自己肯定感の考察
今日は何題?
中川さん、前の前の回で、ワイヤレスイヤホンの話をした回で、最後に私は自己肯定感が低いっていうお話されてたじゃないですか。
した。
まあでも、子供二人育てながら働いてて、それだけで十分すごいなとは思うんですけど。
なるほど。ありがとう。なかなか言われることもないよね。
そうですね。
普通に嬉しい。
ラジオの人のラジオ。
営業のババです。
制作の中川です。
そうじゃないですか。
いやー、なんだろう。今私、ネットフリックスで、時間があるときに見てるドラマで、十何年前のドラマで、ウーマンっていう、三島ひかりさんが主役の。
ドラマ全然わかんないんですけど。
私も全然見てなかったんだけど、ちょっとタイトルに惹かれて、ウーマンっていうので、まだ全部見てないんだけど。
それで、母親は母親になった瞬間に、自分の時間とか絶対持っちゃいけない、持てないっていう前提ですよねっていうセリフみたいなのがあって。
ああ、私それで生きてるかも。
だから、自己その、今ね、それだけですごいですよって言ってもらったけど、それに全く気づいてないというか。
そう言われても、えー、本当に?っていう。
ありがとうっていう。普通に素直に受け入れます。
そうですね。
でも、元から古い友人に聞いてもそう言うと思うっていうことだったんで、学生時代とかからそういう認識?
とにかく、どちらかと言ったら、ポジティブかネガティブかって言ったら、物事をネガティブに捉えてしまうタイプなので、こうなってしまったらどうしようが先に走ってしまう。
想像してしまう。
そう。まあ、やってみようっていうタイプではない。
ああ、そうですか。
そう。
でも、なんかやってみよう、悪い方に考えるっていうのと、自己肯定感って。
ちょっと違うのかな。
そうですね。ネガティブではあるっていうことなんですね。
うん。自己肯定感、自分を肯定する。
これ結構迷うから、いろいろチャットGPTと相談して、この場に臨んだんですけど。
なんて言ってた?
僕の認識でも、自己肯定感って、何はなくても、私は存在していいんだとか、自分の価値に疑いを持たない状態?
自信がある、ないとは違うのかしら?
自己効力感との関連
そうですね。自信があるっていうのは、私はきっとできるはずだっていう意味の自信です。
これでいいんだろうかっていう。
ああ、そう。それはでも、これでいいのかは、自己肯定感っぽいですね。
そうだね。だから、何の分野においても、これでいいのかなって思うタイプ。
なるほど。
でも、中川さんの私の外から見た印象は、どうはいえ私は、私もこうだからっていうのはあるイメージなんですけど。
そうだね。それはあるかも。
そういうふうなキャラとして見られてるかもしれない。
ああ、なるほど。そうか。
私は、自己肯定感高い系なんですけど、ただこれ迷って、チャットGPTと語り合ったものがあるんで、ちょっと画面見てもらってもいいですか?
それで、今日は画面があるのね。
そうなんです。見てもらおうと思って。
自己効力感っていう言葉もあって。
へえ、初めて聞いた。
私はきっとできる。私は何かできるはずだっていうのが、自己効力感。
で、自己肯定感は、私は私でいいんだっていう気持ち。
これが結構なんか関係してたり、してなかったり、お互いに影響を与えてたりっていうのがあるんじゃないかなっていうことで、いろいろ迷ってたことがあったんで、これ話し合ってみたんですけど。
僕は、自己効力感から、自己肯定感を高めにいっている感じなんですよ。
私は価値を提供しているから、私は存在していいんだって思おうとしてしまうところがあるっていう疑問をこれ投げかけてます。
でもそれ言っちゃうと、社会に対して価値を提供してない人は、価値がないのかって思ってるのっていうことになっちゃいません?
