00:01
ダイアログカフェ。筋書きのない対話から新しいアイディアと自分自身に出会う場所。この番組は様々なテーマで楽しみながらお届けします。
はい、では中西敦士さんをお迎えして第3回です。
えっと、事業の話はたっぷり聞かせてもらったんですけど、中西さんって、そもそも起業をしたいって思い始めたのはいつ頃なんですか?
起業したいなって思ったのは、小学校の頃ですかね。小学校4年生ぐらいですか。
なんで、きっかけはあるんですか?
きっかけは、元々うちの祖父が自分で事業をしていたというのがあって、結構年上だった、明治の生まれの祖父だったんで、もう全然完全に引退はしていたんですけど。
やっぱり、私が小4の時ちょうど亡くなって、お父さんや母さん、普段見ないような親戚とか関係者とかが来ると、なんかおじいちゃん面白かったよみたいな話を聞くと、あら、そういう人生もあるんだみたいな。
これが一つあったというのと、後は小5の時がWindows95がちょうど出た年で、まさにハーバードを仲大したブルケイクさんが世界を接近して、日本の若者を熱狂させているんだみたいなのを見ると、なんだこの職業はみたいな。
やっぱり興味を持って、小6の時の卒業アルバムって、自分のなりたいものの格好をして写真を撮る。サッカー選手だったらサッカーのユニフォームとか、プロ野球選手だったらバッと持って写真撮るみたいな。
僕だけ中西エンタープライズ社長って、スーツそれだけ着れない。そういう少年でした。
お父さんはどういう?
全然普通に公務員ですね。
お父さんは公務員ですか?
逆のやつですね。
おじいちゃんは面白い人だったんですか?
あんまり記憶がないですけど、面白かったよみたいな。
おじいちゃんの会社は、おじいちゃん亡くなった後に続いて…
いや、もう普通に亡くなってはいましたね。
その時、小学生だから、なんかでかいことしたいなみたいな感じで、面白いことしたいなみたいな。
そうですね。でかいともそうですね。
どうやったらなれるかなんて、子供だとあんまり想像できない気がするんですけど、そこのリアリティは当時は別に?
全くないですね。
普通に中学受験して?
そうです。
中西さん、赤シシーですね。周りって中学受験する子は結構いました?
03:01
こっちのクラスは3人多分はくるように。
15%くらいかもしれないですね。結構したかもしれないですね。
あ、そうなんですね。
同じクラスから3人はくるように入った。
じゃあ結構他の中学1校もいるからね。
中学も女子もいますね。
女子もいるから。
30%だった気がしますね。
そんなことないかな。ちょっとわからないですね。
でも赤シシーだと結構多いのかな?
多いかもしれないですね。
中学受験をするっていうのはご両親の後身ですか?
そうですね。うちの兄が先に博寮に行ってたんで。
まあ長男は普通にクオリティだったんですけど、どっちに行くんやみたいな。
3人兄弟?男3人?
3番目。
じゃあ上の次男が博寮に行ってたから自分も同じ。
そうですね。
結構塾で勉強したんですか?
まあまあそんなにしなかったですけど。
そうなんだ。
まあそれなりにやってたんです。
一応日曜日はずっと塾だった気がします。
そうなんですね。
なんか他にスポーツをやったとか、
なんか小学校とか小さい時にこういうのにハマってたとかあるんですか?
サッカーはやってましたね。
サッカーはもうちょこっと1年ぐらい近年ぐらいですけど。
えー。
小学校の時に?
小学校の時に。
へー。
まあ博寮中高ってまあまあなんか。
鍛えられる?
そうじゃないですか。割とあの大会系だね。
結構分部領土系。
分部領土?
分銃みたいな。
銃道部?
銃道部しかも銃道部です。
銃道部?中高?ずっと?
なんであの学校の銃道部なんていう。
銃道場だけはね、立派なのがある学校で。
あれなんか授業でやるんでしょ?
そう。体育が週2時間のうちの1時間は銃道で。
すごいよね。
なんで銃道部入ったんですか?
