2025-11-03 35:35

#144 Q5.子どもは本当に自由なの? | 大学生の質問SP2025

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「学校の授業では子どもに自由な発想を求めているけど、一歩外に出たら制限ばかりじゃない?」との質問。社会全体で子どもをより自由にする方法を考えました。


キーワード

3つの“間”=時間、空間、仲間 / 共に対話する場をつくる / 4つ目の“間”=手間



《ゲスト:めいむーん/谷本明夢 》


高校時代数学0点から旧東京工業大学理学部宇宙論研究室に行った作家・ライター。 「数学セミナー」2025年4月号より #夫は数学者 連載中。物理を本気で楽しむ恩師との出会いで、人生が変わった人。数学者の夫と2人の子供と、東京→アメリカ→デンマーク→熊本→名古屋とほぼ世界一周。アメリカ・コペンハーゲン在住時には小学生を相手にサイエンスワークショップを主催。デンマーク在住時には、現地の教育に興味を持ち、訪問やインタビューを通じて教育と幸福度についての知見を深める。好きなものは家族、コーヒー、本、学者、懐手して宇宙見物。科学は推しです。



《 つぼけん 》

大学の自主映画サークルで映像制作の面白さを知り、映像の制作会社に入社。カメラマンディレクターとして、北極🐻‍❄️から南極🐧まで世界各地で撮影をしてきた。現在は「月曜日に会いたい人をふやす」をテーマに、映像🎥・写真📷・Podcast🎤などメディアを横断して活動中。



《 大ちゃん:大野大輔 》

組織開発コンサルタント。

学校と自分が嫌いだった学生時代を、ある恩師が幸せに変えてくれたことがきっかけで教師の道を志す。10年勤めた公立小学校を退職し、現在は(株)先生の幸せ研究所のコンサルタントとして全国の学校園の伴走型支援を行うなど、「教育をもっと自由に」をテーマに活動している。

○(株)先生の幸せ研究所 コンサルタント

○鎌倉市教育アドバイザー

○社会教育士


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サマリー

大学生たちは「子どもは本当に自由なのか?」という問いについて深く議論しています。教育や社会の中で子どもが直面する制限や自由の形を考察し、環境や大人の事情がどのように影響しているかを探っています。このエピソードでは、子どもたちの自由が奪われている理由として、大人の競争や情報化社会の影響が議論されています。また、学校や家庭における子どもたちの創造的な余白を増やすための対話の重要性についても触れられています。ポッドキャストでは、子どもたちの自由についての問いかけや、遊びの重要性、教育制度の変化について語られています。特に、子どもと大人が共にルールや環境を見直しながら、真の自由を獲得していく過程が重要であると強調されています。子どもたちの自由についての議論が深まり、特に彼らに対して誇れる大人でいることの重要性が語られています。また、子どもたちの環境や価値観の変化に対応する必要性についても触れられています。

