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  2. #39 ビジネススキルの嘘っぽさ..
2025-06-14 33:06

#39 ビジネススキルの嘘っぽさから、教育の話へ。人間を信頼することって何?(2025.4.18収録)

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初っ端に話してくれた「エレベーターピッチ」というビジネススキル。単語自体初めて聞きましたが、私はビジネススキルの人間の捉え方がなんか苦手です。PDCAとかも、人間に使いたくない。人間をそういう理論や型にはまる存在としていいんだろうか。

 

そこから、逆の考え方を持っている、私が今関わっている「オルタナティブスクール」の話へ。子どもたち、もっと言えば人間を信頼している感じがするんですよね。

玄徳さんの「大人が限界を決めれるほど、まともで高尚な人間なのか?」という疑問がもっともです。この視点、めちゃくちゃ大事な気がする。

玄徳さんが言っていた「納得いくまで対話し続ける体験」会とかしたいですね。参加者募集してます。(個人的に)

ちなみに久しぶりの対面収録です。

 

#あきさめpodcast

#ビジネススキル

#信頼関係

#人間観

#教育

#子ども

#学校

#オルタナティブスクール

#子育て

#自己肯定感

#対話

サマリー

エレベーターピッチの概念について、特にコミュニケーションの重要性が論じられています。また、オルタナティブスクールの教育方針では、自我肯定感を重視し、対話を通じて自己決定を促す方法が紹介されています。このエピソードでは、教育における人間への信頼感の重要性が探求されています。子どもたちが自発的に学ぶための環境づくりや、大人の関わり方について意見交換が行われ、管理型教育とは異なるアプローチが議論されています。また、ビジネススキルの建前についての疑問が探求され、子どもたちの相互作用や教育の重要性について考察されています。人間を信頼することの意義や、自由な環境を作り出す方法が語られています。