そうね。
だからそれ、妻と話し合う時にもあるんですけど、
私の妻は専業主婦です。働いて、社会と接点を持ったりっていうことはありません。
だからといって、妻の日々の暮らしに価値がないなんてもちろん思ってない。
ただ私は、そうやって社会に価値を与えることが、私の存在を肯定してくれるって思っちゃってるの、まずくね?っていう気持ちがあったんですよね。
客観的に今の奥さんの状況を見ると、社会とは繋がってないかもしれないけれど、一人の子供を命を守ってちゃんと育ててるじゃない?それって立派な社会貢献じゃない?って思う。
私もそう思う。
他人のことを考えるとそう思うけど、どうしても自分のことはそう思えないんだよね。
そうですね。いや、わかります。
なんでだろう。
私も、いいじゃん、そんな暮らしもっていうか。
生きてるだけで価値はあるし、別にその人が存在していい価値なんてその人が決めればいいし、今のは子供を育ててて偉いねっていう面はもちろんあるし、
それに対して中川さんが働きながら、二人も育てながら働いてるなんてすごいなって本当に思うんですけど、じゃあそれがなかったら価値ないかって言ったら絶対そんなことないと思うし、
そこと何かを生み出しているっていうことと自己肯定感ってつなげすぎるとまずいなっていうことを思ったりしたんですよ。
環境、状況は人それぞれ違うから、社会に貢献しているっていうのを軸にするとちょっと違う議論になるかもしれない。
危ういですね。っていうのを持っていろいろアドバイスもらったんですよ。
あなたが抱いている感覚って条件付きの自己肯定感になってしまってますよね。
自己効力感、そういう何かを成してるから自己肯定感、認めてる。
価値に対する新たな視点
それはそれで悪いことじゃないんだけれども、何て言ってたかな。
でも人に対してだったら存在そのものに価値があるって思っちゃってます。思いますよね普通に自然に。
そんな何か成してるから価値がある人で、そうじゃない人は価値がないなんて思いませんよね。
それを突き詰めていくと、私の場合はとりあえずその自己肯定感とは関係なく、
多分好きだから社会に対して価値を与えるって言葉が好きだからやってるだけに過ぎないんじゃないかなというようなことを考えるに至ったわけです。
チャットGPTって誰なの?
誰でもないです。
それらしい回答を与えてくれるっていう感じですね。
色々相談した結果、おそらくあなたにとって役に立つ価値を提供していること自体が生き甲斐に近いんでしょう。
それは健全で自然なモチベーションですよね。
これは私が言ったことでもあるんですけど、これって自己効力感がそもそも強いんですよ。
それって僕、勉強できたし、やればできるってずっと思ってる。
やれなくてもそこそこできてるから、やればもっとできるはずだって思っちゃってるから、
努力はやれば実現できるはずだし。
私逆だな。どうせ私なんてっていうのが絶対最初についちゃう。
そうなんですか。
中川さんは、別に結論から離れることなんですけど、私は何かやってきたみたいな感じってないんですか?
ない。
だからその人が、ある人がすごく軸がぶれない人とか、何か一つのことをずっとやり続けてきた人とか、
資格もそうだし、そういう人とは真逆のところにいるタイプだと思っている。
これはそのまま流すかわかんないですけど、
中川さんは、いわゆる受験のある中高に行って合格して、大学受験もストレートで行って、
ラジオ局で働きたくてラジオ局に入ってるんでしょう?
大学受験に限って言うと、絶対その大学に行って、その分野のことがやりたいって思ってたタイプではない。
そうなんですか。どういうモチベーションだったんですか?
東京に行きたかった。一旦。
その大学である必然性はなくて、その時の自分に行けるところでかつ、東京で。
そうだね。もう自分の身の丈にあった、その時のご縁っていう。
じゃあ自分の努力で何か現状を変えましたみたいな。
だからそういう経験がないよね。
ラジオ局に入りたくて入りたかったけど、そこに何か自分がすごく努力をしたっていうことも思い出せないし。
なんかでも、それでも実現できてるって思うと。
ただそのやっぱり対策と傾向っていうのがあるじゃない。どのその分野においても。
マスコミ系の人はこういうエントリーシートを書いた方が一般論だけどっていう勉強はした。
なるほど。そっか。
あとアナウンススクールにも一応通った。
でもそれはどうなんだろう。そのラジオ局に入りたいっていう、努力の一つなのかわからない。
なんかそれは、それをやっててもどうせ私なんてって思っちゃうんですね。
それはやるだけのことは、やっぱりアナウンススクール通わないとダメかなって思って通ったけど、どうせ私なんてっていうのも常にある。
中川さんって他の局もいっぱい受けた?
いや、他の分野、業界って言ったらあれだけど。飲食とかアパレルとか受けたよ。旅行会社とか。
そうなんですか。
だってそれはどうせ私なんて言ったから。
受かるわけないと思ってるから。
とにかくたくさん受けておかないと就職できない。もう氷河期だったからね。
そうなんですね。
ちょうど時代的には。
自己肯定感の重要性
だからそこら辺は泣いてもらってたけど、もらってたところもあった?
