よろしくお願いします。
ありがとうございます。
めちゃくちゃ深い質問ですね。
子どもは本当に自由なの?
そもそも自由とは何かから気になるんですけど、
どういう理由で質問してくれたんですか?
最近、教育の中で子どもたちが自分で考えて行動しようみたいなのが、
すごい大切にされているなというふうに感じるんですけど、
世間では公園でボール遊びができなくなっちゃったりとか、
そもそも公園が減っちゃったりとか、
実習に行った学校ではトラブリーになるから、
友達のお家で遊んじゃダメっていうのを聞いて、
え?って疑問に思ったことが最初です。
確かに、じゃあ全体的には自分らしい教育っていうふうになってきてるけれども、
おいおい待てよと、周りのルールがっちがちじゃないかと、そういうことですかね。
じゃあユーリーさんもそう思いますか?
大人とかは子どもは自由でいいなとか、
よく言ってるのを聞くし、自分も言われてきたんですけど、
今は早期教育とかも注目されてて、
街歩いててもすごいちっちゃい子が塾のカバンを背負って歩いてたりとか、
あとは自分がアルバイトしてる子どもと関わる施設でも、
これやっちゃダメ、あれやっちゃダメって言うことが多くなって、
すごい制限が多いなって思って、
これは果たして自由なのだろうかっていうのをすごい考えるようになったっていうのがあります。
なるほどね。ユーリーさんは何のアルバイトしてるんですか?
放課後デイサービスで働いてる。
危ないこととかは制限しなきゃいけないと思うんですけど、
大人の事情、今日は職員が少ないから、
お外出たいって言ってる子がいるけど出られないよとか、
そういうことでダメって言っちゃって、
子どもがやりたいことができないっていうのは制限だなって思います。
縛ってるなとか、自由を失ってるなと思いつつ、
でもチームの方針だから、ユーリーさん自身も言わなきゃいけないってことですね。
そうですね。
確かにね。ありがとうございます。
じゃあ、日咲さんいかがでしょうか。
私は今大学生で、結構自由な時間があるよねとかって周りからも言われることが多いんですけど、
それは自分自身も子どもの頃に同じようなことを言われた経験があったなと思って振り返った時に、
今のうちに遊んだ方がいいよとか、
子どもは自由だからたくさん遊んでねとかって言われた記憶があるんですけど、
大人に合わせてしまうというか、いろいろ制限をされていく中で、
子ども自身が大人の顔色を伺いながら生活をしてしまっているんじゃないかなって思ったのもありますし、
私自身もそういうのを感じた経験があったので、
本当に自由なのかなっていう疑問を感じることが多いです。
確かにね。
久保さん自身は、自由な部分と自由じゃない部分、子どもにはどんなことを感じますか?
本当はやってあげさせたいみたいな、一緒にできたらいいなっていうものはあるんですけれども、
やっぱり大人の事情でなかなかできなかったり、制限されてしまう部分が多くて、
子どもの本当にやりたいことがなかなかあげられない部分というか、なかなかできない部分があるので、
自由な部分と自由じゃない部分は、やっぱりどんどん広がってしまっているというか、
制限は多くなっているんじゃないかなというふうに思います。
なるほどね。
分かりました。ありがとうございます。
じゃあアイリーさん、ちょっと戻ってきました。
はい。
そもそも、子どもにとって必要な自由って一体何だろうって結構思うんですよ。
これすごくいい質問だから。
自由と自由じゃないの線引きってすごく難しくて、すごく大切なことだなと思って、
どこで引いていけばいいのかなと思って。
自由の線引きって大人だけ、子どもだけって決めることじゃないと思ってて、
大人と子どもが一緒に考えたりとか、例えばそのA君のご家庭ではここまでが自由で、
B君のご家庭はここまでが自由だよっていう自由の形がいろいろあると思うので、
話し合ったり、みんなでどうだろうって考えていって、
みんなで線引きしていくのが自由だと思いますね。
そっかそっか。じゃあアイリーさん的には話し合いもしないで、
勝手に地域とか、勝手に大人がここまでだよって決めちゃってんじゃねーのっていうこともあるわけね。
強いですね。
なるほどね。
自由とはと問われたらみたいなことで話したい方いますか。自由って何でしょ。
自分で選択ができる環境があることが自由だなって思います。
確かに。それ繰り返してくれてたね。みんな言ってくれてたもんね。
やっぱり自分で決めるっていうことですよね。
自分で決めることはすごく必要なんだけど、大人、子どもっていう意味だったらいろいろ社会を知ってる大人としては、
