中学受験の背景
スピーカー 1
今までの人生の話をしてたんだけど、そうですね。
特に、中学に入るぐらいの話。小学校。私が中学受験してて、中学高校がめっちゃしんどかった。
けど、大学で、その呪縛から解放された、みたいな話で。
なんか、玄拓さんは、浪人中に、自分見つめ直し期間があって、結構解放された、みたいな話をしてたんですけど。
スピーカー 2
まあ、そうね。いや、まあ、自分の話は一旦置いといて。自分って、まあ、今言ってもらった通り、躊躇してないんですけど、
あの、なんか、聞いてる中で、ものすごく、自分が経験してないのに、ものすごく興味関心があるんですよ。
スピーカー 1
中学受験の闇についてですか?
スピーカー 2
そうそう、それはもちろん、その言う通りで、中学受験の闇についてなんだよね。
だから、その、小学生が、その、要は、その、なんて言うんだろう、勉強を一つ軸にした価値観っていうものに乗っかっていくっていうものが、
やっぱり、なかなか主体的なものではなり得ないっていうものだったりとか、
その価値観を、まあ、ベースにして、まあ、私立中学校とか高校っていうものがあって、まあ、それらが繋がっていることが多いっていうところとか、
で、まあ、その中での教育体系っていうか、考え方みたいなものが、全然やっぱり、公立とは違ったりするわけじゃないですか。
スピーカー 1
そうですね。まあね、その、さっきも言ってたんですけど、
私がその中学受験するって決めたのが、なんか小学校で結構揉めたりとか、人間関係のもつれがあったりとか、なかなか環境が合わないみたいなのを見て、親が、
あの、あんた中学受験した方がいいんちゃう、みたいな感じで、で、私は公立のやつらとは違うんや、みたいな、
学校、精神だけで勉強してた、みたいな、なんかある種の見下し。
スピーカー 2
いやでも、それはね、なるでしょ。それならない小学生いないと思うし、だってみんなが遊んでる時間に、みんなでね、そのさ、自分たちが塾で勉強してるわけだから、
その一緒に勉強してる人たちの中で、その団結感ができて、でもその周りの人とは違うっていう、まあ、一種の、まあ、強い言い方をすれば先民思想的なものがあっても、
自分は全然おかしくないと思う。だからそれを、やっぱりその環境として見たときに、やっぱりそれがいいのかってことよね。
で、もっと言うと、その中学、中学校、私立の中学校っていうのは、それをこう持ってる人を、やっぱりある種、擬容するような形で教育してるような感じはするよね。
学校教育の影響
スピーカー 1
そのある種スパルタ的なやり方であったりとか、あのさっき回す前に言ってた話だったら、そのね、あのこれ学校によるだろうけど、まああの朝礼で動いちゃダメみたいな、そういうね、あの、まあ、昔の日本会話みたいな感じの、そういう、努力史上論みたいなね。
スピーカー 2
なんか話聞いてる感じすごい、あの、ここまでかっていうぐらい昭和的な感じだったよね。昭和企業の価値観先取りしてるような感じで。
まあでももう多分ね、もう今はもうそうじゃないと思うけどさすがにね。
スピーカー 1
どうだろうな、今もかもしれない。
スピーカー 2
でもその辺、だから逆に生育になって今も残っているとしたら、私立中学校校だよね。
スピーカー 1
そうですね、確かに。なんかね、あの世間の流れを受けにくいから。
でもね、本当になんかその、努力できない、ここで受験で努力できない奴は一生努力できないみたいなのをずっと6年間言われ続けたりとか。
いやそれがね、本当に良くないと思う。
なんかこう、本当に今思えばこう、当時、まあ若いし色々悩むこともあるじゃないですか。
