まず導入として、どんな本なのっていうのを軽く話をさせていただくと。
これはさっきも言った通り、大学の先生が書いた本。金沢大学の方。
結構パパマいいというかね、普通に勉強できる。
国立よね。
そうそうそう、はず。
が、まあ普通に授業を持っているので、
授業の中であった現代の若者の心理分析とか、
そういったものをしていく中で、こんな特徴があるよねみたいなことをざーっとまとめている本です。
軽くどんな話があったのかっていうと、結構キーワードが1個あって、
いい子商工軍っていうのがあるよねっていうのを書いてある。
いい子商工軍。
なんとなく。
聞いたことはあるな。
というかイメージがあくわ、いい子商工軍って。
ちょっとわかるよ。
これ規則がかかってない商工軍なんで。
そうそうそうそう。
たぶんね、俺が違うからそういう人がそう見えるんだよね、すごく。
なんだこいつらっていう感覚になるのと近い。
パパヤスの敵?
敵ではない。
敵ではないね。
どちらかというと、僕の方がかかってるかもしれない。
どちらかというとね。
まっすぐではないけど。
ある気がする。
けいたんはね、いい子商工軍かもしれないけどひねくれちゃってるから。
おい。
どちらかというと悪い子商工軍じゃない?悪い子商工軍。
でもいいの身の針を刺されてるみたいなことだよな、いい子商工軍って。
そうそうそう、そんな感じ。
やめろ。
いい子商工軍どんなのなんていうのも一応知らない方っていうか、2人に含めて。
どういう特徴があるかっていうと、
具体的に言っちゃうと素直で真面目なんですと。
なんだけど何考えてるかわからないよねっていう感じのする子らしいですね。
君はどうしたいのかわからない人いるよね。
そうそうそうそう。
で、そういう子たちの特徴として最も嫌いなことが何かっていうと、
授業中に当てられることが目立つことが何よりも嫌だっていうタイプの子なんですよ。
うんうん、そうそうそうそう。
だからその会議で発言しないとか褒めても、会議って授業か、授業で全然発言しないとか、褒めても反応が薄い。
何なら褒めないで欲しいぐらいまでいくと。
そう。
っていう子たちが今いるよね。
あー面白そうな本だ。
本だったんですね。
うん。
これがそのいろんなところに出てきて、まあ一つ印象的なエピソードがあったんだけど。
うん。
それが大学の座席配置っていうのが最近特徴が出てるっていう。
大学の座席なんて強くないな。
僕ら言うて10年前ぐらい、まあ規則はもっと最近まだあったけど。
お恥ずかしいことで。
そうだな。
お恥ずかしいことで、はい。
約ね、その時約10年前ぐらいまで大学生だったと思うんだけど、
だから昔って隣を一つ開けて座るとか、
うん。
後ろ、教室の後ろの方の両サイドに散らばるが特徴だったんだって。
はいはい。
分かる気がするな。
分かるね。
ね。
まあちなみに僕は誰一人大学の時友達がいなかったんで一番前の一番端っこに座って、
いやー。
終わったらすぐ出ていくみたいなタイプだったんですよ。
でも前に座ってんの偉いな。
確かに。
うん。
前人いないから楽なんですよ。
もう絶対空いてるってこと。
あーなるほどね。
そうそうそうそう。
へー。
なんか誰とも関わりたくなかったので。
いやでも本当にケイタの大学時代の友人エピソードに関しては、
本当にこれだけ付き合っても大学の時の友達と同行ってほぼ出てこないからびっくりするぐらい本当なんだよね。
結構俺それ衝撃なんだよ。
うん。
マジか。
この話やめよっか。
ちょっと本題に戻りまして。
はい。
で、今がどういう特徴があるかっていうと、
友達同士で密集して座るとか。
前か後ろは関係ないってこと?
