1. We heart diary/ 僕らの心日記
  2. 出会う人すべてに好かれること..
2024-12-09 46:43

出会う人すべてに好かれることは誰にもできないけれど

spotify apple_podcasts youtube

「優しさは常に持って接したい、

 そして多角的な視点を持つことが当たり前にある自分のが何か意見を発する時、

 表現が思っていた形で伝わっていないのでは?」

というJOKERの漠然とした疑問について一緒に考えてみました。


なんとなくこの回は目次がいらない気もしているので、この回を私が後から聞いてみて感じた部分を補足してみたいと思います。


『100%理解を相手に求めるのは無理なのかも』

思っていることが伝わる、伝わりやすいというのも、個人が勝手に測っている尺度でしかない。


なるべく相手に分かりやすく物事が伝わってほしいから、言葉以外にもあの手この手で補足できるツールがこの世にはあります。でも言葉は準備出来てる人にしか伝わらない。全ての人に好かれる言葉はこの世にはないということ。


だから我々はもっとツールを使っていいように感じるし、自分が思っているよりも非言語的な文脈の方がスッと理解できたりするかもですよね。


そういう意味でJOKERにとって直接的すぎる言葉を使って作品を作ることは、究極の矛盾と戦うことのようにも感じます。

アーティストとして、直接すぎるほど言葉と向き合う。

なんかある種の短歌を作る詩人とも言えるし、バースをかますラッパーとも言える。


この世に全ての人を納得させられる言葉は多分ないかもと諦めるか、少しでも可能性を信じて自分の言葉を磨くか。



___________________

▶︎⁠⁠⁠Youtube⁠⁠⁠

▶︎⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠Instagram⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠ 

▶︎お便りは⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠こちら⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠から

サマリー

このエピソードでは、セイラさんとジョーカーさんが自己表現や他者への配慮について考え、自分を見失う難しさを探ります。言葉の力と責任を意識しながら、バランスを見つける重要性が論じられています。また、誰もが全ての人に好かれることが難しいというテーマに focus し、自己表現やコミュニケーションにおける言葉の選び方について議論されます。さらに、他者からのフィードバックや過剰な配慮が自身の創作活動に与える影響についても触れられています。 出会う人すべてに好かれることが難しいというテーマで、自己理解やアートの創作過程について深く掘り下げます。特に、他人を傷つけない作品を作る際の葛藤や、日々のコミュニケーションに伴う気遣いが生むストレスに焦点を当てています。このエピソードでは、出会う人すべてに好かれることが不可能であることを語り、自分の表現方法や課題に向き合う重要性が強調されています。また、周囲からのフィードバックを通じて、個人の成長やコミュニケーション能力の向上が意識されています。