枠を作ってあげるというか、策を作ってあげるとかっていうのも合わせて必要なのかなっていう感じですかね。
その策の範囲とかっていうのも大人が勝手に決めるんじゃなくて、大人と子どもと話し合うことが必要なのかもな、みたいな感じかな。
そんな感じです。
めちゃめちゃ素敵な意見でした。ありがとうございます。
はい、そんなわけで、アイリーさん、ユーリーさん、ひさきさんに質問してもらいました。
子どもは本当に自由なの?ですけれども、自由と制限の二項対立みたいな感じで考えてくれました。
特に子どもは制限をされていて、それが自分での選択ができない。
大人と子どもとの間で対話ができていたら、自分の中で制限があったとしても自由の幅を広げていくんだけれども、
子どもなんだからこれをやりなさいってことで、制限の中に子どもがいるんじゃないかってことですね。
なので、教育の中では自由に自分の発想を言うけれども、実際環境は制限されてるんじゃないの?っていう意見でした。
皆さんいかがでしょうか。
この3方はあれですよね、もっと子どもを自由にしてあげたいと思ってるっていうことですね。
そうだと思います。
すごくそこの願いを感じたというか、おっしゃってる通りで、私も子どもがいるので、公園の環境の変化は私の時代とももはやね、30年前と今と全然違う。
でもそれは、おじいちゃんの代からするとさらにまた違う。
おじいちゃんの代の自由っていうと、命と結構フレスレぐらいの遊びとかが揺れたれてた時代だったりとか、
いう話とかも聞くと、年々その子どもたちは安全にするっていう面で制約がかかってきてるっていうのはすごくわかる。
ボール禁止とかね、物禁止とかね、自転車禁止とかもあちこちありますからね。
すごくわかるなというか、私もひしひし感じるな、子どもたちが自由な時間がどんどん減ってるなっていうのは思っていたので、うんうんって思いながら、めっちゃうなずきながら聞いてました。
どうなんだろうね、なんか自由、そもそも子どもは自由なんだろうか。
どうなんだろうな、どのへんから切り込んでいけるのかなっていうのをちょっと見てて思ったね。
取り巻く環境だろうね、この3人が言ってるのは。
僕もね、この3人と同じことを本当に形的をならしてるかもしれない。
もちろん家庭によるし、子どもによるんだけど、自由だね。
僕、これ時間で考えたいんだよね。自由な時間が本当にあるのかとか、まずはそこでちょっと切り込みを向いたいなと思ってて、
マジで減ってませんか、今。
思うね。
平均1時間ないって言われてるんだよね、今ね。
1日あたり?
1日の中で、自分で本当に自由に使える時間って子どもたち、もちろん家庭によるんだけど1時間ないんじゃないかっていう、
データが。
データがあるんですよ。子どもたちの放課後、寝るまでの時間で、例えば習い事に行ってる、行ってない子も宿題をやってるとか、
あとは家庭の何かがあるとか、で、たとえばご飯食べる時間とかお風呂とか、やらなきゃいけないこともあるでしょ。
そうすると、本当に自由に使える時間ってありますかっていうと、ないっていうところも増えてる、やっぱり。
それは何歳ぐらいの子どものデータなんですか?
でもこれね、エリアでかなり違うんですよ。
そうっすよね。多分東京とかすごいないんだろうなって思ってて、地方格差がすごくありそう、その子どもの自由時間の。
かなりあります。エリアで違うんだよね。で、多分年齢にももちろん違うんだけど、ただやっぱ全体的に減ってきている。
で、それを何を削るかっていって、睡眠を削るって傾向に日本があって、先進国の中で大人と一緒で日本の子どもたち、
1時間ぐらい平均睡眠時間少ないっていうのもあるから、そこが削られるぐらい自由な時間がないんじゃないかっていうのは、僕すっごく問題意識持ってますね。
それは年々変わってるんですか?年次データはあるの?
変わってる。
変わってる?どんどん減っていっている?
減ってるんだと思う。これね、でもね、どこを切り取るかっていうと違うんだよ。自由な時間とはもあるから、違うんだけど減ってるんですよ、確実に。
減ってる原因って主に何なんですか?
さっき早期教育とか出してくれたでしょ、誰か。
塾なんですね。
あれはね、僕実は早期教育の中のほとんど、9割ぐらいダウトかける人なんで、子どもがそれが本当自己実現的にやりたいと思ってやってるのであればいいっていうのはちゃんと分かってないけど、
さっき大人の事情って言ってくれた人いたよね。
あの言葉ですね、大人の事情による何かが増えまくってると思ってる、今。
例えば?