ビジネススキルとしてのエレベーターピッチ
スピーカー 2
そうですね。途中からも走ってるんですけど。
なんか、玄徳さんが、さっきエレベーターピッチの話をしてくれて。
ピッチがごんびきするっていう。
スピーカー 1
ちょっと想定以上のリアクションでしたけど。
別にね、自分がそれをやりたくてやってるわけじゃないけど、
ビジネスの世界に適合した人が上司だった時期があって。
別に今もそうなんだけど。
自分が1年目、2年目の時とかは、やっぱりこいつを育てていかなければとか、やろうみたいなのがあったんで。
いろいろ言ってもらってた時の一つに、
エレベーターピッチを、白ではないけど、エレベーターピッチができるぐらいに。
エレベーターピッチが何かっていうと、
例えば、エレベーターに乗ってオフィスの階、大体上の方にあることが多いから、
そこに行くまでの間に、例えば社長だったりとか、経営層の偉い人たちと、
エレベーターに乗り合わせた時に、乗ってる時間の中で自分の考えとか、
そういう説明をすること、提案をすることっていうのをエレベーターピッチって言って、
それができるぐらいに、要は結論から話すとか、要点をまとめて話すとか、
そういうことができるような人になりましょう、みたいなことをざっくりと言われたことがあるんですっていう話をしたんですけど。
2、3分でね、わかりやすく話す。
スピーカー 2
怖いと思って。
エレベーター、今日の気温の話でしたら終わりませんね。
スピーカー 1
むしろ、だから人間的なコミュニケーションってそっちだよねっていう。
それはね、間違いなくそう。
急にそんなこと言い出す人いたら、普通にビビりませんか。
そういう意味では、だいぶ自分の感覚も麻痺ったところはあるよね。
全く引いてないことはないんだけど、慣れたよね。
慣れて、冷めた心で見る用意だったよね。
スピーカー 2
距離を置いて。
オルタナティブスクールの教育方針
スピーカー 2
それはあるね。
エレベーターピッチっていう言葉自体は初めて聞いたから。
スピーカー 1
あるんですよ。
スピーカー 2
新鮮ですよ。
でもね、社長が忙しすぎだろうみたいなね。
スピーカー 1
それはね、さっき回す前に話した中で補足をしておくと、逆に平社員の側、周り側の問題ではないけどもあって、
社長っていう存在は忙しいだろうって思って接するじゃないですか。
スピーカー 2
偏見というか。
スピーカー 1
そうそうそうそう。
社長って秘書がいて、うちの会社、行ってる会社でもそうだけどがいて、
スピーカー 2
みたいな、そういう事前情報というか、それを聞いているだけでそういう像が生まれる出来てくるじゃないですか。
スピーカー 1
で、いざ何か、仮にエレベーター乗り合わせたとして、
今日の天気の話をして、今度自分のアイデア聞いてほしいから時間もらえますかって言える人がどれだけいるかどうかっていう。
スピーカー 2
実際社長がどれだけ忙しいかを、別にそばにいて見てるわけじゃないけど、
スピーカー 1
その関係性の中でそれを言えるかどうかだったりとか。
そこで何か、おそらく不要なことも含めて、牽制したり、要は変に気を使っちゃうっていうところも多分あって、
それは結構何か社会の仕組み的から来るものだったりとかもあるだろうし、
実際に社長っていう要は立場?役割自体にそういう風に感じさせるものが集中してるだろうっていう見方も出来るし、
スピーカー 2
そこまでのしっかり組織だった上下関係があって、その一番上の人に話聞いてもらえるとは思えないですよね。
スピーカー 1
そもそもそういう関係性じゃないですか。出来上がってるから、社長に私の話を5分も聞いていただくなんてなるじゃないですか。
スピーカー 2
でもそれは社長を、そういう組織、そういう人間関係になってしまってるからっていう話でもあるわけじゃないですか。
スピーカー 1
例えば同じテーブルに縁になって座るとかだったらちょっと違うじゃないですか。
スピーカー 2
それはね、エレベーターで乗り合わせた社長に5分以上話聞いてもらえないですよね。と思ってしまうのは当然だと思うんですけど。
さっきも回す前に喋ってたのが、私が今インターンに行ってる学校が、
オルタナティブスクールみたいな学校に行ってない子とか、
今の教育にちょっと違和感を感じてる親御さんが通わせたりとかする、
結構方針がしっかりしてる学校があって、そこにインターンに行ってるんですけど、
それが本当に玄徳さんの言ってた話と真逆の価値観だなと思って話してたんですけど、
本当に自分も他人も大事にする自己肯定感の土台が一番大事みたいな考え方で、
だから話し合うときはとことん話し合うし、大人が勝手に決めたりもしないし、本当に丁寧なんですよね。
話し合いも、それこそ2分で結論伝えるのも逆なんですけど、
多数決で決めずに、とことん話し合うみたいなのをしてるところで、
すごい学校の本とかも読ませてもらったんですけど、めっちゃしっかりしてるなと思って、
