1. 野良トレランナー シンバの冒険
  2. #48 Mt.Fuji100の思い出#1 202..
2025-04-24 57:22

#48 Mt.Fuji100の思い出#1 2022UTMF

明日25/4/25からはいよいよ!Mt.Fuji100。参加するみなさんにエールを送りに、サポートとしてフルで参加しますよ。
そんなまなさんのお役に少しでも立ちますように、 #mtfuji100 についてシンバの思い出を振り返ります。
第一回は2022年のUTMF。私の初めての100マイルについてです。台本もなくツラツラとしゃべくりましたが、お暇な方はお聴きください♪
#100マイル #トレラン #トレイルランニング
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stand.fmでは、この放送にいいね・コメント・レター送信ができます。
https://stand.fm/channels/65df46c153b400abe2942997
00:05
毎度シンバです。この放送は、チャモニーに憧れる野良トレランナーのシンバが、トレレイルランについて喋ってくる番組です。
この放送を聴いて、トレランっておもろいやんって思っていただける放送を目指してますよ。
さあ今日は、4月24日の夜9時ですね。
今からですね、あのー
富士のサポート、Mt.Fuji100、トレイルランのね、いっちゃんでかい大会ですわ。
それのサポートでですね、
遠路遥々奈良から、今回は山梨、北陸公園に向けて車を走らせているわけですね。
ということで、まあだいたい家からそこまで5時間ということで、ちょっと暇やっていうのもあって、
安全運転に最大限配慮をした状態でですね、今収録をしているわけですね。
いやーそのサポートをする方は、メインでと言いますか、
青森県で去年100マイルチャレンジして、途中でリタイヤーになったのかな。
今年リベンジっていうことなんで、もうその終えてるわけですよ、完走するまでね。
今回その方を中心にって言ったのは、京都100マイラークラブで田口さんがやってるチーム、そこに僕実は所属してまして、
そこの出るメンバーが10人以上いるんですけど、みんなをサポートするっていう形で受けたまわったんですが、
僕はですね、一応木村さんに僕の名前でサポートを申し込んで当選して、
サポート料金も木村さんが払ってくれはったっていうこともあってですね、
木村さんのサポートをメインでですね、最大限やっていきたいなって思ってるんですよね。
他にもね、熊本から出るまさみっていう女性のランナーの方も去年推しのかなでリタイヤーになっていると。
そのリベンジ燃えて今年は頑張るっていう、そういう絶対に完走するんだと。
そのためにこの1年間オンラインチームに入って、練習内容のアドバイスを受けながら切磋琢磨してきた。
そのメンバーの集大成が行われるわけですよ。
ということもあって、自然と僕の気合というか力も入っちゃいますよね。
僕がね、いくら緊張したりサポートを気合入れても、タイムには全く影響ないと思うんですけど、
03:07
なんとなくやっぱり気持ちが入ってしまいますが、
冷静沈着にですね、ちゃんと状況を見てアドバイスしたりとか、サポートという形で支えたいと思っていますよ。
今日はですね、道中結構長いっていうのもあるので、僕のマウントフジの思い出を振り返っていこうかなと思います。
今回は2022年のマウントフジ、当時はUTMFと言ってましたが、それについてちょっと話していこうかなと思っています。
僕がですね、そもそもマウントフジ、UTMFに関係しているのは、まさに2022年からなんですよね。
当時はコロナがやっと落ち着いてレースが本格的に始まったというようなシーンだったんですけれども、
2年前の2020年の12月からトレーラーにハマったということで、僕からすると大体1年半ぐらいですか、の後なんですよ。
それまでにITJっていう70キロのトレーラーの大会を走れたっていうのもあって、
次はやっぱりいつか100マイル走りたいよねっていうことで、ちょっと燃えてたわけですよ。
そしたらですね、やっぱりコロナの第3波、第4波から第6波、第7波とかいっぱいありましたけれども、
そういうのが始まってしまって、もともとの計画が崩れてしまったんですよね。
もともとはね、実は温滝100で100キロ走って、そこで初めて100キロ越えをして、
ポイントも集めて満を持してBMFに出ようというような計画をしていたんですけれども、
2021年の温滝100キロは残念ながらコロナで中止になってしまいまして、
仕方ないよね、100キロ足りひんけど仕方ないよねという話だったんですよね。
そうするとですね、UTMFのバーチャルバージョンで、
バーチャルUTMFっていうのが多分秋口ぐらいですかね、あったんですよ。
それはどういうことかというと、1週間で160キロ、どうつなげてもいいから走り切ると。
06:01
そうすると富士限定、UTMF限定で6ポイントを手に入るという話なんですよね。
僕はすでにITJでITRAのポイント3ポイントを持っていました。
かつ、そこでUTMFのポイント、もし6ポイント取れるじゃないですか。
