SNSでキラキラした人たちを見ては、「いいな」と思っていました。
起業している人、フリーランスで自由に生きている人。
やり方はわかっていた。実行さえすれば、何か変わっていたかもしれない。
でも私は、ベッドの上でスクロールしているだけでした。
なぜあの子は動けて、私は動けないのか。
今日はその問いを、表層から深層まで掘り下げてみた回です。
面倒くさい、という正直な気持ち。
今の生活が崩れることへの恐怖。
そしてその奥にあった、プライドへの執着。
動けない時間が続いている方に、聴いてもらえたら嬉しいです。
▷ 毎週日曜20時配信
「このままでいいのかな」とモヤモヤしている30代女性と、正解のない問いを一緒に考えていくラジオです。
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サマリー
本エピソードでは、「なぜあの人は行動できるのに、自分はできないのか」という長年の疑問を掘り下げています。行動できない理由として、まず「面倒くさい」という感情が挙げられますが、その奥には「今の生活が崩れることへの恐怖」や、さらに深層には「プライドが傷つくことへの恐怖」があることが語られます。これらの感情は、失敗への恐れや他者からの嘲笑を避けるための自己防衛であると分析されます。最終的に、行動できるかどうかは才能ではなく、恐怖や面倒くささを抱えながらも動くタイミングが来ているかどうかの違いであり、自分自身の価値観が整った時に自然と行動できるようになるという結論に至ります。動けない時期もプロセスの一部として受け入れることの重要性が語られています。
SNSで見るキラキラした人々への憧れと自身の停滞
会社員だった頃、SNSでキラキラした人たちを見ては、いいなぁと思っていました。
起業をしたり、フリーランスになったり、時間も場所も自分で決めながら、自分らしく生きているように見える人たち。
それが正解のように見えて、自分も特に理由はないけれど、なんとなくそうなりたいなと思っていました。
でも私は、ベッドの上でスマホのスクロールをしているだけでした。
このままでいいのかラジオ、皆様こんにちは、なつなです。
今日のテーマは、なぜあの子は行動できるのか、と思っていた話です。
やり方は結構わかっていったことも多かったんですよね。
SNSを見ていると、発信者、インフルエンサーの方々が、自分がどうやって今の生活をしているのかとか、
この生活になるまでのこととかを発信してくれたりしているので、
こんなことをしているんだなぁとか、そういうイメージは少しだけついていますね。
もしかしたらその時に何か実行していたり、一つでも行動していたら、何か変わっていたかもしれないですよね。
でもその時は動けませんでした。
私がお家のベッドでスマホをスクロールしている一方で、
私がSNSで見ていたあの人たちは、行動したり、
時には失敗したり、それで起業をしたり、発信したり、
何かしらの形にしていたように見えています。
どうしてあの子は行動できるんだろう?
私とどんなところが違うんだろうか?
当時はそれが不思議で、もうちょっと悔しい気持ちもあって、
でも答えが出ないままスクロールを続けていました。
行動できない理由の深掘り:面倒くささ
改めて当時を振り返ってみると、一番最初に出てくる答えは、面倒くさかったことです。
正直に言うと、新しいことを始めたり、何か行動するのって面倒くさいことだと思うんですよね。
調べることも多いし、慣れないことをやるのはとても疲れるし、
今の生活を変えなくていいなら、そのままっていうのが一番楽なんじゃないかなと思います。
面倒くさいっていう理由を最初に挙げると、ちょっとだらけていたりとか、
サボっているような、そんな風にも見えるかもしれないけれども、
これは一つの立派な理由なんじゃないかなと思います。
誰でも持っている感覚だとも思っています。
ただ、面倒くさいっていうことだけが理由かというと、そうでもないんじゃないかなとも思っていて、
じゃあ面倒くさい以外にどんなことが出てくるかなっていうのをもう少し考えてみると、
失いたくないものへの恐怖
面倒くさいの多くに、今の生活が崩れることへの恐怖があったんじゃないかなと思います。
何かを変えるということは、今持っているものを手放すということでもあるんじゃないかなと思っています。
安定した収入だったりとか、慣れた人間関係、毎日のルーティーンだったり、
あとはスマホでスクロールをする時間だったり、
夜ベッドでスマホをスクロールする時間だったりとか、そういったことも入るかもしれません。
そういうものがなくなってしまうかもしれないということもありますよね。
あともう一つ、これは恥ずかしながら正直に言ってみるんですけれども、
何もせずダラダラと過ごす日々というのも手放したくなかったんじゃないかなと思います。
休日に何もせず過ごしていたりとか、お仕事終わりにベッドでスクロールをする時間、
何もしない夜とか、これってすごく今楽しいなって思うようなことではないかもしれないんですけど、
ただ実はすごく楽しいことなんじゃないかな、楽っていうのもあるけど楽しかったんじゃないかなと思います。
何かを変えたりとか行動し始めたら、そういう時間がなくなってしまうかもしれないというところに恐怖を覚えたりとか、
なんかそんな感覚もあったんじゃないかなと思います。
これ同じように感じる人いますかね?
