今日はですね、ちょっと俺がセイラと毎度のことながら、
セイラの分析力を使って自分の考えていることを紹介したいっていう回になります。
いいですよいいですよ。
いいですよ、この回好き。
ほんと。
こういう回好き。
俺も助かってるんで、あの、お願いします本日も。
よかったです。なんかどこにも行かせなそうな技術だけど。
いやいや、ここで生きてるから。
ここで生きてるんで。
生かします、ここで。
じゃあ早速なんですけど、
前回さ、SNSの発信についてみたいな感じで、
我々が今ね、世の中にあるコンテンツで、ちょっと心配になるようなものはこうだよねみたいな、
で、自分たちはこうしたいよねみたいな話をしたじゃないですか。
そうだね。
で、そのエピソードの中で、
言葉は武器になる。
そして、発する前に、
自分の今から発する言葉がどう影響するのかまで考えられるといいよねみたいな、
そのようなことを話したんですけど、
それにちょっと逆行するようなトピックなのかもしれないんですけど、
言葉一つ発するのにも、いろんな人がいて、いろんな考え方があるっていうのを言われてる世の中じゃないですか。
で、いろんな人がいてっていう。
それぞれが本当に素敵で、あなたを大切にしてくださいねっていうようなキャッチコピーであったりとか、
っていうのがあふれてて、本当にその通りだと俺も思うわけ。
ただなんですね、
その多角的にものを見る、いろんな視点でひとつの物事を見て、
いろんな方向にケアをするっていうことができるって、
すごく素敵だし、優しい行為のひとつだと思うの。
で、俺はそういう人でありたいなと思いながら生活したりしてるんですけど、
ふと丸くなりすぎたなって思う瞬間があって、
もっと若い時は尖ってた。
だからまあ、人を傷つけてる瞬間が多分今よりも圧倒的に多かったと思うのね。
で、傷つけることは良くないけど、丸くなりすぎも良くないんじゃないかなみたいな、
なんていうんだろうな、この漠然とした疑問というか、
なんだろう、この感覚っていうのを最近思ってて、
で、なんていうんだろうな、自分のいろんなところにケアができるから、
自分が発した言葉で、こういうふうに捉える人がいるな、
あ、でも別のこういう捉え方もあるなってやってて、
じゃあその人たちをケアしようとすると、どんどん言葉が変わってくじゃん。
発する言葉が。
で、それをどんどん変えていってると、本当に思ってた自分のことから離れていっている感覚もあるわけ。
なるほどね。
人に優しくしたいよ、もちろん。
で、誰かを傷つけたくて言葉を発するわけではないから、
なるべくなくしたいんだけど、あんまりにそれをやりすぎると、自分の本位からずれていく。
っていう、ここの塩梅がどこがベストなんだろうな、今の俺とかセイラはどこなんだろうっていうのを、
ちょっと見つけてみたいなという感じなんですね、本日。
伝わったかな、なんとなくでもいいかな。
うん、まとめないほうがいい?
まとめで聞いてる人はよくわかってないかもしれないから。
自分の性格とか特性上、人のことをケアしすぎるがゆえに、
本当に大切な自分の本当の気持ちだったりとかを表現うまくできてないんじゃないかみたいな。
あまりにも優しくあることがベースにありすぎちゃって、
たまに自分の感覚、自分のちゃんと大切にしたい感覚があまり自分で得られてないみたいな感じだよね。
あんまり今の会話、自分らしくなかったな、みたいなのがちょっと最近あったりしたので、
その通りなのと、あとしゃべり方にもすごい出てくるようになったなっていうのがあって、
このポッドキャスト聞いてると、たぶんところどころ出てるかもしれないんだけど、
何か俺が自分の意見を言った後にすぐ補足説明みたいなのをしちゃうわけ。
うーん、なるほど。
こう思いますって言った後に、具体的に話した方がいいんだろうけどちょっと出てこないな。
とにかく自分が言った意見に対して、すぐに反対意見であったりとか、
疑問点を持つ人の考え方みたいなのがぴょっと浮かぶから、
そこを考慮するような言葉をつけ足すというか、
しゃべり方にもちょっと出てきてて、話が長くなってるなとも思うわけ。
みたいなのもあって、そこで感じるわけよ。
自分らしくないなって思う瞬間があったり、
考慮をしたいがゆえに話が長くなってる、補足説明が多い分みたいな、
簡潔にもっと話せばいいのにっていうところまで話しちゃうとか、
みたいなところで、別にそれを悪いことだとも思ってないし、
全部変えたいとか、そんなコンプレックスに思うほどでもないんだけど、
ただ、多角的に物事を考えすぎるのもよくないのでは?っていう。
なるほどね。思うほど?