2021年の12月にまたITJを走ればですね、また3ポイントということで、そこで12ポイントゲットできるんですね。
当時は合計10ポイント以上が必要ということで、うまくいったらUTMF応募できるんじゃないと思ってですね、バーチャルUTMFを頑張ってみたんですよ。
平日はほとんど走れなくて、それでも結構苦労しながら、最終日にだいたい60キロぐらいを残して、100キロぐらいは走ったんですよ。
だから、6日間で頑張ったでしょ。
で、最後の日にですね、東京から、違うな、筑波の研究学園から、いや違うな、筑波駅からですね、筑波駅から大原井までですね、海を見に行くんだ言うて、
それでですね、60キロ走りまして、160キロにして、ちゃんと6ポイントの権利を得たというような記憶がありますね。
ロードの60キロって、その時僕初めて走ったんで、あ、違うか、2回目か。
まあでも2回目と言えども、やっぱり結構きつかったですね。なかなか海が見えなくて、早く終わりたいって思いながら走りましたよ。
先輩と3人で走ったんですけど、2人はね、もう残り50キロと55キロぐらいで、僕だけがですね、60キロ残ってたっていう感じで、
だから2人は途中で、あ、俺たちもう終わったよって言って、クリアしたよとか言って、付き合ってやるよみたいな感じでですね、言っていただきながら一緒に行きましたっていうのが懐かしい思い出でございますわ。
そこで6ポイントゲットして、次がITJの2021年ですね。
それもですね、一応その株主がITJで9時間を切れば一発のトレイルランナーだって言ってまして、
僕初出場の時は9時間5分だったんですよね。5分オーバーで普通のトレイルランナーだったわけですよ。
なんとかその9時間切ろうっていうことでチャレンジをしたのが思い出されますね。
09:04
なんとかって言っても最初に結構いいペースで行って、8時間ぐらいのペースで行ったんですよ最初。
で、突っ込んで行ったら西名峠で足つりがすごくなってしまって、もう動けなくなって、
横だったっけな、だるま山越えて、そこからやっと下った後芝風になるんですよ。
なんとなくウィーニングランに近いような状況なんですけど、そこでもう足がプルプルプルプルプル震えて、すごい大変やったのを覚えてますわ。
で、なんとか滑り込みで8時間48分ぐらいかな、なんとかね、完走できまして、
一発のトレイルランナーにもなれたので、いやー良かったなーっていうのが覚えてますね。
それで3ポイントですわ。
晴れて12ポイントゲットできたんで応募したところ、なんとラッキーなことに、
ラッキーなことにというのはね、本当に思ってなかったんですけども、
当選してしまいました。
で、2022年のUTMFで初めて100マイルを走る挑戦権を得たということなんですよね。
その時はもうほんまにビビり倒してですね、うまく100キロなんか無理ちゃうかということで、
もうなんやろ、これに疲れたかのように思想に行きましたね。
もう休みをなんとかこうでとって、仕事終わったらすぐ車で走り出して夜中から走ったり、
その後次の日に練習会、例えばリュータレンとかの思想会に合わせ込んだりとかしてね。
リュータレンも9時集合とかね、やったら朝6時とか5時からスタートして、
そのリュータレンに他のコースをつなげて18キロ余分に走って、
で、そっからまた練習会行くみたいな、バックとバックとバックみたいなことをやってたのを覚えてますね。
これやってるね、こっちだね。
そうなんすよ。
それでですね、当日を迎えるわけです。
まだ、いや、今11分喋ったけど、やっとスタートラインって感じかな。
前日は新富士駅だったから、の前の東横インに泊まったんですよね。
なぜそうしたかというと、そこでですね、当時コロナの絶世紀のタイミングだったんで、
事前に抗原検査かな、を受ける必要があったんですよ。
12:04
それが追加でね、3000円いただきますよって3000円なんか払って、
その駅の近くに店頭があってですね、そこでPCRやったかな、検査キットが配られましてですね、
その事前に検査をした。
で、陰性であれば走れるというようなことだったんですが、無事ですね、陰性でよかったなっていう感じです。
ただその当時もね、仕事が結構立て込んでまして、ギリギリ朝までずっと仕事をやってたのがありますね。
こういう指示をしながら、管理番号のここをやっていただいたらいけますからよろしくお願いしますみたいな感じで、
レースの前にですね、ノートパソコン開いてうんうん言いながらやったのが懐かしい思い出として思い上がっていますね。
そこからですね、実は会場にバス予約してたんですよね。
ただ、すんげえ朝早くに着くからスタートが3時とか4時とかそれぐらいなのにむっちゃ早く出るバスしかなくて嫌やなって思ってたら、
農業公園がですね、特別にバスを用意してくれてすごくないですか、感動しましたね。
もう頑張ってきてほしいですからって言って、ちょうどいい時間帯に行けるバスをですね、出してくれたんですよ。
いや、本当にありがたかったですよ。
だから仕事をして、飯も朝ごはん食べれて、そこからお昼ぐらいに着くようなタイミングのバスでですね、会場に向かうという本当に神のような対応をしていただきまして、
いやいやいや、本当。
