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  2. #38 未来は決まっているのか?..
2025-06-06 36:54

#38 未来は決まっているのか?自分の手で開いていくのか?日々の生活から考え方を話してみた(2025.3.26収録)

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私は生活の中で、心の持ちようとして「未来は決まっている/大きな流れに身を任せる」というものと「自分の手で動かしていく」という2つの考えを意識的に使い分けている感があります。

そのバランスが崩れるとたちまち調子が悪くなります。

 

…とまあ、玄徳さんが出した「実存主義」というワードから連想し、そんな話を玄徳さんにしたかったんですが、中盤過ぎるまであまり伝わっていなかった感じがあります。難しい。

なんかこの手の話、うまく伝わらないとムキになるのやめたいです、はい。

その中でも玄徳さんがくれる視点も面白いなあ、と改めて聞き直して思っていました。

個人的には、昔からこれは私の中で大きなテーマだという感覚があります。果たして聞いてくれる人に伝わるのか、不安。

 

#あきさめpodcast

#実存主義

#未来

#過去

#人生観

サマリー

このエピソードでは、未来が決まっているのか、自分の手で切り開いていくのかというテーマについて考察されています。実存主義の観点から、未来についての個々の考え方や自己責任の取り方が議論されています。未来に対する不安や無力感について語られ、自分の意思だけではどうにもならない現実を直視しながら、日々の生活でできることに目を向ける重要性が強調されています。また、自分自身の判断や思考を深く考えることで、未来へのアプローチが変わる可能性も探求されています。さらに、未来への不安や自己肯定感についての話し合いや、日常生活における身体的な行動の重要性が強調されています。特に、他人との関わりや自己を大切にすることが未来の自分に与える影響についても探求されています。