そんなのを考えてて、着地点、今回のエピソードのオチみたいなのを考えてもないので、
さっき言ったみたいに、どのくらいケアするのがベストかな?を見つけられれば、今日は満足です。
なるほどね。
なんか、けっこうこれは独特の悩みというか。
独特?
なんか、けっこう、それで言うと、限界が来てるのかなって気はした。
なんかすごく、城下のキャラクターも知ってるし、私。
だから、ここですごい今気を使ってるなとかっていうのも、
なんとなく分かるからこそ、第三者的な意見だと思って聞いてほしいなって思ってるんだけど。
はいはいはい。
なんだろうな、なんか、多角的に考えるのは確かに悪くないと思うけど、
なんか、それを本来どうあるべきだったら、
城下的には自分的に認められるのかなみたいなところが、
今日の一つの着地ポイントの一つでもあるんじゃないかなってちょっと思ったの。
ほうほうほう。
なんか、言ってることってすごく悪いことではないけど、
でも、自分があんまりそれを心地いいって感じてないっていう話なわけじゃん。
だから、もしかしたらどうあるべきが、今の自分にとってベストなのかが、
今回の一番得たい部分なのかなっていう気はしてて。
ほう、なるほど。
そうそう。それで言うと、私もすごく多角的に物事を考えるように普段からしているんだけど、
なんか、それって、過去に経験があったりだとか、
あとは、いろんな人の話を聞いたときに引っかかるポイントとかっていうのを、
いろいろ今までの見てきた、聞いてきたこととかっていうのを掛け合わせたときに、
大多数の意見ってこうだよね、みたいな考え方を自分の中で一旦持つわけよ。
うんうんうん。
で、そこに私は自分の意見も載せるのね。
うん。
いや、私は超理性的に考えたらこうこうこうだと思うんだけど、
でも、たぶんこの考え方って結構、どこの層にはまるかなみたいな、
その、なんだろうな、いろんな考え方を持ってる人たちがいるじゃん。
右か左かみたいな考え方もそうだけどさ。
そうね。
これ、この考え方ってエクストリームだなっていう、
そのエクストリームをどっからの視点でエクストリームなのかみたいなところを、
自分の中で一応ポジショニングはいつも持つようにしてるというか。
うんうん。
だから結構、自分の意見も横にくっつけるのよ。
大多数のみんなの意見は分かっているんだけど、
自分的にはここ。
で、一番折り合いがつく。
それが例えば仕事の場だったとしたら、ステッチワンを考えなきゃいけない。
自分の意見も殺したくない。
でもこっちの、民が言ってる。
民って言ったら。
民。
民やば。
民やばいね。
大多数の意見も分かるっていうのがあったら、
折り合いはどうやってつけるべきかっていうところをいつも模索して、
それを意見として述べるときがあるのね。
もちろん今回は、単純にどうもとか教えてって言われたら自分の意見を述べるけれども。
そうね。
あんまりそこで私は自分の意見をそもそも殺すっていう多角的に見るための一つの道具として、
自分の意見も多角的の一つの意見じゃん。
そうね。
だからあんまりそこは殺さないようにはしてるの。
でも聞いてたジョーカーの場合はそこすらもあまり先に考えずにみんなのことを優先するみたいな風にちょっと感じるから、
なんかもうちょっと自分の意見みたいなところを全然持っていいというか、
そこを心地よくみんなに伝えるっていうことができるようになってくると、
あまり違和感感じなくなってくるのでは?って単純に思った。
自分の意見あるだろうけど、それよりもみんながいいと思うんだったらそっちでいいよっていう考え方の方に、
普段から引っ張られすぎちゃってるんじゃないかなみたいな。
それはないかな。
それはない?
周りがこう思った方が丸く収まるからこうしようみたいなところまでにはいってなくて、
なんて言ったらいいんだろうな。
自分の意見はあるのよ。
それを伝えてる?
それを伝えてる。そこをクリアしてる。
せいらが今懸念してくれてた、周りに寄りすぎちゃってるみたいな意見がね。
で、全く自分の意見が変わっちゃってるみたいなところにはなってないから、
そこはクリアしてるんだけど、なんて言ったらいいんだろうな。
表現がどんどん柔らかくなる。
自分の意見は意見なんだけど、
なるほどね。出すときにね。
そう、出すときに、本当は欲しいなんだけど、自分の言葉は。
でも出すときにやっぱ刺さる人がいるなと思って、
言葉をどんどん柔らかくしていって、
まんまるで渡しちゃうみたいな。
だから、俺の意見なんだよ。意見なんだけど、
ちょっと磨きすぎて、
すごい考慮してるんだね。
気にせすぎだろうな。
でもなんか単純に、今の技術量っていうか、
ジョーカーの話術だったり言葉の使い方聞いてる限りだと、
推しを先にバーンと出しちゃう。
結論はこれだと思う。
で、その後の補足の部分で丸にしていけばいいんじゃない?