どうでしょうかね、お昼ごはんも持って、12時ちょうどぐらいに多分着いたんちゃうんかな、っていうのがありますね。
そこからは3時間ぐらい、3時間半ぐらい、いろいろ準備をしたり、荷物預けを考えたりとか、そういう時間を使いました。
スタート地点は今も昔も変わらず、子どもの国ですね。
場所は静岡県になるのかな、ギリギリ静岡県やった気がしますが。
その場所からですね、芝生のところがあって、ちょっと仕事がずっと立て込んでいたので、すごく眠くなって、そこで30分ぐらいか1時間ぐらいは横になって寝ましたね。
15:13
その仮眠という形ですか。
写真とか撮るのにいろんな人が集まってて、そこにおったらいろいろオフィシャルの人に言われてもらってたかもしれないですけど、
当時は僕は100マイルなんてとんでもないから、少しでも体力を温存しとこうとか、ビビりまくってですね。
とりあえず大人しをしてましたね。あまりはしゃがずに。結構冷静やったというか、勝負に徹してる感じでしたよ。
かわいらしいでしょ。100マイル走るのにビビりからしてたわけですよ。
当時僕は本当にITJが最長距離、70キロがマックスでトレイルも長いのやったことなかったから、走りきれる自信が全くなかったんですよね。
そういうのもあって、石橋叩いて渡ったら思いがありますよ。
そこから第一ウェーブは見に行こうということで、第一ウェーブ見に行きました。
僕は第二ウェーブでしたよ。第一ウェーブのギターを弾いとった気がするな。
オリジナル曲なんですかね。
リッカ先生が沈んだディストーションのギターでやってましたね。
仕切りにかぶら木さんが嬉しそうでしたね。
開催できると大変だった3年くらいを過ごして、
多分資金的なこととかもいろんなことあると思うんですけど、本当にきつかったと思うんですよ。
それをなんとか乗り越えて開催にこぎつけていただいてですね。
それが本人のペンからも非常に出てて、良かったなと思ってましたね。
3時半だったかな。スタートを第一ウェーブしました。
30分後くらいに第二ウェーブがスタートするわけです。
何時くらいかな。3時45分とかそれくらいだったかな。
まだ全然暗くないんで、同じユータレンの人とか会社の同僚で一緒にスタートする人とかと一緒にね、
18:03
のんびりというかレース前の楽しい時間を過ごしていたなというふうに覚えてますね。
結構ね、ユータレンでもメンバーが出てて、5人くらいかな。
UTMFで。初参るの人も結構多かったんですよね。
だから結構楽しみでしたね。
それでスタートしまして、ガンバフンバ君とかはいったい覚えてますね。
1個目のエイドがずっと林道を越えたところですか、鉄道渋滞みたいなのあるじゃないですか。
あれね、第二ウェーブの極先頭でガーッと走ってたときはあんまりなかったかな。
やっぱ第一リガーめちゃくちゃ速いですねみんなね。
多分ITRAのパフォーマンスインゲックスごとに多分分かれてて、
すごい速い人たちが行ってたのがあったんじゃないかなと思いますよ。
残念なことに2022年のUTMFはコースが変更になったんですよね。
前日か前々日か、確か2日前だったかなの大雨ですね。
ちょっと天使山地の最後の熊森の下り、それがかなりきついんじゃないかということでショートカットになったんですよ。
だから天使山地結局登らずにですね、天使山地の手前ぐらいまで行って峠草をして、湖があるんですか池かな。
そこの周りをぐるっと回ってということで累積標高が多分1200とか下がったんじゃないかなと思うんですよ。
その分距離も4キロぐらい短くなって158キロぐらいになってしまったんかな。
100マイルちょっと届かずみたいな感じやったんですよね。
でもそれでもね結構タフな日行きやった気がして、最初はねウルトラマラソン中があんまりトレイルトレイルしてなかったんで、
簡単とねプッシュしちゃったんですね。いわゆる突っ込んだってやつですね。
特にやっぱり第2ウェーブではほとんどセンターはいなくて、僕が多分5番手、6番手、トップ集団、第2ウェーブではねやったんですよね。
30分も差開いてるからなかなか前にも追いつかなかったんで、結構ノンストレスでガーっていけたイメージがありますよ。
21:06
そこの第1ウェーブ、第2ウェーブぐらいからは結構人が捕まり始めて、特に第2ウェーブのふもとではですね、リュータレンの小野田さん、それから井野さんがいて、結構早くに追いついてびっくりしました。
それだけ僕がねレースモード集中モードに入ってしまって、かなり突っ込んじゃったんだろうなって思います。
そこからは夜間になってくるんで、みんなで一緒に行きましょうということで、結構ね疲れてたのもあって、そこでみんなさんに引っ張ってもらったのはありがたかったなぁ。
でもなんかね、井野さんは1週間前か2週間前に足怪我してたし、小野田さんもキララまでは遊びで行くと決めてあったんで、ペース的にちょっと真剣モードというか、空回り野郎のペースに若干合わなくって、途中からもう先行ってって感じになって行っちゃいましたね。
確かね、あそこ、当時は川口湖じゃなくて、あれは埼玉湖って言うんだっけ、ちゃうちゃうちゃう。
いやこれ見ないとわからんな。
アホだね。もう湖の名前ね、5つあってわかんないんですよ。どう思います?
