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2025-12-08 19:44

#072 年末に生徒にかける言葉

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第72回配信!
今回は年末に生徒にかける言葉について、10年以上の教員経験から考えていることをお話ししました。

冬休み前、最後の授業で生徒に何を伝えますか?
説教くさくならず、でも心に残る話をするためのポイントを解説しています。

・年末に「自分の話」をする効果
・具体的に話すべき三つのこと
・一斉授業でしか伝えられない熱量

言葉を届ける仕事である教員として、年末くらいは丁寧に言葉を選んで生徒に届けたいものですよね。

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161 年末の授業の締め方
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サマリー

年末の授業で生徒にかける言葉について考察し、個人の経験や視点を通じて伝えることの重要性が説かれています。また、失敗談や来年の目標を共有することで生徒の心理的安全性が高まり、より良い教育の実践が目指されます。年末に生徒にかける言葉の重要性とその準備過程が、教員自身の振り返りや成長につながることが語られています。授業者が自分の言葉で生徒に真剣に伝えることで、より良い授業へと導かれるでしょう。

年末の特別な授業
デジタル時代の国語教育を語ろうにようこそ、パーソナリティのKasaharaです。
この番組では、Google for Education認定トレーナーと認定コーチの資格を持つ、私、Kasaharaが、教育にまつわる様々な話を配信していきます。
さて、12月に入って、リスナーのあなたはいかがお過ごしですか?
自分は今週から、週1回以上色々なところへ出張が入っているなど、シュワスという文字通り駆けずり回ることになりそうです。
まあ、自分からやりたいと言ってしまっているので、自分で仕事を増やしているような気もしますが、自分で動けるうちに自分の力を蓄えておきたいなぁなんてことを思うわけです。
さて、そんなわけで、今回は12月らしいテーマでお話したいと思います。
年末が近づいてくると、冬休み前の最後の授業で生徒に何を話そうかなって考えませんか?
自分もこの時期になると、ちょっとそわそわするんですよね。
普段の授業とは違う、ちょっと特別な空気感があるじゃないですか、冬休み前って。
勤務校の場合、今が修学旅行の時期になっているので、担当の先生がいなくて受習になってしまうことなんかもあって、なんとなく落ち着かない、気が抜ける感じがあります。
教科の内容を進めるにしても、クラスの授業数が午前授業だったりすると全然バラバラになって合わなくて、内容を進められないなぁなんてことを思ったりもします。
授業があったとしても、国語の授業だと中途半端に年をまたぐと内容を忘れてしまうので、授業を進められないなぁなんてことを思ったりもするわけです。
自己表現の重要性
だから、こういうちょっと間の抜ける時期に、ちょっと意識して伝えたいことを準備してみるのはいいんじゃないかなと思っています。
ということで、今日のテーマは、自分が年末に生徒に書ける言葉についてお話をしていきます。
さて、ここからが本題です。
年末最後の授業で特別な話をするかどうか、リスナーの先生方はどう考えていますか?
自分は正直、説教臭くなるのは嫌なんですけど、いつも通りにいかない時期だからこそ、ちょっと言いたいことは伝えた方がいいよなぁとは初任の頃から思っていました。
もしくは、今回の放送では深掘りしないんですけど、図書館で生徒に本を借りさせるなど、冬休みの準備を生徒にしてもらえるような時間を取るようにはしていますね。
話を元に戻すと、年末だから1年を振り返ってみたいな、道徳の授業みたいなことになるのは避けたいなぁって思ってます。
生徒もまた始まったって思うでしょうし、自分もそういうことをしていて楽しくないんですよね。
でも節目の力ってかなり強いものがあるなぁって最近やっぱり感じるんですよね。
子供たちの中にちゃんと何かが残って意味ある行動を引き出すきっかけになるなぁっていうふうに感じています。