心の整理と年末の振り返り
この番組は、セイラとジョーカーが自分たちの思考を整理して、心を抱きしめるためのラジオです。
みなさん、こんにちはです。
こんにちは。
今週もよろしくお願いします。
よろしくお願いします。
いやー、もう12月で今年終わりそうですよ。
いやー、早かった今年、まじで。
でも、めっちゃすぐ過ぎたよね。
うん、たぶん、自分のやらなきゃいけないこと、プラスアルファ、ここまでにこうするぞ、みたいなのが、
結構ちゃんと見えてた分、1年間効率よく動いてたなって気がしてて、
あ、この時期遊べるなとか、この時期忙しくなるだろうなとかのメリハリっていうのかな。
うんうん。
なんかそれがすごい見えてた年だったから、なんか動きやすかったかも、結構。
あー、めちゃくちゃいいね、それ。
うん。
たしかに、なんか程よく遊んでたよね。
たしかに、なんか夏とか、
遊んだ。
福岡とか行ったりとかもしてたもんね。
うん、バチクソ…バチクソって言ったらあれなんだけど。
あの、ことは悪いんだけど、あの、間違いなく忙しかったけど、間違いなく遊んでたって感じだった。
いやー、いいね、その、
行きたいとこには全部行ったね。
うん。
バランス、素晴らしいですね。
俺はもう、いろいろ環境の変化があったって、もうここのフォトキャスなんかも言ってるんですけど、
そうだね。
この後半でようやく慣れて、
落ち着いた。
来年から、どんどんどんどんアクティブにもっとなっていこうかなっていう感じだったので、ちょっと慣れる1年だったなっていう感じなんですけど、
よかったよかった。
まあちょっとね、この年末、年末というか、この1年どうでしたかみたいな回はまた別で撮ろうと思ってここまでにして、
言葉の影響と多角的な視点
今日はですね、ちょっと俺がセイラと毎度のことながら、
セイラの分析力を使って自分の考えていることを紹介したいっていう回になります。
いいですよいいですよ。
いいですよ、この回好き。
ほんと。
こういう回好き。
俺も助かってるんで、あの、お願いします本日も。
よかったです。なんかどこにも行かせなそうな技術だけど。
いやいや、ここで生きてるから。
ここで生きてるんで。
生かします、ここで。
じゃあ早速なんですけど、
前回さ、SNSの発信についてみたいな感じで、
我々が今ね、世の中にあるコンテンツで、ちょっと心配になるようなものはこうだよねみたいな、
で、自分たちはこうしたいよねみたいな話をしたじゃないですか。
そうだね。
で、そのエピソードの中で、
言葉は武器になる。
そして、発する前に、
自分の今から発する言葉がどう影響するのかまで考えられるといいよねみたいな、
そのようなことを話したんですけど、
それにちょっと逆行するようなトピックなのかもしれないんですけど、
言葉一つ発するのにも、いろんな人がいて、いろんな考え方があるっていうのを言われてる世の中じゃないですか。
で、いろんな人がいてっていう。
それぞれが本当に素敵で、あなたを大切にしてくださいねっていうようなキャッチコピーであったりとか、
っていうのがあふれてて、本当にその通りだと俺も思うわけ。
ただなんですね、
その多角的にものを見る、いろんな視点でひとつの物事を見て、
いろんな方向にケアをするっていうことができるって、
すごく素敵だし、優しい行為のひとつだと思うの。
で、俺はそういう人でありたいなと思いながら生活したりしてるんですけど、
ふと丸くなりすぎたなって思う瞬間があって、
もっと若い時は尖ってた。
だからまあ、人を傷つけてる瞬間が多分今よりも圧倒的に多かったと思うのね。
で、傷つけることは良くないけど、丸くなりすぎも良くないんじゃないかなみたいな、
なんていうんだろうな、この漠然とした疑問というか、
なんだろう、この感覚っていうのを最近思ってて、
で、なんていうんだろうな、自分のいろんなところにケアができるから、
自分が発した言葉で、こういうふうに捉える人がいるな、
あ、でも別のこういう捉え方もあるなってやってて、
じゃあその人たちをケアしようとすると、どんどん言葉が変わってくじゃん。
発する言葉が。
で、それをどんどん変えていってると、本当に思ってた自分のことから離れていっている感覚もあるわけ。
なるほどね。
人に優しくしたいよ、もちろん。
で、誰かを傷つけたくて言葉を発するわけではないから、
なるべくなくしたいんだけど、あんまりにそれをやりすぎると、自分の本位からずれていく。
っていう、ここの塩梅がどこがベストなんだろうな、今の俺とかセイラはどこなんだろうっていうのを、
柔らかい表現と自己認識
ちょっと見つけてみたいなという感じなんですね、本日。
伝わったかな、なんとなくでもいいかな。
うん、まとめないほうがいい?
まとめで聞いてる人はよくわかってないかもしれないから。
自分の性格とか特性上、人のことをケアしすぎるがゆえに、
本当に大切な自分の本当の気持ちだったりとかを表現うまくできてないんじゃないかみたいな。
あまりにも優しくあることがベースにありすぎちゃって、
たまに自分の感覚、自分のちゃんと大切にしたい感覚があまり自分で得られてないみたいな感じだよね。
あんまり今の会話、自分らしくなかったな、みたいなのがちょっと最近あったりしたので、
その通りなのと、あとしゃべり方にもすごい出てくるようになったなっていうのがあって、
このポッドキャスト聞いてると、たぶんところどころ出てるかもしれないんだけど、
何か俺が自分の意見を言った後にすぐ補足説明みたいなのをしちゃうわけ。
うーん、なるほど。
こう思いますって言った後に、具体的に話した方がいいんだろうけどちょっと出てこないな。