なんかね、小学校6年生の時に
めちゃくちゃ殴り合いの喧嘩をして負けたんですよ。
ちょっと強くならないと。
へー。
であの銃道部の勧誘、
新人を勧誘する時ってなんかこう
みんな何ですかね、各部のみんなアピールするんですけど
もう銃道部恒例のやつがあって
まず入学した時にヒョロヒョロで
ヒョロヒョロでボコボコにされて
銃道部入った後に
まあ別の人は出てくるんですけど
でっかくなって
そのやられたやつをボコボコにし直すっていう
もう見て、これだ!
これだ!
へー。
強くなりたい?
強くなりたい。
へー。
私も今日ね、初対面ですけど
06:02
最初にお会いした時に
運動をやってたのかなと思って
勝手にラブビーとか
でもぶつかる感じの運動をやられてたのかな
格闘技っていうか
コンタクトスポーツをやられてた感じ
って思いました。
でも正解、まあほぼ。
え、じゃあ強くなったんですか?
あんまり成績はパッとしなかったですよね。
でもその銃道部の勧誘って
でもその銃道部で
後輩だった人が
その後会社に手伝ってくれたり
来たんですね。
今もいらっしゃるんですか?
今はもうちょっとご卒業されたんですけど
でもね、白龍絡みが
同級生とその後輩が
会社を手伝ってくれたり
なんか結構友達が多いタイプだったんですか?
まあそう
白龍の中ではそうかもしれないですね。
そんな意識はしてなかったですけどね。
将来起業したいみたいな目標がある中で
あんまりそこまでどうやったらつながるか
とか考えてなかったかもしれないけど
東京に行きたい
東京に実際に出たわけだから
東京に行きたいとかこの大学に行きたいとか
あるいはこういうことを身につけたいとか
英語だけはやっておきたいとか
当時から考えていたことってあります?
東京はまずやっぱりありましたよね。
東京とあと大学選びで
うちの兄貴に聞くと
社長といえば一つ橋だぞって
すごい言われて
そうなの?
一つ橋の省ですか?
そうそう、私は慶応ですけど
一つ橋の省だなって
国立はじゃあ一つ橋の省
慶応っていうのも有名なんじゃないの?
相対性は違うんじゃないかみたいな
いわゆる田舎の高校生の
しかも東京じゃない高校生の
限られた情報の中で
なんとなくこれじゃないか
小学部が結構強いみたいな
そういう意味?
小学部だけを選んでいた
なるほどね
社長になるにはやっぱり小学部だろうから
実際入ったら別に社長のことは何も知らないですけど
それで国立は一つ橋を目指し
慶応は小学部
慶応に入ったわけですよね
慶応は実際企業家の方とか
多い
二代目社長とかも
二代目社長とか多いかもしれないけど
その辺ですかね
中高時代でちょっと意識していたみたいなのは
大学の進路としては
そういうところにしよう
でもぶれない
そうですね
憧れの東京に出てきて
慶応とかだと
中西さんの世代だと
ちょっと上になっちゃうのかもしれないけど
09:00
企業家サークルとかするのもあったりするじゃないですか
あれあったんですか
いや
成田さんとかも
インカレかな
SFCの方
SFCの方じゃないかな
SFCかイナかが大きな違いだ
SFCに行けばよかったね
そうそうそう
高砂川までは入っていけなかったんですよ
高砂川までは入っていなかったね
それは分かる分かる
確かにね
そこあるわ
SFCはやっぱり
あの当時あったけど
何だろうみたいな
確かにね
環境情報ってなんだみたいな
何だろう感が
総合政策とどう違うんだろう
確かにね
思った思った
富士山富士山キャンパスとか
東京じゃない場所だし
東総だしみたいな
確かに確かに
あそうか
でも高校の先生に言わなきゃそうじゃん
小学校に行け
小学校に行けって言われる
社長だったら小学校だ
社長になりたいんですけどどこに行けばいいですかって先生に言ったんですけど
それは小だろう小学校だろう
商売だからな
だけどやっぱりさ
高校の先生分かんないよ
私も地方出身だから分かるけど
地方だとそういう解像度にね
しかも時代的にね
分かんないよね
確かに今考えればSFCだったかもしれないですね
インターネットが
検索できる時代でもないし
確かにね
なるほどね
結果的にK-Oで出会った
ネットワークみたいなものも
その後に結構
使ってたりもしますもんね
そっか
最初の就職は
ベンチャーですか
最初の最初は