あ、そうだね。そんなにたくさんではなかったけど、いただいていたところはあって、でも最終的には入りたかったところに入ったので。
今の議論自体がちょっと私間違ってるかもしれない。
なんかそれって自己肯定感と成功体験を結びつけようとしてるから、成功してなくても良い、それでもいいじゃないっていうのが自己肯定感の高さなんだろう。
そうですね、そう思うと。
だから自分の子供には何か成功しなくても、自分を信じてって言うとあれだけど、進んでって欲しいなって、ポキって挫折して欲しくない。
無条件で、まあきっと大丈夫って、そうなるとやっぱり楽観主義とネガティブに戻ってくる。
あんまりこう、大丈夫よっていう感じも困るけど、これから社会に出ていく上で。
だけど自分みたいに、またみたいに言ってちゃうけど。
私のようになるなって。
そう、そう、そう。はなって欲しくないけど、でも遺伝だからなって。
すごい、やっぱり自己肯定感低いですね。今の発言聞くと。
なんかこう、親の私のようになって欲しくないっていうのを子供に向けるのってすごいダメですよね。
そうだね、ダメだね。
なんか、私、よくあるじゃないですか。
あるよ、自分も言われたし、私はまだ言ってはないけど。
私はこういうところで苦労したから、あなたはこうした方がいいよっていうのってよく。
でもそれってやっぱり一番使いやすいんだろうね。
お母さんみたいに、ほら今こうなってるでしょとか、こうなって欲しくないから、あなたには今ここを頑張って欲しいの。
それはちょっと違うよね、押し付けだよね。
押し付けだし、親が私のようになるなって、親が自己肯定感下げるのを子供に聞かせるのもあんまり良くないような気もしますね。
私、夫婦が先反対なので、どちらかというと多分そういう意味では自己肯定感の激強い人なので、激強の人と激弱の人なので、いいバランスで。
そうですね、そっか。
お互い理解できない。だからなぜこの人はこんなに前向きっていうか、なんでそんなにネガティブなんだろうっていう。
そうですね、うちも若干その気があるな。
絶対交わることはない。考え方がやっぱりもう違うから。
でもまあ、子供のことでいくとやっぱ無条件の、私は大丈夫という意味の自己肯定感は持って欲しいですよね。
そうだね。
それこそ私のタイプ、その自己効力感があるから自己肯定感を、私は大丈夫と思ってるって危うい気もするから、なんか分かりやすい失敗は多分してないと思うんですよ。
大学とかも一応受験も失敗せずに来たから、なんとかその自己効力感を理由にした自己肯定感でもなんとかなってるけど、そういう人だとどっかで大きい失敗したらポキッと折れちゃいそうなリスクがありますね。
よく社会問題になることあるじゃない。親からこういう風になりなさいって言われて進んでたけど、分かりやすく言うと、例えば中学受験に失敗しました。
そこでやっぱり人と付き合うことが怖くなっちゃったりとか、自分なんてダメなんだって思って前に進めなくなっちゃう。そういうのはやっぱり怖いよね。
そうですね。別に受験するとかなんとかあってもいいけど、そうじゃなくてもどうとでもなるわっていうのがいいですね。
それはやっぱり親の今なら私たちが作っちゃう環境なのかもしれないよね。
できるだけゴールがいっぱい。そもそもゴールなんてないし、楽しく生きてさえすればええじゃないっていうところを第三者である子供に対してだったら思ってもらうようにしたいですね。
思った以上に子供ってやっぱり親のいうこと、反抗期ってそういう意味じゃなくて、親の影響はすごく受けると思う。
そうですね。こうすると親は安心するなとか、こういう感じだと明確には言わないけど、なんかがっかりしてるなとか。
自分も分かってたよね、そういうの。
顔色を伺いながらじゃないけど、子供って自分が思ってる以上に大人だよ。
そうですね。親の感情をとらえちゃうし、なんか親が悲しむと嫌ですからね。
そうですね。だから気をつけないといけないなって。
無条件でいいんだよって思ってもらえるような親でありたいなって思いましたね。
という感じです。
難しいね、この問題は。いろんな意見があるから。
結論がどうっていうもんじゃないですけど、でも自己肯定感、自己暴力感、皆さんどんなふうに思いますか。
子供にどうなってほしいと思いますかとか、考えるのはいいかなと思うし、私のようになるなとか言わないでくださいよ。
親の役割と子供への影響
言わないようにしましょうよ。
よくやってますよ。
私のこと?ありがとうございます。
ダメだ、今のもダメだ。よくやってるから自己肯定感あげるじゃん。やっぱダメだ。
そこをつなげちゃいけないよね。
そうですね。難しいですけど、考えたら楽しいかなと思って。
皆さんのご意見とか、ハッシュタグの人のおつけて、Xなどでつぶやいてくれると嬉しいです。
Xなどって言いましたが、Xしか見てません。
インスタグラムとかTikTokにのひとのをつけられてもどうしようもないですね。
いるのかしら。
ハッシュタグのひとのをつけて踊られても困るので、
Xかメッセージフォームにコメントいただけたらそれはそれで嬉しいです。
こっそり思ってもらっても大丈夫です。
ではまた。
また。