で、この間、他に2個あるんですよ。
もう1個がね、空間なんですよ。
はいはいはい。
空間ね。で、空間も減ってるっていうのは間違いなくデータ出てますよ。
で、さっきの公園のね、ルールも含めて、ここでは何々ができないとか、
昔なんかもう道路でさ、キャッチボールできた世界観でしょ。
やってたね。
そうだよね。
それがさ、通報されちゃうわけだとか、
お金払わなきゃ遊べないとかさ、
で、これもっと地方の方とか僕行くけど、地方なんか学校が減ってるでしょ。
そうするとさ、通学が50キロとかっていう学校あるんだよ。
で、もうバス往復したらもう夜になってる。
し、バスで移動ってことは近くに友達がいないんだよ。
とか、そういうような、今のはもう1個の場なんですよ、間。仲間なんですよ。
あ、最後が仲間なのか。
時間、空間、仲間。
この3個が確実に減ってるんですよ。
だから、自由がなくなってきていて、自由が減ってるんじゃないかっていうのは、
僕はそうだと思う。イエスって答えるかな、この問いに対しても。
だから、ノーだね。自由なの。
自由ではない。
自由が奪われているんじゃないのっていう。
僕もそれは言いたいかな。
それはでも結構、社会的な問題、個人のっていうよりは、
特にその空間問題とかさ、仲間のところとかもさ、
個人でどうにかできるレベルではないよね、学校が近くにいないとか。
で、それによって時間も奪われてみたいな。
例えばそのまあ、習い事とかのレベルにおいては、家庭内のね、判断である程度できたとしても、
でもそれもやっぱり社会的圧力で結構あるじゃない。
特に東京なんかは、まあ、私は東京住んでないのでわかんないけど、
やっぱり聞くところによって受験に対する圧力とかすごく。
すごいよ。
ある?って聞くからね。
長男小6だもん。
もうまさに家中の人ですよね、ツボケンさんなんかはね。
うん。
やっぱりその、学校のね、何割の子がもう受験のためになんかやってるってなると、
もう子供も焦るかもしれないし、
親御さんなんかはさらに多分プレスリングしてる。
さらに多分プレッシャーがあったりとかするしって思うと、
なんか家庭内の問題ではもはやないところだよね。
今教えてくれたその時間、空間、仲間、三つの間が失われてるっていうのは。
その中でじゃあ何ができるのってことよね、きっと。
あのお三方が知りたいのはね。
そうそう。
だからまさに今メイム言った通りで、
もうね、社会全体で見直していかなきゃいけないっていう、
そういう規模なんだよね。
じゃあ学校でっていうことで考えてみると、
今僕がかかってる学校の中で、
子供たちの創造的余白。
創造的余白っていい言葉ですね。
余白ね、そのね、創造的余白ね。
大ちゃん頃からね。
僕が考えたんですけど。
この創造的余白を大人にも子供にもっていう、
そういうね、僕は今気流が見えるんですよ。
これだなって思っていて。
子供たちの創造的余白を増やそうって学校めちゃくちゃ増えてますよ、今。
何を見直してるかって、
僕ちょっとこれ学校名あえて出すと、
愛知県のね、補定中学校さんってあって、
ここのめちゃくちゃ素晴らしい教頭先生がいまして、
その方がもう数年かけてね、
学校の皆さんと子供たちと地域保護者の方と改革した経緯があって、
これ本になってるんで、ぜひ紹介したいんですよね。
で、このね、本の中でも書かれてるんだけど、
子供たちの放課後について考えましょうっていう対話の場を、
子供たちと先生と地域の方と保護者の方と対話した場があるんですよ。
すごい。
これすごいですよね。
4社なんだ。
4社です。
地域の方もいたんだ。
はい。当初は部活動について考えるだったんだって。
でも問いがね、抽象的にもうワンフェーズ上がってっていうか、
ちょっとこのメタ的な問いになったよね。
部活動を考えるではなく、子供たちの放課後を考えようと。
そしたらね、見直せることっていくらでもあるわけですよ。
例えば宿題、あと遊び場とか、もちろん部活動もそうだし、
習い事とか、総合的にいろいろ見直せるよね。
そうすると、子供たちの声があって、
それが反映されて、サークルやろうぜとかね。
あとは部活動っていうのも時間見直して、
もっと自分が使える時間を増やそうとかが、
実際に実現してるんですね。
そういうのを見ると、
学校っていう組織の中においてもできることはめちゃくちゃあるんですよ。
これじゃあ家庭ではとかさ、見ていったらもっとできることあるでしょ。
これね、声を聞くというか、
共に話す場、対話する場っていうのが、
かなり解決に誘ってくれるんじゃないかなと思うけどね。
いろんなスケールできそうだね。
本当に。