話しながら丸にしていくことはできないのかな?
最初から丸にするんじゃないかって。
なるほどね。面白いね、それ。
そうそう。
その発想があったかもな。
話していくときの構成って言ったらあれだけど、
一番人に伝わる言い方って、
結論を先に言うことだと思うのね、私的に。
うんうんうん。
で、その後にそこに至った経緯だったりとか、
あとは気をつけなきゃいけないポイント、
これをここのままでいくんだとしたら、
こういう考え方もあるし、こういう考え方もあるし、
プロコンを言うみたいな感じね。
うんうんうん。
っていう風に私普段から、
人を何か説得させなきゃいけないときとか、
でも、そういう、
う〜ん、まあ、自分でもわかってるし、自分でも言ってるんだけど、
100人いて100人に好かれることは絶対ないし、
100人いて2人好きって言ってくれる人がいたら、
その2人を大切にしたいと思ってるのね、俺は。
まあ、もちろん98人を無限にするとかはないけど、
2人をより大切にしたいと思う感覚はあるわけ。
うん。
だから、100人に好かれようとする行為って、
どんどん面白くなくなっていく、
おもんないコンテンツというか、
作品を作ってる行為になると思ってるのね、俺は。
うんうんうん。
だから、たぶん、最近の自分の欲しいっていう、
尖った意見というか、ちょっと突発的な、
きつめな意見を丸にしてっていう作業をしている、
自分、面白くねえなが、たぶん、
この疑問というか、
この視点を生んだ気がしてきた、今、話してて。
なるほどね。
その現象を感じるのって、
そういうふうに作品を作ってるときにだけ感じる?
それとも、普段のやりとりとかでもそこを感じる?
最近の作品作りとかでは、
それを感じてるからこそ、
あんまり、今の自分が作ってる作品は、
本当に自分が楽しく作ってはいるんだけど、
あんまり評価というか、
ジャッジをされたくないみたいなところが、
最近は大きくて、あんまりパブリックに載せてないから、
作品運営の話はちょっと今、
たぶん、しても聞いてる人が載せてる作品見れたりとかしないから、
ちょっとあれなんだけど。
私的に、メモ帳も一つの作品だと思うから、
それを例えてたんだけど、
それを考えてるときにだけそれをすごく感じるのか、
それとも、日常生活の人とのコミュニケーションにおいても、
それをすごく感じるのかだったらどっちなんだろう。
常に思ってることではないかな。
何だろうな。
パブリック。
ふと自分の言ったこととか、
書いたことを見返したときに、
えっ、なんでこんな配慮してんの?
って自分に思う、みたいな瞬間があるって感じかな。
メモ帳全部とか、会話全部とかじゃなくて、
ふとしたときに、あのときの自分のあれ、
ちょっとケアしすぎじゃね?って思って、
なんでこうなってんだろうなって思ったというか。
いい子ちゃん過ぎちゃうのつまんな、みたいなね。
それが一番近いかも。
真面目に聞いちゃおうと思って。
本当は記書とかも言わないようにとかしてたけど、
今あえてトレーニングで言ってます。
でもなんか、もっと素直でいいんじゃないのかなって私は思うけどね、
あのメモ帳とかに関しても、
自分のその鬱憤というかさ、
普段感じているフラストレーションを、
パブリックにも見せてくれてるっていう印象だから、
たぶんもしかしたら本当に、さっき自分でもジョーカー言ってたけど、
パブリックのことを気にしすぎなのかもしれないっていうのは、それかもね、
なんか別に評価の部分気にしなかったら、
その意見ってなんか、別に変わらないというかさ、
自分のスタンスを貫くと思うんだけど、
でもパブリックで見せてる以上、
そういう言葉も汲み取りざるを得ないっていう話なんだと思うんだけど、
なんか、あれが一つの芸風みたいな感じじゃん。
そうね、一個の作品のスタイルからね。
だからなんか、あれは一つの表現だから、
なんか私はそれをやめる必要ないんじゃないかなって思うけどね。
なんか例え言われても人に、
でもそれが自分の中での、
この今回の言いたい言葉に対しての芸風はこれだからいいんですっていうのも、
なんかそれはアーティストとしての使命というか、
そこと向き合い続けることになるんじゃないかなって思ってて、
それを使っていくことによって、
よりなんか精度の高い言葉が出てきたりとか、
こういう風に言った方が実は伝わるのかなとかっていうのが、
変化がわかってくるから、
あんまり人の話聞きすぎ注意だと思う。
なんかそう思ったんだとしたら、
その人たちはに向けた言葉ではないっていうだけの話だよ。
だから、それを言ってきたあえて見えるところでって話だから、
気にする必要はないんじゃないかなって思うけどね。