そうそうそうそう。
へー。
男女完全に分かれるとかが多いんだって。
へー。
ほうほうほう。
なるほど。
これが絶妙に千代先生もちょっと分かんない部分かもね。
男女完全に分かれるとか。
男子少ないじゃん、看護学部って。
ある意味完全に分かれてはいたけどね。
少ないからこそ。
9割女と1割男子で分かれてるみたいな。
我々に席はないので。
面白い。
残念ですが。
で、もう一個特徴があって、
一元とかもめちゃくちゃちゃんと出るんだって。
へー。
すげーな。
学校の人が出たことない一元だよ。
最初の頃だけね。
なんでかっていうと、
もう自分だけ出席しないが目立っちゃうよねっていう感覚があると。
悪目立ちもしたくないんだ。
そうそうそうそう。
あいつ来なかったじゃんになっちゃうのが。
病的だな。
嫌だと。
すごいね。
ここで言えるのは、さっき言った褒められたくないがそうなんだけど、
良くも悪くも目立ちたくないなんだよね。
というか他者の視線を気にしすぎじゃない?って思っちゃうよね、そういうの。
なるほど、割と革新的だな、その他者の目を気にするってあたり。
っていうのを、ちょっと行動原則みたいなものを本の中でまとめていて、
いくつかちょっとバーっと読み上げちゃうんだけど、
特徴として協調性はあるんだけど自己主張しない。
はい。
言われたことはやるんだけどそれ以上はやらない。
はい。
質問はしない。
なぜなら質問すること自体が目立つ行為だから。
はい。
あー、へー。
あとグループ全体への問いかけには反応しない。
あー、なんか次LINEの。
皆さんどうですか?
はいはいはい。
LINEで全体のLINEだったらみんなどう?反応しないんだけど、
誰かって言われたら反応せざるを得る。
そうだよね。
あと悪い報告はギリギリまでしない。
ほう。
なるほど。
出せ、進捗は悪いみたいなところとか。
あと、リーダーが嫌い。
あ、自分がやることが嫌いってこと?
あー、そう。
自分がリーダーやるのが嫌い。
はいはいはい。
あと最後、自己肯定感が低い。
おー。
みたいな7個ぐらいがやられてる。
うんうん。
で、これって実はそもそも新卒の若手とかもある特徴かもねみたいな。
まあ大学生と新卒してみると割と地続きな部分だから。
そうだね。
っていう感覚あるかもねっていう話が載ってたんだが、
僕ときそくんは新卒の若手に会う機会が今ほとんどないので。
ないね。
どうですか、千尋先生。
どうなんですかね。
毎年入ってくる子たちの特徴として。
そうだね。
今年は新卒の子、第二新卒ぐらいの子も含めて2、3人入ってはきたけど。
別にそんなそういう印象ないな。
むしろしっかりしてんなっていう印象がどっちかっていうとあるな。
なんかそのよくあるのが真面目だししっかりしてるし子供にも優しいんだけど意見は言わない。
職員会議で意見あるって聞くと特にないです大丈夫ですしか言わないんだけど個別で話すと本当は言いたいことがすごくあるみたいな。
それはありそうだな。
なるほどね。
だからポイントは言わないんだけど考えがないわけではないなんですよ。
これがすごくある特徴なんじゃないかってことが本に書いてありました。
面白そうだな。
なるほどね。
いやでもその節はお金少なかれみんなあるといえばあるけどそれがより強くその傾向があるみたいな感じなのかねこの最近の若い人たちに。
令和的な話なのかな。
これここから僕の所感というか対策になっちゃうけど今時の高校生大学生が炎上をビビってるみたいな話がやっぱ多いんですよね。
なるほどね。
すごい僕らが大学生ぐらいの頃がバイトテロとかで炎上が起き始めた頃とかだったんですよ。
おでんつんつんな。
おでんつんつんね。
おでんつんつんコンビニのアイスウィリバーの冷凍入っちゃうみたいな。
入っちゃうとかね。
そうそうそう。
みたいなが起きて。
でまぁ今あれたまにあるけどあんまなくなってきてるんですよねたまにドカーンとくるけど。
あれってやっぱみんな炎上すると終わっちゃうよねっていう感覚を持ってるから。
なるほどな。
