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毎度おしんぼです。この放送は、シャモニーに憧れる野良トレランナーのシンバが、
トレランのおもろさについて喋ってくる番組です。この放送を聞いて、トレランおもろと思っていただけるように、張り切っていきますよ。
時刻はですね、4月の24日の夜の11時過ぎました。
今ね、ちょうど新城の出口見えたんでね、懐かしいなと思って。
来週、先々週、違うな、1ヶ月前か。3月のね、23日に、新城トレイル走ったなーなんて。
まあでも、それもね、いい思い出として、まあ来年頑張りたいなーみたいなモチベーションになってますよ。
それで、今は、まあ相も変わらず、マウントフジ100のサポートに向けて、車を走らせているわけですけれども、
ちょっとね、トンネル区間が結構あったんでね、一旦、収録をやめてました。
次がね、2024年の、今回僕が、今回じゃないか、前回僕が出場したところをね、話そうかなと思ってたんで、
まあなんか長くなりそうやなと思って、ちょっとね、躊躇してました。
っていうのもあって、まあちょっとね、しばらく休んで、というか、まあ安全運転をしながら、
まあどっかのタイミングで収録するのがいいかなーとか、ちょっと考えながら走ってたら、今になりまして、
はい、まあでもまだトンネルあるんだな。
トンネル入るとやっぱちょっと音声がどうなのかなー、わーってなってるかなー、
まあ後で聞き比べたらどうなるかっていう感じです。
ちなみに今トンネルに入ってるんですよ。
さあ、というわけで、2023年までのね、振り返りをさせてもらいまして、
次が2024年、去年のマウントフジ100の振り返りです。
えっとね、2024年からは、あの京都100マイラークラブのオンラインチームに入ってまして、
え、違うな、2023年からか。だから2024年はその集大成ですよね、1年間の集大成にこうマウントフジ100があって、
いやーもうこの1年間頑張ってきたし、まあそのおかげもあって、レイクビア100とかね、
あの京都グレートラウンドの130キロとか、あとニュージーランドの100マイルとか完走することができて、
まあ恩返しっていう意味もあって、まあマウントフジ100は30時間斬りを狙って、
まあ自分の自己ベストというかね、あの頑張ろうという心に決めてのよう望んでいました。
体調自体も、まあちょっとね、あのずっとレースが続いて、疲れは完全には取れてなかったかもしれないですけど、
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まあテーパリングとしてはちょっとうまいこと言ってた気がしたんですよね。
気がしたっていうのはまあ後ほどちょっといろいろとやると大変だったってことなんですけども、
僕の中ではかなり自信があったんですよね。まあ30時間斬りとか言ってるけども、29時間とかももしかしたらいけるかもみたいなね。
まあそんな思い上がりもはなはだしい状況で、まあその日をまた変えたわけですよ。
2024年の日付が4月の26日、まあ25日の晩というか26日の早朝というか、そんな状況でした。
で、スタート地点がね、あの子供の国のちょっとね、あの2022年の時よりもぐるっと回るような距離を稼ぐような形になってて、
で、天子山地が入ってました。
役はですね、えーと、まあモトスコに行くまでの道で、
過去はねパノラマダイムと言って、まあモトスコの西から回り込んで北かも行ってですね、
で、東側に出るというぐるりと行くものが、まあその南から東にスッと抜けるだけになってしまうんですよね。
あの、夕方っけっていうところかな、こう走るコースにちょっと変わりました。
その代わり、あの北六公園というのがゴールで、あのコニファフォレストが、確かゴールデンウィークとかの日付の都合で使えないということで。
で、えーと、まあ実はね、2025年、今年もそうなんですけどね、ほぼだからコースはトレースされてるはず、ほとんど差がなかったんじゃないかな。
で、距離はね160後半ぐらいかな、山れくわで171キロの上りもね7,438メートルってなってて、
実際に時計もなんか168とかなんかそれぐらいあった気もする、うーんっていうような感じでございました。
はい、それでですね、あのー、まあレースに向けて思想としては、天使山地とそれから爵士の、
超有名どころ2カ所をね、宿泊も込みでね、やってきましたね。
初日はね、あのー、まあ我らの相棒のペヤング君と、