今のセイラの話を聞いて、
誰かから出したものに対して何かフィードバックが来るじゃん。
言われるじゃん。
それを言われて、変えるっていうことはしてないの。
なんだけど、言われてもない言葉に左右はされてるかもって思った。
あー、怯えてるってことか。
怯えてるって言うとすごい認めたくないけど、
でも、そうなのかもしれない。
こう思う人もいるよな。
あ、でもこう思う人もいるか。
じゃあその間これかな。
俺の言いたいことに近い言葉は。
みたいな選び方はしてるなって思ったな。
こういう風に言われる可能性あるから、
この表現で行こうと思ってるけど、
でもなんかちょっと良くないかもって、
ちょっと余儀るってことだよね。
でも、そこを突破していくことも一つのプロセスなんじゃないって思う。
その作品を作る上で必要なことというか、
それをしてまで伝えたいことがあるってことだと思うから、
一つの主張だと思うんだよね。
うんうんうん、それはそうね。
で、それがその人なりの言い方だったりっていうのはもちろんあるから、
それはみんなが伝わる形だったらいいなって思うのが誰しもだと思うけど、
なんか、なんだろう、
その時の鮮度みたいなのも殺しちゃいけないんじゃないかなって私は思うから、
本当に思ったんだったら、もうその通りなんだと思う。
今年なんかドリブでその場を回さなきゃいけないとか、なんか 自分が走りしなきゃいけないタイミングですごく上手くできるようになってる。
いいね、この俺がちょっと言語が上手くないから、それを せいらが補填する、ようやくするみたいなのよくやってたからね、それが生きた。
そうだから、なんかまとめてください みたいなのがよくあって、あーみたいな。
よく俺が言ってるやつやん、せいらまとめてって。
つまりここだよね、みたいな。なんかその今たぶん論点ずれたっぽくないですか、みたいな。じゃあ戻りましょう、みたいなのとか結構あったりとか。
なんかその要点、なんか話の中って、なんかいろいろワーワーワーワー意見述べたりなんとかってあるけど、要点を逃さないことってすごい重要だと思うの、このご時世。
なんか例えば、こいつ今ジョーカーと話してて、そのなんだろう、要点ってさ、なんかあの、自分が丸くなりすぎちゃってるかもっていうふうにジョーカーは捉えてるけど、そうじゃなくて、どちらかというと表現の仕方に対しての疑問を持ってるのが要点じゃん、この場合って。
それによって自分のその表現が著しく下がっちゃってるかもしれないっていう、そこが要点じゃん。そこを見逃さない、で、そこをどうやったらケアできるのかって言ったら、そこが実は自分の課題だったっていう話じゃん。
だからなんかそういうこと?なんかその、人は表面の部分で、こう問題だ、なんとかって言ってるけど、実はそこじゃないんじゃないっていう、視点を投げかけるみたいなことがすごくいろいろ増えたかもなって思って、そうそうそう。
いいね、いい変化というか、こう、新しい戦う、社会と戦う武器を各々得たわけだ。
得ました。だから人からのヒアリング力が上がってる気がする。一つポンって言われたら、この人が本当にネックに思ってるんだってここだな、みたいな、話してるこの話じゃなくてここかな、みたいな。
うんうん、確かにね、そういうのはね。
もうより会話から汲み取ることが増えたかなという気がしております。
やっぱり、
いいっすね。
そうね、ちょっと俺らのポッドキャストは、なんか真面目な話というか、そういうのがあるから、まあ、そういうのが得意じゃない人もいっぱいいるかもしれないけど、
ごめんね、なんか自己啓発的なことでもねえよ、これ。
そう、そのつもりは全くないからあれなんだけど、でもやっぱりなんかその、真面目な話をずっと聞けないみたいな人もいるじゃん、この世の中には。
だから、多分、そういう層には俺らのこのポッドキャストは刺さってないけど、
たまに俺らのポッドキャストも持ってきて、こういう真面目な話を聞いてみるか、みたいな、フォローしてくれてる人もいるからさ。
だから、そういう人たちとこうやってシェアできてて、メッセージでフィードバックもらったりができてるので、そういう面でもね、楽しくやれたなと思いますので、
またね、引き続き知っていくので、配信していくので、はい、聞いてください。
なんか、私もあんまり真面目にやってたつもりなかったんだけど、真面目か、真面目か、これ、真面目なのか。
あのね、真面目らしい。俺もそう思ってた。セラと同じように真面目にやってるつもりないって思ってたけど、
あの、言われました、友達に。ジョーカーたちがやってるポッドキャスト、ちょっと真面目すぎて、ずっと聞けないって言われたから。