国語教育の重要性
デジタル時代の国語教育を語ろうにようこそ、パーソナリティーのKasaharaです。
この番組では、Google for Education認定トレーナーとコーチの資格を持つ、私Kasaharaが教育にまつわる様々な話を配信していきます。
今回でこのポッドキャスターの配信は80回目の配信となります。
あっという間にここまで来ましたね。
あと20回で100回を迎えられるというのは、なかなか実感がないです。
まああと20回と言っても、つまり20週あるってことですから、まだちょっと距離はあるかなっていう感じはします。
でもこの放送が配信されるのは2月2日の月曜日なんですが、1年が始まってすでに12分の1が終わっているわけで、
本当時間の経つのって早いですよね。
あっという間に1年が過ぎていく、そんな気がします。
そんな調子で話していったら、あっという間に100回記念も迎えられそうだなーなんてことを思っています。
さて、先週の土曜日に自分は大正大学のイベントで登壇して、生成AIについてのお話を中心に国語の話をさせていただきました。
そこで感じたのは、やはり生成AIへの関心はとても先生方高いなということです。
生成AIの授業への活用
多くの先生方が授業作りに対して悩みを持っていらっしゃるんだなというのもよくわかりました。
ただ、質疑応答で出てきた質問を聞いていると、やっぱり根本的には生成AIを使って何をするかという以前に、
国語の授業として何を見立ててどういう力をつけたいのか、そして授業でどのようなことを実現したいのか、
そこが先に来るんだなということを改めて考えたんですね。
今回は80回目の記念配信ということもありますので、改めて国語の授業について、
国語の授業力を磨くってどういうことなのかということを考えてみたいと思います。
さて、ここからが本題です。
土曜日のイベントで強く感じたのは、やはり多くの先生方が生成AIを授業で使いたいというところからスタートしがちだなということです。
これ自体は意欲があって素晴らしいことだなっていうふうに思うんですけど、
でもちょっと待って、一旦落ち着こう、冷静に話ししようという気持ちにもなるわけです。
以前にボイシーでも授業の生成AIの期待値コントロールというようなテーマでお話をしたことはありますが、
いきなり授業で高度な活用をしようとすると、やっぱりうまくいかないこと、期待外れになっちゃうこと多いんですよね。
あとはリスクの見積もりが、結構最近周囲の様子を見ていると緩いなという危機感を自分の中としては持っていて、
自分としては活用にブレーキをかけて邪魔したいわけではないんですが、
ブレーキを自分の中に持たないままで突っ込むのは結構危ないかなって思ってるんです。
だから自分がいつも提案しているのは、まずは期待値下げてから始めてみましょうということです。
ちゃんと利用規約を確認した上で、どこまでがセーフなのかを調べながら、まずは授業じゃなくて、まず公務で使ってみる。
慣れてきたら、例えば自分の授業の録音をAIに投げてみて授業のまとめを作ってみたり、
職員会議の議事録をまとめてみたり、音声入力でお知らせの原文を作ってみたりだとか、
そういうところでAIってどういう期待値で接すればいいかみたいな判断をためておくのが大切になるんだろうなというふうに思っています。
子どもたちと一緒に使うならば、授業で成果を出すことを狙うよりも、
まずはロングホームルームや学級活動の時間で生徒と一緒に試してみるっていうことが大切だと思いますよ。
これももうポッドキャストだとかボイスでも繰り返しお伝えしていることですし、
登壇だとかの機会でも必ず自分はこういう話からしてますね。
もちろん、本当は4月からの年間教育計画みたいなところで、
ちゃんと例えば4月の授業が始まるまでのオリエンテーション期間みたいなところで、
生徒と生成AIをリスクの低い場面で出会わせて使ってもらってみるみたいなことを計画しておくというのがいいのかもしれないですね。
ちょうど今、3学期2月に入って、そろそろ4月からの予定を考え始めている時期だと思うので、
来年度に向けてはそういうような計画を持っておくのもいいかもしれないですね。
少し話は変わりますが、
企業でAIを導入する詐欺、AIを使えと言って強制するような進め方をすると、