未来に対する考え方
スピーカー 2
はい、回しましたので。
はい、今ね、なんか、究極の二択っていう話をしようと思って。
スピーカー 1
話題アプリの続きですね。
スピーカー 2
そうそうそう、究極の二択から未来が見える、過去が見えるどっちがいいみたいな話で。
で、そもそも未来って決まってんのかみたいな、急にね、なんか哲学的な話が始まったんですけど。
未来が決まってる、決まってて自分はそこに向かってるみたいな考え方と、
あと、その自分の手で切り開いていく。
うん、未来開拓みたいな。
うん、玄徳さんが今言ってた実存主義。
言われへん。
実存主義ね。
みたいなのがあるよねっていう話をしてて。
自己責任と周囲の力
スピーカー 2
でも今は実存主義的な考えの方が強いよねっていう。
スピーカー 1
そうね、やっぱりその考え方を人々一人一人が持ってないと、
生きるのがしんどい社会になっちゃったっていう感じかもしれません。
スピーカー 2
なっちゃったってことは、それどうなんっていう気持ちもあるっていう感じですか、玄徳さん。
スピーカー 1
いや、まあ自分は基本的にはいいことだと思いますよ、その大きな歴史の流れとしてはね。
ただ、やっぱりそれを自らに化すのと、
自らに化していくべきだっていうことと、
スピーカー 2
あとはその言い方。
スピーカー 1
それをね、やっぱり自らに、そういうふうに自らに化していくべきだって、
はっきり言うことと、また別の言い方をすることとは全然違う気がするので。
スピーカー 2
確かにね。
そうですよね。
伝え方の部分かなっていう気がするけどね。
そうですよね、確かに。
なんか考え方にもよるんですけど、
なんか私は、さっきも話したんですけど、なんかテンションによって使い分けてる。
もうすべて決まってるから、流れに身を任そうと。
なんか操り人形みたいに動いてる。
ただ自分はその来たものに対して応答してるだけみたいなテンションの時と、
自分が選択していくぞっていう時を結構意識的に使い分けてるんですけど、
なんか私的に、自分の手で切り拓い。
結構バランスどっちかに偏るとめっちゃしんどくなるっていう印象があるんですよ。
自分だけでどうにかできるみたいな、自分の力にかかってんだみたいなのが多いすぎると、
そうじゃない説理で回ってるところもあるじゃないですか。
それを、何だろう、なんか多分もっと大きい力が当然存在すると思うんですけど、
それを信じずに自分の力だけでどうにかしようとするし、
自分の力でどうにもならないところにも自分に責任をかけちゃうみたいなのがすごいある。
スピーカー 1
自分の力以外で、自分の力じゃないところで働いてることってかなり大きいっていうところなんですけど。
スピーカー 2
でもかといって、なんか自分にはどうにもできないんだみたいなのがあるともう、何だろうな、
スピーカー 1
動く力というか、なんかエネルギーが減ってく感覚があるんですよね。
スピーカー 2
なんか油断しすぎる。
だからそこを結構バランスよくするのが私的に結構大事で。
スピーカー 1
なんかそれだけ聞いてると相当、仕事とかだと思いますけど、相当厳しい状況に置かれていたのかなという感じがする。
スピーカー 2
全然仕事ではないんですけど、結構どうなんだろう、生きててそう思う。
なんか自分の力でどうにもならない。
なんかそういう、なんだったっけな、なんか大学院の時に見たやつで、なんか男子会の言葉でそういうやつがあるんですよ。
なんか自分の手でコントロールできることとできないことがあって、
思考の論理とそのバランス
スピーカー 2
なんかその、それを見分ける力をくださいみたいな祈りの言葉があって。
なんだったっけ、なんかね、結構有名なんですけど忘れちゃった。
でもどうにもできないから、なんだろうな、もう身を任せようじゃないけど、なんか祈ろうみたいなのも大事じゃないですか。
スピーカー 1
なんかそれが、だから自分の力でなんとかできるはずだ、強が強すぎると薄まっていくのがすごい嫌なんですよね。
それで言うと、どうにもならないっていうものが絶対あるとして、それがどうにもならないっていうふうに分かった時にどうするかっていう話だと思うけど、
それをどうにもならないものに向かって自分なりに頑張った結果、どうにもならなかったので気持ち的に消耗しますっていうのが一つと。
で、反対にどうにもならないなと思ったら距離をとって、祈るでもなんでもするっていう取り方っていうのが多分今言ってた話なんだろうけど、
多分どうにもならないなりに頑張るみたいなのが多分あるんだろうなっていう気はする。
なんかそのどうにもならないを大きく見てどうにもならないのは変わらないんだけど、
この部分で見たらどうにかなるかもしれないなっていうふうにそのものの解釈を変えて、その範囲で頑張ってみるとかもあるかもしれないし、
