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スピーカー 1
優れた人に贈られる言葉というかね。
そんな風になってますよね。それはそうなんですけど、
人を育てる時にね、子供を育てる時に褒めてとか、褒めて育てるとか、
職場で部下を育てるには、人育てる時に褒めるという時は、
こっちをやると、まずいことになっちゃうということなんで。
スピーカー 2
まずいことになっちゃう?
スピーカー 1
なっちゃうんですよ。
例えば、子供を褒めるとすると、
すごくいい成績を取ってきた時とか、
いい運動とか、お稽古とかで、
いい結果を出した時に褒めると、
その時に褒めるのは、よくやったねとか頑張ったねとか、
おめでとうとか褒めるすごいねって褒めるのはいいんですけど、
それしかしない場合だと、子供としては、
結果を出さないと親は自分を認めてくれないんだというか、
注目してくれないんだという風になりかねなくて、
親の期待に応えなきゃみたいな方向に行ってしまったりとか、
あるいはダメだった時には、
これ言うと親ががっかりするんじゃないか、
親が残念そうにするんじゃないかって思うと、
怖くて言えなくなっちゃったり、みたいなことに発展してしまうので、
スピーカー 1
素晴らしいところを素晴らしいところを讃えるっていうのだと、
ちょっとまずいことになるっていうのはそういうことなんですよね。
スピーカー 2
確かにね、そんなに運動会で一等を取る子ってそんなにいないですからね。
スピーカー 1
そうなんですよね。何人かに一人ですからね。
なのでね、ここであんまり世に知られてないかもしれないんですけど、
カウンセリングでもクライアントさんを勇気づけるとか、
クライアントさんを肯定するっていう時に、
働きかけのことをコンプリメントっていうふうに言うんですけど、
これが日本語に訳すと、褒めるとか称賛するっていうふうに、
辞書で調べるとなっちゃうんですけど、
でもカウンセリングを学ぶ上で、
先生からだいたい教わっていくのは、
ねぎらいとか、クライアントさんがやってらっしゃること、
努力、意欲みたいなことを、
素晴らしいですね、その思いはとっても素敵ですね、みたいに、
今起きていること、既にあることを承認するとか、
敬意を伝えるとか、あとは感謝を伝える、それに近いのかな、とか、
いわゆる辞書的な褒めるとか称えるっていうのとは、
質的に異なってるんですよね。
スピーカー 2
そうですよね。
クライアントさんがここに至るまでに、
どれだけいろんなことを努力されてきたかってところを、
やっぱり称えるとか、そういう、承認するっていう意味合いですかね。
そうなんです。
スピーカー 1
そうそう、そうなんですよ。
だから、結果はさておきですよ。
結果が残念であったにしろ、すごい良かったねーにしろ、
スピーカー 1
何の咎めもなく愛情を注いでくれる愛もなくて、
親はよく子供に無条件の愛を持ってるとか言いますけど、
いやなんだかんだこれ勘違いするかもしれないなんて思ってる時点で、
無条件ではないじゃないですか。
スピーカー 2
それは社会的に学習してしまった大人だからっていうところもあるでしょうけど。
スピーカー 1
そうなんだよ。どっかでね。
これが決して悪いことっていうわけじゃなくて、
つい大人はいろんなこと知ってるから、将来の子供のことを考えて、
いやいやそんなんじゃダメだぞっていう気持ちになっちゃうんでしょうけど、
でも子供の今ここの親へのこのね、全幅の信頼とか、
親から逃げようなんて思いもしないし、
親は常に思ってるわけで、
そういう意味じゃね、子供は常に親から嫌われないようにとか、
親に愛されようと、もう全身全霊で頑張ってるんだよっていうことはね、
ちょっと気に留めといていただきたいですよね。
スピーカー 2
その前提であって、やっぱり込めてもらいたいなって思うのは自然な気持ちですもんね。
スピーカー 1
そうなんですよ。
素晴らしくなくてもいいし立派じゃなくてもいいので、
いい子だねって言ってあげて、別に根拠なくても、君はいい子だねってね、
私から見て母から見て父から見て、いい子だよって言ってあげるだけでね、
ちっちゃい子だったら十分ですしね。
スピーカー 2
そうですね。それは大人でも同じだと思うんですよ。
スピーカー 1
そうなんですよ。褒められて嬉しくない人はいないし、
自分ですら気づいてないその努力とか意欲とか、
プロセスですよね。
自分が今やろうとしている、あるいはやっているプロセスを、
自分以外の人が言ってくれるっていうのは、子どもでも大人でも絶対嬉しいはずなんで、
ぜひね、言ってほしいですよね。
もう一つね、今のはお子さんについての褒める褒めないどうしようっていう、
褒めるのって難しいですねっていうご相談だったんですけど、
それに大人も子どももないよということで、
褒めるのが苦手な大人の相談も来てるんですよね。
スピーカー 2
そうなんですね。これは職場でもよく聞くお話だと思うので、
ヤフーブ知恵袋にあったので、読み上げてみたいと思います。
褒めるのが下手だと言われました。どうやったらうまく褒めることができますか?