だし、なんかできない方法を取ってるのかもしれない。
その自分が苦手な方法、ずっと机に向かって勉強するのだけが得意ネットでもない、ばっかりでもないのに。
なんかそれができない人もこう、人格否定というか。
すごいあったなぁと思うんですけど。
本当になんか何なんでしょうね。
スピーカー 2
でも本当話聞いてて思ったのは、ヤギリさん個人の場合でいくと、
その小学生の時の、なかなかうまくクラスとか集団に馴染めなかったっていうところ。
そこの悩みとかしんどさみたいなものとが中心にあってそういう決断をしたっていうところ。
そこがやっぱり難しいよなぁと思って。
スピーカー 1
なんかね、環境どうなんだろうなぁ。
親はその子に合った環境を用意してあげたいと思うのは何となくわかるんですけど。
でもなんかそれ、その子に合った環境っていうのと、バリエーションが少ないんですよね。
この荒れてる公立とかに行くか、すごい洗面思想のある中学受験というか、
勉強をできるやつがいいんやみたいな、それ以外はダメなんだよみたいな価値観のところに行くか、
二極化してるじゃないですか。
学校文化への反発
スピーカー 1
なんかそういうのはあると思うんですけど。
でもなんか本当にそういう考えが強いんですよ。
私自身は、私自身の親にそういう考えがめっちゃ強いかっていうと微妙で、
なんだろうな、いい職業につきなさいとか、お金稼げるようになりなさいとか、
なんかそういうのはあんま感じなかったし、私は母に勉強しろって言われたことは一切ないんですけど。
だけどいいところに行かせたいというか、その子に合うところに行かせたいみたいな気持ちで入れたものの、
その学校の文化に染め上げられてしまって。
スピーカー 2
今振り返ってみてどう思います?
一旦、私立の中学・高校でこういうことがあってっていうことを今実際感覚として持ってて、
今だからこそ感じる、公立の中学校のイメージもあるじゃないですか。
そういうのを振り返った時に、あの時最終的な決断としては、中学受験頑張ったっていうところになるけど、
それについてどう振り返る、どういうふうに理解納得をする、あるいはしようとしているんだろうと思って、
どう捉えているのかなっていう興味があるんですけど。
中学受験したことを。
もしかしたら、学校とか先生のフォローを受けながら、
その公立中学行くっていう選択肢もあったのかな、みたいなことを考えるのか、
それはないなぁって今でも思うのか。
スピーカー 1
でも公立に行ってたらってあんまり考えることはないですね。
確かに。
なんでなのかわかんないんですけど。
でもある意味、親の言う公立でたくましく生きていける子じゃない、みたいなのはある意味見立てとしての正しい側面はあると思うんですけど。
スピーカー 2
どうなんやろうね。でもそこってやっぱり親があんまり出しすぎちゃうと良くないところもあるじゃない。
親から直接言われるもそうだし、雰囲気感じるとその本人自身が自分はこうなんだって思った時に初めてそうなっちゃうっていうところが強いから。
スピーカー 1
母は私のことこういう子だ、こういうタイプ、人見知りする、わりと精神的に弱いみたいなのをすぐに定義付けするから、
私が感じる前に私ってそうなんやって思うことは昔から多いんですけど。
スピーカー 2
良くないよね、確かに。
スピーカー 1
でもどうだろうな。公立に行ってたら。でもその中から選ぶの嫌やなというか。
そもそも私学校嫌いなんですけど。
スピーカー 2
そういうこと。
学校嫌いだから。
それはクラスが嫌い?
