1. 空き地、トリップ、毎日小雨
  2. #40 何もしないことの価値が低..
2025-06-20 28:52

#40 何もしないことの価値が低すぎる。ほっとくこと、押し付けないこと、時間の余裕。(2025.4.18収録)

spotify

「人間は何かしないといけない」という前提があらゆる面でありますよね。

何でも可視化されることで価値ができるからこそ「なんかやってる感」のための行動も多くなる。

でもそれが教育や支援の場だと逆に悪手だったりするなぁ、とすごく思います。

そんな視点から、支援、パートナーや友人との関係性、しんどい時間の過ごし方などお互いいろんなことを話してみました。

一応、前回の続きですが単独でも聞けます。今回も対面回。

 

#あきさめpodcast

#余裕

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#パートナー

サマリー

このエピソードでは、何もしないことの重要性が論じられています。特に教育や人間関係において、自由や時間の余裕が価値ある学びにつながることが強調されています。また、親子関係や教育における信頼の在り方についても探求しています。さらに、子育て環境の改善や自由な時間を持つことの重要性について議論されています。

何もしないことの価値
スピーカー 1
はい、ちょっと自分の希望ですぐに回してもらってますけど、前回のポッドキャストを聞いてもらった上での話の続きなんですけど、
一言で言うと、今は教育とかでもなんでもそうだけど、何もしないことの価値が低く見積もらりすぎている。
スピーカー 2
何かをすると可視化されるじゃないですか。もっと言うと、何かをしましたよっていう記録を残さないと、それは成果じゃありませんってビジネスとかだったら言われたりするわけですよね。
スピーカー 1
人は何かをしなければならないっていう前提のもとに生きてるし、
その中で、特にさっきの教育とかの話でも、自由にさせて、その中で子どもたちがお互いにコミュニケーションを取る中で失敗も含めて、いろいろ学び取っていくっていう話があるんだけど、
そこでやっぱり大人がこんなに自由にさせていいのかって不安になってしまうっていうのはあるんだけど、
やっぱり一つに、それを見守るっていう仕事もあるのかもしれないけど、そういうことも含めて、何か自分が動いてない、直接的に何かしていないっていうのは、要はサボりなんじゃないかとか、そういう意識で多分あると思うんですよね。
スピーカー 2
わかりますよ。私も喧嘩とかに介入しない主義だし、行かないことが、見守る、見守ってるだけでいいと思ってるんですけど、仕事してるとか、今みたいにインターンに行ってるとかで、介入しないことが、すごい何もしてないように見られてるんじゃないかみたいな恐れが結構ありますね。
仕事中でも、それこそそういうふうに言ってくる人とかもいました。スタッフでは直接会ったことないですけど、親御さんとか喧嘩に入らなかったらスタッフは何してるんですかみたいな。
ああいう声の大きい喧嘩は周りで見ている人に不快なんですけど、みたいな。で、すごい怒られるみたいなのとか、何もしないこと、それこそ前の職場だったらカメラがあって親御さんがその事業の様子を見てたりとかするので、直接見られてなくても自分の動きが関係者に把握されてて、
スピーカー 1
それで何もしてない立ってるみたいなことが、何かしてる感がないとダメなんじゃないかっていう。まさに立て前じゃないですか。しっかり何かしてる感のために動いてるなって思うときはありました。
もちろんそういうのが大事な時もあるんだけど、結構ね、やっぱり特に教育っていう観点で言うと、何もしないことが最適解だったみたいなことは多分たくさんあって、それってやっぱ分かんないから何かやっちゃった結果と何もやらなかった時の結果をその同一時点から比較することは
パラレルワールドに行かない限り不可能なので、はっきりとは分からないんだけど、やっぱりそういう場に一つ大人として先輩とか上司としてその場に立った時に多くの人は何かやることを選ぶことが多いですと。そうすると結構やった気になりますと。実際にやってるわけだからね。
それはそれで大事なんですけど、何もしない方がいいことも結構あるっていう。
自己成長の過程
スピーカー 1
それはね、思うんですよね。自分はね、パートナーが何度か喋ってますけどいて、何だろう、乖離性障害だったりとか、脳痛になったりとか、それこそちょっと前にね、ポッドキャストにも出てもらいましたけど。