プライドを守るための行動
あとはもっともっとさらに深掘ってみると、もっと深いところに自分のプライドが傷つくことへの恐怖みたいなのもあったんじゃないかなと思います。
当時の私がよくやっていたのは、つまづきそうなポイントを先に探してやらない理由にするということでした。
ああ、こういうことを始めていって、ここでこういうつまづきがあったらどうしようとか、ここで失敗したらどうしようとか、
ああ、きっとこのぐらい経った時にこんなような失敗をして大変なことになっちゃうかなとか、
ああ、めんどくさくなっちゃうかなとか、
ああ、ここでこういう失敗がありそうだなとか、
それを行動する前から出口を探していたというか、
ああ、ここで辞めちゃいそうとか、ここですごく大変になりそうとか、
ああ、ここですごく自分の負担になりそうとか、
そんなことを考えてしまっていたんじゃないかなと思います。
これは今思うと、自分のプライドを守るための行動だったんじゃないかなと思っていて、
もしやってみて失敗してしまったら、
ああ、やっぱり自分にはこれは無理だったのかなとか、
っていう太鼓板を押されてしまうような、
自分自身にこれはできなかったなという、
ダメだったっていう太鼓板を自分で押してしまうような、
そんな怖さがあったんじゃないかなと思います。
当時の私としては、そういうできなかったことを一つ一つ確認していくような、
そんなことになってしまう未来が見えるような行動をやり続けるよりも、
やらないでおく方が安全だったんじゃないかなと思います。
やってないだけで、もしかしたらやればできるかもしれないとか、
やったらものすごく人生が変わるかもしれない、
というような可能性を残しておくみたいなことでしょうか。
それからもう一つ、特に誰というわけではないけれども、
周りの誰かだったりとか、
知り合いだったりとかに嘲笑されてしまうような恐怖というものがありました。
特に実際にそういうことをされた経験があるわけではないんですけれども、
何か失敗をした時に吊るし上げられるような感覚だったり、
笑い者にされるような感覚、
そういったものをどこかで恐れていたんじゃないかなと思います。
行動できる人とできない人の違い、そして変化の兆し
では、動けているあの子と動けていない私の違いは何だったんでしょうか。
それは能力でもその人の才能でも、
よく言われる行動力の違いでもなかったのかもしれないと思っています。
もしかしたら画面の向こうにいるあの人もとても怖かったかもしれないし、
めんどくさいなと思っていたかもしれないし、
もしかしたらその人にも動けない時期もあったのかもしれないですよね。
ただそういう怖さを抱えながら、
面倒くささを抱えながらそれでも動いていた、
もしくは動けるタイミングが来ていたということかもしれません。
当時の私にはそのタイミングはまだ来ていなかったし、
今となってはあの動けなかった時間ももしかしたら必要な時間だったんじゃないかなと思います。
その後、自分自身コーチングのセッションを受けたりとか、
自己内政も繰り返していくうちに、
自分がやりたいことや向かいたい方向性っていうものが、
いわゆる社会からの見え方だったりとか、
どれだけお金を稼げるかとか、
誰かに褒めてもらえそうとか、
そういうことを抜きにして、
本当に自分自身がやりたいことだったりとか、
向かいたいこと、方向性というものが見えてくるようになりました。
そうすると、なんとなく気づいたらこう動けるようになっていて、
というか気づいたら動いていて、
動かなければとか、
行動しなければ、何かしなければと焦っていた頃ではなくて、
自分の中で、
自分のやりたいことだったり方向性だったり、
自分の価値観だったりとか、
そういったものが整ったタイミングで自然に動けたような、
自然に動けたというより気づいたら動いていたような、
そんな感覚だったかなと思います。
他者との比較からの解放と自己受容
あの頃のように誰かを羨ましいと思うこと、
もちろんまだあるんですけど、
それを思って焦ったりとか、
自分もこうならないととか、
なんかそういったような気持ちになることは、
かなり少なくなったんじゃないかなと思います。