で、まあ今ではね、あのー、盟友というかサポートもさせてもらって、仲良くさせてもらってる荒川じゅんさんとね、3人で手バチバチした、あのー思想をしましたよ。
2人はね、ほんと実力的には僕よりもずっとね、上で、で、あのー、元気だったんですね、2人とも。
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だから、天使のね、上りはね、置いてかれましたね。何回も置いてかれて。
で、まあ僕もね、待ってと言わずなんかね、あのー、頑張ってついていこうとして、
まあちょっとなんかやっぱりこう、疲れもあったのか、そんなになんかね、2人に追いつけるようなというか、全然かなわないような感じだったのがちょっと残念な感じでしたけど、
まああのー、しっかりとね思想ができて、いい練習になって良かったなと。
そのね、次の日に、またですね、ちょっとそのメンバーは変わったりとかしたんですけど、
えーと、尺子、新しくなった平尾さんに直接行って、そこから石割尺子に行くようなルートを、まあちょっと登りましたね、はい。
なんかね、あのー、結構、あそこ帰ったかな、えーと、何のところやったっけ、
富士吉田の道の駅やったっけな、そこをスタートゴールにして行きましたよ、はい。
その時はね、結構その、まあメンバーも多種多様だったんで、まあ仲良くゆっくり行きましたけれども、まあしんどかったな、やっぱり1B,2Bでね。
なんかあのー、ご飯にね、中華料理屋さん連れて行ってもらって食べた思い出がありますね。
あ、そのレース前やから、その前日ね。
なんかそこでね、結構仲良くなりました。
さあ、というわけで、えーと、準備万端で、まあ挑んだはずの当日、はい。
深夜にもかかわらず、えーと、田口さんはじめね、京都100マイラーのメンバーがですね、
まあサポートで入っていただいて、そこでも各エイドに、まあこのジェルお願いしますっていう形でお渡しをしましたね、はい。
で、その後はですね、スタート、第1ウェーブで初めてしまして、はい。
あんまりこうきつくなりすぎたらあかんからと思って、抑えていこうって思ったんですけど、やっぱりキロ6から、キロ6分前半ぐらいで入りましたね、はい。
で、えーと、ちょっと長くなってたんですけれども、えーと、その天神さんって言って天使の前に入るところを、えーと、2時50分ぐらいですから、まあまあそこそこのペースで入りました。
で、そこから天使の登り口自体は3時15分から登り始めたんかな、はい。
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で、結構熱くなり始めたんで、まあ呼吸はしっかりしたんですけど、登り始めてすぐにですね、一人の男性が、すみませんって、えーと、エイドまで何キロですかねとか、水ばってありますかねって聞いて回ってるんですよね。
まあめちゃくちゃ早ランナーなんですけど、どうしたんですかって聞いたら、いや実はもう水をちょっと補給ミスしましてって言って、この区間水全くないんですよって言われまして、えー、そんなん絶対に無理でしょっていうことで、
で、あの僕のですね、水を500ミリリッターあげたんですよ、なんとかね、それでゴールできたらと思って、うん、僕も一応ねちょっと多めに1リッターちょい持って行ってたんで、大丈夫かなと思って、まるまる500あげたんですよね、はい。
まあそれがね、ちょっと悪夢の始まりだった気もするな。
で、あの、ゴールに近くになってきたら水がもう無くなってきて、上まで上がってね、その話をすると、あの長蛇畑行く前の富士見台とかそこら辺でですね、僕の相棒のペヤング君がね、だいぶ早く行ってたんですけど、なんか苦しんでるんですよ、あれってかも、どうしたんって言ったら、いやちょっと一応がだめで、大丈夫かみたいな話をした覚えがありますね。
ちょっと休憩したらいけるんでって言ってたから先に行きまして、うん。
僕はそのまま熊森山から降りて行くんですけど、そこまで結構水使いまして、全然ゼロにはならへんかったんですけど、ちょっと足りひんなと思って、そこからね、下りて1カ所水場があるんで、そこで水を汲んで、なんとか事なきは得たんじゃないかなと思ったんですけど、
ちょっとその前までのところで、水切れというか、水があんまり完全に飲めないような状態、ちょっと我慢しながら行った感があったんですよね。
そこらへんからちょっと補給がうまいこと言ってない感じがしたのと、ふもとのエイドが6時43分ですかね、大体6時間40分ぐらいで着いて、そうだな、まあそこそこいいペースでは来てたんですけど、GoProを補給所のところにポンと置いて忘れちゃったんですよ。