その頃にはね、もうだいぶ元気にはなってたんですけど、そのもっと前っていうと、もう本当に毎日毎日家の中みたいな、想像がつくような引きこもりの生活みたいな感じになってた時が全然あるんですけど。
やっぱりそういう時とかも、自分は何もしてないのが良くない。家のお金を使い潰してるみたいな感じで自分を責めちゃうみたいな、そういう精神状態になったりとかするわけですけど。
やっぱね、何もしないをしてるんですよね。結局。
スピーカー 2
そういう話ありましたね。
スピーカー 1
そうそうそうそう。多分何度か言ってるかもしれないし。もっと言うと、自分もそうなんですよ。
最初のうちはパートナーに対して、ああしたらこうしたらっていう要請会もそうだし、あれをしてあげたこれをしてあげたこれをしてあげるみたいなとかも今も含めていろいろやってるし、それはもちろん大事ですと。
なんだけど、やっぱり最初の時の熱量で相手に構っていくっていうのが3年くらいも経つと全然到底できなくなってきて、そういう時にやっぱり思ったのは、なんかやっぱりサボってていいんだなって思ったんですよね。
はっきり言っちゃうと。何もしないをするぞって別に意気込んでもいいんだけど、別に意気込まなくてもよくて。
スピーカー 2
いやそうですね。もっとナチュラルというか。
スピーカー 1
だから別に全然何もしてないをする時に自分だったらパートナーのことを思うとか、別になくても別にいいんじゃないかと自分は思っていて、全然別に自分は自分で遊んでるし、
それはやっぱり自分が一回いろいろこうしたらこうしたらっていう中で、パートナーの気持ちみたいなところをやっぱり過言じてしまう部分というか、
やっぱり自分がこっちの方がいいんじゃないみたいなのに引き寄せてしまうみたいなところがあったなっていうのが思ったことがあってから、
それはやめようと思って。だからやっぱり自分から見てすごいいろんな遠回りをしているように見えるわけだけど、
それ自体が彼女の一つの実感というか人生経験を積み直すっていう部分の過程なんだろうなって思って、
すごく言葉悪く言えばほっとくようにしています。そうすると楽です。
人間関係とほっとくこと
スピーカー 2
人を支援するときって楽しちゃダメって思う人が多分多いけど、自分多分違うと思うなっていう。
スピーカー 1
何もしてない。今思いついたのが2つあったんですけど、何もしてないことについてと、ほっとくということについて。
何もしてないは思う時はあるんですけど、思うんですけど。
スピーカー 2
それは思うよ、自分も。
本当にしんどいとき、動けないみたいなときは、何もしてないけど何かしてるなって思うときはあって、
スピーカー 1
部屋のものが動くじゃないですか、生きてると。そのときに生きてるわって思うときがあります。
同じベッドからの視界が今朝と今日の夜では視界のものがちょっと動いてるぞみたいな、そういうことを使ったといえば。
スピーカー 2
私が不在だと動かないじゃないですか。でもいると動くんですよ。それに対して、ものが動いてるわって思うときがあるんです。
スピーカー 1
それは面白いよね。
スピーカー 2
そのときに何もしてないけど、物を動かしてんやというか、でも不必要に物を動かしたりしないんですよ。
だから何か飲み物を飲むために物を動かしたりとか、何だろうちょっとここで書きたいから邪魔やなって思って落としたりとか。
何かしてるんですよ。だから何か物が動くってことは生きてるなってたまに思いますね。
スピーカー 1
それは結構それ思える人結構強いなと思う。だいぶ生きづらさを解消してくれる考え方やと思うけど。
スピーカー 2
いやでもほんまにしんどいときにそうなんですよね。何だろうな。何かいろんなフェーズがありますけど、
ほんまにしんどいときだし、何だろうな自分のコントロール外に行ったなみたいなときがあって、
もう何か自分何だろうな呼吸が浅くなるししんどいしみたいなときとかは本当に何かその中でもこの呼吸の浅さでしんどいけど歯磨いたわみたいな。
それこそ40度熱で出たら歯磨いただけでも偉いじゃないですか。
スピーカー 1
それはそう。間違いなく。
スピーカー 2
それと多分一緒なんですよね。
だから何か自分の力でどうにかなるんじゃないかみたいな思ってるときはそこまで思えないんですけど、
あまりにしんどくてこれは異常事態かもしれないって思ったときとかは歯磨いてるわとか物が動いたわって思うときはあります。
スピーカー 1
それでいうと我々みたいなタイプの人は自分が知らないうちに異常事態に陥っていて人から指摘されて気づくみたいなこととか。