いっぱいあるんですよ、だって。
だから場所がちょっとよくわかってなくてですね、それを思い出そうと頑張ってますよ。
結構練習で行ったんだけどなぁ、なんかね、こういうドバスレって怖いですね。その名前とかでドバスレするとかだったら大変ですもんね。
ということで、元スコやね。元スコのキャンプ場みたいなところがあるんですよ。そこがね、ウォーターエイドなんですよね。
そこに10時40分くらいに着いてますね。めっちゃいいペースですよ、正直。
とてもいいペースでエイドに着きまして、そこからパノラマ台っていうところにぐるっと回って登るんですよ。
いいコースですよね。僕は結構こっちの方が好きだなぁと思って。
エボシ岳っていう山を登って、そこから一旦下って、元スコの駐車場に近く行ってて、そこから東海自然歩道と言いますか、林道に近いような、そんなに厚くないアップダウンの道に入ります。
24:06
そこもそんなに落ちることなく、正寺港に着きますね。
元小学校だった正寺小学校っていうところに着きまして、結構疲れたんですよね、そこで。さすがに走って。
特に足がだるくなっちゃって、一旦ストレッチしようと思って、小学校の体育館がありまして、そこで寝転んで、少し目をつぶって休憩したのと、ストレッチを寝ながらやったのを覚えてますね。
靴を一回脱いだんじゃよかったかな、足の裏とかのマッサージをしてね。ここは結構長めに休憩を取ったのを覚えてますね。
そこからまた東海自然歩道を少し行って、ロードですわ。ずっと風血まで。長い長いロード。きつかったなぁ。
ここで風血につくんですよね。風学風血。自販機があるところですよね。
僕は結構その前のところでちゃんとした補給で全然問題なかったんで、スルーしたんですけどね。そこでね、うちの会社の先輩、大地ウェーブで、当時新越の100マイルを27時間で完走できるぐらいのすごい実力の人がいるんですけど、追いつきましたね。
やっぱりちょっと疲れてはったんで、ゆっくり行くわっていう感じで言ってたんで、どうぞどうぞということで、僕先行かせてもらいました。
ここからはですね、丸沢氷結から、東海自然歩道の方で、高陽台っていう、和田山ですかね、ちょっと小さめの山に入ります。
なって言っても、和田山でも1400m近く1354mとかあるから、まあまあしんどかったですよね。
なんかね、和田山から下るところがあるんですけどね、そこがね、900mくらいかな、400mくらいガーッと下がるんですよ。
累積が900mになるんで、標高が900mくらいになるんで、結構大変やった思い出がありますね。
そこからまたロードで繋ぎまして、ここがね、カフェイン入れたのかな、ちょっと覚えてないですけど、夜のまだ明けてない時間帯やから、1時とか2時とか、一番眠くなるところなんだけども、
27:15
なんかね、むっちゃくちゃ元気になってですね、足技山もそうやけど、一番元気でした。
覚醒した感じ。確かね、そこでね、人生最長距離の80kmとか90kmとか行って、
俺って全然行けんじゃんみたいな、なんかそういう勘違いをしたんですよね。
俺はロングに向いてんじゃないみたいな勘違いをしてですね、すんげえ上げちゃったんですよ。
だからね、当時はエイドがですね、第6だったかな、フジキューアイランドなんですけどね、フジキューアイランドのフォレストなんたらっていうところかな、
そこでちょっとドロップバックとかもあるとこなんですからね。
キロ5…キロ5は無理か、でも5分半ぐらいのペースで行ってましたよ。
ドカドカ行って。
何人抜いたかわからないけどかなり上位になりましたね。
で、なんでそんなことをやったんかね、今になってわかんないけど、
フジキューのコニファフォレストが着いたら、もうめっちゃ疲れてですね。
なんかやりきったぐらい疲れて、もうそこでね、バターン倒れたんですよ。
で、腹も痛くなってトイレも行って、その頃には確かちょっと遅れて、先輩も来てて、
30分か1時間ぐらい休んだかな。
普通に寝てました、疲れて。
どうやってエイドしたらいいかわからへんかったんですよね。
だからもう走行区間は超全力で行って、エイドは超全力で休むみたいな、
なんか練習会を切り取ってやってるみたいな感じで、
まあすごい元気なというか若々しい走りをしてましたよね。
だからそっからのリスタートが大変だったんですよ。
夜に着いたのに朝寝るときは5時半とか6時とかなんかそれぐらい休んでたんで、
30:01
いっぱい抜かれたしね。
リスタートする頃にはやっぱり体がカチカチなって寒くって、
どうしようと思いながら行ったのを覚えてますね。
そこからね、また思んないロードで、なかなか山とか土を踏ましてくれないんですよ。
土を踏ましてくれるところになったら、そこも平地なんですけど比較的楽しいトレイルなんで、
ぐわっと頑張って行って、そこからまた超マニアックな、
なんていう山だったかな、小倉山だったかな。
1000メーターぐらいの小さい山があるんですけど。
そこまでちょっとまた労働を挟んでいくんですよね。
確かそのタイミングぐらいで、もうちょっと先かな、
かぶらぎさんに出会うんですよ。
道の駅、藤吉田だ。
道の駅、藤吉田越えたあたりでかぶらぎさんに出会って、
結構ショックでしたよ。
こんなに頑張ったのに、やっぱりコニファーホレストで1時間半とか休んじゃったから追いつかれちゃったんだと思って、
あんなに頑張ったのに、やっぱりかぶらぎさんって早いよねって思った感じがしますね。
だって第4ウェーブからスタートしてますからね。
僕よりもさらに30分ぐらいか差がある中で追いついてきて、
やっぱり元気あったし、無理だなってちょっとその時は思いましたね。
ここからはですね、
なんて読むんだっけな、星草山って書いて、なんか違う読み方だったんですよ。
ごめんなさいね、これなんちゅう読み方すんの?