自由とは何か
大学生の質問スペシャル2025、全6問のうち5問目になります。
大学生13人、5班ですからね、5班目になりますね。
みなさん、よろしいですか?
よろしくお願いします。
行きましょう。
行きましょう。
それでは、5問目はこちら。
子どもは本当に自由なの?
はい、とってもシンプルな質問で、
自由とは何かということから、気になるかと思いますが、いかがでしょうか?
子どもは?ってなるの初めて見たかも。
そうだね。
例えば、学校は?っていうのはよくあるじゃない。
学校って、自由なのかとかあるし。
でも、子どもは本当に自由なの?って聞かれたの初めてだから、
初めて考える問いかもしれない。
なんだろう、どういう意味だろうね。
ここのバックに眠ってるその思いみたいなものが、
いったい何に気になってここにたどり着いたのかが、すごく気になる問いだな。
はい。
じゃあ、早速聞いてみましょうか。
2025年5問目です。
どうぞ。
では、質問をお願いします。
はい、子どもは本当に自由なの?です。
はい、ありがとうございます。
5問目質問してくれたのは3人です。
アイリーさん、ユーリーさん、ひさきさんです。
制限と自由の対話
よろしくお願いします。
ありがとうございます。
めちゃくちゃ深い質問ですね。
子どもは本当に自由なの?
そもそも自由とは何かから気になるんですけど、
どういう理由で質問してくれたんですか?
最近、教育の中で子どもたちが自分で考えて行動しようみたいなのが、
すごい大切にされているなというふうに感じるんですけど、
世間では公園でボール遊びができなくなっちゃったりとか、
そもそも公園が減っちゃったりとか、
実習に行った学校ではトラブリーになるから、
友達のお家で遊んじゃダメっていうのを聞いて、
え?って疑問に思ったことが最初です。
確かに、じゃあ全体的には自分らしい教育っていうふうになってきてるけれども、
おいおい待てよと、周りのルールがっちがちじゃないかと、そういうことですかね。
じゃあユーリーさんもそう思いますか?
大人とかは子どもは自由でいいなとか、
よく言ってるのを聞くし、自分も言われてきたんですけど、
今は早期教育とかも注目されてて、
街歩いててもすごいちっちゃい子が塾のカバンを背負って歩いてたりとか、
あとは自分がアルバイトしてる子どもと関わる施設でも、
これやっちゃダメ、あれやっちゃダメって言うことが多くなって、
すごい制限が多いなって思って、
これは果たして自由なのだろうかっていうのをすごい考えるようになったっていうのがあります。
なるほどね。ユーリーさんは何のアルバイトしてるんですか?
放課後デイサービスで働いてる。
危ないこととかは制限しなきゃいけないと思うんですけど、
大人の事情、今日は職員が少ないから、
お外出たいって言ってる子がいるけど出られないよとか、
そういうことでダメって言っちゃって、
子どもがやりたいことができないっていうのは制限だなって思います。
縛ってるなとか、自由を失ってるなと思いつつ、
でもチームの方針だから、ユーリーさん自身も言わなきゃいけないってことですね。
そうですね。
確かにね。ありがとうございます。
じゃあ、日咲さんいかがでしょうか。
私は今大学生で、結構自由な時間があるよねとかって周りからも言われることが多いんですけど、
それは自分自身も子どもの頃に同じようなことを言われた経験があったなと思って振り返った時に、
今のうちに遊んだ方がいいよとか、
子どもは自由だからたくさん遊んでねとかって言われた記憶があるんですけど、
大人に合わせてしまうというか、いろいろ制限をされていく中で、
子ども自身が大人の顔色を伺いながら生活をしてしまっているんじゃないかなって思ったのもありますし、
私自身もそういうのを感じた経験があったので、
本当に自由なのかなっていう疑問を感じることが多いです。
確かにね。
久保さん自身は、自由な部分と自由じゃない部分、子どもにはどんなことを感じますか?
本当はやってあげさせたいみたいな、一緒にできたらいいなっていうものはあるんですけれども、
やっぱり大人の事情でなかなかできなかったり、制限されてしまう部分が多くて、
子どもの本当にやりたいことがなかなかあげられない部分というか、なかなかできない部分があるので、
自由な部分と自由じゃない部分は、やっぱりどんどん広がってしまっているというか、
制限は多くなっているんじゃないかなというふうに思います。
なるほどね。
分かりました。ありがとうございます。
じゃあアイリーさん、ちょっと戻ってきました。
はい。
そもそも、子どもにとって必要な自由って一体何だろうって結構思うんですよ。
これすごくいい質問だから。