スピーカー 1
クラスが嫌い。
スピーカー 2
大学だったら一応クラスはないじゃないですか。
一応公立の大学だったじゃないですか。そこも嫌だった。
大学は好きでした、すごい。
スピーカー 1
大学は好きだったんですけど、小中高という閉じられた感じの学校の文化。
スピーカー 2
クラスじゃないな。
スピーカー 1
クラスなのかな。
スピーカー 2
クラスだけじゃないんだ。
スピーカー 1
クラスっていうよりかこうしなければならないとか。
スピーカー 2
校則みたいなものをやったりとか、校則じゃなくても、
そういう生徒として守らないといけないものみたいな。
なるほどね。
スピーカー 1
私、何だろうな。こうするしかないなっていうのもあるじゃないですか。
例えばイベントだとしても、修学旅行のグループを決めるとかで絶対に揉めるじゃないですか。
スピーカー 2
それは修学旅行のグループを決めなければならないから揉めるわけであって。
スピーカー 1
それって必要?みたいなことが多すぎるんですよね。
スピーカー 2
なるほどね。
スピーカー 1
必要じゃないのに、何だろうな。そこではみ出物にされて人格否定されるとか。
何だろうな。組織としての。
学校がやってることで必要じゃないなって思うことはいっぱいあるんですけど。
スピーカー 2
学校の持続するためというか、学校が毎年それをやることになってるからっていう方法が嫌なんですよ。
それはわかるよ。
スピーカー 1
やりたくない。私はイベント嫌いな人間だったんですよ。小学生の頃から。
修学旅行の前になるともう行きたくないって言うし、文化祭とか運動会とかも嫌いで。
スピーカー 2
運動会とかは本当にもう嫌だ。やりたくないって言ってたけど。
何だろうな。学校のイベントの楽しみって言ってる子と全然分かり合えないなって。
自分もそれはそうだと思う。結構遠足系とかも好きじゃなかったし、運動会も高校でいうと盛り上がるほうの体育祭だったけど、
自分は体育祭の全然その他の人がグラウンドでめっちゃやり合ってる時に端っこで中学からの友達と別のクラスのやつで久しぶりに会って、日陰でどうでもいい話を無限に喋ってる時が一番記憶に思い起こされる。
そういうの私もそういうタイプでした。めっちゃ好き。
大事なのってそこなのよ。体育祭だけど全く体育祭じゃないスポット。
だからそれが自分はどこかでやっぱり行かないといけないので行くんだけど、そこでいろんなところでスポットを見つけられてたんだとは思う。
だからなんとか行けてたっていうのがあったと思ってて、逆にもし学校の側がそのスポットをなくすような仕組みというかやり方っていうのをイベントごとにやるようなそういう学校だったらそういう人が出てきても当然というかそうなっちゃうだろうなっていう風には思う。
スピーカー 1
確かに確かに。私も全然参加せずにそう思ってたんですけど。
でも高校とかは高校になってきたりすると確かにそういうのも許されるというか割と自由にできるようになってきたけど、小学校とか絶対ダメじゃないですか。
小学校のイベントごとに私結構嫌いでしたね。
集団でみんなについていかなきゃいけなくて、役割やることが強制されてみたいな。
学校教育の問題点
スピーカー 1
それは日頃の授業とかにも感じるから。でも授業、小学校の授業とか、私は小学校の時点で勉強は別に苦手じゃなかったからそこで嫌だなとか思うことはそんなになかったんですけど。
スピーカー 2
まあそうか。小学生の時どうやったかな。
でも自分ね、逆に、周りの小学生、例えば修学旅行、小学5、6年とかだったら、もっと自由にやらせてくれみたいないう子がいたような気がするんだけど、
自分なんか逆だった気がするな。
要はグループとか、周るグループとか自由に決めさせてくれみたいな人が、クラスの中の声の大きい人は言うじゃない。
自分はだからそれ一緒だと思うけど、嫌だった方のタイプだったと思うけど、両方あったような気持ちとしては、実際に自由にされるとめっちゃ困ったと思うな。
スピーカー 1
それはそうですね。なんだろうな。自由に決めるとか、それこそ赤替え自由とか、そういうのは困ります。
