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Dialogue cafe。この番組は、40代で組織を離れ、ワーク&ライフシフト中の田中優子と岡澤陽子の2人が、身近な出来事から社会課題まで、最近気になるあれこれを好奇心のまま語らうポッドキャストです。
今日は、いよいよ岡澤陽子さんのキャリアについて、今に至る経緯をストーリーとして聞いていこうかなということで。
意外と私、陽子ちゃんと長い付き合いだけれども、必ずしもどんなキャリアを経てきたか、もちろんトヨタに20年いたわけだから、それは知ってるんだけど、どこの部署にいたかぐらいも知ってるんだけど。
そんなに陽子ちゃんがどんなことを思いながら仕事をしてきたかって、じっくり聞いたことってないなとか思って。
そうだったんだね。
断片的にはね、特に若い頃というか、お互いが独身だった時は、こんなことあって、みたいなのを話した気がするんだけど、特に子供ができてからとかって、そういう話もそんなにしてこなかった気がするんで。
うん。
結構楽しみなんですけど。
うん。
ちょっとどこから話そうかなということで、まず新卒の就職活動から、トヨタを選んだ理由みたいなところから聞いていきたいと思います。
そうだね。
まず、実家が医者家庭なんだよね。
うん。
父親医者で、あと親戚は資格系が多いわけ。
医者、公務員、学校の先生。
学校の先生、役所みたいな感じで。
兄弟もそうだよね。
結果的に兄弟もね。
お医者さんとか、税理士とか、資格系が多い中で、周りに普通の会社に勤めてる人っていうのがほとんどいなかったのよ。
うん。
なので、あんまりイメージがつかないっていうか、会社で働くっていうのが。
はいはいはい。
ただ、一方で自分が大学でやってたのはマーケティングみたいなことをやってたから。
うん。
もう単純に、マーケティング、じゃあやっぱりものづくり、メーカーみたいな感じの思考で、すごい単純だった。
なんか情報がすごく限られてて、だから当時自分でもあんまりそこまで取りに行ってもなかったし。
うん。
なので、もうメーカー志望みたいな感じでいろいろ受けたのね。
で、自動車に関しては、私当時その大学の授業で、マッキンゼの副社長ぐらいまでやってたおじいちゃんが、競争戦略論っていう授業を持ってて。
で、その中で自動車業界の分析をする機会があったの。
で、いろんなこう、もちろん財務とかそういうのも分析するんだけど、経営者たちのインタビューとか、そういうのとかも全部漁っていって、見ていく中で、当時さ、奥田さんが社長だったのよね。
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うん、トヨタのね。
そうそうそう、トヨタの。
ただ、奥田さんがかっこよかったのよね。
うん。
なんていうのかな、こう、胆力があるというか。
はいはいはいはい。
で、当時その、今ほとんどの社長が、
はいはいはいはい。
今ほどトヨタは大きくなかったけど、でもそれでもまあ、勢いがあって、まあ、優良企業。
うん、そうだね。
すでにもう優良企業だった時に、その、変わらないことは、変わるよりもリスクが高い。
はいはいはいはい。
二十数年前にもすでに言ってたわけ。
うん、ね。確かに。ようこちゃんね、そんな話してた。
そう。
なんか、うん。
そうなの。それで、かっこいいなって思ったんだよね。
かっこいいな。
っていう。
あー、なるほどね。
っていうね、結構そういう単純な理由。そう。
でもそもそもさ、
うん。
コーチングを大学で勉強しようっていうのは、
うん。
これは何でなの?
それはね、たまたまだね。
たまたまなんだ。小学部。
小学部。
あ、小学部。
小学部。で、あのー、いや本当にお恥ずかしい話なんだけど、私大学の学部の選び方とか、
うん。
本当にひどくて、だから今子供に何にも偉そうなこと言えないなって思うんだけど、
うん。
例えば、選対試験良かったから、選対試験の配点が高い私立の学部とか、
あー。
そんなんで受けたりとかもしてたから、その一橋は小学部なんだけど、
うんうん。
私学は法学部とかもあったし、
へー。あんまり軸はなかったの?
