創作活動の面倒さと情熱
えー、そうですね。かなり断定的なものですよね。
ただ、筆者にはちゃんとした根拠があるみたいなんです。
根拠ですか?
はい。それは、そもそも創作活動っていうのは、本質的に面倒な作業の連続なんだっていう認識ですね。
例えば、何度も作り直したりとか、試行錯誤したり、あとは周りの人のフィードバックで修正したりとか、それがもう当たり前の世界なんだと。
なるほど、なるほど。つまり、その面倒くささを乗り越えられるだけの、なんかもっと強い動機がないと、そもそも続かないよっていうことですかね。
おっしゃる通りです。
記事の中では、その動機っていうのが、例えば人を楽しませたいとか、自分のアイデアを形にしたいみたいな、そういう情熱なんだって強調されてますね。
そうなんです。で、ここからがこの記事の核心部分なんですけど、問題なのは、面倒くさいって感じること自体じゃないんですね。
あ、自体じゃない。
その感情が、例えば作品を生み出す喜びとか、誰かに評価される達成感とか、そういうポジティブな推進力よりも、その面倒くさいが大きくなっちゃう瞬間、それが問題なんだと指摘してるんです。
うわー、その状態を筆者はクリエイターとして死んでいるとまで言ってますよね。かなり強烈な言葉ですけど。
つまり、その創作活動の根本的なエネルギーみたいなものが、枯渇しちゃってる状態を指してるということですか。
そうですね。そういうふうに解釈できると思います。
単なる一時的なスランプとか疲れとかじゃなくて、もう創作への意欲そのものが失われちゃってるんじゃないかと。
これはある意味で、自分の情熱のバロメーターとして、この面倒くさいっていう感情を見てるのかもしれないですね。
なるほど。では、逆に筆者が考えるその生きているクリエイター、理想の姿っていうのはどういうものなんでしょうか。
クリエイターの危機
それはですね、アイデアが浮かんだら、もう作らずにはいられないっていう、なんかこう衝動に突き動かされてる状態だそうですよ。
衝動ですか。
ある種の脅迫観念に近いような、内側から湧き上がってくるエネルギーに突き動かされる感覚。
特にこの記事が載ってるブログのカテゴリー、プログラミングとかゲーム開発とか言いますけど、そういうトライアンドエラーが必須の分野では、この感覚が特に大事だと筆者は考えてるのかもしれないですね。
作らずにはいられない衝動か。あなた自身の経験とか振り返ってみて、何かを生み出す時って、そういう抑えきれない気持ちが原動力になる習慣ってやっぱりありますか。
そうですね。この考え方ってもしかしたら、あらゆる創造的な活動に通じる部分があるかもしれないですね。
アートとか執筆、研究、ビジネスの立ち上げなんかもそうかな。分野を問わず、その面倒くささを凌駕するほどのやりたいっていう気持ち、その重要性を示唆しているように思います。
確かにそうかもしれませんね。まとめると、この記事が警鐘を鳴らしているのって、面倒くさいって感情そのものじゃなくて、それが創作への情熱とか喜びを上回っちゃったとき、そのバランスが崩れたときこそが、クリエイターとしての危機的な状況なんだよと、そういうことですね。
ええ、そういうことだと思います。最後にですね、あなた自身にちょっと問いかけてみてほしいことがあるんです。今回の話はクリエイター論でしたけど、これをあなたの普段の仕事とか学習とか、あるいは趣味みたいな他の挑戦的な活動に当てはめてみるとどうでしょうか。
そこに潜んでいる面倒くささを感じたとき、それってもう活動から手を引くべきサインだと思いますか。それともやっぱりそのうちなる情熱で乗り越えるべきハードルなんでしょうか。あなたにとってのその面倒くさいの境界線って一体どこにあるんでしょうね。