あ、しぼ草山か。
しぼ草山っていう1100ちょいぐらいのところで、
結構ね、景色がすごいんですよね。
その登山口のところ、取り付きのところですよね。
そこでもう、なんかこう、
えっとね、誘導の人が1人いて、
で写真撮ってもらいましたよ。
この時で朝の6時54分って言ってますね。
はい、完全に日は上がってて、
ここでなんかすんげード派手な人に会って、
なんかすげーなーって思った。
誰やったんやったっけな、なんかね、
えっとね、結構後で調べたら今はもう有名な人になった気がするんだけど、
あー出てこない。
はい、あとはここで確か女性のね、
国武さやかさんとか、
大阪のむちゃくちゃ強い女性ランナーがいるんですけど、
33:04
とも一緒に走った気がしたなぁ、はい。
ですかね。
いや、違うかなぁ。
まあ、いや、ちょっと、はい。
で、コンピラさんとか行って、
これからはちょっと下って行って、
鳥市峠っていうところかな。
からまたロードで、
推しの八海に出ますわ。
推しの中学校行って。
で、この時はエイドが、
推しの村民交流公園っていうところだったんですよね。
はい。
だからここ行くときに、
えっとね、なぜか、
カブラギさんを越しててですね、
どこのタイミングで抜いたのか全然覚えてないですけど、
カブラギさんが後ろになってたんですよ。
うん。
で、えっと着いてすぐ、
もうここで着いたらめっちゃしんどかった。
暑かったしね。
100キロ越えてるし、
むちゃくちゃ辛かったですね。
110キロぐらいかな。
うん。
この後ろからカブラギさんが来るからとか言って、
なんかね、あの、
カブラギさん応援団みたいに、
お面を使ってですね、
えっと、
裏若き女性たちがですね、
非常に若くて美しい女性たちが、
そのお面をつけてですね、
応援してましたよ。
いくつになっても恋をするんだなって思いました。
すごくね、あの、
異様な空気でした。
早寝ようと思いました。
もうちょっと休んでられへん。
でもそこで確かにコカ・コーラの缶をもらったのかな、
というので、
むちゃくちゃ旨かったですね。
でももうなんかね、
もうヘトヘトで、
もう全くなんかこう、
100マイルを完走できる気がしい日になって、
正直思ってましたよ。
はい。
で、
ヘトヘトなりながらも、
一応ですね、
登っていきまして、
ここからね、
今は亡き飯森山、
大平山、
大塚山、
で、
今はあるけど、
大久保山か、
大久保山、
で、
平尾山、
平尾山、
いうような流れでね、
行きまして、
結構ね、あの、
ダラダラーっとした登りがあった後も、
木段が結構きつくって、
まあ僕はね、
ここでだいぶやられましたね。
しかもこう、
走ってると、
確かね、
あのー、
なんか、
モンベルの、
クロストレーラーパックみたいな、
タイツ履いて、
結構長袖の、
36:01
なんかこう、
長袖の長ズボンみたいな、
結構ね、
あのー、
初めてトレーラーやりましたみたいな、
ちょっと、
堅いのいい、
おっちゃんとか顔って、
うん、
おっ、
え、
マジか、
みたいな、
このおっちゃん、
めっちゃ元気やなぁ、
短毛の、
ちょっとね、
ちょっとね、
ちょっとね、
このおっちゃん、
めっちゃ元気やなぁ、
しかも全然ついていかれへん、
みたいな、
覚えてますね、
うん、
めちゃくちゃ頑張ってきたのに、
なんか初めてトレーラーやりました、
みたいな人に、
全然ついていかれへんって、
どういうことや、
みたいな、
ショックを受けましたね、
うん、
確かね、
この大平山で僕、
あのー、
出ましたね、
うん、
もう、
全然走れなくなっちゃって、
はい、
でですね、
まあちょっともう、
とぼとぼとぼとぼと、
そのキララに向かって、
いきまして、
うん、
まあなんとか、
あのー、
山も降りれて、
ゴロウドもね、
ギリギリの状態で、
まあ行きまして、
はい、
えーと、
なんとか、
はい、
まあ、
花の、
咲き誇る、
山の中、
ここキララに着いた、
というような感じですね、
はい、
まあここまでで、
120キロでね、
本当に、
まあ人生最長の距離で、
まあ、
うまく行ってるんですけど、
結構きつかったですね、
うん、
やっぱりこう、
オシノとか、
あのー、
キララって、
こう夜をね、
こう一旦越えるんですよね、
朝になるとはいえ、
やっぱしんどいし、
うん、
そこがやっぱりこう、
初めに100マイル越える人が一つのこう、
キーになってくるんちゃうかなと思うんですよ、
はい、
まあこの放送ね、
聞く人がほとんど、
まあ富士はもう終わった後だと思うんですけどね、
うん、
まあそこでね、
しっかりと、
なんていうか、
あのー、
力が残せるように、
もうちょっとだけ前半、
賢く走ったほうがよかったなっていうのが、
まあ正直なところですわ、
はい、
でもね、
この山の中こうね、
あの9時半には着いてるんで、
まあ、
めちゃくちゃは落ちてないんですよね、
結構頑張って、
粘って、
歩いたなあっていうのが、
あの後になったら思ったことです、
はい、
ここでもしっかり結構休みまして、
もう疲れたから、
はい、
まあなんとか、
えーと、
リスタートしていきましたよ、
あの鉄砲城頭ですよね、
あの明神山って言われてますけども、
ここでね、
僕あの、
まあ確かね、
朝の10時とか、
ちょうど一番暑い時間帯やって、
で、
後ろからの直射日光にもだいぶやられましてですね、
うん、
それもあって、
まあ、
ちょっと、