なかった。何にもなかったの。
東京に行きたいっていう。
あ、そうそうそうそう。
それだけ。
とりあえず、九州を出ようみたいな。
あー、なるほどね。
そんな感じで、拙走がない。
なるほど。
とりあえず行けるところぐらいな感じだったわけ。
へー。
で、まあでもそれで一橋の小学部に入って、
うん。
もともと、なんか人?
うん。
に関心があるのよね。
うんうんうん。
で、その心の動きとか、
はいはいはい。
なんでこの人こう考えるのかなとか、
うん。
なんでこれ反応するのかなとか、
うん。
まあそういうところに関心があったから、
うん。
だからなんか心理学とかもちょっと興味あったりしたんだけど、
はいはいはいはい。
まあその、社会学部みたいなのも、興味なくはなかったんだけど、
で、数学が得意だったもんね。
へー、そうなんだ。
それで、そうなの。
で、一橋のさ、小学部って数学の配点が高いのよ。
あー。
っていう、そういう理由。
へー。
あ、でもやっぱりね、お医者さんの家系だから理系なのかもね、結構ね。
なのかな。
なんか能力が高いのかもね。
わかんないけど、だからね、本当に拙走がないっていう感じの、
そうなんだよ。
選び方。で、
へー。
で、それで小学部に行って、
うん。
で、まあその中で、
うん。
いや、なんか会計、うーん、みたいな。
あー。
感じで、で、やっぱり自分は人に興味があったから、マーケティングの方向に行ったわけ。
うんうん。
うん。
でもそれは、良かったなと思う。後から振り返って。
うん。いや、だってすごい、なんていうか、適色な感じがするけどね。
うん。
そう、でも、たどり着いたのは、ものすごく、なんだろう、適当な行き当たりばったり感で、
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たまたまなんだ。
たまたまで、たどり着いてったって。
へー。
で、あのー、まあメーカー、いくつか受けた中で、まあそのトヨタに関しては、
まあ、奥田さんがすごくかっこよかったっていうのと、
うん。
あと、いろいろこう、まあ大学の先輩とかにも会わせてもらった中で、
うん。
結構やっぱ面白い人たちが多かったのね。
うん。
そのあったの、人たちが。で、こういう人たちと一緒に仕事したいと思って、
で、それでトヨタに入ったんだけど、実はあの、配属面談とかあったの覚えてる?
うん、覚えてるよー。
あのー、で、配属面談やるときにも言う、話すじゃない?自分がやりたいこと。
うん。
人事の人が、一言、車好きですか?って。
あー。
聞かれたんで。
はいはいはい。
それで、スキリスって言えなかったんだよね。
そう言って。
うんうんうん。
それで、ん?って詰まって、
はいはい。
あのー、詳細として面白いと思います。
はいはいはいはい。
っていう、答え方をしたわけ。
ぽい、ぽい。
よこちゃんぽい。
で、で、なぜなら、やっぱり車の面白さって、高いじゃん。まず金額が。
うん。
それなりに。
うん。
だから、シャンプーとかみたいに、とりあえず買ってみるかみたいな、
勢いとか、雰囲気だけではやっぱり買えないから、ある程度調べる。
うん。
なんで、考えるっていうプロセスが入る。
うん。
でも、そんななんていうのかな、一生ものの買い物でもないから、買い替えみたいなところも入る。
はいはいはい。
で、あのー、かつ、ライフステージとか、ライフスタイルとかにも影響する。
うんうん。
で、その移動手段っていう、そのインフラ的な側面もあれば、趣味思考みたいな側面もある。
うん。
で、しかもデータが取れる。
うん。
っていうところで、詳細として非常に面白いと思ってますみたいなことを言ったら、調査部に配属になった。
調査部がいいとか、そういう希望を出したわけではないの?