とにかく自分が言った意見に対して、すぐに反対意見であったりとか、
疑問点を持つ人の考え方みたいなのがぴょっと浮かぶから、
そこを考慮するような言葉をつけ足すというか、
しゃべり方にもちょっと出てきてて、話が長くなってるなとも思うわけ。
みたいなのもあって、そこで感じるわけよ。
自分らしくないなって思う瞬間があったり、
考慮をしたいがゆえに話が長くなってる、補足説明が多い分みたいな、
簡潔にもっと話せばいいのにっていうところまで話しちゃうとか、
みたいなところで、別にそれを悪いことだとも思ってないし、
全部変えたいとか、そんなコンプレックスに思うほどでもないんだけど、
ただ、多角的に物事を考えすぎるのもよくないのでは?っていう。
なるほどね。思うほど?
そんなのを考えてて、着地点、今回のエピソードのオチみたいなのを考えてもないので、
さっき言ったみたいに、どのくらいケアするのがベストかな?を見つけられれば、今日は満足です。
なるほどね。
なんか、けっこうこれは独特の悩みというか。
独特?
なんか、けっこう、それで言うと、限界が来てるのかなって気はした。
なんかすごく、城下のキャラクターも知ってるし、私。
だから、ここですごい今気を使ってるなとかっていうのも、
なんとなく分かるからこそ、第三者的な意見だと思って聞いてほしいなって思ってるんだけど。
はいはいはい。
なんだろうな、なんか、多角的に考えるのは確かに悪くないと思うけど、
なんか、それを本来どうあるべきだったら、
城下的には自分的に認められるのかなみたいなところが、
今日の一つの着地ポイントの一つでもあるんじゃないかなってちょっと思ったの。
ほうほうほう。
なんか、言ってることってすごく悪いことではないけど、
でも、自分があんまりそれを心地いいって感じてないっていう話なわけじゃん。
だから、もしかしたらどうあるべきが、今の自分にとってベストなのかが、
今回の一番得たい部分なのかなっていう気はしてて。
ほう、なるほど。
そうそう。それで言うと、私もすごく多角的に物事を考えるように普段からしているんだけど、
なんか、それって、過去に経験があったりだとか、
あとは、いろんな人の話を聞いたときに引っかかるポイントとかっていうのを、
いろいろ今までの見てきた、聞いてきたこととかっていうのを掛け合わせたときに、
大多数の意見ってこうだよね、みたいな考え方を自分の中で一旦持つわけよ。
うんうんうん。
で、そこに私は自分の意見も載せるのね。
うん。
いや、私は超理性的に考えたらこうこうこうだと思うんだけど、
でも、たぶんこの考え方って結構、どこの層にはまるかなみたいな、
その、なんだろうな、いろんな考え方を持ってる人たちがいるじゃん。
右か左かみたいな考え方もそうだけどさ。
そうね。
これ、この考え方ってエクストリームだなっていう、
そのエクストリームをどっからの視点でエクストリームなのかみたいなところを、
自分の中で一応ポジショニングはいつも持つようにしてるというか。
うんうん。
だから結構、自分の意見も横にくっつけるのよ。
大多数のみんなの意見は分かっているんだけど、
自分的にはここ。
で、一番折り合いがつく。
それが例えば仕事の場だったとしたら、ステッチワンを考えなきゃいけない。
自分の意見も殺したくない。
でもこっちの、民が言ってる。
民って言ったら。
民。
民やば。
民やばいね。
大多数の意見も分かるっていうのがあったら、
折り合いはどうやってつけるべきかっていうところをいつも模索して、
それを意見として述べるときがあるのね。
もちろん今回は、単純にどうもとか教えてって言われたら自分の意見を述べるけれども。
そうね。
あんまりそこで私は自分の意見をそもそも殺すっていう多角的に見るための一つの道具として、
自分の意見も多角的の一つの意見じゃん。
そうね。
だからあんまりそこは殺さないようにはしてるの。
でも聞いてたジョーカーの場合はそこすらもあまり先に考えずにみんなのことを優先するみたいな風にちょっと感じるから、
なんかもうちょっと自分の意見みたいなところを全然持っていいというか、
そこを心地よくみんなに伝えるっていうことができるようになってくると、
あまり違和感感じなくなってくるのでは?って単純に思った。
自分の意見あるだろうけど、それよりもみんながいいと思うんだったらそっちでいいよっていう考え方の方に、
普段から引っ張られすぎちゃってるんじゃないかなみたいな。
それはないかな。
それはない?
周りがこう思った方が丸く収まるからこうしようみたいなところまでにはいってなくて、
なんて言ったらいいんだろうな。
自分の意見はあるのよ。
それを伝えてる?
それを伝えてる。そこをクリアしてる。
せいらが今懸念してくれてた、周りに寄りすぎちゃってるみたいな意見がね。
で、全く自分の意見が変わっちゃってるみたいなところにはなってないから、
そこはクリアしてるんだけど、なんて言ったらいいんだろうな。
表現がどんどん柔らかくなる。
自分の意見は意見なんだけど、
なるほどね。出すときにね。
そう、出すときに、本当は欲しいなんだけど、自分の言葉は。
でも出すときにやっぱ刺さる人がいるなと思って、
言葉をどんどん柔らかくしていって、
まんまるで渡しちゃうみたいな。
だから、俺の意見なんだよ。意見なんだけど、
ちょっと磨きすぎて、
すごい考慮してるんだね。
気にせすぎだろうな。
でもなんか単純に、今の技術量っていうか、
ジョーカーの話術だったり言葉の使い方聞いてる限りだと、
推しを先にバーンと出しちゃう。
結論はこれだと思う。
で、その後の補足の部分で丸にしていけばいいんじゃない?
話しながら丸にしていくことはできないのかな?
