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デジタル時代の国語教育を語ろうにようこそ、パーソナリティーのKasaharaです。この番組では、Google for Education認定トレーナーとコーチの資格を持つ、私、Kasaharaが教育にまつわる様々な話を配信していきます。
色々と忙しくて、このポッドキャストを収録しているのは、2月8日日曜日、衆議院選挙の日なのですが、今年初めて自分の住んでいる地域で雪が積もりました。
自分の住んでいる地域では、そこまで積もらなかったので、車だとかも問題なく運転できますし、大きなトラブルにはなってませんが、地域によってはかなり大変そうですね。
今回の選挙については、デジタルスズンシップ教育の観点からも話してみたいことは大量にあるのですが、ちょっとこれは落ち着いて話さないと無理な話題なので、来週、さあ来週かな、ちょっと時間を置いて色々と総括してお話ししようと思います。
今週は、実は福井県の若狭高校に研究授業を実施しに行く予定になっています。
このポッドキャストでも、第18回、福井県まで行ってきた話で学校見学させていただいたことを話しましたが、その若狭高校です。
今回は、自分は若狭高校さんに研修講師としてお呼びいただいて、生成AIについて研究授業と検討会と、若狭高校の先生方と勉強してきます。
入試問題の意義
で、今日のポッドキャストは、全然それとは無関係に、受験シーズンなので入試問題の話をしようかなーなんてことを思っています。
今年は受験学年ではないので、回答速報は追いかけてませんが、受験を意識しつつ入試問題を授業で扱うことはあります。
今回の配信では、自分が入試問題とどのように付き合い、入試問題を授業作りにどのように活用しているかについて紹介してみようと思います。
さて、ここからが本題です。
最新の入試問題を見ていると、本当に面白い文章が多いんですね。
自分は趣味で入試問題を解いたりはしませんが、まあこういう仕事をしているので、目を通す機会は多いです。
そこでやはり感じることとしては、大学の先生方が今、高校生に読んでほしいと思っている文章が選ばれているということですね。
これはある意味で、現代社会の社会問題のカタログになっているっていう、そういう捉え方ができるんじゃないかなって思っています。
例えば、毎年東京大学の現代文で何が出題されたかっていうことが話題になったりするのは、
単に入試問題として質が高いということだとか、偏差値として一番難しい大学だということだけではなくて、
その時代の知性を象徴するような高度な論理や、現代社会が直面している本質的な課題というものを鋭くついた文章が選ばれる傾向にあるからですね。
よくこんな出典持ってきたな、みたいなことが毎年あるんですね、東大の問題って。
そのため、受験生のみならず、教育関係者にとっても、その年の地の潮流といいますか、社会問題というものを見取るための一つの指標になっているような、そういう側面があるわけです。
受験生への影響
例えば、資本主義の限界だとか、あとは環境問題もやっぱり多いですね。
あるいは、現代社会における身体性の喪失だとか、そういうテーマが繰り返し出題されているわけです。
直近であれば、やはり言葉そのものに対する試験というようなものだとかも結構出てたりしますね、入試問題。
デジタル社会、監視社会に対する批評だとかも入試問題よく出てますし、
本当に今の社会の抱えている問題をよく観察して、高校生の読める文章で、なおかつ深いところまでえぐるような、そういうような出題の仕方をしてくるので、大学の出題ってすごいなって毎年思わされますね。
だから、入試問題を解くというのは、単に良い点数を取るためのテクニックを学ぶだけじゃなくて、今社会で何が問題になっているのかを知るという意味では、非常にやっぱり勉強になるんですね。
受験勉強というと、なんだか社会からは切り離された、そういう作業的なところをやるものだって思われがちですが、でも少なくとも現代文を学ぶということ、現代文の入試問題をしっかりとトレーニングするということは、社会への意識を開くという行為とほとんど変わらないんじゃないかなというのが自分の立場です。
逆に言えば、テクニックだけで何か済まそうとすると、まあ、かえって遠回りしているんじゃないかなと自分は思います。
表面的な形を整えるだけでは、記述を書こうとしてもどこから切り口を立てたら良いか分かるようにならないですし、書き手の熱量が分からないと読んでいても全然面白くないんですよね。
書き手の熱量に共感できるような読み方ができるようになってくると、もう答案って自然に出来上がるんじゃないかなという感覚は自分は教えていても思います。
だから、授業で入試問題を扱うときも、単にここが逆説の後だから秘書が強調しているでしょうみたいな表面的な解説で終わらせるのはもったいないと思っています。
まあ、そういう論理の流れだとかよくあるパターンを教えるのも大切ですよ。そういうようなテクニックがないと手がかりがなくて読めないってことはいっぱいあるので。