何なら人に指摘されても納得いかない人とかがいるからね。
そういうところのアンテナを立てていくっていうことを自分も含めてやっていかないといけないんだろうなって思うときはあるけどね。
スピーカー 2
あとは何もしてないときでも毎日日記を書くようにしてるんですけど、
本当に私とか10月11月くらいから働いてないんですけど、
でも働いてないな何もしてないかと思っても2ヶ月前の日記とか見ると全然フィズちゃんですよね。
だから何だろうな時は流れてどっかに流れ着いていいんだろうなという感覚はちょっとあるんですけど。
スピーカー 1
大事だと思うな。
スピーカー 2
どうなんだろう。書いてるのも何もしてない解消なのかもしれないですけど。
でもそれで気が済むのならばいいかなという気もしてるんですけど。
スピーカー 1
いいですね。
じゃあもう一つのほっとくに関してはどうですか。
スピーカー 2
ほっとくは本当に思いますね。
結構相談を受けてる友達とか、
一人昔からの友達でめっちゃ個人的に心配してる子がいて、
たまにポッドキャストでも出したりするかもですけど、
スピーカー 1
恋愛のこととかでしんどくなったりとかで話し聞いたりとかいうときに、
スピーカー 2
それはもうちょっと人と喋ったほうがいいんじゃないかなとか思っちゃうんですよ。
本当に私と親とかしかこういう話できる人おらんとか、
普段ずっと仕事以外は家におるからみたいなとか聞いたりすると、
でももっと聞いてくれる人はいるし、今まで聞いたことがない人もいるし、
もっと人と話したほうがいいんじゃないかとか、
人と話さないなら人の意見というか、
本とか読んだりとか、他の視点を入れてもいいんじゃないかみたいな、
自分の中でぐるぐるしてるなみたいなのがわかったりするとつい思っちゃうんですけど、
それはこう、何だろうね、
例えば自分が、基本的に自分とタイプが似てるからそう思うんですけど、
自分が人と話すようになって楽になったりとかしたから、
同じ道を進めてしまうんだと思うんですけど、
それは自分の歩んできた道の押し付けでしかなくて、
どうなんだろうな、
スピーカー 1
自分の歩んできた道の押し付けでしかなくて、
スピーカー 2
どうなんだろうな、
私はそれが必要なときもあるんですけど、
でもそれを決めるのは本人なので、
あまり責任多いすぎないというか、
提案はするし話すけど、
それだけが私の知っている解決だけが解決ではないし、
多分1ヶ月経てばフェーズは変わっているから、
まだ話すかぐらいの放っておく感覚がいつもあって、
スピーカー 1
今の話にフォーカスしているのであれば、
いい意味でちょっと違うんだろうなと思っていて、
今のヤギリンさんの話って、
今付き合っている彼氏と続けるか別れるかみたいな話だったと仮にして、
ヤギリンさんが言っているのは、
付き合っておくべき、別れるべきを言っているわけじゃないですか。
付き合うか別れるかの悩みという問題そのものを、
もうちょっといろんな角度から考えられるようにしたらどう?
まったく周辺の周りの部分にある環境の部分のアドバイスじゃないですか。
それがめちゃくちゃ正しいと思いますけどね。
スピーカー 2
長い付き合いだから、同じような感じでずっと悩んでるなとかもわかるから、
だからそれを私がこうした方がいいんじゃないって解決したとして、
まあきっと同じことを繰り返して同じとは言わないですけど、
多分また悩みにはまるだろうと思うから、
抜本的解決じゃないけど、何か環境を変えたほうがいいんじゃないかって思っちゃうんですけど、
でも多分2年前に話を聞いた時と今話を聞いた時と多分彼女の環境も変わっているから、
それは私に見えない変化だし、私の思うベクトルの変化ではないけど、
でも変化してるわけじゃないですか、人間だから。
だからそれを聞いて、ある意味つながってる、見てるよっていうだけっていう感覚ですね。
スピーカー 1
つながってるよ、見てるよはめちゃくちゃ大事ですね。
だからそういう同じ深みにはまってしまってるなっていうところがあれば、
一旦そういう話をしてあげた後に半年、1年ぐらいほっといてあげるんでしょうね。
で、その後にもう一回話してあげるっていうと、やっぱりリアクションが変わるし、
そこであなた、例えば1年前とこういうところがこう変わったねっていう風に言えるようになると、
我々の言葉で言う一番理想的なサポーターの姿なんだろうね。
スピーカー 2
確かにね。変わっていくのを見てて、でも1年前こう言ってたよねみたいなことしか本当にできないと思ってて。