最初から丸にするんじゃないかって。
なるほどね。面白いね、それ。
そうそう。
その発想があったかもな。
話していくときの構成って言ったらあれだけど、
一番人に伝わる言い方って、
結論を先に言うことだと思うのね、私的に。
うんうんうん。
で、その後にそこに至った経緯だったりとか、
あとは気をつけなきゃいけないポイント、
これをここのままでいくんだとしたら、
こういう考え方もあるし、こういう考え方もあるし、
プロコンを言うみたいな感じね。
うんうんうん。
っていう風に私普段から、
人を何か説得させなきゃいけないときとか、
言葉の選び方
説明するときはそういう風に説明するようにしてるのね、基本的に。
うんうん。
それが一番伝わると思ってる。
一番なんだろうな、
時間をかけずに相手に理解してもらう。
その事実を知ってもらうことは必要だから、
もうトゲでも何でもいいから、結論を言う。
で、その後で考慮で補填をしていく。
で、今のジョーカーのその優しさがあるんだったら、
多分絶対その補填していくところで、
その丸さを出せばいいと思う、私も。
なるほどね。
だから最初から丸にしちゃって出しちゃうのは、
そりゃそうだよなっていう。
しかも労力使うし、それかなり。
うん。
昔は今セイラが言ってたことをやってないな。
その星を出すみたいなのは、やれてたわけよ。
そうなんだ。
なんだけど、できてなかったわけじゃないんだけど、
やっぱりなんかその、いろんなさ、
俺の場合、発信してある程度見てくれてる人がいる分、
フィードバックがあるから、
多分そこからどんどん変わっていったんだろうな。
変わっていったんだろうなとは、
その、推測するんだけど、
だから、別に自分の意見ではあるから、
間違いではないんだけど、
具体的な、なんかわかりやすそうな話をすると、
その、メモ帳、何回もこの例を出して申し訳ないんだけど、
メモ帳をやっていて、
そこの中でも言葉を選んで、
自分の意見だよ、全部。
で、自分が思ってることを書いてるから、
そこに嘘、偽りは全くないけど、
やっぱりでも見る人が、いろんな人がいるから、
いろんな人に伝わる、正しく伝わるように、
って考慮はしてるのね、あれ。
で、その表現の中で、
あなたって書いてる言葉、割とあるんだけど、
それを、お前って書くのと、あなたって書くのでは、
やっぱり受け取り方が変わってくるじゃん。
それこそ、お前は星より、
あなたは丸に近い表現だと思うの。
で、あれは自分に向けてるから、
自分を立したいときは、
お前〜しろ、みたいな言葉を書いて、
載せてるときがあるんだけど、
そのときのフィードバックの一つで、
言葉遣いがきつい、みたいなフィードバックがあったの。
で、俺は自分を立したくて、
強めの言葉を使いたくて、
言葉を使いたくて、あえてお前って言葉を使ったから、
そのフィードバックに関しては、
俺が強く表現したいことが伝わってるわけだから、
正しいフィードバックなわけよ。
う〜ん、そうだね。
なんだけど、やっぱ、
あ、そう、糸はちゃんと伝わってるというか、
届けられてるわけじゃん。
けど、やっぱりきついって捉える人がいるんだってなったら、
やっぱりそのお前って使う頻度が、
そっからちょっとグッと減ったりとかは、
あったなぁとは思って、
自己表現の葛藤
でも、そういう、
う〜ん、まあ、自分でもわかってるし、自分でも言ってるんだけど、
100人いて100人に好かれることは絶対ないし、
100人いて2人好きって言ってくれる人がいたら、
その2人を大切にしたいと思ってるのね、俺は。
まあ、もちろん98人を無限にするとかはないけど、
2人をより大切にしたいと思う感覚はあるわけ。
うん。
だから、100人に好かれようとする行為って、
どんどん面白くなくなっていく、
おもんないコンテンツというか、
作品を作ってる行為になると思ってるのね、俺は。
うんうんうん。
だから、たぶん、最近の自分の欲しいっていう、
尖った意見というか、ちょっと突発的な、
きつめな意見を丸にしてっていう作業をしている、
自分、面白くねえなが、たぶん、
この疑問というか、
この視点を生んだ気がしてきた、今、話してて。
なるほどね。
その現象を感じるのって、
そういうふうに作品を作ってるときにだけ感じる?
それとも、普段のやりとりとかでもそこを感じる?
最近の作品作りとかでは、
それを感じてるからこそ、
あんまり、今の自分が作ってる作品は、
本当に自分が楽しく作ってはいるんだけど、
あんまり評価というか、
ジャッジをされたくないみたいなところが、
最近は大きくて、あんまりパブリックに載せてないから、
作品運営の話はちょっと今、
たぶん、しても聞いてる人が載せてる作品見れたりとかしないから、
ちょっとあれなんだけど。
私的に、メモ帳も一つの作品だと思うから、
それを例えてたんだけど、
それを考えてるときにだけそれをすごく感じるのか、
それとも、日常生活の人とのコミュニケーションにおいても、
それをすごく感じるのかだったらどっちなんだろう。
常に思ってることではないかな。
何だろうな。
パブリック。
ふと自分の言ったこととか、
書いたことを見返したときに、
えっ、なんでこんな配慮してんの?
って自分に思う、みたいな瞬間があるって感じかな。
メモ帳全部とか、会話全部とかじゃなくて、
ふとしたときに、あのときの自分のあれ、
ちょっとケアしすぎじゃね?って思って、
なんでこうなってんだろうなって思ったというか。
いい子ちゃん過ぎちゃうのつまんな、みたいなね。
それが一番近いかも。
真面目に聞いちゃおうと思って。
本当は記書とかも言わないようにとかしてたけど、
今あえてトレーニングで言ってます。