本当は
自分で本当に学生
の間に何かしようと思ってて
ロボットベンチャー
ロボットベンチャー
分系なのに
早すぎてしかも作れない
キットだけ買ってきて秋葉原で
これで今日も作れる
まだ会社じゃないよね
全然分かんないなこれ
何するんだろう
会社ってなんだそもそも
一回統計だけしたけどやめて
統計はしたんだ
統計だけすれば会社ってできるのかな
何も起こらないぞ
統計したけど何も起こらない
大学の掲示板にその中に
バイト募集とかがあって
見てると
新しく事業立ち上げる
新規事業立ち上げるメンバー
募集みたいなのがあったんで
そこ面白そうだなと思って
そこに行って
バイトから始まったんですけど
元々
富士ゼロックスの
コピー機の
12:00
EMSの工場が新しく
企画を持ち込まれて
別の会社をやるっていうのが
あって
メンバーとしてバイトとして入って
そのまま1年間くらい
そこの社員として
働いてて
この事業どう考えても日長も札長もいかないなって
もっと社会を知らない人ってあって
コンサル会社に入った
連職した
なるほどね
1年くらいで
会場を
なるほど
コンサルで
4年くらい働いたんだ
社会が狭いぞと
世界を知らねば
っていうので
フィリピンの
本にも書いて
いらっしゃいましたけど
ジーンズを
作ったんですか
いわばマニラサっていう
農産物があって
これは
紅茶のティーバッグの原料とか
タバコの巻き紙とか
日本の支援の原料とかもあって
深い植物があるんですけど
そこを育てている農家さんの
収入を上げなさいっていう
これだけが分けられて
収入を上げるには新しいアプリケーションを作って
原料というか
コストを下げるしかないので
なので
一つのアプリケーションとしては
原料を使って
ジーパンを作るというか
新しい服を作っていくというのが面白いんじゃないかと思ったので
いろいろと糸を仕入れて
最終的には
ジーンズまで何とか作った
というのが一つで
医療にしていくというのは面白いな
というのがいろいろと
結構あったので
そっち側で一つの目を出して
あと原料
コストを下げるという意味で言うと
しっかりプランテーションをセーブし
やっていかないといけない
伊東中というのが
ちょうどその時
フィリピンの使者を立ち上げて
100周年という年で
一番最初に伊東中が
フィリピンに出た時は
まさにマンニュラーサを日本に出するという
なのでちょうどいい
タイミングなのでお金くださいと
私はマンニュラーサの農園
整えてきますというので
CSRとして
もらって
そのお金で農園を整えていた
そういう活動を2年くらい
やっていて
それは今も続いている?
これはもう分からないです
公認3人くらいいたらしいですけど
その後はどうなったか分からないですけど
なのでそのままの延長線上で
ずっと
フィリピンでやっていても良かったんですけど
またフィリピンと日本だけになってしまうと
これはまた
せっかくのチャンスなので
もう一歩外に出たいなというので
これは
当時のJICAは
まだまだ予算があったので
村に派遣されるんですけど
派遣される
その認知を離れるときに
お金をまとめて
15:00
どんどんくれるというのがあって
結構そのお金を使って
隊員さん達は
大きなイベントをして
日本の若者が
この固い中で何かやったぞ
送り物を送って
JICA、日本というものを
みんなに気に入ってもらうようにしなさい
みたいなものがあったんですけど
それで町長さんに
何か欲しいのある?って聞いたら
iPhoneが欲しいって言われて
これは結構衝撃で
本当に電気と水が
一日の半分くらい止まるんですよ
やるべきものもっとあるだろうし
しかも
町長、お前これ自分で
あなたに送るんじゃないからね
っていうのも含めなんですけど
ただそんな固い中で
欲しいって言わせるiPhoneはやっぱりすげえな
だったので
やっぱりシリコンバレーの方に
行かないとなっていうので
UCバーグレーの方に
学部に行ったんですか?
学部じゃなくてこれは
ディプロマトプログラムで
なんていうんですか
日本だとあんまりないと思うんですけど
ちょっとした簡単な
テストというか
そうすると
簡単な小論文だけで入れるコースがあったので
そこに入ったみたいですね
ディプロマはもらえるんですか?