もうね、忘れた場所も分かってるんですよね。水入れる水筒というか、大きい補給のところにポンと置いてあって、ゴールした後、見つかったんでよかったんですけど、そこでね、ちょっとGoPro忘れちゃったって言って、そこで意識消沈したみたいなところもありましてですね、補給の計画が結構崩れちゃったんですよね。
そこからキャップ場とか牧場を経由して、ジグザグジグザグはするけれども、ほぼ平坦なところを走って行って、河原の維新のところが新しかったんやけど、すんげえ走りにくかった。
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朝の7時とか8時とかなんですけどね、すんごい暑いんですよ。
今日暑くなるでと思いながら行ってて、そこでね、普段やったら30分とか1時間でしっかり補給していくのに、GoProのこととかいろいろあってですね、めんどくさくなって、一応その時にきつくなってきましたね。
小事故のところに着いたときには、なんか足もだるいなみたいな感じでストレッチしながら、なんとかなるかなって言って登り始めました。
そこの登りでね、またマサヨさんとか、それからさっき出てたタヤカさんとかが応援してくれあって、嬉しかったですね。
そこでは元気をもらって順調に走っていったんですけど、なんかね、風景を越えたあたり、紅葉台の登りとかで、ちょっときついからって言って、天然のポールであるじゃないですか、木の棒を使って、必死でやっと登れるみたいな感じになってて、
やっぱりミニラルが足りひんのか、もともと練習不足だったのか、天子産地で頑張りすぎたのか、補給を取れてなかったのか、原因は複雑というか複数だと思うんですけど、足がだるくってですね、うまいこといかなくって、ここら辺からテイストが落ち始めてたんですよね。
そこで後ろからですね、淡々と進んできた高松山ぐるぐるクラブの安倍さんとか矢野健君とかが来まして、さらに後ろから一旦抜いてたペヤング君がですね、復活して、4人とか5人ですね、行くことになったんですよね。
あとイケメンの方とね、5人ぐらいのペヤングになって行くわけですよ。6人かな。
そこから頑張って行くんですけどね、北陸公園の登り口が長いんですよね。すんげー遠くって。そこでね、僕の30時間切りの狙いはもうつい得たって感じですね。
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自分のペースで行こうって言って。ちょうど距離的には90キロで、本当に2022年の時と今回の時と全く違いましたね。どっちもぶっ潰れてたんですけど、前向きでペースいけるって思ってた2022年の時と違って、もうダメだと。使い切っちゃったと。
ミネラルとかも塩分とかも取れなくなってきて、きついなみたいな感じになってましたね。いわゆるおしまいという感じでしたね。
もっと休もうかなと思ったんですけど、結構お周りの人がしっかりやって補給して、すぐ出発しててね、俺も行かなくて焦りというか、自分のペースじゃないタイミングでスタートしたのが思い出でありますね。
道の駅、藤吉田とかあっちの方までも結構きつくって、一応ね、あの下りが好きなんで、ロードで上がった後、道の駅、藤吉田とか小倉山か、あっちの方に行くところか、小倉山登った後の下りとかは結構快調だったんですけど、
小倉山とかそっちの方登るときは登りで全然使えなかったんで、ああもうこれはダメだなみたいな感じで、自分の足じゃねえみたいな感じで登ってましたね。
お城の鋭道に着いたのが5時52分か。ちなみに北六公園、北六公園っていうのはカウントないんだけどなあ。
まあそうっすね、どんなもんだったんだろうな、2時とかあったのかな、北六公園。そこからお城が結構長いことかかって、まあ5時、夕方5時ちゃう?うん、5時52分ですね。
そこでもうちょっと疲れたから寝ました、20分くらい寝まして、6時20分くらいにスタートしてます。
平野山もね、もう7時半くらいまでかかってるんで、すんごい遅いっす、全然ダメでした。
何よりもその後降りていくところでですね、めまいというか足がフラフラになってですね、全く使い物にならん感じ、自立神経が乱れてる感じになっちゃったんですよね。
そこで出会ったのが、大阪なんかな、でお住まいの枝さんっていう方ですね。
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シガウマラのメンバーなんですね、トライアストロンとかされてらっしゃる方なんですけど、ターミネーダーって言われてますけどね。