自由と自由じゃないの線引きってすごく難しくて、すごく大切なことだなと思って、
どこで引いていけばいいのかなと思って。
自由の線引きって大人だけ、子どもだけって決めることじゃないと思ってて、
大人と子どもが一緒に考えたりとか、例えばそのA君のご家庭ではここまでが自由で、
B君のご家庭はここまでが自由だよっていう自由の形がいろいろあると思うので、
話し合ったり、みんなでどうだろうって考えていって、
みんなで線引きしていくのが自由だと思いますね。
そっかそっか。じゃあアイリーさん的には話し合いもしないで、
勝手に地域とか、勝手に大人がここまでだよって決めちゃってんじゃねーのっていうこともあるわけね。
強いですね。
なるほどね。
自由とはと問われたらみたいなことで話したい方いますか。自由って何でしょ。
自分で選択ができる環境があることが自由だなって思います。
確かに。それ繰り返してくれてたね。みんな言ってくれてたもんね。
やっぱり自分で決めるっていうことですよね。
自分で決めることはすごく必要なんだけど、大人、子どもっていう意味だったらいろいろ社会を知ってる大人としては、
枠を作ってあげるというか、策を作ってあげるとかっていうのも合わせて必要なのかなっていう感じですかね。
その策の範囲とかっていうのも大人が勝手に決めるんじゃなくて、大人と子どもと話し合うことが必要なのかもな、みたいな感じかな。
そんな感じです。
めちゃめちゃ素敵な意見でした。ありがとうございます。
はい、そんなわけで、アイリーさん、ユーリーさん、ひさきさんに質問してもらいました。
子どもは本当に自由なの?ですけれども、自由と制限の二項対立みたいな感じで考えてくれました。
特に子どもは制限をされていて、それが自分での選択ができない。
大人と子どもとの間で対話ができていたら、自分の中で制限があったとしても自由の幅を広げていくんだけれども、
子どもなんだからこれをやりなさいってことで、制限の中に子どもがいるんじゃないかってことですね。
子どもの自由時間の変化
なので、教育の中では自由に自分の発想を言うけれども、実際環境は制限されてるんじゃないの?っていう意見でした。
皆さんいかがでしょうか。
この3方はあれですよね、もっと子どもを自由にしてあげたいと思ってるっていうことですね。
そうだと思います。
すごくそこの願いを感じたというか、おっしゃってる通りで、私も子どもがいるので、公園の環境の変化は私の時代とももはやね、30年前と今と全然違う。
でもそれは、おじいちゃんの代からするとさらにまた違う。
おじいちゃんの代の自由っていうと、命と結構フレスレぐらいの遊びとかが揺れたれてた時代だったりとか、
いう話とかも聞くと、年々その子どもたちは安全にするっていう面で制約がかかってきてるっていうのはすごくわかる。
ボール禁止とかね、物禁止とかね、自転車禁止とかもあちこちありますからね。
すごくわかるなというか、私もひしひし感じるな、子どもたちが自由な時間がどんどん減ってるなっていうのは思っていたので、うんうんって思いながら、めっちゃうなずきながら聞いてました。
どうなんだろうね、なんか自由、そもそも子どもは自由なんだろうか。
どうなんだろうな、どのへんから切り込んでいけるのかなっていうのをちょっと見てて思ったね。
取り巻く環境だろうね、この3人が言ってるのは。
僕もね、この3人と同じことを本当に形的をならしてるかもしれない。
もちろん家庭によるし、子どもによるんだけど、自由だね。
僕、これ時間で考えたいんだよね。自由な時間が本当にあるのかとか、まずはそこでちょっと切り込みを向いたいなと思ってて、
マジで減ってませんか、今。
思うね。
平均1時間ないって言われてるんだよね、今ね。
1日あたり?
1日の中で、自分で本当に自由に使える時間って子どもたち、もちろん家庭によるんだけど1時間ないんじゃないかっていう、
データが。
データがあるんですよ。子どもたちの放課後、寝るまでの時間で、例えば習い事に行ってる、行ってない子も宿題をやってるとか、
あとは家庭の何かがあるとか、で、たとえばご飯食べる時間とかお風呂とか、やらなきゃいけないこともあるでしょ。
そうすると、本当に自由に使える時間ってありますかっていうと、ないっていうところも増えてる、やっぱり。
それは何歳ぐらいの子どものデータなんですか?
でもこれね、エリアでかなり違うんですよ。
そうっすよね。多分東京とかすごいないんだろうなって思ってて、地方格差がすごくありそう、その子どもの自由時間の。
かなりあります。エリアで違うんだよね。で、多分年齢にももちろん違うんだけど、ただやっぱ全体的に減ってきている。