ね、第三希望ぐらいに書いてた。
へぇー。
第一弾にはね、企画系を書いてた。
国内企画とか、海外企画とか。
そうそうそうそうそうそう。
そうなの。
東京に来たかったからじゃなくて、調査部。
それもあったよ。
ね。
それもあったよ。
そう、だからやっぱ、そのー、下心のどこかでは、
東京に戻りたいっていうのもあったけど、でも私割と、なんかその、その場で結構流されるっていうか、
意外と、研修期間の2ヶ月って楽しかったんだよね。
うーん。
結構みんなで遊びに行ったりとか。
そうだね。
そうそうそう。で、その8割ぐらいは豊田市に残って、豊田市に。
そうね。
東京に行くのとか1割も行ってないし、すごい少ないし、だから東京配属が決まった時、寂しかった。
そうだね。そうだ、私覚えてるもん。
陽子ちゃんが、なんかあんなに東京がいいって言って、東京配属決まったのに、なんか、なんかちょっとアリウに行った気がするみたいに。
なんかちょっと私、なんか、半ば外れになった気がするみたいな、そんなこと言ってたなと思って。
そうそうそうそう。そうなの。ちょっと寂しかったのね。
うん。
そう、だから、あのー、あれで最初の配属が豊田市とかだったら、私豊田の人と結婚して豊田市に行ったんじゃないかなって。
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お?お?
もっと早くやめてたよ。
陽子ちゃんが豊田に、豊田市にずっといるのイメージできない。
いや、わかんないよ。わかんないけどね。
意外にね、適応力が。
適応力がそこそこあるから。
うん。
そう。まあでもそんなこんなで、なんかそういう、なんだろう、ちょっと愛がないっていうか、すごい左脳的な、あのー、判断で行って、左脳的なその配属面談を経て、調査部っていうとこに行ったのね。
で、調査部は、あのー、まあ当時いろんな仕事あったんだけども、一つは、あのー、ユーザー調査をやって、で、そのまあ車のその商品企画、次のコンセプトとか、次の企画をするときの、そのお客様情報を、まあ集めて分析して、あのー、まあ商品企画の方に出す、まあそこと一緒に考えながら、そっち側に使ってもらうみたいな仕事をやってたんだけど。
うん。
で、最初の一年は、国内だったのかな?本当に当時って感じたけど、あのー、軽の企画が拡大して。
はいはいはい。軽自動車の。
そうそうそうそう。すごい大きくなって。
はいはいはい。
無理くり大きくしていって。
うんうんうん。
で、そうするとさ、なんかビッツみたいな車と、軽の違いみたいなのが、かなり、こう、近づいてきてるときで、じゃあそこの接点ってなんなんだみたいなのを、あのー、まあ定例で。
うんうんうん。
で、そういう風に、その、医療的な、その調査もやりつつ、そのー、お客様インタビューとかもやって。
うん。
訂正で、そのー、それぞれを選択する人たちの心理とか背景とか。
はいはいはい。
そういうのを調査して、分析して、レポーティングしたりとか。
あー。
それがほんと一番最初の仕事ぐらいじゃないかな。
なるほど。
そうそう。
私ね、なんか確か陽子ちゃんの、その、それを調査かなーの、レポートのプレゼンを、うちの部署に来て、説明してくれたんですけど。
で、説明してくれたことがあるよ。
多分ね、陽子ちゃんと仕事で接点があったのは、その一回だけだけど、そのね。
覚えてる?
