1. 受験生ママに贈る、偏差値以外の学びの話。
  2. #46 “ちゃんとした私”でいよう..
#46 “ちゃんとした私”でいようとして、ずっと疲れていた話
2026-06-01 14:08

#46 “ちゃんとした私”でいようとして、ずっと疲れていた話

「ちゃんとした母親でいなきゃ」
「ちゃんとした社会人でいなきゃ」
「ちゃんとした人でいなきゃ」

そんなふうに思っていた時期がありました。

でも今振り返ると、
その”ちゃんと”って、
誰かに求められていたわけじゃなかったんですよね。

私が勝手に作った
「こうあるべき私」。

飲み会でも、
子育てでも、
仕事でも。

気づけばずっと、
その理想像に合格しようとしていました。

でも、ある時ふと思ったんです。

「それ、本当に誰かの期待なのかな?」

もしかしたら、
私たちは誰かの期待に応えているようで、

実は自分の頭の中にいる
“厳しい審査員”に応え続けているだけなのかもしれません。

今回の配信では、
✔︎ 飲み会の帰り道に一人反省会していた話
✔︎ 「公園行きたい!」に100%応えようとして疲弊していた話
✔︎ コーチングを学んで気づいた「ちゃんとしなきゃ」の正体
についてお話ししています。

あなたは最近、
“ちゃんとしなきゃ”
を握りしめていた瞬間、ありましたか?
よかったらコメントやレターで教えてください🌿

・・・・・・・・・・
coharu | こはる
📚教育リサーチャー&ボンディングコーチ
🌿TCS(トラストコーチング)認定コーチ/MCS(マザーズコーチング)認定ティーチャー
🗣️stand fm『受験生ママに贈る。偏差値以外の学びの話。』配信中

理想の高さゆえ、
自分を責めてしまう「支える側」の人へ。
『ちゃんとしたい』を大事にしつつ、
お互いが安心できるコミュニケーションを一緒に考え、シェアしていけたら嬉しいです✨

◎ ぜひ、フォローして更新をお待ちください🌱

https://lit.link/coharu_nakaji18




#子育て
#受験生ママ
#コーチング
#自己対話
#自己理解
#人間関係
#子育ての悩み
#受験
#スタエフ
#音声配信
#自分らしく生きる
#頑張りすぎるママ
#頑張る人の頑張り方を整える
---
stand.fmでは、この放送にいいね・コメント・レター送信ができます。
https://stand.fm/channels/691b98954e2735f3fe5a42df

感想

まだ感想はありません。最初の1件を書きましょう!

サマリー

このエピソードでは、話し手が「ちゃんとしなければ」という思い込みから、飲み会や子育てで疲弊していた経験を語ります。誰かの期待に応えようとしているようで、実は自分で作った理想像に縛られていたことに気づき、コーチングを学ぶ中でその呪縛から解放されていく過程が描かれています。子供とのコミュニケーションの変化や、自分自身への優しさを持つことの大切さが語られています。