簡単に目立って簡単に叩かれちゃうって思いすぎちゃうので目立つことがダメージになるっていう思考回路がより強いんじゃないかなっていうのがあるんですよね。
なるほど。なんかそのSNSの浸透が背景になりますということ。
そうそうそうそう。
ねえきそくんなんてもう中高の時悪いことしかしてないけど。
そんなことないよ。名誉のために言っとくとそんなことはないよ。
いやいやいやツイッターあったらやばかったよね一郎。
いやそうだね。
サブアカとかできそほどなんか叩かれてたろうね。
ねえそれこそ炎上だよね。きっと叩かれそうだよね。
炎上だね。
一挙手一投足に火がついているでしょう。
そうだな。SNSじゃなくてリアルで自分の知らないところで多分いろんな噂はあったろうしね。
そうそうそうそう。
でそれに過剰にやっぱり、過剰っていうか普通に恐れている。
本当に起きちゃうから。
目立つことが、不特命大多数の炎上もそうだし、
自分がいないLINEグループ、インスタのDMグループとか作られて影口を叩かれるかもしれないぐらい。
身近な叩かれも起きうる。
そっちの方が恐怖心が強いかもしれないね。
影口が叩きやすい。
間違いない。
から目立ちたくない。
すげえ複雑にいろんなものが絡み合っている感じがするね。
なるほどね。
いやいや検証してないで。
偉いぞ。
一応ね、そうかもしれない、そっちの気持ちがあるかもしれないということで、
念押ししてから言うと、基本的にやっぱなんかその炎上リスクとかも当然あるだろうけどさ、
まあそのSNSもっていう背景もあるけど、なんか自意識過剰だよね。
うわ。
それ多分一番言われたくないセリフなんじゃない?
まあでも、その通りだね。
僕が今、褒められるとかあんま気にしなくなったのは、
自意識過剰だからだなって思えたからみたいなと。
やっぱちょっとあるよね。
でも同時に、なんで褒められなくないかっていうと、
気を使わせてしまったなっていう感覚がちょっとあるんだよね。
かわじずっとそれ言ってるよな。
気を使わせてしまった。
このラジオにおいて何回かこう話すちょっとパーソナルな部分で、
なんかそのワード何回か言ってる気がする。
他人のエネルギーを奪うことが悪いことっていう行動原理が内面化されすぎてるんだよね。
なるほどね。
いきづらいよね。
いきづらいな。
それはいきづらいな。
そうだね。
いきづらいよね。
なるほどね。
まあまあちょっと戻すと、そんな感じの特徴が今ありそうだねってのはあるんだけど、
でも、僕とかはチロ先生と話してるからさ、なんとなくわかるけど、
子供はやっぱ褒めた方がいいんじゃねっていう感覚があるんですよ。
教育園の現場においてとかだと。
それはある?そもそも。
褒めるっていう行動自体が、たぶん必要ないとは思うよ。
なんかこれはたぶん教育者の本かなんかで読んだやつだけど、
結局褒めることで、それが目的になっちゃうっていうのは往々にしてあるわけよ。
上手にできたね、すごいね、かっこいいねって褒めることで、褒められて嬉しい、認められて嬉しい。
だから褒められるためにじゃあやろうになってしまうと、
ほら見てほら見て、もっと褒めて、もっと褒めてっていう状況にどんどんなってしまって、
もともとただただ楽しくてやってた遊びだったり、制作だったり、
何かを作るとか絵を描くとか、そういったものが、
遊びそのものが目的であり喜びだったのに、褒められるのが目的に変わってしまうと、
その遊びが手段になってしまうような感覚で、
将来的にそれが伸びていかないというか、
子どもたちがそこに向き合わなくなってしまうというか。
難しいね。だからちっちゃい頃先生に褒められたから、
それをモチベーションにやり続けてこれたみたいな人もいるからさ。
だから褒めるってかなりテクニックが必要なんだなって、その話を聞いてから思った。
なんか私は言いがちだし、俺も全然言っちゃうけど、
すごいね、かっこいいじゃん、いいね、みたいなさ、
いいねぐらいだったらいいかもしれないけど、
なんかその、やっぱ片手間に褒めちゃうとそういうワードになりがちで、