本当にそのまま大きくどうにもならないのはどうにもならないままなんだけど、そこで要は諦めないことに意味があるよねっていう見方で頑張ってみる方法もあるかもしれないし、
なんかそういう間の取り方みたいなのはみんな無意識的にもやってるのかもしれないなとかそういうこと思ったりしましたけど。
スピーカー 2
あー確かにね、無意識的にやってるのかもしれない。
でもなんかどうにもならない、なんか諦めるとかっていうよりかは何かをやった時のマインドの話なのかなと思って。
なんだろう。
スピーカー 1
やった時のマインド?
スピーカー 2
やった時?やった時じゃないのか。
なんだろうその、なんかどうにもならないこともあるけどやれることもある。
なんだろうな、どうにもならないことって大きいなっていう気持ちで生きてる人と、なんかどうにかできるはずだって思ってる人とでやっぱりなんか生き方変わってくるじゃないですか。
どうにもならない、なんかやったことに対して責任多いすぎないというか。
スピーカー 1
そうね、正直多分ピンときてないところもあるような気はするけど、
まあそうね、なんかどうにもならないものをどうにかすることも考えながら頑張るんだけど、
なんか実は半分ぐらいそこをあんまり気にせずに頑張っている人とかも多分いるんかなっていう気がするけどね。
なんかそれがある意味で一番もしかしたら実存主義っぽいのかなと思ったりする。
社会的な課題だったりとか、そういう大きなものを変えようっていう目的があってそれを達成するためっていうよりかは、
そういうものを媒介にしてとか、そういう社会を変えたいとかっていうのは、実存主義のサルトルとかも多分言ってたと思うし、
そういうことは全然興味を持ってやるんだけど、根っこにあるのは自分自身が何をやりたいかとかどうあるべきかみたいなことだったりとかして、
一方でそれのツール的な手段的な部分に活動がなっているみたいなあり方もあるかもしれないねっていう。
別に最近実存主義に自分が引っ張られてるからそういう感じで思い浮かんだから言ってみただけで。
なるほど。何かを変えようと思うときに、別にその変えることだけが目的じゃなくて、それによって自分のやりたいこととかがはっきりすることが大事だみたいなことですか?
そう、なんか自分が変わることだったりとか、結局なんかいつもの話みたいになっちゃうけど、世界を変えられなくても自分は変えられたりする可能性があったりするわけじゃないですか。
スピーカー 2
はいはいはいはい。
スピーカー 1
何かの、そう、世界は変わらなかったけど自分は変わったかもしれないとか、要は世界は人はみんなそっちの方向に変わっていっちゃったけど、自分だけは変わらずここにいるみたいなこともあったりするかもしれないじゃないですか。
スピーカー 2
はいはいはいはい。
スピーカー 1
っていうのが大事かもねっていう言い方もあるかもしれないねという。
スピーカー 2
うーん、なるほどなるほど。
あーどうなんだろう、なんか何かを変える、なんかどちらかというとこう、なんだろうな、どう繋がるかわかんないんですけど、今自分、人間ができることっていうのと、なんだろう、なんかそれ以外の力で働いてることのバランスみたいな感じが。
スピーカー 1
人間以外の力で働いてることって話をしてる。
スピーカー 2
人間以外というか。
スピーカー 1
自分以外の人間の力で働いていること。
スピーカー 2
あ、全部含めてです。自分と他者の世界。
なんか自分っていう存在と自分以外の力、その、なんか自然とか、なんかでっかい力、他人も含むって感じなんですけど、私のイメージでは。
なんか、うーん、なんか自分の力、自分の力というよりかは、なんだろう、そうなっている、そうな、そういう風になってしまってる。
スピーカー 1
うん。
スピーカー 2
だからどうにもできないというよりかは、なんか身を任せるというか。
スピーカー 1
うんうんうん。
スピーカー 2
うーん、でもなんか。
スピーカー 1
うん、正しいと思うけどね。
スピーカー 2
うーん、でもなんかそれを、自分の、自分の努力というか、自分が変わることによって何とかしていこうっていうのを、なんか思いすぎると、その周りの力を信じたりとか、身を任せることみたいな視点が駆け落ちてくると、なんか結構しんどくなってくるんですよ。
スピーカー 1
うんうんうん。
スピーカー 2
どうにもできんこと?
なんか、なんか例えば、その私が、なんだろう、この収録でも前も出てきてましたけど、お風呂入れないとかも。
はいはい。
なんか、自分の力でどうにかできるって考えるのか、私は今お風呂に入れない状態、そういう風向きなのかっていう風に考えるとか。
スピーカー 1
はいはいはい。
スピーカー 2