あー、そうかもしれない。
カローラ店だったよね。
そう、カローラ店。
行ったかもしれない。
そう、陽子ちゃん。
うん。
そうそう、その時になんか、Kの話だったような気もする。
確かに確かに。
なんか一回。
うんうんうん。
そうそうそう。
なんかさー、なんていうの、コラージュみたいなのをさー。
作った作った。
そうそうそう。
うんうん。
なんか、めっちゃマーケティングっぽいなーって思って。
なんかほら、私のいた部門はさー、わりとこう、ディーラーさんとのお付き合いとかがあるから。
うんうん。
まあ、マーケティング的なものもあるけど、どっちかっていうとね、なんか消費者っていうよりは、まあ間のディーラーを通してどうするかとか、
実際のツールを作るとか、広告をなんとかとか、そういう感じだったけど、もっとこうなんか上流のね、なんか消費者分析みたいなものを、
うん。
こうやって、いろいろやってるっていうのが、なんか、かっこいいなーって思って。
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なんかね、アカデミックでね。
そうそうそうそう。
そうそう。だから、そのー、まあ今はね、ちょっとわかんないけど、その当時、結構その、他の自動車会社の調査部とか、他のこう、メーカーの調査部とかと、
うん。
それと勉強会とか、なんかそういうのであったりすることもあったんだけど、なんかね、そのトヨタの調査部は、大きかった。人数も。
すごいだよね。
うん。大きかったし、そのー、やってる。
うん。
内容の幅とか深さとか、あとは、そうね、その範囲とかも含んでね。
うん。
やっぱすごく、一番大きくって、それは体力があるから、できることだなっていう。
うん。
特にその調査周りなんて、ほんとにこう絶対やんないといけない、もう短期的なことから、
うん。
あのー、なんていうかな、将来のご飯っていうか。
はいはいはい。
こう、中長期的なものもあるから、やっぱりそういうのって余力がないとなかなかできない。
そうだね。
うん。
だから、それは結構強みじゃないかなって、個人的には思ったんだけど。
うん。
でも、衝撃だったのは、自動車会社の中で、しかも特に営業やってきたとか、企画やってきたからすると、その調査の仕事ってさ、やっぱり本領ではないんだよね。
うん。
で、結構アカデミックな部分もあるじゃない。
うん。
だから、向き不向きもあるもんね。
はいはいはい。
はい。
でも、なんかフロアで、大声で、移動してきたばかりの人とかが、俺こんなとこ来ちゃったよって言ったりとかしてて。
へぇー。
結構ね、それは衝撃だった。
なるほどね。
うん。
だから、たぶんたぶんそれはね、ずーっとだと思うんだけど、常に、部署としての存在意義みたいなのを問われるっていうか。
うん。
ああいうほら、データとかって、もちろんそれを、ある?
あることはすごく大きいんだけど。
うん。
言ってもさ、なくても決断はできるわけじゃん。
まあね。
飛ぼうと思うからね。
うん。
意思決定を。っていうところで、やっぱりどれだけ、自分たちがやってることに価値を生み出せるか、価値を出せるかみたいなところが、なんか常にあったりする存在みたいな。
うーん。
なるほど。
そうそうそう。
調査部に、
うん。
最初国内やってて。
そうそうそう。
結構長く行ったよね。調査部自体は。
そうなの。そうなの。トータル10年ちょっと行ったんだけど。育休2回挟んでるっていうのもあるけど。
ああ、そうかそうか。うん。
そう。それで国内のあとに海外やって。
うん。
で、入社3年目かなぐらいに海外に移って。
うん。
で、私最初のさ、海外出張が南アフリカになるよ。
そう。それも、その話もね、なんか、南アフリカ。
南アフリカ。
ね。
そう。
いや、トヨタって感じだよね。
そう。で。
うん。
で、やっぱりほら、縁ないじゃない。
縁ないね。
それまでの人生で。
うん。
で、だから知らないから、まず南アフリカを知ら、よく理解しようと思って、もちろんその社内にあるものとか、その営業、アフリカの営業者たちとか話も聞くんだけど、日本でやっぱアフリカの研究してる人とか南アフリカに詳しい人ってすごい少ないわけ。
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ああ。