かえってうまくいかないという話を色々なところで耳にします。
職人室の様子を見ていても、
AI入りましたから使ってくださいみたいな言い方しても活用って進まないですよね。
まあ同じ話かなって思います。
むしろ一般企業でも社員に対してAIの使用を強いるような指示の出し方をすると、
かえって仕事の生産性が下がってしまうということもあるみたいですね。
そのため、AIを導入する時には単なる道具として提示して使えという命令を出すというよりは、
日々の業務のワークフローの中に自然とAIからの反応が組み込まれるような、
そういうような設計をしていく、環境を作るという言い方がいいんですかね。
そういうような設計を目指すのが望ましいと言われているそうです。
授業についても同じようなことが言えるような気がしています。
子供にAIを使うために使えっていうような、そういうような指示の出し方をして授業で使っていても、
多分色々とボロが出てくるような気がしますね。
じゃあ、国語の授業で生成AIをどう使うかという話なんですが、
結局のところ、まずは国語の授業者の授業力を磨いた方が、
結果的には生成AIの授業活用というのも進むんじゃないかな。
うまく使えるようになる近道になるんじゃないかなって思っています。
なぜかというと、国語の授業力って突き詰めていくと、
自分は子供たちの言語生活を見取る力だと思っているからです。
子供たちが普段どのようなことに関心を持っているのかということや、
どのような言語環境で生活しているのかとか、
どのような言葉の使い方をしているのかとか、
そういうことを授業者がちゃんと見取って、
言語能力の育成
それが国語の授業作りの基本だなっていうふうに思うんです。
そういう見取るという癖がついてくると、
自然とここの場面で生成AIを登場させたら
面白いんじゃないかなっていうアイデアが出てくるんですよね。
自分の場合はまさにそうです。
例えば今の高校生たちって、
SNS、特にLINEやインスタグラムのDMで
日常的にテキストメッセージでやり取りしていますよね。
短い文章でポンポンコミュニケーションを取っていて、
逆に言うと長い文章を書く機会というのは減っているわけです。
一方でネットで何かを調べるときは、
検索結果をさっと眺めて、
自分の欲しい情報を拾い読みするような
そういう訓練はされているんですね。
そういう言語生活を売っている子どもたちに、
じゃあいきなり2000字のレポートをまとめなさいと言っても、
まあ途方にくれちゃうわけです。
そこでじゃあまずは自分の考えをLINEで送るようなメッセージでいいから、
どんどんメモを書き出してごらんみたいなことからやってみて、
そうやってたくさん出てきたメッセージをAIに投げかけてみて、
じゃあ分類してもらったり、グループ分けしてもらったり、
他の観点ないか出してもらったりしてごらんみたいな使い方をしてもらって、
フィードバックの場を作ってみるみたいな考え方をするんですよ。
そういうような考え方をしていくと、
これって別に生成AIを使うことを前提として授業を考えたわけじゃないですよね。
子どもたちが短い言葉でやり取りする環境にいるから、
まずは自分の考えを普段の言葉使いでたくさん出させてあげて、
その上で自分の考えをAIを使って構造化して伝えるような練習ができたらいいんだろうなという見取りがあって、
だからそこに生成AIにご登場願ったっていう、そういうような考え方なんです。
こういうようないろいろな授業のアイデアを考えるためには、
やっぱりいろいろな先行研究を知っておくことが大切かなというふうに思いますし、
こういう実践アプローチがあるよねっていうことを自分の手札として持っておくことが大事だなというふうに思ってます。
個人的には、日本国語教育学会の出しているシリーズ国語授業作りだとかを、
今だからこそ読み直すことってすごい価値のあることなんじゃないかなってことを思ってます。
国語科教育って本当に先人たちの蓄積がいっぱいあるんです。
というか、今でもリアルタイムでいい実践作り出している先生方、全国にいっぱいいますからね。
夏の日本国語教育学会の全国大会だと、もう相当の数の実践発表があるわけじゃないですか。
なので、我々が何か授業を作りたいなと思ったら、ヒントを得られる環境っていっぱいあるんですよ。