初めて教育係をします。部下の子は一生懸命で頑張ってくれています。
また上司から褒めるのが下手、ただ厳しいだけの先輩じゃ嫌われてしまうよと言われてしまいました。
私も新人時代厳しい先輩にあたり、周りの同期は先輩と飲みに行ったり仲良くしている中、
私は四六時中、とにかく怒られて胃がやられてやめようかなと思っていましたが、
先輩が先にやめたため何とかやっていきました。
そんな先輩にはなりたくないと思っていましたが、だんだん自分でも先輩に似てきたと感じています。
スピーカー 2
自分自身が褒められた経験がないためか、どうやってうまく褒めるかがわかりません。
褒める言葉は出てきてもぎこちなくて、後輩は無理に褒められている感を感じて、
どうしたらいいかわからないと上司に相談していました。
どうやって人を褒めたらいいんでしょうか、というお悩みです。
スピーカー 1
はい。本当に一生懸命考えていらっしゃる感じが伝わってきますね。
スピーカー 2
かなり読んでいて苦しい感じがします。
スピーカー 1
本当本当。でも確かにこの方おっしゃっているように、自分自身が褒められた経験がないと書いてありますけど、
私たち褒めること自体、美徳というか文化みたいなものがあるので、
なかなか西洋のカルチャーのようには褒めないものがあると思うんですよね。
だから経験がないので、どうすればいいかわからないというのはなかなか切実なのかなと思います。
私は時々コンプリメントという、さっき言ったカウンセリングでコンプリメントをやりますよというのを、
一般の社員さんとか職員さんとか、自分にやってみましょうというようなワークを機会でやったりするんですけど、
最初にウォーミングアップとして自分を褒める言葉、褒めると言ってもコンプリメントなので、
承認するとか、ねぎらうとか、そっちの方なんですけれどももちろん。
それを3分間測るんで書いてくださいというふうにやったりするんですけど、
結構出てくる人は出てくるんですけど、出てこない人は全く出てこなくて、その発想すらなかったというふうに、
自分を承認するとか、ねぎらうとか、自分で自分に敬意を表するとか、
ここはすごいね、頑張ってるねっていうふうにね、言うっていう、そういう目線を向けるっていうことに、
まず慣れてない、人を褒める褒めないの前に、私たち自身が自分自身がそういう観点を持ってないってことはね、
あるんだ、まず前提にあるのかなっていうのはね、すごい思います。
スピーカー 2
わかります。ネガティブ坊ちゃんは多分ネガティブのことはいっぱい書けるけど、
ポジティブのことは書けないかもしれない。
スピーカー 1
そうか、そうなんですよね、大体そうなんですよ、多くの人はそうで、
例えば今日も朝、寝坊せずにちゃんと起きたねとか、朝起きて風邪もひかず元気にちゃんと立ち上がって朝のルーティンしたねとか、
やったことにそのままできたねっていう言い換えて、受術するだけでもコンプリメントになるんですよね。
その背景にはね、皆さん熱出して休んだりとか病気したりとか骨折って入院したりとかで経験あると思うんですけど、
スピーカー 1
実は何も当たり前じゃないってことなんですよね。
本当に何気なくやってることも頑張ってるんですよ、みんな。
だってね、病気で寝てるときとかフーフーフーフー言って汗かいて、もう横になってることしかできず、
味わうこともできず、なんかちょっと食べてみる。食欲がまずなかったりね、もうね、水の冷たさだけでありがてーと思ったりとかみたいに、
何も当たり前じゃないってことにね、そういう時は気づくと思うんですけど、
まあ、のど元すぎれば元気になってくれば、忘れちゃうんですけど。
スピーカー 2
ゆう子さん、なんかちょっと今のリアル感がすごくあったので、最近ちょっと、
スピーカー 1
でしょ、こないだね。
インフルエンザでね、お正月からちょっと2週間ぐらいぐったりしてたんで、
今私はホットなんですけど。
スピーカー 2
なんかね、すごく実感が伝わってきましたよ。
スピーカー 1
どうなってましたかね。
本当に当たり前じゃないなってね、その度に思うんですよね。
だからそれが、あ、ちゃんと今日私味覚を感じれてるねとかね、
ちゃんと朝起き上がって子供のご飯作ったねっていうの、それがね、コンプリメントになるんですよ。
それがまあ承認であり、まあ自分に対するね、まあ自分じゃなくてもいいんですけどね、にぎらいだったり、
だから当たり前にできていることでも、本当は当たり前じゃないので、