で、アパルトヘイトが終わって10年も経ってないぐらいの時なんだよ。
はいはいはい。
アパルトヘイト時代って、当然さ、白人でしか経済が回ってないから。
そうだね。
車を、新車を買う人なんて白人だけなんだけど、徐々にその、白人、非白人の人たちの新車を買うユーザーも増えてきましたと。
なので、いくつかポイントがあったんだけど、まず一つは、新しい新車のお客さんとして入ってきた人たちが、例えばその生活スタイルとか、価値観とか、商品志向とかっていうのが、
はいはい。
当然ライフスタイルも違うから、どう従来のお客さんと違うのかっていう、その商品志向みたいなミクロの部分。
うん。
で、それからそのマクロのところでいくと、結局その限られた白人の人口だけで経済圏が回っていたところが、そのさらに何倍もある、その黒人層、非非白人層みたいなのが経済圏に入ってきた時に、
うん。
例えば彼らの雇用を生み出すような、
うん。
その雇用に転換できるかみたいなところが課題になっていて、
へぇー。
でも足元ずっと循環経済で回っていて、
はい。
なので、あの市場、車の市場も結局、ある一定のパイの中で経済の波でこう動いていくみたいな、ブレークスルーしてないみたいな、
はいはいはいはい。
感じだったの。
へぇー。
そこが、そのパイの中でずっとこう循環するままでいくのか、ブレークスルーできるのかみたいな。
へぇー。
そういうところで、だから経済学者の人とか、その政府に近い感じ、こう政策、その雇用の政策とか、そういうのをどういう風に考えているかとか、
その、例えば非白人層の雇用をどうする、どういう政策でいくのかとか、そういうのとかを、あの、最初は日本のその専門家の先生に話し聞きに行き、
うん。
で、その出張の中では、なのでそういう専門家の先生と紹介してもらって、
で、現地の専門家に話し聞きに行ったりとか。
うーん、すごいアカデミックというか、なんというか、すごい研究って感じだよね。
そう。
なんかね。
うん。
すっごい私なんか当時、すごい南アフリカの将来を考えてたの。
はははは。
すごく。
そうなんだ。
すごく考えてた。で、それで、なんかお客さんにもインタビューに行ったのね。その白人のお客様もインタビューしたし、非白人のお客様にもインタビューして、で、それこそ、あのー、
旧黒人居住区に住んでる、本当に狭い、狭いところに住んでるんだけど、昼間働いて、夜学校に行って、で、この前、躍進車を買いましたっていう女性とかね、インタビューしたりとか。
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あとは、もともとはそういうとこに住んでたんだけど、いや、どこにでも住めるように一応なってるから、旧白人の居住区に住んでた。
うん。
うん。
うん。
うん。
うん。
すごい面白かった。
で、あの自宅に居住んだ黒人の方とか、
はいはい。
色んなね、人にねインタビューしに行って、すごく面白かった。
へーー。
で、で、一応さ、英語そんなに私できないよな。
あの頃さ、英語めっちゃ苦労して、何かー
俺も凄い辛かったの。
ね、本当に辛かった。
辛いって言ってたよね。
うん、凄く辛くて。でも、何かその初めてのさ、出張ていうのもあるし、もう緊張感あったから。
すごいわけよ。
うん。
で、英語もそんなにできないし。
まぁ。
結構インタビューも、やっぱりちょっとセンシティブなことも聞くじゃない?
それこそ、非白人に対してどう思うかとか、生活が変わってきたことに対してどう思うかとか
収入に対してとか、やっぱり繊細な話をするときにストレートに聞けるんだけど、配慮した言い方とかがわからないから
だから、一応インタビュアーは手配してくれっていう通訳したっていう
お願いしてたんだけど、向こうのディーラー、ディストの人に。いなかったのね、行ったら。
そうなの?
そうなの。
自分で全部やらなきゃいけなかったの?
それで行ったのは、営業の人と私と、現地のディストの人が一人回ってついてくれたんだけど、インタビュー全部私がやったの。
それは大変だね。
でも、人は手配。
対象者はいるし、その人はもうすごいオープンに答える、順に万端だし、通訳者がいないんだけど、だけどもう聞くしかないじゃない?