その枝さんがですね、「大丈夫?」みたいな感じで声かけてくださって一緒に走れたんですよね。
枝さんも前年の時に足の傷を押して出られて結構大変やったということで、リベンジで出て行ったんですよ。
だから先を急いだらいいのに、僕みたいなもんを放っておけない優しい性格なので、助けてくれたっていうか一緒に行ってくれたんですよ、併送としてね。
ありがたかったですね、そこで何とか次のところに行けたっていうのが良かったんですよね。
えっとね、キララにはなんと9時ですね。9時に着いてますよ。
そっからまあそうですね、ヒラノのバス停から44分、もっと早いですね、8時半ぐらいに着いてたのかな。
で、出たのが8時56分とかぐらいかな、9時ぐらいに出てるんですよね。
そこで30分ぐらいか40分ぐらいはちょっと休んでますね。
もうバッタンと倒れて、ダメですわーみたいな、もう全然動けませんわーって。
そこで田口さんに、大丈夫だよ、おにぎりを無理矢理に入れて消化できるようになってきたら行けるって言われたから、
まあちょっと無理矢理突っ込んだんですね。
めっちゃきつかったけど、もう戻しそうやったけど。
で、食べた後にちょっと横になって休んで、じゃあ行きますって言って行ったんですけど、
まあそれがね、逆に嫌だとなりましたね。
たぶんご飯を補給するっていうのは正しかったんですけど、
ちょっと休み方が完全にオフになってしまって、
胃腸も何も働かないような状態まで休んじゃったっていうのが悪かったなと思いますね。
そのせいで一歩進めば吐きそうで眠くってボロボロみたいな感じになってしまってですね。
家の中、山の中で5回くらい寝ましたね。
しかも全部15分くらいのレベルで。
もうむちゃくちゃ寝ました。
全く使い物にならへん。
これは初めての経験でしたね。
そこまで眠くなってダメになるのは。
原因はね、やっぱり胃腸トラブルで消化できなくったりとかですね、
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水分が足りなくて消化もできひんかったとか、
いろいろなところがあると思うんですけど、
なんせ眠っけで全く進めないっていう、
眠って眠って仕方ないっていうことでした。
でも考えてみたらたぶんね、仕事の後あんまり寝てなかったんですよね。
その前の準備っていうのをちょっとお座りにしてたのもあるんですけど、
石割の分岐に行けたのも12時30分ということで、
ここでですね、普段なら2時間ちょいで行くところが3時間半くらいかかったんですよね。
石割山に着くのは1時43分で、
二重曲がりが1時50分ですよ。
で、石割山に着くのも1時間半くらいかかったんですよね。
1時43分で、二重曲がりが1時50分ですよ。
で、何時間かかってる計算?これだから。
9時からだから、10時、11時、12時、1時、4時間40分ですね。
4時間50分。
もともとそこは3時間半とかで回すってやつがあると。
だから、1時間10分くらいの計画ズレが起きたんですね。
1時間10分、2時間くらい。
2時間弱か、1時間半くらいの計画ズレが起きたってことは相当ですよね。
ほとんど寝て過ごしましたね。
ダメですね。
でもね、ちょうどね、涼しくてよかったんですよね。
日は暑かったんですけど、山の中で夜やから、
標高も結構高くて、すっごい涼しくて、いい感じでしたね。
で、それからですね、二重曲がりでもまたちょっと休みましたね。
15分くらい休みましたかね。きつくなってきたんで。
そしたら、そこでね、去年2年前のいい印象があったんで、
頑張れるかなって思ってですね、
飛ばす、飛ばすというか、しっかりと歩くようになりましたね。
ちなみにそこの二重曲がりでガチオさんに会いましたね。
そこから上りではちょっと先に行かせていただいたっていうような経緯で。
だいぶきつそうでしたね、ガチオさんもね。
で、尺子はね、結局3時39分で行ってるから、2時間出るんですよ。
1時間50分くらい行ってるんですよね。
結構2022年ほどじゃないけど、いい感じで滑りましたね。
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ここらへんからちょっと復活までいかんけど、ある程度頑張れたっていう感じです。
で、下山の登りがですね、これもその前に吉富吉田営業で休憩をしまして、
だいたい尺子から1時間くらいで下ってるから、下りはほぼ一緒くらいなんだ。
頑張ったなあ。
で、そこから公演のエイドじゃなくて、これ何?