じゃあそういう節目の今の時期に何を話すかなんですけれども、自分がこの数年間心がけていることとしては、できるだけ授業者である自分の話をすることなんですよ。
これは自分のプライベートの話をするということではなくて、自分の視点から見えていることは何かということを話すことを時間のあるクラスにはするようにしてるんですよ。
学校のことでも、社会のことでも、自分が今やっている研究のことでも、何か自分の世界から見えているものを話すように淡々と事実を伝えるようにしてますね。
決して自分のお気持ちの表明ではないです。
ポッドキャストみたいに話すことに意味があるんじゃないかなっていうふうに思うんですね。
ポッドキャストもパーソナリティーが永遠と自分のお気持ちばっかり話していてもあんまり面白くないですよね。
私の立場からはこう見えるみたいな話が聞けるから面白いわけで、そのあたりの微妙なさず加減をちょっと考えながら話すようにしてるんです。
ただの雑談みたいに思うじゃないですか。
でもこれ意外と生徒に対して効果あるんですよ。
普段の授業だとどうしても教科の、科目の授業内容の話になるじゃないですか。
それでも現代の国語、つまり現代文を教えているとだいぶいろいろな話を普段からすることはできますが、
でも余計な話だとか自分の主観的なことだとかはしている余裕はないわけなんです。
でも年末の最後ぐらいは授業者である自分自身の一年間を振り返って、
自分の世界はこういう見え方をしてるんだ、こういうふうに考えているんだ。
だから未来ではこういうことをしてみたいんだみたいな話をしてみるのはいいんじゃないかというふうに思うんですね。
すると生徒も、「へえ先生ってそういうことも考えてるんだ。」みたいな反応をしてくれて、
大人が考えていることや学んでいることに興味を持ってもらえるような感じがするんですよね。
これは国語科の教員としての話になりますけど、やっぱり語るということ、言葉を伝えるということの価値を生徒に振る舞ってみせたいなって思うんですよ。
未来への展望
これは自分がポッドキャストを授業で実践したいというような思いとも関係しているような気がします。
自分の考えを言葉にして誰かに伝えるということ、それがどういうことなのかということを自分自身が見本のようにやってみせる。
威圧したり騒ぎ立てたりしなくてもちゃんと伝わることがあるということを、言葉を使う人間として実践してみたいんですよね。
よく書くことは考えることって言いますけど、話すことも実際同じですよね。
だからあんまり授業者としては望ましくないことをやっている自覚はあるんですが、こういう話をするときは話しているうちに自分の考え方がまとまってくることはありますね。
生徒の前で自分の1年間を振り返りながら話していると、自分はこういうことを大事にしていたんだなということを話しながら気づくことがあるんです。
そういう言葉にする過程を生徒に見せることって案外国語化としては結構意味のあることなんじゃないかなというふうに思っているわけです。
自分自身が言葉をあんまり上手ではなく、話が行ったり来たりしながら紡ぎ出して、それでも自分はこういうことを考えてるんだっていうのを言葉にするみたいな、そういうようなことの威力というのをちゃんと授業で大人として見せてあげたいなっていうふうに思うわけです。
話は少しそれますが、自分は毎日ボイスで配信をしているわけですけど、これもまさに同じようなところはあります。
話すことで考えをまとめて、話しているうちに新しい気づきが生まれる、このサイクルを回し続けることで自分自身を確かめるように生活しているような気がします。
ボイスの方は割と気軽に話しているので、試作的に深まるかというとそうでもないんですけど、ただやっぱり話してみる、そしてその話したことを後から聞き返してみると、自分自身の繰り返し出てくる大切な価値観みたいなところもわかってくるので、やっぱり話すってことは重要だなっていうのは強く感じるところです。
生徒にもそういう体験してほしいんですよね。もちろん生徒に毎日ボイスや配信やれなんてそういうことはできないので、何とかして授業の中で自分の考えを言葉にする機会というのをもっと持てるようにしたいなっていうふうに思うわけです。
だから少なくとも年末に自分が話す姿を見せることで、言葉にするってこういう面倒くさくて手間もかかるし一直線には進まないことなんだよっていうメッセージを身をもって示してみたいなって思うわけです。