実際に多数決で決めないってどういうことなんやろうってめっちゃ思ってたんですけど、
話し合い、一応試行錯誤はしてるみたいなんですけど、
反対意見の出ない案を取るっていうことをしてたりとか、
反対っていう人が一人でもいたらなんで反対ですかみたいなのを聞いて、
それについてみんなでワイワイ話し合うみたいな感じで、
哲学対話用語みたいな感じで、不要面っていうらしいんですけど、
意見Aと意見Bがあったら、もうどうしようもないみたいな、
折り合いがつかないみたいなときでも、
例えば数時間とか話し合ったりすると、ポッと別の案というか、
これいいんじゃないみたいなのが浮かび上がってくるみたいな。
それが出るまで話し合うみたいなのが結構あって、
本当にそれができるってすごいなって思いますけど。
スピーカー 1
聞いてて思ったのは、自分もそうだし多くの人の中で、
その話って結構おとぎ話の話だと思うんですよ。
トトロイルモンと一緒だと思うんですよ。
不要面イルモンだと思うんですよ。
スピーカー 2
間違いない。
スピーカー 1
そうでしょ。だってその経験をしたことがある人が、
今の大人の中にどれだけいるかっていう話で、
自分も率直にその経験をやっぱりしたいなと思う。
要は話には聞くわけですよ。そういうことが可能なんだろうと。
ただ実感としてどれだけあるかって言ったらない。
教育における新しいアプローチ
スピーカー 1
実感がないとどうなるかっていうと、
絶対多数決を待ってやるんですよ。
スピーカー 2
めっちゃわかりますね。
私も本当にわかんなくて、
実際に多数決で決めないって。
だってこんなに20人とる人がいるのにどうやって?みたいなのがあって、
見学に行った時に肩を見て結構おーって思ったんですよ。
その反対の意見を聞いていく。
とりあえず案を全部書いて、
反対の数を書いて、反対の意見を聞いてって、
みたいなお勧め方をしてて、
なるほどねって思ったんですけど、
でもそこからどう回収するかとかは多分時間にもよるし、
みんなの力量にもよると思うんですけど、
なんか新しい形を見たっていう感じはすごい。
スピーカー 1
私自身も具体的に、
スピーカー 2
それってどういうこと?というか、
それで組織を成り立たせてるってどういうこと?っていうのが結構関心があって、
今行ってみてるんですけど。
スピーカー 1
時間の流れが普通の学校とかと全然違うんじゃない?と思ったんですけど。
全然違いますね。
スピーカー 2
そうですね。
チャイムとかないんですよ。
なるほどね。
まず余裕はあるんですよ。
昼休みとか1時間40分くらいあるし。
で、
スピーカー 1
何だろうな、
スピーカー 2
例えば1時間1コマ目というかが、
10時から10時40分とかだとして、
なんかざっくりしてるんですよね。
10時40分になったら終わったみたいな感じで遊んでたりとか、
でも休憩時間がないんですよ。
でも休憩時間が終わる5分前くらいになったら、
誰かがもう片付けなみたいなのを言って、
みんななんとなく片付いていって、
なんとなく終わるんですよ。
スピーカー 1
一応先生が出てきてみたいなとかっていうのはある?
全然なくて。
それ自体がないんだ。
もう勝手に1日の中でこれくらい勉強してくれたらいいかなみたいなのがあって、
それをもう子どもたちの側で、
なんとなくこの時間から始めて、
で、なんとなく終わってっていう風になって成立してるって感じなんですか?
スピーカー 2
そうですね。
一応何の時間とかあるんですよ。
子どもの時間とか。
プロジェクトの企画をやる時間とか色々あるんですけど、
子どもたちがみんな時計見て、
あと5分くらいとか片付けなってやってるのと、
あとは始めるよみたいなのはなくて、
先生が前で準備してたりとか、
スタッフが前で準備してたりとか、
絵本持ってきたりとかしてると、
集まってくる子がいて、
それを見て徐々に集まってくるみたいな感じで、
スピーカー 1
なんかゆるいです。
本当にね。
スピーカー 2
それでもう組織が崩壊してないので、
本当に私今までの職場、
発達症がある子に対しての領域みたいな感じだったんですけど、
もういかに時間の区切りをつけるか、
スピーカー 1
いかにアテンションゲットするか、
スピーカー 2
がもう全てだったので、
だからすごいなと思って。
それでも人によってゆるいところはあったと思うんですけど、
スピーカー 1
あの人数をあのゆるさでまとめてるのはすごいなと思って。
それは多分、教育の一つの理想系というか、
それこそまさに、
こちらが何もしなくても、
子どもたちの側が主体的に学んでくれる、
遊んでくれるっていうことだから、
そういう理想だよね。
スピーカー 2
そうですね。そうやって決めていってるのもあるし、
例えばみんなで話し合いして決めるみたいな場でも、
子どもたちがわーって賑やかになってたりとかしても、
あんまり大人が手出ししないんですよ。