で、それを何を削るかっていって、睡眠を削るって傾向に日本があって、先進国の中で大人と一緒で日本の子どもたち、
1時間ぐらい平均睡眠時間少ないっていうのもあるから、そこが削られるぐらい自由な時間がないんじゃないかっていうのは、僕すっごく問題意識持ってますね。
それは年々変わってるんですか?年次データはあるの?
変わってる。
変わってる?どんどん減っていっている?
減ってるんだと思う。これね、でもね、どこを切り取るかっていうと違うんだよ。自由な時間とはもあるから、違うんだけど減ってるんですよ、確実に。
減ってる原因って主に何なんですか?
さっき早期教育とか出してくれたでしょ、誰か。
塾なんですね。
あれはね、僕実は早期教育の中のほとんど、9割ぐらいダウトかける人なんで、子どもがそれが本当自己実現的にやりたいと思ってやってるのであればいいっていうのはちゃんと分かってないけど、
さっき大人の事情って言ってくれた人いたよね。
あの言葉ですね、大人の事情による何かが増えまくってると思ってる、今。
例えば?
子どもの自由を奪う要因
習い事だったら、この時期に多分ピアノをやらせないとまずいとか、習字はやらせたほうがいいとか。
英語はやっといたほうがいいとか。
英語はやっといたほうがいいとかね、あと大手何々メーカーの英語のキットを買ったほうがいいとかさ、もう皆さんイメージ湧きそうだけどね。
これ全部大人の事情都合じゃないですか。
それを大人大人でやらなきゃまずいみたいな何かに駆られていて、呪いみたいな連鎖によって子どもたちの自由な時間、環境が奪われてるんじゃないかっていう仮説がありますね。
それってあれかな、やっぱり情報化社会みたいなのが広がってってるのも多分影響するんでしょうね。
するとも?
SNSとかさ、周りの人が何やってるかとかさ、見えるじゃないですか。
で、しかも割とそのキラキラした世界にいる人たちのやつがね、わーって広まっちゃって、
全然そんな焦る必要はないような人たちまで焦らされるみたいなものもあるからね。
お母さんたちも不安。
前回の話ではないんだけど、お母さんたちもいつも不安で、
母親として完璧じゃなきゃとか、子どもにいい環境を与えなきゃみたいな妙なプレッサーの中で、
やっぱ生きてるなぁと思う中で、やっぱ子どもに最善の環境みたいなのがあるなぁ、きっとなぁって思いますね。
その結果、自由な時間を奪っちゃうんだよね。知らず知らずね。
与えてあげてるつもりで奪っちゃってるんだろうね。
そうなんですよ。で、今ね、時間っていうさ、間って言葉使ってるじゃないですか。
創造的余白を増やすための対話
で、この間、他に2個あるんですよ。
もう1個がね、空間なんですよ。
はいはいはい。
空間ね。で、空間も減ってるっていうのは間違いなくデータ出てますよ。
で、さっきの公園のね、ルールも含めて、ここでは何々ができないとか、
昔なんかもう道路でさ、キャッチボールできた世界観でしょ。
やってたね。
そうだよね。
それがさ、通報されちゃうわけだとか、
お金払わなきゃ遊べないとかさ、
で、これもっと地方の方とか僕行くけど、地方なんか学校が減ってるでしょ。
そうするとさ、通学が50キロとかっていう学校あるんだよ。
で、もうバス往復したらもう夜になってる。
し、バスで移動ってことは近くに友達がいないんだよ。
とか、そういうような、今のはもう1個の場なんですよ、間。仲間なんですよ。
あ、最後が仲間なのか。
時間、空間、仲間。
この3個が確実に減ってるんですよ。
だから、自由がなくなってきていて、自由が減ってるんじゃないかっていうのは、
僕はそうだと思う。イエスって答えるかな、この問いに対しても。
だから、ノーだね。自由なの。
自由ではない。
自由が奪われているんじゃないのっていう。
僕もそれは言いたいかな。
それはでも結構、社会的な問題、個人のっていうよりは、
特にその空間問題とかさ、仲間のところとかもさ、
個人でどうにかできるレベルではないよね、学校が近くにいないとか。
で、それによって時間も奪われてみたいな。
例えばそのまあ、習い事とかのレベルにおいては、家庭内のね、判断である程度できたとしても、
でもそれもやっぱり社会的圧力で結構あるじゃない。
特に東京なんかは、まあ、私は東京住んでないのでわかんないけど、
やっぱり聞くところによって受験に対する圧力とかすごく。
すごいよ。
ある?って聞くからね。
長男小6だもん。
もうまさに家中の人ですよね、ツボケンさんなんかはね。
うん。
やっぱりその、学校のね、何割の子がもう受験のためになんかやってるってなると、
もう子供も焦るかもしれないし、
親御さんなんかはさらに多分プレスリングしてる。
