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  2. #033 どうなる生成AIの教育活用
2025-03-10 15:38

#033 どうなる生成AIの教育活用

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今回のテーマは「どうなる生成AIの教育活用」です。

大学コンソーシアム京都のFD・SDフォーラムで高校の生成AI活用を紹介した内容を振り返り、教育現場での生成AI活用について深掘りします。

大学の先生方との議論を通じて感じた、生成AIへの期待と不安、教育の未来についてお話します。

レポート課題への懸念、生成AIを使うことへの危惧、ハルシネーションのことなど、様々な視点から議論します。

教育関係者だけでなく、生成AIに興味がある方にも聴いていただきたい内容です。ぜひお聴きください!



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サマリー

このエピソードでは、生成AIが国語教育にどのように活用されるかが議論され、フォーラムの参加者が関心や悩みを共有しています。また、生成AIの利点について触れ、ハルシネーションや教育現場での適切な使用法についても考察されています。生成AIの教育活用に関する議論が進み、新しいテクノロジーが教育に与える影響や可能性について深く考えられています。教育現場での生成AIの活用方法や、それに伴う課題も掘り下げられています。

生成AIの教育活用
デジタル時代の国語教育を語ろうにようこそ、パーソナリティーのKasaharaです。
この番組では、ICTを活用した国語の授業実践に関する話題を中心に、Google for Education認定トレーナーと認定コーチの資格を持つ私、Kasaharaが、教育にまつわる様々な話を配信していきます。
職員室のスタッフ同士で行われる教育談議のようなものだと思って、ゆるっと聞いてください。
先週、大学コンソーシアム京都の第30回FDSDフォーラムで、高校の生成AI活用について紹介をしてきました。
もちろん、自分の実践が全ての高校での活用例を代表するような有名な実践ではないんですが、それどころか割と自分の思うところに振り切ってしまっていて、おそらくマニアックな方向になってるなぁと思うのですが、
こんな場面で話でいいんだろうかというような、ちょっとそんな気持ちもないわけではなかったんですが、話をしてきました。
ただ、当日は100人ぐらいの方が会場にいらっしゃったと思うのですが、興味を持って聞いてくださってくれている方が多くて、質疑応答についてもびっくりするぐらいたくさんコメントをいただいたんですよね。
おそらく聞いてくださっている方のほとんどは大学の先生、大学の職員の方だと思うのですが、活用の仕方については悩みが深いのだなぁというふうに感じます。
自分は生成AIが出た時期からすぐに授業での活用を試みてきたので、先週卒業させた生徒たちはまさに生成AI世代第1期生として大学に送り出したことになるんですよね。
自分の生徒たちはズルに使うようなことはしないんじゃないかな、しないと思う。
ちょっとは覚悟をしとけっていう感じなんですが、道具として生成AIを使うのが当たり前になっている高校生が大学に行った時にどう評価されるのかは気になるところです。
今回参加したフォーラムではかなり学ぶことが多かったので、今回の配信ではその内容についての振り返り会をしてみようと思います。
教育界の悩み
さてここからが本題です。 今回自分が登壇した大学コンソーシアム京都の第30回FDSDフォーラムは名前の通り、大学の先生や職員の方に向けたものですね。
その第3文学会で、学校教育における生成AI活用の現在と今後の課題というテーマで、コーディネーターは京都聖火大学の隅田哲郎先生がやってくださって、
お茶の水大学附属中学校の渡辺幸喜先生、漫画家の菅谷光先生、ゲームセンター嵐の作者の方ですね、と自分の3人でそれぞれの立場からの活用事例の報告とフロアからの質問に答えるというような内容の文化会でした。
今回のこのイベントは有料イベントなので、あまり内容について詳細に明かすのはあんまり良くないだろうなというふうに思うので、詳細はぼかすのですが、今回のイベントで議論となった活用の方向性としては、
生成AIを使いこなすことでできることを肯定的に考えつつ、AIで代替できないような感覚のようなものや喜びのようなものを大切に生きたいという、そういう目線合わせというか共通認識が持てたようなそんな感じですね。
この後、ざっくりとちょっとどんな内容だったのかなというのを思い出しながら話をしてみます。
まず今回のイベントで感じることとしては、やっぱり教育に関わる方々の生成AIに対する関心というのは非常に高い状況にありますね。
これはまあどこ行ってもよく話題になることでありますが、レポート課題のあり方には多くの先生方が頭を悩ませているところですね。
生成AIの便利な機能であるとか凄さというところは十分に理解している。