うーん、なんかこう、なんだろう、意思の力でどうにかできるみたいなのと、なんかそれ以外の力じゃ、それ以外の力でもそういう状態になってしまってるっていう風に捉えるのか、みたいなのが、なんか自分の中で健康な時はバランスが取れてるんですよ。
まあそういう時もあるし、そういう風にもなってるし、なんかそうできたらいいよねっていう時、変われないけどそうできたらいいよねっていう時と、自分がなんとかしていける、自分が例えばアラームかけるとか、なんだろうな工夫をしていくことによってなんとかできるはずだ、みたいなのが調子がいい時はこううまくバランスになりたってるんですよ。
はい。
自分ができてない、自分がこうしたほうがいいっていうのと、いやでももうそんなん全くできるわけがない。私がやったって、だってこれまでずっとどうにもなってなかったけど、それ以外の力が働いてるからどうにもなってないねんって思う時と、なんだろう、バランスが崩れると結構しんどくなるんですよ。
はいはいはい。
私の中で全部、人生全体そうなんですよ結構。
スピーカー 1
要は悪循環に入るんですね、自分を責めたりとか多分調子が悪くなると。
スピーカー 2
そうですね。
なんかそれがこう、なんだろう、私の中でそれが未来決まってる論と、なんか自分が作ってく論。
スピーカー 1
そういうことか。
たぶん、たぶん、たぶんやけど、その調子が悪い時っていうのは、たぶんその精神的に、あの、なんだろう、たぶん風邪をひいた状態とかに近いという可能性が高いと思って、休むほうに振り切ったほうがいいんじゃないかなっていう気はしますけどなるべく。
スピーカー 2
でも結構どっちも間違ってないんですよ、なんか思考の論理としては。
スピーカー 1
わかるわかるわかる。
スピーカー 2
なんだろうな。
スピーカー 1
でもやっぱりなんか自分、今の話で出てこなかったから勝手に読み取っちゃってるかもしれないけど、
なんか自分をなんか攻めちゃうとか、それがなんかちょっとループになるような感じになったら、そこで一回こう、どこかでこう全部バサーってこう脇に置いて、
全部放置して、なんだろう、過去の決意を忘れて寝るみたいなのができたほうがいいんだろうなぁとは思うね、自分もそういうタイプな上で言うと。
スピーカー 2
でもなんか私の中でその、自責もいきすぎたら良くないけど、多責もいきすぎたらバランスが良くないんですよ。
無力感の理解
スピーカー 2
私の力だけではどうもならん、そういうことになってしまってるから、もう私が何をやったって無駄や、私が何をやっても無駄、どういう決意をしても無駄みたいな。
なんだろうな、なんか無駄、別にそれは自分を責めてるっていうよりかは、なんかなんだろうな、もうそういう風になってしまってるから私の決意など、なんかあの塵に等しいみたいな。
なんかその、なんだろうな、多責というか、自分の力ではどうにもならない無力感みたいな、になりすぎても結構しんどいので、だからなんか自分の力でどうにかできるはず、でもできてないっていうのも結構しんどいし、自分の力ではどうにもならない世界がそういう風になってるから、みたいなんでも、じゃあ自分の意思など意味があるのかみたいな。
なんかそこが、ちゃんとしてる時は、なんかまあそれは置いといてっていうバランスになりたってんですよ。
なんかどうにもならんことはならんし、できることもあるっていう、なんかなんだろうな、例えば寝れんかったら、なんかヨガとかしたらヨガとかしたり、なんかあったかい飲み物飲んだりとかしてできることはあるっていう風に思えると、なんか頑張れるんですけど、なんかそれをしたところで何の意味もない。
もう寝れる時は寝れるし、寝られへん時は寝られへん。何の意味もないって思って全ての努力を放棄し始めると、結構なんかあんまり自分的に調子良くないというか、無力感に。
スピーカー 1
まあそうか、それはそれで負のループに入るか。だってヨガしたり、あったかい飲み物飲んだりしなくなっていくわけだから、もしかしたらそれが影響するかもしれないからね。
なんか今の話ですごい、分かった気はした、実際。なるほどね。確かにそういう時の気持ちの置きどころは多分めちゃくちゃ難しいよね。
スピーカー 2
いや、そうですよね。
スピーカー 1
置きどころがないっていう話だよね。調子が悪い時の気の持ちがどう気を持ってもしんどいみたいな。
スピーカー 2
そうなんですよね。だから私の中では、自分ができないできないと思ってしんどかった時に、自分の力だけでどうにかできることばかりではないよねっていう視点を多分得たんだと思うんですよね。
それが生きすぎるとしんどいみたいな。
スピーカー 1
でも多析が広がっていった結果、自分を責めるじゃないけど、自分の判断と自分の考えていることがあんまり意味がないみたいな感じになるのも、