でもどうしても話してると、いや人と話した方がいいんじゃないかなとか、
押しつけまではいかないけど、自分としてはこういう風な変化があるんじゃないかなみたいな想定がどうしてもできてしまうけど、
そうじゃない彼女なりの形への信頼というかはすごい必要だなというか、
それがある意味ほっとくっていう形なんだなって思ってるんですよね。
スピーカー 1
だからこうなってほしいっていう、それこそ理想像みたいなのを持って、
教育というか人とのコミュニケーションというかをやろうとすると、やっぱりほっとけなくなっちゃうよね。
それは一つ大事なポイントだと思う。
そうですね。
スピーカー 2
分かりますね。こうなってほしい。
あんま関係ないかもですけど、例えば親が、
例えば今は子供やから分からんけど、大人になったら親のありがたみ分かるよとか言うじゃないですか。
それに対して親のありがたみが分かるようになるっていう成長が期待されてるというか、
親子関係の信頼
スピーカー 2
何だろうな、こっちになるやろう、それを信頼とは言わない気はしてるんですよ。
何だろうな、いずれこっちに来るだろうとか、いずれこう思うようになるだろうみたいなのって信頼じゃないと思ってて。
スピーカー 1
いろいろそれ以前の話な気がするけど、本気でそう思ってそれ言ってる人あんまりおらんと思うけどな。
割とさ、どうでもいいなって思ってるときに言うくない?言う言葉じゃない。大人になったら分かるよみたいな。
スピーカー 2
心配、例えば親が妹のことを心配してるとか、自由奔放にしてるとかでも、
自分を納得させるかのように、心配してるのをどうしてと思ってるやろうけど将来は分かるようになるわみたいな。
スピーカー 1
親から言われるってことね。
スピーカー 2
別にそれに限らずそういう態度。
スピーカー 1
どうしてこうなるわ、それも多分自分の心配とか自分の不快みたいなのを誤魔化すためのものだとは思うんですよ。
スピーカー 2
本人が自覚してるかの顔を見て。
いずれこうなるだろう、いずれ分かるだろうみたいなのが信頼みたいな風に使われることもあって、それがすごいうーんって思うんですよね。
スピーカー 1
それは違うと思うけどな。あんまり親が言うことではないな。
だってそういうのって親子関係で悩んだ人が全然関係ない友達とかに言ったときに言われる言葉じゃない、どっちかっていうと。
スピーカー 2
大分県のことで悩んだ人が。
スピーカー 1
悩んだりとかしたらこういうことで悩んでんだよねとか友達に言って、年上の人と相談したときにもうちょっと大人になったら分かるんじゃないとか言われるんだったらまだ分かる。
スピーカー 2
それ嫌じゃないですか。
スピーカー 1
それやったら誰に言われてもいいんじゃない。それ以外に言われるシチュエーションはある?
スピーカー 2
ありますよ。だっておばちゃんとかに相談したときに、親の気持ちも分かるようになるよとか言われたら、いやこっち側ちゃうんかいって思わないじゃないですか。
普通に嫌じゃないですか。
スピーカー 1
それは別に普通に嫌なのは普通に嫌なんだけど。
スピーカー 2
言われるシチュエーションとして。
スピーカー 1
シチュエーションとしてあんまり第一に親から直接言われるっていうことが多分想定されてない気がして。
それはね、結構普通じゃない気がするな。
そういう家庭も結構あるんやろうけどね。
スピーカー 2
だから信頼、人に対する信頼っていうのはそこの違和感が大きかったかもしれないです。
子育て環境の課題
スピーカー 2
何だろうな、いずれこうなるから大丈夫とか母が言ったりとか、心配。
何だろうな、自分の心配が大きくなりすぎると人を信頼できないんだなみたいなのとか、すごいそこで感じることが多かったですね。
スピーカー 1
普通に自分の方が世界を分かっているみたいな感じにせんといてくれよとは思うよな。
自分で似たような話を言うのであれば、自分が例えば、なんかめっちゃマイク叩いちゃった。
自分が例えば、夜更かしして体が冷えて風邪ひいちゃいましたとかなって時に、早寝とけって言うたやろみたいなさ、言うわけですよ。
そういうのとか、要は自分がうまくいかなかった時だけ言いたい放題じゃないですか、別に。
自分が早く寝たら何も言わないわけで。
そういうのとか、自分はすごい嫌でしたね。たぶん似てる話だと思う。
スピーカー 2
はいはいはい。確かにな。
スピーカー 1