それはすごいことだねっていう風にこう、なんだろうな、物の見方ですよね結局ね、コンプリメントっていうね。
スピーカー 2
そうですよね。
だからあの、先ほどのその相談、ご相談、部下のことを褒めてないっていう風に怒られちゃいましたって言ってますけども、
後輩の方が、あの、例えばメール一本、ちゃんと正しいフォーマットで送りましたっていうことだけでも、
もうそれ一つでも褒めるとこいっぱいあるっていう。
スピーカー 1
いや、本当ですよ。
学習が早いねとかね、見ただけでもできちゃうんだねとかっていうね、
助術するだけでもね、コンプリメントですからね。
スピーカー 2
そういうとこがやっぱり、やって当然って思ってしまっているわけだから、
スピーカー 1
あまり褒めるポイントじゃないと思ってるんでしょうね、きっと。
そうなんですよね。だからなんかやっぱりその、辞書的な方のね、その、
評価しなきゃって、評価しなきゃ、評価しなきゃ、どこが評価できるとこなんだろうって思うとね、
なかなかそのね、新人さんですごく、誰かと比べても優れてるみたいな、
比較でね、優れてるってとこってそもそもあるもんじゃないし、
でも、本来褒めるじゃなくて、このコンプリメントの方でいった方が、
実情に褒めるっていう、本来の実情に近いよってことなんで、
ね、この方も、全然褒めるの下手なのは、そりゃそうだよだし、
褒めるのはみんな下手だよね、なんだけど、
あの、そういう風にこう、部下、この人が当たり前のようにできてること、
例えば、新しい職場、あるいは新入社員でその職場に来て、
しんどいのに、今日もちゃんとね、遅刻せずに、まだ慣れてないだろうに来れたね、とかね、
スピーカー 1
あるいは、毎日新しいことばっかりで、緊張もいっぱいだろうけど、
今日も顔色いいね、とか元気そうだね、とかね、
ニッコリその表情が素敵だね、とかね、
あと、社会に出て、いろいろ大変だろうけど、
ビシッとちゃんとスーツ着てるね、とかね、
もうなんか、上述するだけでいけると思うんですよね、本当に。
スピーカー 2
そうですね、なんかこの、例えば、ちょっと今気がついたんですけども、
この仕事っていうとどうしても、仕事の内容の評価っていうところに偏りすぎちゃう時があるじゃないですか、
例えばね、こういうマーケティングやって、こういう結果が出したから、
評価するっていうところなんだけれども、
その働き方についての向き合い方を褒めるっていうのは、
その仕事の評価とはまた別にできることだと私も思うんですよね。
この辺りをコンプリメントしてあげるのって、すごい大事だなって、今思います。
スピーカー 1
そうですね、本当そうだと思います。
だから、結果はね、売り上げにしろ、マーケティングの結果にしろ、
結果はコントロールできないのでね、運が良ければ上手くいくし、
何かのシステミックな事情で上手くいかない時は上手くいかないしで、
だけどそこに取り組もうとして一生懸命前向きにやろうとした、
心意気とか努力とか思いとか、そのプロセスで助け合ったこととかっていうのは、
かけがえのないことなんで、それはコントロールできることだし、
やろうと思って意図してやったことなんで、それはなんか、
結果はさておきとっても尊いとね、当たり前じゃないし、
ありがたいことだしっていう風に思えば、そこをね、
こんな風にしてくれたよねとか、こんな風に頑張ったよねって成就するだけで、
十分コンプリメントになる、褒めるってことにね。
スピーカー 2
プロセスっていうのは、絵としてやっぱり評価の対象外になってしまうことが多いですよね。
それはお子さんでもそうだと思うんです。
さっきの話じゃないけれども、
その辺に向けてどれだけ頑張ったかっていうのを見るのは、
やっぱり身近な人しかできないことだと思うんですよね。
スピーカー 1
そうなんですよ。
なんかね、なかなかでもね、結果を求められる大人から子供から大人までね、
この結果を求められるこの時代に、なかなかそこに観点をちょっと変えるっていうのは、
そんなに簡単なことじゃないと思うんですけど、
今日ね、この話を聞いていただいた方にはちょっとずつね、
なんかやってみてもらって、
結果はさておきっていうのをね、
プロセスを、意欲を、その人が中から出てきているものは全部承認していくっていう、
言及していくっていうことをちょっと始めてもらって、
手応えを感じてもらえたらちょっと嬉しいですよね。
スピーカー 2
そうですよね。
ポイントは自分がコントロールできないことではなく、
自分がコントロールできることについて、