でも、じゃあそれを実際学生に使わせるとなると、本当にそれで教育としていいのかなというようなことだとか、結局ズルの道具として使ってしまうことになって、教育として意味をなさなくなるんじゃないかなみたいなことで、教育としてどうしたらいいかということに頭を悩ませているんですよね。
言葉を選ばないというのであれば、生成AIを使うことによってバカになるんじゃないかみたいな、そういう記号を持たれている方もやっぱり中にはいるんだなっていうのは話を聞いていて感じたところですね。
テレビゲームをやったら直接的にバカになるっていうことがないのと同じで、生成AIを使っているからといってバカになることはないんじゃないかなというふうに個人的には思います。
ただもちろん、生成AIをずっと使いっぱなしになっていて、自分で考える習慣というのが減ってしまうのであれば、頭の動きは鈍くなる可能性というのはもちろんあると思います。
ただこれもニワトリが先か卵が先かみたいなところがあって、頭を使わなくても欠けてしまうような、そういうようなお題のレポートを出されてしまったのであれば、生成AIでこなす方が合理的に見えちゃう場合もあるんですよね。
大学での勉強はもちろん合理性だけでは語れない、ある意味で基本的なスキルトレーニングだったりするところもあるので、
めんどくさくて無縁だったとしても、ちゃんと自分で手を動かして肌感としてつかまなければいけない勉強の仕方もあるのは間違いないかなというふうに思うんですが、
でもそういう意図の共有というのがうまくいかないで、学生の方が生成AIで課題を効率的にコスパよくタイパーよくこなすっていうような使い方をされてしまうと、これはまあ良くないんじゃないかなというふうに思うわけですね。
もちろんこの生成AIをレポートに使っていいかどうかというのは大学だけの問題ではなくて、当然だから高校中学校レベルでも降りてきている問題ではあるんですよね。
生成AIに対する意見
どのレベルであれば使っていいのか、どの課題であればむしろ積極的に使うべきなのかみたいなことを議論するレッスンプランって、実はコモンセンスエデュケーションのレッスンプランなどにもあったりするので、
決して日本の局所的な問題ではなくて、海外なんかでも今まさに子どもたちと議論しながら考えなければいけないというような、そういうフェーズにあるんだなというのはちょっと思うところですね。
またやっぱり意見として多く出ていることとして、ハルシネーションが気になる、要するに誤情報ですね、誤りの情報がたくさん含まれるのでリテラシーが重要になるんじゃないかというようなそういう意見は多かったですね。
ただこの点に関しては個人的に少し思うところもあって、もちろんハルシネーションをゼロにすることは多分生成AIの仕組み的に現状ちょっと難しいんだろうなと思うんですが、
例えばパープレキシティだとかフェローだとかジェンスパークだとか、そういう検索エージェント型の生成AIを使うのであれば、
それぞれの文の根拠となっている出典はここですよという情報がついている状態で出力されるので、
むしろネット上のよくわからない情報をコピペで貼ってくるというような状況よりもちゃんと検討するんじゃないかなというふうに思うようになってますし、
そういうような検索型の生成AIでなかったとしても、最近の生成AIはハルシネーションの割合というのは結構減ってきましたよね。
例えばChatGPTの3.5のイメージでハルシネーションが多いというふうに言っているのであれば、今4.5ですからね。
4.5のハルシネーションの出方を見ると、やっぱり3.5のその時よりは全然割合としては減っているなという感触はありますよね。
生成AIの性能であるとか使い勝手だとかどの場面で使うのかということに関しては、
やっぱり事業者である教員、我々の方が一旦試してみるっていうのは非常に重要なんだろうなという気がしています。
また菅谷光先生の話で、実際に先生が炎上騒ぎに巻き込まれたということから、
なぜ生成AIが嫌われるのかということをお話しされていたんですけれども、
そこの要点としては、
推測や技能を簡単に再現されてしまうことに対して、
なんかやっぱり違和感を持つ人が多いんだろうなみたいなことが話題になっていましたね。
で、こういうようなAIに対する嫌悪感だとか違和感みたいなことをテクノロジー好きな人っていうのは、
感情的な話だなというふうにちょっと軽く見がちな傾向があるかなっていうのは個人的に思うところなんですけれども、
ただそういうものを軽く見ているのは簡単なんですけれども、
やっぱり自分のような文系人間からすると、
その違和感は多分放置しないでちゃんと議論した方がいいんじゃないかなという気はします。
というのも、その違和感をちゃんと論じて、
何が嫌なのか、何が気持ち悪いのかということを議論することで、
多分今後どのように学んでいくのかみたいなそういう学び方の過程みたいなところを議論するところの
土台とかにもなってくるんじゃないかなというふうに思うんですね。
さっきもちょっと紹介した顧問専修エディケーションのレッスンプランの中にも、
AI チャットボットが人間の代わりになるかみたいなそういう趣旨のものっていくつかあるんですよ。
なので、違和感や疑問点だとか、感情的に何か思うところがあるものに関しては、