もらえるんです
それで一年間ですか?
一年間
でもその後のインターンも
あるっていう感じの
プログラムも
企業化養成的なものなんですか?
企業化養成
ビジネスですよね
学んだのは
ファイナンスと
インターナショナルビジネス
マネジメント
その二つのコースを
作っていきました
行ってみてどうでした?
目から鱗はないですけど
ファイナンスは
ちゃんと学んだことがなかったので
ファイナンスってこういうことなんだ
っていうのは
リスクリターンじゃないですけど
考え方も含めて
日本で学べるんですけど
英語で全部やられると
結構予習と復習しないと
やばいというので
ちゃんと勉強しないといけないので
勉強したいというのがありました
あとはやっぱり現地のコミュニティとか
シリコンバレーでのインターンとかも含めて
そこの経験はやっぱりすごい
今にも生きてるなという感じはありますけどね
そうですね
さっきのね
私に
中西さんを
紹介してくれた柏木さんっていう
女性なんだけれども
彼女もここで
知り合ったってことじゃないですか
でも先輩だもんね
同級生じゃないですか
当時は全然喋ったこともない
高嶺の花の女性だった
そうなんですね
大山さんを知ってて
大山さん
スピアの
また起業家の
日程調整といえばスピアの
日程調整といえばスピアの
18:00
大山さんに
紹介してもらって
大山さんと柏木さんがもともと
白龍の同級生で
その後輩として
大山さんが世界を放浪している中で
中西さんのところに
居候してた
そういう
向こうで
日本人の
割とね
本を読んでも
向こうに行って
日本人のコミュニティの中で
一緒に開発してくれる人探したり
投資してくれる人探したり
みたいな
そういうエピソードも結構あったんですけど
シュリコンバレーに
集まってくるみたいな
いろんな人に出会えるみたいな
そういう場でもあったと
そうですね
そういう人たち
何らかのチャンスというか
もちろん企業として
シーズを探しに来ている
企業の方もいっぱいいましたし
投資業をやっている人もいましたし
あとは企業を
売却して
お金を持っていか
学生になるみたいな
いろんな人がいっぱい
いろんなタイプ
そうやって
実際に自分で企業をしている人とか
投資
イグジットしちゃったような人を
身近に見ると
自分自身もやれるかもみたいな
気持ちになりますよね
あの日
シュリコンバレーの中で
今はちょっと
シュリコンバレーの不思議なところで
できるかもって
みんな思わせちゃう
何かがありますよね
でもさっきの
一番最初のおじいさんの
話じゃないけど
ロールモデルというか
身近に例がいくつかあると
それが世界全体から見たら
ものすごい
突出した一部かもしれないけど
その中に入っちゃえば
これ普通に
できるっていう感覚に
どんどんなっていくというか
確かにあるかもしれない
すごい影響
ですよね
だんだん近づいてますね
まさに
そこから企業にその後
行ったわけだけど
だってね
個人的な
大事件から
思いつきで
会社作っちゃおう
みたいな
いきなり法人作ったんですよね
ビザを延長するために
アメリカで
いるために
そっか
そこから最初
ボランティアベースで
手伝ってくれる人が集まってきた
ちゃんと会社
日本に文字作って資金調達をしたら
その後やっぱり
必要な人材を
増やしてかなきゃ
それって
プロダクトが作ったが
21:00
元々知ってる友達みたいな人たちが
集まって作ったけど
全く知らない人をここから採用して
組織作っていくっていうのは
まさに会社作りだと思うんですけど
これは順調にいったんですか
それは右翼曲説は
さまざまありましたけど
誰も知らない人の
採用って誰からスタートなんだろう
あんまり記憶ないですけど
基本的にはやっぱり
中古の同級生とか
元々知ってる人たち
メンバーとその知り合いが
引っ張ってくる人たち
最初はそういう感じ
そこからスタートですよね
最初
最初はどことって
言うんですけど
ローンチしたのが17年でした
そのタイミングって
組織何人ぐらい
それぐらい
十数人
十数人
そのタイミングで十数人
十人ぐらいだった気がします
その時はまた
知り合いと
知り合いの知り合いぐらい
あとは
ジムのサポートしてくれる
人とか
今何人なんですか
今30ぐらい
開発をしてる人が多いんですか
半々ぐらいですね
