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さて、今回はですね、あなたが提供してくれたある個人のブログ記事をもとに、日本のビデオゲーム史約40年分を一気に駆け抜けたいと思います。
はい。
1977年から2017年まで。いやー、本当に激動の時代ですよね。
これは非常に興味深い資料ですね。1977年生まれの記者の方のその個人的な視点を通して、技術の進化とか文化の変化、それから個人の体験というのが色濃く反映されていて、単なる年表じゃなくて、まさに生きた歴史という感じがします。
いや、本当にそうですね。では早速、このゲームと共に歩んだ個人的クロニクル、一緒に深く掘り下げていきましょうか。
はい、お願いします。
まずは、黎明期。1977年から86年あたりですね。あたりのゲーム機ありましたね。
ええ、ありました。
ただ、ちょっと低品質なソフトがたくさん出ちゃったりして、あたりショックで失速しちゃうんですよね。
そうですね。日本ではその頃、任天堂のゲーム&ウォッチが携帯ゲームの先駆けとして流行しました。
ああ、流行しましたね。
ええ、この頃ってまだゲームの社会的地位も確立されてなかった。
確かに。
だから大人でも通勤中にこっそり遊べるようにみたいな、そんな話もあったようです。
筆者の方もおばあちゃんにグリーンハウスを買ってもらったってエピソードを書いてますね。
いい話ですね。そして1983年、ファミコン道場。
いやー、来ましたね。
これは衝撃でした。
ただやっぱり高価で筆者の方は友達の家で遊んでたと。カセットに息をふーって、あれやりましたよね?
やりました、やりました。みんなやってましたよね、あれ。
なんか聞く気がするんですよね。
そうそう、テレビへの接続も今みたいにポンとはいかなくて。
ああ、そうでした。
RFスイッチっていう部品が必要で、アンテナ線につないで、まさにファミリーの協力、お父さんの出番みたいな感じだったかもしれないです。
1985年のスーパーマリオブラザーズ。これがまたすごかった。
ええ。
この体験で筆者はゲーム制作の道を志したと。小学3年生ですよ。すごいですよね。
よっぽどの衝撃だったんでしょうね、それは。
続く1986年から94年。ここはもう進化と競争の時代に入っていきますね。RPGの金字塔、ドラゴンクエスト。
ドラクエ。
はい。当時はまだセーブ機能が一般的じゃなくて、復活の呪文。
うわあ、出た。あの長い呪文。
そうです、そうです。あれを書き写す必要があったんですよね。
間違えた時の絶望感半端なかったですよね。
わかります。技術的な制約が生んだある種のコミュニケーションツールでもあったのかな、なんて思いますけど。
確かにそうかも。
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その後、バッテリーバックアップでセーブは楽になりましたけど、今度はデータが消えるっていう新たな悲劇もね。
あったあった。悲鳴上げましたよ、何度か。
この頃、セガのメガドライブ、それからNECのPCエンジンが登場して本格的な競争時代に入ります。
特にPCエンジンのCDロムロム、ゲームから肉声が出た時の驚き、これは筆者も強調してますね。
あれはびっくりしましたね。
携帯機ではゲームボーイが登場して、筆者の方は魔界通しサガでRPGデビューしたそうです。
なるほど。
そしてマインを持ってスーパーファミコン登場。筆者はF-ZEROのあのスピード感に未来を感じたと。
F-ZERO、ありましたね。
ゲームセンターではもうストリートファイター2が社会現象レベルでした。
ストリート2、やりましたね。
ええ。
そして3Dグラフィックのバーチャファイターが登場して、これが次の時代の幕開けを感じさせたわけですね。
そして1994年から2005年、次世代機先造が勃発します。
セガサターンとプレイステーションの登場。
はい、来ましたね。
筆者の方はバーチャファイターやりたさにおばあちゃんにお小遣いをもらって、自転車で25キロ走ってサターンを買いに行ったって。
いや、すごい熱意。
すごいですね。
当初なんかデザインとかでプレイステはちょっとん?って思われてた節もありましたけど、
リッチレーサーとか鉄拳とかキラーソフトで一気に流れが変わりましたよね。
変わりましたね。
コントローラーも進化して、アナログスティックと振動機能が付いたデュアルショック。
これで今の基本形ができた感じですよね。
ええ、まさに。
この頃筆者の方はゲームの専門学校に進んで、遊ぶより作る方が面白いと感じ始めたそうです。
おお、作り手側に。
インターネットも普及し始めてウェブサイトを開設したり、後に趣味で作ったフリーソフトがコンテストで優勝したりして作り手としての道を歩み始めたんですね。
なるほど。
一方で市場では色々なハードが出ては消えていきました。
任天堂64もありましたけど、やっぱりCD-ROMを採用したプレステサターンの勢いがすごかった。
そうでしたね。
そしてDVD再生機能も搭載したプレイステーション2。
これは久米のヒットになりました。
なりましたね。
で、マイクロソフトもXBOXで参入。
筆者の方はヘイローをやるために買ったと書いてますね。
ああ、ヘイロー。
さて、2005年から2017年。
オンライン、HD化、そして多様化の時代ですね。
XBOX360が登場します。
高画質、オンライン対戦、ダウンロードコンテンツ。
これがもう当たり前になっていく。
特筆すべきは実績システムですよね。
ゲーム内の目標達成度がスコアになるやつ。
はいはい。
一時はゲーマースコアが日本ランキング14位になったって。
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14位?
それはすごい。
日本未発売のゲームまで海外から取り寄せたとか?
熱中ぶりがすごい。
ええ。
で、PS3も登場して、高性能機動士の競争が激化します。
一方で任天堂はちょっと違う路線を行くんですよね。
スペック競争から離れて。
はい。Wiiですね。体感操作。
ええ。これが大成功。
家族で楽しみましたね。Wiiスポーツとか。
携帯機では任天堂DSがタッチ操作とかノートレとかで
幅広い層に受け入れられてこれも大ヒットしました。
DSすごかったですね。
PSPも頑張りましたけど、世界的に見るとDSには及ばなかった。
後継機の3DSとかPS Vitaは今度はスマホゲームの対等もあってちょっと苦戦しましたよね。
そうですね。
末置きではWii Uがちょっと苦戦しましたけど、でもスプラトゥーンという今や大きなIPを生み出しました。
スプラトゥーン?
ええ。
そして結果的にはPS4がこの世代の末置き機の覇権を握る形になりました。
そして最後に2017年、任天堂スイッチが登場。
末置きと携帯機のハイブリッドっていうコンセプト。
これが見事に受け入れられて再び任天堂が史上をリードする存在になったと。
いやー見事な復活劇でしたね。
やはや本当に駆け足でしたけど、技術の進化、メーカーの栄光彗星、
そして一人のゲームファンの熱い思いが凝縮された40年でしたね。
本当に。
カートリッジからディスクで、2Dから3Dへ、オフラインからオンラインへ、
そして末置きと携帯の垣根を越えて、
なんか絶えず変化して互いに影響し合いながら今の豊かなゲーム文化ができてきたんだなっていうのが、
筆者の個人的な体験を通して非常によく分かりました。
筆者の方は、「すべてのゲームは繋がっている。」と総結んでいますね。
この40年の進化を踏まえて、ゲームはこれから私たちにどんな未来を、どんな驚きを見せてくれるんでしょうか?
うん、楽しみですね。
あなたがこれまでのゲーム人生で最も心を揺さぶられた瞬間っていつでしたか?
ちょっとふと思い返してみるのも面白いかもしれませんね。