ちゃんとした大人になれなかった
2026-06-02 18:44

ちゃんとした大人になれなかった

ちゃんとしてない。でも、ちゃんと生きてる。


第6回は、「ちゃんとした大人になれなかった」をテーマに話しました。

30歳になったら、もっと大人になっていると思っていました。
貯金があって、部屋が片付いていて、感情が安定していて。
親に心配をかけず、誰かに優しくできて、自分の人生をちゃんと責任持って楽しんでいる。


でも現実は、思っていたよりもずっと未完成でした。

親に頼らなければいけない時。
生活がうまく回らない時。
昔思い描いていた自分と、今の自分が違いすぎる時。

私たちはすぐに、自分の中で裁判を始めてしまうのかもしれません。


でも、ちゃんとしてないことと、
ちゃんと生きていないことは、たぶん違う。


今回は、「思っていた人生にはならなかった。でも、それでも人生は続く」という第2章のはじまりとして、
“ちゃんとした大人”になれなかった自分を、罰するのではなく、どう立て直していくのかについて話しています。


・“ちゃんとした大人”とは、そもそも誰のための理想だったのか
・親に頼ることが、なぜこんなにも情けなく感じてしまうのか
・頼ることと、大人失格は本当に同じなのか
・思っていた自分に、手を合わせるということ
・「ちゃんとしてない」で、自分全部を裁いてしまう苦しさ
・反省と処罰は違うという話
・ちゃんとしてない。でも、ちゃんと生きてる、ということ
・次回「人生、いつから取り返そうとしてたんだろう」への入口


この番組では、恋愛・家族・将来にまつわる、まだ答えの出ていない本音を募集しています。

まとまってなくて大丈夫。
結論がなくても大丈夫。

愚痴でも、相談でも、ぼやきでも大丈夫です。
未定のままで、結構です。


冒頭フック|30歳って、もっと大人だと思っていました
オープニング|第2章「それでも人生は続く」のはじまり
“ちゃんとした大人”という幽霊
“頼る”が“失敗”に変わる瞬間
思っていた自分に、手を合わせる
“ちゃんとしてない”で、自分全部を裁いていないか
ちゃんとしてない。でも、ちゃんと生きてる
未定区民(リスナー)の皆様への問いかけ
エンディング|次回「人生、いつから取り返そうとしてたんだろう」


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サマリー

このエピソードでは、「ちゃんとした大人になれなかった」というテーマについて語られています。多くの人が30歳になったらもっと成熟していると期待しますが、現実は未完成な部分が多く、自分を責めてしまいがちです。しかし、ちゃんとしていないことと、ちゃんと生きていないことは違うと述べ、親に頼ることや弱みを見せることを「大人失格」と捉えるのではなく、自分自身を罰するのではなく、どう立て直していくかについて考察しています。理想の自分に手を合わせ、現状の自分を認めつつ、前に進むことの大切さを伝えています。