スピーカー 2
だってなんかついていけないとかうまくできない人がたまたま排除されたって。
スピーカー 1
これ結構深い話ですよね。何だろうな、配慮って何やねんみたいな。
スピーカー 2
その辺はね、小学生とかの当事者とか中学生とかだと気づかないんだけど、そこそこ大人になると大人も気を使ってそうやってやってくれたんやなっていうことがだんだん分かってくるんだよね。
スピーカー 1
そうなんですよね。ただ、なんだろうな。
なんか全部自由ってするのはおかしいんですけど、でもそもそもなんか、なんだろうな、そういう入れないついていけないみたいな感情を味わわなくてもいい仕組みにすることはできると思うんですよ。
し、学校ってすぐイベントで係り、役割でしがちだから。
なんかね、そもそもその感じが、学校っていうものそのものに対して私は嫌いなんですけど。
だからなんか、公立に行ってたほうがよかったか私立に行ってたほうがよかったかって言うとそれはちょっと、学校は最悪って思ってるからね。
自由な学びの必要性
スピーカー 1
だから学校に行ってる時点で何らかのこう、あの劣等感とか追いつけられるし、なんかそれは仕方ないから、なんかそんなに公立行ってたらよかったなとも思わないし。
まあ私立に、私の行ってた学校に行ってたからこそ苦しめられたことは多かったんですけど、まあでもそこから解放されて、あ、そっかって思うことも多かったし。
なんかそれはそれで、なんか、まあ何かのしんどさがあってそこから解放されてきたみたいなイメージを持ってるから、自分の人生の中で。
だからそれ自体がなんかすごく後悔してるとか悪かったかって言うと、なんか別にそこまでは思わないんですけど。
それはもちろんそうね。
スピーカー 2
なるほどね。
いやまあ、そうね、なんかあの、やっぱめちゃくちゃ話としてね、あの深いなとは思って。
あのね、多分その学校自体のそもそもの多分役割の一つみたいなところで言うと、やっぱりそのいかにその集団生活させるかみたいなことが多分あると思って。
で、それの一つに、まあもう本当に息をするように学校がやる仕組みとして、何かイベントを作って、そこに集団を作って、そこに役割を与えて、それをやってもらうっていうところに、
上手く乗っかってもらうように学校はやるんだと思うんだけど、なんかそこの一番最初のメッセージを、なんだろう、そこのコミュニケーションに失敗した感じがする。
失敗した感じというか、でもそれは失敗でいいと思うんだよな。
だからそこはやぎりん坂悪いとかいう話じゃなくて、少なくとも今別にできてるじゃないですか。
やるべきことがあって、それを集団作って、その中で役割を君はこれに、私はこれにでもってやるっていうことができてるじゃないですか。
スピーカー 1
楽しくはない。やりたくはないんですけど。やりたいことなら別かもしれないですけど。
スピーカー 2
でもそれって、だから一応学校のスタンス、教育のスタンスでいくと、それが要は義務教育、一般教育的な意味合い、国民みんなができないといけない最低ラインの中に含まれているもののような気がするんですよ。
ただ、そこの部分に今の話は根本的な問いを投げているような感じはしていて。
そもそもそれができないっていうか、それが得意なスタイルじゃないというか、それとは違うあり方を模索したいっていう一つの人、存在があるっていう部分の問いのような気はしていて。
スピーカー 1
そうなんですよね。
でも人と一緒に協力して何かをできなければいけないみたいなのって、そもそも社会で働くためじゃないですか。
別にそれができなくても、本人が生きやすければいいじゃないですか。
スピーカー 2
ただ一人で生きていくのは難しいですよ。
スピーカー 1
そうなんですよね。
スピーカー 2
そこは前提になっているし、そこの部分は教育側から見たときに前提になっている哲学みたいなものもあると思う。
そういう大義名分を背負ってやっている部分だと思っていて、そこに対する問いかけっていう意味ではめちゃくちゃいい問いかけだと思うよね。
多様な成長のあり方
スピーカー 2