でもなんか、もっと素直でいいんじゃないのかなって私は思うけどね、
あのメモ帳とかに関しても、
自分のその鬱憤というかさ、
普段感じているフラストレーションを、
パブリックにも見せてくれてるっていう印象だから、
たぶんもしかしたら本当に、さっき自分でもジョーカー言ってたけど、
パブリックのことを気にしすぎなのかもしれないっていうのは、それかもね、
なんか別に評価の部分気にしなかったら、
その意見ってなんか、別に変わらないというかさ、
自分のスタンスを貫くと思うんだけど、
でもパブリックで見せてる以上、
そういう言葉も汲み取りざるを得ないっていう話なんだと思うんだけど、
なんか、あれが一つの芸風みたいな感じじゃん。
そうね、一個の作品のスタイルからね。
だからなんか、あれは一つの表現だから、
なんか私はそれをやめる必要ないんじゃないかなって思うけどね。
なんか例え言われても人に、
でもそれが自分の中での、
この今回の言いたい言葉に対しての芸風はこれだからいいんですっていうのも、
なんかそれはアーティストとしての使命というか、
そこと向き合い続けることになるんじゃないかなって思ってて、
それを使っていくことによって、
よりなんか精度の高い言葉が出てきたりとか、
こういう風に言った方が実は伝わるのかなとかっていうのが、
変化がわかってくるから、
あんまり人の話聞きすぎ注意だと思う。
なんかそう思ったんだとしたら、
その人たちはに向けた言葉ではないっていうだけの話だよ。
だから、それを言ってきたあえて見えるところでって話だから、
気にする必要はないんじゃないかなって思うけどね。
今のセイラの話を聞いて、
誰かから出したものに対して何かフィードバックが来るじゃん。
言われるじゃん。
それを言われて、変えるっていうことはしてないの。
なんだけど、言われてもない言葉に左右はされてるかもって思った。
あー、怯えてるってことか。
怯えてるって言うとすごい認めたくないけど、
でも、そうなのかもしれない。
こう思う人もいるよな。
あ、でもこう思う人もいるか。
じゃあその間これかな。
俺の言いたいことに近い言葉は。
みたいな選び方はしてるなって思ったな。
こういう風に言われる可能性あるから、
この表現で行こうと思ってるけど、
でもなんかちょっと良くないかもって、
ちょっと余儀るってことだよね。
でも、そこを突破していくことも一つのプロセスなんじゃないって思う。
その作品を作る上で必要なことというか、
それをしてまで伝えたいことがあるってことだと思うから、
一つの主張だと思うんだよね。
うんうんうん、それはそうね。
で、それがその人なりの言い方だったりっていうのはもちろんあるから、
それはみんなが伝わる形だったらいいなって思うのが誰しもだと思うけど、
なんか、なんだろう、
その時の鮮度みたいなのも殺しちゃいけないんじゃないかなって私は思うから、
本当に思ったんだったら、もうその通りなんだと思う。
創作活動への影響
だから、それをあんまり気にしすぎは良くないんじゃないかなって気はするけどね。
そうなんです。気にしすぎなんです。
もう本当になんか、気にしすぎてなんか、
逆に今、なんでそれを気にしちゃうんだろうね。
なんか、やっぱり傷つける人を見たくないっていう気持ちが強いからかな。
でもあれは作品じゃん。
作品なんだけど、
なんでって言われたら、
なんでそんなにケアするのって言われたら、
自分の何かコンテンツじゃないな、作品か、
とか、会話の中、
本当に作品関係ない日常会話でも、
喋ってる中で、
傷つけたくないんだよね、人を。
なんか、
今までの経験、
人生の経験の中で、
人の言葉で傷ついた経験が、
割と多いというか、
そこに俺は傷つくことが多かった。
人の言葉で傷つくことが多かったから、
だから自分はしたくないっていうのが大きいから、
多分ケアをするんだけど、
別にその流れというか、
その考え方はいいと思うの。
俺はね。
だし、
1個の自分の優しさだと思ってるから、
変えることはないと思うけど、
やっぱり行き過ぎは良くないなっていうことで、
そこのバランスの取り方が、
きっとに嫌われたくないとか、
そういうことじゃないんだよね。
傷つけたくないとかなんだよね。
だから別にバッシングされるとか、
なんかそういうの、
メモ帳で言ってたらさ、
ある程度とか、
結構な人に見てもらえて、
影響力があるってことは、
徐々に承知で、
その分、
共感してくれる人もいたけど、
全然共感してくれないというか、
バッシングみたいなメッセージが来た、
みたいなことはあるんだけど、
それでなんかなえて、
その人たちにそう言われないようにしよう、
みたいなことは一切ないから、
ってなったら、
自分がそういうので傷ついた、
言葉で傷ついたっていうところを、
人にしたくないとか、
っていうのが強いんじゃないかなって、
思うなあ。
なんかさ、
その考えすらもうさ、
ひとつの作品になるよね。
なんか、
っていう考えとかがあるから、
自分の今のこういう作品が、
こうなってるんだなっていう意味で、
なんか、
それを伝える機会があっても、
いいんじゃないのって思った。
なんかすごく、
ミステリアスな形で進行。
これはなんか、
芸風に口出しするみたいな感じになっちゃって、
見てる側から、
見てる側からっていうか、
ごめん、これは結構プロデューサー的視点ね。
それすらも、
コンテンツになり得るよって話。
そこを見たい人はいるだろうし、
多分、
突破しなきゃいけない、
今のその限界みたいなところは、
どうやったら、
みんなに、
嫌な形じゃない形で、
その言葉を伝えていくかってことだとしたら、
もしかしたら、