だから、言語活動をどう設計するか、例えば読むことの授業をどう組み立てるか、書くことの指導でどういうステップを踏むかみたいな、
そういう引き出しっていくらでも勉強するチャンスあるなっていうふうに思ってます。
自分一人で迷う必要ってないんじゃない?って思ってます。
だから、新しい生成AIのようなテクノロジーが出てきた時でも、
あ、これはあの実践と組み合わせられそうだなと発想できるようになると、面白いじゃないですか。
大村浜の実践だとか、もうとてもじゃないですけど、人間技じゃないですよ。
でも、もしかしたらAIの力を借りて、例えば生徒の作品分類するのを手伝ってもらったりしたら、
大村浜と同じようなことできるかもしれないみたいなことを自分は考えたことあるんですよ。
だから、生成AIの使い方を勉強するのと同時に、まずは国語の授業そのものの勉強をしてみてもいいんじゃないかなと思います。
決して国語の先人たちの実践事例を読んでいく、授業記録を読んでいくということは無駄遣いにもならないですし、遠回りにもならないというのが自分の意見です。
そうすれば、生成AIもあくまで原告材の一つとして、自然に授業に組み込めるようになるんじゃないかななんてことを思っています。
ある意味で、国語教育がずっと置かれてきた立場と、生成AIを国語で使ってくれって話は似てるかなっていう気もするんです。
例えば共通テストになって、国語力がないとこの共通テストの教科の問題文が読めないとか、読解力がないから数学の文章題が解けないとか、
理解や社会でもこんなの国語の問題だよみたいな風に、あたかも点数取れないのが、国語でちゃんと国語力つけないからだみたいな言われ方がよくされてるんですね、最近。
そんな感じのことは土曜日の大正大学のイベントでも何度かちょっと出てきましたね。
今、生成AIについても同じような構造かななんてことは思うんです。
AIをうまく使いこなすためにはプロンプトを書く力が必要だとか、AIとうまくやり取りをするには言語能力が必要だ。
で、こういう話を聞くと国語で生成AIを使うことが重要になるし、ちゃんと国語で力をつけてくれないとAI使えなくて困っちゃうだろうなんてことを周りから言われてしまうわけですよ。
でも結局のところ、国語の授業でやるべきことってそんなに大きく変わらないでいいんじゃないかなっていう気がします。
子どもたちの言語生活を見取って必要な言語能力を育てる、その根幹が揺るがなければ多強化で必要な読解力も、生成AIを使いこなす力も自然と当たり前についてくるものだというのが自分の考えです。
だって子どもたちの日常生活に生成AI入ってくるのはもうこれ明らかじゃないですか。
国語教育とAIの役割
となると、じゃあ子どもたちが生成AIを普段の日常の生活でこういう使い方をするんだろうなというのを子どもたちの言語生活から予想して、
じゃあ国語の授業だとこういうことをやっておくといいよなって考えるのが国語の授業だって自分は思うんです。
AIを使いこなすためにAIをテクノロジーとして教員・事業者は理解する必要があるとは思っています。
それは事業者なんだから努力して知識つけなければいけないことだろうと自分は思っています。
ただ、授業を作る、教科の授業を考えるという観点では、無理に生成AIのことばっかり勉強して、
生成AIを無理やり使うということを目的にする必要はないんじゃないかなと思うんですね。
自然と子どもたちの言語生活に沿った授業を作っていくと、ここはもうAI登場してくるに違いないみたいな、そういう急所が見えてくる気がします。
あと、生成AIに対する心配の話もちょっとだけしておこうかなと思います。
先生方は、生成AIが出てきて子どもたちが何でもAIに頼るようになったらどうしようとか、
国語の授業が壊れてしまったらどうしようという心配をされている方が多いと思います。
まあ、気をつけないと認知オフローディングでしたっけ、最近なんかそんな言葉を流行らせてる人いましたけど、
本当に確かに手抜きに繋がりがちであるということは、
事業者である以上は逃さずにちゃんと見ておかなければいけないことですし、
今まで以上に子どもたちとしっかりと対話する時間をとって、
子どもたちが思考しているか、ちゃんと考えているかというのを見取る時間を増やさなければいけないんだろうなと思います。
でも、自分としては意外と楽観的に考えているところがあるんですよね。