それで、死の思いをしながら、失礼か何かしら、もうしょうがないとか思いながら聞いて、すごい面白かったんだけどね。
あと、スウェットとかはさ、やっぱりまだそんなに治安もよくなかったから。
うんうん。
出張行ったときの話で、私すごい印象的だったのは、まず交差点で車は止まってはいけないっていう話。
止まるとね、襲われるからっていう話と、あとプータン工場が南アフリカにあるんだよね。
それがさ、自然減するっていう話。 病気でね。 エイズとか殺人とかそういうので、人が自然減するから、雇用してる人が。
だから採用し続けなきゃいけないっていう。それはなかなかちょっとやっぱり日本とは大きく環境が違うねっていう。
21:00
そうなんだよね。
本当に自分たちが思ってる当たり前。
当たり前みたいなところが、当たり前じゃない世界とか、あとは私自身さ、例えばそれこそさっき話したような大学の選び方とかも自分の子供だったらちょっと後ろから頭パコーンって叩いちゃうみたいな感じの選び方だけれども、
その黒人の人たちとかにインタビューをすると、ものすごくハングリーなわけよ。
やっぱり今頑張らずして、いつ頑張るっていうか、
なるほど。
もうすごく前しか向いてないっていう感じ。
だから、もちろん仕事としてもすごく面白かったんだけど、個人としてもやっぱり自分が知らない価値観とか考え方とか生き方とか、常識とか文化とか、そういうのを知れたのは、見れたのは、すごい面白かったね。
へー。
で、これは個人で何か仕事をやってるのでは。
うん。
見えない世界だし、行きつけないところだなと思ったし、あとはその、調査部に来て、コアなね、本流の部署ではない自動車会社の中でかもしれないけれども、企画の人たちはやっぱり自分たちの方が分かってるみたいなところが結構いたりもするんだけど、
いやいや、直接見てると。
うん。
自分たちはやっぱりすごくマーケットに真摯に向き合おうとして。
うん。
システムをするべきだし、してるんだっていう、なんかその、調査に対しての軸みたいなのが、できたってみても結構大きかったんですよね。
なるほどね。
うん。
結構こうね、ファクトに当たるというかね、その一時情報に当たってるっていうのが大きいよね。
そうそうそうそうそうそう。
うん。
で、もちろんね、その一時情報をどういうふうに理解して組み立てて、で、そのシナリオを作って、で、最終的にそれをどういう意思決定に使うかっていうのはね、結局ジャンプがもちろん必要なんですよね。
まあ確かに。
うん。
でもやっぱりその一時情報をどれだけ取って理解できるかみたいなところは、すごい大きいなと思って。
うん。
そう。
わりとだから向いてたんだと思うんだよね。
そうだね。
調査部の仕事は。
うん。
で、あと東京っていうのもあって。
そうだね。
うん。
で、だからね、移動規模をね、あんま出さなかったんだよね。
あー。
多分私、確か。
で、で、走行してるうちに。
うん。
そう。
そう。
そう。
そう。
そう。
そう。
そう。
そう。
そう。
そう。
そう。
うん。
それに、その子供とかも。
そうだよね。
あって、育休3休とかをとって、長くなっちゃったってのあるかもね、何年。
結婚したのが、29くらい?