要は成果物に対してそれがいいっていうような、
そういうベクトルになってしまっていて、
じゃなくてやっぱ結果じゃなく経過であり、
その子の感情というか、
うちから湧き出た、やってみたいと思った気持ちを
そのまま代弁してあげたり、認めてあげたり、みたいなことの方が有効だということは、
なんかわかってるような気がする。
なんか前の回で言ってた、本人の感情を代理で言語化してあげるみたいな、
そこにもちょっと近いのかな。
そこにも結局保育者の一番の技であり、技術であり、専門性であり、
保育者しか成し得ないところでいうと、
子どもの気持ちをいかに言語化できるか、
それを伝えられるかみたいなのって、
1000倍特許みたいなところがあるだろうなぁとは思ってて、
それを意識的にどこまでできるかっていうのが、
かなりおじいさんは大きいと思うんだけど。
やっぱり、なんだろうね、
さっきも伝えたとおりだけど、
褒めることばかりに力が入っちゃうと、
それでしかないというか、そこから広がりようがないというか、
そこで完結してしまって終わっちゃうみたいな感じがするから、
ただ寄り添ってあげるだけで十分だし、
例えばレゴを集中してやりました。
すごいできました。
すごい達成感を持って、
あ、ねえねえ、見てって言ってくれた。
すごいこういうふうに作ったんだね。
ここの色使いがとても素敵だねとか、
これは何作ったの?これ作ったんだ。
すごいこれが作りたかったんだねって言ってあげるだけで、
それに対して何か採点するような、
評価をするようなことをしなくても、
もう十分子供は自分を見てもらえた、
認めてもらえたっていう感覚がちゃんとわかるというか、
それを受け取ることができるわけですよ。
なんかどうしても、
この褒めるっていう大人の行動と、
評価するみたいなところがどうしてもくっついちゃっていて、
それがゆっくりゆっくりもっと大きくなって、
それこそ勉強で100点とか0点とかが出てくるようになった時に、
100点を目指して頑張らなくてはみたいな、
真に勉強するというところの本質ではないところに、
どうしても行ってしまって苦しくなって、
みたいなところにもつながっていく感覚なんだろうなと思うと、
褒めなくていいんじゃない?とは思う。
褒めなくていいけど認めてあげる必要ある。
そうそうそうそう。もちろん見てあげたいし、認めてあげたいし、
それができてれば十分なんだと思う。
褒めるという言葉自体がなんかわかんなくなってきたわ。
そうそうそうそう。
褒めるってなんだ?
なんかある種、褒められたくない人前で褒められるのがちょっと苦しい、
みたいな若者が増えてるっていうところで、
やっぱり多感な時期だから余計にね、それは自意識過剰であっていいと思うんだけど、
それこそ心理的安全性というかさ、
自分を安心で安全で守ってもらえるみたいな感覚が、
我々が子供の頃よりもよほど薄いんだろうな。
それこそそういう画面上の目には見えないところで炎上が怖いぐらいだから。
このタイトルのポイントとしてはさ、褒めること自体が悪いとか褒められたくないわけじゃなくて、
みんなの前でってところな気がするんだよね。
そんだけ人の目を気にして常にそれがある状況で生きているっていうところが、
難しさをより増してるんだろうなというか。
そこで自分が認められてきた、認められて生きてきた子たち、
それが別に勉強ができるかできないか関係なく、
自分という存在を100%受け入れてもらって認められて生きてきた子たちって、
それこそ自己固定感はどっちかというと高いだろうし、
そういった人たちは別に褒められよう褒められないわ、別に平気だと思うんだよね。
だからその認めるみたいな感覚が、
時代的な背景も含めてちょっと薄いのかな。
だからそういうふうにより気になったりするのかなっていう感じはいてて思った。
確かにな。褒められる褒められないではなく、
よく言う自己固定感みたいなものとか、
別の言い方をすれば心理的安全性を担保できる環境にいられるかどうかみたいなことのほうが大事っていうのは、