まあその試みだとか意図がうまく伝わるかというとわからないので、完全に心情を表明しているようなものなんですけどね。さっきお気持ちの表明は嫌だって自分で言ったんですけど、振る舞ってみせるっていうことが大切なので、ただ気持ちを伝えるだけではないっていうことは言っておきたいかなというふうに思います。
さて具体的に何を話すかなんですけど、自分がよく話すのは次の3つぐらいかなっていう気がします。
一つ目が今年一番印象に残っていることみたいな話ですね。
これは生徒に関することでもいいですし、自分の個人的なことでもいいと思ってます。
ただ例えば今年はあの単元のあの人の作品って結構良かったよねみたいな話をすると、生徒はめっちゃ喜びますよね。
自分の名前がそこで出されなくても、ちゃんと単元に関してフィードバックが得られるみたいなそういう感覚が生徒にとっては大切になるんじゃないかなっていう気はしています。
だから生徒がどういう勉強の姿をしているか、授業の中でどういう活動をしていて、どういうような行動をしているかっていうのは結構よく見て、
できるだけ授業の中でああいうふうにあの人やってたけどあれっていいよねみたいな話は実は普段からするようにしています。
そして2つ目は自分が失敗したことをかなり話すようにはしています。
これは間違いなく生徒によく響きます。
先生も失敗するんだ、完璧じゃないんだっていうことを知ってもらうことが心理的安全性にもつながるだろうというふうに思っています。
心理的安全性というのが失敗したらダメだ、失敗をしないように先回りして何か準備することだではないので、
失敗しても受け入れられるという安心感があるということが大切だと思うので、
自分自身が失敗する人間なんだっていうのを見せることで、
これだけ間抜けなことをする事業者に対してそんなに気張らなくてもいいんだよみたいなことを示してあげたいなっていうふうに思うわけです。
例えば自分は今年かなりいろんな現行に締め切りを追われていて、仕事の管理が積んでいることが多かったんですが、
そういう話を生徒にしょっちゅう授業で愚痴ってるんですよ。
すると生徒も、あ、先生も大変なんだって親近感を持ってくれたり、
うまくいかなくてもそれはそれでいいんだっていうふうに安心感を持ってくれたりすることにつながっていたんじゃないかなっていう気はします。
あと3つ目は、これからやりたいことははっきりと言うようにしたいなって思っています。
これは前向きな話として1年間を締めくくる時には、まあこういう話がいいかなっていう気はします。
失敗なんで1年間の最後終わらせるのもどうかなって思うところもないわけではないので。
だから来年はこういう授業をやってみたいとか、こういうことに挑戦したいみたいな話をするんです。
そのためにこういう勉強を今してるんだとか、こういうところに勉強会に出かけてるんだとか、
こんな仲間が今いるんだよみたいな話をするようにしてますね。
まあこの3つのタイプの話のいずれに関しても、こういう話をする時のポイントとしては、全員に無理に聞かせようとしないことですね。
30人がいたら30人の心に響く話なんて絶対できないですよ。
雑談として軽く聞いている生徒もいれば、全く聞かない生徒もいる。
そう思って話せばいいんですよ。
これは自分が国語科の教員として常に意識していることではあるんですが、
言葉の力と教員の姿勢
言葉ってやっぱり伝わらないということが前提なんですよ。
全員に伝わる言葉なんてやっぱりないです。
でもだからこそ言葉の力を信じて、言葉を選んで誠実に話すことに意味があると、そういう姿勢を見せたいと思うんです。
だいたいトラブルの原因って言葉ですからね、高校生。
そしてこれは冗談ですけど、共通テストが長文化したせいで、科目の平均点下がると他の教科から国語科の選位されますからね。
まあまあ冗談はともかく、言葉っていろいろなところにつながるので、
誠実に粘り強く我慢強く向き合わなければいけないということをやっぱり授業者として考えなければいけないし、
子どもたちにもそういうことを見せていかなければいけないんだろうというふうに思うわけです。
あとこれはちょっと余談なんですけれども、年末に話す内容を決めようとすると、自分自身の1年間の振り返りにもつながるんですね。
今年は生徒に何を伝えられたのだろうとか、