メモ帳を飛び越えなきゃいけないのかもしれないよ。
うーん、
なるほどね。
飛び越えるというか、
メモ帳をうまく、
より伝えるために、
しなきゃいけないことが、
あるのかもね。
その、
強い言葉を使うんだとしても、
それがなんか、
意図的じゃないっていうか、
恋にやってるわけではなくて、
これもちゃんと一つの作品として、
自己理解と成長
作りたいんだってことを認識させる、
何か一つ、
エッセンスが必要なのかもしれない。
それを探さないといけないのかもしれないね。
うーん。
のが今の会話かもしれないね。
そうそうそうそう。
だから、これすごく、
去年の自分から、
またより成長してるって話よ。
だってそうやって、
去年は書くってことに集中していて、
それがいろんな人に目に触れて、
すごくいい結果を生んだけど、
質の部分を高めようとしたときに、
こういう壁にぶち当たってるわけじゃん。
そうね。
うん。
だとしたらそれが今、ジョーカーが向き合うべきポイントだし、
なんか、
それが一つの作品の突破口になる部分なのかもね。
うーん。
そうね。
だから、いいストラッグなんじゃない?
これは。
ここに考えてるってことは、
すごく伸びしろがあるって話だし、
逆に言えば、
そういうところ、
そのケアにつなげられるものだったら、
何が自分なりにできるかみたいな、
とこなのかもしれないね。
そこが問われてるのかもしれないね。
そうね。
その気づきをくれた、
あの、民はありがとうって感じじゃない?
出た民。
なんだろう、
なんか民って言葉が出てくるな。
大衆っていうのも、なんかちょっとあれだけど。
大衆ってか、もっとなんか、
上から見せないとね。
民にさせていただくわ、
このポドキャストでは。
でも、そう、なんか、
そうね、なんか、
うーん、まあ、
沼町だけの話ではないけど、
なんかちょっと、
最近の自分は、
周り、周り、
なんだろうな、
人をケアすること、傷つけないみたいなところを、
考えすぎて、
面白くなくなってるな、
みたいなのを、
感じてたんだね。
感じるポイントがあって、
で、自分なりにも考えて、
で、なんでそうなったんだ、
ってなった背景には、
さっき言った、
自分が言葉で傷ついた、
みたいなところがあるから、
人にしたくない、が強いな、
っていうところまでは、
自己分析して、
わかってはいたんだけど、
なんかバランスを、
人をね、傷つけない作品って、
なんだろうね。
そう、だからないなってなったし、
人を傷つけない、
人を傷つけないというか、
全員が受け入れる作品なんて、
面白くねえし、
誰でも作れるし、
っていうところに、
思うし、
みたいなところで、
ごめん、ちょっと、
一つアイデアが浮かんでしまって、
なんですか?
ここで作れるのがキャラクターなんじゃないですか?
わかんないけど、
大衆に受けるのって、
やっぱキャラクターじゃん。
キャラクターって、
性格とかじゃなくて、
キャラクターデザインとかの方です。
その子にすんげえ
かわいい顔してるのに、
すんげえ独立、
みたいなのとかじゃないか、
そっちで持ってこないと、
俺のブランディングというか、
アートワーク的にちょっと違うけど。
一つのアイデアなんですけど、
そういうのを、
逆手に取ることができるよね、
そういう形で。
いいじゃん、それはそれで。
別のキャラクターに言わせるっていうね。
そうそう。
めちゃくちゃドギツいことを、
かわいい子に言わせる、
みたいな感じ。
愛反するものと、
作品にしてみる、
みたいなのは、
すごい面白そうだなって、
勝手に思って笑っちゃった。
余計にちょっと、
クスッとなってしまったっていう。
なるほどね。
確かにね。
結構ラフに考えていいんじゃないのかな、
っていう気もする。
そういうさ、
人に対してさ、
慣れないことって言ったらだけど、
結構ストレスかかることじゃん、
そうやって人に気遣うとか、
なんとかっていうところって、
誰しも。
でもそういう制限があるから、
アーティストじゃない、それで言ったら。
だからそこと、日々見き合い続けることが、
アーティストの一つのプロセスなんだよな、
って思うっていうか。
だからこのストラブルは、
ぜひとも突破していただきたいな、
って思う。
そうね。
そこの苦しみ、
苦しみっていうと、
大げさだし、あれなんだけど、
そこを楽しんで、
もの作るのが、
物作りの醍醐味。
物作りの醍醐味、
かなとも思うので、
ほんとそうだと思います。
冒頭にも言ったし、
あれなんだけど、別にコンプレックスに思ってて、
悩んでるとかじゃなくて、
ふとなんでなんだろうなっていう、
ところで、
着地自体はやっぱり
気にしすぎが良くないようなんだけど、
こんな感じは。
キャラクターを作ろう。
ゴール。
やばい。
OK。
点がつながったね。
でも、
なんか、
ちょっとなんか、
こうやって、
言語化をしながら、
俺は整理をして、
いかないといけない、
体質になってしまったので、
こうやって、
キャッチボールしてくれる相手がね、
チャットGPTではない、生身の人間の
人間がいるんで、
そうですね。
こうやって話すって、
言語化していくことによって、
メモ帳を見てる人のたぶん、
0.1%ぐらいがこれ聞いてるみたいな感じだから、
全然、
たぶん、
この裏でこういうことを考えてるみたいなところまでは、
たぶん伝わってないし、
伝えちゃうとなんかね、
全部種明かししてるみたいな感じで、
それもそれで面白くないから、
言わない美学ってやつですね。
あるなとも思いつつ、
でもまあちょっと、
この、
なんだ、
その、配慮するのは、
素敵なことだと思うけど、
そうだね。
しすぎはいかがなものか、