個人のパーソナリティどうのこうのより、
個人的にはそっちのほうが大事なんだ。環境をどう変えられるかどうかのほうが大事じゃねっていう感じはちょっとあるかな。
な気がする。
結果を褒められすぎちゃうと、
悪い結果になるとき言えなくなるみたいなのあるじゃないですか。
家庭を褒められたら何してもいいんだって思えるみたいなのあるじゃないですか。
僕個人的に一番人間の可能性を狭めるのって自分だと思ってて。
何してもいいと思えるかどうかみたいなのってすごい大事じゃん。
思考の枷を作ってるのって実は自分だよねみたいなのがすごいよね。
そこをいかに外せるかみたいなののほうが大事。
何やったって認められた許されたみたいな経験ってそれを外すっぽいになるのかもなと思ったりするというか。
それこそ子供の頃はその枷ってほぼ存在しないに等しいからさ。
大人になるにつれてその枷を自分で知らぬうちに作ってるというかという感じはあるよね。
ちょっと戻すとやっぱり褒めること自体が悪いっていうよりは褒め方とか認め方とか承認してあげるみたいなのが特に子供にはいいのかもねっていうところだよね。
そうだ、なんかこう褒めるにしても評価を乗っけないみたいなところは大事かもしれないな。
めっちゃそれでも難しそうだね。評価を乗っけない褒め方。
なんかこう、パッと思い浮かばないじゃん。評価しない褒めるってなんだろうみたいなさ。
だから褒め方の講習とかやった方がいい。叱り方と褒め方と。
両方大事な、なんていうか、絶対必要じゃん。子供に対して褒めることも認めることも。
時に叱り、道を正すことも絶対必要なんだけど。
なんかそれをただ感情ベースでやっちゃっていたら、プロではないでしょうから。
その感情をどう使うのか、どう持っていくのか、そこにはテクニックが絶対あるはずなので。
でもさ、これ僕の偏見かもしれないんだけどさ、
保育士さんとかさ、保育士さんがやってるのかわかんないな、その親とかってさ、
そんなことされたら私悲しいなみたいな、考え方しない?その褒めるときとか。
イメージはある。
やってくれて、お手伝いしてくれて私嬉しいなみたいな。
あなたの行動で私の感情がこうなりましたよみたいなメッセージを伝えるみたいな印象があるんだけど。
それはどうなの?
なんか結局のところ、アイメッセージがやっぱ大事だっていうのはもうずっとあって。
英語のアイ?
そう、英語のアイ。
I my me mine のアイ。
結局なんか、
その子供にとって自分がした行動が他者にどう影響しているのか、他人がどう思うのかっていうのを、
やっぱり学習していく過程で、その人の感情を知る。
そう、自分がしたことによって相手がどう思ったのかを理解するという意味で、
先生はそれは悲しい、嫌だと思っているよとか。
逆に、こうしてくれたら先生すごい嬉しい、とてもありがとうみたいな。
とてもありがとうって日本語編だったけど。
そういうふうにちゃんと気持ちを見える化するというかさ。
ちゃんと言葉で伝えてあげるっていうことはいって、
意味があるし、エビデンスもあるし、テクニックの一つだとは思うんだけど、
難しいのはそこのエビデンスだったりテクニックをちゃんと理解して使っている保育者が果たしてどれだけいるんだろうっていうところは疑問だね。
なんとなくみんなやってるからやってるぐらいの感じがあるから。
そこで必要なのは本当に、今この場面で必要なのが感情のラベリングだったのか、
それともなんか違う点が必要だったのかとか、
本当にこのテクニックでいいのか、またその先生のキャラとかね、いろいろ加味してたけど。
個人的感覚としてさ、いや、僕もこんだけシロ先生と話してるから、
もうちょっと保育者なのかもしれないけど、
素人の感覚からするとさ、
あなたの行動で私がこう感じましたよっていうメッセージより、
なんであなたはそうしたんですか?を問い続けるみたいなのの方が、
むしろ第一なんじゃね。
子供においてそれが大事かどうかわかんないけど、大人はそっちの方が大事だと思ってて。
それによって周りがどうこうではなくて、あなたはどうしたいの?
