実は空手の経験者だったんです。
へー、偶然ですね。
で、その中本先生が部を作りたいんだったら、まず部員を5人以上集めてきなさいと。ここで最初の具体的なハードルが出てくるわけです。
でもここで面白いのは、先生っていう学校側の人が単にルールを言うだけじゃなくて、こうすれば可能性あるよっていう道筋をちゃんと示してくれた点ですよね。
確かに。
だから単にダメで終わらなくて、生徒の熱意をちゃんと受け止める土壌があったっていうことかなと。
そうですね。とはいえですよ、高2の9月って結構中途半端な時期じゃないですか。
まあそうですね。部活始めるには。
その時期にゼロから5人の仲間を集めるってやっぱりすごく大変だったみたいで。
うーん、でしょうね。
で、まずきっかけをくれた大道さんが、設立手伝うだけじゃなくて俺も入るよって言ってくれたと。
おお、それは心強い。
これでまず2人ですよね。
部活の設立と最初の活動
ええ。この最初の1人、特にその言い出しっぺじゃない友人がやるよって言ってくれたことの心理的な影響って多分大きいですよね。
ああ、確かに。
自分だけじゃないんだっていう感覚が多分次の一歩への勇気につながったはずですよ。
そうですね。で、そこから他の帰宅部の友人に声をかけたりとか。
あとこれ面白いんですけど、教室の黒板に勝手に空手部ニュースみたいなのを連載し始めたらしいんですよ。
ええ、黒板に?
なんか学級委員長だったらしくて、ちょっと独任されてたみたいなんですけど。
ええ、それはすごい行動力ですね。
ええ、そういう緻密な努力で村上さん、吉田さん、曽我さんって仲間が徐々に増えて、ついに5人揃ったと。
ああ、集まった。
それでいよいよ職員会議にかけることになったんです。
いやあ、高校生にとって職員会議ってなんかすごく大きな壁に見えますよね。
ですよね。
個人の熱意がその学校っていう組織の正式な承認プロセスに乗ると。
ええ、そこでちゃんと承認されて、最初は同校会として。
ああ、まずは同校会スタートなんですね。
そうなんです。問題なければ翌年部に昇格っていう条件付きで、中本先生が顧問、桑田先生が副顧問に正式になって、高2の10月、ついに活動開始です。
やりましたね。
ただ最初はもう道場もなければ道儀もない。
あらら。
体育館のなんか玄関ホールみたいなところでジャージ姿で練習してたらしいです。
うーん、手作り感満載ですね。
先生に基本を教えわりながら、あとはもう手探り状態で。
でもそのジャージ姿でやってるのが逆になんか目立ったみたいで。
ああ、なるほど。
校内放送で空手堂同校会体育館玄関で練習中ですなんてアナウンスされるのがなんかすごく嬉しかったって書いてましたね。
ああ、わかりますね、その気持ち。
ゼロから始めたことが少しずつ形になっているその実感というか。
ええ。
そういう同校会っていう名前がついたり、放送で呼ばれたりっていう小さな成功体験の積み重ねが初期のモチベーションを支えたんでしょうね。
そうだと思います。
で、活動がこう目に見える形になることで、さらに人が集まるっていう効果もあったり。
まさに、まさにその通りで、その練習風景をなんかじーっと見てた、内気な感じの1年生がいたらしくて。
活動の成果と感動
ほう。
永井さんっていう、その子が入部したいんですけどって来たんですよ。
ほう。新入部員、しかも自ら。
ええ。嬉しかったでしょうね。
で、その後ちゃんと道儀も完成して。
おお、かっこいい。
柔道部からなんか中古のサンドバッグを譲ってもらったりして、活動もだんだん本格化していくんです。
いいですね。
中学旅行ではみんなの前で演舞を披露したり、肩とかあと板割りとか。
しわりまで。
それは盛り上がったでしょうね。
ええ。すごく盛り上がったみたいです。
うーん。活動がどんどん多様化して、対外的なアピールも始まってる感じですね。
そうなんです。そして3年生の4月、ついに正式な空手道部に昇格です。
おめでとうございます。いやあ、これは大きな達成感があったでしょうね。
でしょうね。で、新入生勧誘では、今度は棒術を披露したらしいんですよ。
棒術。本格的ですね。
それが結構受けて、新入部員も男女合わせて5人くらいと。
あと同級生も1人入ってくれたみたいで。
おお、すごい。
練習場所も体育館の舞台の上にちゃんと確保できて。
よかったですね。
でもその後、初めていわゆる寸止めルールの大会に出場したんですけど、
これはもう他校にボロ負けして、すごく悔し涙を流したと。
ああ、現実の壁ですね。
ええ。
そして大学受験もあって、3年生の6月にはもう引退しちゃうんです。
あ、結構短いんですね、活動期間としては。
そうなんです。だから創設者としての経験とか自信は得たけど、
結局試合で勝つとか、商談するとかはなく、白梅のまま部を去ったということなんですね。
なるほど。演舞の成功みたいな達成感と、試合での敗北っていう現実の厳しさ、
その両方をほんと短期間でギュッと経験したわけですね。
そういうことですね。
活動期間としては、実質20ヶ月くらいですか。
短いけどでも、その後の人生には結構影響があったみたいですね。
例えば、最初の仲間大道さんが後からハイルームした女子部員の方と、
その後結婚されたっていうエピソードも書いてありましたね。
あ、そうそうそうなんですよ。
短い期間でも得たものとか、その後の繋がりとかはすごく大きかったと。
で、さらにもっと驚く口実談があって。
ほう、何でしょう。
卒業してから10年後ぐらいに、たまたま母校の近くに行く用事があって、
フラッと立ち寄ってみたと。
はい。
で、職員室で、当時の先生はもういないだろうなと思いつつ、
あのー、空手道部ってまだありますかって聞いてみたら、
ええ。
はい、ありますけど、って普通に返事が返ってきたそうなんです。
うわー、それは。
自分たちが作った部が10年経ってもちゃんと続いてたっていう。
いやー、それは創設者としてはもう明理につきますよね。
すごい感動があったでしょうね。
ええ、もうその場で涙が止まらなかったって書いてました。
わかります。
だって自分たちの行動が、自分たちがもう関わらなくなった後も、
予想もしなかった形で後輩たちに受け継がれて、
ちゃんと文化として続いていたっていう。
うん。
始めた時には多分そんな未来は想像もしてなかったでしょうからね。
行動の価値ってなんか短期的な成果だけじゃ全然測れないんだなっていう、
そういうことですよね。
本当にそうですね。
当時の行動が無駄じゃなかったんだって心から実感できた瞬間だったんでしょうね。
ええ。
さて、この話すごく詩作に富んでいると思うんですが、
これを聞いているあなたにもちょっと考えてみてほしいことがあるんです。
はい。
あなたの心の中に今、
できたらいいなとか、あったらいいなって思っている、
まだすごく小さなアイディアとか、
やってみたいことの種みたいなものって何かありませんか?
うーん。
もし、それをほんのちょっと勇気を出して、
一歩踏み出して育ててみたら、
数年後、あるいはこの話みたいに10年後に、
どんな予想もしない花を咲かせている可能性があるか、
そんなことをちょっと考えてみるのも面白いんじゃないでしょうか。
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