なんかちょっと、なんていうか、メンタル弱っている時特有の思考感が若干感じなくもないけどね。
スピーカー 2
確かにね。そうですよね。なんだろう、なんか、通常というか健康的なのって重要なんですかね。なんかバランスがいいというか。真ん中?
スピーカー 1
なんか多分、調子悪い時の話をしてるじゃないですか、今。着物持ちようが分かんないとかって。
はいはい。
調子悪い時っていうのは、もうなんかその、なんていうんだろう、その、闇の方向に全てが都合のいいように行く世界じゃないですか。
スピーカー 2
はいはいはい。
スピーカー 1
何考えてもネガティブな方向に行くとか、自分を責めちゃうとか、なんかその世界だけ、ゲームのルールが違うんですよ、多分。
スピーカー 2
はいはいはい。
スピーカー 1
なんか人生ゲームで言ったら、なんかお金を奪われるマスばっかりみたいな。
スピーカー 2
はいはいはい。
スピーカー 1
それがなんか普通のヤギリンさんの時は、お金もらえるマスとお金が減るマスが10個ずつマスがあるのに、それが急にお金もらえるマスが3つぐらいになって、お金奪われるマスが17マスぐらいになっちゃうみたいな世界になるんだと思うんですよ。
自分もやっぱりそういうタイプだったと思うんで、自分を囲んで。
スピーカー 2
なるほど。
スピーカー 1
だからなんか、うん、だからその、もうその、今私が思考してるゲームは、ちょっと別のゲーム、元気な時とは違う思考の枠組みになっているのかもなみたいな、って思ってもいいかもしれないけどね。
スピーカー 2
なるほどね。
スピーカー 1
わかんない。ちょっと今の話だけではあれだけど、自分がめっちゃメンタル、今以上に調子悪かったなぁみたいな時を振り返るとそうだった。
スピーカー 2
まあね、確かにそれはね、後からしか見えないですもんね。その時はなんか至極真っ当な思考やと思ってるんですけど。
どうなんだろう?でもなんか結構、まあね、調子良い時はそれはそれで置いといてって言って何も考えてないのかもしれないですけど、なんか、うん、でも常に考えてるかもしれない。
なぜ、なんか、なぜ自分がお風呂に入れないのかみたいなこととか、なぜ自分がこう寝れないのかみたいなのとかを考えた時に、うーん、いやでも常になんか自分が、自分ができることと別に自分、
なんか自分以外のところでも世界がそうなってしまっているからできないっていうことと、なんか結構そのバランスはずっと考えてるかもしれない。
スピーカー 1
まあ、そうね、考えちゃうよねっていう感じな気はするなぁ、話としては。
スピーカー 2
うーん、なんか、なんでなんだろう?なんか結構ずっとそういうこと考えてるんですよね。調子の良し悪しに関わらず、なんか自分の中でこう筋が通らないなみたいなことが。
なんかそれって自分、なんだろう、自分のせいなのかみたいな。でも自分のせいとも言い切れないし、なんだろう、自分の責任とはどこまでみたいなことを結構ずっと考えてる。
スピーカー 1
うん、それはわかるかも、自分。それは思うな。体調崩したら、うん、それ思うもんな。誰のせいとか、これは自分のせいとか思うもんな。
未来へのアプローチ
スピーカー 1
うーん。
でもあんまりそれって、本当は多分考えすぎる方がいいよなって自分は最近同時に思う。
スピーカー 2
でもなんかその考えすぎないっていうのが、まあそういうふうに世界はなってたからなっていう思考なんですよ、私の中で。なんかこう、風邪ひくってことにじわなってたというか。
スピーカー 1
あー、それはなんかしんどくね?だってそれ考えてるやん。
スピーカー 2
特に思考はいらない。
スピーカー 1
そう、考えないやから、考えないやから。
スピーカー 2
考えない無理なんですよね。なんか自分の中で筋が通ってないと、まあそういうことになってたんやとかじゃないと納得できないんですよ。
それはそれで置いといて、じゃあお風呂入ろうかみたいなことはできないんですよね。
スピーカー 1
そうだよね、結構なんか自分の中で、少なくとも多分自分の問題に関しては、なるべくこう、はっきりさせたいじゃないけど、そういうタイプな感じしますよね。
うーん。
なんか今の話のあれだと。
スピーカー 2
そうですね。でもだからといって具体的に、何だろう、例えば風邪ひいたとして具体的にあれが悪かったんかこれが悪かったんかとか、現実的な思考になるわけじゃなくて、かなりぶっ飛んだ思考になりますね。
スピーカー 1
でもそういうふうに未来は決まっていたのか、それとも私の意思の問題なのか、みたいな斜め上の議論になっていくんですよね、私の中で。
なんかそこは結構なんか、風邪ひいてしんどくなったみたいなのも多分含めて、普段元気な時とはだいぶ違った、ちょっとこう、歪んだ理論で考えちゃってる可能性はあるかもしれない。