さらに多分プレッシャーがあったりとかするしって思うと、
なんか家庭内の問題ではもはやないところだよね。
今教えてくれたその時間、空間、仲間、三つの間が失われてるっていうのは。
その中でじゃあ何ができるのってことよね、きっと。
あのお三方が知りたいのはね。
そうそう。
だからまさに今メイム言った通りで、
もうね、社会全体で見直していかなきゃいけないっていう、
そういう規模なんだよね。
じゃあ学校でっていうことで考えてみると、
今僕がかかってる学校の中で、
子供たちの創造的余白。
創造的余白っていい言葉ですね。
余白ね、そのね、創造的余白ね。
大ちゃん頃からね。
僕が考えたんですけど。
この創造的余白を大人にも子供にもっていう、
そういうね、僕は今気流が見えるんですよ。
これだなって思っていて。
子供たちの創造的余白を増やそうって学校めちゃくちゃ増えてますよ、今。
何を見直してるかって、
僕ちょっとこれ学校名あえて出すと、
愛知県のね、補定中学校さんってあって、
ここのめちゃくちゃ素晴らしい教頭先生がいまして、
その方がもう数年かけてね、
学校の皆さんと子供たちと地域保護者の方と改革した経緯があって、
これ本になってるんで、ぜひ紹介したいんですよね。
で、このね、本の中でも書かれてるんだけど、
子供たちの放課後について考えましょうっていう対話の場を、
子供たちと先生と地域の方と保護者の方と対話した場があるんですよ。
すごい。
これすごいですよね。
4社なんだ。
4社です。
地域の方もいたんだ。
はい。当初は部活動について考えるだったんだって。
でも問いがね、抽象的にもうワンフェーズ上がってっていうか、
ちょっとこのメタ的な問いになったよね。
部活動を考えるではなく、子供たちの放課後を考えようと。
そしたらね、見直せることっていくらでもあるわけですよ。
例えば宿題、あと遊び場とか、もちろん部活動もそうだし、
習い事とか、総合的にいろいろ見直せるよね。
そうすると、子供たちの声があって、
それが反映されて、サークルやろうぜとかね。
あとは部活動っていうのも時間見直して、
もっと自分が使える時間を増やそうとかが、
実際に実現してるんですね。
そういうのを見ると、
学校っていう組織の中においてもできることはめちゃくちゃあるんですよ。
これじゃあ家庭ではとかさ、見ていったらもっとできることあるでしょ。
これね、声を聞くというか、
共に話す場、対話する場っていうのが、
かなり解決に誘ってくれるんじゃないかなと思うけどね。
いろんなスケールできそうだね。
本当に。
家庭での時間の使い方
もともとの問題のスケールがでかいから、
行政レベルぐらいから変えていかなきゃいけないぐらいの
社会問題なわけじゃないですか。
子供たちの時間があっていう問題は。
多分、どのスケールで切り取ってもできることってあるんだろうね。
地域レベルでも多分あるだろうし、
学校レベルでもあるだろうし、
家庭レベルでもあるだろうし。
なんだったら、個人レベルでも多分あるんだろうね。
意識さえあれば。
ただ、なるべくやっぱりこれ1人で解決できるものではないんだろうなっていうところでいくと、
対話をね、しなきゃいけない。
これは親子でも本当に話すだけでちょっと違うよね、きっと。
我が子と改めてね、
あなたの時間の使い方についてみたいな話したことはない。
1回表とか作ってみてもいいかもしれないよね。
いいと思うよ。
24時間どういうふうに使ってるかって改めて表にしてみて、
やっぱり睡眠問題途中でだいちゃんも言ってたかもしれないけど、
これまさに我が子もね、含めてやっぱり睡眠を削るのよ、すぐにね。
睡眠でなんか調整しちゃうっていうのもやっぱりどうしても嫌なんだけど、
でもやっぱり自分の時間が欲しいっていう気持ちもわかるみたいな。
でも削るべきとこはそこじゃないよなっていうのはやっぱりなんとなくはわかってるけど、
親が勝手に考えててもダメだし、
これやっぱり子供が勝手に考えててもダメだなと思って、
今聞きながら私のスケールだと小さい家庭の中でも1回話してみないとなっていうのは思ったね。
そうだね。
そういう話すときにさ、もしよければなんか使ってみるといいなって問いがあって、
本当はどうしたいのっていう。
今こういうふうにしてるけどって。
本当はどうしたいとかある?って。
強いて言えばって。
そうするとね、強いて言えばとか、
結構出しやすくかつちょっとバイアスみたいなものが溶けながら話せるっていうのがあるから、
それありかもしんないよね。
じゃあやってみたい。
やってみる。
まさに課題中の課題。
Nowですよ。
私もそうだから、たぶんそんな家庭はたぶん大量にあると思う。
