国語教育の現状と発表の概要
デジタル時代の国語教育を語ろうにようこそ、パーソナリティーのKasaharaです。
この番組では、Google for Education認定トレーナーとコーチの資格を持つ、私、Kasaharaが教育にまつわる様々な話を配信していきます。
本日の配信は短縮版です。
本当は、Podcastを授業作りの2回目のお話をする予定だったのですが、
ぶっちゃけて言ってしまうと、先週1週間が定期講座と保護者会と学会のトリプルパンチで忙しすぎて首が回らなかったので、
落ち着いて話している時間と編集している余裕がなかったんですよ。
だから、今日の配信は完全に取って出しの配信です。
申し訳程度にノイズ処理や言い間違いは編集して、BGMはつけていますが、細かい処理はしてません。
そして内容についても、学会で話してきたことをPodcast向けにせずに、割とそのまんま噛み砕かないで、わーっと勢いで話していこうと思います。
学会でお話したことのダイジェスト版だと思って聞いていただければなと思います。
話としては結構固い話し方になってしまっている気がします。
国語の教員でも少しハードルが高いかもしれないです。
また、発表時間は20分あったんですが、そんなに話しているのも大変なので、圧縮して話すので分かりづらいかもしれないです。
まあ、今日はそんな実験的な配信だと思っていただければというふうに思います。
なかなか国語教育の専門の学会となると、聞きに行く人は多くないと思うので、
こうしてPodcastで話してみることで、一般の方にもこういう実践に取り組んでいる人がいるんだなとか、
学会でこういう話ができるんだなとか、そういう情報共有になったらいいなと思っています。
ぜひ何か聞いてコメントがあれば、コメント欄で教えてください。
この後レポート書かなきゃいけないので、とても助かります。
さて、ここからが本題です。
生成AIの教育現場での利用
自分は普段、国語科でのICT活用やデジタルスツーンシップ教育に関心を持ち、探究や図書の担当もしています。
今日は、自分が第149回全国大学国語教育学会の課題研究発表で話してきた、
生成AIに出会った高校現場で何が起こっているのか、活用と抑制に揺れながら進んでいくということ、
というタイトルの発表について、概要をざざっと話していきます。
さて、今回お話しする内容の前提となる、自分の授業をやっている勤務校のICT教育環境ですが、
生徒は1人1台Chromebookを持っていて、2023年度中から生成AI保護者許諾を取って使用可能になっています。
ですから、比較的早い時期からICTには取り組んでいて、AIに関しても活用しているという、そういう条件の実践ではあります。
このような環境の中で、自分は生成AIという大きなテクノロジーの変化に関して、できるだけ早い段階から取り組むようにしているという感じですね。
特にAIが現場に入ってきて、今自分が感じている印象としては、非常に極端な状況にあると感じています。
それが何かというと、一つはブレーキなしでアクセル全開で利用してしまっているという状況です。
つまり、ルールや倫理的な配慮を一旦脇に置いておいて、とにかく使ってみようというような動きです。
結構見ていて、先生にしても生徒にしても危ないなと思う、そういうような活用の仕方です。
そしてもう一つは、エンジンをかけてもいないのにブレーキをベタ踏みにするという流れですね。
これはリスクを恐れて利用を禁止したり、活用を全然後回しにしたりとする、そういう状況です。
この結果、現場で何が起こっているかというと、ブレーキとアクセルの両方が揃っていないにも関わらず、
ブレーキとアクセルを持っていないんですよ、そういう状況なのにハンドルの話、つまり使い方の話ばかりしているというのが、今の私の捉えている現場の状況なんですよ。
そういう現場の状況に対して、今の生徒たちってどういう感覚でいるのかというと、
自分の教えている生徒としては、多くの生徒にとって、生成AIはやはり大人からかなり言われているせいか、危険なもの、ダメなもの、禁止されるものというようなネガティブな印象を持っている状態からスタートしてますね。
生徒のコメントから、中学時代に犯罪レベルでやばいことだというふうに教えられてきたというようなことなんかも聞いたことあります。
一方で、生成AI、そうやって遠ざけようとしている中で、実はもうGoogle検索のAIモードのように、知らず知らずに使ってしまっている場合だとか、逆に課題を早く終わらせるためのツイートとして意識的に使っているという生徒なんかもやっぱりいたりはします。