教育っていうのはどこかで何かを単純化しないといけないから、全ての人間の微細な心を組み取って教育するのはやっぱりできないから、そういうふうになったときに大義名分が必要になるわけじゃないですか。
っていうものがもちろん大事な一方で、そこと対比したときに私はうまくいかなかったっていう感覚を持つ、今もうまくいかないと思っているっていう感覚を持っているっていう自分っていうものも当然大事なので、それは同じくらい大事だと思うんですよね。
その感覚でいろんなものを見てきた人っていうことだと思うし、自分の視点からするとそういう見方で考えるっていうのが大事なんだろうなと思ってすごく面白く聞きましたけどね。
もしかすると新しい教育の在り方を作り出すかもしれない人だと思いますよ。
スピーカー 1
わかんないんですけど、それが必要じゃないとは言えないけど、仕事もその領域とかの仕事だから、人と協力できるようになる、他者に思いやるみたいなのが必要だとされてるし、必要じゃないとは言わないですけど、
根本的に本人求めてないじゃないですか。本人他人に興味ないなって思うことは結構多いんですよ。人の話聞けるようになるとか、人と協力するとか、本人絶対に人と別に喋りたいと思ってないなみたいな。
スピーカー 2
そういうのを敏感に感じれる力がありそうだなということは今の話でも結構わかります。
スピーカー 1
いや、敏感に感じるっていうか明らかに興味ないんだよね。
スピーカー 2
誰が見ても。
スピーカー 1
人に興味あることって別に美徳なのかなって思うし、別になくてもよくないって思うし、人と協力できるようになってほしいっていうのであれば、他の人の意見ってこういうのもあるんやみたいな、他の人と喋るとか他の人の考えを知ることに面白さを感じてくれたらいいやみたいな気持ちはあるんですよね。
それがちょっとでもあればいいなとは思うんですけど、無理やりスキルとして身につけてもらうことに意味があるのかなとは思うんですけど。
スピーカー 2
それは間違いないね。それはあんまり大事なことじゃない気がするよね。
スピーカー 1
学校の在り方そのものみたいな話になっちゃいますけど、中学受験とかではないけど、どうなんだろうな。
でもそもそも学校の在り方に払いしそうなというのが私立中学校の考え方だと思うので。
スピーカー 2
でも今の話でいくと私立中学高校みたいなそういうところから教育の一般的なところの通りにたどり着いていくっていう感じで、すごくいい話やなと思ったし。
なんかやっぱりまた一つ別の角度からヤギリンさんの本質的な部分、悩みの本質的な部分、やっぱりアンビバレントな部分だと思うんだよね。
ジレンマ的なというか、人に興味はないけどとか、人に協力したいという気持ちがないようであるようでとか、人に興味があるようでないようでとか、そういうところが何か根源にあるんじゃないかなとか思いましたね。
スピーカー 1
うーん、人に、そうですね。
まあでも学校教育って、絶対何かを勝ちづけして何かを脅す方法になるじゃないですか、どうしても。
勉強できる人はいらない、勉強できない人はああ、みたいな。
し、運動できる人はとかあるとは思うんですけど。
うーん、まあね、それはもう、何かいろんなベクトルがあればいいなとは思うんですよね。
スピーカー 2
ああ、もうその通りだと思います。
スピーカー 1
私は何か運動会とか嫌いなんですけど、運動会なくなればいいのにみたいな、何かとか、あと解禁症とかも無理なんですよ、行けないから。
スピーカー 2
はいはいはい。
スピーカー 1
で、お父さんに運動会とか解禁症とかなんてあるの?みたいな話をするときに、お父さんが何かそんな、何か勉強はできんけど毎日来るだけが取り柄のやつもおるんやって。
スピーカー 2
それはいいお父さんかもしれない。
スピーカー 1
そう、だからその、そういうのを表彰するっていう機会をなくしたらあかんって言ってて。
スピーカー 2
はいはいはい。
スピーカー 1
確かにと思って、何か勉強はできんけど運動はめっちゃ好きなんやっていうやつもおるから、何かいろんな評価軸があったほうがいいんやみたいな話をしてて、それはそうやなって思ったんですけど。
うん。
納得はしました?