やっぱりなんかバイアスがかかってる。
これは取れないみたいなバイアスがたぶんかかるじゃない。
どうしてもやっぱり宿題の時間はとか、
それを1回なんか取っ払ってね、
本当は強いて言えばこれもないほうがいいしとか、
宿題もあんまりこんなに時間かけたくないしとか、
理想的にね、できるできないは1個ずつ見るとして、
強いて言えば聞いてみます。
そうなんだよね。
この流れでいくとさ、
ほっといたらまず間違いなくどんどん自由ってなくなるってことだよね。
そうだと思うよ。
意識的に、なんか大人でも忙しくなって、
時間の使い方ってさ、
本当に大事にしたいところから入れていかないと、
あふれちゃうから。
何に時間使いたいの?とかさ、
どんなことしたいの?
その中で宿題どうしようかっていうのを後から考えないと、
先に宿題とかの予定先に入れちゃうと、
気づくとこの睡眠時間になっちゃうみたいな。
じゃなくてってことだよね。
そうだと思うな。
勝手に大人が決めているんじゃないか。
大人の事情でっていうところが解決のヒントだね。
良かれと思ってやってきたことが、
実はそれが自由な時間とか、
自由な環境を奪っているんじゃないかっていう、
大人側がリフレクションするテーマなんだよね。
そうだね。
足し算してるよね。
足し算とか制約を加えるみたいなところばっかりじゃない?
習い事にせよさ。
良かれ良かれと思ってどんどん貸してる。
足し算して引くの忘れてるから、
そろそろ間に行かないとみたいな。
そうだよ。
今全てそういうジャンルが増えてると思っていて、
子どもたちの遊びと自由
何かを減らしたり捨てたり、見直したり、
眠びたりっていうさ、
それをやっていくフェーズに来たんだと思う。
一生懸命みんなやってきた結果、
その時は良かったんだけど、
今改めて見渡してみると、
自由じゃないじゃんっていう。
ただですね、これ遊び学で言うとね、
遊び。
子供たちの遊びにおける学術で言うと、
実は自由を作れば、
自由にならなかったっていうのもあるんですよ。
それね、興味あるの。
これ結構面白くて、
実はさっきね、あえて、
間3つ出したじゃないですか。
これね、サンマって言って、
遊びのサンマとかよく有名なんですよ。
時間、空間、仲間があれば、
子供たちは遊べるんじゃないかってやったら、
実は遊べなかったって結論が、
近年出たんですね。
へぇー。
そうなんです。これ意外でしょ。
すんごい興味ある、そんな話。
だから、実はね、もう一個の間が必要だって言って、
最近なんかキャッチーに手間って言って、
手間かいいけどね。
一手間が必要だよねって。
一手間が必要だよねって。
もちろん何を充実させるかによって違うから、
これって言うのはないんだけど、
何かしらの仕掛けって言うのかな。
手間は必要だと。
で、その上で、
自由な時間と空間と仲間がいることで、
本当の自由が手に入るんだって言うことなんだよね。
手間のイメージ何だろうな。
手間ね、色々あると思うけど、
例えば、そもそも今って、
遊んでる経験が少なくて、
自分で選択できなくなってるんじゃないか。
だってそもそも引き出しがないからとか。
これ、あり得るよね。
あり得る。
子どもと大人の共同作業
でしょ?
だから、そう考えると、
遊びっていう一つの視点で見た時に、
その選択肢をたくさん知るっていう機会を、
どれだけ充実できるかっていう手間。
あ、そこが手間ね。
そういうことです。
あとは、例えば、
学校だけじゃなくて、
自治体全体でそういうね、
ビジョンを作っていく。
僕ね、ある自治体で、
作りたいなと思ってるビジョンがあって、
冒険的な、アドベンチャー的なシティみたいな。
アドベンチャーシティ作るの?
アドベンチャーシティみたいなさ。
そういうのが例えば掲げられたとしたら、
その街全体にアドベンチャー的要素があるってなったら、
面白いなと思っていて。
僕のイメージはね、
お猿のジョージみたいな。
お猿のジョージ。
ああいう世界観がさ、
ちょっと作る手間があるけど、
なんか作れたらさ、
この自由っていうのが光るなと思うんだよね。
これやりたいっす。
手間ね、
放置しててもダメだよね。
うん。
なんか絶対条件だろうなと思うんですよ。
時間、空間、仲間。
そうだね。
絶対と、仲間はもちろん行った方がいいけど、
でも、それはないと、
なかなか難しいとは思うけど、
やっぱ、いりますよね、手間ね。
いると思っていて、
で、今回さ、
ルールって言葉、
結構この3人出してくれたと思うんだよ。
うん。
で、このルールだったり、
制約だったり、
決まりとか、
このあたりが大人の都合でね、
できてきている背景があって、
じゃあ、それをこの子供と一緒に大人も、