あの人はあの人のリズムで、
私は私のリズムで動いているし、
人によって周期だったりとか波っていうものも、
バラバラなんだもんなーっていうのは、
なんとなく自分の中で腹落ちした部分があったので、
そう思えるようになってきたんじゃないかなと思います。
そして動けていなかったあの時期も、
きっと大切な時間だったんじゃないかなと、
今となると思ったりもします。
あの時間があってたくさん葛藤したりとか、
もがいたりとか、
そういう経験をしたからこそ、
同じようにもがいていたりとか、葛藤していたりとか、
もしかしたら自分を責めてしまったりとか、
なんかそういう人たちに対しても、
自分もそういう経験あったなって心から感じることができるし、
その経験はなんとなく忘れたくないなぁとも思ったりします。
動けない時期の経験と未来への展望
もしかしたら今後また私も動けないタイミングが来るかもしれないし、
ちょっと焦ってしまったりとか、周りと比べてしまって、
自分もこうならないととか、
そういう風に感じる時期がまた来るかもしれない。
でも、それを乗り越えた経験、乗り越えたというよりかは、
その時期が過ぎ去った経験が一度でもあると、
ちょっと落ち着いていられるような気がするというか、
またこの時期が来たんだなって、少し自分に大丈夫だよって言ったりとか、
なんとなく前みたいに、
その焦りだったりとか、不安だったり、
あとよくわからないなんとなくの憧れだったりとか、
焦燥感みたいなものに飲み込まれずに済むんじゃないかなとも思っています。
もしかしたらこれを聞いている方々の中には、
動けない理由の構造と内省のすすめ
なかなか今動けなくてもどかしい気持ちがある方もいらっしゃるかもしれません。
動けない理由を分解してみると、
これは私の解釈ですけれども、
表面には面倒くさいという層があって、
その奥に失いたくないものへの恐怖というか、
今が変わってしまう恐怖ですね。
そんなものがあって、
そのさらに奥には自分のプライドを守りたい気持ち、
というものがあるんじゃないかなと思いました。
どのタイミングでどれが出てきても、
それは良し悪しとかではなくて、
そういう気持ちがあるなとか、
自分にはそういう風に感じているんだなとか、
そういうところを認知するだけで、
少し落ち着けるんじゃないかなと思いますし、
それを何も分からないまま過虫に飲み込まれてしまっているような、
そうではなくて、
今自分はこういう風に感じているなとか、
自分はなぜこう思っているんだろうかとか、
ちょっと自分の内省だったり、
自分の内側を探るような、
そんな一つのきっかけにしていただくのもいいんじゃないかなと思います。
時間にも大切な意味があると思いますし、
大きなプロセスだと思います。
今すぐ動けなくても大丈夫だし、
何かがダメなんてことは全然ないと思いますよ。
皆さんの動けない理由というものは、
行動できない経験の肯定と新たな視点
どんなものが理想でしょうか。
一般的にサボっているとか、
怠けているとか、
そういう風に見られるもの。
でも、勇気を出して見つめてみたりとか、
それを本当に悪いものなんだろうかと疑い始めるところ。
もしかしたらそんなところから、
また別の道が見えてくるかもしれません。
さて、
今日は、
なんであの子は行動できるんだろうか、
と思っていた話をお届けしました。
行動できる人は全体の1%と言われることも多いぐらい、
おそらく、
皆さんが、
あ、行動できないなぁとか、
なんで動けないんだろうって思った経験が、
きっとあるんじゃないかなと思っています。
でもそのプロセス自体も、
自分として認められるようになったら、
またなんか、
違う景色が見えるのか、
見えないのか、
そんなところも面白がっていけると、
また一つ、
世界の見え方が増えるかもしれません。
今日も聞いてくださってありがとうございました。
夏菜のこのままでいいのからぜよ。
お相手は夏菜でした。
また来週、
間違えた、
日曜日の夜20時にお会いしましょう。
ではまた。
19:34
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