29、29だね。
だよね。
で、30…
わりと早く子供できたよね。
そうそうそう。
30で子供でいいから。
そうだよね。
そうだよね。
だから。
まあわりと最初の部署にいる間に、ライフステージがちょっともう、次にいっちゃって。
そうなんだね。
なんか。
そうなんだ。
24:00
そんな。
キャリア寄りみたいな。 そうそうそう、そうなの、そうなの。
で、一回さ、会社辞めようと思ったのよね。
ゆう子ちゃんにね、そう話してたけど。 面接受けたりとかしてたよね、一部。
で、その結婚前ぐらいに20代後半で やっぱりそのロケーション的なところが
自分のライフスタイルの中でも大きくなってきた時に、どうしてもトヨタの中だと東京っていう
ふうにエリアを限定してしまったら、部署も限られちゃうし、難しいなと思って
ちょっと外も見ようと思ったんだよね。
で、それこそ何だっけな、マッキンゼとかの2日間プログラムとかに、 そうね、インターンシップみたいなの行ってたよね。
そうそうそうそう、2日間プログラムとかに行ったり、それこそゆう子ちゃんに紹介、面接したりとかね。
外人のね、アナリストとか。 アナリストのね、そう、面接を。
だから私はその時は、ゆう子ちゃんは
転職、外資とかをね、私は当時もうコンサルにいたから、
なんか、ゆう子ちゃんもこっちの世界に来るのかいって思ってたんだけど。 そうそう、そうなの。
結構迷ったんだけど、それでその時にいろいろなんか、そっち側の世界のね、人たちに話を聞いたら、
やっぱりハードワークじゃん。それこそゆう子ちゃんがさ、毎日祈ってたって。 そうなんだよね。
で、そのハードワークって、
で、外人のアナリストの女性が、そんなね、大企業、メーカーにいて、育児とかの支援プログラムっていうかサポートもね、充実している企業にいるのに、
なんでこのタイミングでこっち側に来るんですかって。
むしろ私がそっち側に行きたいですってこととか。
例えばその人とかは、アナリストでも結構業界によって忙しさが違うみたいで。 だからその、
ちょっとあまりにも忙しい業界ではないところの担当させてもらいたいっていう風に今考えてるとか、
それこそコンサルもさ、なんか、生理止まるよって言われたりとかね、
いうことも含めて、どうしようって考えた時に、ちょっとね、結婚の話も出ちゃったんだよね、タイミングとして。
でもさ、そのハードワークそのものが、別に嫌なわけではなかったの?
嫌ではなかった。
嫌ではなかったんだけど、実はすっごい子供が欲しかったのよ。
私すごく子供が欲しくて、なんていうのかな、家族に対しての、家族を作るっていうことに対しての思いが結構強かったから、
で、その子供を持ったら、もう子供を最優先したいっていうのがすごいあったわけ。
で、なった時に、確かに、その自分のこれからのその30代をそういう風に使いたいって思ってたんですよ。
うん。
27:00
だったら、しんどいじゃない?
まあね。
っていうところで、その仕事としてはすごく興味、でもさ、その時、子供がね、すぐできるかどうかなんてわからないから、すぐにできない可能性だとね、あったわけなんだけど、でもやっぱり自分の中でものすごい子供に対しての執着があったから、それで、ちょっと結婚の話もあって、そっちの道は選ばなかったんだよね。
うん。
っていう。
うん。
でも、その子供の選択と全然違うわけ。
そう。そうなんだよね。
そう。
それがね。
うん。
なんか、まあ確かに陽子ちゃんは、家族の話みたいな、結婚する前から
うん。
結構、自分はこう考えてるみたいなことを、たびたび言ってた気がするし。
うん。
だから、まあそういうのが大事な人なんだろうなとは思ってたんだけど、でもその後の選択を見てると、私が想定してた以上に、その、家族っていうか、子育てとか。
とかに対しての優先順位、優先度っていうか何ていうのかなぁ 単なる優先順位っていうよりはもうそれが
なんか一番ベースっていうか軸なんだなっていうのは後から そうだったんだって知った?