熱射病、
39:00
日射病みたいになったんですよ、
うん、
いわゆる熱中症ですよね、
はい、
で、
まあかなりこう、
ふらふらしてきてやばいなあって、
思ってた時に、
えー、
出会ったのが、
国武さやかさんっすわ、
あのね、
えーと、
ラッシュのザックで、
赤いザックやったと思うんですよね、
で、
日本勢っていうのを示す、
まあ日本国旗みたいなのが、
タグでついてて、
この人って、
なんか日本代表を背負って走ってるような人なんだ、
みたいな、
あんな感じがしたんですよね、
で、
関西人なんでね、
なんかすごい親近感があって、
まあ話してたら、
まあすごくこうなんていうか、
まあ上りはそんなに速くないのよ、
みたいな感じで言っててね、
で、
えーと、
なんかその、
僕がボロボロになったのを、
まあ引っ張ってもらおうというか、
まあ同じペースで進んでもらってね、
いろいろ話をさせてもらったのが、
すっごい助かった覚えがありますね、
はい、
あの時はさやかさんね、
まあこんなに仲良くなるというか、
あのー、
で、
何度も何度も、
あのー、
レースで一緒になる仲になるとは、
あの時は思ってなせんでしたけれども、
いやあの時助けられたんですよ、
本当にありがとうございます、
はい、
そしたらですね、
まああのー、
ちょっとこう、
熱中症でボロボロになっても、
まあなんとかいけるかなという気持ちが、
なんか湧いてきたというかね、
いけまして、
まあなんとかその一周ありの登りを、
登りきった後、
あのー、
まあさやかさんはね、
もう先行くね、
みたいな感じでパッと、
行きはったと思うんですけど、
まあ僕はね、
あのー、
ちょっと復活して、
少し、
うん、
いい感じになりましたよ、
で、
二重曲がりで、
えー、
もうむちゃくちゃ休みましたかね、
はい、
ボロボロになってたから、
はい、
で、
えーと、
しっかり休んで、
次頑張ろうということで、
うん、
行きましたね、
はい、
暑かった感じがしますよね、
はい、
で、
えーとですね、
食べるときものはね、
まだ行けたんだけど、
ここら辺からですね、
ちょっとね、
股ずれがきつくなってきましたね、
はい、
128キロ時点とかで、
まあちょっと、
あのー、
内ももですよね、
はい、
僕太ももパンパンなんですよね、
めちゃ太いんですよ、
あのー、
筋肉が多いっていうよりは、
まあおデブちゃんなんですよね、
うん、
まあそれで、
えーと、
ちょっと、
股ずれもきついなって思ったんですけど、
あのー、
石割りの登りで、
熱中症になりながらも、
まあなんとか、
ゆっくりゆっくり行ったんで、
そのときにちょっとね、
体力が戻って、
あのー、
尺子の登りは、
結構よかったんですよ、
で、
そこでね、
また久保さん、
かわして、
42:00
うん、
どんどん行けてですね、
うん、
で、
あのー、
山頂に着く頃には、
なんだか元気になっててですね、
はい、
うん、
行けるじゃん、
みたいな、
ふふふ、
感じですよね、
はい、
なってましたね、
はい、
えーと、
二重曲がりはちなみに、
1時37分、
13時37分、
でしたね、
はい、
で、
えーと、
尺子そのものは、
えー、
3時17分なんで、
もう2時間かかってないかな、
1時間半ぐらいで、
巻いてるんで、
まあ、
結構頑張ったんすよね、
はい、
うん、
で、
そこでちょっとね、
尺子を越えたら、
まあ、
あのー、
ゴールができる気がしてですね、
もうむちゃくちゃ、
そっから、
復活したんすよ、
うん、
下りはまあ、
もともと好きだったのもあるんすけど、
なんかこう、
それよりも、
あ、
もうゴールが見えたっていう、
うん、
乗り切った、
みたいなのがあって、
もう一気に、
一気に回復したんすよね、
はい、
で、
そこでですね、
あのー、
えー、
結構下りを頑張れて、
うん、
で、
えーと、
富士吉田の永井堂ですよね、
はい、
で、
えーと、
休むことができました、
そこで4時15分なんで、
まあ、
だいたい1時間かからず、
1時間弱で、
うん、
あの、
降りてきてますんで、
まあ、
下りは結構ね、
飛ばしたなっていう感じです、
で、
そこでですね、
実は、
かぶらぎさんをね、
かわしたんすよ、
で、
かぶらぎさん、
一回ね、
あのー、
えーと、
あそこで、
えー、
富士、
富士の、
えーと、
永井堂、
永井堂じゃなくて、
道の駅か、
で、
あの、
写真撮ったんで、
僕のこと覚えてて、
あら、
どうしたの、
復活したの、
よかったねって言って、
で、
行きましょうって言って、
僕が言ったら、
それを僕が、
また、
ブッチしてですね、
ははは、
気持ちよかったっすね、
はい、
かぶらぎさんを、
ブチ抜いた、
みたいなね、
そんな感じで、
ちょっと言ってましたよ、
はい、
で、
そこから、
尺子に行く時にも、
もうちょっとね、
僕あの、
知って失敗したのが、
あのー、
うどんのネギをですね、
あのー、
口に入れたんですけど、
ちょっとね、
合わなくて、
めっちゃ気持ち悪くなっちゃったんですよ、
ネギで、
ははは、
で、
一気に体調下がって、
げんなりしたんだけど、
そこでね、
あのー、
そうそう、
その、
おしのの、
その、
しぼくさ山で会った人が、
さやくさんじゃなかった、
あのー、
おやまださんっていう、
あの、
また、
あの、
女性の方なんですけどね、
はい、
えみさん、
で、