っていう、なんとなくこう、
輪郭のない、
疑問というか、
自分の、
変えたいというか、
微妙だな、
面白くないなって思ってた、
自分の特性みたいなのを、
セイラに投げてみて、
輪郭は、
はっきりしたし、
自分がどうしてそうなってるかも、
言語化できたんで、
うん。
そうだね。
すっきりしました。
結構、
こういう話って、
表にしないっていうか、
なかなかそんな機会もないと思うんだよな、
アーティストだったら。
だからなんか、
こういうのに考えて苦悩を持って、
作品と向き合ってるっていうのは一つ、
知ってもらう機会には、
なったんじゃないかなっていう、
気はしているけどね。
他人を傷つけない作品の葛藤
正直これ、
流すのはずいなと思ってるけど、
まあでもポッドキャストはもう、
いいやと思ってるんで載せます。
ありがとうございます。
1年前とえらい成長です。
たぶんね、1年前だったら、
なんか、
ボツでしょ。
ボツです、この回。
ボツだよね、きっと。
性格のこと考えて、
いや、そこまで知られたくない、
みたいなのがあったかもしれないけど。
いいんじゃないですかね。
別にね、
俺のことだし、
まあ、興味ある人が、
聞いてくれてると思うから、
まあいっか、
その人に向けた、
少ないこのコミュニティだったら、
って思えてるんで、
まあ編集するのがすごい、
なんか奥だけどね。
自分でね。
もう一回聞かなきゃいけないから。
いいと思いますよ。
コミュニケーションの重要性
いい機会なんじゃないですか。
自分の本音じゃないけどさ、
ちょっとそこどうなのかなって思ってる部分と向き合うって、
意外とやらないじゃん、みんな。
だから。
でもこのポッドキャストは、
それをあえてやっていくが定番なんでね。
やらせていただいて、
死ぬほど今年やらせていただいてマジで。
おかげで、
おかげでね、
なんか副作用みたいな感じで、
日記とか書く、
書き方が変わりました。
だからありがたいです。
とってもありがたいですよ。
よかったよ。
すごく日々の中で、
どうやって自分と向き合っていくかっていうのは、
よりなんか精度が上がった気がする。
確かにそれを俺も感じるな。
うん、そうね。
ね。
ちょっとした事柄だったとしても、
見逃さずに自分だったらどうもかな、
みたいなところをよりキャッチするようにもなったし、
そうね。
すごくそれが1年前よりも高まった気がする。
うん。
確かにそう。
それが結果的に、
自分を好きになっていくことだったり、
自分を理解していくことなのかなってすごい思うから、
今年はいつどの年にも増して、
自分のことをすごく探求した年だったなって思いました。
ごめん、急に反省会始まっちゃった。
なんかすごい、
このポッドキャストの1年のまとめは始めたなと思ったよ。
けど、本当にその通りだと思うな。
多分ポッドキャストやってなかったら、
今日話したこともそうだし、
今までこう、
ポッドキャストやってなかったら、
今日話したこともそうだし、
今までこう、
ポッドキャストやってなかったら、
今までこう、
ポッドキャストやってなかったら、
今日話したこともそうだし、
今までこう、
ポッドキャストで話してきた話、
ぼつになったのも含めて、
たぶん素通りしてたと思うんだよね、
そのトピック自体を。
なんか、
一瞬気にかけたとしても、
そんなもんか!
みたいな感じで流しちゃうみたいなのがあったけど、
こうやってこういう場があるっていうのもそうだし、
セイラと去年
12月に
続けたいっていう気持ちもあるわけね。 継続が力なりだからさ、やっぱ物事って。
俺は思ってるんだけど。 だからこそ
一家ではなくて 自分だったら本当にどう考えるかっていうのをセイラが言った通り
一家立ち止まってじっくりで 多角的に見るみたいな。
で、それをセイラと共有してどう思うかっていう、どう感じるかっていうのをね
シェアして、またそういう考え方もあるんだっていうのを ゲットしてっていうのができたからね。楽しいし。
自分をね、自分をなんか理解 できるように
なった。本当になったと思う。 しかも変わったねって言われたもんな。この前仕事で。
例えば? いや、なんかその
物事を、この回で多角的に見すぎみたいな話をして、あれなんですけど なんかこのプロジェクトで、なんかこういう
ユーザー、利用者がいるっていう想定をさ プロジェクトだとおのおのするじゃん。
なんだけど、こういうユーザーもいるかもしれません。とかその 設定しているユーザー以外にもこういう可能性もありますよねとか
その想定していない、このユーザーも取り込めるんじゃないですか みたいな視点をいろいろ
提供するというか、一つの物事に対して。っていうのを前までは してなかったわけではないけど、ちょっと精度が悪かったけど
最近はもっとこう、なんか言語化が上手くなったからと思うんだよね、その精度が。 と思う。これをやってたから。っていうので
その久々に仕事したクライアントの人に、なんかすごい なんか分かりやすいって言われて、なんか変わったねって言われたから
おー結果出てると思って。それが今年のこの ホッドキャストを1年やって
得た、なんか周りからの大きいフィードバックかもしれない。 なるほどね。
表現方法と課題への向き合い
今年なんかドリブでその場を回さなきゃいけないとか、なんか 自分が走りしなきゃいけないタイミングですごく上手くできるようになってる。
いいね、この俺がちょっと言語が上手くないから、それを せいらが補填する、ようやくするみたいなのよくやってたからね、それが生きた。
そうだから、なんかまとめてください みたいなのがよくあって、あーみたいな。