でも、なんでこの秘書はこんなことを書こうと思ったと思う?その動機はどこにあると思う?とか、
例えば、この問題意識って自分たちの生活のどこに関わっていると思う?ということは必ず投げかけるようにしていて、
入試問題が生きた素材として今の自分たちの社会に直結している問題なんだっていうことを話すようにしています。
よく寝られた入試問題だと、その辺りは説問の文言でもかなり注意深く聞いてきてるなぁなんてことは思いますね。
例えば、なぜかという問いかけをする場合と、なぜそう言えるのかというような問いかけをする場合を巧妙に使い分けている大学入試問題って結構ありますし、
東大とかその典型ですけど、かなり高校生にちゃんと考えて読ませたいっていうような、そういうようなことを感じ取るわけですね。
で、そういう入試問題によく出てくるような文章を踏み込んで読めるようになるためには、やっぱり文章をひたすらたくさん読めばできるようになるかというと、そういうわけでもないんです。
こういうような問題意識がたくさん出てくる文章を読めるようになるためには、生徒たち自身が自分たちが当たり前だと思っている価値観を疑って読んでいくということが必要になるんです。
これを自分は社会に対してメタ認知していくことなんだよっていうふうに生徒には言うようにしてます。
例えばよくある話としては、便利になることは良いことだとか、効率的であることは正義だというような、
端的に言えば、近代合理主義や資本主義の価値観にどっぷりと使っている高校生たちが科学技術の進歩を批判的に捉える文章や、
無駄の方がむしろ社会において価値があるよねっていうような文章を読んだときに、筆者が何を言ってるか全くわからないということはよくあるんです。
今話したような話は教科書にもよく出てくるようなテーマでもあるので、
本当は教科書で勉強したよねとか、授業の時にこういう話したよねというふうにピンときてほしいんですけど、
でもなかなかそこが繋がる高校生って多くはないですね。
結局教科書で問題意識を持たずにスルーしてきてしまうと、初見の文章で同じような問題意識が出てきても読めないことの方が多いわけです。
これは文章の論理が終えていないというわけではないんです。
価値観の前提が共有できていないから、何を読んだらいいかがわからないんですよね。
自分が当たり前だと思っている視点からずれたものは見えてこないんですよね。
だから授業では今の社会ってこういうような形になってるんだよね。
それって思想的にはこういう流れがあるよねみたいなことを確認して、
さらに、でも筆者はそこの部分に対してこういうところがおかしいと言ってるんだよというような形で、
生徒たちの自分たちの立ち位置を客観的に見るための補助線を引いてあげることが大切だと思って、
そういう説明の仕方をするようにしています。
そうすることで初めて文章が自分ごととして理解できるようになるきっかけができますし、
逆に言えばニュース問題を読むことを通して自分たちの当たり前だと思っていたことは、
意外と足元弱いんだなぁみたいなことに気づくことができるわけです。
これって本当は教科書の文章でも何回も繰り返しやっていることなんですけど、
やっぱり本気で読むっていうような文脈が出てこないと、なかなか実感できないところがあるのも事実なんですね。
自分は授業の中でできるだけそういう問題意識が今の社会の中で本当に起こっていることなんだよっていうのを
実感してもらえるような授業をするようにはしているんですが、
そういう授業を3年間やっていても、やっぱりニュース問題で初見の文章で自力でそこまで気づいて読んでいくというのは
ハードルが高くなってしまいがちなんですね。
でもニュース問題を解くという練習を繰り返しやっていくと、自分の常識を相対化していくということに対しても随分慣れるんです。
ある種のメタ認知のトレーニングがすることができているわけですね。
なのでニュース問題を通じて社会に対する資座というようなところが少し変わってきてくれると嬉しいなぁなんてことは思ったりはしますね。
記述問題の取り組み
あと記述問題に関してなんですが、記述問題は生徒たちが一番嫌がるところでもありますよね。
何を書いたらいいかわからないだとか、せっかく書いたのに点数にならない、自分の答案がどこが間違っているかわからないみたいなことをよく言われるわけです。
だからどうしても記述問題というと本文の内容のつなぎ合わせパッチワークみたいなことになりがちなんですけど、
ただそういうような単なる本文からの抜き出しのパッチワークとして捉えていると内容をやっていてもつまらないですし力もつかないんですよね。
まあ皮肉なことにパッチワークでちゃんとこうやれば答えが書けるよっていうような教え方は生徒には受けがいいんですよね。
そういうような教え方をすると解けたような気にはなりますからね。
でもそれは本質捉えてないので個人的には反対です。
記述問題の回答を作るプロセスというものは筆者があるAという地点からBという地点までどういう理論をたどって思考を進めたのか、