「ちゃんとした大人」という幻想
30歳って、もっと大人やと思ってました。 30歳って、もっと大人やと思ってました。
貯金があって、部屋も片付いてて、感情が安定していて、親に心配をかけたりもせず、 楽させてあげられて、健康診断の結果もちゃんと見ていて、
先進もためたりすることなく、税金関係の封筒を見て、見なかったことにしない。 そんな人間に慣れていると思っていました。
でも、現実はどうでしょうか。 部屋には、いつ畳まれるのかわからへんような洗濯物。
冷蔵庫には賞味期限という制度に反旗を翻している納豆。 スマホには返したほうがいいLINEと返す体力のない僕。
そして、僕は未定で結構なんて番組をやっています。 ちゃんとしていないことを、ついに番組名にしてしまいました。
行政に退出したら、たぶん差し戻されることでしょう。 でも、最近思うんです。
ちゃんとした大人になれなかった。 確かにそうかもしれない。
でも、僕たちはいつまで、慣れなかった自分の前で自分を責め続けるんでしょうか。
今日は、ちゃんとした大人になれなかった。 という話をしてみたいと思います。
ハオー!あなただけのゲイ友、豆腐邸ウルフです。 この番組未定で結構は、恋愛、家族、孤独、将来のこと。
生きていく中で、まだ答えの出ていないことや、名前のないモヤモヤを少しずつ言葉にしていくポッドキャストです。
うまくまとまってなくて大丈夫。 結論が出てなくても大丈夫。 未定のままで結構です。
1話から5話までは、実は同じ共通テーマで話していて、 それは思っていた人生から外れてしまった時、僕らは何を頼りに生きていけばいいのか。
そんな大テーマの中でお話を進めてきました。 しかし、今回第6話から少しこの大テーマを変えます。
それは、思っていた人生にはならなかった。 でも、それでも人生は続いていく。
その第一歩として、今日はちゃんとした大人になれなかった。 という話をします。
僕が思い描いていたちゃんとした大人って、実はかなりわかりやすいものでした。 例えば、貯金ができる。
親に仕送りができて、親に楽をさせてあげられる。 親に余計な心配をかけていない。 自分の感情や情緒が安定している。
人のことを気にかけてあげられる余裕がある。 部屋が整理整頓されている。 そしてパートナーがいてもいなくても、自分の人生を責任持って自分自身で楽しんでいる。
そんな人ですね。 なんかいますよね。朝ちゃんと起きて水を飲んで寒夜植物に話しかけて
最近は茶色をよく飲みますねとかいう人。 すごいよね。こっちはさあ左右どころかさあお湯を沸かす前にスマホ見始めて気づいたら30分経ってるんです。
でもこういうちゃんとした大人ってただの生活能力の話ではないと思うんですね。
親を安心させたい。誰かに迷惑をかけたくない。心配されたくない。 昔の自分にちゃんと今幸せに生きてるよって言ってあげたい。
つまり僕にとってのちゃんとした大人っていうのは自分の人生を楽しむ人であると同時に周りの人たちに心配させない人だったんですよ。
「頼る」ことへの罪悪感
これね結構しんどいんです。 だって心配をかけてしまった瞬間に僕は僕自身のことを大人失格というふうに反抗をさざるを得ないから。
でもほんまに誰にも心配をかけへんことがちゃんとした大人なんでしょうか。 人に頼らず弱みを見せず迷惑をかけずいつもピシッと整ってる。
それってもう大人というよりもはや家電みたいな感じですよね。 静音設計、省エネ、長寿命、メンテナンス不要。
人間ってそこまで高性能にはできてないはずなんです。 しかも僕なんかは割とすぐ熱を持つタイプで熱くなりすぎる。排熱がとても下手。
そんな僕が一番ちゃんとした大人になれていないというふうに感じるのは、 親の力を借りなければどうにもならないと感じたときですね。
一人ではもうどうすることもできへんくて、親に本当のことを打ち明けて心配をかけてしまうとき、そんなとき親は
親なんだから頼りなさいというふうに言ってくれる。それは本当にありがたいことなんです。 でもありがたいからこそ僕は苦しいんです。
親が僕のことを責めてくれたらまだ反発できるんですよ。 うるさいなって思えるんですよ。こっちも頑張ってんねんって言えるんです。
でも親はそんなことしないんですよ。 あんたが頑張ってるの知ってるからって言ってくれるんですよ。そうなるとね僕は逃げ場がないんですよ。
頼りなさい。大丈夫だからって優しく言ってくれるほど僕の中ではまた親のこと頼っちゃったっていう判決が出るんです。
心の中の裁判長がすぐ傷地を叩くんです。 被告人トウフーテウルフ。大人なのに親に頼った罪。主文情けない。