スピーカー 2
いや、おっしゃる通りだと思いますよ。
大学のゼミの先生が似たようなことを言ってて、だから結局いかに大人がわかりやすい、今表に全面に出てるような価値軸だけじゃなくて、それ以外にいろんな軸があるんだっていうことを教育の中で伝えられるかっていうことだと。
だからね、ヤキリンさんが一番になるような軸っていうものをやっぱり大人の中で用意できるような、そういう社会になっていければいいわけですよね。
スピーカー 1
もちろんそれはヤキリンさんだけじゃなくて、子供たちに対して。
なんか表彰されるとか、それは伝え方の問題なんですけど、これができる人がすごい、これができない人はダメっていうメッセージを発してるからいけないと。
それはそうですね、それはそうですよ。
それは私の思考の特性というか、結構表彰されてる人とか、私は毎日これない、結構休みがちなことを気にしてるのに、毎日これをやってましたみたいな言われると、私がダメって言われてる気持ちになるっていうのはあるから、それは必ずしも仕組みのせいではないけど、でもそういうメッセージは多かったなとは思います。
中高で。
中学受験と価値軸
スピーカー 2
そういうのが、やっぱり価値軸がたくさん増えてくると、要は増えすぎるぐらい、30、40ぐらいになっていくと、だんだんとマイナスのメッセージみたいなものがふんわりとしていくと思うんですよ。
極端な話、ランキングを仮に作るとしたら、階に入る項目が25個ぐらいあって、上に入る項目が何十個か10個ぐらいあってみたいな感じになってきて、ランキング階にいることが多分良くも悪くもどうでも良くなっていく感じになると思うんですよ。
それが少ないから、私は下から何番目とかがすごい気になっちゃうわけであって、そこでそういう価値軸がたくさんできてきて、要は全てに対して上の人たちにあなたはこれができるっていうだけのメッセージを伝えていくっていうことなんだろうなと思うし、
やっぱりそれでいくと、大学の時にやってた旅サポとかでのフィードバックの考え方、良いところを褒めて伸ばすというか、それでやっぱり良くない部分があった時に、やっぱり我々ってそれを言い方もあるけど、基本的にやっぱり指摘をするというよりかはね、見守ったりとか、本人がやっぱり気にしているところに関しては考えるけれども、
こっちからどんどん言っていくようなやり方をしなかったじゃないですか。やっぱりそういうものにつながっていくなと思いながら考えたり喋ったりしましたけどね。
スピーカー 1
なんかね確かに、旅サポは1対1までいかなくても、1人に対して見てる人がつくじゃないですか。それは学校にはないですよね。正直。クラス、そもそもクラスっていう、さっきもクラスっていう編成自体っていう話もあったんですけど、1人担任がいて30人いるとか無理じゃないですか。
統制していくっていう役割以外厳しい。細かく見ていくのは結構無理だと思うので。
スピーカー 2
まずそこを指摘する人がもっと増えないといけないよね。それで多分ある程度教育やってる人だったら、絶対行き当たるし当たり前っていう感覚あると思うし、自分も正直そうだよねって思いながら聞いてたけど、
そこのところの築きを持っている人が多分もうちょっと社会の中にまず増えた方がいいだろうなっていうところはまずあるかな。
スピーカー 1
なんかね、一見問題のない人はスルーされがちだけど。
スピーカー 2
結局でもその従来通りの教育の在り方っていうのはやっぱり自分は変わらず必要だとは思うのね。それが必要なのは変わらない上で、何ができるかっていうことだと思うんだよね。
それの一つの答えが旅先だったと思うんだよね。
要はまあその普通の学校教育がああいう風になっている中で、それとは別の場を作るっていう形で一つ投げかけたものがあるわけで、
それがやっぱり今後、今の学校教育の中に接注するような形で入り込んでいくのか、もしかしたら例えば普通の学校が今もあると思うけど、
フリースクールみたいな、今の普通の学校が合わなかった人たちに向けたものとかっていう形でできることがあるだろうし、
スピーカー 1
そういうものはやっぱり充実していってほしいし、目を向けていきたいところでもあると思うけどね。
スピーカー 2
確かに誰か見てくれる人がいるというか、評価じゃないけど見守ってくれる人がいる、言語化してくれる人がいる、そういう場があるっていう感じですよね。
大学でのサポーター、大学1回生が受講生であれば2回生3回生くらいのちょっと年上の人、斜めの関係って言ったけれども、
そういうような人をね、例えば小学校とかでつけるとかっていうのはなかなか難しいかもしれないよね。
スピーカー 1
難しいし、あんまりすごく重視されてないなっていう感じがあります。
私的には学校の中で自己肯定感が削られたりとか、生きづらくなっている人は多いとは思うんですけど、
あんまり人増えないし、あんまり重視されてない感じがするんですよね。
スピーカー 2
小学生とか中学生、高校生くらいの人たちの一人一人の気持ちみたいなものとかに寄り添っていくような存在っていうものがあまり重視されてないように感じるみたいな。
なるほどね。よし、一旦聞きましょう。もうすぐ録音してもらっていいですか?
スピーカー 1
はい。
スピーカー 2
なるほどね。