エンジニア
2018年
海外の
ローンチして
海外に行くぞっていう時は
マックス40ぐらい
近く
社員としては
そこから
あれそんな思ったような売れないぞ
ってなって
コロナもあって
9人ぐらいまで
別に
コストカットしたわけじゃなく
自然と
そうなんですね
また拡大フェーズになった
また30まで増えてきた
そうなんですね
そのコロナは
結構
大きい影響があったんですか
コロナ
コロナの前から減っていったんですけど
コロナの影響は
結果的に見るとあんまりなかったんですけど
やっぱり
介護施設のリード獲得って
展示台がすごく多かったんですよね
当時
リードが一切取れなくなった
っていうのは
ありましたし
海外は全部捨てて
動かなくなりましたし
そういう影響はありました
ただ結構補助金とかいっぱい出るようになった
っていうのは
逆に
1年かかったんですけど
介護施設の商談を
訪問して
対面してっていうところは
かなりオンラインに切り替わったというので
営業効率は結果的にはかなり
24:00
上がったというのがあります
最初はやっぱりビビりますよね
確かに
確かに
特にあの時期
高齢者施設って
面会とかも一切できなくなったりとかして
営業とかに
行けなくなりましたよね
行けないですし
あとはその
人員化でコロナの日が出ると
本当の最小人数じゃないと
回せないってなるので
新しいこんなことやる暇はないみたいな
はいはいはい
余裕がないみたいな
なるほどね
そこはだからよしやし
今でもやっぱりコロナが
今今回発生したんで
ちょっとトライアルを延期させてもらいます
とか
なるほどね
そっか
じゃあそれでだいぶ人が
できて
9人になった時
っていうのは
元々のメンバーみたいな感じで
残ってたんじゃないですか
エンジニア中心です
営業そんなにやっぱり
ゴリゴリ営業発動しても
みたいなのがあったので
エンジニアが基本残って
営業とか事業側が
全然なくなった
採用を
今拡大フェーズということで
採用を
積極的にし始めたんですか
積極は
常に良い人いたらベース
ではあるんですけど
しっかりカスタマーサクセス舞台を立ち上げて
単純に売るだけじゃなくて
しっかりと価値感じもらって
購入してもらおうとか
そういう舞台を立ち上げるとか
いうのも含めですからね
それで
弊社だと
看護師さんとか
介護師さん採用しているんですけど
そういう方々の職種を増やしてきて
売ったという感じではありますね
はいはいはい
あと営業ももちろんそうですけど
確かに実際に
介護の経験があるとか
看護師さんとかの方が
現場に行った時も
話が分かる
っていうのはすごいありそう
共通言語があって
そうですね
プロダクトの方にもやっぱり
フィードバックできるのかな
かなりあるんで
理想は分かるんですけど
現実のオペレーションはこうなんで
壊していかないといけないし
結構
前に
お話ししたような
我々って一体何の価値を
提供しているんだみたいなところも含めて
そこはかなり整理されたらな
と思いますね
会社としての
チャレンジとしては
やっぱりこの
背弁の方のデバイスを
完成させて
27:01
製品として販売するみたいなのが
そうですね
マイルストーンとしては大きいんですか
やっぱりその排泄に関する課題ってやっぱり
介護のいろんなソリューションがあるんですけど
やっぱりまだまだ
解決
本当にできてるなっていうソリューションってやっぱり
ないなっていうところがあるので
配慮配備に限らずなんですけど
いろんなオペレーション全体かもしれないし
あるいはおむつ
みたいなところも含めてなんですけど
トータルでそこをサポートしていくような
ソリューションにしていくっていうところに
まずは
重きを置いていると
さっきのね
社員が9人になっちゃったみたいな
なっちゃったっていうか
なったっていうので
それに対しても
不安になってくるっていうか
こんなに人がやめて
世の中もコロナとか
そんな感じだと
もともといる方だとね
そういうことでは
気持ちが揺れないかもしれないけど
なんか想像効果みたいな
自分も不安になって
どうなんだろうみたいな
そういうムードとかって
生まれたりしませんでしたか
いやいやあったと思いますよもちろん
生まれたりしさん的には
どうしたんですか
どうしたかな
しかも結構