よく俺が言ってるやつやん、せいらまとめてって。
つまりここだよね、みたいな。なんかその今たぶん論点ずれたっぽくないですか、みたいな。じゃあ戻りましょう、みたいなのとか結構あったりとか。
なんかその要点、なんか話の中って、なんかいろいろワーワーワーワー意見述べたりなんとかってあるけど、要点を逃さないことってすごい重要だと思うの、このご時世。
なんか例えば、こいつ今ジョーカーと話してて、そのなんだろう、要点ってさ、なんかあの、自分が丸くなりすぎちゃってるかもっていうふうにジョーカーは捉えてるけど、そうじゃなくて、どちらかというと表現の仕方に対しての疑問を持ってるのが要点じゃん、この場合って。
それによって自分のその表現が著しく下がっちゃってるかもしれないっていう、そこが要点じゃん。そこを見逃さない、で、そこをどうやったらケアできるのかって言ったら、そこが実は自分の課題だったっていう話じゃん。
だからなんかそういうこと?なんかその、人は表面の部分で、こう問題だ、なんとかって言ってるけど、実はそこじゃないんじゃないっていう、視点を投げかけるみたいなことがすごくいろいろ増えたかもなって思って、そうそうそう。
いいね、いい変化というか、こう、新しい戦う、社会と戦う武器を各々得たわけだ。
得ました。だから人からのヒアリング力が上がってる気がする。一つポンって言われたら、この人が本当にネックに思ってるんだってここだな、みたいな、話してるこの話じゃなくてここかな、みたいな。
うんうん、確かにね、そういうのはね。
もうより会話から汲み取ることが増えたかなという気がしております。
やっぱり、
いいっすね。
そうね、ちょっと俺らのポッドキャストは、なんか真面目な話というか、そういうのがあるから、まあ、そういうのが得意じゃない人もいっぱいいるかもしれないけど、
ごめんね、なんか自己啓発的なことでもねえよ、これ。
そう、そのつもりは全くないからあれなんだけど、でもやっぱりなんかその、真面目な話をずっと聞けないみたいな人もいるじゃん、この世の中には。
だから、多分、そういう層には俺らのこのポッドキャストは刺さってないけど、
たまに俺らのポッドキャストも持ってきて、こういう真面目な話を聞いてみるか、みたいな、フォローしてくれてる人もいるからさ。
だから、そういう人たちとこうやってシェアできてて、メッセージでフィードバックもらったりができてるので、そういう面でもね、楽しくやれたなと思いますので、
またね、引き続き知っていくので、配信していくので、はい、聞いてください。
なんか、私もあんまり真面目にやってたつもりなかったんだけど、真面目か、真面目か、これ、真面目なのか。
あのね、真面目らしい。俺もそう思ってた。セラと同じように真面目にやってるつもりないって思ってたけど、
あの、言われました、友達に。ジョーカーたちがやってるポッドキャスト、ちょっと真面目すぎて、ずっと聞けないって言われたから。
個人の成長とコミュニケーション
まあ、たぶん本当にその頃には向かなかったんだな。きっと思考回路が違うんだと思う、きっとだから。
私、あんまり、これはけっこうなんか、ノートレ、ノートレに近いっていうか。
ノートレ、ノートレって言うんで。
議論とか、そういう話なんだと思うんだけど。
まあ、そういうのがね、好きな人、苦手な人はあるから、そこは全然なんだけど、一応その、第三者視点的にはそういうふうに捉える人もいるらしいので。
まあ、でもね。
じゃあ、その子に聞いといて、なんかどういう話聞きたいの?って。
たしかに。聞いてみるね。
聞いといてください。そういう人たちの意見も大切ですから。
ずっとね、真面目にやってるつもりもないんだけれど、どうしても向き合う課題っていうものがちょっとでかい。
あの、なんだろう、けっこうなんだろうな。
なかなか普段話さないところというところだから、我々の場合。それがね、うちらの面白さでもあると思うんだけど、
みんなの視点も取り入れたい気持ちは従順にあるので、ちょっとそれは企画会議、検討。
そうね、ちょっと来年はもっとこう、しょうもない、俺らからしたらしょうもないと思っちゃうようなコンテンツというか、そのトークテーマもやってみたい、チャレンジしたいなと思います。
そうですね。そうしましょう。
なんか、よかったです。ちょっと気持ち長くなってしまいましたが、軽く来年も振り返れたということで。
またちゃんとした振り返りやるけどね。
来年を振り返る?今年はね。
すいません、未来を行きすぎました。
ごめんなさい、ちょっと気になっちゃった。
未来を行きすぎました、私。今年を振り返る会があってもいいかなーなんて思いますけれども、今日はこれぐらいかな。
そうね、長くなってしまったし、ちょっとね、重たい会議、重ためな会議になったかもね。
けど、まあ、俺のための会なので、よしよしください。聞いてくれた人、ここまで。
いいと思います。アーティストの苦悩が聞けるというチャンネルですよ。
そんなたいそうなものではないです。でもまあ、いい話ができましたので、本日も、また来週ね、みんな戻ってきてくれると嬉しいです。
嬉しいです。
ありがとうございます。
はい、ありがとうございます。
ではでは、また来週。
はい、失礼します。バイバイ。
番組への感想や話してほしいテーマ、2人に聞いてほしい悩みなど、どんなことでも構いませんので、概要欄にありますフォームからメッセージをお送りください。
そして、お聞きのプラットフォームで番組のレビューを送ることができます。
番組を聞いていいなと思ったら、ぜひレビューを送ってください。
では、次週またお会いしましょう。バイバイ。
バイバイ。
46:43

コメント

スクロール