リクルートのお前はどうしたいの?
持ち続けようぜっていうメッセージの方が、
面白いんじゃねっていう感覚はあるが、
これを子供とやった方がいいのかどうかまではちょっと分かってない。
子供に対してお前はどうしたいのって。
言い方はあれだけどね。
両軸絶対大事だと思ってるし、必要だなと思ってて。
それを言葉にして、
あんたどう思ってるんだっていうのをちゃんと僕はこうだったんだを伝えるようにするベクトルも、
まず一本絶対必要。
その時期に4歳、5歳、6歳になって自分の気持ちにまず気づくこと。
プラスどうしてそうなったのかをちゃんと理解することは絶対に大事なので、
それも並行してやってるような感じはあるな。
本当にそのなんというか、経験、ベテランの保育者の先生たちが何か子供と関わるときって、
どうしたい子供たち、それこそ主体的な保育というか、子供の主体性を大事にするって、
要はそこじゃん。子供の主体性って何したいかってことじゃん。
ただ、何したいかっていうことを、
ある種大人が操作できてしまう年代でもあるっていうのがちょっと怖くて、
いかようにもテクニックがあればあるほど別に、
何というか、こういうことだったんでしょ、みたいな感じで、
子供がそっちの気持ちに何というか、持っていかせてしまえる。
何というか、まだやっぱ子供たちの脳は柔らかいし、考えもそんなにあるわけじゃない中で、
大人がラベリングを過剰にしすぎたりとか、意味づけだったり動機だったりを改ざんしてしまったりとか、
大人側の解釈で勝手にこうなんじゃないの、みたいな方に誘導できてしまうからこそ、
その塩梅ってすっごい絶妙だなというか、難しいよなとやっぱり思う。
だからどっちかというと、私はこう思うよっていう方がシンプルだし分かりやすいし誰でもできるっていう意味では、
特に保育現場においては、そっちの方がアイメッセージで私はこう思うよって伝えることの方が、
やっぱり割合多いんじゃないかなって気はするな。
なるほどね。
難しいんだね。
難しいね。なんか一本やりちゃダメなんだろうね、手段というかさ。
技術として適宜使えるようにならないと、手に偏っていくと。
そう、ただこれを背景立てて、何というか本当に、何つうのかな、一問一答的にできるものでもないだろうし。
そうだね、それこそマニュアル化できないよね。
そうそう。
こういう時はこう褒めるとかさ。
すごく保育者自身の人間力とか、勉強したこととかにもよるじゃない。
それなんですよ、私が小さい頃から気になってたことは。
だから高谷さんが、なんでこいつにこんなこと言われなきゃいけねえんだとか、
なんで寝かせられなきゃいけねえんだ、みたいに思ってきたのも、じゅうじゅう名付けるというか。
俺は保育卒ではないからさ、保育園とかの人に対してはどうってのはなかったけど、
やっぱり教員とかにかかわらず、なんでその人の言うことを無条件にいいものとして受け入れなきゃいけないんだろうっていう感覚はやっぱりあったし。
いやー、ひねくれてるねー。
いやいやいや。
鋭いよね、その考察力はさすがに鋭いなと思うよ。
お前がどう思うのっていうのをね。
自問自答し続けただけでしょ。
そうそう、自問自答し続けた。
一人リクルートだった。
みんなの前で褒められることはあんまりなくても怒られることはいっぱいあったからさ。
そうか。
そうなってくると、なぜ私はこの人にこう言われているのだろうという問いかけは常にしてきた。
なんかね、すごいよね、それは。ある種セルフ真似し目とか生き届いてる。
でもそっか、みんなの前で褒めないでください。
褒めないでほしい。
褒めないでほしい。
まあ褒められたくないんじゃないんだよな。
それこそ、なんかのほんといろいろな教育者からすると、
あと保育というか、子育てのこういうふうにするといいよみたいなある種テクニックで言うと、
影で褒めてあげると、ただ褒めるよりも効果があるよみたいなのを見たことあって。
影で褒める?