オンラインになったじゃないですか
でもエンジニアは来てたかな
やっぱりハードウェアなんで
そこに一回測定機とかいろいろ
持ち帰ってもらったんですけど
うるさすぎるっていうので
もう一回オフィスに持ってきて
そうしたかもしれないですね
そこで結構やっぱり
コミュニケーションは密にしたとか
私は毎日会社に行ってましたし
確かにね
オンラインベースの人たち
エンジニアは来るけど
それ以外の人はオンラインベースになると
その人たちの気持ちは
やっぱりちょっとしたことで
離れるとか
ありますよね
やっぱり転職活動しちゃうとか
ありますもんね
そうですね
でもエンジニアの方は集まってるから
割とこう
団結みたいなものが
あんまり揺るがなかったのかな
とは思ってますよね
もちろん
減っていく過程の中で
密にコミュニケーションを
結構しましたしね
絶対危ないでねって
営業のオンラインに切り替わることで
効率化
実際問題
ピークの時よりは
少ない人数で
オペレーション回せるかも
ってなってたのかもしれないですけど
気持ち的に
ピーク40人から9人になるって
結構
焦るというか
30:00
中西さん
メンタル的に
落ち着かないというか
みたいな状態とかはならなかったんですか
あんまり
あんまりいいかもしれないですね
大全としてますね
すごい
そういう時もあるやろみたいな
メンタル安定してる
申し訳なかったけど
申し訳ないけど
じゃあ例えば
辞めますって言う時も
しょうがないなって
すごい
辞めるやろな
ごめんな
なるほどね
今だと30人ぐらいだと
結構中西さんが
直接30人
一人一人割と
コミュニケーションとってるって感じですか
そこまでがっつり
エンジニアの人とコミュニケーションできてるか
そこまででもないので
CTOやCTO経営とか
あるんですけどね
でも全員もちろん
同じオフィスで
挨拶
どうすか
みたいな感じでもやってますけどね
中西さんは
役割分担的には
開発のところは朝森さんにかなり
任せていて
それ以外のところは
中西さんが直接見てるんですか
企画に近いところにしてますけどね
事業のところも
企画かもしれないですけど
もう少しここを改善しすれば
トライアル誘導率上がるんじゃないか
上がってくるところにも入って
いろいろと
話して
企画
主な社長になりたくて
なったわけじゃないですか
社長の役割みたいに
自分が開発者でもないし
何が
これは社長じゃなきゃできない
とか俺しかやれないな
みたいに思うものってありますか
究極ないんじゃないですか
でもまあ
この事業
やり続けられるのは俺しかいないだろうな
という気がしますけどね
最後までこれを信じて
やり続ける
自分が一番この事業を信じてるし
可能性を
見出せるし
確かにね
中西さんがそうだから
みんなついてくるっていうかね
そうだよね
でも最初の
段階でもそうなんじゃないですか
だって
中西お前
アメリカいて指示出してくるけど
お前何もやってないじゃないか
ってやってる人たちは
33:00
思ったりしなかったのかな
いややってたと思うけど
いろいろやってたと思うけど
見えないし
実験したりいろんなとこ行ったりしてるの
何なんだこれ
森田明雄の名言とか
送ったりする
知らねえよみたいな
やってるから分からない
言葉だけかよみたいな
あるかもしれない
最初から社長だって
普通さ
結構
スタートアップの社長とかって
割と自分が全部やっちゃって
手を動かして
細かいところまで全部自分が入って
手放せないみたいな社長さんが
多いんだけど
中西さんも最初から
信じる
俺はこの事業信じてるから
もちろんやってますよ
外向けのね
コミュニケーションとか
お金集めてくるとか
必要な情報とかを
集めてきてみんなに伝える
みたいな
そういう役割を担っていて
細かいところにあんまり
自分が全部入っていかないとか
そりゃそうです
そういうスタンス
最初からね
最初から社長だったんだね
社長になりたかったからね
なんかその
組織作りみたいなところとか
意識したりすることとか
例えば今30人で
10人の
会社と
30人の会社だと
役割とか
指揮系統とかも違ったりするし
辞めていくときに
さっきの42から来るのですが
しょうがないけれども
新たに人が入ってきてって
理解してもらって
という教育ボスと
大変は大変じゃないですか
という中で