自分は教員として何を勉強してきて、何を成長できただろうかみたいなことを話の準備をしながら考えることになります。
で、これが結構教材見直したりだとか、自分の業務日誌見直したりだとか、良い振り返りになるわけです。
授業に追われていると自分の仕事を振り返ることって意外に少ないですからね。
先生たちのリフレクションというのは定期的に話題になるんですけど、リフレクションするための時間がないんです、本当に。
だからこそ、こういう授業で生徒に伝えるために自分自身を棚下ろししていくみたいな時間を作るというのは、教員としてのスキルを磨くという意味でもすごい意味があるんじゃないかなって思うわけです。
年末の振り返りと準備
年末に生徒にかける言葉を考えるということは、実は自分自身のためにもなるので、やってみるのはいいんじゃないかなっていうふうに思います。
ちなみに、自分は年末にこういう話を生徒にするときは、特にスライドも何も使わないですね。スライドを使ったらダメじゃないかなっていう気がしますね。
なんだか一家制のイベントみたいになっちゃうのは、かえって良くない気がします。むしろ言葉に集中して、ただ淡々と話すようにしています。
メモだとかも作らないですね、こういう話をするときは。その場の空気で思いつくことや、生徒の雰囲気から感じ取って、何を話したらいいかなというのを反射神経で決めてる感じです。
だからある意味で、6クラスだったら6クラスとも話すことバラバラなんですよ、毎年。
まあそれは一緒の筋トレみたいな、自分自身の授業スキルの修行という面も含めて結構大切にしていることなんですよね。
普段は生徒主体の授業といえば聞こえはいいですけれども、要するに生徒に比較的丸曲げした授業をしているようなことをやっているので、
自分は普段そういう授業だからこそ、年末ぐらいは、薄めの季節ぐらいは自分がしっかりと前に立って、自分の言葉で話すということを大切にしているわけです。
そういうメリハリがあることによって、授業というものに対して生徒たちもなんか本気でやるといいことがあるんじゃないかなっていうふうに思ってくれるんじゃないかと思っています。
どうですかね。自分の言葉で語るっていうのは、授業者にとっては結構気持ちとしてもハードル高くないですか。
でもそういう高いハードルだからこそ、先生たちが生徒に向かって本気でその場でその場で言葉を紡ぐということを見せてみるということが、生徒に響くものにつながるんじゃないかななんてことを思うわけです。
今回の配信はいかがだったでしょうか。年末に生徒にかける言葉、なんとなく考えていたけど言語化できなかったというようなこともあるんじゃないですかね。
自分もこうしてポッドキャストの台本を考えて話すことで、年末をどうやって締めていこうかななんてイメージを今固めている感じです。
別に特別なことを言う必要はないんですよね、末に。たぶん。きっと。
普段から子どもたちを見ている、自分の言葉で自分の思いを伝える、それだけで十分だと思います。
とはいえ大事なのは準備することですね。何を話すかちょっとは考えておきましょう。
見切り発車で着地の見えない説教は子どもたちはかなり嫌がりますからね。
コスパタイパの時代を生きている子どもたちにはむやみな説教は厳禁です。
ただ、ちゃんと準備してある、意図のある話はしっかりと聞いてくれる場合が多いでしょう。
何を話すかよくよく考えてこだわって、ちょっとした語りをしてみるのは良いかもしれないです。
年末は先生方も忙しいと思いますけど、ぜひ冬休み前の最後の授業で何を話すか考えてみてください。
大切なのは、授業者自身がいろいろなものにアンテナを張って、自分も学んでいるんだという、ある意味で、
学び方や物の見方の手本になるようなことを意識して話して、生徒自身が何か自分で気づくようなきっかけを与えることなのだろうと思います。
本日のポッドキャストの裏話は、私のボイスで朝6時半で配信していきます。
ボイスでは毎日の教育実践の話やちょっとした雑談もしていますので、ぜひそちらもお聞きください。
ここまでお聞きくださりありがとうございました。
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次回の配信もお楽しみに。ではまた。
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