彼らにとって、AIはLINEを使うような感覚のツールであったり、何か暇をつぶしたり相談事をしたりというような、そういう使い方をしているケースが多いんですね。
だから必ずしも今は学びのツールとしては捉えられていない、学びに使うという発想も薄い状況なのかなというふうに考えています。
こういう状況において、授業作りどうやったらいいのかなというふうに考えていったときに、教員がAI驚き屋のようになってはいけないなというふうに思っています。
AI驚き屋ってご存知ですか?SNS上で結構新しいテクノロジーが出てくるたびに、もうこれは革命的ですみたいなことを言っている人たちのことをいやゆして言う、
そういう言い方なんですけど、やっぱり授業をやる人がそういういちいちツールの変化が起こるたびに、これはすごいぞみたいなことを生徒にマウント取るような教え方、授業での使い方はしてはいけないなというふうに思っています。
そういうあれもできる、これもできるという活用例の提案の仕方だと着地点が見えてこないです。
だからこの部分に関しても、やっぱりアクセルとブレーキの調整が難しいんだろうなというふうに思うところです。
では、こういうジレンマに陥っている状況を乗り越えるためにどういうアプローチの仕方があるんでしょうか。
それが自分の一つテーマとしているデジタルシスティブ教育という観点なんだろうというふうに思っています。
生成AIとの関わり方と授業デザイン
AI の性能が急に変化してしまって、その変化の速度に追いつかないというようなことはもう前提にしなければいけないですよね。
実際この学会の発表の直前にジェミニンのさんが来てしまったので、この学会でお話した話も前提がもう覆っちゃってるなというふうに個人的には思っています。
そういうような変化に追いつけないという前提があるからこそ、大事なのは問題がいつでも大人のいないところで発生するというような、そういう現実はやっぱり持っておくべきかなと思うわけです。
大人がいない状況で問題が起こったとしても、生徒がじりぎり未知の問題を判断、対処する力を育てておく必要があるだろうと思うわけです。
だからデジタルレッスンシップ教育は対話を軸とする、そういうようなレッスンプランも多く用意されているので、国語科の授業でそういう授業に取り組んでいくということが、
一つ、生成AIとの付き合い方という意味ではかなりヒントになるんじゃないかというふうに思うわけです。
また国語科教育の観点から生成AIについて考えていくと、生成AIは言葉の力で差のつくツールであるということはやっぱりよく言われていることです。
だからこそ国語との関わりというのはかなり深いなと思いますし、
AIの出力を踏まえて自分の言葉について振り返るというような、そういう可能性も秘めているツールなんだろうなというふうに思っています。
だからこそ自分は生成AIを使い倒すというような、そういうような事業をデザインしていきたいというふうに思っています。
生徒に安心・安全の場である授業の中でツールを使わせて、生成AIに対するテクノロジーとしての知識、そして倫理観を身につけさせた上で、
反復的・継続的に生成AIの活用に取り組んでいくことが重要だと考えています。
そういう観点から考えると、単元の設計にはその単元全体に通じていく大きな問いというところと、
具体的に生成AIを使っていく小さな問いというような入れ子構造の単元構成がいいんだろうなと思うわけです。
イメージとしては、ウィキンズと幕大の逆向き設計論の発想ですね。
そういうような発想で生徒が自然とAIに触れる流れというものを作っていくのがいいんじゃないかなというふうに思っています。
そうやって考えた単元というのが、今高校1年生の現代の国語の書くことの領域で行っている実践です。
単元名は人工知能と人間を考えるという単元なんですが、
ちょっとポッドキャストで話すと分かりづらい上に長くなってしまうので省略します。
興味ある方は個別にちょっとご連絡いただければ、もうちょっと詳しくお話ししようかなと思いますので、ぜひご連絡ください。
この単元を通じて意図して取り組んだこととしては、生成AIについてのテクノロジーとしての側面の知識の進化ということと、
倫理的な観点からの熟慮、そして引用というようなことをやってもらう単元にしているので、
引用を通して人間の言葉の意味について考えるということを強調していました。
生成AIの影響と生徒の変容
この教育デザインの核としては、Human in the Loopと呼ばれるような構造を必ず守るということを意図して作っています。