それを生徒自身の頭の中で再現するプロセスと言ってもいいかなと思ってます。
いわば他者の思考の追体験と言えるかもしれないです。
自分じゃないものを自分の中に取り入れるというプロセスであると言えますし、
そういう他者を受け入れるのが高校生くらいだとやっぱりうまくないんです。
なんでここでこの具体例を出したのだろう、
ああこの主張を補強するためだとか、
ここで筆者の主張は一度否定されてるけど、
記述問題を通じた思考力の育成
ああなるほど、それはより深い後の主張のための伏線なんだなといった具合に、
筆者の意図を丁寧に追いかけていくのは体力がいるわけです。
ただこれって高度なコミュニケーション能力そのものだと思うんですね。
自分とは違う考え方をする他者の言葉に耳を傾けて、
その論理構造を理解しようとする姿勢が、
記述問題の回答を作るということに出てくるわけです。
だから記述問題を解こうとすることは、
そういう他者と対話する基礎体力をつけることにつながるんだろうというのが、
自分の考えているところです。
逆に言うと、そういう他者と相手の意見を取り入れるということが、
高校生ぐらいだとやっぱりうまくないんです。
人の話を聞く、ありのままに聞くってすごい難しいことなんです。
だから記述問題とちゃんと真正面から向き合うことで、
他者をしっかりと受け止めるというような力をつけてほしいなと自分は思っています。
そういう観点から授業でも模範回答をただ示すだけじゃなくて、
どう考えればこの答えにたどり着くのかという、
思考の道筋を授業で示すようにしています。
逆に言うと、自分は授業で模範回答はあえて示さないようにしていますね。
正しく思考の道筋をたどれば使うべき言葉だとかに関しては、
かなり限定されてくるはずなんですよ。
むしろ模範回答を書いてしまって、
思考の道筋をたどるということをショートカットされてしまうことの方が嫌なので、
自分は模範回答よりも思考の道筋だけ示してあえて意地悪なんですけど、
模範回答は示さないで、
常に子どもたちに自分なりの回答を作りなさいというような話で授業では向き合っています。
それができれば、どんな難問でも、あるいは社会に出てからの複雑な問題であっても、
考えるための足掛かりを自分で作れるようになるんじゃないかなと思っています。
入試問題の意義と授業の工夫
結局のところ、入試問題を通して自分のような教科の先生たちがやっていることっていうのは、
社会の課題を知り、自分の常識を疑い、他者の思考に深く入り込むことっていうような、
まさに大学での学びのための基礎的な体力をつけるという、
そういうような訓練なんだろうなっていうふうに思っています。
単なる点取りゲームとして消費してしまうのはあまりにも惜しくないですか。
だからこそ、授業という場では、
そういう入試問題の向こう側にある世界をどれだけ生徒に教えることができるか、
どれだけ生徒と一緒に面白がることができるかな、それが大切だろうと思っています。
そうやって身につけた知的な体力こそが、受験のその先、つまり大学入って、
子どもたちが自分の力で大学生として学んでいくときに必要になる、そういう力になるはずですから。
今回の配信はいかがだったでしょうか。
入試問題を授業でどこまで扱うかは、勤務校の実態によっても大きく変わりますよね。
自分の勤務している学校が、一応生徒の大学進学の希望の強い学校であるので、
高校3年生の授業になると入試問題を扱わざる得ないわけです。
もちろん入試問題を解けるようになるためには、究極的には時間をはかって、
時間内に問題を解く練習をしなければできるようにはならないので、
高校3年生の2学期には授業でも編集問題を多く解くようにはしています。
ただ、あまり早い時期からただただ練習を繰り返していれば点数が取れるようになるかというと、微妙な気がします。
もちろん問題の形式になれることによって点数が上がる部分は大いにあるのですが、
入試練習ばっかりやっていても、どこかで頭打ちになるんですよね。
入試問題は、ちゃんと練られている大学の問題であれば、社会の問題をかなり鋭く切り取っていることも多いので、
入試問題を読むことを通じて、社会そのものや自分の置かれている立場だとか、
これから何を考えなければいけないのかというメッセージを強く受け取ることができます。
だからこそ、授業でもそういうような世界の見え方、言葉によって世界を切り取るとはどういうことなのかということが伝えられたらいいなと思いながら授業をしています。
入試問題を使っていくことで、生徒が深い学びを実現できたら、それが一番いいんだろうなぁなんてことを思っています。
本日のポッドキャストの裏話は、私のボイシーで朝6時半に配信しています。
ボイシーでは毎日の教育実践の話やちょっとした雑談などもしていますので、ぜひそちらもお聞きください。
ここまでお聞きくださりありがとうございました。
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