見直していかなきゃいけないんじゃないか、
考えていかなきゃいけないんじゃないかっていう、
発言があったじゃないですか。
だから、これもある意味手間なんだよね。
これから先考えるのは。
で、一緒に子供たちと大人が話し合いながら、
自由をつかみ取っていって、
こう、自由っていうさ、社会をさ、
その中で作っていくとするじゃん。
うん。
それで生まれた自由って、
めちゃくちゃいいっすよね。
うん。
で、その一手間とかね。
これ、もしかすると、
去年か一昨年の質問スペシャルの時にも、
法則とかルールのね、話をしてた時にも、
うん。
多分、言ったことがあると思うんですけど、
まあ、自由ってやっぱり、
つかみ取っていく部分もあるよね、というか、
つかみ取っていけるものでもあるよね、
っていうのがあるから、
当たり前に多分、
そこに存在してた自由には多分気づかないけど、
それを自分でつかみ取っていくプロセスを、
まあ、大人と子供とで、
多分作っていけたら、
その自由って多分すごく価値のある自由。
うん。
自分で勝ち取った自由。
で、それはしかも、
そこで与えられて、
当たり前のようなあったものではない、
自分でつかみ取った自由っていうのは、
将来的に、
あ、こうすれば自由ってつかみ取っていけるんだ、
っていう経験にもなるから、
自分の未来を切り開く力にもなるじゃないですか。
環境的には、
もちろんそれも手を入れていかなきゃいけない。
その社会が、
子どもたちの時間とか空間とかを守るために
未来への希望と自由
動かなきゃいけないと同時に、
個人レベルとしては、
そういう経験を一緒に積んでいくっていうことが、
まあ、可能性を開いていくドライブになると思うので、
その経験って大事だよね。
自分で勝ち取っていく、
見つけていく、
作っていく。
与えられるだけではなくて、
それをでも、
自分たちでやる際じゃなくて、
手間かけて、
大人たちが一緒に、
伴奏というか、
一緒に作っていく、
一緒に勝ち取っていくっていうのをやっていける。
大人が一人でも多くいるといいなって思いましたね。
多分、
アイリーさん、
ユリーさん、
椎崎さんが、
きっとそういう大人たちになっていってくださるんだろうと、
子どもたちの自由を勝ち取るために、
一緒に走っていってくれる先生になってくださるんだろうなと思うと、
めちゃくちゃ頼りがいのある方々だなと。
未来への希望ですね。
本当だね。
ちょっとさ、
学校教育系につなげていくとね、
今、中央教育審議会っていうさ、
部会が開かれているんですよ。
これは次の学習指導要領の改定に向けての、
すごい大事な議論なんですよね。
その中でね、実は、
民主主義の担い手を育んでいくための手段として、
子どもの声をちゃんと生命する機械を作っていく。
これを明記明字化していこうと。
明記明確化していこうという動きもあるんですわ。
9月5日に特別部会が開かれて、
そこの資料の中にこういうのが書いてあるんですよ。
ちょっと読んでいいですか。
はい。
身近な社会である学級、学校で、
多様な個性や特性背景を持つ他者と対話や協同により、
この後ね、いくよ。
児童生徒が主体となって、
ルールの形成や学校生活の改善、
学校行事など様々な活動に参画することにより、
っていうのが書いてあって、
その骨原の後に、
確かな民主主義の担い手を育み、
共生社会を実現する基盤を提供すると。
これ難しい言葉だから簡単に言うと、
子供と学校を作っていく機会を作っていきましょうなんですよ。
これがね、明記されるってすごいことなんですよ。
すごいね。
だからこれまでは、
こういう学校行事を提供してあげようだったり、
こういうルールを作ってあげよう、
大人がやってあげようだったものが、
子供と共にそれを変えていったり作ったり、
見直したりしていきましょうってことじゃない。
これが明記されたので、
もう全国の全ての学校において、
これがやられていくんだと。
もちろん、もうすでにやってる学校もあるから、
それはぜひ紹介したいんだけど、
そういう流れなんです、めいめいさん。
すごいね。
日本ここまで来た。
来てるよ。
だから、
すごい。
文科省の方とかね、
中教師のね、
委員の方とか、
めちゃくちゃいい議論してますよ。
なんか、希望。
すごい希望がある話。
そうなんですよ。
なんか、自由な形ってそう、
それもね、ちょっと思ってたんだけど、
自由って、
家庭それぞれ違うよね、
みたいな話もしてたじゃない?
途中で、
家庭によっても違いますよね、
みたいな話してて。
本当に、
地域によってとかさ、
自由の形って違うし、
時代によってもたぶん変わっていくし、