自己紹介と「ちゃんとしなきゃ」の始まり
おはようございます、coharuです。今日も聞きに来てくださってありがとうございます。 今日から6月ですね。
6月のはずスタートで、しかも月曜日で、なんかね、 よし頑張ろうって気合が入っている方もいらっしゃると思うんですけども、ついつい頑張りすぎちゃう方に、ぜひ今日は聞いていただけたらなと思います。
この番組は、受験の現場で指導経験を持つボンディングコーチ、coharuが、受験生ママに向けてお届けするチャンネルです。
原職である教育リサーチとコーチングの視点から、学歴や偏差値以外の子供の本当の育て方をお話ししています。
今日はですね、私自身の話をさせていただければなと思います。
実は私、昔からずっと人の目が気になるタイプでした。
特に飲み会とか、おふかいとか、ああいう人が集まる場所って、実はすごく苦手だったんですよね。
苦手だったっていうことなので、今はね、わりと楽しめるようになったんです。
それこそ、今ではオンラインコミュニティとか、わりと普通に参加できるようになったんですけど、
それもね、私なんて遠い世界ってすごい思ってたんですよね。
2、3年前の自分からしたら、本当に信じられない状況です。
飲み会での「ちゃんとしなきゃ」の苦しみ
でね、まずね、飲み会がなんでしんどかったかっていうと、
そもそも私、たぶんアルコール、アレルギー、アレルギーとまでは行かないですけども、本当にアルコールが弱いんですね。
だからね、なんかそれもあったとは思うんですけど、行く前からしんどいんですよ。
じゃあ行かなければいいじゃんって思うかもしれないんですけど、
行きたくないなって思っても断る勇気もなくて、結局行くって感じなんです。
で、どんなところがしんどかったかっていうと、ちゃんと話せるかなとか、ちゃんと気を使えるかなとか、変なこと言っちゃわないかなとか、
そんなふうにして妄想して胸がざわざわってしていたんですよね。
だからもう行く数日前から、その日のことを想像して疲れるみたいな感じでした。
で、行ったら行ったで、周りは楽しそうに話をしているのに、自分だけちょっと浮いてる感じがしちゃうんですよね。
あ、私ちゃんと話題に入れてるかなとか、あ、あの人なんか一人になってるなとか、
あ、ちょっとそろそろお酒なくなってるなとか、なんかね、今ここで何言えば正解なんだろうとか、ずっと頭の中が忙しかったんです。
笑ってるけど、なんか内側は全然楽しめてないというか、この、何て言うのかな、状況を見ては、状況を外から見てるような感じでしたね。
でね、帰り道はもうすでにやることはだいたい決まっていて、あの一人反省会になっているんですよ。
あの時、あの言い方はまずかったかなとか、あの変な人って思われてなかったかなとか、
もうちょっとなんか気の利いたことも言えただろうし、気の利いたこともできたよなとか、
うーん、そんなことをね、ずっとぐるぐるぐるぐる考えていたんですよ。
だから家に帰ると、ほんとにどっと疲れたっていう感じです。
うーん、でもね、今になって思うと、めっちゃ自意識過剰だったんじゃなかろうかと思っていますし、
なんてもったいない時間の使い方をしていたのかな、そんなふうにも思っています。
すごく不思議なんですけども、楽しいはずの場所でずっと自分をこうセルフチェックしているような感じだったんですよね。
どうでしょう?なんか身に覚えのある方っていらっしゃいますか?
もし、私もそういうことあるよっていう人がいたら、ぜひコメントなどで教えてください。
子育てにおける「ちゃんとしなきゃ」の疲弊
そしてこれ、子育てでもね、まったく同じことをしていました。
例えば、子供に公園行きたいって言われたとき、その瞬間にまず出てくるのが、
行かなきゃダメだよねとか、行くべきだよねとか、そんな感覚になっていました。
だけど、本当はというか、正直なことを言うと、疲れてる、行きたくない、休みたい、
そんな気持ちもいっぱいあるのに、母親としてとか、平日は仕事で相手をしてあげられないかなとか、
そんな思いが結構先立って、ちゃんとしたい母親でいたいから答えようとする、そんなところがありました。
でね、想像してもらえたらわかると思うんですけど、帰ってきた頃にはもうヘトヘトなんですよ。
エネルギー使い切ってるんですよ。
で、帰り道なんかには子供が眠くなって疲れてグズグズし始めて、私もイライラし始めると。
で、家に帰ると夫はのんびりテレビを見て、ちょっとぐらいご飯の支度してくれてもいいのにみたいな、そんな感じで、
ああ、今日もちゃんとできなかったなとか、もうちょっと優しくできたのにな、みたいな自己嫌悪に陥ってました。
で、この時の私の中って、ずっと苦しいとか疲れたとか思ってるのに、それすらを感じる余裕もなかったのかもしれないですね。