自分を追い込む方にだったりとか。
もともとぶっ飛んでる思考回路だったんですけど。
それはそうや。それはそう。それはそうなんだけど。
スピーカー 2
もともとなんか現実的に、何だろう、例えばなんですけど、なんか中学の時とか部活の先生が、なんかこういう時に部活サボるやつはほんまにアカンみたいなので怒ってたら、
でも誰、でも私は中学で部活に入れって言われたから入ってるし、なんかなぜ、なんだろう、部活、誰が好きで部活入ってると思ってんねんって思ってたんですけど。
でもなんかこれを考えると、誰が好きで部活入ってんねんを突き詰めると、なんかなんで怒られてんのって思った時に、誰が好きで生まれてきてんみたいな議論になるんですよ、私の中で。
スピーカー 1
だからそれ、多分そこでなんか突き詰めちゃう人があんまりいないっていうことなんだろうね。それが多分。
スピーカー 2
そうか。だから私の中で、なんかお風呂に入れないってなった時に、なんかなぜお風呂に入れないのかとかじゃなくて、なんかそのお風呂に入れないっていう力が働いてるのか、それとも私の行動による結果なのかみたいな二項対立になっちゃうんですよね。
スピーカー 1
なんか哲学者の話だよね、多分。
やっぱ普通、自分とかってすごい、自分はすごく自分のことを妥協の産物だと思ってるから。
どういうこと?
たぶん、そう、自分はそうだと思ってるんですよ。逆に言うと、なんていうか、めちゃくちゃ妥協することだけはできるみたいな感じのとこは。
どういう側面において妥協?
スピーカー 2
いや、もういいやぽいってするっていう。
スピーカー 1
そう。っていう、もちろんなんか、本当に、なんだろう、就活を家族に、親に黙ってサボったみたいな、そういうことじゃないから、そういうわけじゃないんだけど。
スピーカー 2
はいはい。
スピーカー 1
でも、だから要は、多くの人が、メンタル、そのネガティブな人とかっていうのが、自分を責めたりとか、要はそれを自分を責めないようにするために頑張っちゃうみたいなケースが多分あるんですよね。
そういうところで、自分を責めるんだけれども、頑張らないみたいなことを繰り返してきたんだと思って。
スピーカー 2
だから、そういう自分を責める感覚に関しては結構、多分人よりも敏感なとこはあるんだけど、そういう妥協を繰り返してきたっていう自覚はあるんですって言って、さっき何言おうか、言おうと思ったが忘れたんですけど。
なるほどね。
いやでも、妥協というか割り切りですよね。割り切り。これ以上考えても意味がない。
スピーカー 1
そうそうそう。だから多分ね、自分とかもそうだし、普通の人が、もうこれ以上考えたらもうしんどくなる結果しかないなっていうのが、多分無意識的にわかる瞬間があって、そこで大体の人って考えるとやめるんですけど、
そこで多分考える、そこまで考えて、しんどくなるまで考えちゃうっていうのは、多分哲学者向きの人なんじゃないかっていうことを思いましたということです。
スピーカー 2
確かにね、なんか考えない方がそりゃいい、なんだろう、いやそうなんですよね。でも、なんかそもそもなんでなんみたいなことを言うのをやめられない。
スピーカー 1
それはもう、ヤギリさんが、私は哲学者として生まれてきたっていうことを。
スピーカー 2
いや違うんですよ。だからといって突き詰める気は全くないんですけど、でもなんか、就活しなあかんとか、いや誰が好きで生まれてきたと思ってんねんみたいなこと思うのをやめられない。
スピーカー 1
だからそう、突き詰めたくてやってるんじゃなくて、気づいたら突き詰めてるんですよ。
スピーカー 2
いやでもね、それが、やりすぎると生活が破綻するんです。
なんか、あの、例えば、なんかお風呂に入る、もうお風呂の話ばっかりしてるのに、なんかお風呂に入れないといったかに、
なんだろうね、なんか、今やるべきことはお風呂に入ることなんですよ。
だし、今やるべきことってか、未来の自分が助かることか、未来の自分、明日の自分が助かるじゃないですか。
でもなんかその、未来の自分がやったほうがいいと思ってることと、今やりたくないみたいな気持ちが大きく喧嘩してるんですよね。
で、今これやりたくない、どうしても入りたくない、入れないけど、未来の自分はやったほうがいいみたいな。
でもなんか、生きるの、生活って全部そうじゃないですか。なんか歯磨くとか、ご飯食べるとか、今やりたくないけど、
未来の自分にとってはやらないといけないことで生活って成り立ってて、大きく見ると労働とかもそうで、
気が狂いそうになってきて、そんなことをお風呂に入れないとワーワー言っちゃうのも嫌で、
未来への不安と自己肯定感
スピーカー 2
しかもそれに対して、でも未来の自分、なんで未来の自分のために頑張らなあかんねんみたいなことを言っても恥じわらなくて、