たぶんなんかねちょっと ちょっと歪んだ執着に近いくらいの部分があったと思うんだけど
私が4人兄弟の2番目っていう兄弟が多かったっていうのもあるし
まあいろいろある中でそれこそもう小3ぐらいから
家を出て 私は自分の家族を作るんだと思ってたのよ
チラシに新聞の折り込みチラシに入ってきた不動産の間取りを見ながら こうそこの間取りの上にこうなんか書いて
将来の家族を夢見るみたいな ぐらいなんか多分の家族を作るっていうことに対して結構執着が多分すごいあったから
あの 本当まだ不確定要素だったにもかかわらずそっちを優先するって判断をしたんだよね
なんか不思議というかあの家族を大事にするっていう話はね まあ陽子ちゃんに限らずそういう価値観を持ってる人はいると思うんだけど
どっちかっていうと自分が育ってきた
家族を なんかそこがめちゃくちゃ良かったというかそれを再現したいとか
なんかその自分の家族を作るんだみたいな なんか広がるみたいな感覚の人の話はよく聞くやするんだけど自分の家族を作りたいって
いう なんかそれってなんか結構
強いあの意思を感じるんだけど なんで自分のっていう
すごい反復期が激しくなってきた
すごい反復期だったんだよね
反抗期なんだねそれは
そうそうそう反抗期が激しくて
まあすごい今はねめちゃめちゃ仲いいんだけど親ともすごく仲がいいし家族全員
30:04
自家とも仲がいいし
すごいこうなんていうのかな色々良くしてもらったと思ってるんだけど当時はなんかひねくれてたんだろうね
すごくね反抗していて
でもさ逆にね家族なんてみたいになる人の方が家族
例えば家族に対しての反抗心が家族なんていらないわとか結婚なんてしないわとか子供なんていらないになる人もいるじゃん
いるねいるね
なんでそれが逆に自分の家族を作りかつ子供を作りその子供にコミットするっていうなんでそっちに行ったの
すごくいい質問だね
多分そこはすごいうちの家族自身も結構なんていうか繋がりが濃いっていうか
それがすごく子供のことをめちゃめちゃまあ教育熱心だったしすごく子供に犠牲にしてる子供たぶん自分を犠牲にしてるとは言わないけども本当に子供を最優先で考える動くような母親だったんだもんね
でだからそこに対してすごく尊敬だったりとか
そうすべきだみたいな
ロールモデル的な部分の
刷り込みであったりとか
いうところと
でもそのやり方に対しての反発と
みたいなものの
多分ミックスなんじゃないかな
という
だからその根本的な価値観としては
子供に対して
すごくこう
親が大事にする
集中するみたいなところに対して
ありがたいと思ってるし
なんか
すごいなって単純に
本気もしてるんだけれども
だけどもそうやって向けられたもの
っていうところに対しては
素直に受け止められなかった部分も
あるなかった
そういう複雑な気持ちがあった
だから
自分の意思で
家族を作るみたいなのを
すごく思い込んでたっていうか
家族はやっぱり
基本なんだね
必要なものなんだよね
でもさ
そこまで
家族とか
しかも子育てを最優先したいっていうなら
専業主婦になるっていう
そのオプションはない
でしょ
だからね
すごい
結構何人かに話したら驚かれるんだけど
それもありだと実は思ってたのよ
専業主婦あり
だと思ってた昔はね
それはトヨタにも就職してからの話も
そう思ってたこと?
そうそう
だから
そのもちろん言わないし
その思いが
100%
締めてるとか全然ないんだけど
頭の片隅に
そういう選択もあるなっていうのは
33:00
あったと思う
10%ぐらい
だから
その選択肢はありえません
みたいな感じが
ハイジョウでは絶対なかった
ただやっぱりさ
あの
経済的にね
なんか自立してないの怖いじゃない
まあね
だから
そういう怖さみたいなのも
でも一方で徐々に出てきてて
働くなかったと
ででも10%ぐらい
専業主婦でもいいみたいなのもあるみたいな
だから結構そういうすごくミックスした感じ
迷いがあった
でなのでその一人目の子供を産んだ時に
育休も結構長く取ったし
1年半ぐらい取ったんじゃないかな
あとあの復帰する時にも時短
時短を使うっていうことも迷わなかったし
で当時夫も結構忙しかったから
まあ自分の
自分が自断をすると
でもそうしたけど
その時短が苦しかったのよ
ちょっとその話は次回の
次回のことにしようかね
聞きましょうかね
じゃあ今回は
ようこちゃんのトヨタの最初のね
ところの
はい出産までのところで
次回じゃあ
さらにそこを掘り下げていきたいと思います