ただただ、ちゃんとした私でいなきゃって、そんな思いから動いてたんじゃないかなって思います。
「ちゃんとしなきゃ」は誰かの期待?
でも、2、3年ぐらい前から、これって別に誰かに言われたわけでもないし、
誰かにあなたにこうしてほしいって言われた、何だろうな、期待をかけられてたわけでもないんですよね。
しっかりした母親でいなさいとか、飲み会の席でちゃんとしろとか、面白いことを言えとか、場を盛り上げろとか、そんなことは一言も言われてなかった。
なのに、私はずっと、ちゃんとしたい私、いい人で見られたい私を、勝手に自分で作って、その中に自分を閉じ込めていたなって思いました。
ただ、私が相手の期待に答えたんじゃなくて、自分の頭の中にある、こうあるべき私にずっと合格をもらおうと頑張っていたのかな、そんなふうに今は感じています。
コーチングとの出会いと「ちゃんとした私」の再定義
コーチングを学んだときに、私は今、コーチングをちょうど3年ぐらいなるんですけど、学び始めて3年ぐらいになって、そのときに感じたのが、ちゃんとした私って、そもそもだめなものじゃない。
むしろ、ちゃんとした私であることで、生き残ってこれたわけですよ。
たとえば、私でいえば、4人兄弟の長女。
だからっていうのかな、どうしても自分の中で、私がちゃんとしなきゃとか、ちゃんと場をしきらなきゃとか、
学校でも生徒会やってたりとか、部活の部長やったりとか、わりとそういった役回りも多くて、ずっとずっと自分がなんとかしなきゃ、みたいなものを握りしめてきた。
ある意味、必要なものだったんですよね。
ある意味、必要なものだったんだけど、それを握りしめすぎると、やっぱり苦しくなっちゃう。
がんばろう、がんばろうってやりすぎたら、やっぱりかたくなっていっちゃうんですよね。
で、コーチング学び始めて、ちょっとずつ思考がやわらかくなっていって、
「ちゃんとしなきゃ」を手放した変化
たとえば、最近は子どもに、こう言えるようになりました。
ちょうどね、昨日、日曜日の夕方だったんですけど、娘が、「公園に行きたい。」って言い始めて、
でも私は、ちょっと一休みしてから、行きたいな、ちょっとしんどいなって思ってたので、
まあ、お母さんね、ちょっと30分だけ休みたいから、
ちょっとコーヒー飲んでから、そのあとに行こうか、とか、わりとね、自然に言えましたし、
今だったら、今日はちょっとおうちでゆっくりして、明日はいっぱいお外で遊ぼうか、とか、
そんなふうに、子どもに要求されたらすぐに答えようとか、
そういうふうじゃなくなってきたなって思います。
昔の私からしたら、ほんとに考えられないこと。
でも、やってみたら、意外と不思議というか、子どももちゃんと待てるし、
もうすぐね、3歳の娘だって、「了解です。」とか言って、
了解ですって、どこで覚えたんだって思うんですけど、とか言って、ちゃんと待っててくれるんですよ。
そのあとの公演も一緒に楽しめる。
こっちも休憩したことで、余裕があるから、ちゃんと笑える。
こういうのって大事だなって思います。
私が必死に守ってきた、ちゃんとした母親像って、実はそこまで必要なものじゃなかったんだなっていうことに、
今だからこそ気づけているのかなって思います。
「ちゃんとしなきゃ」を手放すためのヒント
これは子育てだけじゃなくって、人間関係全部にあるんじゃないかなと思っています。
ちゃんとしなきゃ、いい人でいなきゃ、期待に応えなきゃ。
でも、その期待って、よく考えたら、ほとんど自分で作ってるものだったりします。
だから、もし今、ちょうど月の始めで、ちゃんとしなきゃとか、人の目が気になって、しんどいなとか、
うまくやらなきゃって、がんばりすぎてるなとか、そんなふうに感じている方がいたら、それはだめなんじゃなくって、
これまでとか、今までやっていく中で、必要なことだったんだよね。
だけど、ちょっと自分に矢印が向きすぎてる、力が入りすぎているだけなのかもしれないですよね。
ということで、今日は、私がちゃんとしなきゃって、がんばりすぎてたんだけども、
実際は、誰かに言われたわけではなくて、自分で理想を作り上げて、その方に押し込めようとして苦しくなってしまった。
そんなお話をさせていただきました。
みなさんは最近、ちゃんとしなきゃを握りしめていた瞬間って何かありますか?
それって本当に誰かの期待でしたか?
それとも自分の中で作った、こうあるべきでしたか?
もし何か思い当たるものがありましたら、ぜひコメントやレターで教えてください。
6月も素敵な1ヶ月となりますように、今日も最後まで聞いてくださってありがとうございました。
こはるでした。またね。
14:08

コメント

スクロール