結構一緒に議論してるだけみたいな感じで、
あまりに危ないことがあったりとか、
やばそうになってるときは多分すると思うんですけど、
なんか全然なくて、
ついね、前の職場とかの影響があると、
え、言ったほうがいいんじゃんみたいな、
注意引いたほうがいいんじゃないとか思っちゃうんですけど、
子どもたちの自発的な学び
スピーカー 2
それを子どもたちは自分でなんとかするやろうみたいな信頼が、
大人側の端力が試されると思って。
すごいね。
そのうちに子どもたちの中でも中心的な人が、
今の時間で決めなあかんやんって言い出したりとか、
とか、大きい子がちっちゃい子に、
これって意味わかる?みたいなのを教えたりとか、
結構異年齢があったりとか。
そこまで大きく手を出したり気道修正しなくても、
子どもたちの中でなんとか修正していくみたいな文化があって。
スピーカー 1
いや、そっか。
年齢がある程度バラついてる人たちで、
20人ぐらいってこと?全体で。
スピーカー 2
いや、全校生徒だと多分、わかんない。60人ぐらいなのか。
スピーカー 1
いろいろ話し合いとかするぐらいの単位で言うと、
みんなで話し合いする。3、40人。
小グループみたいなのあるんですけど。
それはもう事前に大人で割って、
それともなんとなくテーブルがあって座った人たちみたいな。
スピーカー 2
一応それは割られてるみたいで、縦割りみたいな感じで、
年齢が一緒になるようにみたいな感じの、
議論って言っても反対の人って言われて、
一人だけではい反対ですって言うのって難しいじゃないですか。
だからそのちっちゃいグループを作って、反対とかを、
別にそこで意見をまとめなくてもいいんですけど、
何々ちゃんが反対してたよみたいなのがわかりやすいようにしておいて、
その縦割りみたいな感じだから、
高学年の子が何々のイベントわかるみたいな、
ちょっと手懐けしたりとか。
今何の話してるかわかるとか。
もう自然に発生するようになっててっていう感じですね。
スピーカー 1
それ実はめちゃくちゃ大事な気がするな。
そこの差があるからまとまる、
はめっちゃある気がする。
同じことを、結構多分3、40人くらいって言ったら、
一クラス分じゃないですか。普通の学校の。
で、同じのやっても結構むずい気がする。
そこにさ、要は、
ここは俺が前に出るところだ、みたいなところの根拠がないやん。
スピーカー 2
確かにそう考えると、ずっとあるじゃないですか。
普通の学校って、
同じ年齢の人しか一堂に帰さないわけじゃないですか。
それが効率的だと考えられてるけど。
スピーカー 1
やっぱ目的が違うよね。
教育指導要領をベースに考えたときに、
確実に効率的であると言えるだろうが、
そのクラス程度っていうのはね。
一律の教育を受けてもらうという意味では。
だからその、やっぱり視点が全然違うなっていうところだよね。
大人の信頼と関わり
スピーカー 2
そうですね。
なんか勉強とかも、
全然嗜好、
まあ多分程度を超えたらあるんですけど、
嗜好とかも全然大丈夫なんで、わりとざわざわしながらやってて、
なんかそれも、なんだろうな。
例えばククやりたくないみたいな子がいたとして、
でも他の子がクク覚えてたりとかする様子を見たりとか、
教わったりとかして、
なんか自分もククやろうかなみたいな。
なんだろうな。
なんか会話によって相互作用が生まれるじゃないですか。
なんかそれが一番子どもたちで循環してる感じがして。
スピーカー 1
管理型じゃない組織のあり方をすごい見ましたね。
なんかどういう風に育つんやろうみたいな。
だからものすごく、
最初お話聞いてからずっと思ってたのは、
やっぱその人間存在、
その人間っていう存在そのものへの信頼感が、
多分めちゃくちゃ変わってくると思う。
ほんまにそうです。
それだよね。
だから逆に言うと、
我々はあんまり人間存在を信頼して生きていないと思う。
スピーカー 2
めっちゃわかります。
なんかよく学校の先生とかが言う、
でも自由にしたらみんな自由にしすぎるじゃないですか、
みたいな考えめっちゃ好きじゃなくて。
なんだろうな。
ルールなしにしたらみんないくらでもこうするじゃないですか。
このルールなくしたら悪い子に影響されるかもじゃないですか。
なんかなんだろうな。
管理主体がための、
絶対にこうしたらこうなるから反対みたいなのが、
結構学校の先生とかはある気がして。
小学校に一回実習に行ってたことがあるんですけど、大学の時。
スクールソーシャルワーカーという資格で、
学校にいる福祉士みたいな感じなんですけど、
学校の先生と会議をするんですよ。
その時も結構なんだろうな。
教室に落ち着いていれないみたいな子が、
校長室とか保健室に入れ込むみたいな。
それ自体は居場所があるからいいよねっていう風には捉えてたんですけど、
スピーカー 1
でもそれをずっと許してると教室戻らなくなるよねみたいな。
スピーカー 2
意見が学校の先生的には結構主流で。
