学びの効率と教え合いの問題
はい、これ結構前の記事ですけど、今読んでも、なんかこうドキッとさせられますよね。
そうですね。学習方法、特にまあ誰に助けを求めるかっていう点について、かなりこう踏み込んだ意見を提示してますね。
うーん。
今回はこの記事の核心にある主張とその理由をちょっと紐解いていって、それがあなたの学び方にどういう示唆を与えてくれるのかっていうのを見ていきたいなと思ってます。
なるほど。まず、この記事が問題にしている状況ですけど、学校みたいな場所だと勉強が遅れている学生同士でグループができるという観察から始まってますね。
ええ。
なんとなくこう、心当たりがあるような気もしなくもないですけど。
そうですね。まあありがちな光景かもしれないですね。で、そこでのその核心的な主張がですね、わからない者同士で教え合うのは本当に時間の無駄だっていう。
うわ、ストレートですね。
非常にストレートな物言いです。仲良くすること自体は否定してないんですけど、ことわからないを解消する、つまり問題を解決するっていうその目的においては意味がないと。
問題を解決したいなら、それを解決する能力を持った人に頼らないと意味がないとはっきり言ってますね。
かなり手厳しいというか、時間の無駄とまで言い切る根拠って何なんでしょうか。
なんか友達同士でここどうやるんだろうとかって一緒に悩む時間も、それはそれでまあ意味があるような気もするんですが。
ええ、確かに。その共感し合ったりとか一緒に頑張るプロセス自体に価値を見出す、そういう考え方もありますよね。
はい。
ただ、著者が強調しているのはあくまでもその学習効率と正確な理解っていう側面なんですね。
ああ、効率と正確さ。
そうです。理由が大きく二つ挙げられています。
まず、教える側、つまり教えてもらう方から見ると、習得が怪しい人から教えても理解できるはずがないと。
まあ、それはそうかも。
ええ。つまり、教える人の理解が不確かだったら、間違った情報とか曖昧な説明で、かえって混乱しちゃうリスクがあると。そういうことですね。
なるほど、なるほど。教える側が混乱するというのはまあ想像がつきますね。もう一つの理由は?
もう一つはですね、これちょっと意外かもしれないんですけど、教える側にとってもデメリットがあるという指摘なんです。
へえ。教える側にもですか?普通、人に教えることで自分の理解が深まるって言いますよね?
言いますね。
あれとは違うんですかね?
ええ。そこがポイントで、教えることで深まるっていうのは、多くの場合、自分がすでにしっかり理解している内容を再構成したり、別の角度から説明しようとしたりする。そういうプロセスで起こることだと思うんですね。
はいはい。
で、著者が指摘しているのは、多分その自分自身も理解が曖昧なまま、なんか教えてしまうっていうケース。
ああ、なるほど。
ええ。その場合、不確かな知識を繰り返し口にすることで、なんか変に定着しちゃったりとか。
ああ、ありますね、そういうの。
あるいは、その人に説明するために時間を費やすことで、自分が本来やるべき学習とか、正しい理解を得るための時間がこう奪われてしまうと。そういう理屈ですね。
教える側も、人に教えている間にますます遅れていくと書いてます。
確かに、自分もよく分かってないのに、友達にこうじゃないかな、いやこっちかも、なんてこうだこうだ言ってるうちに、あっという間に時間が過ぎてた、みたいな経験あるかもしれないですね。
ええ、多分そういう状況を指して、時間の無駄と表現してるんでしょうね。結局、教える側にとっても、教える側にとっても、本来の目的である分かるようになることからむしろ遠ざかってしまうんじゃないかと。
専門家に相談する重要性
うーん、なるほどな。じゃあ、著者はどうすればいいと提案してるんですか?
解決策はですね、驚くほどシンプルです。
勉強が分からないなら、分かっている人に相談する。
それだけ。
これだけです。さらに、当たり前だとまで付け加えてるんですね。
はあ、すごい。
非常に明確で、効率性を重視したスタンスと言えますね。
まさに直球ですね。ある意味、せいぜいしいほどですけど、この考え方、あなたはどう感じますか?
特に知識を早く、正確に身につけたいと考えているあなたにとっては、一つの真実をついているのかもしれないですね。
そう思います。特に学習の初期段階とか、あるいは基本的な知識とかスキルを確実にマスターしたいという場面では、
このまず専門家や理解者に聞くっていうアプローチが一見遠回りに見えても、実は一番の近道になる可能性っていうのは結構高いでしょうね。
もちろん学習にはいろいろなスタイルがありますけど、この記事はその中でも正確さと速さを求めるならこの方法がベストなんだと強く主張しているわけです。
というわけで、今回はD.I.KUSHIMAさんのブログ記事から、
分からない者同士で教え合うのは非効率、分かる人に聞くのが最善というはっきりとした主張とその理由を見てきました。
効率を最優先するならば非常に説得力のある考え方だなと感じましたね。
そうですね。ただ最後にですね、一つちょっと思考を深めるような問いを投げかけてみたいなと思うんです。
お願いします。
この分かっている人に聞くべきという効率最優先の考え方、これって特として学習における試行錯誤のプロセスそのものとか。
自分でいろいろやってみるみたいな。
そうですそうです。あるいはその仲間とこうでもないこうでもないって議論する中で偶然生まれる発見みたいなものってありますよね。
ありますね。
そういうなんていうか回り道だからこそ得られる価値っていうのをいくらか見過ごしてしまう、そういうことはないでしょうか。
効率性とその探求のプロセスから得られる学びの豊かさ、このバランスについてあなた自身の経験を踏まえてどう考えますか。
ありがとうございました。