えみさんもね、
まあ、
その後、
何度もレースで一緒になって、
45:00
お世話になっている方なんですよね、
で、
えみさんに、
あ、
また会ったんですよ、
えみさんに、
あ、
また会った、
みたいな感じで、
がんばろう、
行こうって言って、
言われてですね、
で、
えっと、
ちょっと、
あのー、
じゃあ引っ張るかと思って、
僕がね、
がんばって、
キロ7で引っ張ったんですよ、
ロードを、
えらくないですか、
で、
途中から、
じゃあ私がちょっとやるよって、
またキロ7で引っ張ってもらって、
それでね、
僕もう、
ボロボロだったというか、
もうめちゃくちゃしきつかったんですよ、
ははは、
ほんなら、
そっからね、
あのー、
その上りは、
なんかあのー、
ストラバのセグメントがあるんですよね、
はい、
なんかレース、
また違う、
ちっこいレースみたいなのがあって、
で、
そのセグメントの区間を、
ちょっとこう、
またがんばりましょう、
みたいな話になってですね、
えーっと、
そっからこう、
がんばって上ろうとしたら、
えみさんが、
あ、
ごめん、
私、
上り苦手なんだ、
先行って、
みたいな感じで、
もう平気で離脱してしまってですね、
ははは、
うそー、
だってさっきまで、
めちゃくちゃロード早かったよ、
みたいな、
僕もそれに、
本当はついてきたくなかったけど、
必死でがんばってついてきましたよ、
みたいな、
みんなで行きましょうよ、
みたいな感じになったのに、
あ、私遅いから、
みたいな感じで、
すんげーペース落とされて、
ははは、
さすがにね、
そのペースで上ってたら、
遅すぎるから、
もうなんかすっごいこう、
ボロボロなりながら、
一歩一歩上った覚えがありますね、
はい、
そんなことにならなかったら、
ロード抑えて、
上りでね、
切り替えてがんばろう、
みたいな風にやりたかったな、
と思いながらも、
なんて言ったんですか、
だからもう、
体力ゼロに近い状態で、
上りをこう迎えたっていう、
ははは、
そこでね、
あのー、
今もあるんですけどね、
チャレンジャーの、
チャレンジャーやったかな、
のコーヒー味があると思ったね、
それをね、
あの、
入れてみたら、
カフェインがね、
もう残りなかって、
あのー、
初めて戻しましたね、
うーって、
無理!みたいな、
どうしたんや、
怖っ、
なんか後ろ煽られてる、
いやいやいや、
煽り運転されました、
怖かった、
はい、
ナンバーね、
シガーのね、
9999でしたわ、
9999のナンバーでした、
だけど、
トラックだらけでね、
全然進めてないですよね、
今も目の前にいますけど、
はいはい、
ごめんなさいね、
そんなことはどうでもよくって、
で、
あのー、
7時40分ぐらいかな、
ゴールしましたね、
もう一気に今話、
飛んじゃったな、
その上のところまで頑張っていって、
で、
ボーナスステージの下りですよね、
はい、
そこでね、
あのー、
結構人数がね、
あのー、
48:00
動いたのもあるんですけど、
こう、
抜かれたのもありましたね、
むっちゃ元気でしたね、
あのー、
2人ぐらいで、
まあなんか、
これからだよ、
ってやる感じで、
うわ、すご、
はい、
今ね、
ちょっと、
あのー、
煽り運転してくる奴がおったんで、
避けましたわ、
はい、
で、
えっとですね、
あのー、
まあその、
富士のレースでも煽り運転じゃないけど、
すっげー速い人が、
そういえばいたなー、
っていう思い出がありますよ、
はい、
まあそれから、
あの、
下りは、
まあ順調に行くだったんですけど、
まあその時に、
あのー、
やっぱりこう、
バタざられが超絶痛かったですね、
はい、
なんかそのー、
誰や、
かぶらぎさんの居た時は、
まあなんかそのテンションで、
なんとか乗り切ったし、
あのー、
えみさんとね、
ロード走った時も、
まあ、
えーっと、
そこまでね、
擦り合わなかったですけど、
やっぱこう下山登って、
下るところのトレイルはね、
まあ結構そのー、
足もね、
太ももも上げないといけない、
じゃないですか、
そこでね、
めっちゃぐちゃ擦れましたよ、
はははは、
でね、
それを何をしたかっていうと、
どうやって対策したかっていうと、
ロキソニンですわ、
ロキソニンを飲んで、
まあ痛みをなんとか耐えて、
行ったっていうのがありますね、
はい、
で、
まあそのー、
ゴール自体は、
19時43分かな、
はい、
ゴールできて、
えーっと、
タイム自体は27時間、
22分ぐらいだったんですよ、
800マイルで27時間って、
そう、
結構頑張ったじゃないですか、
まあね、
あのー、
距離もね、
ちょっとだけ短かったし、
累積も6200とか、
うん、
それぐらいしかなかったんですけど、
まあそれでもね、
あのー、
800マイルで、
まあ、
ボロボロにはなったけれども、
うん、
まあ、
えー、
タイムでゴールできて、
ちょっとね、
ほっと一安心したのを覚えてますね、
はい、
そこからね、
あのー、
エミさんとか、
あとさやかさんとか、
あのー、
僕のね、
会社の同僚の、
あのー、
先輩とか、
がゴールするのをこう見届けまして、
うん、
で、
ちょっとね、
あのー、
休んでですね、
そこからトイレに行ったんですよ、
うん、
で、
あのー、
ズボンをね、
下に下ろしたらですね、
えーとですね、
ここから、
いいですか、
あのー、
あのー、
もう聞きたくないなっていうところは、