それに対する答えなんて存在しないんですよね。
だから、そういう話をちょっと前に、お風呂入りたくないみたいな話を彼氏にしたときに、
でもそれは、例えば誰かと生活するとか、誰かがお風呂入るから入るとか、引きずって生活したほうがいいんじゃないというか、
スピーカー 1
結構力はあるんですね。
スピーカー 2
力はあって、そうですね。でも、それぐらいしないと答えなんてない、それぐらいしても答えはないから、
ただ、でも自分が一人だと、なぜ私は未来のためにお風呂に入らなければならないんだなって思ってしまうから、
確かに誰かと生活したりとか、誰かと一緒に生活ペースに引きずられることしかもう何か答えはないのかなとか、いろいろ考えたんですけど。
スピーカー 1
多分根本の話で言うと、自己肯定感の話じゃないですか、
自分で自分を大事にするとか、自分の未来も含めてみたいなのを、どれぐらい当然のものとして考えるのかみたいなとか、
スピーカー 2
あれですよね、思考じゃなくて身体レベルですよね。
スピーカー 1
身体っていうか、ベースの自分でか自分をどう思っているかっていう根本の部分。
自分がこの世界に存在していてよいのかみたいなこととか、そういうのに疑問を持っている人ってあんまり多分多くなさそうじゃないですか。
そこの部分を考えたことがない人考えてる人みたいなのって、そういうヤギリンさんの葛藤みたいなのにつながっているものがあるかもしれないなっていう気はちょっとしました。
スピーカー 2
確かにね、お風呂、確かにね、そうですね、未来のためにやったほうがいい。
未来の自分も含めて自分みたいな感覚が、何だろうな、言葉じゃなくて身体としてあるかですね。
スピーカー 1
そうそうそうそう。ヤギリンさんの何だろう、ここ何年も多分考え続けているテーマの一端を聞いた気がしました。
日常生活と身体の重要性
スピーカー 2
いやーね、でもこの極端な思考は本当に小学校とかからあります。もう怒られた時に、いや誰が好きで生まれてきたみたいな逆切れ。
スピーカー 1
なんでやりたくもないことをやらされてこんな理不尽な思いをしてるんやみたいな。
そこはやっぱそういう意味では先天的なものも絶対あるんだろうなと思いますけどね、ヤギリンさんの場合は。今まで聞いてる感じだと。
まあ文句言いなんですけど。
スピーカー 2
いやーやっぱ哲学者、ニーチェとかの方面の哲学者なんじゃないですか。ちょっと尖りすぎ。
スピーカー 1
尖り。
ちょっと尖りすぎか、ニーチェは。わからんけど。
スピーカー 2
そうなんだろう、わかんない。なんかあれですよね、なんか悲観的だとは思います。
いやでもね、あんまりやりすぎる、やりすぎるとっていうかその極端な思考が強くなりすぎると、なんか理屈が通んないから嫌になって、やんなくなって、でそれが調子悪くなると生活に及んでくるので、でどんどん後悔していくから、
なんかあんまりつべこべ言わずにやれが一番正解な気はしてるんです。つべこべ言わずにお風呂に入れとか、つべこべ言わずに歯を磨けが一番正解な、なんか人間として正解な気は最近してます。
スピーカー 1
たぶんそれをつべこべ言わずにやるための気持ちが湧いてこなかったりするっていう話でしょうか。
スピーカー 2
そうですね、なんか結構どうなんだろうな、やっぱなんか、一人で生きてたりとかするとつべこべ言えてしまうっていうところありますね。
なんか一人暮らしとかで、もう完全になんで歯を磨かないといけないんだってなったらもう歯を磨かないで済んじゃう、みたいなね。
まあ家族と暮らしてるとか、なんか誰かと暮らしてるとかならね、まだこう、他人の生活に引きずられる部分はあるなと思いつつ、でもつべこべ言いたいときはありますね。
もうなんかなんだろうな、なんでお風呂なんか入りたくないんだ、入らないといけないんだ、みたいなことをかなり主張したいときはあります。
スピーカー 1
まあ別にそこまで主張したいときは入らなくて良いのではあるかと思うけど。
スピーカー 2
そうですね、それはそう、それはそうかもしれない。
スピーカー 1
それはそう、それが大前提かもね。
スピーカー 2
じゃああの、ちょっと定期的にこの話したそうなんで、また定期的に会ったときには、最近お風呂入ってますか?っていう咲良孫の質問をさせていただきますね。
最近はね、お風呂入ってます。
たぶん、暇なので。
スピーカー 1
いやいや、なるほど。
じゃあまあそういう感じで、話的に切りがいいのでこんな感じにしておきますか。
スピーカー 2
そうですね、切りますか。
スピーカー 1
ありがとうございました。
ありがとうございます。
36:54

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