いや待って待って待って待って待って。弁護人を呼ばせてせめて上場借りをください。
でもねこれってね僕の場合はたまたま親の話になりますけど、親に限らない話だと思うんですよ。
例えば友達に弱音を吐いた時。恋人に対して不安を見せた時。仕事で誰かが助けてくれた時。
お金や生活がうまく回らなくなった時。ほんまは助けが必要やっただけやのにすぐに僕らはあ、自分はもうダメなやつだって返還してしまう。
でもね頼ることと人生を放棄することは違うと思うんです。
助けを借りることと大人失格っていうのは違うと思うんです。
助けを求めることっていうのは壊れた証拠ではなくて、まだ自身が壊れきらないための最後の一歩なのかもしれないです。
過去の自分との和解
もしかしたら僕らはどこかで一度思っていた自分に手を合わせる必要があるのかもしれません。
昔僕が思い描いていた30歳になった自分。もっと安定しているはずやった自分。
親に心配をかけないはずやった自分。誰かと穏やかに暮らしているはずやった自分。
そして何者かに慣れているはずやった自分。そんな昔自分が思い描いていた自分が心の中にまだおる。
しかもそんな自分が理想の自分が結構元気に今の僕に文句を言ってくる。
え、まだ安定してないの?
え、また迷ってんの?
まだ親に心配かけてんの?
うるさい!
でもその声って元々は敵ではなかったはずなんです。
昔の自分が未来にこういう自分になっていたいっていう希望を持っていた証やと思うんです。
こうなりたい。こんな風に生きたい。こうなれたら安心できる。
その願いがあったから今のそうなりきれてない現実の自分を見てとっても苦しくなる。
だから理想を全部捨てなくてもいい。
ただその理想の自分に今の自分を毎日ボコボコに殴らせる必要はない。
思っていた自分にはなれなかった。
それはね、ほんまに悲しい。ほんまに悔しい。めっちゃ情けない。
でもその自分にずっと謝り続ける人生もかなりしんどい。
だからね、一度手を合わせてみてもいいのかもしれません。
思い描いていた理想の自分へ。そんな風になれなくてごめん。
でもこっちはこっちで一生懸命必死にやってます。
お葬式というには少し大げさかもしれません。
でもそんな理想の自分と決別する区切りは必要なのかもしれません。
なれなかった自分をなかったことにはしない。
でも今の自分だけをあるものにもしない。
「ちゃんとしてない」と「ちゃんと生きていない」の違い
僕はちゃんとできていない部分っていうのが死ぬほど大量にあります。
部屋は片付けた方がいいし、お金回りもちゃんとした方がいい。
これは間違いない。生活も安定させたい。
親に頼らず生きる方法も探したい。
そこは全部ごまかしたくない。
ちゃんとしてなくても人生最高!なんて言えない。
だってそれはそれで雑やと僕は思うから。
でも直した方がいいことと
それができてないからっていう風に自罰をしなきゃいけないことっていうのは絶対に違うんです。
部屋が散らかっている。それは間違いなく片付けた方がいい。
でも片付いてないからといって僕の人格が終わっているという証拠にはならない。
お金に余裕がない。それは改善した方がいい。
でも大して大きなお金を稼げないから
僕自身の命や生きている価値が低いという意味にはならない。
LINEの返信が遅い。生活が乱れている。貯金が少ない。
こういう時に泣いてしまう。親に頼ってしまう。
それはね、僕やあなたが全部ダメっていう証拠ではない。
反省と処罰は違うんですよ。
反省は次にどうしていくかっていうのを考えること。未来を見てるんです。
でも処罰は今の自分を痛めつけることにしかしないんですよ。
ダメな奴だって痛めつけることしかしてないんですよ。
反省と処罰は絶対的に違うんです。
でもね、僕らはいつの間にか反省会のつもりで公開処刑を始めていることがあるんです。
しかも観客は自分だけ。その公開処刑のチケットは完売。
なんと自分の中だけで。
嫌すぎる。そんなイベントなんて開催しなくていい。
「ちゃんと生きている」ということ
ちゃんとしてないと感じた時、必要なのは自分を痛めつけること、殴ることではなくて、
何が崩れているのか、原因を見つけることなのかもしれません。
お金なのか、生活なのか、人間関係なのか、親への罪悪感なのか、
昔の自分への申し訳なさなのか、
ちゃんとしてないっていう一言で全部まとめると、
自分そのものがダメなふうに見えてくる。
でも、ほんまは崩れているのは自分という存在そのもの全部じゃなくて、
もしかしたら生活の一部かもしれへん。
疲れているのは僕の心全部ではなくて、
今日一日の一部分だけかもしれへん。
そこを分けて考えること。
