車道側を歩く理由
さて、今回は、「プチメタ3.0」というブログから、一つ興味深い記事を取り上げます。
男性が車道側を歩くべき理由がわからない。
2024年10月26日の記事ですね。
ああ、これありましたね。
男女で歩くときに、男性が車道側っていう。
そうそう、その慣習です。
あなたもこれ考えたことありますか?
なんでなんだろうって。
まあ、言われてみれば当たり前のようにやってたかもしれないですけど、理由は…。
ですよね。この記事は、まさにその当たり前に真っ向からわからないと疑問を投げかけてるんです。
なるほど。
ちょっと一緒にこの記事の主張を見ていきませんか?
なんでそう言われるのか、その背景を探るという感じで。
ぜひ。面白そうですね。
まず、筆者はですね、この男性が車道側ルール。
これについてもう理由が全然わからないと、かなりストレートに言ってます。
誰か合理的な理由を教えてほしいとまで書いてるんですね。
ふむふむ。ここで筆者が具体的な例を挙げて反論しているのが結構ポイントかなと思いますね。
具体的な例というと?
例えば、もし車が歩道に乗り上げてきたらっていう状況。
ああ、はいはい。
その場合、結局車道側に言いようがいまいが、どっちにしろ大怪我するんじゃないかと。
確かに。そうなったらもう立ち位置関係ないですよね。
そういうことですよね。
だから立ち位置でリスクが軽減されるっていうのは本当なのかなっていう問いかけです。
歩道がないような道、路側帯とかでも、車がそんな器用に一人分だけを引くなんてことある?とも言ってますね。
ええ。よっぽど意図的じゃない限り、そんなピンポイントな事故って考えにくいですよね。
うん、そうですね。普通はもっと広範囲に影響が出るというか。
そうなんです。
だからどっちかが安全みたいな想定自体が、ちょっと楽観的すぎるんじゃないかと。
うん、なるほど。
それに加えて、すごく基本的なこととして、男だって車に引かれるのは嫌でしょって言ってるんです。
いや、それはそうですよ。当たり前ですよね。
ええ。でもその当たり前の感情が、監修の前では見過ごされがちなんじゃないかっていう指摘ですね。
なんで男性だけがリスクを当然のようにって感じますよね。
その前提への疑問が、多分この記事の根っこにあるんだと思います。
安全に対する配慮
で、筆者の論調をさらに結構踏み込んでて、もし万が一彼氏が車道側で引かれて、それで彼女が助かったとして、
ああ、車道側にいてくれてよかったなんて感謝する女性がいたら、それはちょっとサイコパスじゃないかって。
おお、かなり強い言葉ですね、それは。
ええ、かなり。
でも言いたいことは多分、相手の犠牲を前提にする感覚はおかしいだろうということなのかなと。
そうでしょうね、自分が助かるために相手のリスクを当然視するっていうのはどうなんだっていう強い違和感の表面なんだと思います。
だから問題はどちらか一方がリスクを追うっていう、そういう話じゃなくて。
じゃなくて。
そもそも男女どっちもまずはお互いが車に引かれないように最大限注意し合うべきでしょうと。
ああ、なるほど、そっちが本筋だろうと。
ええ、安全に対する責任は本来両方にあるはずだっていうのが筆者の主張の核なんですね。
そうか、そうなってくるといわゆる頼りになる男性のイメージもちょっと変わってきますよね。
まさに、記事の中でもいつも何も考えずにただルーだからって車道側を歩く彼氏っていうのは一見優しさに見えるかもしれないけどそれって本当にそうかなと。
もしかしたらリスク回避とか想像力が足りないだけかもしれないって指摘してるんです。
うーん、厳しい見方だけど一理あるかもしれないですね。
ええ、むしろ本当に頼りになるのはちゃんと周りの状況を見て危なくないように気を配れる彼氏だと。
ああ、マニュアル通りじゃなくてその場の状況判断ができる人。
そうですそうです。その場の状況判断能力こそが本当にパートナーを守ることにつながるんだっていうのが結論ですね。
なるほどな。ということはこの記事って単に車道側を歩くっていう行動の是非だけじゃなくて、もっと深い男女の間の配慮とかパートナーシップってどうあるべきかみたいな問いかけにもなってるんですね。
そういうふうに読めますね。形だけのルールに従うんじゃなくて、実質的な安全とかお互いを思いやることってどういうことなんだろうって。
だから監修だからで思考停止しないで、その都度一番いい方法を考える、その大切さを訴えてるんじゃないでしょうか。
いやー深いですね。さてこうやって掘り下げてみるといろいろ考えさせられますが、最後にですね、これを聞いているあなたにもちょっと考えてみてほしい問いがあるんです。
はい。
今回みたいに、日常の小さな監修ですよね。こういうところに住んでいる男女の役割分担みたいな考え方、これってもしかしたら私たちの他の行動とか、もっと大きなレベルの判断とかに無意識のうちにどんな影響を与えているんでしょうかね。