そうなんですよね。それは理想で言うと、本当に理想ですよ。環境が許すかどうかとか置いておいて、本当は例えば早く寝ずに風邪をひいたりとかを繰り返して、早く寝えへんかったからやなって自分が気づくみたいなことを見守るっていうのがサポートじゃないですか。
スピーカー 2
でも、できない。
これは前にある人と話したことがあるんですけど、今の子育て環境にも問題があるよねみたいな話もしてて。
例えば二世帯とか大勢で育てたら手に余裕があるじゃないですか。
で、子供がまたお腹出して寝てるわと思って、風邪ひいたら知らんで見とくかっていうのができるじゃないですか。
でもそれが例えばワンオペとかで育てたりすると、実際に風邪をひいたら見るの自分じゃないですか。
自分の心に余裕がないとネタバレするんですよね。
お腹ひいたら風邪ひくからやめなっていうのが、子供を見守るっていうものを見守る、サポートするっていうのよりも自分の都合、心の余裕がどうしても出てきてしまうから。
それは待てないっていう今の風潮とそれは繋がってるよねみたいな話をしたことがあって、それは本当にそうだなってすごい思うんですよね。
スピーカー 1
結局やっぱり物理的な時間的な余裕をどういう風に取っていくのか作っていくのかっていうのは一つ大きなポイントだと思うね。
やっぱりそういうのを実際に子育てでも、こんなに時間いるって周りが言うぐらいに時間取ってやって、
それで、じゃあそちらのご家庭は時間があって羨ましいですねみたいなのじゃなくて、そこのライフハックというか、
そういうためにはどういうコミュニケーションをしたらそれに近づくのかとか、どういうやり方があるのかとか、
どういうところにお金をかけるとうまい感じで時間を確保できるようになるのかとか、
そういう研究があんまり進んでないんだろうっていうのは思うね。
時間の余裕の重要性
スピーカー 2
でもそもそも時間を豊かに取ることが価値だというか、価値な子供の気持ちによいとか、
そういうこと自体があまり言われていないから、だから進まないんでしょうね。
スピーカー 1
それは色んなものがエビデンス主義になっているからだ。
教育にエビデンス主義を持ち込むという、それは思うね。
スピーカー 2
本当に、インターンに行っている学校で読んだ本でも、
やっぱり子供たちが自分で創意工夫したりとか、自由にこれやりたいって思うようになるにはやっぱり時間の余裕が必要ですみたいなのを書いていて、
今本当に小学生って1時間目から6時間目まで授業を受けて、中も休職、休み時間も休職、みんな遊びみたいなのが決められていて、
部活とか時間が決まっていて、その後習い事塾とかで、自由な時間というのがないじゃないですか。
自分で考えて決める時間ってないからこそどんどん主体性を失っていくというかみたいなのが書いていて、
本当に自分でこうしようとか、時間があったらできることが全然できないとか詰め込むことが良いとされているような逆に思いますね。
それこそ何かしている感なんですよね。
部活やってる、塾行ってる、決められてることをやってる、何もしてない空白の時間っていうのにあんま価値が置かれてないみたいな話なんですよね。
スピーカー 1
そうだよね。それをね、いかに自分の中で作っていくかとか、自分の周りの人と一緒に作っていくかとかっていうのが自分自身の課題というか、
スピーカー 2
そういう意識はあったから、やっぱり今日のヤギンさんのその話を聞いて、めちゃくちゃそれが大事だなって改めて思ったけどね。
何かやってみたいけどね。どういうやり方がいいんだろう。5人ぐらい人が集まったとして、対立しそうな。
スピーカー 1
対立せんかったら意味ないやん。そのお題として。だからもうちょっとなんかちょっと哲学的によった問いなのかもしれないけど。
何かそういうのを、何か丸1日ぐらいかけて、時間無制限で、分かんないけど。
スピーカー 2
確かに。もう合宿レベルですよね。
スピーカー 1
そうそうそうそう。
スピーカー 2
確かに。めっちゃいいですね。
スピーカー 1
確かにな。
スピーカー 2
何か体感としてね。
スピーカー 1
そうそうそうそう。
それはそう、それが多分自分のやりたいことでもあるんだろうなと思いながら。
スピーカー 2
分かります。時間を決めずに。ひたすら納得のいくまで。
スピーカー 1
どうですか時間は。結構いいんじゃないですか。
スピーカー 2
28分。すごい時間間隔。
スピーカー 1
ざっくりですけど。
スピーカー 2
一旦切りますね。
スピーカー 1
はい。
28:52

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