ある意味で、なるようにしかならないよという割り切りがあります。
なぜかというと、国語の授業で何をやるかということを、
国語の先生が今だって全部コントロールできると思っちゃいけないってそういうふうに思っているからです。
国語の教員が自分のやりたいことを国語だって言い張って、
授業で好き放題やっていたら、それは授業とは呼ばないですし、
そもそも我々は学習指導要領に縛られていますからね。
学習指導要領は抽象的なことを書いてあるので、それほど強い縛りがあるわけではないので脇に置くとしても、
結局、子どもたちの言語環境って、学校の国語の先生が作るものじゃないです。
子どもたちは生活している社会の中で、いろいろな言葉に触れて、いろいろなコミュニケーションをしている。
だからもう学校を遥かに超えた場所で言語生活があるわけです。
学校の国語の授業でできることはそのほんの一部にしかないっていう自覚大切ですよね。
だから社会でAIが当たり前に使われるようになったら、子どもたちの言語生活もそれに合わせて変わっていく。
それを止めることはできないし、止めようとするべきでもないと自分は思います。
じゃあ、国語化として何をするか。
だから自分が大事にしているのはデジタルスツゼンシップの観点なんです。
子どもたちがデジタルの使い手として、より良いテクノロジーの使い方ができるようになるためには何が必要か。
そういう観点から国語の授業をアプローチしていくことを決めて授業をしています。
まあ今日はちょっと長くなってきたので、詳しくは別の機会に話しますが、
生成AIを活用するその大きなメリットって、社会につながるためのハードルを低くすることにあると思うんですよ。
だからAIに関しても、先生たち自身がまずは自分の言語生活の中に取り入れてみて、
こんなことができるなという発見をしておくことが重要だと思っています。
その経験があれば子どもたちにもいろいろな声かけの仕方だとか、
授業でのアイディアが出てくるんじゃないかなというふうに思いますね。
国語の授業で社会全体のコントロールすることは絶対できないですけど、
子どもたちが言葉の使い手としてデジタルの市民として、
より良い判断ができるようになることには影響を与えられるんじゃないかなと。
そこに国語化教育の可能性がまだ眠っているんじゃないかななんてことを自分は考えています。
AIの利用と教育方針
今回の配信はいかがだったでしょうか。
自分で使ってみないと何が便利で何が不便か、どういう使い方が危ないかわからないんですよね。
生徒にAIを使うときは気を付けてねと言うにしても、
自分が使った経験がないと具体的な実感を持った言い方はやっぱりできないというのは、
いろいろなところで繰り返し言っている通りです。
だからまずは自分の日常で使ってみる。
何でもいいんです。
そうやって使っているうちにAIの癖みたいなものがわかってくるはずですから。
それともう一つ、これは結構シビアな話として、
大人はもっと利用規約やガイドラインに興味を持ってほしいなと思っています。
生成AIのサービスってそれぞれ利用規約があって、
教育目的での利用はどうなっているとか細かく書かれているんですよ。
文科省や各自治体の出しているガイドラインもありますし、
これから企業が生成AIを使ったサービスを学校に売り込んでくるようになるのは明らかじゃないですか。
そういうときにそれぞれの企業のAIの規約を読むと結構怪しいものがある気がしますよ。
そういうものを自分なりに読んで理解してわからないところはしっかりと確認をとる。
そういう訓練をしておくと、いざ事業で使おうとなったときに判断が自信を持ってできるようになるんじゃないかなと思います。
結局、生成AIを事業で使うかどうかは事業力とは別の話で、
まずは自分がユーザーとしてちゃんと使えるようになることも重要だろうと思います。
そこをすっ飛ばして事業に持ち込んでしまうと、思われどころでつまずくことになりますからね。
本日のポッドキャストの裏話は私のボイシーで6時半から配信しています。
ボイシーでは毎日の教育実践の話やちょっとした雑談もしていますので、ぜひそちらもお聞きください。
ここまでお聞きくださりありがとうございました。
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