子どもたちが求める自由の形みたいなものって、
変わっていくしと思うと、
一律こうだよ、
こういうふうにしてあげるのが自由だよね、
っていう定義すら難しいなって思ってたから、
そう思うと、
学校単位でね、
しかもその場その場で、
今、
君たちに必要なものはこういうものだね、
とか、
話し合って、
しかもそれを改善していくこともできるわけでしょ?
ずっと参画するってことは、
その時に言う子どもたちにとって
必要なものに、
ちょっとずつ変えていくことができるわけじゃない?
それが一番いいなって、
なんかその、
自由の形を、
その時の大人が決めてしまうんじゃなくて、
その時に必要な自由を、
一緒に話しながら作っていくことができて、
変わっていくことができるっていう、
そのベースが、
そこのレベルで話し合われてる、
決められてるって、
マジで最高だなと思って、
一母親として、
もう大変嬉しく思いました。
嬉しいね。
はい。
子どもたちの未来に希望です、本当に。
希望だと思っていて、
で、
自分の人生を舵取りしていく、
力っていう、
これがちゃんと入るか、
このまま入るか分からないけど、
こういう言葉を、
よりどころにしていこうっていう動きも、
さっきの部会で話し合われてるんですよ。
人生を舵取りしていく、
子供の自由と大人の役割
人生を舵取りしていく、
そのためには、
自由を与えてあげるっていうのも大事なんだけど、
一緒に自由になっていく、
っていう機会を提供すると、
これ大事だよね、やっぱりね。
最前線ですね。
これ最前線。
最前線来たね。
やっと。
やっとじゃないけど。
常に最前線だけど。
まさに最前線。
日本の最前線ですよ。
すごい話聞いた、
坪玄さん。
ねえ。
ほんとに。
なんかさ、
そうやって、
わくわくして、
子供たちが、
すてきな子たちが、
どんどん大人になっていくわけじゃない?
そう。
そういう子たちにさ、
誇れる大人でいるのかっていうのを、
一方で突きつけられるよね。
そういうことですよ。
そこね。
そこね。
ほんとだよね。
なんか、自分たちの時間って、
つい止まってしまうじゃないですか。
特にこのぐらいの、
私今41ですけど、
残りの人生、
生きようと思えば、
今の人生観のまま、
生きられると思うんですよ。
あと40年ぐらい、
別に、
その意固地な、
おばあちゃんになっちゃえば、
この時代の、
私の感覚のみで、
生き抜くことも別に、
できちゃうと思うんですけど、
でも時代はやっぱりもう、
子供の、
我が子の世代でさえ、
もう全然価値観が、
違って、
自分たちが生きてきた世界とも、
環境が違って、
自分自身ずっと変わっていかなきゃな、
っていうのを、
ちょうど思ってたところで、
ちょうど思ってたところだから、
彼らにとって、
ちゃんと尊敬できる、
大人になっていられるように、
最後まであきらめずに、
暗いついていこうかなって、
今、話し聞いてても、
もう1回思ったね。
そうだね。
いやー、めっちゃいい話だった。
質問してくれた3人も、
自由とは、
自分で選択ができる、
環境があること、
っていうふうに、
言ってくれたから、
どんな環境かっていうのに、
よるけれども、
まず自分の身の回りであったりとか、
家庭内であったりとか、
教室で子供と向き合うとかっていうのは、
みんなが言ってくれたみたいに、
みんなで考えるっていうことが、
きっとできそうだよね。
もう1つの段階で、
社会がどうなっていくのかとか、
日本がどうなっていくのかってなった時に、
それについて、
本気で考えてくれてる人がいるから、
それが何年後かに、
全国で実現するかっていうのは、
分からないけど、
安心してって、
言いたいね。
そういうことです。
そんなわけで、
5問目。
子供は本当に自由なのでした。
喫緊の課題の提示
13人、
全5判の質問が終わりました。
みなさんお疲れ様でした。
お疲れ様でした。
お疲れ様でした。
ありがとうございました。
ありがとね。
もう1問残っております。
知ってた。
喫緊の課題。
知ってたけど。
6問目の喫緊の課題が、
もう1問残っております。
喫緊の課題。
喫緊の課題だ。
本気度がね、
違いますので、
次のエピソードも、
楽しみにしててください。
十分高いよ。
中でも、
喫緊の課題が、
早く答えてくれっていうのがね、
ありますんで。
早く早く。
早く最後でよかったら、
まあいいや。
喫緊の課題も、
6問目、
楽しみにしてください。
それではありがとうございました。
ありがとうございました。
ありがとうございました。
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