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マイドー、シンバです。この放送は、シャモニーに憧れる、野良トレランナーのシンバが、トレランのおもろさについて喋ってくる番組です。
この放送を聞いて、トレラっておもろさ?と思っていただけるように、頑張っていきますよ。
さあ、今は、メイハン、ちゃうね、メイコー中央に来ましたね。
結構綺麗ですよね、ここね。
ジャズドリームっていうね、
アウトレットがあると思うんですね。
これからは、
残り234キロ、新東名高速をどんどんどんどんと、
富士山に向かっていけるわけですわ。
で、これから話すのは、
2023年のUTMF、マウント富士100ですね。
について話していこうと思います。確かこのタイミングぐらいから、マウント富士100になったんじゃなかったかな。
僕自体はね、参加してないんですけれども、結構ね、そこで事前の練習会をやったりとか、
今はね、盟友の小山で賭けっ子で有名な荒川順にですね、
ふと出会ったりとか、逆走応援っていうのを人生で初めてやったりとか、
そういうね、思い出深い会があったのを僕は覚えていますね。
ちょっとそれについて話していこうかなと思いますよ。
2023年って言うと僕はですね、キラキラ系のトレイルをどんどんやってたのもあって、
確か2022年はね、その後、秋口にですね、
新越語学の100マイルを走ったんですよね。
走ったというか、歩いたというか。
なので、2023年がちょっと別のテーマで、もうちょっときつめのやつっていうことで、
サイノ国の100マイルとか、そっちの方に行ったんですよ。
それもあったんで、富士は今回やめようということで、応援側に回ったんですよ。
その時にね、いろいろやったのは、そうですね、
その年、富士をチャレンジする初めてのですね、メンバーに誘われるというかお願いされて、
一緒に思想によく行きましたね。
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その時に100マイル行きたいって言ったのは、リサさんと言ってですね、めっちゃ強い女子なんですよ。
その年の富士も簡単に言うと乾燥もしたし、次の年の富士も乾燥したし、
それからもっと言うとですね、サイノ国も乾燥したっていう災難になっている激強女子なんですよ。
当時はまだ100マイル始めたことないっていうことで、一回やってみたいっていうこともあってですね、
その前の年に乾燥している私を誘って、一緒に思想に行こうよっていう感じで行きましたね。
一番オーソドックスなのは、お城から入って、きららに抜けて、
石志を渡る手前かな、二重曲りぐらいで戻ってくる。
石志を渡ってから、藤吉谷には抜けずに、もう一回ですね、
お城の下草山とかそっちの方からお城に戻るみたいな。
そこら辺のコースが一番オーソドックスちゃうかなということで、今回はチョイスして行ってきました。
そういうような思想会をやっているとですね、目の前、ちょうどパノラマ台の上りぐらいですかね、
足がむっちゃ綺麗な兄ちゃんが走ってたわけですよ。
なんかこの人すんげえ足綺麗なみたいな。
膨らはぎ、筋肉もそぎ落とされて、脂肪がそぎ落とされて、筋しかなくて、
しかもなんか結構何脱毛してるの?っていうくらい綺麗かった足を見ていたんですよね。
その足の持ち主がなんと荒川順やったわけですよ。
その時も荒川順も思想に付き合っているみたいな感じだったんですよね。
その後仲良くなったMEGさんとか、強いメンバーの人とかが結構いてですね、
付き添いの人も強かったんですけど、やっぱり荒川順がむちゃくちゃ強くてですね。
皆さんご存知だって小山の架けっこの人ですから、
その荒川順が当時全然知らなかったんですよ。
顔も見たことがあるなみたいなそんなのもなくて、
初めましてみたいな、出はるんすか富士?みたいな。
僕応援なんですけど、こうやって言ってたんですけど、
なんか早いというかテンポよく登りはるし、話す機会が結構増えたんですよね。
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その時は敬語だったんですけどね、どれぐらいのトレイル行ってるんすかとか、
今度富士出はるんやったらまたお会いしますねみたいな感じでですね、
その時はほぼ途中一匹一緒に行ったんかなぐらいで、
連絡先も特に交換せず、荒川さんって言うんだなみたいな感じぐらいでおったんですよ。
そしたら出走の話はそこで終わりまして、
リサはねやっぱりめっちゃ早かったんで、めっちゃ強いんで、
全然問題なく最後まで行きましたね。
確か40キロの2500ぐらいの、2600ぐらいの山行きだったんですけど、
全く問題なくついてきましたね。
当日も完走してたってすごい人です。
一応トラブルもあったみたいですけどね。