人はここで閉じてくださいね、
いいですか、
言いますよ、
いや、
なんかね、
そのズボンを下ろしたら、
何かがポトッと落ちたんですよ、
あはははは、
で、
いや、
もしかして、
もう俺あのー、
ね、
ケツの感覚なくして、
あのー、
そうそうしちゃったんかなと思って、
あのー、
51:00
ポロッと落ちちゃったんじゃないかと思って、
ティッシュでね、
それをこう、
ティッシュみたいなやつをこう、
拾ったんですよね、
で、
マジマジと見たらね、
それで、
僕の皮膚やったんですよ、
皮膚、
あはははは、
皮膚がね、
ポロッと落ちたんですよ、
赤というか、
皮膚というか、
あはははは、
つまり、
そのー、
またずれになってですね、
こう、
めくれた皮膚が、
パンツにこう、
引っかかっててですね、
それがこう、
パンツを下ろした時に、
ポトッと落ちたというぐらいですね、
またずれがすごく、
あはははは、
へー、
みたいな。
あはははは、
俺の皮膚がこんな塊に、
みたいな。
あははは、
で、
そっから内側見たら、
もう、
あれですよ、
あの、
レア、
レアの肉みたいな状態で、
あはははは、
ハム、
ハムの色になってましてですね、
いやー、
そりゃ痛いはずやと思ってて、
で、
まぁ、
言った通りに、
あはははは、
そのまま、
取らこれで良かったっていう感じでした。
あと、
その下の方でね、
あはははは、
ツンクリームにしますね、
ロキソリンで忘れてた痛みがですね、どんどん痛くなって、大変なことになりましたよ。
それがわかってからはですね、寝るに寝られへんな、寝たけど寝るに寝られへんな、みたいな感じで。
始発のバスというか、深夜のバスでですね、新宿に先輩と2人で帰ったんですけど、だいぶなんか辛かったっすね。
千葉の駅でね、電車乗り換えるときは、すっげえ股をね、ガリ股というか、不良が歩く歩き方あるじゃないですか、反って。
あんな感じで反って歩いて走ってましたね、ちゃうわ。反って歩いて電車に乗り換えしてましたね。
しかもゆっくりゆっくりにしか歩かれへんから、相当不損な態度だったと僕は思いますね。
それはちょっとその後の話ですけど、ゴールした後はですね、ちょっと興奮状態になりつつも、
感想を祝うために会社の先輩と一緒にビールですね、クラフトビールが売ってたんで、を飲みながら応援をしてました。
なんかね、すごく感動しますよね、こう帰ってくるところ。確か帰って、ゴールがね、7時とか8時だったんで、夜遅かったんじゃないですか。
だからその間、真っ暗なんですけど、なんかこう、ちょっとね、人もまばらなんですけどね。
ゴールする人に、りかさんがインタビューとかしてたんで、それも聞きながら。
そしたらね、ちょっと見逃してしまったんですけど、しばらく後で、かぶらぎさんもゴールしたみたいですね。
ていうので、順位をね、リザルトで見てみるとですね、僕の1個前が奥宮さん。
54:06
奥宮さんもなんかどっかの営業でぶっ潰れて2時間くらい寝たらしいですもん。
その僕の1個後ろが、かぶらぎさんだったんですよ。
レジェンド2人にリザルトで挟まれるという、本当に幸せな3の一致をしていただきまして、嬉しかったですね。
ゴールした後のコメントというか、応援ナビで見ていただいてたんですけど、
第2ウェーブでは僕5位とか6位だったんですよね、結局。
だからもうすごい!みたいな感じで言っていただきまして嬉しかったですね。
ちなみに総合だと120位か120位か、それくらいいた。平々ボンボンな順位だったんですけど、
第2ウェーブの中ではなんかちょっと早かったという、そういう自慢でございます。
以上、だいたい1時間から話してきましたけれども、
2022年のUTMF、マウントフジは非常に良い感じで、
初の100マイルの中でも非常に感覚としても良い感じで終わったっていうのがありますね。
僕はロングに強いんじゃないかっていう勘違いをさせてしまった罪深い大会だったんですよ。
僕にこのロングの世界を踏み入れさせたレースでしたね。
エイドだったりとか、村の人たちも本当に煌びやかで楽しかったし、
個人的に初100マイルがフジで良かったなっていう風に思いました。
そういうのは皆さんにもぜひ初めての100マイルをフジで感想してもらいたいなっていうのがあるんで、
今日は明日から全力で応援したいと思いますので、頑張っていきましょうね。
じゃあですね、第1回目のフジの思い出はこんなところにしていこうかなと思います。
ちなみに今、車はどこを走ってるんだろうか。
どこだろうか。
もうだいぶ来ましたね。
もう愛知県かな。朝日町とか川崎町っていうところですけどね。
全然僕時間ないからよく分かってないですね。
トヨタっていうところ。
トヨタの近くですかね。
四日市のジャンクションか。
四日市ジャンクションですね。
ここまで来ています。どうでもいい情報でした。
ということでございますので、これからも安全運転に気をつけながら地図岡山梨の方に向かっていきますし、
その道中でですね、私のUTMFマウントフジの振り返り、思い出づくり、思い出話をしていこうかなと思っています。
57:06
次は2023年の応援に行った話をしようと思いますよ。
はい、それではお聞きいただきましてありがとうございました。
千葉でした。
じゃあね、バイバイ。
57:22

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