残ってほしいなと
考えると
その体制を維持するための
組織
気にかけていることとか
工夫していることとか
何かあったりするんですか
基本的にはやっぱり
組織のための
やっぱり我々のミッションというか
これを
ディークリーをしっかりと
早く普及させるためには
やっぱりどういう組織で
あるのがベストか
というのを常に考えながら
ではあるので
気にかけていること
適材適所というか
そこはもちろん
できるだけ権限は
異常しつつ
やれるところまでやってもらって
足りなければやっぱり
人を補充するか
据えるか
36:00
左右してくるかというのがある
これというのはないですけど
事業のためにはどういう人権
このメンバーでやるならどれがベストかだし
さらに成長させるためには
どういう人材にするようになっていくのか
というところの観点で
やっているところですかね
すみません足りないですね
なんか多分
さっきゆうこちゃんも
言ったみたいな最初から
最初から社長だねというところ
に通じる
やっぱりその
細かいことを自分で
よくも悪くも
持ちすぎないというか
周りの人たちをうまく使う
のに
最初からも入っているし
だから権限以上というのを
さらっとおっしゃったけど
権限以上できる人できない人って
結構いるので
それがやっぱりさらっとできるのは
すごい強みだから
規模が大きくなっても
そんなに
苦労しないというか
規模が大きくなるフェーズで
結構ぶつかるところって
権限以上ができないフェーズって
必ずある気がするけど
そこがすごいスムーズなのかな
と思ったのと
あとは
ミッションが強いというか
一番主張が
そのミッションを信じているから
そこからぶれないというのも
強いのかなって
お話聞いてて
そうかもしれない
採用するときに
そこに対する
思いとか
入ってくる人たちの個人的に
例えば経験とか
家族でも仕事キャリアでもいいけれども
そういうところと
フリーフリーへの
共感みたいなこととか
聞いたりするんですか
もちろん
ご自身での
ご家族で
介護された方がいらっしゃったんですが
そういうことももちろん聞きますし
やっぱりそういう
経験とかあると
やっぱり強いは強いですよね
ね
うちの
もさもえなんかも
やっぱり自分の
ごじいちゃんが
脳卒中で倒れられたときに
自分の母親がずっと
下の世話をしていて
介護していて下の世話はすごい大変そうだった
やっぱり根本には
ある
なんか
すごい認知すれば
どういう事業で
どういう商品でとか認知すれば
もちろんお金も集まるだろうし
お客さんも集まるだろうけど
この事業に関わりたいという人も
すごい増える感じはしますよね
うん
ぜひ
よろしくお願いします
あれ
もっと人増やさなきゃみたいなフレーズなんですか
39:01
めちゃくちゃ増やすってわけじゃないですけど
もう少しこう
事業企画レイヤーの人みたいな
今人事しかいないような
そうなんですね
そういう方はちょっと採用しないと
うん
なんかね
今日話しただけでも
やる事めっちゃいっぱいあるからね
確かに
やれる事全部やってるけど
次どうしたらいいですかねっていうフレーズの対象じゃないっていうか
めちゃめちゃ
これもやれるこれもやれるみたいな
仮説がいっぱいあるから
なんか
まあ
パワーがあればいくらでも
どんどん成長していきそうな
気がします
なんか01も
10も
熱量変わらず走ってる感じが
すごいですよね
熱量変わらないですよね
はいはいはい
それすごいな
そうね
やっぱねテーマがすごいいいんだと思う
ほんと
それは
重い
1年2年で答えが出るものじゃないから
ずっとやり続けられる感じは
する
実際どんどんやればやるほど
ポテンシャルが見えてくるから
これやらないではおられない
これ
類似品とかはまだ
全然ないんでしょう
もちろん特許とかも取られてると思うんだけど
ねえ
ポテンシャルしかないじゃないですか
そうです
ずっとポテンシャルしかないって言われて
10年来てるんですけど
ポテンシャルを成果に結びつけましょう
いやいや
すごい
世の中が良くなる予感しかしないんで
中西さんに
ますます頑張って期待しております
メディアはね
メディアをなんとか
ぜひお願いします
ということでいろいろお話を
お伺いいたしました
長い時間ありがとうございました
ありがとうございました