それが罰ではなく立て直しに近いんじゃないかなという気がします。
僕は誰かが褒めてくれるような立派な大人ではないと思っています。
それはね、僕自身が胸を張って、
僕はちゃんとした大人になりましたって誰にもまだ言えないと思ってるからですね。
親に心配はかけまくりやし、情緒が不安定になっている日もあるし、
部屋だって常に整って片付いてるわけじゃないし、
人生なんて崩壊しまくり、全くもって予定どおりじゃない。
でも全部から逃げずに戦ってる。
毎日ご飯をちゃんと食べる。
ちゃんと睡眠時間を確保する。
しんどいなと思う日だって働いてる。
こうやって時々ポッドキャストで愚痴ったりもする。
すごく落ち込む日だってある。
そんな風にしながらまた起き上がる。
それは生きているということです。
それはちゃんと生きていると言ってもいいんじゃないでしょうか。
ここで言うちゃんとは、世間が褒めてくれるようなちゃんとの形ではありません。
しんどい日にも自分を雑に扱わない。
完全には投げ出さないこと。
悔しいって思いながら、まだどうにかしたいって抗ってること。
親に頼ってしまった自分を責めながらも、
それでもいつかちゃんと自分の足だけで立ちたいと思っていること。
そういうのだってちゃんと生きてる一部なんじゃないかっていう風に僕は思うんです。
ちゃんとなんてしてない。
でもちゃんとは生きてる。
この言葉は開き直りじゃありません。
免罪符でもありません。
むしろもう一度立て直すための必要な足場なんで。
ちゃんとしてないから終わり。
ではなくて、ちゃんとしてない部分を抱えたまま、
それでも今日を続けている。
その事実を少しくらい認めてあげてもいいんじゃないでしょうか。
リスナーへの問いかけと次回の予告
ここでね、ようやく思うんです。
もしかすると、ちゃんとした大人になることよりも、
ちゃんとしてない自分をそのまま受け入れて、
見捨てずにもう一度立ち上がろうと立て直していくことの方が、
何倍も何倍もずっと大人なんかもしれへん。
ここまで聞いてくださっている未定区民のあなたにも聞いてみたいです。
あなたはどんな時に、
ちゃんとした大人になれなかった、なれていないと感じますか。
その時、もしかしたら自分のことを責めすぎていませんか。
それは、ほんまに責められなければいけないほど、
あるいは罰する必要があるほど、ちゃんとしてないことなんでしょうか。
あるいはもしかすると、ちゃんとしてないように見えて、
実はあなたが今を必死に生きている証拠になったりすることはないですか。
もしよかったら、あなたのちゃんとしてなさの話も聞かせてください。
きれいにまとまってなくて大丈夫です。
これは感想なのか、愚痴なのか、それともただのため息なのか、
わからなくてももちろん大丈夫です。
だって、この番組は見ていで結構なので。
というわけで、今回はちゃんとした大人になれなかったという話をしてみました。
僕はですね、昔思い描いていたような大人には全くもってなれなかったですね。
もっとちゃんとしてると思ってた。
でも、だからといって、僕のように今の自分を罰する必要はないと思ったんです。
ちゃんとしてないところなんてもうたくさんある。
直したのあかん、直したいと思ってるところめちゃくちゃある。
変わりたい、こんな風になりたいっていう理想もまだまだある。
でも、ちゃんとしてないこととちゃんと生きていないことは絶対的に違う。
逃げずに戦ってる毎日。
ご飯を食べて、寝て、働いて、愚痴って、それでもまた次の日の朝を迎えている。
それは、ちゃんと生きていると言っていいこと。
それはね、未定で結構やけど、間違いないと思う。
わかんないけど。
違うっていう人がいたらごめん。わからんけど。
でも僕はそう思うな。
ちゃんと生きてるってそういうことじゃないっていう風に思うな。
そして、次回なんですけれども、
次回は、人生いつから取り返そうとしてたんやろうというテーマでお話をしてみたいと思います。
周りのみんなより何か遅れてる気がする。
周りのみんなより何かが足りてないような気がする。
今からでも何とか取り返さなきゃと思ってまた自分を追い立ててしまう。
でも人生ってほんまに取り返すものなんでしょうか。
奪われるだけのものなんでしょうか。
そんな話を次回はしてみたいと思います。
ここまで聞いてくださってありがとうございました。
じゃあまた次回。今回のお相手は、あなただけのゲイ友、豆腐でウルフでした。
さいちーん。
18:44

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