これがですね、逆走園を始めて2023やったんですよ。
場所としては二重曲がりからですね、
駐車場がね、今はもう営業じゃないですけど通り道になったんですけど、
ため池があるんですよ、押し登り。
そこに6台ぐらい止めれるところがあって、そこに止めて、
二重曲がりのロードを峠草で登るところがあるんで、
そこを入り口にして二重曲がりまでまず上がりました。
そしたらちょうどね、トップ選手2人ぐらいか3人ぐらい抜けて、
西方さんがですね、走ってらっしゃるところぐらいから、
3位ぐらいか4位ぐらいから合流をしました。
で、西方さんの後のメンバーをですね、全員応援しようということで、
石割山に向かって逆走園をしましたね。
一応ですね、スタッフさんに配る用のお菓子みたいなのを背負って、
言うても大したもんじゃないですよ。
お菓子配りながら応援しましたね。
そしたらですね、10番手である足の綺麗な男が現れるわけですよ。
筋しかない、脱毛したんかっていうぐらい綺麗な足のね。
それが言うたら荒川淳やったわけですよ。
びっくりして、え、こんなに速い人やったみたいな。
富士で10番手走るような人みたいな。
衝撃を受けてですね、
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そこからは見晴らし心も出て、
インスタとかもフォローして、
連絡先もね、お互いにフォローさせてもらって、
仲良くさせてもらったっていうのがありますね。
その後の2024年の話になっていくんですけど、
そんな感じの出会いでしたね。
2023年の荒川さんとの出会いは。
ちなみに逆走応援自体はキララまで行きまして、
キララで待っていただいてた方と応援してね、
ちょうどその時初挑戦だった方とかも応援したりしてよかったな。
ここからちょっと時間がなかってそのまま帰った気がしますね。
その前もね、実はその人前日の夜から入ってて、
小事故ですね。小事故から逆走応援しました。
その時初めて僕は体に電飾を巻いてですね、
電飾マンになって逆走応援したっていうのを覚えてますね。
応援した場所はパノラマ台までとりあえず行って帰ってくるっていう
ピストンをやりましたね。
結構行きましたね。
たしか12、13キロで累積が500、600くらい上がったんちゃうかな。
結構ね、気合い入れて応援したのを覚えてます。
それがね、2023年のマウントフジ100の思い出ですね。
そんな感じで2023年はたぶんゴールも見てなくて、
逆走応援をしたっていうような感じでした。
多分そのね、最後の9人に向けての最後の調整っていうこともあって、
結構練習したいみたいな感じだったと思いますね。
今はね、結構応援の方がやりたいって感じだけど、
当時は感想したいとか練習したいとか、
結構ね、自分の中でのトレランの競技性を上げていきたいっていう、
そういうポジションだったんで、
頑張りたい時期だったっていう感じかな。
なんであんまり深くは関わらなかったから、
自分で参加してないっていうのもあって。
以上がね、2023年の思い出でした。
でも本当にね、たくさんの人を応援できて楽しかった思い出がありますね。
逆走してね、元気にね、なんかこう声掛けて、
結構ね、嬉しがってくれる人が多かったんですよ。
それは良かったなーって思いましたよ。
でも、うざって思ってる人も多分多かったと思うから、
逆走応援するときはね、うまいことをやってくださいね。
本当はね、2023年の富士で、
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一人ね、マット着たかった人がいたんですけど、
応援ナビのね、ナビゲーションのタイミングが全然違ってですね、
むちゃくちゃ速く進んでるみたいな、山の音全く聞いていず、
しばらく30分くらいマットも来えへんな、
いうので諦めて帰ったんですけどね。
そっからさらに15分か20分くらいで着いてって話聞いて、
ああ惜しかったなっていうのはありましたね。
まあなんかこう、トレイルも予測できるんやったら、
応援ナビにうまいこと入れてくれたらいいのになって、
ちょっと技術のね、これからの進歩を期待したいと思った2023年でした。
次はね、2020年僕も久しぶりに出た富士ですね。
リベンジというか、パーフェクト富士、マウント富士を
やっぱり1回は完走しておきたかったんですよね。
初めての完走は天使山地がやっぱりなかったということで、不完全だったと。
天使山地なし富士はね、
やっぱりこう、いくら100マイルとはいえ、
偉い人にはわからんのですと言ってもらったとはいえですね、
やっぱりパーフェクト富士をね、
天使山地付きをやりたかったということで、
チャレンジした話をしたいかなと思いますよ。
はい、では聞いていただきましてありがとうございました。
シンバでした。
じゃあね、バイバーイ。