ちゃんと対話のテーブルに一旦全部並べることが必要な時期なんじゃないかなというふうに個人的には思っています。
生成AIの教育への可能性
逆に言うと、中学校や高校の授業だと、そういうような内容を国語の授業の題材にすることってかなり可能性あるんじゃないかなというふうに思っているので、
来年度以降、少しそういう方向性の教材作りも探ってみても面白いかなというふうに思っていたりはします。
あと、今回のこの登壇について大切なこととしては、
こんなことしてきましたよという、これまでの過去の話しか個人的にはできなかったなというのは反省しているところなんですよ。
実はもうAIの性能がものすごいスピードで、それこそこの年が明けてからの2ヶ月、3ヶ月のところで変化が激しすぎて、
過去の実践というのはもうそのまま追従してもあんまり意味がないんじゃないかなと思うような感じが少なくとも自分の実践に関しては思うんですよ。
できることの範囲と質がすごいことになってしまっているので、使ったことがある人とない人の認識のズレというのがものすごく大きなところになっているなと思うんですね。
なのでその経験値の差で会話がどうもうまく噛み合わないですれ違ったなということがいくつかあったので、
うーん、早く触れた方がいいんじゃないかなというふうに思うところです。
いろいろなところで主張しているのですが、新しいテクノロジーが社会に登場して社会を変えていくような事態に直面しているのであれば、
それは教育にとっては大きなチャンスなんじゃないかなというふうに思うんですね。
さまざまな立場からの主張をどうやって納得会として折り合いをつける話し合いをしていくのかというのを実際に学ぶことができるチャンスだろうというふうに思うんですね。
国語の授業の中である意味でもこういう答えになるだろうみたいな話し合いをしてもすごいつまらないじゃないですか。
でも生成AIのような新しいテクノロジーを今後社会の中でどうしていくのかというのはまさに子どもたちが当事者として話し合うべき論題でありますし、
誰も答えを持っていないからこそ必死に話し合う必死に考えるそういうチャンスがあるものなんじゃないかなというふうに個人的には思っています。
今の状況って素朴に使ってみてこれはこうだなと思っている立場の人も主張しますし、
もうものすごくやり込みまくってこういうこともできるんじゃないのみたいな形から主張している人もいるし、
生成AIなんてとんでもない触りたくもないみたいな人もいるそういう超バラバラな状況があるわけじゃないですか。
それぞれの見えている風景について立場の違いを超えてまずはテーブルに意見を出していく。
そして並べたものを見て、じゃあ自分たちはどうするのかそういう話し合いを実践的に行うそういう時期なんじゃないかなと個人的には思うわけです。
教育現場での活用と課題
こういう今まさに社会の中で話題になっていることを本気で議論できるチャンス、
そういう変化の場面に立ち会えている学校や事業者の人って幸せなんじゃないかなというふうに個人的には思っています。
今回の配信はいかがだったでしょうか。火曜日のノートにも書いたのですが、
生成AIを使うという言葉のイメージがかなり広くなってしまっていて、人によってイメージがだいぶ異なってきていることが問題だなというふうに思っています。
自分も生成AIを使っていますが、統計だとかデータサイエンス的なことについては専門分野でもないので全然活用できていません。
自分が活用するという言い方をするときは、文系的な言葉をどのように扱っていくのかみたいなそういうことに集中して論じがちですね。
また自分が大人として業務に用いるという意味で生成AIを使う活用するということと、
授業で生徒が学びのツールとして生成AIを使うということにもだいぶ感触に差があるだろうというふうに思います。
自分はご情報や怪しい情報が入ってきても、どうせ自分でリサーチできるから、まずは量を提供してくれればいいと割り切って判断しながら使うということもできますが、
子どもたちが使うというときに同じような態度で生成AIを使わせたら、おそらくあまり良い結果にはならないだろうなというふうに予想してるんですよね。
自分が情報の裏取りについて何となく当てずいようがあるのは、それは大学院まで勉強している経験値が元になっているので、
子どもたちには同じようにはできないだろうというふうには思います。 同じような感覚で子どもたちに接したら、それこそ子どもの見取りが甘いということになってしまいますね。
生成AIの教育なのか、生成AIを使った教育なのか、生成AIを使う教育なのかも、ちゃんと授業ごとに狙いをはっきりしてやらなければうまくいかないだろうなという気もします。
まだまだ課題や試行錯誤をすべきことは多そうです。 今回の配信を聞いて何か参考になったことがあれば、いいねを押してもらえると番組作成の励みになります。
またアウトプットの一環として、ぜひお気軽にコメント、SNSでのシェアをよろしくお願いします。
概要欄のメールアドレスやグーグルフォームに直接意見をいただいても嬉しいです。 この番組は毎週月曜日に1回配信されます。
次回の配信もお楽しみに。ではまた!
15:38