この授業実践を通じて子どもたちが結構大きな変容をしてくれたんですね。
この実践は2024年度と今年2025年度の2回行っているんですが、
2024年度のすでに終わった生徒の振り返りを見ると、生成AIを使う経験が増えるほどに自分の言葉にこだわるようになるというような傾向が見られています。
ある生徒の振り返りを少しだけ紹介しておくと、現代において書くことはAIによって誰でもできる技能となろうとしている。
ちょっと省略して、説得力のある文章を作るという新しい考え方と付き合って書くということをした1年間だったみたいなことを振り返りで書いています。
そしてじっくりと長時間向き合うことで言葉に重みを持たせることができると気づけたと締めくくっていたりもします。
誰もが文章を生成できる時代だからこそ、逆に自分の書くことに真摯に向き合うようになる生徒が生まれているのも事実なんだなと感じます。
ただ、実際現場にいると課題感は山積みだなと思います。
AIの成功、例えばこの前出たジェミニの3のような能力になると、大量の文章を抽象化して大量の資料と関連付けたりすることが圧倒的にAIの方が人間より上手に早くなります。
こうなると、読むことや書くことを学ぶということや、現代の国語、論理国語で学ぶということが一体何をやることになるんだろうみたいなことに、現場の教員としては大きな悩みがあるわけです。
現場の教員としては、AIの進化が企業の都合で強制的に進むということや、そういう状況なので常に対応が後手に回ってしまうということに対しては構造的な不安があります。
また、AI活用に関する情報は俗人的になりがちで、実践事例にアクセスできる教員とできない教員との間に大きな認識の差が生まれてしまっているというのは結構危ない状況だなと思っています。
現場の実践者として、私たちはテクノロジーの仕組みを勉強せざるを得ないだろうと思っています。
もう社会がそういう方向に動いている以上、社会の要請に応えざるを得ないのが教員という仕事なので、テクノロジーについての勉強は避けられないと思います。
ただ、生成AIを活用することによって生み出される時間こそ、子どもたちが自分自身で考える時間に充てることができる可能性というのはあるんじゃないかなというふうに思っています。
だからこそ最終的に目指すのは、デジタルシステムシップ教育をヒントにしつつ、生成AI活用のアクセルとブレーキを子どもに持ってもらうということです。
子ども自身が、いつ、どこで、どのようにAIを使い、どこの部分で自分で試行することにこだわり、自分で作業することにこだわるのか、自律的に判断できるようになること。
これが今の自分の授業実践で考えていかなければいけないんだなというふうに思っていることです。
今回の配信はいかがだったでしょうか。
内容としてはちょくちょくはしょって話しているので、ちょっと分かりづらいところが多かったかもしれません。
学会から帰ってきた後に、あおいき吐息で話しているので、今回はかなり舌が回らないですね。聞きづらかったらごめんなさい。
いつもよりあのとかえっととか多いのは、編集をしていないからというのも大きいです。
ほぼ無編集でこの後アップロードするので、いつもと違う感じになっているかもしれないです。
ちなみに発表内容ですが、何か質問があれば個別にメールやDMなどをしていただければ詳しくお話します。
資料についてはちょっと外に出していいか微妙なところがあるので難しいのですが、何かしらの相談には乗れると思うのでお気軽にお問い合わせください。
こうしてポッドキャストで今話しているのは、生成AI活用の教室の今を記録しておくことに意味があると思っているからです。
今後AIが発展していった時に、我々はどこから話をスタートしたんだっけということを参照点として残しておくのは意味があるんじゃないかなというふうに思っています。
コロナの時にもっとちゃんと記録を残しておけばよかったなというふうに思っているんですよ、実は。
なのでそういうことも踏まえて記録を残しておこうと思っています。
なお、本日のボイシーですが、自分の発表資料を読み込ませたノートブックLMに音声概要、ポッドキャストを作ってもらったので、そちらをアップロードして配信します。
ボイシーは6時半から配信されています。
今日の配信を聞いてくださった方は概要欄のリンクからそちらもぜひお聞きください。
ここまで聞いてくださりありがとうございました。
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ではまた。