みんなの前で褒めるんじゃなくて、一人の時に伝えるももちろんそうだし、
あと、例えばお母さんからその子供に対して、
この間お父さんがあなたのこういうところすごいねって褒めてたよみたいな。
間接的な。
私が褒めてるんじゃなくて、あなたが好きな別の人の話をしてあげるみたいな。
なんか今日本語変だった。
いや、でも言わんとしてることはわかる。
みたいな、ちょっと影で褒めてあげるみたいな褒められ方をすると、
すごく自信につながったりするんだって。
ある種、この教室の中でみんなの前で褒められたくないって感じる若い子たちも、
たぶん褒められたくないわけではないんでしょうから。
なんかそういうふうに伝えてあげられる大人とか、
上司とかね、これから社会に入って社会人になって、
それこそ失績を受ける場面とかどうしたってあるんでしょうけど、
それこそみんなの前で叱れるのはより一層つらいでしょうから。
そうだね。
大島へのよく言う話で、
褒めはみんなの前で、叱るのは一人でみたいな格言とかもあったりするようなものだったけど、
褒めも個別でやったほうがいいのかもねっていうのはちょっとあるかもね。
全部個別の時代か。
そうするとなんかね、シェアできない分なんか集団が育たないみたいなのもありそうだけどね。
なんか分からないけど。
組織にとって何がいいのかはちょっと分からないけど。
でも確かにみんなの前で褒めるっていうのは、
その組織とかなんだろうね、その集団の規範をある種作ってるみたいなものだと思うからね。
なんかよくあるじゃん、その表彰制度みたいなさ、営業ナンバーワンみたいなさ。
あるね。
なんかああいうのだって結局その組織体を全体に上げていきたいからみたいな感覚でしょ、もともと。
そうそうそう。
この話、その話3カゴンぐらいあるんだけどさ。
3カゴン。
すげーあるじゃん。
すげーあるじゃん。
3カゴンか。
長くなっちゃうから簡単に言うんだけどさ、会社の表彰はちょっと政治を感じるから良くないよね。
まあ、意図はあるよね、そこに。
で、表彰するって表彰しやすい人がされるんだよ、結局。
当たり前だけど。
営業成績を取るみたいな成果が定量化しやすい人が有利すぎるんですよ。
バックオフィス表彰されづらいよな。
そう。
そう。
そうなんだよね。日の当たりやすい人っていうのが圧倒的に有利ですね。
偏るんだよな。
確かに。
これ、まだあと2カゴンあるんだけど。
その3カゴン次回のテーマでいいんじゃないの?
モノモース回収。
すごい聞いてみたいけどね。
考える内がいっぱいありそう。
あと2カゴン頑張って考えておくわ。
出たとこ勝負だ。
まず3つありますって言うっていうね。
ポーサルっぽい話し方をする時のコツなんですよ。まず3つありますって言うだけ言ってみるみたいな。
言って後から考えていくっていうね。
さすがだな。
テクニックの裏の裏の部分みたいな話し方。
今日は河地さんが読んできた本から色々話を展開してまいりましたが、意外といっぱい保育の話もしたような気がします。
そうだね。
テーマが結構直結してるというか、あんまり遠いところの話ではない一見してもっていうのがありそうだなと思いました。
冒頭に言ってた良い子症候群っていう言葉をチラッとさっき調べてみたんだけど、
保護者自身が特に子供に対してね。
保護者自身が自分も良い子であらねばならぬみたいな感覚が強くあったから子供にもそれを求めてしまうだとか。
そうだよね。再生産されてくよね、それは。
なんか少々呪いだなって思うよね。
そうだね。
なんかそこってやっぱり保護者自身ではなかなか気づきにくかったりとか息づらさを感じていても、
世代によってはそういうのを表に出さないのが美徳とされるところもあるでしょうから。
なかなかママともパパとも感でね、伝えられるものでもないんだろうけど、