コメント

以前言っておられたモヤモヤはこのことだったのでしょうか? 私もAI活用に関する問題の複雑さに、授業での活用にいろいろ課題を感じるこの頃です。 しかし、自分が使う分にはボチボチ勉強していく…ということは変わらなさそうです(笑)

ハルシネーションについてはそもそもリアルな人間の他人に聞いても同じぐらいの粒度で あるいはそれ以上に巧妙な嘘をつかれることはままあるので大して気にならないんじゃないかなとか思ってたりしています。むしろどういうところでAIは勘違いを起こしやすいのか、どういうところを見れば回答の正当性を評価しやすいのかっていうところを知る手段を持っておくと良いですね。 自分が身近にあった問題としてはあるインターネットだけで活動している団体の情報についてPerplexityで調べたらさもリアルな拠点として区役所で活動している団体かのようにレポートされたことがありました。 で、当日インタビューでいろいろ話をしていると、その団体はメインの会議場所に区役所の区民センターを使っているとのことで、それをもって実在する場所で活動する団体と勘違いしたようでした。 こんな感じで結構AIが勘違いを起こしやすい場所ってパターンがあるので、それに慣れていくこと、あるいはそういう失敗をとおりやすい使いかたをしてもらうことというのが大事なのかななんて思ってたりしています。

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