そこからその居場所をどうしていこうじゃなくて、
じゃあ対応する時間減らしたら、15分ならいてもいいけど、
それ以降戻るんだよとか。
校長室閉めちゃったらみたいな。
意見が結構主流になってて。
今の状況に対して甘えさせてるとどんどんエスカレートするんじゃないかみたいな。
意見ってすごい強くて。
それが人間に信頼してないみたいな。
本当にそう思ってて。
それは実際居るところがあるからいいし、
その先にそれを締め出したら逆に悪影響しかないんじゃないかってすごい思うんだけど。
スピーカー 1
甘えさせすぎてはいけないみたいな。
スピーカー 2
意見がすごい強いなと思って。
スピーカー 1
それはね、自分はだから甘えさせちゃいけないっていう意見の8割方が間違いやと思ってるよはっきり言って。
スピーカー 2
めっちゃわかりますよ。
スピーカー 1
8、9割は違うと思うよ。
結局、自分は最近読んだ本で言うと、
東肌科医師さんの雨の日の心理学家、ケアとセラピーっていうのがものすごくいい考え方だなと思うんだけど。
甘えさせて欲しい人っていうのは、ただその人が楽して生きてと思ってやってる人って多分1割もいなくて。
甘えないと生きていけないからそうしているというふうに捉えた方が良くて。
それの捉え方を間違うと良くないよねっていうのがあるし。
やっぱりそこで人間っていう存在を信頼しないからそういう風な意見になっちゃうっていうのはおそらくそうで。
なんでそうなるかっていうと、やっぱり我々自身がその時の大人に信頼された教育を受けてこなかったからっていうのはあって。
そこは別に人のせいにしていいとかじゃないんだけど、その前提でそういう教育を受けてそれをベースに持って、
要は人間存在に不信を抱いている我々が今の真っさらな子どもたちになんとか意識的に、
我々が子どもを信頼することによって子どもたちが相互に人を信頼し合えるような子を育てていっているっていう話で、
それの意識がものすごく大事っていうのもそうだし、我々自身が今この現場で教育を受けている子どもたちのようなコミュニケーション。
だから意見が対立したら話を聞いて不要ができるまで話し合うとか、そういう経験をどうにか得る。
子どもたちと同じ高さまで、同じステージまで上がっていく努力をしないといけないよなってすごい思う。
やっぱそれなしでやってもやっぱなんか間違ったところで止めちゃうんじゃねどっかでとか思うし、
だからその今そこで関わっている大人の方たちっていうのは絶対そういう経験を自分自身その方々の中でやったことがあるからできてるんだと思う。
教育におけるアプローチの違い
スピーカー 2
確かに確かに。そうですよね。そうなんですよね。やったことがあるから信頼して待てるし、この場どうなるんだろうみたいな不安感に飲み込まれないというか。
スピーカー 1
不安だからこそ先に回収しちゃうとか、場を足しちゃうとかすると思うんですけど、それに頼るというか。
やっぱり不安に負けちゃうと不信なんだよね。それでやっぱりなんとかなるだろうって任せてると勝手に成長していく。
自分たちの思う方向とは全然違うかもしれないし、その時の例えば算数を覚えましょうみたいな時間の目的とは違うかもしれないけど、
遠回りして絶対その人たちの学びになるよねっていう話だと思うんだよな。
スピーカー 2
本当にそうですね。こっちに行ってほしい。こういう意図があって授業があるみたいなのとか、こういうことを伝えたいみたいなのってある意味そういう立て前でしかないので、その通りに導こうと思うと多分おかしなことになっていくんでしょうね。
やっぱりね、ビジネスの話と近づけて言うのであれば、やっぱり少なくとも教育にエビデンスを要求しちゃいけないんだよね。エビデンスというかロジック。成長モデルとか学習モデルとか教育学とかいくらでも出てくるんだろうけど、そうかもしれないけど、そうじゃないかもしれないじゃん。
スピーカー 1
だから別に。全部一緒に見えるんよね。校長室締めたらいいんじゃないですかみたいなのとか、子供たちに任せてて自由にしてたタイミングで、ここ不安やなでちょっと場に入ってしまおうとかっていうのも全部一緒でそれをやっちゃうと、その時の大人のもので大人のキャパシティーで全てが決まるじゃないですか。
そこで限界引いちゃうわけじゃないですか。
スピーカー 2
確かに確かに。
スピーカー 1
要は我々が限界を引くほどまともな人間で高尚な人間なのかっていう問いはあったほうがいい。
スピーカー 2
自分はAとBの対立を何時間も話し合って、最終的にCの案をみんなで反対意見なく決められたっていう経験をしたことがあるよ、結構そこは実感にあるよっていう大人だったら、自分は何か間に入ったとしてもいい気がする。
スピーカー 1
別に大人が入ることそれ自体がダメとかじゃないと思うし、ただそこに傲慢さはないのかってはっきり言うと思う。
スピーカー 2
