奨学金の現状と問題点
こんにちは。今回はですね、共有してもらったブログ記事がありまして、それを基に日本の奨学金、この問題についてちょっと深く考えていきたいと思います。
大学の学費のための奨学金、これの返済に苦しむ人がいるっていう話は、まあよく聞きますよね。
で、この記事、日本学生支援機構のデータを分析してるんですが、返済が滞っている人と、まあそうでない人の間に、ちょっと見過ごせない違いがあるぞと指摘してるんですね。
早速ですが、この問題を紐解いていきましょうか。まず基本情報として、奨学金を今返済中の人、約380万人いるそうなんですが、そのうち3ヶ月以上延滞してる人は、約4%。数にして16万人余りだそうです。
はい。4%というと、まあだいたそうではないですけど、それでも16万人というのは決して無視できる数ではないですね。
で、ここで興味深いのが、申し込みの手続に本人がどれだけ関わったかという点なんです。記事によるとですね、延滞していない人、この方々の78%は申請書類を自分で書いたか、あるいは親御さんと一緒に書いている。
ああ、78%。
ところが延滞している人、こちらで本人が関与した、つまり自分が書いたとか一緒に書いたっていう割合は、わずか52%にとどまるそうなんです。
52%ですか。ということは延滞している人の半分近くは本人が手続に関わってない、あるいは誰が書いたかすらよく分かっていない可能性があると。そういうことですね。
そういうことになりますね。これはちょっと驚きの数字というか、かなり大きな差ですよね。
本人がその契約内容、つまり奨学金がどういうものかっていうのをしっかり理解しているのかどうかという点に疑問符がつく状況かなと。
そしてですね、さらにちょっと衝撃的なデータがありまして、延滞している人の中で申込手続が終わるまでに、奨学金が返済しなければならない借金なんだということを認識していた割合、これがたった64%だそうなんです。
64%。低いですね。
低いですよね。さらに驚くのが、11%の人、なんと延滞の特則を受けて、それで初めて、あ、これ借金だったんだと気づいたというんです。
11%もですか。それはかなり深刻な話ですね。
ええ。ちなみに延滞していない人は、94%が申込の時まではちゃんと認識していたということなので。
なるほど。94%対64%。それに加えて11%は全く知らなかったと。その差はもう力善としてますね。
まさに。だから問題は、単にこう、返済計画が甘かったとか、そういうことだけじゃないんだなというのが見えてきますよね。
ええ、そうなんです。契約のもっと前の段階ですね。本人が自分は今借金をしているんだというその認識自体を持てていない可能性が示唆されているわけです。
記事でも指摘されているように、本人がよく知らないうちに、例えば親御さんなどが手続きを進めてしまっている、そういうケースが背景にあるのかもしれませんね。
認識を持たない学生の背景
うーん。なぜそんな状況が生まれてしまうんでしょうか。記事ではいくつかの要因を挙げてますよね。
まず、笠川、気候だとですね、ここには借金だということを強く言ってしまうと借りる人が減るんじゃないかという、そういう懸念から積極的に説明する動機がちょっと薄いんじゃないかと。
ああ、なるほど。確かに利用者が減ることを恐れぬ、まあそういう側面はありそうですよね。手続きをスムーズに進めたいというのもあるでしょうし。
それに加えて、高校の進路指導、ここも奨学金を借りにくくするような説明というのは、結果的に大学進学歴に影響が出かねないから、あんまり強く言い出しにくい立場にあるんじゃないかと。
はいはい、学校側もまあ難しい立場にあるわけですね。
そしてそもそも論として、本人の関与なしに書類を作っちゃうような親御さんが、その借金のリスクについて子供にちゃんと説明するだろうか、まあそれは考えにくいですよね、という指摘もありますね。
ええ、そこも大きいでしょうね。まさに記事が言うところの発泡ふさがりのような状態ですよね。
家康側、学校、そして家庭とそれぞれの要因が絡み合ってしまっている。
そこで提案されている解決策としては、まあ国が介入して説明の内容をきちんとルール化するとか、あるいはそもそも返済義務のあるものに奨学金っていうこの名称自体がちょっと誤解を見やすいんじゃないかと。
ああ確かに、奨学ってつくとなんかもらえるものを給付型みたいなイメージありますもんね。
そうなんです。なのでこの名称の使用を禁止してはどうかという提案もされていますね。
なるほど、奨学金という言葉のイメージももしかしたらこの問題の一因になっているのかもしれないと。
いやー今回の掘り下げでその奨学金問題の一つの側面として、借りる本人、つまり学生本人がですね、自分が借金をしてるんだっていうことを十分認識しないまま契約に至ってしまっているケースがどうも少なくないらしいと。
でその背景にはやっぱり手続きへの関与が低いということがあるのかもしれない。そういう可能性が見えてきましたね。
そこでですね最後に一つあなたが考えてみてほしい問いがあるんです。
もしその高等教育、大学とか専門学校とかそういうのを受けるための第一歩がですね、本人の明確な認識とか同意に基づかないかもしれない。
まああるじの借金から始まっているとしたら、その経験自体が教育そのものに対する価値観であるとか、あるいはその人の将来への見通しに一体どんな影響を与え得るんでしょうかね。
これはあの記事に直接書かれているわけではないんですけれども、少し派生して深く考えてみる価値のある点ではないかなと思いますね。