あけみ、あけみっこやね。
あ、富士吉でエイドは書いてあるんだ。
富士吉玉で、えっと、あ、結構かかってんな。
富士吉玉で1時間15分。1時間15分かかりました。
富士吉だね。
というわけで、結構遠かったから、もう遅いですね、やっぱりその当時のね。
そこから下山登って、降りてからまた2キロくらいが結構長くて大変やったんですけど、
一応1時間くらいで行けて、朝のゴールになりましたという感じですね。
で、タイムは31時間何分やったかな、後半やったかな、32時間くらいかかった。
32時間かかったかな。
ということで、まったく当初の計画の30時間切りっていうのはできなかったっていうのが残念な感じでしたよ。
頑張りたかったんだけどね。
勝たないね。
眠かったっていうのがやっぱり一番ですよね。
原因としては、睡眠に対しておろそかやった意識があるのと、
前半で水分ですよね。
やっぱり補給が失敗して、それでミネラルなのか何か栄養的にバランスを崩してしまったっていうのが失敗だったと思いますね。
だからね、これから走り始める皆さんも、本当にずっと定期的に補給をしっかりするっていうことが大事だと思うから、
集中力切れたりとかね、ゴープロなくなってもうどうでもよくなったみたいな適当な精神状況になったとしても、
我慢してですね、ちゃんとルール通りに補給するぞっていう風に自分を立して、
しっかりと計画的な補給に徹していただいたらなっていう風に思います。
失敗から学んだことでございました。
あと眠くなってもね、ヤマとかで細切れに寝るのとエイドでがっつり寝るのってどっちがいいのかよくわからないなと思ってるんですよね。
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僕の感覚で言うと30分とか1時間寝てもあんま関係ないかもしれないなと思ってね。
ひょっとすると2時間くらいもちゃんと寝たらいいのかもしれないですけどね。
僕も今回のレースは合計全部足したら2時間くらい寝てると思うんですよね。
それを細切れにしたのか、がっつり寝たのか、どっちのほうが良かったのか正直わからないですけど、
最後まで寝たすぐは回復せずに徐々に山の中で解消していって、
シャクシ山の登りでやっと元に戻ったみたいな感じがあるから、
そうですね、止まりすぎると体が冷え固まってしまってリスタートしにくくなるリスクもあるんですよ。
それを思うとやっぱり細切れやんのほうが無難かもしれへんなと思いますね。
どうしてもダメなときは止まって寝て、いろいろ計画をやり直したりとかしてください。
何がってあれですよね、計画通り進まなくても焦らずに自分の今の体調でのベストをやるっていう風に
切り替えていくのが大事かなと思いますよね。
計画通りにいかないのが前提ですからね、100マイルって。
上手くいくほうが珍しいので、それも100マイルやと思って前向きに楽しんでいただけたらなと思います。
2024の富士はゴールした後が印象的でしたね。
京都100マイルのみんなと話したりとかね、その時に上位入賞してもらったさんだったりね、
荒川じゅんとかね、板垣なぎさとかね、結構強い選手とも友達になって話したりとか、
なんかそこら辺が良かったですね。
土井さんとか、あと友さんと家族でね、全員で写真撮ったりもしたんですよね。
ああいう雰囲気楽しかったなあ、今年もそういうのを味わいたいなってちょっと思います。
それから家族でね、富士山の周りを遊んだ川口湖でね、二泊したりとか、
ゴールデンウィークとね、ついてたっていうのも良かったんじゃないかなって思いますよ。
今年もね、ゴールデンウィークとは繋がってるんですけど、家族はね、学校があると。
休むのじゃなくて、戻ろうかなと思ってます、今回はね。
連れて行ってね、また楽しい思いを作りたいなみたいなのもあったんですけど、
今年はね、おとなしくゴールデンウィーク前半は戻ろうかと思ってますよ。
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はい、というわけで、どちらかというと、アフターの方が面白かった、楽しかった。
2024のマウント富士でしたね。
さあ、今ですね、夜10時43分ということで、かなりね、夜更けになってきました。
今は阿波がたけっていうところまで来ているんですけど、わけわかんないですよね。
たぶんそろそろ愛知県が終わって、静岡に入るんじゃないかなって思ってますよ。
その静岡がまた長いんだわなーって思ってます。
その静岡がまた長いんだわなー、どこまで続くか。
それはそれでまた楽しんでいこうと、ドライブを楽しんでいこうと思いますので、よろしくお願いします。
はい、ということで3回に分けて話してきた、僕とマウント富士100の思い出話になりました。
はい、この第4回目もサポートという形でですね、僕の中ですごく強い思い出として残るんじゃないかなと、今もワクワクしておりますよ。
はい、ということで、これから本番走る人も、ボランティアやスタッフをされる方も、応援で行かれる方も、
今回は現地にはいけないけれども、注目している皆さんも、このマウント富士100を精一杯楽しんでいきましょうね。
それでは、シンバでした。聞いていただきましてありがとうございました。
じゃあねー、バイバーイ!