分かりますね。大人がここは入った方がいいだろうっていう線引きも多分人それぞれで、それを多分みんな悩みながらやってると思うんですけど、悩んでない人っていうのが一番怖いですよね。
スピーカー 1
多分今の大人が教育の場で子供たちの間に入るっていうことの9割以上は何かしらの大人の都合。ほとんどが時間がないとかの大人の都合でしかないから。
ビジネススキルの建前
スピーカー 2
でもなんかこの間振り返りしたとき、インターン行って、大体待つことが多いですけど、時間がないときとかどうしても決めないといけないときとかはちょっと入るときもありますよみたいなのも出てて、そこが正直でいいなと思ったんですよ。
大人の都合だということを自覚して、それがスムーズに意見をまとめられるようにとか、いろんな方がとかじゃなくて、実際に今日この時間しか話し合う時間がないよっていうことを、だから入ってるっていうことにしっかり自覚的であるっていうことがすごいなって思ったんですよね。
だからやっぱり建前なんだよね。自分がこれ回す前に話してたこととか、エレベーターピッチとかも多分そうなんだけど、ビジネスって建前だなと思っていて、いかに上手に建前を言えるかみたいなのが大事みたいな感じじゃないですか。
スピーカー 1
それがヤギリンさんがエレベーターピッチの話を聞いてドン引きするところの一つだったりするわけですよ。だって2分間で本音が喋れるわけがないじゃないですか。
都合のいい建前を事前に用意しとけっていうのが、やっぱり人間コミュニケーションとしてあるべき姿かっていうことへの疑問だと思うんですよ。それはめちゃくちゃ自分は共感します。まったくその通りだと思います。
だからその仕事の中でも本当はただ時間がなくて、どうしても今日までに決めないといけないことですいませんねみたいな風に言えばいいことを、なんかちょっと隠してしまうっていうケースって自分が経験してる中でもすごい多いし、多分自分もやってきたし。
たぶんそれはね、やっぱり形はちょっと違えどみんなある人の方が多いと思うんだよね。そこを反省している自分は。自分は今働いてる中ではちょっと周りよりかは正直に言おうとかそこに関する反省がある自信はあるけれども、確実に今ヤギリンさんの話してくれてた子どもたちには到底かなわない。
間違いなく。
すごいですよね。
だから今話聞いてて、やっぱりそういう経験をしないといけないなと思ったし、したいなと思ったし。
なんかね、一旦このLINEの気ごころ知れたメンバーとか5人ぐらいとかね、そういう場がもしできたら面白いなと思うし、何とか仕事の中でもあんまりそういう時間とかを気にせずに話せるところまで話し切ってみたいなのができるような場をいつか作りたいなと思いながら聞いてました。
スピーカー 2
そうですよね。そういう経験だし、自分に近しいところ、距離を取った話というよりかは自分のこだわりに反するとか、意見、自分のどうしても譲れないところとか、そういう物事で不要面というか、経験できた人ってめちゃめちゃ強いんだろうなって思うときはあります。
それこそ家庭内とかもそうだし、近しいところ、自分的には譲れない相手のこだわりもあるっていうところで、諦めずに話をするというか、そういう経験がある人はめっちゃ強いんだろうなと思います。
教育と子どもたちの相互作用
スピーカー 1
正しく意見が主張できる人になる気がするね。
スピーカー 2
はいはいはい。そうなんですよ。それめっちゃ言ってました。自分も他人も大事にするみたいな、その学校は自分の意見を押し通すとかじゃなくて、他者と正しく主張できるのはその通りなんですよ。
スピーカー 1
分かりやすいところで言うと、ビジネスとの対峙で言うと、ビジネスで大事と言われる発信力みたいなものとは見た目は若干似てるかもしれないけど、でも本質的な部分は全く別のものであるっていうことは間違いないと思うよね。
スピーカー 2
そうですね。自分の意見がしっかり主張できるし、聞くっていうことがしっかりできるんだと思います。他の人の。それはすごいなと思って。それを大人が導いてるっていうよりかは、そういう場を作ってる。
で、子供たち同士の相互作用を信じてるみたいなところが結構大きいなと思ってて。やっぱり子供、それこそ学校もそうですし自分の子供とかって、どこまで甘やかしていいのかみたいな。
どこまで自由にさせといて、言い聞かせなくていいのかみたいな、すごい悩んでると思うんですけど。でも、子供たちっていかに自由にしてても、他の子供たちとの相互関係で、あれは言い過ぎたかもなとか。
何かあれって、何々ちゃんがやってるやつあれやってみたりとか、そういうのっていっぱいいる中で学び合ってるわけじゃないですか。その環境をいかに作るかみたいな。すごい大事だなと思って。
スピーカー 1
今結構いい時間なんじゃないですか?
スピーカー 2
いい時間ですか?
33分です。
一旦切りますか。
切りましょうか。
はい。
33:06

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